2011年6月4日(土) 少し雨が降り出した・・・・

 ラオスはもう夏休みである。今年は雨が遅いように思うが、でもようやく、雨が少し降り始めた。昨年もさんざん、うんざりしたのだが、家と図書館が面している川がすこぶる臭いを放つようになった。乾季の終わり、雨季のはじめの頃がひどい。
「あぁ・・・・どうしてこんなところに住んでいるんだろう・・・・」と、また思う。図書館は壁がない東屋のような建物だから、昨年も、風向きによって「これは臭くてたまらん」という時を過ごした記憶がよみがえってきてうんざりする・・・・・
 この川は、つまり下水路ともなっている。生活排水がそのまま流れ込んでいるのである。トイレは、それぞれの家に溜めている形式なので、とりあえずは流れてきていないと思うが、とにかく、あれこれの排水が流れ込んでいるのだから、もう匂いがするのは当たり前である。ゴミも平気でぽいぽい投げ入れる。くせに、平気で、魚やら、食用になる水草なんかをとって食べている人もいる。
 
 う〜〜〜、なんとかならんか。それにしても、臭い匂いに、「こんなところに住むんじゃなかった」と滅入る。
 その晩、日本人の友人で、環境関係の仕事として、青年海外協力隊員として、ヴィエンチャンで仕事をしてる、トシさんと飲んだ。前から、この、平気でゴミを捨てる子どもたちに対して、何か環境教育的ことができないか?と、いろいろと相談をしている。
「も〜、臭くて、いつ逃げ出そうか・・・って思うくらいよ」と愚痴ると、さて、EM菌から作った、EM液で、匂いを軽減できるという。それを、すでにビエンチャンの中で実践しているところもあるという。それから、EM団子?というのを作って、ぽいぽい川に投げ込むと、川の浄化につながるとか・・・・そんなことができるんなら、「やりた〜い!」「やろうやろう!」と盛り上がった。
 ラオス人のダンナに離すと、フンと鼻をならして、「川の上流からどんどん汚水が流れてくるんだぜ。そんな気休めやっても無駄さ」という。まぁ、半端なことではどうにもならないだろうが、今度こそ、少し行動したいと思う。現状進んでいる流れを変えるということは、とても難しいけれど、何かを始めることができるか?



6月5日(日) みんなで木を植えました。

 ラオスでは、子どもの日は、6月1日である。そして、この日は植林の日でもあるそうだ。6月1日には、あちこちで、子どもたちのための行事が行われる。そして、あちこちで植林も行われる。さて、私たちの図書館でも何かやろうということになったが、この図書館は土日が開館日なので、5日(日)に、子どもの日をやることになった。
「やると言っても、何をやる?」と子どもたちに投げかけると、ガキ大将、レェが
「めんどくさいこと、やることないよ。みんなで、木とか花とか植えればいいじゃん」と言う。
「そうか、そういう手もあったんだ・・・たまに、そういうことをやるのもいいな」
ということで、子どもの日には、みんなで木や花を植えることにした。
「じゃあ、みんな、家から、花や木の苗があったら、持って来てね」と言ったものの、この近所の子どもたちが、家から苗を持ってくるとは思えない。あまり庭などがない家が多いからだ。苗は、あらかじめこちらで用意しておく。
 木を植えると言ったって、実は土地が限られているので、図書館の前の川っぺりに植えることにした。ここは公共の土地だから、もし、舗装工事でも入ったら、きっと無駄になるかもしれないけれど、そうでもない限りは、まぁ、黙認してもらえるだろう・・・・



 子どもたち、土を運ぶ。この辺りは、とても固い赤土で、あまりいい土ではない。園芸用の土(と言っても、日本みたいに、赤玉だの鹿沼土とかがあるわけではなく、炭ともみ殻と土を混ぜたような土である)を、みんなで運ぶ。

 トン・サーという木の苗を100本買ってきた。黄緑色が美しい木である。1列に100本、植えた。育ったら、どんな景色になるのだろう。
 その他にも、トーン・ファーンデーンという、赤い花の咲く、育てば大きくなる木を4本植えた。いったい、大木になる頃には、この図書館はもうないかもしれないし・・・・自分がどこで何をやっているか・・・いやいや、はたしてこの世にいるかなんて・・・よくわからない。ただ、この苗木自身が大木になるまで、ここで立派に育ってくれたらいいなぁ・・・と思う。


 その他に、「クン・ナーイ・トゥン・スアイ(女主人は朝寝坊)」という名前の花の苗を植えた。こんな名前がついているのは、この花は朝早くは開かずに、昼前ごろになって、やっと花を開くからである。でも、色とりどりで美しい。この花はさし芽で簡単に増えるそうである。子どもたちは、「これは私の花よ」とか言いながら、鉢に植えていたが、今後、増やして、子どもたちに配れるようになればいいな・・・と思う。絵本の「はちうえはぼくにまかせて」みたいになればいい。 

