国境を越える子どもたち(11)
「民話を語る少年」
水牛とはなかよしさ
牛たちがカランコロンと鈴の音を響かせながら草をはんでいる山の草原で、兄のツーは、牛追いに来た子どもたちを集めてお話をしている。子どもたちは宙を見つめたり、草をいじりながら耳をかたむけている。きっとその目には、お話の映像が色鮮やかに展開しているのだろう。
「草原で何もやることがないし、他の子にせがまれたらお話してあげるんだよ」とツー言う。
ツーが語る話は、六、七歳の頃に聞いて覚えた話が多い。幼い頃おとうさんを亡くし、ツーは小さい頃からおかあさんについて山の畑に行き農作業を手伝った。夜は畑の小屋に泊まる。村からも遠く離れ、電気もなく暗い夜、母子は寂しいので、近くの畑に作業に来ていた他の人々と一つの小屋に集まっていっしょに寝るようになった。そこに、病気でもう先の長くないおばさんがいて、毎晩毎晩、子どもたちにせがまれるままに、お話を語って聞かせてくれたのだという。子どもたちはお話の世界にひたりながら寝入ったのだろう。その話の数々をツーは今でも覚えているのだ。モンの人々は文字を持っていないけれど、記憶力はすばらしい。一回話を聞くと覚えてしまうのだ。
牛が草を食べている間、ツー(左)に笛を教えてもらう少年。
笛の音は谷を越えて、遠くまで響く
モンの話の主人公には、みなしごが多い。貧しくさびしいみなしごが、さまざまな助けを得て、立身出世ししあわせになる話が多い。ツーが語った話の中にも、みなしごが動物たちの夜語りを盗み聞きして宝物を見つける話や、牛飼いの少年が牛や水牛におじぎされ、不思議に思った王様に見いだされる話・・・そんな話があった。
「いつかね、ぼくも、お話の主人公みたいになれればいいなって思うんだ」と、ツーははにかみながら言った。
お話の中に出てくるみなしごと同じくらい、ツーの実際の生活もさびしく大変だ。休みの日は、朝から夕方まで牛追い。「でも、牛追いは好きだよ」とツー。山の草原は広々と、谷の向こうには畑の広がる山々が見え、気持ちいい。たまに、どこかから歌声が響いて聞こえてくることがある。誰かが歌うグゥツィアというモンの即興歌だ。そんな歌が聞こえると、あぁ、誰かが同じ空の下にいて、きっと一人で仕事をしているんだ・・・となんだかうれしくなる。一人ぽっちじゃなくなるからだ。ツーも笛を持ち歩き、またひそかに、グゥツィアを練習をしているらしい。顔が見えなくても、歌をうたって答えることができれば、空間を越えてコミュニケーションができる。
言葉によって、心や空間が豊かになる。山に暮らすモンの人々が、どうしてお話を愛し、歌を愛すのか・・・私は牛追いの少年ツーを通して、はじめてわかったような気がした。