2004年4月、再びアフガニスタンに行きました。SVA(シャンティ国際ボランティア会)の図書館活動の手伝いです。SVAアフガニスタン事務所長の市川さん、東京オフィスの伊藤解子さんとともに出発。


2004年4月10日 (土) 日本からイスラマバードへ
 昨日、ニュースで、イラクで高遠さんたち3人の日本人が人質になった。えっ、明日出発なのに・・・と、少しあせる。でも誰からも連絡が来ないので、イラクとアフガンは違うもんなぁ・・・・と、結局普通に出発。
 PK(パキスタン航空)853。北京経由である。14:00発の予定が、16:00発。成田で延々と4時間半。パキスタン航空は、お酒は出ない。PKで移動し慣れたSVAアフガン所長の市川さんの助言?に従って、私たちは免税店で、ウィスキーと焼酎、缶ビールを買い込む。パキスタン国内に酒を持ち込むことはできないが、飛行機の中ではいいのである!!といっても、少し気が引けるので、私たちはコップを隠しながら、こっそり(のつもりだが・・)酒をちびちびやった。消灯になったら、ペットボトルにうつしかえる。私は昨年8月に、堂々とボトルのまま持ち込んで没収された経験があるので、ちゃんと!ペットボトルに移し替えた。
 我々3人が3人とも、このことに真剣に取り組んでいるのが、我ながらおかしかった。3人ともA型で、トリプルAの私たちは、こだわりの人たちらしい。
 しかし、長かった。北京まで3時間半。北京空港で1時間ほど待ち。それからイスラマバードまで、6時間。中国を飛び越えるのであるから、長いのは当たり前だけど。
 同じ飛行機に乗っている人々に、完全に黒い布をすっぽりとかぶり、目だけを出した女性の姿があった。目は東洋人である。いや、日本人である。その彫りの深くない顔つきをすっぽりとベールでおおい、完全に日本人の顔をかくしている。もちろん目だけでは国籍などわからないが、金太郎みたいな顔した赤ちゃんをおんぶして、やはりスカーフをした娘さんに日本語で話しかけていた。お父さんは髭面のパキスタンの人らしいけれど。日本でも、目だけ出しているのだろうか?どんな気持ちなのだろう?余計なお世話、野次馬根性なのはわかっているけど・・・・つい、思ってしまった。

 イスラマバードに着いたのは、現地時間で夜11時半。空港を出ると、やけに大きな月。20日目くらいの月が空低く浮かんでいた。やけに大きかった。イスラマバードの月は大きいのかしら?

 10日朝、イスラマバードから国内便で、ペシャワールへ飛ぶ。車でも2時間半ほどの道のり。国内便扱いでタダだそうなので、飛行機で移動した。


ペシャワール上空より


2004年4月11日(日)ペシャワール 7Csゲストハウス

 一日、軟禁状態。本当に、どうして私がこういう状態に耐えられるのか?

 朝、SVA の市川さんと、解子さんと朝食。8時。トースト、コーヒー、オムレツ。二人は8時にはアフガンに向けて出発。私は一人でペシャワールに残る。イラクの、まだ解決されていないが、3人の人質事件もあり、別に怖いとは思わないが、このゲストハウスにいる女は私一人らしいし、あんまりへらへらと一人で出歩くのもいけないだろう。と、今日は、本当に軟禁状態。まぁ、これからの準備などやることもあるので、鏡を前にして、ガラガラドンの紙芝居の練習をパシュトゥン語でしたり、明日からのペシャワールでのワークショップの内容を考える。赤いかさのパネルシアター版を作ろうと急に思い立ち、夕方からはじめる。

 昼は、結局部屋から出ない。ルームサービスも頼まず、ビスケット2枚とチーズ。そして、お茶やらコーヒーやらで・・・。夜、さすがに腹が減る。ホットアンドサワースープ、ミックスベジタブル、ナンをルームサービスで頼む。下のフロントのお兄さんは感じがいいんだけど、どれほどこちらも感じよく接したらいいのか、戸惑う。まったくへんてこな国だ。男の人とは、親しげに話さないほうがいいらしいが、しかし、男以外に身近に触れる人がいない。まったく・・・・・スープはどんぶりいっぱい。多い。食べられないと思ったが、腹も減っていたのでかなり食べた。この部屋からぜんぜん出ていないのに、疲れた。今、9時。そろそろ寝てしまおうか。明日はきっとなんとかなるさ・・・と思う。



パキスタンのバスの屋根飾り!

