2011年7月13日(水) 若手?日本語の先生

 夏休みになると、サバナケート県から、ダンナの友人の甥っ子がやってくる。ダンナの友人は、今、隣の家に住んでいるから、そこに寝泊まりしているが、3年前に私たちが結婚した当初、なぜかダンナにくっついてきた友人は、うちの空き部屋に住み、その友人を訪ねてきた甥っ子もそこに寝て、新婚早々、なぜか他人の甥っ子まで同居していて、私は、とても耐えられなかった。また、その子が、朝から晩までテレビを見ていたのに、私は本当にいらいらした。まず、いきなり他人が居候としてやってきて、その居候もその甥っ子もテレビを見続けているのに、本当に怒って、「私は、このスペースで働いているんだから、うるさくされると困る」と言うと、音を小さくして、テレビに張り付くようにして見ていた。それにも頭にきて、友人の方に、「大人が、子どもが1日中テレビを見ているのを容認しているのが、親切だとは私は思わないね」と言ったのだが・・・・そうしたら、なぜか、私の視界からテレビが消えて、友人の部屋の中に置かれた。
 その友人の甥っ子であるが、そんな私を怖いと思わなかったのか?はわからないが、それ以降も毎夏やってくる。今は、家を隣につくった、その友人の家に泊まっているから、いくらテレビを見ていても私が怒る筋合いではないが、高校2年生となった今年は、なんと図書館に毎日顔を出して、子どもたちに、日本語を教えてくれている。
「ぼく、独学しているんだ」と言う。遊び半分に勉強したいという子どもたち相手に、なんとも熱心に教えているので、関心する。テレビッ子かと思っていた彼は、今はなかなか読書好きの勉強家であり、独学で日本語をあそこまで勉強しているのは、なかなかである。 でも、昨日は、子どもたちに、
「あなたはお元気ですか?」
「はい、わたしはお元気です」
「いいえ、お元気ないです」
 とか、教えているので、「自分のことを言うときは、『お』は付けないんだよ。おっていうのはね、相手を尊敬したり、持ち上げたりする時に使うけど、使い方は難しいの。おをつけても意味は変わらないけど、使うのは、相手の名前を聞く時の『お名前」とかに使うけど、日本人でも間違えるくらいだから、難しいんだよ」と言うと、とても真剣に聞いている。
 彼は、日本に留学したいのだそうだ。私みたいな、おっかないオバサンもどきがいたというのに、よくもまぁ、日本に興味をもったものだと思うが、子どもたちの相手を真剣にしている姿と、勉強好きな姿勢に、すっかり彼を見直した。
 子どもたちも、少し年上のお兄さん・・・が毎日図書館に来るのが嬉しくてたまらないようだ。

 今日は、夕方、うちにやってきて、「ご飯何食べるの?」と言って、うろうろしているので、「腹減っているんだろうなぁ」と思い、「ご飯一緒に食べる?」と聞くと、「ちょうど何も食べるもんないんだ」と、やってきた。叔父さんに当たる友人は、夜、遅くまでレストランで働いているから、夕食はそれまで待っているか、一人で食べるかなのである。毎食は、呼びはしないのだが、たまに一緒に食事をしている。私の方も、図書館を通して、いろんな近所の子どもたちと接する中で、少しラオス的に?丸くなった・・・と言えるかもしれない。

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 夏休み、やはり、両親の田舎に帰っている子も多く、図書館に来る子も限られているが、この辺りの子どもたちの田舎は、比較的近くの、ヴィエンチャン郊外であるようだ。
 1カ月ほど前、図書館の隣の家の家族が田舎へ帰って行った。お父さんは、屋台を引いて、ロティを売っていた。お母さんも、屋台を引いて、ジュースなどを売っていたが、これでは、生活が大変だったらしい。ヴィエンチャンから引き揚げて、いつのまにかいなくなった。いつか、子どもの誕生会というのに呼ばれた時、子どもの誕生日を言い訳にして、大人たちが、ゴザを敷いて、ビールを飲んでいたが・・・・お父さんが、「ぼくの本当の家はここじゃないんだ。ぼくの家はバン・クン(ヴィエンチャンより1時間ほど離れた農村)にあるんだ。いつか、そこに遊びに来てよ」と、日本人の私と何を話していいかわからなかったのだろうが、何度も何度も言っていたのを思い出す。
 みんな、都会での仕事を求めて、現金収入を求めて出てくるのだろうが、なかなか、ここで生計を成り立たせていくのは、簡単ではないのだろう。
 その代わりに、その家に入ったのは、図書館にもよく顔をだす男の子、スックの家族である。道路の反対側から引っ越してきた。先日は夜中に、夫婦喧嘩をしていて、お母さんが、絶叫するように怒り続けていたのが聞こえ、これじゃ、子どもはいたたまれないだろう・・・・とあ然としたのであるが、そのスックは、最近は、字もよく読めるようになり、よく本を読みにやってきて、声を出して、なかなかすらすらと読んでいる。午前中、図書館にやってきていたスックが、昼過ぎに、大きな袋を持って歩いている。
「何やってんの?」と聞くと、「クズ鉄を拾っているんだ。クズ鉄売るんだよ。あったらちょうだい。ここで待ってるから」と言うので、「あった時には、スッグにあげるよ。今、すぐにはないけど・・・」と言うと、「あったらぼくにちょうだいね」と言って、歩いて行った。
 なかなか、子どもたちも大変である。


