日々棒組み  091〜121

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121
ホントはいやなのだが、会社で進行会議というのがあって、議事録の書記をやっている。
会議も書記もどちらもいやなのだが、今日は書記の話だ。

その場では手書きでメモして、後でhtml文書にして社内のサーバーにアップするのだが、みんなが好き勝手なことを言うので、清書が大変でしょうがない。
話す内容はどうでもいいのだが、そのままでは文章にならないような発言が多いのだ。
「事故が起こるとアレなので…」
とか、
「あのやり方ではちょっと怖いから…」
とか、普通にしゃべっているが、議事録に「アレ」とか「ちょっと怖い」とかそのまま書いてあったらバカみたいで笑えるかもしれないが、議事録としてはペケだろう。
話のニュアンスで「アレ」を「損害が発生する」に変えたり、「ちょっと怖い」を「危険が高い」とかに書き換えていくのだが、それがけっこう面倒で、場合によっては「どう書けばいいんだよ」と頭を悩ませてしまう。

あと、延々話し続けた挙句何を言いたいのかわからないまま尻切れトンボで終わってしまったり、誰かの話がきちんと終わらないうちに他の人が話し始めてしまったりすることもあって、そういう場合はとてもじゃないが文章にできない。
人の話を最後まで聞かないのはたいてい偉い人なので、その状況を是正するのは難しいのだ。
誰かが仕事上のある支障について説明していてもえらい人の「そんなことねぇよ」の一言で終わってしまうこともある。
時々、みんなの発言をそのまま書き写したい誘惑にかられるが、毎回の会議の冒頭で前回の会議の議事録を読み上げるのも私の役目だったりするのでなかなかそんな行動にも踏み切れない。

「えー、先週の会議の報告です。
部長「先月あたりから忙しくて全体に予定が遅れ気味だけど、現場もナンだろうけど、こういう時期はお客さんもアレなので事故が起こらないように注意してもらえればね、こんな時代だけどがんばりましょう」
社員A「現場も限られた時間で精一杯やってるんですけど、うちの設備ってちょっと古くなっていて生産性を…」
偉い人「そんなことねえよ」
部長「今月は混んでるみたいだけど受注を見るとね…こんな時代だし…来年なんかどうなのかなぁ…」
課長「Aくん、こないだのあれはさぁ、あれじゃまずいぞ」
社員A「いや、あれはああいう指示があったんです」
課長「えー、そうだったかぁ?ブツブツ(聞き取り不可能)」
社員A「現場は指示がしっかりしてないと作業ができ」
偉い人「そんなことねぇよ」
部長「いろいろ不景気で作業もアレで受注もナンだけど…」
偉い人「そんなことねぇよ」

まぁ、ここまでめちゃくちゃじゃないけどさ。

私は書記をやりながらも会議には参加している状態なのだが、みんなのこんな話をまとめながらなので、よほど自分に直接関係のある議題以外は口を挟まないことにしている。って言うか挟めない。
誰かの発言を記録している間に次の議題に移っていて、完全に話を見失ってしまうこともよくある。
というわけで会議後半の発言は議事録に残りにくいという事実があるのだが、それがまったく問題にならないというあたりにも虚しさを感じてしまう。

そんなこんなで、書記をやるのはいやでいやでしょうがない。
ただ一度だけ面白かったのは、議事録を清書する時に「オペレーター」を「オレペーター」と打ち間違えた時か。
何だよオレペーター。アルプスで山羊飼ってんのか。

2003.6.25


120
♪ワールドホビーフェア−♪
キョーリツビヨーゲカー♪のメロディーでみなさんご一緒にもういちど、さんはい、
♪ワールドホビーフェア−♪

なんでこんなオープニングかと言うと、行ってきたんです。♪ワールドホビーフェア−♪
いや、私じゃなくてショーへーが。お友達とお誘い合わせて。幕張まで。
越谷から幕張は電車で一時間強といったところでしょうか。小学六年生ならそのくらいは友だち同士で行く距離のようです。
自分が小学六年生だったころと比べてちょっと幼いんじゃないかと思っていましたが、そうでもないのかな。
当たり前のように友だちと約束して当たり前のように帰って来ました。
ショーヘーが生まれてからいろんなことをひとつづつできるようになっていくのを見てきたけど、もう「ひとつづつ」じゃなくてある時ガッと進んでいってしまうのかもしれません。
この前剣道の試合を見に行きましたが、あんな風に声を出してあんな風に体を動かせるんだとちょっと驚きました。

ほんとにもう。ショーヘーのくせに生意気だぜ。

男の子ショーへーは、男親オトーにとって子供時代を追体験させてくれるという大事な役目があったのですが、よし。
もうよし。お前はガッと行けよ。な。

って、思ったんですが。
♪ワールドホビーフェア−♪から帰ってきたショーヘーが買ってきた物の中にダンディー坂野(ゲッツ!の人ね)のCDを見つけた時はちょっと心配になってしまいました。
サイン色紙付きで五百円。安くて笑っちゃいますが、ダンディーと握手もして「ゲッツ!」ってやってもらったそうです。
それをちょっとうらやましく思っている自分に気付いた時はとても心配になりました。我が家の行く末が。

2003.6.22


119
ホントはいやだけど、土曜日曜以外は毎日会社へ行く。
今日もやだけど行ってきた。

いつもの電車に乗り、吊り革につかまって、ふと右斜め下の席を見ると、20代後半くらいに見えるOLが化粧をしていた。
ははぁん、これが近頃なにかと物議を醸している「電車内で化粧」だな。なんて、初めて見るわけじゃないけど。
体格は何と言うか、えーと、貫禄があるというか、恰幅がいいというかそういうタイプ。立ち上がったら背もそこそこありそうだ。
顔立ちのほうは、目、鼻、口、あっさりさっぱりした作りで、もしも「美しい」という主観的な感覚を数値に置き換えることができるとしたら、彼女からそこそこ離れたところに「0」という数字があり、「0」を挟んだ反対側の遥か彼方に柴咲コウとか仲間由紀恵が佇んでいるという位置関係を見て取ることができよう。回りくどい。

ちらちら見ていると彼女は大変熱心に化粧をしている。
目の辺りを小さな刷毛のようなものでこすっている。
私は化粧の手順なんてものは知らないのでその、目の辺りをこする行為にどういう意味があるのかまったくわからないが、「何もそんなにこすらなくても」というくらいずーっと同じ動作を続けている。
動きが同じものは見ていてもつまらないので、吊り革にぶら下がるように両手でつかまって目を閉じた。沈思黙考のポーズ。