4月12日(月) ペシャワールACCへ行く。 ACC ----Afgan Children Center

 9時過ぎにACC を運営している地元NGO、ネジャットセンターのスタッフ、ファタが迎えに来る。彼は、田中康男を大きくしたような感じの人だ。英語をよく話すが、なんだか洋服を着ているせいか?気取って見える。まぁ、いいけど・・・。

 ACCの場所は移って新しく広くなったわけだが、以前いた元気な女の子たちのグループが来なくなっていた。残念。移った場所もそんなには遠くないのだが、女の子たちは、少しの条件で通えなくなってしまうのだろう。先生たちもアフガニスタンに帰った人たち、そしてオーストラリアへ行った人など、半年くらいなのに、動きが激しい。アフガニスタンに戻ったというのなら仕方ないだろうと思うけれど、、やっぱり難民という不安定なステイタスに彼等が置かれているということを実感する。

 残っていた図書館担当の女性スタッフ、ディアナは、ジーパンをはいている。ここでは女性の身体の線が現れることはいけないことなので、ジーパンの上にスカートをはいているけれど、半年なのに、以前より、服装が、より今風に変わっているように見える。それに、外を歩いている女性も増えているように見えるのは、気のせいだろうか?

 さて、ディアナとニロファンは、図書館で、子どもたちに、かなり荒っぽいが、新聞をちぎり、それにのりを混ぜて、そして丸めて、その上に紙を貼り、粘土細工のようなことをしていた。また、女の子にはダバダバ人形を教えている。私が前に教えた人形作りを今も一生懸命教えて作っているのだ。

 本は相変わらずで、ほとんど前と同じ本しかない。私があげた、ペープサートのロバや山羊はなくならずに取ってあった。嬉しい・・・けれども、子どもたちに触らせてないということか・・・・本の表紙の紙は、切り抜いて壁に貼ったりしている。以前あげた日本の絵本には、中に訳を書いた紙が貼ってある。「誰が訳したの?」と訪ねると、私がそのときに、英語で説明したのを元に、ディアナが書いたものだという。貼り方は汚いけれど、感心した。地元のNGOが運営をしているためであろうが、本の補充のされない図書室となっている。

 11時、子どもたち家へ帰る。午後1時には、また次々とやってきた。今、女性の部屋があり、女性スタッフと男性スタッフは別々にご飯を食べる。男性の部屋にはコンピューターがあり、ゲームをやっていたが・・・・飯は、肉の煮込みとドディ(ナン)。野菜がない。ディアナが私に、「どうしてこの前よりも、tinyになっちゃったの?前はもっとfatだったのに」という。そうかなぁ?彼女たちは、ますます肉付きがよくなっている、肉の量は多い。

 田島さんの紙芝居を彼女たちは一生懸命読んでいた。これはウルドゥでかかれたものだ。

 恐れ入ったことに、ディアナが、「刺繍絵本」を作っているのである。これには恐れ入った。前回来た時に、私が、タイの難民キャンプで以前モンの子どもたちが作った刺繍絵本を見せたのだ。それだけなのに、今回、刺繍絵本ができていた。彼女たちは、ファルシ(ダリ語)を刺しゅうでさし、壺と鳥という物語を作っているのである。これにはウレシイ驚きで、びっくりした。