2011年7月17日(日) 川遊びに行く

 昨年の8月、文庫基金に援助下さっている石川県の「清水基金」の木崎さんがいらしておりに、子どもたちと一緒に、川遊びに行った。それがとっても面白かったのだろう、それから子どもたちはずっと「また行こうよぉ、今度いつ行くの?」と言い続けていた。
「今度、ノリ(木崎さん)が来たらね」
とずっと言っていた手前、今回いらした折に、またまた川遊びに行った。ここのところ、雨模様の天気なので、心配していたが、薄曇りのような天気で、ちょうど川遊びには最適だった。
 ヒンカナーという、ヴィエンチャンの郊外30分くらいのところである。中1の子を中心に10人連れていく予定にしていたが、実際には12人、お姉さんが2人くっついてきた。

 ここは、自然の川を堤防で水量を調節して、流れるプールみたいになっている。堤防からは、ナイヤガラ?のように水が流れ落ちていて、その中に入ると、水の壁の中に入るようで、別世界、面白い。堤防の上はプールのようになっていて、さんざん遊び疲れた後、子どもたちは「泳ぎを教えてよ」と、腹打ち飛び込みをしては、ばしゃばしゃ不器用に泳ぐ。
 ラオスの学校では普通プールの授業なんてないから、みんな正しく?は泳げない。私も泳ぎは下手だし、服を着たままサンダルもはいたままなので、あまりよくは泳げないが、平泳ぎをして見せても、初めて見たようで、「なーにそれ、どうあって泳ぐの?教えて教えて」。仰向けに浮いて、背泳ぎの真似をしてみると、「わぁ、すごい・・・どうやったら浮くの?」と。
 男の子のターは特に熱心に、「ぼく、仰向けに浮けるかなぁ…背中支えていてよ」と、何度もやっている。彼は小さいが、中1である。
 ヴィエンチャンから、ここらへんの川に遊びに来ようと思うと、まず車がないと無理である。今日、ここに来た子どもたちの中には、一回も来たこともない子も多いだろう。今、図書館の前を流れる川はドブ川、とても遊べるような川ではない。



 日曜日でもあり、午後からは、イモの子を洗うよう?で、混んでいたが、心いくまで楽しんだ川遊びでした。

2011年7月18日(月) 近所を探索

「月曜日は図書館はお休みだから、ノリさんを、みんなのおうちに案内してよ」
と言うと、子どもたち、「ダメ」という。「うちには案内できないよ」と。
 というのは、うちの近所の子どもたちは、借地にバラックを建てて住んでいるようなおうちが多く、彼らは、恥ずかしいと思っているらしい。とても、案内できないよ・・・と言う。
「じゃあさ、家までは行かなくていいから、この近所を案内してよ」
と言うと、「なら、いいけど・・・・」ということで、ドンパレープ探索をすることになった。実は、私自身、ここに住んでからもう3年になるけれど、近所をあまり知らない。何人かの子どもの家には行ったことはあるが、中には入ったことがない。
 朝、7人ほどが集まっていた。一緒にぶらぶら歩きはじめる。まずは川沿いに。