最近何かと批判されている「電車内で化粧」であるが、私は気にならない。周りに迷惑をかけなきゃいいんじゃないかと思っている。化粧する手の動きが両隣の人に伝わらないようにするとか。この人の両隣の人が今どう思っているかわからないが、彼女は身を縮めて化粧しているように見える。まぁ、体格から受ける印象かもしれないが。
「たしなみ」方面から「電車内で化粧」を攻める人もいるが、私としては化粧よりも、酔っ払って大声で話しているオヤジのほうがよっぽどたしなみが無くて迷惑だと思う。
酔っ払いオヤジは昔からいるからしょうがなくて、「電車内で化粧」は最近の風景だからダメというのはフェアじゃない。女性だから、なんてことが理由にならないのは言うまでも無い。「たしなみ」方面軍は、まず酔っ払いオヤジの排斥を実行すべきである。
なんて言うと私自身が排斥されちゃうんだけどね。

「電車内で化粧」を不快に思うのは、化粧している人が、自分の人間関係の中のある層の人には決して見せないであろう姿を晒していると感じるからじゃないかと思う。極端に言うと、周囲の乗客は人間扱いされてないというか、どんな姿を見せても気にならない、取るに足らない存在として扱われているように感じるからじゃないかと思う。
人を人として扱わない態度をかっこいいと感じる人間は現実に存在していて、そういう底の浅い感性を振り回されると鬱陶しくてしょうがないが、化粧の話とはまたちょっと別のものだ。

底が浅くて取るに足りない私は、乗換の上野駅が近づいてきたので目を開けた。彼女はどうしてるかなと、右下に目をやってびっくりした。
彼女はまだ目元をいじっていたが、睫毛がさっきより3倍長くなり、本数は約5倍に増量されていたのだ。
顔の印象がガラっと変わっている。すげー。
どうせ周囲の人間に何を見られてもかまわないと思っているのならもっとあちこち変えて見せてほしい。顔だけじゃなく、ウェストを何かでぎゅっと締めるとかして体型も変えて、六本木あたりに着く頃にはまったく別人になっているってのはどうだろう。
そこまでやれば、今「電車内で化粧」を批判している人も、もはや何がどうなってるのか理解不能に陥っておとなしくなるだろう。
まぁ、別に批判されることなんて気にしてないんだろうけどさ。

私は毎日会社に行く。
いやでしょうがないんだけど、まぁ、そうやって生活しているからこそ見たり考えたりできることもあるわけで、それはそれで悪くはないな、と思っている。

2003.6.20


118

芸能ニュースは自分のネタではないということは重々承知しているシリーズ第3弾(4弾だっけ?)。
今回のニュースはこれ。

大桃美代子結婚

問題は結婚したことではない。独身であることも知らなかった。
「大桃美代子結婚」というニュース自体に対する私の感想は、訃報を聞いてから「あのひと生きてたんだ」と気づくのと似ている。
番組中で発表したらしいが、それも別に問題ではない。芸能人としては「結婚」というネタを最大限インパクトのある形で利用しただけの話であろう。
私が問題としたいのは、結婚を発表する際に「ファンの皆さんごめんなさい」という発言があったと伝えられていることだ。
放送自体見ていたわけではないので、ネット上のニュースを頼りにするしかないが、そう言ったらしい。「ファンの皆さんごめんなさい」。
で、私の疑問はこうだ。
「大桃美代子のファンというのはどこいらへんにいるのか?」
いや、別に人気が無いとかそういうことではなくて、ある程度の塊としてのファン、もしくは結婚したことにショックを受けるようなファン層というものがそもそも存在するのか、ということだ。

なんだか。架空の存在に語りかけてしまっているような気がする。
相手はクッシーやヒバゴン、ツチノコみたいなものだ。未確認生物オオモモミヨコノファン。
しかし。
クッシーなら屈斜路湖に、ヒバゴンなら比婆山に居るということに一応はなっている。
では。
大桃美代子のファンはどこにいるのか?
どこに存在するのか?私には見えない。
って、クッシーもヒバゴンもスカイフィッシュもチュパカブラ見えないけどさ。

2003.6.18


117

だるまもオトーくんも無事帰国してやれやれだね。
責任を果たした安堵感。「やりとげたぞ!」という充実感。
黒四ダムを完成させた男たちもこんな気持ちだったろうか。
富士山頂に測候所を設置した男たちもこんな心境だったろうか。
何かをやり遂げた者だけが到達できる場所。エベレスト発登頂を果たしたヒラリー卿にも通ずる境地。

なんて誇大妄想はともかく。ヤスジローも早くしないと3ヶ月経っちゃうなぁ。まずいなぁ。あと3回で終わる予定だけど、3回で何ヶ月かけるつもりなんだって話になっちゃうね。
とりあえず第26話はもう少しで完成の予定。がんばるぞっ!矢でも鉄砲でもアイガー北壁でも持って来やがれってんだ!

2003.6.17


116

ここんとこ禁煙の話をネタにしてなかったので、「ひょっとしてこいつタバコ吸ってんじゃねぇか?」と思ってる人が5、6人いるような気がする。
そしてその中の2人くらいが「そのうちタバコを吸い始めた言い訳をネタにし始めるぞ。おとなしそうな顔しやがって」と推測しているような気がする。
ところがしかしまったく完全に、タバコは吸っていないのであった。
どーよ。
どーよ、この鋼鉄の意志。
吸ってないどころか吸いたいとも思わない。これっぽっちも。
つまんないから、自分で「今タバコ吸ったらどうかな?」とか考えてみたりしている。
「ひょっとして俺は今タバコを吸いたいんじゃないか?どうだ?」なんて自分の心を探ったりすることもある。
自分から「タバコが恋しい」という気持ちを甦らせているわけだ。
あえて苦難の道を歩もうというのだ。「真冬のエベレスト北壁にアタック!しかも無酸素登頂!!」みたいなものである。
精神の鍛錬をしているのである。心の筋肉を鍛えているのである。
自分でもなぜそんなことをするのかわからないが。
あえて言えば
「そこに山があるから」
だろうか…(遠い目)。

そんな私の次のチャレンジはこれである。
タバコを買ってくる。
灰皿とライターを用意する。
コーヒーを淹れる。
コーヒーを一口飲む。
タバコを一本くわえる。
ライターを点ける。
ライターの火をタバコに近づける。
ライターの火をタバコに近づける。
近づける。
近づける。
近づける。

