シャムタンティを夜通し歩いても良いことは何もない。いたずらに体力を消耗するだけだ。旅の序盤から、多くの読者が生き延びる知恵を叩き込まれたことと思う。
体力と引き換えに幾ばくかでも先に進めるのならまだ選択の余地もあろうというものだが、なんとこれが普通に夜営しても何も変わらないのが実情である。寝ずの強行をもってしても、一歩足りとて進んでいないのだ。昼間の旅路ではっきりと見えていたシャムタンティの街道には、実は多くの分岐が隠されているのだ。夜闇の中ではあっという間に正しい道を見失い、獣道やかすかな脇道を伝いながら同じところをぐるぐる回ってしまうらしい。恐ろしいのは彷徨える旅人がそれと気づくことは一切ないというところだ。
比較的穏やかと思われたシャムタンティもまた、魔境カーカバードと言うことだろう。
行く手に現れる分かれ道ははっきりと提示される一方で、道が合流してくる場所はまったくそれとわからない。単方向ゲームブックのシステム故かと思いきや……このような地ならば、さもありなんといったところか。
【追記】
バク地方もまたしかりである。こちらは道なき道を進む旅なので、リングワンダリングはシャムタンティよりも起きやすいと考えられる……あるいは例の「昼と夜が超自然的な力で左右されている」影響かもしれない。この地では夜に何が起きていても不思議ではないのだ。
ビリタンティ郊外にある水晶の滝。ここを流れる水には癒しの力が宿っている。滝を浴びれば全ての傷は洗い流され、体力点と技術点は全快。そのうえあらゆる病がたちどころに治るのだ。さらには強運点までもが回復する。ここまでくると癒しの域を超えていると言っても過言ではない。
是非ともこの水を持ち運べたらと思うが、残念ながらそのような選択肢は現れない。つまり……癒しの力は滝そのものに限定されると考えることもできそうだ。
滝の岩から垂れ下がる水晶のような鍾乳石に秘密があるのだとしたら、これは普通の水晶ではあるまい。しかしアナランドの回復魔法DOCの触媒はブリム苺のしぼり汁に代表される薬類であり、魔導書には件の石が触媒になるとは記されていない。同じアナランドの術でも、ZIPなどは海を隔てたアランシアのぎざ岩山で採れる金属の指環が必要とされている。(創土訳では「屏風山」、創元訳では「ゴツゴツ岩の岸壁」で採れるとされているが、原文では「Craggen Rock」となっており、これは『バルサスの要塞』の舞台となる「ぎざ岩山/Craggen Rock」と同じ。大文字になっているので、特定の地名と考えるのが自然。)そんな遠い地にまで魔法の触媒を見出しているようなアナランドが、わずか数日の距離にある水晶滝の効能を知らないということはあるまい。秘密にされているのならいざ知らず、ビリタンティを訪れた旅人はわずかな金貨を払えばこの滝を利用することができるのだ。
どうやらこれは、アナランド人が水を運ぶことを思いつかなかったか、あるいは滝の管理人が水の持ち出しを禁じているかのどちらかという線が濃厚だろう。
ところでios版ではこの水を運び、疫病村を救おうとする展開があるようだ。ここでは癒しの力は水に宿っていることになっている。こうなると気になるのは滝の下流はどうなっているのかということだ。癒しの力が持続するのであれば、下流は清らかで美しく、植物も繁茂しているはずである。早速ios版の地図を見てみると残念なことに早々にジャバジ河へと合流し、カーカバード海へと流れ込んでいた。合流地点でジャバジは既に大河なので、癒しの水もだいぶ薄まってしまっていると思われる。
さて……ジャバジの河口といえば、ダドゥ・レイの端にあたる場所である。ダドゥ・レイの別名は「銅山洞」とされており、原文では「Daddu-Ley (the copperstone caves)」となっている。その名の通り、このあたりの岩や地層には銅が含まれているに違いない。想像を排除して本編を紐解けば、ダドゥ・レイについて触れられているのは、ダンパスで売っている縁無し帽がこの地の司祭のものだという触れ込みぐらいだ。単なる商人の売り込み文句にすぎないが、少なくともダドゥ・レイには司祭がいてもおかしくはないらしい。
ダドゥ・レイが町だという情報は一切ない。地図には海岸線に洞窟が並んでいる光景が描かれており、そしてこの地には司祭がいる……。湧いてくるイメージは、わずかに残った癒しの流れだけを頼りに、俗世の縁を断ち切ってさいはての海岸で修行に身を捧げる聖者の姿だ。