 木と花の苗を植えたあとは、今日はルークシン(直訳すると肉団子だが、肉団子というよりも、肉のすりみ団子で、つみれとかに近い)をその場で揚げて、ソースをかけて、子どもたちに配る。最近、子どもが少ないので、今日も、せいぜい30〜40人かなぁ?と思っていたら、65人やってきた。こういう時だけ、顔を見せる子もいるが、確実に、常連となっている子もいる。遊んでばっかりいる子もいるが、本が好きな子もいて、小学校3年生のアンなんかは、ついこの間まで、絵本をたどたどしく読んでいたのに、最近は絵本ではなく、結構文章量のある本を借りて行く。また、小2のターイは、学年で1番になったそうで、お母さんが嬉しそうに話してくれた。遊び小屋に近い図書館だが、少しは、図書館としても役立っているようだ。
 あまり気負わず、少しずつ育っていこう。


2011年6月7日(火) 夏休みのはじまり、はじまり〜

 さて、きょうから、図書館も夏休みタイム!
 火・水・木の開館となる。さっそく、朝からジョイーと、シーの兄妹が来て、本を読んでいる。図書館では、何冊読んだか?の競争もしているので、読んだ本のタイトルをノートに書きつけている。
 ぼちぼちと子どもたちが集まってくる。
 私は、新しいパネルシアターを作ろうと、「あかいかさ」というお話を、パネルシアターに仕立てているが、子どもたちは色を塗りたがる。
「自分で、絵を描けばいいのに」と言っても、「嫌だ、色を塗りんだ」と、みんな、先を争うように、私が、ウサギだの、キツネだのを線描きにして切り取ったものを奪い合っては、色を塗っている。中学生も先を争って色を塗っているんだから、まったく、こんなところは、やけに子どもらしいのである。妙にませているところと、妙に子どもらしいところが、まじりあっている。
「ピンクは何色と何色まぜるの?」「肌色はどう作るの?」
 えのぐで、色を混ぜるのも経験したことがないのである。何色と何色を混ぜるとどうなる?などは、あまり知らない。これは子どもに限ったことではなく、大人も知らない。小さな時に、えのぐなどで絵をかく経験がないと、なかなかわからないのだろう。だから、ここで、汚れようが、間違えようが、子どもたちがやっていくことが大切なんだと思う。


 図書館スタッフのカオさんの方も、絵のうまいユイとかターとかに、絵をかかせて、新しい紙芝居を作ろうとしている。これら、ストーリーテリングの道具?を自分たちで作って、お話会をして回りたいのである。


 
 おととい豪雨となって、川の水量が一気に増えた。臭いにおいが軽減されたのは助かるし、植えた苗木にも水がたっぷりで、枯れることはないだろう。今日も、ごろごろよ雲行きが怪しい。



2011年6月14日(火) EM菌、培養はじめました。

 先週、青年海外協力隊で、環境教育などを担当していらっしゃるトシさんに、同じ同僚で、やはりヴィエンチャン市内の役所に派遣されて、同じく環境教育などを担当している、野田さんを訪ね、EM菌のことを教えてもらった。EM液の元のものは、現在、ラオスで作っているものがあり、それを元に、水と砂糖などを混ぜ、培養して自分で増やしていけるというので、経済的でもある。
 野田さんは、まじめそうな若い男性であるが、シーコッタボン郡の役所の中で、ゴミの分別を行い、(ラオスでは、ゴミの分別収集はない)、普通ごみとごちゃまぜになっていた生ごみを、別にして、その生ごみを、EM液で発酵させたヌカとまぜて、堆肥化していたり、トイレや臭いところの掃除にEM液を使うように指導したりしているという。なかなか面倒くさいことが動かないラオスで、また、役所内という縛りの中で、よく、ここまで変えてきたな・・・コツコツとした地道な努力なのだろう・・・・と感心した次第です。
 さて、教えてもらった通り、土曜日にタートルアン広場の近くに出る、無農薬野菜の市場で、ラオス製のEM液を買い、水と砂糖を加えて、現在培養中である。
 また、いろいろと効能を書いた紙ももらったので、それの通り、拭き掃除や、トイレにも使ってみている。今、うちは、子犬が、ところかまわず 床におしっこをしてしまうので、EM液を薄めた液を使って、拭き掃除をしてみたところ、どうも、いいような気がする。図書館のトイレにも今日、まいてみた。じょうろにまぜて、花にもまいている。
 たくさん培養して増やして、じきに、川の浄化に役立つというEM団子を作って、子どもたちと一緒に川に投げ込むのが、目標である。
 まぁ、その前に、家の流しやら、トイレやら、また、堆肥づくりに活躍させていきたいものだが・・・・あきらめず、あきずに・・・・頑張りたいものである。