ふっ
右頬で軽く笑ってライターを消す。

どう?どうこのチャレンジ。「真冬のエベレスト北壁にアタック!しかも全裸!!」みたいなこのチャレンジ。
この試練を克服すれば私の禁煙も本物と言えるのではないかと。世間様に胸を張れるんじゃないかと。子供たちには肩身の狭い思いをさせてきたけれど、これで償えるんじゃないか、と。

「何をいつまでもくだらねぇこと言ってんだこのオヤジは」と思っている人が…にい、しい、…5人いるな。

2003.6.13


115

いや、でもちょっと考えてみなよ。
アヤが4ヶ月で8.5キロになって、生後8ヶ月児の平均くらいの大きさって言っても、先々幼稚園に入ったら、周りには前の年の4月に生まれた子だっているわけだよ。ね?
そこですでに最大9ヶ月の差が生じてるじゃないですか、みなさん。どうですか?そういう中で過ごさなきゃならないわけですよ、この子は。
それなのに4ヶ月くらい先走って大きくなったからといって誰がアヤを責められましょう?
いいえ。誰にも責められはしません。
敵はすでに9ヶ月先を走ってるわけですよ。敵は。敵って?
これはアヤの生存本能とでもいうべきものでしょう。むしろほめてあげましょう。
よくやったアヤ。
えらいぞアヤ。
頼もしいぞアヤ。
でもこのくらいにしといてくれアヤ。

両親にとって一番問題なのは「今重い」ということなのだ。

2003.6.12


114
「マトリックス」の新作って面白いのかなぁ。
なんかすごく面白そうに見えちゃうんだけどなぁ。一作目が個人的にちょっと期待はずれだったからなぁ。また錯覚かなぁ。
ただ、今テレビのコマーシャルで流れてる「戦いを終わらせるためだから戦える」みたいな意味のコピーは陳腐だなぁ。この前まで「仮面ライダー龍騎」で似たようなセリフをさんざん聞かされてたしなぁ。
まぁ、まだ見ぬ新作はともかくとして。

一作目の「マトリックス」を観に行った時、映画が終わった瞬間に、前のほうに座っていた若いカップルの女のほうが「カッコイーカッコイーカッコイー」と言いながら立ち上がって、「カッコイーカッコイーカッコイー」と言いながら通路を歩いて行き、「カッコイーカッコイーカッコイー」と言いながら映画館を出て行った。
まぁ、あれが「カッコイー」と言われれば、あるひとつのカッコよさなんだろうけどさ。私としてはだからどうした、って言いたくなるような気分だった。
「あのカッコイー」でダメならこの映画に何を求めていたんだ、と問われたら、「それは、えーと」と口ごもってしまうが。
何だろう、あの時の虚しい感覚。
期待に胸を膨らませて福袋を開けたら、確かに高価なものがたくさん入っていたけど、どれもこれも自分には不要な物だった時のような虚しさ、か。
ちょっと違うか。そもそも福袋なんか買ったことないし。

6.5:3.5くらいで観に行かなそう。
ホントは「サラマンダー」を観に行きたいんだけど来週で終わっちゃうんだよな。

2003.6.7


113
腹立たしい腹立たしい、あー腹立たしい。
俺は18年営業で生身をさらして顧客と渡り合ってきたのに。
体に傷を負いながら顧客と渡り合ってきたのに。
そんな場所に一秒たりとも身を投げ出したことの無いやつに否定されるなんて。
腹立たしい腹立たしい。
そして自分が情けない。

2003.6.7


112
えっ?「ヤング島耕作」なんてマンガがあるの?
「課長」「部長」までは知ってたけど、「ヤング」って…。「ヤング」って…。
2回書きたいくらい力抜ける。「ヤング」って…。3回書いてやった。

なんだろう、肩書きが無いからヤングなんだろうか?平社員なんだろうか?「平島耕作」じゃダメなんだな。「ひらしまこうさく」になっちゃうもんな。そんな読み方すんなら「部長島耕作」も「ぶ、ながしまこうさく」って読んでやるからな。吹き出されてるみたいだぞ。「か、ながしまこうさく」だとバカにされてるみたいだな。

え?「取締役島耕作」もあるの?出世したなぁー、島。人生ゲームみたいだなぁ。
「とりしまりやくしまこうさく」ってちょっと早口言葉みたいだなぁ。とりしまりやくしまこうさくとりしまりやくしまこうさくとりしましやくしまこうさくぅっ!
一箇所間違えました、どこでしょう?

見つけた人はごくろうさま。

2003.5.29


111
しかしアヤちゃん8キロ半かぁ。重いなぁとは思っていたけど8キロ半ねぇ。3キロちょいで生まれて4ヶ月で約2.5倍。生命の神秘。と思ったら8ヶ月くらいの平均だって。アヤの神秘。

少し前まで「6キロはないね」とか、「6キロは越えてるね」なんて言ってたのになぁ。
なぜ6キロを基準にしているかというと我が家に3キロの鉄アレイが2個あるから。
あれが我が家の重さの基準。「米5キロ」といったら「あれよりちょい軽い」とか。

「あれよりは重い」だったアヤが「8.5キロ」と正式に測定されてからなんだかずっしり感じる。
もちろんそれを一番感じてるのはオカーだろう。
「平均体重ならあと2キロくらい軽いはずなのに損した気分」とか言いながら日々おんぶに抱っこだ。
おまけに最近では、夜になるとオカーの抱っこじゃないと泣き止まないようになってしまった。
私ではだめなのだ。かえって激しく泣かれたりする。実の父として切ないものがあるが、一番大変なのはもちろんオカーだ。
がんばれよ。
じゃ、おやすみ。

2003.5.27


110
40年ほどぼんやりと生きていたらずいぶん世の中とずれてしまったようだ。

5月20日付の朝日新聞朝刊埼玉版によると。
川口市の荒川の岸に「タマちゃん川口夢ポスト」設置だと。子供がお手紙書くんだと。
護岸を「タマちゃん休けい所」と名づけたんだと。
そんなこと書いてあるから今度は川口に出現したのか「タマちゃんと見られるアザラシ」、と思って読んでみるとそうではなくて、「タマちゃんと見られるアザラシ」が現れるのは10キロほど上流の朝霞市なんだって。
子供たちが「タマちゃん川口にも来てね」ってお手紙書くんだってさ。ほんでもってそのお手紙にボランティアの人がお返事書くんだってさ。うふふ。川口のお友達ってゆめがあってすてき。こころがきれいなんだね。なにしろどうぶつあいごだし。うふふのふ。

あがががががががああああっ!