【追記】
ダドゥ・レイに縁を持つ人物がいる。カレーのカーニバールでチャンピオンを張るカグーである。彼はリングでこう紹介されている。「カレーの乱闘選手権前回優勝者、怪力の鬼、"脳天割り"の仇名で知られる――ダドゥ・レイのカグー」と。状況が状況だけに多分に盛ってはいるだろうが、見逃すことはできない。ダドゥ・レイという地名が「盛って」いることに一役買っているとみることもできるからだ。
以前よりイラストの印象から、なんとなくレスラーっぽいイメージを持っていたのだが、こうなってくると一気にモンク感が出てくる気がする。カーカバードの僻地で修業した者であれば、それなりの腕っぷしがなくては生き延びることはできまい。ただし試合の合間にマネージャーに回復してもらっているところから、回復魔法は習得していない様子だ。残念ながらこれはモンクらしからぬと言えよう。
『剣社通信Vol.5』に載っているジャクソン氏のインタビューによれば、シャムタンティの村々は、ネパールのポカラ地方がモデルだという。
以前自分でも調べてみたが、ビリタンティやダンパスなどはそれらしい地名があったもののクリスタタンティという集落は残念ながら見つけることができなかった、ということがあった。
仲間外れのクリスタタンティ/Kristatanti 。他の集落とくらべると「タタンティ」とタがダブっていたり、無理やりひねり出した感がある(気がする)。
「~タンティ」とすることで、他の集落名――ビリタンティに寄せているのだとすると、Krista に何か意味があるのかもしれない。Kirs というのはクリスナイフのことだが、これはネパールではなく東南アジアでみられるナイフなので、偶然かもしれない。最後の a は tanti につなぐためだとしたら…… Krist …… Christ(キリスト)……?
おっとぉ。もしもこの連想が正しいのだとしたら、イギリス人作家が書いたゲームブックの舞台となるファンタジー世界にてアブラハムの宗教をに匂わせる仕込みがあったことになる。多くのファンタジー世界は基本的にヨーロッパ圏の伝承や神話がベースになっているものだし、そんなに飛躍した連想というわけではなかろう。しかし面白いのは、キリストの名を含んだクリスタタンティが、作中でも最も辺鄙な田舎だということである。クリスタタンティの住人は骨で髪を結いあげており、これはいかにも蛮人のイメージだ。
蛮人といえば、第四巻で出会う赤目たちにスラングの聖職者の名前を聞かれるシーンが思い浮かぶ。ここで「トリスタン」を選択すると、「そんなアヴァンティの森の野人みたいな名前のわけあるか」と言われてしまうのだ。アヴァンティ……シャムタンティではないが、「ティ」つながりの地名がここにもあった。ちなみにトリスタンというのはアーサー王伝説に登場する人物の名前でもあり、これが野人っぽいというのはちょっと面白い。
アヴァンティ/Avanti とアーサー王。こうなると即座に、アヴァロン島/Avalon をもじったのではないかと考えてしまう。アーサー王が最期に去っていったとされる場所だ。
アーサー王伝説とキリスト。この二つには「聖杯」という繋がりがある。
アブラハムの宗教は言うまでもなく、三大宗教の一つだ。ローマ以降、中世から現代に至るまでヨーロッパ文化の中心にあった。アーサー王伝説はファンタジー世界の元ネタ的な存在だ。
しかし『ソーサリー!』では、この両者をして未開人だという。この価値観の「ずらし」からは、旧世界を創造したジャクソンの「これはありきたりのファンタジー物ではないぞ」という意気込みを感じることができる気がしてならない。
【追記】
かの信仰がらみの単語が他にもあった。篤志家(サマリタン)/Samaritan だ。言わずと知れた、マンパンに潜入しているシンの鳥人たちである。
これは「サマリア人」のことで、文字通りサマリア地方に住む人々。つまりパレスチナ中央部の住人を差す。「good Samaritan」となると情け深い人という意味になるが、これは新約聖書のルカ伝にある「良きサマリア人」のエピソードに依る言い回しだ。
そしてやはりというかなんというか、この語も文明地域ではなく鳥人に当てられているという……