8月10日から27日まで、パキスタンのペシャワールにあるアフガン難民の子どもたちの為の活動と、アフガニスタン国内の子ども図書館の活動を訪ねました。SVA(シャンティ国際ボランティア会)のプロジェクトです。その時の日記です。



8月10日(日)TG505 バンコク発20:00 ラホール着22:40

 SVA会計の磯部さんと、バンコクから一緒にアフガンへ向かう。

 バンコクの夜景が美しい。青白い光がキラキラと宝石みたいにきらめいている。はたまた、これからどうなることやら・・・これまた飲み納めかと機内サービスのビール。あれこれ、一抹の不安。

8月11日(月)パキスタン・ラホール

 人や町に少し慣れて、そこで御飯にありつけ、少しでも会話を交わせると、「あぁ、ここも普通に人々が暮らしている普通の場所ではないか」というような安心感や親しみがわいてくるけれど、今日1日過ごして、ラホールへも少し親しみがわいた。昨晩、ホテルに着いた時には、「あぁ、とんでもない所に来てしまった」という思いがしたのであった。

 昨夜、バンコク発の便がラホールに着いたのは夜10時過ぎ。パキスタンは禁酒の国である。・・のは当然わかっていたのだけど、出発のバンコクの免税店に居並ぶお酒の面々。ふと、タイ・ウィスキー、メコンの小瓶が目に付いた。「小瓶ならいいかも・・・ペットボトルに移してしまえばわからないかも・・・」と思って、「つい、うっかり」買った。お店のお姉さんがあんまり丁寧に包装してくれるもんだから、わざわざ開くのも面倒臭くなってしまって、ペットボトルに移しそびれた。それが敗因。包装してあるし、見かけじゃわかんないさ・・・・いやいや世の中の空港はそんなもんじゃない。

 さて、パキスタンの空港は、入国して荷物を受け取り、税関を出る前に、再びエックス線を通すのである。同行の磯部さんの荷物はすんなりと当たり前に通る。私のメコンの小瓶が入ったデイパック・・・もすんなり出てくるといいなぁ・・・私は素知らぬ顔をしながらドキドキしている。ベルトコンベヤーはすんなりと動いていた、あと50センチで出てくるぞ・・・と、ベルトコンベヤーはムムムと止まって、逆回転をはじめた。係官は「うん?ボトルじゃないか?」と画面を見入っている。すごいなぁ・・・やっぱりわかっちゃうんだ。

「Do you have bottle? Open.(ボトルを持ってるのか?開けなさい)」と係官。私は、「これはーここじゃなくてーアフガニスタンにいる友だちへのプレゼントで〜もごもご・・・」と言ったのだが、結局、素直にメコンの小瓶は捕まってしまった。私も逮捕されるのかと思ったら、さにあらず。酒が捕まり、書類にしっかり名前を書かれる。でも、出国の48時間前までに連絡すると酒を返してくれるそうである。私の他にも、ジョニクロだのシーバスだのナポレオンだの、高級酒も捕まっている。日本帰りのパキスタン人が持ち込んだ「養命酒」も捕まっている。係官が私に「これは何だ?」と聞く。日本語を話すパキスタン人は私に「これ、薬ですよねぇ。病気のおじいさんのために買ってきたのにー」と一生懸命言う。私も係官に、英語で一生懸命説明した。同胞意識である。「これは、薬ですよ。日本では病弱な人が飲む薬なんです。酒じゃない」と応援したが、係官は「アルコールが入っているじゃないか」と、これも取り上げられる運命のようであった。

 というわけで、パキスタン入国時、私は隠し持った水を取り上げられた上、夜中。男性の磯部さんが一緒だったからいいようなものの、初めての国に夜中に着くというのは、あまり嬉しいものじゃない。迎えを頼んだはずのデイインホテルの迎えは見えず、結局タクシーでホテルへ。夜中、知らない国でいきなりタクシーに乗るのも、全然嬉しいものじゃない。町の中心地らしき道に出たはいいが、タクシーは再び暗い裏道を走り、やっと、デイインというホテルの前に着いた。ほっ。ホテルの前にはでかいマシンガンを持っているでかいガードマンがいて、迎えてくれる。