2011年6月15日(水) 人形劇の公演を見に行きました。


 ダンナが所属しているグループ「カオニオ」が、フランス語センターというところで、人形劇の公演をするというので、10人ほど、子どもたちを引きつれて、見に行った。公演は夜7時からなので、「図書館からいったん家に戻って、ちゃんと水浴びをして、ご飯を食べてからくるのよ」と言う。子どもたちは、夜、一緒にでかけるのが、嬉しくてたまらないらしい。もう朝から、そわそわしている。車はピックアップで、荷台に子どもたちを載せていくから、雨だと困る。昼過ぎに、雨が降りだしたら
「わぁ、雨だ。どうぞやみますように。ねぇねぇ、フアシーカイ(レモングラス)ちょうだい」と言い出す。何をするのかと思ったら、フアシーカイ(レモングラス)を、根を上にしてさかさまに植えると、雨がやむという。日本のテルテル坊主みたいなものだろう。

 ダンナは準備もあるので、5時にはでかけるというのだが、4時過ぎには、みんなもう、水浴びをして、少しだけおしゃれをして集まっている。これまでのいつもの常連の、レェ、ター、ボブ、オオン、スム、プー、ユイにくわえて、ユイの妹のテン、そして、最近毎日来る、少し年下だが、イ―とシーの兄妹も一緒に行く。なぜかみん赤いシャツを着ている。
 フランス語センターは町の中心地にあり、ヴィエンチャン住まいの彼らにしてみたら、決して遠い存在ではないはずなのに、やはり、遠い異文化空間のようで、みんな、ドキドキしたようである。なんせ、2時間前に行ってしまったので、手持無沙汰で、センター内をうろうろしていたが、図書館があったので、入ることにした。フランス語の書物ばかりであるが、絵本などもあるので、「ぜったいにうるさくしちゃダメよ。ぜったいに、お行儀よくするのよ」と念を押して入る。冷房がガンガン効いたスペースで、うちの図書館とは大違いである。
「ねぇねぇ、これ英語?なんて書いてあるの?読んで」などと言うので、
「ここの本は全部フランス語。私だって、フランス語はわからないんだよ」などと言いながら、でも、みんな、とりあえずお行儀よくして本をめくっていた。
 すでに中学にしてドロップアウトをしている子もいるので、将来に、このセンターでフランス語を勉強するような子が出てくるかどうか?は、かなり難しい。でも、自分のやる気さえあれば、不可能な話ではない。そんな世界を覗きみたことが、将来の何かにつながればいいなぁ・・・とも思う。

フランス語センターの図書室で。

 6時頃に、「腹が減った」などと言いだす。「何よ、食べてこいって言ったでしょ?食べてないの?」と聞くと、「食べてない」という子がほとんど。仕方なく、近くの一番安そうな店で、インスタントラーメンを注文して食べる。お金を持っていない二人以外は、自分たちで金を払ったが、何かそわそわした様子で、ラーメンを頼む子どもたちに、お店の人が、
「あんたたち、どこの県からやってきたの?」と聞く。まったく、同じヴィエンチャンにいても、町の中心地では、田舎者に見えるのだろう・・・と(私も含めて?)可笑しくなる。



 さて、公演は、ほとんどがフランス人系のお客さんで埋まっていて、人形劇自体は無言であるのだが、公演の趣旨などについても、ラオスなのに、ラオス語での説明はない。フランス人が中心になって支援しているアカ族の人たちが作っている人形を使っての公演であった。四季を題材としていて、実は、ラオスの人たちの季節の経験にはない世界を表現していたので、子どもたちにはわからない部分も多かったみたいで、「ぼくたちさ、フランス人の子どもたちが笑うと一緒に笑ったよ」などと言っていたが、やはり、いつもとは全然違う異文化空間を体験したことは、とても楽しかったようだ。帰り、車の荷台で、まるで遠足みたいに大声で歌ってはしゃいでいた。



2011年6月16日(木) 小さな助手?