これが今のまともか?まともなのかぁっ!
もう埼玉県で生きてゆく自信をなくしちゃうようなニュースだ。

それにしてもどんなお返事書くんだろ、ボランティアの人たち。

「やぁ、ぼくタマちゃんタマ。おてがみありがとうタマ。もうすぐたかしくんのまちにもいくからそのときはいっしょにあそんでタマ。はやくかわぐちへいきたいなータマ」

ぶぶぶー。一通欲しいぞ。ボランティアの人たちの手紙。
お手紙出しに行っちゃおうかな。川口なんてすぐそこだ。宛名はちゃんと「タマちゃんと見られるアザラシ」様でね。
そこにはどんな光景が広がっているんだろう?「タマちゃんと見られるアザラシ」が現れるわけでもない川岸にポツンと立つ「タマちゃん夢ポスト」。手紙を出す純粋な子供の姿は見られるのだろうか?
「タマちゃんと見られるアザラシ」が現れるわけでもない川岸に設置された「タマちゃんきゅうけいじょ」の立て札。せちがらい世の中で肩寄せ合ってつつましく生きているファミリーの姿は見られるのだろうか?「タマちゃんと見られるアザラシ」が現れるわけでもない川岸で。何もいいことが無かったこの町で。

しかし、私のように心のひだにどす黒い物が溜まってしまったおじさんの心配は、「タマちゃんと見られるアザラシ問題」の最終展開である。
もしもある日タマちゃんが死体で発見されたら。
葬式はどこの自治体で行うんだろう?喪主は誰が務めるんだろう?そして葬式の方式は?タマちゃんに信仰はあるのか?タマちゃんに魂はあるのか?タマちゃんは天国へ行けるのか?
香典出すやついるぞ。絶対。

2003.5.20


109
本日の「仮面ライダー555」。
敵オルフェノクにも心があると知って闘うことに迷いが生じたタっくん。
ライダー史上最も性格が悪いクサカくんにさんざんイヤミを言われ、もう俺はだめなのかもと思うところまで追い詰められる。
しかし、ライダー史上最も性格のいい悪役のウマ男くんの言葉もあって自分が闘う意味を見い出したタっくんは、大学に現れたオルフェノクを倒すため、再び変身ベルトを腰に巻くのであった。
迷いを振り切ったタっくんは、2体のオルフェノクと壮絶な闘いを繰り広げる。
力を行使する喜びを感じているようにすら見えるタっくんは、校舎の壁をぶち破り、駐車場で車のガラスをたたき割り、最後には車を爆発炎上させて敵を倒す。
タっくんが戦士として自覚するという、とても重要な今回のお話。
しかし我が家の興味はただひとつ。
「あの車保険で直せるのかなぁ?」

2003.5.18


108
会社で起こる問題の好きなところは、たいていの場合発生から1週間以内で終結するところだ。
というわけで、先週末から私の胃を痛くしていた問題はひと段落した。

会社で起こる問題の嫌いなところは、たいていすぐに次の問題が発生するところだ。
というわけでまだちょっと胃が痛い。先週よりはいい状況だけど。なんてのん気に書いてると人格が崩壊するくらい大きな問題がドカンと起こったりするから気をつけよう。

気をつけると言えば、最近世間で通り魔的事件が連発していていやな感じだ。うちの車のリアウィンドウも割られたし。
無差別に人を傷つけたり殺したりする事件は、自分を含めた家族がわけもなく被害者になる可能性を強く感じさせるから余計不安になる。わけがあればいいというものでもないが。
動機と行動のバランスが取れてない事件も私を不安にさせる。「電車で何かを注意されたから殴り殺した」みたいな事件。人と摩擦が生じた時にバランスよく応対できない気味悪さを感じる。
自分が正しいと思っても行動するのは命がけだ。おかげで他人の迷惑を考えないやつがはびこる。悪意はどんどん広がってゆく。
でも、自分が正しければ何をしてもいいわけではない。
2ヶ月ほど前のことだが、電車の席に座って携帯電話でメールを打っていた中年男に、前に立っていた中年男が注意しているのを目撃した。いや、それは注意なんてものじゃなくて、ヤクザの恫喝のような言葉遣いで、相手の人格をも否定するような言葉を怒鳴り散らしていた。

「てめえ、電車ん中でケータイなんか使ってんじゃねえよ!いい年しやがって何やってんだ!」

自分のほうがよっぽどうるさくて迷惑だということに気づかない鈍感さもさることながら、車内のマナーという「正義」を味方につけて言いたい放題。こういうのは卑しいと感じる。
ただ、自分もどこかで切れたらヤクザみたいな言葉遣いをしてしまいそうな気がする。気をつけよう。

そりゃそうと、タバコを吸いたがってる夢を見た。「タバコを吸っている夢」じゃなくて。
なんか、学校の廊下みたいなところで、「タバコ吸いてーなー」と思いながら立っている。それだけ。
もーほんとそれだけ。起きても別に吸いたくない。

2003.5.14


107
5年がかりの大きい仕事が一応納まって、とりあえずやれやれと思っていたら普通の仕事で問題連発。しかも自分にも責任あり、と。
若干落ち込む。
「若干」というところが四十男の図々しさか。それとも四十にもなって仕事で落ち込むなんてかわいいやつ、と思うべきか。

18年同じ仕事をやっていても失敗はある。あるんだなぁ、これが。
まぁ、落ち込んでいても問題は解決してくれないので(してくれればいいんだけど)、明日会社へ行ってパタパタ始末しよう。頭も下げよう。
やだけどしゃーねーな。

2003.5.11


106
おっかしいなぁー。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
ぜんぜん吸いたくなんないよ。タバコ。
当初の予定では今頃は禁断症状に苦しんで、ここでネタにしているはずだったんだけどなぁ。
やむにやまれずアヤのおしゃぶりを吸っちゃったよ、とか、蟻の大群がやって来て体中にたかられる幻覚を見た、とか。
おかしいなぁ。これからなのかなぁ。幻覚見たりするのかなぁ。

おあっ!
何だあれはっ?!し、白い煙が床を這ってこっちへやって来るっ!!
おああああっ!!け、煙が人の形に!おあああ、おああああああ〜!