「そうか、この国はこんなマシンガンでゲストハウスを守らないといけない国なのかぁ」と思う。フロントのお兄ちゃんは、「予約のことなんて知らないよぉ」と、無愛想な感じ。磯部さんが、この真夜中でも値段交渉をしているから偉い。しかし、1人1600ルピー+タックスで2000ルピー。2人で4000。それなのに手付けに5000ルピー払えという。宿泊料金よりも高く払う?なんてことだ。そして、なんと通された部屋は、決してきれいには思えない・・・あのマシンガン氏、荷物も持ってくれたし、悪い人には見えなかったけど、あんなので襲われたら、どうしようもないよなぁ・・・こんな知らない国の知らない町で、マシンガンの守る場末のホテルで寝るのかぁ・・・明日の朝、目が覚めればいいなぁ・・・なんて思って寝たのであった。

 さて、朝7時過ぎに目が覚めた。当たり前であるが、あぁよかった、普通に目が覚めた。外を列車が行き交う音がする。線路のすぐ近くのようだ。カーテンを開けてみると、線路を人々が歩いている。たまに列車がガタンガタンと音をたてて走りすぎてゆく。向こうには道が見え、車と自転車と歩く人が見える。遠目にも、男たちばかりのようだが、人が多い。そうだ。パキスタンには一億以上の人が住んでいるのだもの。

 さて、ここは外国人プレイス(そんなのがあるのかどうかも知らないが)からは離れているらしい。フロントで「食事ができて、両替ができるところに行きたい」「町の中心地に行きたい」などと言うと、昨晩のフロントのあんちゃんとはまた違う、彫りが深く目がぱっちりしてなかなかいい顔をしたフロントのお兄さんが、「タクシーがいいのか、それともリキシャーがいいのか?」というので、「リキシャーがいい」というと、ホテルの近くに止まっている リキシャーのおじさんを呼んでくれた。後ろに二人乗れば満杯になるオート三輪タクシーだ。結局、言葉もわからないので、ホテル御用達のリキシャーで半日回ることになった。

 まずはお腹がすいている。ブレックファースト。フロント氏は「フードストリート」という、アメリカンブレックファーストでも、パキスタンブレックファーストでも何でもある食べ物通りがあると言い、リキシャーのおじさんにそこへ行くように説明してくれていたようだが、着いてみると、確かに道の片側には、揚げパンを揚げている男、片側にはヨーグルトなんかを売っている男がいて、また、男たちがたむろして何か食べている店もあるのだが、なんといっても全部男。それに、なんだか座ってお茶という感じではない。磯辺さんと私が降りると、みんな興味津々の目で見る。かなり場違いなところに場違いな人が来ている感じである。怖くはないが、カメラを出す気にもなれない。観光客が回りから観察されている感じだ。あの揚げパンをここで興味の目にさらされて食べても、おいしくなさそうだ。

