3月7日(土) ローマの遺跡そのU
 
私がイタリカの遺跡を見に行ったと言ったら、
マリアムが、それなら今度メリダに連れて行ってあげる、
メリダは車で2時間だから、と言っていました。

8時半に来いというので、ペペの家に時間厳守でいくと、

マリアムが、眠そうな目でこう言いました。
今朝6時に家に帰ってきて、私1時間半くらいしかしか寝てないの。
私は明日があるから、早く帰ろうって言ったんだけど、
マル(MARU マリアムの遊び友達で女医さん)が、
もう1杯、もう1杯といって放してくれなかった。

そんなわけで、急遽母親のマリに頼んで、
一緒に来てもらう事になったようです。

マリは、今度はこんなことを言っていました。
マリアムとマルが二人で遊びに行くとPeligro(ペリグロ/危険)だ!
往きはマリが運転しました。



セビリアから北に200kmほど行くと、メリダというところがあります。
メリダはアンダルシアではなく、エストレマドゥーラ地方です。
この地方からは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロなど、
メキシコやペルーに侵攻して、アステカやインカ帝国を滅ぼした
侵略者を多く生んだ土地です。

セビリアから、自動車専用道路がずっと北に延びていますが、
この道はRuta de la Plata(ルータ・デラ・プラタ/銀の道)と呼ばれ、
その昔、新大陸から略奪した銀を運んだ道なのだそうです。

こんな感じの道路がずっと続いています

メリダには、言うとおり2時間ほどで着きました。
セビリアを出るときは、珍しく少し曇っていましたが、
メリダに着くと快晴でした。

メリダにあるローマ遺跡は、円形闘技場(Anfiteatro)と
ローマ劇場(半円形 Teatro)が有名です。
この2つは隣接してありました。


まず、円形闘技場です






円形闘技場は、剣闘や猛獣との闘いに用いられたものです。
100m以上の大きさで、14,000人を収容できる規模です。
年月が経っているので風化が進んでいましたが、
約2,000年前の施設が残っていて、
今こうして見ることができることに感動を覚えました。


次は、ローマ劇場です










ローマ劇場の方は6,000人収容、
紀元前24年に造られたということですが、
円形闘技場に比べ保存状態がよく、
観客席や舞台後方の大理石の柱がきれいに残っています。
地震と雨が少ない恩恵ですね。
柱上の彫刻、梁のレリーフなど本当に見事なものです。
この形から、音響効果もとても良かったのではないかと思います。


そしてローマといえば、公衆浴場です



凝ったデザインのモザイクタイル


浴場施設は劇場に付随して設けられていて、
蒸気を使ったサウナだったそうです。

これだけの大きさの浴場施設ですから、
蒸気を作るために、相当な量の燃料が必要だったと想像されます。
燃料は木炭が主だったと思いますが、
このあたりには、糸杉をはじめ樹木が結構あり、
気候的には樹木が育つ地域だったわけです。

古代ギリシャは結局、
原料や燃料にするため樹木を取り尽くしてしまった結果、
滅亡の道を辿ったといいます。

ローマは民衆サービスのため、このようなレジャー施設を造り、
非常に低料金で利用させていました。

ローマが、このような施設のために、
森林などの資源を大量に使っていたとすれば、
ギリシャと同じような誤りを冒していたことになります。
ローマは征服による領土拡大で、木材を確保しますが、
そのようなことには、必ず終わりが来ます。
ローマは土地管理の失敗から食料不足となり、
社会の退廃を招き結局滅亡します。

こうして古代ローマの遺跡を見て、
その興亡を調べてみると、
我々の現代社会も危うい状況に置かれていると思いますね。

人類の興亡はまさに、資源とエネルギーの問題に帰着する、
と言えるのではないかと思います。

ここには「ローマの道」の一部が残っていました。
大きな石を地面に敷き詰めた、このような道を
何万キロも造ったといいますから、
そのために働いた奴隷の数は計り知れません。

しかし、ローマは何のために、
人手のかかる、このような立派な道を作る必要があったのでしょう。
ただ、交通や物流のため、せいぜい馬車が通るだけなのに。
まさか、木材を大量に運ぶために頑丈な道路が必要だった、
ということではないでしょうね。