つづく

2003.5.8


105

古来、人間はいろいろなものを数えてきた。

なんていう感じの書き出しにはあなたも私も飽きてきているような気もするが、まぁ我慢して読んでね。

古来、人類は様々なものを数えてきた。ちょっと変えてみた。
家畜の数、米俵の数、お化け煙突の本数、あの人の元へ嫁ぐまでの日数。地球滅亡まであと何日。
「ヒトとは数える動物である」という定義もできよう。
しかし。
この世には決して数えてはいけないものがあることをご存知だろうか?
あるのだ。数えてはいけないものが。
決して数えてはいけないもの、それは「禁煙した日数」である。
いかん、これは数えちゃいかん。

禁煙して失敗した人と話していると、かなり正確に日数を覚えていることが多い。この前偶然に禁煙の話題になった人は「ちょうど11ヶ月タバコをやめていた」と言っていた。
「1年位」とか、「1年近く」じゃなくて「ちょうど11ヶ月」。
別の人は「とうとう吸ってしまったその日がタバコをやめてからちょうど2年目のその日だった」なんて言っていた。何月何日まで覚えていたのだ。
これってわざわざ自分の心にプレッシャーをかけているような気がする。
「11ヶ月我慢した」とか「ちょうど2年我慢した」とか。そんなの忘れたほうが楽になるような気がするんだけどなぁ。
私は5月1日に禁煙を始めてきょうで6日目だが(ってちゃんと数えてる)、忘れることにした。その日付を。いや、かつてタバコを吸っていたということすら忘れてしまおう。きれいさっぱり。
いち、にの、ボカン、と。はい忘れました。

しかし1年2年たってもまだ吸いたくなるのかぁ。そうなのかぁ。

2003.5.6


104


誰かに
「連休は何やってんの?」
と訊かれたら
「禁煙」
って答えてやろうと待ち構えていたが、誰にも訊かれなかった。
誰も私の行動になど興味が無いらしい。孤独だ。子犬でも飼おうかな。

そりゃそうと。
駐車場に停めてあった車のリアウィンドウを割られちまった。もうバリンバリン。
昨日の朝発覚して、私は用事があったのでオカーに任せて出かけちゃったんだけど、警察も呼んで調べたら、いたずららしい、ということになった。何も無くなってないし。
いたずらすんなよ、と腹が立つが、もっと腹が立ったのは保険の代理店のおっちゃん。
オカーが連絡して、来たんだけど、こういう場合はうちが入っている保険じゃおりないってぬかしたらしい。
しかたなくディーラーに車を渡したが、7万くらいかかると言われて夫婦で意気消沈していた。

ところが昨夜、なんとなーく釈然としなくて、保険の約款の薄い紙をめくって、苦労して細かい字を読んでみたら、うちが付けている車両保険に「落書き、ガラスの破損」も補償範囲として入っているではないか。
どういうこった。
代理店のおっちゃんは信用できないので、今日になって、保険会社のカスタマーセンターというところに電話して訊いたところ、「ガラスに関しては修理代を支払います」という返事。
あぶねー。
代理店のおっちゃんに騙されるところだったぜ。
ちなみに等級は据え置きになるそうだ。今の等級が19で、20に上がっても割引率は変わらないのでよしとした。

本当は保険会社も代理店名も、おっちゃんの名前も全部実名で書いてやりたいところだが、まぁ、やめとこう。
しかし、当たり前だがもうあのおっちゃんとは契約しない。
結婚して車を買った時からだから、13年以上の付き合いになるが、こんな仕打ちを受けるとは思わなかったぜ。
私も今の会社で18年営業をやっているので、怠慢こいていてはお客さんを逃がしてしまうということはいやってほど知っているのだ。
客商売の恐ろしさを思い知れっ!
なんて、えらそうに書いてみた。へけけ。

だけどあのおっちゃん怠慢こき過ぎ。

2003.5.2


103

現在日本で販売されているすべてのタバコには、死ね死ね団が作った「日本人が吸うとバカになる薬」が混入されている。
と、想像してみる。吸うとバカになる吸うとバカになる吸うとバカになる。

あるいは。

現在日本で販売されているすべてのタバコのフィルターには、ウンコが付いている。
と、想像してみる。ウンコが付いているウンコが付いているウンコが付いている。

はたまた。

タバコにかかっている税金はすべて首相コイズミのポケットに消えている。
と、想像してみる。すべて首相コイズミのポケットに消えているすべて首相コイズミのポケットに消えているすべて首相コイズミのポケットに消えている。

ゴールデンウィーク明けには『タバコを吸わないヒト』になっている予定である。

俺って幼稚かなぁ。

2003.5.1


102

私は今、大変幸せな状態でございます。
なぜならスタートレックシリーズの最新映画「ネメシス」を観てきたからでございます。
充実の2時間、いえ、至福の2時間と申し上げても過言ではないでしょう。
幸せのあまり言葉遣いもたいそう丁寧になっております。
どうしてもどこかにツッコミを入れろとおっしゃるのであれば、ツッコミどころも無いわけではありませんが、そんな行為は無意味でしょう。少なくとも前作「叛乱」を観た後のような切なさは感じませんでした。全方位中途半端、みたいな。

前作の悪口はともかくとして、「ネメシス」面白かったなぁ。
スタートレックファンにもそうでない人にも楽しめる、みたいな言葉をあちこちで見かけるけど、どうなんだろ。自分が楽しめたからいいけど。
とりあえず、白い顔の人がアンドロイドで、ハゲが艦長で、ヒゲは副長、程度に知っている人ならいけるような気がするけどなぁ。
詳しい感想はしかるべき場所にネタバレ込みで書くとして、ひとつだけ。

ビュンビュン飛んでたよ、エンタープライズE。

2003.4.29


101

あのぉ〜。
やかましいんですけど。
選挙の人たち。

こないだアヤをやっと寝かしつけたと思った瞬間にやって来た選挙の街宣車。
お前には絶対投票しない。乳幼児は昼間だって眠るんだ。眠るタイミングがずれると大変なことになっちゃうんだからな。
そんなことにも気を使えないやつが「コシガヤを住みやすい街に」だと。笑わせんな。お前のおかげさまで住みにくいよ。
「お騒がせして申し訳ありません」って元気よくスピーカーで言うな。ちょっと小さい声で言ってみろ。ボリューム下げて。ささやくように。

今後うちの前を街宣車で通った候補者には投票しないと固く誓って、名前をメモしとこうかと思ったが、そんなマメな性格ではなかったのであった。
それにたまたま家の前を通らなかった候補者だって、どうせどこかの横丁で乳幼児を叩き起こしているのだ。