「チャーイ(茶)はないのか?」と運ちゃんに聞くと、「チャーイか。チャーイ、アンダー?」と言う。アンダーとはなんだー?かわからないが、もう適当にうなずくと、それじゃ乗れ、と私たちは再びリキシャーに乗り延々と走る。チャーイをを飲ませる店がそんなに遠くにしかないのかな?と思うが、もうお任せするしかない。「ここだ」とリキシャーが止まる。店先で靴磨きをしている男たちがたくさんいる。どう見ても食べ物屋には見えない。しかし、入ってみると、そこは確かに食堂で、男たちが揚げパンみたいなものとお茶を飲んでいた。男ばっかり。本当に私が唯一一人の女性なのだ。少年まがいの格好をした、しかもチビっちゃいのなのに・・・やっぱり、男たちしかいない中に入っていくのは異様である。すると、入り口手前に、本当に小さな電話ボックスほどの部屋というには小さすぎる、ベニヤ板で囲われた一角があり、カーテンで仕切られている。そこへどうぞ!という。私と磯部さんはそこへと入った。これで、異様な異物は、とりあえず空間から除外された・・・・という感じ?かな。女性連れで行く人はそうして、女性を他の人の目にさらさないために、そうしたボックス席?に入ると聞いていたが、いやはやなるほど、これか。女性は普通、外食などしないのだろうか?イスラム国で働く外国人女性は、本当に大変だろうなぁとつくづく思った。私も、あっちで、地元の男たちが何を食べているのか覗きたいのは山々だけど、この囲いから顔を覗き出すわけにはいかないので、観察するわけにもいかない。

 運ちゃんは英語はできないのだが、わけもわからん外国人を連れたドライバーとして、それなりに張り切って注文してくれているようで、ミネラルウォーター、四角い食パンのトーストが4枚、新聞紙にくるまれてでてきた。そして、アンダー・・・というのは卵のことで、目玉焼きがでてきた。チャーイは濃いお茶。それだけでは煮出した紅茶みたいだが、ミルクと砂糖を入れて飲むとおいしい。こんなベニヤ板の中で優雅にお朝食というわけにはいかないが、とりあえずお腹は一息ついた。しかし、これは大変そうだ、と実感。つくづく女一人でなくてよかったぁと思う。

 店から出て見ると、靴磨きの男たちは、店に入る客が、入る前に靴を脱ぎサンダルを借り、中でお茶を飲んでいる間に靴を磨くというシステムなのだ。パキスタンの男たちは格好がみな同じである。だぼだぼワイシャツにだぼだぼズボン。お客も靴磨きの人たちも同じ格好をしているので、一見貧富の差がわからないように思った。もちろん、よく見えてくると、きっといろいろと差が見えてくるのだろうけれど・・・

 道には、リキシャーあり、色とりどりに細かい模様を描きこんだ派手なバスあり、自転車あり、そして、ロバのひく荷車と、馬のひく荷車と、そしてでかいこぶ牛の引く荷車と・・・が闊歩している。車はほとんど基準値の何倍も悪い排気ガスをはいているようなオンボロ車ばかり。その中を馬ちゃんやロバちゃんは、走っているのだから大変だなぁ、えらいなぁ、けなげだなぁとつくづく思ってしまった。牛は、木の切り株だの、材木だのを載せた大きな荷物を引いている。見ると、ラオスの牛なんかの数倍もある、大きな牛である。

 それにしても、この喧噪、この排気ガス、そしてこの暑さ・・・・初めてのパキスタンという国。それでも、どこかで知っているこの雰囲気。きっとネパールやら中国やらアジアのあちこちの町の喧噪とどこか似たものもあるのだろう・・・でも、本当は全然違うのだ。目に入るのは、男たちばかり。90%は男と言っていい。しかも、長いワイシャツに、だぼだぼズボンをはいた、まるで制服を着たようにも見える男たち。そんな男ばかりが、町を歩き、物を売り、たむろして歩いているのはちょっと不思議である。女はどこにいるのだろう?目が慣れてくると、少しは目に入ってくる。ベールをゆるやかに顔にまいた女性たち。たまにベールを頭にかけない女性もいるが、ごく少数のようで、いわゆる洋服を着た人は、今日午前中の外出では一人も見なかった。それだけに私は異様であるのだろう。ジーパンにTシャツ、それに長袖のジャケットを着て、帽子をかぶっていたが、モスクに入った時に、やはりきっと失礼なのであろうと思い、スカーフをかぶった。

