天下に名高き「諸王の冠」。このマジックアイテムは戴いた者に強力無比な統率力を与えるという。こいつがマンパンの大魔導の手に渡ったため、悪の巣窟カーカバードが統一されてヤヴァイ国になってしまうのではないか……というのが各国が恐れることだという。だが、冠の力を真に理解していれば、そうはならないことがわかるはずだ。『タイタン』を見てみよう。
そう、正義だ! 冠の効能をだれよりも知るチャランナ王がそのことを知らないはずがない。冠を奪われたアナランドにとっては由々しき事態であろうが、旧世界全体が危惧するような話ではあるまい……冠の力によって正義に目覚めた大魔導がカーカバードを統べたのなら、それは善き国になるはずなのだ。冥府のデーモンが冠の力を自在に操ることができるほどに強力であればその限りではないが、大魔導の正体が知られていない以上、周辺諸国がそんなことを心配するはずもない。となるとだ、『ソーサリー!』の冒険とは、必死になったアナランドが懸命に自らを正当化しながら語られたものだったのか……?
ただ、ブライスに関してはカーカバードの建国を快く思わないかもしれない。この好戦的な国はフェンフリィ同盟に加わってなお侵略の夢を捨てきれてはいないらしい。隣国ラドルストーンはカーカバードとも隣接している。そのためブライスだけでなく背後にも防衛力を割かなければならないのだ。もしもカーカバードが正義の国になってしまえば、ラドルストーンはブライス対策に全力を傾けることができる。ブライスとしては、それはよろしくない事態に違いない。
また、女神リブラの立ち位置も微妙と言わざるを得ない。正義が世に広まり、あのカーカバードが更生するのであれば、それは正義を司る女神にとっては素晴らしいことのはずだ。しかしリブラはアナランドの守護神でもある。冠の移動が「強奪」であったこともあり、やはり立場上アナランドの味方をしなければならなかったのではないか……女神の加護が巻ごとに一回のみとなっているのも、この辺に理由があるのかもしれない。
恐怖を引き起こす GAK の呪文。魔導書の説明にはこうある――勇気あるものに対しては、臆病者ほどの効果は得られない、と。実際この術はクラタ族やマンパン砦にいる赤目などには効果覿面だが、冥府の魔王やマナンカの霊には全く効き目がない。
さて、ここに二人の人物がいる。頭蓋骨割りの鉄腕カグーと、蛮人アンバーである。カレーのカーニバルでリングに上がっている彼ら相手にも GAK は選択肢として登場する。結果的に術の効果はゲームに影響を与えないのは変わらないわけだが、その過程の描写が創元版と創土版では異なっているのが興味深い。創元版では術はばっちり効いており、これはルール違反だとカグーあるいはアンバー(第一試合の勝者)から闘いを拒否される展開となる。群衆からもブーイングを食らい、試合が始まるのは術の効果が切れた後だ。一方創土版では術によって怯えているのは山師ということになっている。彼は恐怖に陥りながらも術は反則だと言い、やはり通常ステータスの相手との闘いとなるわけだが……この山師とやらが、カグー/アンバー本人だとは明記されていない状態だ。この場には他にも該当しそうな輩が何人かいる……イラストにも描かれている呼び込みらしき男、そしてチャンピオンの回復を行っているイカサマ師だ。おそらくは賭けの胴元もいるだろう。もしも山師なる人物がカグー/アンバーを指していないのなら、彼らは GAK にも取り乱さないだけの勇敢さを持ち合わせているということになりはしないか?
さて、では原文を見てみよう……二人の真価や如何に!?
この ruffian というのが創土版で山師に当たる語だ。直訳すればゴロツキ、ならず者といったあたりか。創元版ではこいつら全員ゴロツキじゃろがいということで相手本人が直接抗議してきている訳となっているようだ。だが、実はもう一か所この ruffian が登場する箇所があるのだ……パラグラフ82で傷ついたチャンピオンを回復している人物が ruffian となっていて、創土版ではやはり山師と訳されている。これはどうやら、抗議してきたのはこの人物と考えることができそうだ。山師というからには、イカサマ野郎を指しているに違いない。注目すべきは複数形である ruffians ではないところで、つまり恐怖にさらされているのは一人だけ。ゴロツキ全員がぶるっているのであれば、纏めて臆病者とするのが自然かもしれないが、この場合は該当人物以外は GAK に耐えていることになろう。つまり、やはりカグーとアンバーはクラタ族やイキった赤目など比べ物にならない勇士だったということだ!