しかしなぜあんなふうに街宣車で名前を連呼するという形の選挙運動が主流になっているのか不思議でしょうがない。
不思議でしょうないのでいろいろ理由を考えて書いていたら長くなっちゃったのでそれは「文書の書」に載せることにした。近日公開。

まぁ、街宣車で騒ぎまくってるだけが選挙運動じゃなくて他にもいろいろやっているんだろうけどさ。どうしてもそこだけが目立っちゃうよね。そのへんはウヨクの活動と同じか。

あ、それと、通勤途中で見かける、橋の上に立って、道行く人や車に向かって、白手袋をはめた両手を頭の上でぶんぶん振っているおばちゃん、あれやめたほうがいいよ。
バカみたいだから。

2003.4.24


100

というわけで100番だ。
999がゴールだから、道はまだ遠いな。
気を抜いてはいけないな。家に帰り着くまでが遠足だからな。
で、999まで書いたら「日々棒組み」はどうなるのか?今から心配でしょうがない人もいるだろう。
もちろん999まで書いたらその日で「日々棒組み」は終了、完結である。
そして翌日から「日々棒組みV3」が始まるのだ。
「日々棒組みV3」を999まで書いたら翌日からは「日々棒組みX」。
「日々棒組みX」が999まで行ったら次はもちろん「日々棒組みアマゾン」である。
もう書いていて恥ずかしくなってきたが、「日々棒組みアマゾン」の次は「日々棒組みストロンガー」だ。ブラックサタンをやっつけろだ。

こういうくだらない文章が各千本。血も凍る恐怖である。

そりゃそうと越谷市の中川にアザラシ出現だと。
来るんじゃねえよ。騒がしくなるから。食っちまうぞ。

ニュース読んでたら、横浜のアザラシって住民登録されたんだってね。
「私たちの荒んだ心をいっとき癒してくれたタマちゃんを愛しているのよう」というパフォーマンスなんだろうけど、私のように心が荒みっぱなしの者には「タマちゃんは横浜の物なのよう、どこかよそへ行っても横浜のタマちゃんなのよう」って、所有権を主張しているように聞こえてしょうがない。

しかし今、私にはひとつ心配なことがある。
近所を流れる綾瀬川にアザラシが来てしまうことだ。
いや、それがアザラシじゃなくても、珍しい動物が現れてしまったら。
たとえそれがコウテイペンギンでも。たとえそれがヨウスコウカワイルカだったとしても。
そいつを「アヤちゃん」と呼ぶのは頼むからやめておくれ。
そんなことになったら、アザラシ、もしくはコウテイペンギン、もしくはヨウスコウカワイルカの「アヤちゃん」と、うちの「アヤちゃん」のツーショットの写真を撮らないわけにはいかなくなるではないか。
撮ったら「アヤの書」で公開しないわけにはいかなくなるではないか。

って結局ネタにするのか。
俺もそうとう荒んでるな。

癒される気配無し。
死して屍拾うもの無し。
死して屍拾うもの無し。

2003.4.23


099

子供の頃刑事ドラマを見てると、麻薬中毒者が出てきて禁断症状を起こす場面が時々あった。
ブルブル震えながら「ヤクをくれよう、何でもするからヤクをくれよう。頼むよう」というような場面だ。
子供の頃の私は畳に寝っ転がって、「こいつだらしねぇなぁ。こんなの俺だったら楽勝で我慢できるな。麻薬中毒なんかなっても俺ならすぐやめられるなぁ」と思いながら見ていたものだ。

実際にそんなことを試す機会の無いまま40歳という年齢を迎えられてホントによかったと思っている。
何かの依存症になっている場合、そこから抜け出すのはやはりそれなりの努力と苦痛の克服を必要とする、ということがオトナになった今ではよくわかる。

って、タバコの話なんだけどね。
もともとたくさん吸うわけでもなかったのでニコチンへの依存度は低いと思っていたが、土曜日に朝から吸わないでいたら夕方頭がポヤーンとしてきた。
このポヤーンが、ホントにタバコを吸わないせいなのか確かではないが、その時は他に理由を考えつかない。
そうなってくると、脇の下の血管がヒクヒクするのも、ふくらはぎがかゆいのも、タバコを吸わないせいだと思えてくる。
で、「体がいつもと違う状態になるのはニコチンを必要としているサインに違いあるまい。必要としているいじょう、吸っても体に害は無い、もしくは少ないに違いない」
と考えるようになる。
もっともらしい理由を考えてなんとかタバコを吸うことを自分に許そうとしているのだ。
「タバコをくれよう、何でもするからタバコをくれよう。頼むよう」状態だ。
んで、吸っちゃうんだけどさ。えへへ。

まぁ、はじめからスッパリやめるんじゃなくて徐々にやめるということにしていたからいいんだけどね。確実に本数は減っているし。
これからも吸うための理由をいろいろ考えるんだろうなぁ。「仕事を円滑に進めるのに必要である」とか。そんなこと全然ないんだけど。

ニコチンがどうとかじゃなくて、何かの区切りのついた時に吸うってのもあるな。体よりも精神的な方。習慣っていうか。
そっちも何とかしなくちゃと思っている。タバコを吸いたくなった時に、代わりに何かすればいいんじゃないかと考えている。
何がいいだろ。
考え事をしたり、頭を使った作業の区切りがついた時に吸う習慣があるので、何か単純な動作がいいな。
あの、握力をつけるために握るやつなんかどうだろ?
吸いたくなったらあれを握る。1、2分。ギュッギュッギュッギュッ。
仕事中に突然、ギュッギュッギュッギュッ。
居酒屋で突然、ギュッギュッギュッギュッ。
食事が済んだら、ギュッギュッギュッギュッ。
どうだろ?変なやつだと思われないだろうか?
思われるな。きっと。

2003.4.22


098

長生きすることに決めたので、そのために何か手を打たなければならない。
というわけでタバコをやめる方向に進むことにした。
「タバコをやめた」じゃないところがミソ。

タバコはスッパリやめたほうがいいという説と、ニコチンは依存性があるので徐々に減らしていくのが正しいという説がある。
だらだらした性格の私は徐々に減らす方針で行くことにした。

といっても、もともと日に10本くらいしか吸わないので、あっという間に禁煙状態になりそうだが。
ま、3歩進んで2歩下がるということわざもあるし。ことわざじゃねぇよ。