 実は、今回、ノリさんに買ってきてもらったのだが、アクアリフトという、バクテリアでヘドロなど分解するというバイオ製剤を持ってきてもらった。それを、ドブ川に落として、どれくらい効果があるものだか、やってみたかったのである。子どもたちは
「そんな一つで、川がきれいになるとは思えない」と言う。それは、そうだ。まず、ゴミを捨てないことやら、排水を考えなければ、どうしようもないだろうけれど、ひどい時は、匂いが耐えられないという状況まで、ここらへんの汚染もひどくなってきている。とにかく、ネットで見つけて、試してみたかったのである。
 図書館より上流50メートルのところで、川は、護岸工事をしていない自然の流れと合流している。合流点ははっきりと、二つの流れの水の色が違う。
「あれ、排水路の方がきれいですね」とノリさんが言うので、
「違いますよぉ。自然の流れの方は赤茶の泥色をしているけど、排水路の方がもっと黒いじゃないですか・・・」と言うと、「あぁ、よく見ると本当だ」と。黒いのでうっかり青っぽく見えるのである。排水が多く流れ込む水路の方は、本当に流れがどす黒い。
 そんな中で、川の中に入って魚をとっている人がいる。歩くと、ヘドロのどす黒い色が、水面に浮かんでくるのがわかる。ひぇ〜、こんなところで、魚をとるのかぁ・・・・・・しかし、確実に年々、魚も減っているようである。一つで、どれほどの効果があるかどうか・・・・わからないけれど、とにかく、一つを川に投入してみた。今後、経過はまた報告。

 さえ、その後、ブタやアヒルや鶏を生きたまま売っている肉屋?を通り過ぎ、あちこちの路地を曲がって行く。一歩中に入ると、舗装をしていない道が多いので、泥どろ。
「ボビーを誘っていこうよ」
というので、ボビーの家の前に行き、呼び出して、ボビーも一緒に歩く。他の子どもたちは、自分の家の前を通らせたくないようで、その道を避ける。無理やり行くのも何なので、
「ベトナム学校へ行こうよ、私行ったことないんだ」
というと、みんな「そうだ、行こう行こう」と。ベトナム学校は、この辺りでは、ベトナム系と、教育熱心系の子どもたちが行く私立学校である。思ったよりも大きく立派で、中では大勢子どもたちが遊んでいた。夏休みだけど、補習をやっているのである。普通の公立学校の子と、ますます差は開く一方だろう。少しでも経済に余裕ある家は、最近はみんな子どもを私立に行かせるから、公立学校はますます、人数も少なくなる。子どもの教育も格差は開く一方だ。
 門番がいて、勝手に学校の中には入れない。外から眺めて、また歩いていく。驚いたことに、ここら辺には、おそろしく大きくて立派な家が多い。しかも、昔からあるのではなく、最近建てたような家である。
「へぇ〜。この地域、豪邸地域だったんだぁ」とびっくり。タイのテレビドラマに出てきそうな、超豪華なお屋敷もある。この辺りは、比較的最近まで開発されていなかったので、最近土地を購入して、家を建てた人たちだろう。
「あれ、うちだよ」などと、子どもたちは、豪邸を指差して笑うけど、内心、どんな気持ちなのだろう?

 1時間ほど歩いただけだったが、ますます格差の広がりつつあるヴィエンチャンを目の当たりにして、複雑な気持ちがする。ある程度はわかっていたつもりだったが、歩く範囲内の中で、ここまでの格差ができているとは・・・・・・こんな勢いじゃ、この子たちが住んでいる家も、いつ住めなくなるかもわからない。どんどん開発の手が入ってきていて、土地もどんどん価格が上がっているから、地主は、いい話が入ってきたら、安く土地を貸すなんてこともやめて、高く売ってしまうだろう。小さくとも土地があって自宅がある家はいいが、借地にバラックを建てて住んでいる家は、いつどうなるかわからない。そうなったら、子どもたちはどこへ引っ越していくのだろうか?どうなっていくのだろうか?