刺繍の絵本 絵とダリ語のお話が刺繍されている。

 午後、子どもたちは次々と入ってきた。午後は図書活動だけ。子どもたちは、ハイハイと手を挙げて、とにかく前に出てやりたがる。活発な女の子マスダが出て、カブを引く真似をして、「おおきなかぶ」のお話をする。そして、次々とみんなが出てきて、カブを引く。引いてはネキギ(だめだ)・・という。あぁ、今日、私はショックなことに、おおきなかぶのお話をしていて、はじめて、鳴き声を間違えてしまった。猫がチューチューと言ってしまい、あわてたあげく、ワンワンと言ってしまい・・・・私としたことが・・・・

 外で遊ぶ。縄跳びに、バレーボール。子どもたちといっしょに、こんなにはしゃいでいると、壁の外の世界がまったく別世界に思えてくる。今、壁の中で子どもたちはこんなにはしゃいで元気なのだが、外で見かける女たちは、誰一人として、飛び跳ねている人なんかいない。このギャップは何?ディアナも、ニロファンも、縄跳びの縄を回してやり、顔を平気で出して半袖で平気なのだが、彼女たちも、外に出る時は目しか出さない。何が「本当の姿」なのだろう?

 私は、スカーフをまいたまま、縄跳びをやったり、バレーをやったりして、最後には、邪魔なので胴にくくりつけてしまったが、それでも、ここの女の子たちも、ちいさい子以外はスカーフをしたまま縄跳びしたり、バレーしたりしているのである。こんなにはしゃいでいるけど、塀の中でしか騒げないのか?

 ペシャワールの田中康男さんは、私をゲストハウスに送り届けると、明日9時ね・・・と帰ってしまった。私はルームサービスで食事をとるしかない。量は多いし、野菜は少ないし・・である。味はまぁまぁだが、これが続いたらきついだろうなぁ・・・と思う。

 どんぶりいっぱいの野菜スープに、ロシアンサラダ(芋とリンゴのグリーンピースのマヨネーズ和えだった)を食べた。例のペットボトルに入れてきた泡盛を少し飲んだせいか?いや、奇妙に疲れていて8時には寝た。運動をするわけでもないのに、激烈に疲れた。

 


4月13日(火) ペシャワール

 また、9時にでかい田中康男・・ファタが迎えに来てくれた。私は、相変わらず部屋で、ビスケットとチーズ、そして水溶きのコーヒーで朝食。日本の3人はまだ解放されないようである。英語のニュースは、細かいところまではわからない。昨日、うんと早く寝たので、早く起きようと思ったけれど、6時頃までやっぱり寝てしまった。喉の痛みや疲れはとれたけど、どこか、取れきれない重みがある。それは、この閉鎖性と自由のない軟禁生活みたいなところから来るんだろうな・・・と思う。

 さて、今日は、子どもたちの授業を男性スタッフが見て、女性スタッフたちは、午前中は、「出てきたなーんだ」作り。(紙芝居の表紙に穴があいていて、その穴から一部だけ見える下の絵を、な〜んだ?と当てるゲームみたいな紙芝居。やべみつのりさんの作品からアイディアを使わせて頂き、ワークショップで作ってみた)
 そして、午後は、紙芝居作り。彼女たち、飲み込みが早い。

 しかし、実は材料が何もない。私が買っていったけれど、色もない。鉛筆と消しゴムだけが棚の中にあった・・・・・壁に貼ってある絵も、どうも最近のものがないところから見ると、絵の具やらクレヨンやら、ないようだ。今は現地NGOのネジャットセンターが運営しているから、口は挟めないが、結局、子どもの活動への予算はとてもケチられているのだろう。せっかく、絵が好きなスタッフがいるのに、残念だった。

 刺しゅうは、モンの人と同じ刺しゅうをする・・・・彼女たちにとっては全然難しくないという。自分が着ている服の刺しゅうをさして、これも自分でした・・・という。彼女たちには刺繍の習慣があるのである。なるほど・・・・上手なはずである。自分たちがなじんだ道具で絵本を作り出せたらいい。刺繍が身近な方法ならば、アフガンの女性たちにとって、刺繍での絵本作りはいい方法かもしれない。