ちなみに創元版におけるパラグラフ82の ruffian は「マネージャー」となっていて、いかにも詐欺ビジネス然とした印象だ。個人的には、これはこれで捨て難く思うところではある……。
イルクララ湖の渡し守と知られたテク・クラミン。我らがアナランダーがイルクララ湖畔にたどり着いた時には、既に彼は風大蛇に殺されていたらしい。少なくとも、一度藪に入って舟を出してきた時点においては確実に死んでいる。蛇は死んだ渡し守の身体を使い、湖上で不意打ちを仕掛けてくるのだ。
この戦いで風大蛇はアナランダーに倒されることになる。渡し守の魂も浮かばれたことだろう……と、ここで『超・モンスター事典』を見てみよう。
この記述を読む限り、風大蛇が渡し守を殺したのはそれなりに前の出来事のように思える。現在進行形で忌み嫌われているわけだから、殺人を犯した後も大蛇は健在であったはず……つまり、実際に惨事が起きたのはアナランダーが旅に出る前と見るべきだろう。しかし第三巻での記述を見る限りでは、渡し守の死体はまったく傷んでいるように見えない。それこそ、殺されたばかりと考えるほうが自然だ。何しろ最初は渡し守が死んでいるなんてアナランダー的にも思いもよらなかったわけなのだから。おそらくは、まだ腐臭すらしてなかったはず……確かに渡し守は不潔の権化みたいな男ではあるが、生きていることに疑問を感じるような点などはなかったのである。
一体、テク・クラミンはいつ死んだのか? この矛盾しているように見える状況に説明づけるには、二つの手が考えられる。一つは、やはり渡し守はアナランダーがイルクララ湖畔に到達した時に殺されたのだが……ただ、直後に風大蛇がアナランダーによって倒されたことを湖畔の住人はおろか全世界がまだ知らずにいるという可能性だ。だが、その数日後にはマンパンの大魔導までもが倒され、カーカバードの脅威が取り除かれているわけで、これで七匹の大蛇の一角がまだ生きていると考える者はいないのではないだろうか。アナランドの英雄が風大蛇やその後に待つ大蛇たちとの戦い、あるいは第四巻の冒険で潰えているのであれば問題ないが、『超・モンスター事典』がそんな特殊な状況にある世界を想定して書かれているというのは無理がある。
では、もう一つの考え方はどうだろう。こちらは風大蛇の能力に依る現象として説明づけようという試みだ。つまり、風大蛇は殺した相手の”皮”を乗っ取ることができるのだ……己の弱点である抜け殻が小さな蛇の状態であったように、テク・クラミンの皮に宿って、さも渡し守が生きているように見せかけたのではないだろうか。この場合、アナランダーが風大蛇に殺される展開になった時にはなかなか面白厄介なことになるだろう。
……と、まあこれはこれで「すぐ近くに住むフェネストラが、渡し守殺害にずっと気づいていなかったということがありえるか?」という疑問が残ってしまうのが残念な点である。フェネストラは父の仇である水大蛇を倒すために七匹の情報を集めているにもかかわらず、だ。湖を渡るためにと、テク・クラミンを呼ぶための呼子を渡してくれるところからして、彼女が本当に渡し守の死を知らないのは確実であろう。これでは、この黒エルフの魔女が少々抜けていることになってしまうのは否めない……
【追記】
『超・モンスター事典』における時間軸としては、『ソーサリー!』は問題発生~解決の間というタイムリーな状況となっている。日輪大蛇がフェネストラに捉えられているくだりなんかもそうだ。TRPGとして、『ソーサリー!』の冒険をプレイする際の状況提供という意図は明らかだ。明らかではあるが、そのために(TRPGのPCたち以外に存在するであろう)アナランドの英雄及びカーカバードの住人たちを取り巻く環境に齟齬が出ているのは否めない。
これはゲームブックの補強資料というよりは、完全にTRPG版というある種のパラレルワールド向けガイドと割り切るべきなのかもしれない。本来、そういう使い方を意図されているわけだし必然といえば必然か。