8月12日(火)パキスタン・ペシャワール

 ペシャワール。ACC(アフガン チルドレン センター)を訪問。

 午前中、スタッフの話を聞き、絵本語りに必要なパシュトゥ語を習う。日本で習ったのと少し言い回しが違う。また覚え直さなくてはいけない。

 午後、子どもたちに実演。

 ペシャワールの町。

 パキスタン北西辺境州の中心の町であるペシャワールとは、エキゾチックでけだるい雰囲気の漂う小さな町をイメージしていたのだが、実際には、排気ガスをまき散らしながら疾走する車と、排気ガスの後ろを、けなげなひずめの音を立てながら、馬車とロバが行き交う、大きな町であった。 

 いきなり酒の話で恐縮だが、ペシャワールには、つい最近までは外国人向けのバーなんかが存在していたそうだ。しかし、宗教指導者がこの州の政権をとってから、ますます規則が厳しくなったとのことで、そのバーも閉まり、アルコールを売っている店もない。ラホールの空港のエックス線にまんまとひっかかった私だが、実際に来てみると、アルコールがないことなどよりも辛いのは、自由に出歩けないことであった。

 ここらで外を闊歩しているのは男性ばかり。しかも、みんな、例の長いワイシャツみたいな上着に、だぼだぼズボンをはいて、まるで制服を着ているみたいに同じ格好だ。ちょっとおもしろい光景である。暑いから、そのだぼだぼワイシャツに、だぼだぼステテコみたいな格好は快適なのだろうけれど、老いも若きも痩せもおデブも同じ格好をしている。

 女の素顔は見えない。ブルカで、すっぽり顔を隠しているか、目だけを出してすっぽりベールをかぶっている。それ以外、顔を多少さらけ出しているのは、年寄りか子ども、そして、外国人しかいない。みんな、だぼだぼズボンをはき、その上に丈の長い上着を着て、さらにその上にすっぽりシャワールよ呼ぶスカーフをかぶっている。女は身体の線を出してはいけないそうだ。髪はもっとも女らしさを象徴するところだとかで、隠さなくてはいけない。ここでは、ただの一人も、洋服を着た人は見かけない。私も仕方がないので、さっそく買いそろえ着ている。ズンドーの私にはウェストが隠れていいけれど、足首、袖口まで隠れていなくちゃいけないし、シャワールを巻き付けなくちゃいけないのは、うんざりと暑い・・・・エリさんはとても優雅に着こなしていて美しいのに、私が頭からすっぽりシャワールを巻き付けて着ると、「だるま」みたい。薄いブルーの服を着て鏡を見た時には、なんとゲゲゲの鬼太郎の「ねずみ男」みたいなのである。悲しい。

 こうして、「ねずみ男」みたいな格好をしても、やっぱり女が一人でふらふらお散歩なんかしてはいけないそうだ。今回は、SVAのアフガン駐在のスタッフである、男性の市川さんと、女性のエリさんが一緒で、その上いつも現地スタッフがついてくれているけれど、とにかく、お買い物にいくのも、どこへ行くにも、一人で行っちゃいけないんだそうで・・・・。ラオスで市場をひやかしては、だべっている状況とはかなり違う。こちらの人にとって、女が一人で、ふらつくなんて、世にもとんでもないことなんだそうだ。

 それでも、ペシャワールはまだ開放的な方で、SVAのアフガン・チルドレン・センターには、女性スタッフが働いている。でも、出勤、帰宅には、必ず家まで車で送迎することが、働くことの条件だそうだ。彼女たちは、センター内で子どもたち相手に働いている時は、おおらかに顔を出し、シャワールは肩にかけて、髪の毛を出したりしている。でも、車から降りて外に出る時は、シャワールを頭からすっぽりとかぶり、目だけ出して鼻も口も布で覆ってしまう月光仮面スタイルになって、足早に歩いていく。すると、急に見知らぬ人のように見える。

 なにも、これはタリバン政権ではじまったことではなく、イスラムというよりも、このパシュトゥン人の地域は、そういうものなのだそうだ。これは、かなり根強い。

 スタッフは、みなアフガン難民の人たち。ただ、このパキスタンのペシャワールと、アフガニスタンのジャララバードは、昔から同じパシュトゥン人が住む地域であり、かなり緊密な関係にある。夏は涼しいジャララバード、冬はあたたかいペシャワールに住む・・・というような避暑、避寒地としての関係も前々からあったそうで、元から行き来している人々もおおいのだそうだ。スタッフは大概が、もう長くペシャワールに住む人々だ。でも、アフガニスタンのパスポートを持つアフガン人なのである。

 男性スタッフは全員がパシュトゥン人だが、女性スタッフは1人だけがパシュトゥンで、あとは、タジク人とハザラ人だ。女性が外へ出ることに対して厳しく規制しているパシュトゥン人には、「外で働く女など・・・国連で働いている女性職員などでも・・・とんでもない枠をはずれたあばずれで、娼婦みたいなヤツ」という見方をする人もいるそうである。それだけに、パシュトゥン人の女性スタッフを見つけるのは困難だという。タジク人やハザラ人の方が女性への規律がより少なく、開放的だとのこと。

 アフガニスタンの国語は、パシュトゥ語とダリ語。SVAの活動拠点、ジャララバードはパシュトゥン地域にあるために、パシュトゥ語を中心とした図書活動をやている・・・というから、パシュトゥ語を覚えることに、必死だったのだが・・・・ダリ語人口も多いのである。アフガンの民族文化事情というのも、一筋縄ではいかないようだ。

 今日、そのセンターにきている子どもたち・・・・アフガン難民出身の子どもたち・・・・・・といっても、もうペシャワールで生まれ育った子どもたちで、難民キャンプにすんでいるわけではない。でも、貧しいなどの理由で学校に行けない子どもたちもいるという。今夏休みなので、どの子が学校へ行けない子なのか?などは把握できなかった。青い目の子もいるし、ラオスで見たことがあるような顔の子もいる。全体的には、アジア系というより、やっぱりずっとヨーロッパに近い顔をしている。鼻なんか高くて、とても、比べる気にはならない。

 さて、その子どもたちに、絵本を話してみた。あんちょこを見ながらのパシュトゥ語だったのだけど、子どもたちが、楽しんでくれたこと。「おおきなかぶ」も、「さんびきのやぎのがらがらどん」も、やっぱり国境がないのだなぁ・・・・と感じた。いやはや、女の子たちが元気。まだ、小さい子どもはスカーフをかぶっていないし、男の子顔負けに元気。「手をたたきましょう、ぱんぱんぱん・・・・」なんてやった時なんかは、もうのりに乗ってしまって、私は子どもたちの迫力に押しつぶされそうな勢いで、声が枯れた。みんな出たがりで、「みんなの前に出てやりたい人」というと、「ハイハイハイ!!」と我先に出てきて物怖じせずにやる。積極的な子どもたちだ。

そんなエネルギー満々の子どもたちが、じきに顔をかくして、勝手に出歩けない大人になってしまうのか・・・・と思うと、なんて考えていいのか、わからない。でも、私みたいに、昨日や今日、ここを通り過ぎるほどの短期間で通ってきたものが、何をわかり、何を言えるだろう?ただ、そんな無邪気な子どもたちを見ると、いつまでもあんな元気だったらいいなぁ・・・と思うし、その子たちが、お話がやっぱり大好きだったことは、私にはうれしかった。

















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