 ディアナは、あと2ヶ月で家族と一緒にカブールへ移るという。ニロファンと、カイナートは旦那(婚約者?)がパキスタン人だから、こっちにいるという。仕事ができるスタッフがいなくなっていく状況の中で継続していくのは大変だ・・・と思いつつ・・・でも、子どもたちは駆け込んでくる。
 やっぱり、図書館の立ち上げに「人」がいないと難しい。難民が帰還をはじめている状況の中で、スタッフが継続できない。ここペシャワールの活動は、難しくなってきているようだ。

 人を育てる・・・・そのために私も派遣されているのだが、短期間でできることなんて、限られている。そのことをなんだかとっても感じる。

 それにつけても、子どもたち・・・・今日は、全然相手ができなかった。私もせっかくここまで来ているのに、疲れている場合じゃないだろ!って。

4月14日(水)ペシャワール ACC

 朝、ネジャットセンターの親分カシム氏が迎えにきてくれる。親分の車で送ってもらった。さて、カイナートはダリ語の読みを、そしてディアナは英語を教えていた。とにかく声を出して読むのである。いい光景である。子どもたちにとって、こうして曲がりなりにも学校のごときところへ来られて、そうして、知識を得ていく・・・新しいことを教わっていくのは、嬉しいことだろうな・・・と思った。

 彼女たちが一通り教えてから、女部屋で・・・・今日は、「昨日作った紙芝居をみんなの前で見せるよ」と、一応みんなに練習してもらう。棒読みでコマッコクレイ(助けて)というので、そうじゃない・・・と、ほら、アリの気持ちになって・・・と、その時、私が無意識に手をバタバタ動かして「助けてくれぇ〜」と言ったのかもしれないんだけど、彼女たちはみんな真似をして手をバタバタ動かして「コマッコクレイ」と言う。「そうしちゃうと、子どもたちの関心が、絵にいかないからー手はバタバタしないの」などと、多少のアドバイスをした。彼女たちはやる気まんまん。

 ネロファンが「紙芝居」を、そして、ディアナが「でてきたなーんだ」をやったが、ディアナのタイミングはなかなかいい。子どもたちに動物たちの鳴き真似をさせたり、上手。昨日「ありとはと」を3枚だけの紙芝居に作ったのだが、子どもたちは一生懸命見ていて、あれだけでも、結構いけるもんだな・・・・と思った。

 私にも何かやれ・・・というので、ガラガラドンの紙芝居。そして、新作のパネルシアター、あかいかさ・・・をやった。まぁまぁであった。2日間のワークショップでここまでできたのだから、上出来?じゃないか・・・と自分では思ったが・・・・

 午後は、あかいかさ・・を作る。みんな私が作ってきたのをそのまま、写していたが、ディアナが描くと、それは、アフガンの少女の顔になるのである。私がいくらアフガン的な服を着せた女の子の絵を描いても、それは、日本人の顔である・・・のだが。面白いな・・・と思う。

「あかいかさ」という話を元にした、パネルシアター。

 ACCはどうなるのか?わからない。てこ入れしてあげたい気もするけれど、ディアナもいなくなって、そして、これから難民の子どもたちも帰還していったりするのであれば、やはり、縮小の方向に行くんだろうなぁ・・・と思う。やはり、難民キャンプの末期状態を思わせるような、気の入らないような、中途半端な雰囲気・・・は感じた。難民が帰還していく状況を思うと、それは仕方がないと思うが・・・

 ネロファンの申し出で、カシム氏が、アイスクリームを、女全員、ファタともう一人のスタッフと私におごってくれる。後で聞けば、それは、きっと図書館の予算から出ているとのこと・・・・アイスクリームを食べてしまう分、紙も絵の具も、子どもたちのところには届かなくなるんだろうなぁ・・・と思う。


「さんびきのやぎのがらがらどん」を元に作った紙芝居を読むわたし


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