問題は飲みに行った時だな。
タバコを吸わずに酒を飲むことはできるが、たいてい悪酔いするということが実証されている。本来タバコを吸う時間に間がもたなくて酒を飲んでしまうからだ。
禁煙プラス日本酒という組み合わせになると最悪だ。
もう人間とも呼べない存在になる。
まず声がでかくなり、わけのわからないうなり声を発する。
あたりを見回す目が釣りあがってくる。
口が耳までバリバリッと裂け、犬歯がにゅうっと伸びる。
瞬く間に全身が獣毛で覆われ、尾てい骨がメリメリっと伸びて尻尾になる。その尻尾にはびっしりと鱗が生えている。
最後に背中からコウモリのような翼が生えて、満月に向かって飛び去る。
その後彼の姿を見た者はいない。

彼って誰だ?俺か。

禁煙って怖い。

2003.4.19


097

今日は土曜日だが、出勤日だったので会社へ行った。
得意先は休みなので営業の私は仕事なんて無さそうだが、今日は「とっちらかっている身の回りを片付ける日」と決めた。カタヅケデーだ。
目標は「子供の写真を飾れる机」。目標を決めた方がモチベーションを高めやすい。
なんちて、モチベーションてどういう意味だかよく知らないんだけどさ。
何かをする時には高めた方がいいということくらいしか知らない。
多分、タウリンとかインドメタシンと同じようなものだろう。
とにかくやったるでー。

丸一日あるので、9時半頃からのんびり開始したが、あっという間に自分用のゴミ箱はいっぱいになり、共用で使っている、大きいゴミを入れる1メートル角のボックスもすぐに満杯にしてしまった。
しかしまだ片付き度は20パーセント程度だ。
ロッカーから東京都推奨のでかい半透明ゴミ袋を引っ張り出してくる。
それにしてもゴミだらけだ。我ながら凄いことになっていたと今さらながら驚いてしまう。
ゴミ袋はあっという間にいっぱいになる。もう一枚。
だんだん捨てることが快感になってくる。

結局4時近くまでかかってゴミ袋を4枚満杯にした。してやった。
死闘6時間。
後世に語り継がれるほどの激闘であった。もはや立ち上がる気力も残っていない。
しかし戦果は一目瞭然である。机の上は気持ちよく片付いている。
周りもすっきり見晴らしよくなった。記念写真を撮りたいくらいだ。

だが、私の本当に凄いところは、これだけやっても今回手つかずでやり残したエリアがあるということだ。どうだ。
それはまた今度、ということで。

それから、子供の写真を机の上に飾るのはやめた。
どうせすぐに埋まっちゃうし。

2003.4.12


096

長生きすることに決めた。
アヤが生まれたこともあるけれど、最近無性に長生きしたくてしょうがない。
暗いニュースが多いからだと思う。
世界を征服しようとしてる奴らの顔を毎日見ているからだと思う。
そういうのがなんだか腹立たしくてくやしいので、せめて長生きしてやろうと思う。

銃を撃つな。
ミサイル飛ばすな。
爆弾落とすな。
人を刺すな。
地雷埋めるな。
医療事故起こすな。
子供を殴るな。
自分で死ぬな。

くやしくて腹立たしい。
俺は怒っている。そして不安だ。

だから長生きしてやることに決めた。せめて。
家族も長生きさせることに決めた。
オトー家の家長として。
家族に長生きを命ずる。

2003.4.11


095

漫画「空手バカ一代」によると、若き日の大山倍達は、空手の修行のため、たった一人で山ごもりをしたという。
その際、成長の早いなんとかいう草を植え、毎日100回だか1000回だか、その上をジャンプして飛び越えることを日課としたと伝えられている。
成長が早い草のため、毎日飛び越える高さが増してゆく。
こうして大山倍達は超人的なジャンプ力を身につけたのだ。

何が言いたいのだ。私は何が言いたいのだ?
私の文章をよく読んで下さっている方は「ははぁん、こいつはまた遠回しに下らない話にもって行こうとしているな」と思っていることだろう。
そうだよ。

ご存知だろうか。
赤ん坊というのは日々重くなってゆくということを。

初めてアヤを抱いたあの日、あんなに軽く感じたのに、今やミルクを飲ませてげっぷをさせるために体勢を変えるのもヨッコラショ、だ。
何だか日に日に腕に筋肉が付いていってる気がする。
大山倍達方式である。
日々成長し続ける草を飛び越えるように、日々重くなってゆく我が子を抱き上げ続ける。
気がついた時には超人的な力持ちだ。どうだ。
そのうちビール瓶の首を手刀でシュポーンと飛ばしたり、牛を殺したりできるようになるのだ。どうだ!がっはっはっはっ!

って、ホントはアヤをだっこするのが原因で、腰がそこはかとなく痛かったりするんだよね。そこはかとなく。
ここが超人と凡人の違いだな。ゴッドハンドにはなれそうもないな。

2003.4.6


094

私が「整理整頓」などという小さなことにはこだわらない、言わば超越した存在であることは以前書いたので、知っている方も多かろう。
しかし、いかに私が偉大な存在でも、限界はある。
ご存知だろうか?
あまりに多くの物品を身の回りに放置すると、身動きがとれなくなるということを。

去年の暮れから平常の約3倍仕事が忙しかった私は、会社の机の上や周囲に、いろいろなものを置きっぱなしにしてきた。仕事を処理するために「おかたずけ」は、行動の優先順位の最下層に追いやられたのだ。
その結果、とうとう、どうにもこうにも身動きがとれなくなってしまった。
机で伝票を書いていると肘にガサガサ紙の束が当たる。
電話が鳴っても掘り返さないと受話器を取れない。
周囲の戸棚の上に乱雑に置いたものがあちこち飛び出していて、席を立つ時は身をよじってよけながら移動しなくてはならない。
変なカッコで歩いていると腰を痛めそうだ。

さすがの私もおかたずけをすることにした。
しかしそんなに簡単ではない。
まわりにあるのは、ほとんどがゴミだが、わずかながら必要な物品も混入している。
仕分けながらゴミを捨てていくのはけっこう手間だ。
3ヶ月遅れの大掃除だ。
思えば暮れの大掃除も、机の上にあった物をダンボール箱に詰め込み、机の下に蹴り込んでハイおしまい、という簡易大掃除だった。
その報いが今やって来たのだ。春の訪れとともに。桜前線の北上とともに。