高校時代に勉強した世界史など、全くつまらなかったのですが、
このように実物を見て、いろいろなことを想像するのは
実に楽しいですね。


街の中心、プラサ・デ・エスパーニャで一休み、
次にレストランに入り昼食をとりました。

帰りの運転は、マリアムです。
食事をしながらも、生あくびをしていたのでとても心配です。

2,3時間しか眠っていなくて運転すると、どんなに頑張っても、
突然「フーッと」一瞬眠ってしまうことがあるのを
経験したことはありませんか?
私はそういうことがあったもので、とても心配でした。

マリは後ろの座席で眠ってしまい、息子も同様です。
助手席で私は、とにかくいろいろ話しかけるようにして
何とか眠気の出ないように必死でした。

マリアムは100kmほど運転したところで、
どうしても耐えられなくなったのか、ママ運転代わって、と言い
カフェテリアに入って一休み、コーヒーを飲んで
今度はマリの運転に代わりました。
これで一安心、何とか無事にセビリアに着きました。
二人とも本当にお疲れ様。

私も一応国際免許は持っていきましたが、
私が運転するのが一番危険でしょうね。



夜は、ペペとエル・バルコンです。
ミゲルと奥さんのビルヒニアが来ました。
ロンダから帰ってきたとのことです。
ロンダは、近代闘牛のスタイルを生み出したフランシスコ・ロメーロや、
何人かの有名な闘牛士を育んだ町として有名です。

ビルヒニアの故郷がロンダで、、どうも婚礼か何かがあったようです。
親戚が多くていろいろ気を使い、非常に疲れたと言っていました。
親類の中に、モロッコの女性と結婚して、
近々生まれてくるその子供の名前でもめているようです。
そんな名前を付けてはいけない、といったようなことだと思います。
モロッコが感じられるような名前を付けたりすると、
いろいろ苦労することになる、というのでしょう。

しばらく話していると、ビルヒニアから
日本の女性は結婚すると、姓名はどうなるのか?
と言う質問がありました。

女性の姓は男性の姓に変わります。と言うと、
突然厳しい表情になって、それは「マチスモ」だと言うのです。
女性の姓がなくなってしまうことなど信じられない、
日本はもっと進んでいる国だと思っていたけど、
ガッカリしたと言うのです。

スペインでは、結婚しても姓名は全く変わりません。
例えば、
ペペは、Jose-Luis/Basquez/Camacho(ホセ・ルイス/バスケス/カマチョ)
(名前/父の姓/母の姓)
マリは、Mary/Martin/Romero(マリ/マルティン/ロメーロ)
(名前/父の姓/母の姓)

従って、その子供は次のようになります。
マリアム Mariam/Basquez/Martin(マリアム/バスケス/マルティン)
(名前/父の姓/母の姓)

ホセルイス Jose-Luis/Basquez/Martin(ホセ・ルイス/バスケス/マルティン)
(名前/父の姓/母の姓)
アントニオ Antonio/Basquez/Martin(アントニオ/バスケス/マルティン)
(名前/父の姓/母の姓)



ペペは私の味方で、私を助けていろいろ彼女に説明してくれましたが、
彼女は納得しませんでした。

「マチスモ」の意味は、女性蔑視ということだそうです。
多分もっと激しい意味合いではないかと思いますが、
家に帰って辞書で調べても、薄い辞書のせいか
意味は載っていませんでした。

結婚した女性の姓が変わることと、
女性蔑視とは直接関係ないと思いますが、
私のスペイン語力から、とても満足させられる説明はできません。
「これは日本の古くからの習慣で、、、」
「日本に限ったことではなく、、、」
といった程度のことしか言えませんでした。

日本にも、結婚しても別姓を主張している女性もいますから、
この問題がそんなに単純なものでないことは明らかで、
まして、それをスペイン語で説明など到底無理です。


彼女と別れてからのペペの説明はこうでした。
最近のスペインの状況はあらゆる方面で女性の進出が目覚しいため、
今度は男性側が逆襲に出て、女性側を相当叩いているのだそうです。
そんなことがあって、進歩的な考えをもったビルヒニアは、
たまたま、日本では姓名のことで女性が差別されていると勘違いして、
日本人である私に食ってかかって、

鬱憤を晴らしたのではないか?というのです。

ローマの遺跡を見て、遠く古代ローマに思いを馳せ、
せっかくいい気分で1杯飲んでいたのに、
最後は、悔しい思いで家に帰りました。
でも、ペペが味方してくれて有難かったです。

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