 
 
2011年7月29日(木) 日本より、かわいいお客様

 昨年秋、私たち夫婦が日本でお世話になったのだが、島根県の出雲より、野津さんと、ラオス人の奥さまプッタワンさんの長女、せいかちゃんが、ラオスにやってきて、私たちの図書館を訪ねてくれた。お母さんが、日本語が上手で、ずっと日本で育っているため、せいかちゃんは、日本語しか話さない。でも,お母さんとの約束で、小学校6年生になったら夏休みにラオスに1カ月行くということになっていたそうだ。本当は一人でやってくるつもりだった。でも、12歳以下は、一人では飛行機のチケットが発券されないとか?いろいろと問題があり、結局、お母さんが一緒に2週間やってくることになった。いくらお母さんの実家があるとはいえ、たった一人で日本からやってくるのは、あまりにも心細いだろうから、お母さんが一緒でよかったのだ。うちに1泊するという、半日のお別れに、せいかちゃんはちょっぴり涙を流し、お婆ちゃんも涙した。
 でも、せいかちゃんは、覚えたてのラオス語を連発して会話を盛り上げ、犬たちと遊び、元気にご飯を食べて、そして次の日、日本の小学校の制服を着て、図書館に顔を出した。

 ところが、なかなか、子どもたち同志は、最初は打ち解けない。
「自己紹介して」と、順番に回しても、名前は言うけれど・・・・・それで終わり。特に同じ年齢くらいの女の子たちは、妙に意識しているのか、「何話したらいいか、わかんないもの」とか言って、自分たちだけで、おはじきかなんかをやっていて、まったく、友だちになろうという努力をしない。
 まったく、困ったな・・・と思っていると、本当は興味津々の小4の男の子ジョイーが、
「あの、日本のお姉さんに、何か日本のお話を読んでほしいんだけど」と言う。
 せいがちゃんが選んだのは、「ぐりとぐら」。せいかちゃんが読むぐりとぐらを、私が訳して話したが、せいかちゃんの声はとてもかわいらしく澄んだ声で、小さい子どもたちも、何度も見て知っている話だけど、ちゃんと聞き入っている。いつも、あれこれはしょって話をしている私は、改めて、「ちゃんと文章を読むというのは、なかなかいいものだなぁ・・・・」とか反省なんかもした次第。



 最後は、みんなでゲーム。2つにチームが分かれ、チームリーダーが、自分のチームのメンバーに、相手に知られないように名前をつける。「マッグアイ(バナナ)、アップン(りんご)、マックキアン(みかん)・・・・・」とか、「ドックラー(バラ)、ドックタウェン(ひまわり)、・・・・」とか、花でも果物でも何でもいいわけだが、覚えられないようなヘンテコな名前を考えてつけると、チームリーダーが忘れてしまって困るわけなのだが・・・・そして、じゃんけんをして勝った方が、相手のチームの誰かの目を隠して、「リンゴ」とか呼ぶわけである。すると「リンゴ」の名をもらった子が、そっと来て、目かっくしされている子のどこかを触って、自分の列に戻る。目隠しされていた子は、その「リンゴ」が誰だかを当てる。はずれたら抜ける。人数が先にいなくなった方が負け。
 さて、「アップン=りんご」の名前をもらったせいかちゃん。最後まで残り、誰が触ったかを、ちゃんと指差して当てていて、あっぱれであった。
 お昼前に、お母さんと親戚の人たちがお迎えに来てくれ、急にほっとした顔になっていたけれど、こうして、一緒に遊んだことが、せいかちゃんにもみんなにも、夏休みのヒトコマとなることだろう。



せいかちゃんを囲んで。



2011年7月29日(金) 子どもたち、がらがらどんを稽古する
 

 木曜の午後、最近はあまり図書館に顔を出さないダンナが、いきなり、子どもたちに、「三匹のやぎのがらがらどん」の芝居の指導をはじめる。8月1日にやってくる香川から20数名のお客さんがやってくることになっているのだが、その時に、見せようというのだ。
「あんまり急じゃないの?間に合わないよ」と私は思うけれど、
「ちゃんと本気でやれば、間に合うよ」と、急遽やることになる。
 金曜日の朝、ダンナが、ラオスの家庭にはどこにでもある、もち米を蒸す籠を使って、ヤギの面を作るのを、子どもたちが手伝う。ボビーは、工作が好きなのだろう。すぐ手伝いはじめる。トロル役のジョイーは、トロルの髪として、足ふきマットをほぐして縫い合わせている。


籠からやぎのお面を作る。


背景の絵を描く。

大やぎがユイ、中やぎがなぜか一番小さいボビー、子やぎがボビーより背が高いピー、そしてトロルが、ちょっと女っぽい男の子ジョイーというキャストで、適役かどうかはわからないのだが、練習をした。
 

大やぎと中やぎ 「あぁ、腹が減ったなぁ」


子やぎが橋を渡っていると、トロルが飛び出してくる。あまり恐ろしげではないのだが・・・・




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