沈む気持ちを必死でささえながら仕分けした。
あっという間に1メートル角のゴミボックスがいっぱいになった。
今日はこのくらいで勘弁してやるか。先は長い。定年まであと20年ある。
途中で放り出されたり、会社がつぶれたりしなければ、だが。
まぁ、そうなったら机の周りなんてどうでもよくなっているだろうけど。
しかし恐ろしかったのは、あれだけ大量のゴミを捨てたのに、周囲の景色に変化が認められないことだ。
背筋が寒くなった。

だが、悪いことばかりじゃない。
会社のノートパソコンで、以前はマウスを使っていたのだが、ある時、机が日に日に狭くなっていくという不思議な現象に見舞われ、とうとうマウスのためのスペースが無くなってしまった。
やむなくトラックパッドを使うようにしたが、これが慣れるとなかなか快適である。
はじめは指先がこそばゆかったが、すぐに気にならなくなった。
キーボードから手を離さないでいろいろ作業ができるのはありがたい。
整理整頓ができないおかげでトラックパッドを使える体に進化したのだ。
欠点を逆手に取って大きな収穫を得る。人生の基本である。
相手の力を利用して投げ飛ばす柔の道に通ずるものも垣間見える。
これからもこの調子で生きてゆきたいものだ。

2003.3.28


093

「オトーラの書」、だいたい3周年。である。
2000年の3月に「4月になる前にアップしよう!」のスローガンでがんばっていた記憶があるので、ちょうど今頃だったと思う。
開設当時は掲示板もカウンターも無かった。
「月1回どこかを更新」という目標でやっていたのがなつかしい。
開設1年後にカウンターを設置したが、1日に「3」くらいしか回らなかった頃がなつかしい。そのうち「1」は自分だったのがなつかしい。
何もかもみななつかしい。

今では「オトーラの書」が生活の一部になっている。家族の一員といったところか。ちょっと違うか。

ここをやっていたおかげで、本来なら無関係な人生を送っていたであろう人たちと知り合えたのが、あらためて不思議でうれしい。

3年間、削除をほとんどしていないので、ページがどんどん増えてゆく。おそらくこれからもどんどん増えてゆくだろう。いつかは整理しなければならない時が来るとは思うが、それはその時考えることにして、思いついたことはやっていこうと思う。

というわけでこれからもよろしくお願いしますね。

2003.3.27


092

アヤは最近よく笑うようになった。
あやしがいがあるようになってきた。
口笛を吹くとうれしいようだ。
口笛を吹くと笑うので、うれしくて吹いてしまう。
「スケーターズワルツ」と「星に願いを」をミックスしたようなインチキな曲を吹いて聴かせてはアヤの笑顔を楽しんでいる。
今日は暖かかったので、昼間、二階の窓を開けて、ベッドに寝かせたアヤに口笛を聴かせたり、話しかけたりしていた。
アヤも言葉にはならないが、声を出している。
風が部屋を吹き抜けてゆく。
幸せだな、と思う。
アヤがくしゃみをする。
かわいいくしゃみを三回。
春とはいえ、アヤの上を吹き抜ける風はまだ冷たかったのかもしれない。
イラクにも。

イラクにもアヤのような赤ん坊や、私のような父親はいるんだろうな。
その子の上を吹き抜けるのは春風じゃなくて爆風なんだろうな。
父親が心配なのは赤ん坊が風邪をひくことじゃなくて、アメリカが、ブッシュが発射した爆弾が子供の身体を引き裂くことなんだろうな。
そして、自分の無力に泣きたい気持ちなんだろうな。
なんだろうな。

私は。
私には力が無い。
泣きたいくらいに。
アヤの上に爆弾が落ちてきても、私にはアヤを守ることはできないだろう。
今日のイラクの父親と同じくらい明日の私は無力だ。
無力だ。

でも。
それでも。
アヤとショウヘーとオカーを守りたい。
ブッシュ爆弾やキムミサイルが吹っ飛んでくる前にやれることは何だろう?
私の幸せを守るためにやれることは何だろう?
武力行使を「支持」すると言ってはばからない、赤ん坊の身体を引き裂く爆弾を落とすことを「支持」すると言って胸を張っているおっさんが首相でいつづけるこの国で。
私にやれることは何だろう?

あきらめてはいけないんだろうな、と思う。
手放してはいけないものを私は持っている。
それこそが力なのかな、とも思う。だから。
あきらめないことにした。決して。

2003.3.24


091

人生には思い込みや勘違いがつきものである。
私はつい最近まで「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということわざを「過ぎてしまったことは取り返しがつかない」という意味だと思っていた。
小野妹子を女だと思っている人や「魚民」を「ぎょみん」と読んでいる人も多いであろう。
「かわいいコックさん」には耳が無いと思い込んでいる人も多かろう。
今日は、そんな間違った思い込みをおのれ一人の力で見事に克服した男の物語である。

今朝のことである。満員の通勤電車の中で揺られながら、私は自分の、ある勘違いに気づいた。いや、間違った思い込みと言うべきか。

浜田省吾の歌に「マイホームタウン」というのがあるが、その中に
「俺はこの町で生まれ16年教科書を抱え手にしたものはただの紙切れ」
という歌詞が出てくる。
私はこの歌と大学二年生の時に出会い、以来、500回くらい聴き、カラオケで180回は歌った。
しかし私はずっと間違った思い込みでこの歌を歌っていた。180回すべて。
漠然とだが、この歌に出てくる「俺」は、高卒だと思っていたのだ。
しかしそれでは計算上おかしいということに気づいたのだ。今朝。地下鉄銀座線の車内で。

義務教育9年、高校で3年。高卒なら教科書を抱えるのは12年だ。
もしも16年が教科書を抱えた年数ではなく、生まれてからの年数であれば、16歳ということになり、高校一年生だ。「紙切れ」は卒業証書だと思われるので、これもおかしい。
「俺」は四年制の大学を卒業している。ストレートで。
そして大学を卒業したその町で仕事に就き、不満を抱えて生活している。
これが真実だ。
おそらく、「大学へ行く時は町を出るもの」という、地方出身者にありがちな先入観から、生まれた町にずっと住んでいる「俺」は高卒に違いないと思い込んでいたのだろう。
しかし。ついに私は真実にたどり着いたのだ。180回も歌っておいてその挙句。

人生に勘違いや間違った思い込みはつきものである。
しかし自分でそれに気づく者は少ない。
私は自力で真実にたどり着いた。賞賛に値すると言えよう。

電車を降り、地下鉄のホームから地上に出た私の頭上には、晴れ渡った青空がどこまでもどこまでも、どこまでも、広がっていた。

2003.3.14