 最近、毎日やってくるシー。小学校3年生の女の子。少しおかまっぽいお兄ちゃんのイ―と二人でいつもやってくる。家が少し遠いので、お昼にも帰らずに、いつも1日中いる。小さいのに、しっかりしているこの子は、一人前の口をきき、少々生意気でもあるが、今日は、私が絵本を訳すのをずっと、手伝ってくれる。「どろんここぶた」という絵本を、私が口で訳すを、えんぴつで、絵本にラオス語で書きつける。60ページもある話なのだが、午前中、根気強く、最後までやり終えた。絵本の翻訳はとても難しいことだから、小3の子どもと一緒にやるのは、もちろん適切じゃないのかもしれないけれど、なんとなく信用できるしっかりしているこの子は、私の訳が変なところは、直しながら、ラオス語を書いてくれた。
「きよこは、ラオス語が書けないの?」というので、「うん、あんたの方が上手だからね」と言う。



 今日もお昼も持ってこないので、お昼にフゥ(そば)をおごって、一緒に食べた。お父さんは亡くなり、お母さんは家の近くで働いているそうだ。幼稚園の先生をしているお姉さんと、お兄ちゃんのイ―と住んでいる。上のお姉さんとは相当年が離れているから、年の離れた末っ子のシーは、みんなに可愛がられて育ったのだろうけれど、きっと、今、昼間は家に誰もいず、置いてきぼりなのだろう。家から、歩いて20分くらかかるだろう図書館にいつもやってくる。

 シーがやけに、私になついて、「ダチ言葉」で話すのを、自分だって、決してお行儀のいい子ではないが、ガキ大将のレェが、「シー、おとなに向かってそんな口きくんじゃない。年上の人の頭を見降ろしちゃいけないんだぞ」とか、ちょっとむっとした顔で言う。レェは、元々はこの近所に住んでいたが、お母さんが、こつこつと貯めたお金で、少し離れたところに土地を買った途端、亡くなったそうで、その土地に建てた家に移り住んだ。今は、お姉さん夫婦と一緒に住んでいる。彼は何度も落第はしているし、決してしつけのいいお坊ちゃんじゃないが、きっと家族の中の基本的な礼儀を重んじて育てられ、身につけているのだろう。妙に、いいやつだったりするのだ。

 裏に住んでいるユイが、今日は朝から元気がないと思ったら、いつのまにか家に帰って寝ている。妹のテンが「盲腸じゃないかしら?」と心配してくるので、みんなで行ってみた。家は高床式であるが、下はごみだらけ。どうして、ゴミを平気で生活空間に捨てられるのか?不思議になるが、そのような習慣がないのだろう。腹痛は少しおさまった・・・と寝ていたが、お父さんもお母さんも出かけていて、「帰ってきても、酒に酔ってるから・・・」と言う。目が見えないおばあさんが、ユイの隣にすわっていたが、「私は何もできないし・・・・お金なんか、ないしね・・・」と言う。
「もし、本当に痛くてたまらなくて、どうしようもなかったら、言いにくるのよ。盲腸だったら大変だからね」と妹のテンに言って図書館に戻った。
 私などは、いまだに、日本に帰ると、年老いた母に、あれこれ世話になりまくっているが、親に頼れない子というのは、どんな気持ちがするものなのだろう?・・・・ユイの方は、とりあえず痛みはおさまったようで、図書館が閉まる頃、またやってきた。


2011年6月23日(木) 暑い暑い夏休み
 大変に暑い日々が続いている。図書館は、火水木、開いているが、子どもたちは、夏休みらしく?気ままにやってきて、ハンモックで揺れながら本を読んだり、絵を描いたり、段ボールで家を作ったり、靴隠しをして遊んだり、また、「木の実をとってくるねぇ」などと、どこかにある、食べられる「なりもの」の実をとりに行ってきたり・・・と、のんびり1日を、自分のペースで過ごしている。本当に、夏休みっぽい。

 朝から、日差しがとても強く、本当に暑い。雨も最近、あんまり降らない。
 さて、ここ2日間、図書館をにぎやかにしているのは、ストローをリードにしたブーブーラッパである。まるで、水牛やらが大騒ぎしてるようで、決していい音ではないのだが、思いっきり、おならのような音がでるのは、吹いていておかしくて、笑ってしまう。ボール紙で、筒をつけて、みんなで手作りのラッパを吹きならす。あんまりうるさいので、
「これ、家に持って帰っていいからね。明日、図書館に持ってこなくていいよ」と。
 中1のターは、ストローを短く切ってみよう・・・・長くしてみよう・・・・音がどう変わるかな・・・なんて言いながらやっている。



 私も、あんまり調子に乗って吹いたので、図書館が終わったあと、急にめまいがしたようであった。

 図書館には、毎回、20~30人ほどで、大勢くるわけではないが、たいてい、みんな1日中いる。何が楽しいんだか、勝手に遊べるところが楽しいんだろう。
 ここ数日、本当に半年ぶりくらいに、スッグという男の子が弟を連れてくる。彼は、小2であるが、前は読めなかったに、本を読めるようになっている。自分で、一生懸命、本を読んでいる。久々に来て、楽しかったのか、それからは、ここ数日毎日やってくる。今日もやってきて、本を借りていった。


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