 ラホールフォートへ。運転手に一時間後に・・・と約束して、入る。まず、ラホールフォートの隣の大きなバードジャーヒーモスクに行く。入り口で、「ガイドが必要だよ。自分をガイドに雇え」という背の高い西洋人みたいな顔をしたガイド氏が売り込みに来る。ただ見てもわけがわからないので、ガイド氏についてもらうことにした。5ドル。

 世界で二番目に大きいというこのモスクは、なかなか美しい。中に入ると、3人の女性たちが、私たちと一緒に写真を撮りたいと話しかけてきた。私なんかは、目立たないように?くすんだ色のTシャツを着て、アーミーカラーのジャケットを着て、そして、黒いスカーフを巻いて、うっかりするとナントカ解放戦線に見間違われそうな格好をしているというのに・・・・一緒に写真を撮り、彼女たちの写真も撮らせてもらう。磯部さんが「女性の写真は絶対に撮ってはいけないって言われていたのに、どうして?」と聞くと、ガイド氏は、「日本人は人気があるんだよ。何でも電気製品は日本のものだからね・・・それに、あなたが女性連れだから、向こうも平気なんだよ」と。

 モスクの中に入るとひんやりしている。外は強烈に暑く、くらくらしてしまうような太陽光線なのに、モスクの中は風が通り、ひんやりしている。お祈りをしている人もいたが・・・昼寝をしたり、くつろいでいる人々も大勢いる。やはり、その土地にしてその建物・・・きっと、暑さをしのぐ様々な工夫があるのだろう。

 そのモスクには、いろんなサウンドシステムがあるという。一つは、幅広い廊下を隔てて向こう端に立ち、壁に向かって小声で話すと、壁を通して声が聞こえる。壁の糸電話みたいだ。また、以前は廊下がコーランを学ぶ学校代わりのスペースだったそうだが、廊下の真ん中に立って言葉を発すると、妙に声が反響して聞こえたり、相手の声にバイブレーションがかかって聞こえたり、さまざまなのである。これはコーランの声がより響き、反響しながら返って聞こえてくるような工夫なのだろう。コーランは声に出して、そして耳に入り、その力を発揮したものなのだろう。なかなかおもしろかった。

 家族連れできている人たちもいて、女の子なんかはすれ違いざまに、ハローとか声をかけてくる。外へのあこがれがあるのかなぁと思う。

 ガイド氏は様々説明をしてくれるのだが、第一にこっちがムガール帝国など、ここの歴史を知らないこと、それに、また言葉が全部は聞き取れないこともあり、まぁ半分もわからないくらいなのだが、ただ建物を見るよりもやはりよかった。

ラホールフォートの方は、王様や女王様の部屋だったところなどだそうで、世界遺産になっている。ラピスラズリや翡翠、宝石で飾った壁、ガラスで飾った壁など、できた当初は豪華絢爛だっただろう。大理石でできた壁から水が滝となって流れ、そして王妃の間まで流れ、その水には色とりどりのバラの花が浮かび、水は香水となってが、部屋を潤し香っていたという。なんという贅沢な暮らしをしていたのだろうか?

 しかし、暑い。今は水なんか干上がっていて、石の照り返しばかり。歩いているうちにボーっとしてくる。ジーパンに、Tシャツにジャケットなんかを着ているのは暑い。なるほど、あのだぼっとした風の通る格好は、この気候にあったものなのだろう。

バーミヤンの木というのがあった。私はいったいどこで聞いたのだろう?どこかで聞いた名前だったのだが・・・と思いながら写真を撮った。樹齢何百年という木の大きな木陰で、人々が涼んでいた。

 ガイド氏は、旧市街はおもしろいぞと、さらなる観光を勧めるが、磯部さんも顔が真っ赤である。熱射病なんかにいきなりなりたくない。ホテルに戻る。

 1$=57Rs  

 リキシャー、3時間500Rs。ガイド5$。朝食81Rs。ホテル、2000Rs。昼食(チキンバーガー、レモンジュース 120Rs)

 夕方便で、ペシャワールへ。

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