東チモールの子どもたちに「おはなし」を届けました

                                           2004年5月

         

                           

たいへんご報告が遅くなりました。

2004年2月23日から3月14日、3週間、絵本を持って、東チモールへ行ってきました。

やっと絵本を届けられた〜!!

そして、たくさんの東チモールの子どもたちとの、「おはなし」を通した出会いがありました。

 しあわせ者だな、と思いました。私は、本当にカタコトのテトゥン語でお話をするのに、それでも、子どもたちは絵本のおはなしの世界が本当に楽しいようで、本当にうれしそうな楽しそうな顔になるんです。そんな顔に出会えるのは、ホントーにしあわせだな・・・とつくづく思いました。

はじめは恐る恐る「こいつは何だ?」と遠巻きに見ていた子どもたちが、絵本をきっかけに、どんどん心をひらき、めちゃくちゃ楽しんでしまうんです。子どもたちの「おはなしを楽しむ力」に圧倒されてしまう・・・という気がします。

世界中、どこの子どもたちも、みんな、本当に食べ物と同じくらい、おはなしが好きで、楽しむんだなぁ・・・と、あらためて、おはなしの力を強く感じたことでした。

         

これまでの経過

 昨年はじめて東チモールへ行きました。ただ遊びに行ったつもりだったのに、日本に戻ってきたら、どういうわけか?いてもたってもいられなくなり、「東チモールへ絵本をおくろう」と言いだし、そして、たくさんの方からご協力頂き、絵本が集まりました。

 正直なことを言うと、多くの方がご協力下さり、絵本が集まった頃、私は、「つて」もあまりないのに、本当に絵本をちゃんと届けられるのかしら?と不安になりました。でも、乗りかかった船、やるっきゃないぞ!!と気ばかりはあせるものの、いったい、向こうの受け入れがない所に、いきなり絵本を持って乗り込んで、いったい何ができるのだろうか?私はとても傲慢なことをやろうとしているのではないか?という気もしてきました・・・でも、言い出しっぺだし〜本も集まったし〜「行こう!」と決めたのでした。

 集まった絵本のうち18タイトルほどを、知り合いのインドネシアからの留学生、エロック・ハリマさんが、インドネシア語に翻訳してくれました。

 と言っても、東チモールの公用語はテトゥン語。インドネシア語は、今はいわば敵国語なのです。でも、今の若い世代に一番通じる外国語でもあるのです。私は前回行った時に、カタコトのインドネシア語を通して、中学生の女の子にテトゥン語を教えてもらい、絵本を話しました。感情的には、きっと複雑なのでしょうが、現状で、テトゥン語に訳すために一番便利なのはインドネシア語なのだろうと思い、エロックさんに協力して頂きました。たまたま、エロックさんの友人のアグースさんは、インドネシア人のジャーナリストで、東チモールの取材中にインドネシア軍に殺害され、東チモールの土に眠っているといいます。そんなことも不思議な縁だったのか、エロックさんは忙しい中、本当に一生懸命訳してくれました。

 また、ポルトガル語に訳してくれる協力者も現れました。神田外国語大学の学生さんたちのボランティア団体「Gift」のみなさんと、ポルトガル語学科の高木耕先生です。東チモールは長い間、ポルトガルの植民地だったため、インドネシアが侵攻する前の世代の人々はポルトガル語で教育を受けています。それはそれで、また事情は複雑ですが、今、学校ではポルトガル語の授業もあり、子どもたちもポルトガル語を習い初めています。また、テトゥン語は未熟な言語だそうで、ない言葉や表現があり、代わりにポルトガル語の単語がたくさん使われています。・・・・というわけで、ポルトガル語なのです。「Gift」のみなさんは、出版社にかけあって自主的に絵本を集めたり、翻訳貼りを手分けしてやってくれたり、とおおいに活躍してくれました。そして、今回の絵本運びの旅にも、高木先生と、現在4年生の細野亜希子さんが同行してくださり、本当に心強く助かりました。

 また、テトゥン語にも翻訳してくださる方がいました。東チモールで長く働いていた高橋茂人さんが帰国してまもなく、たまたま同じ駅(阿佐ヶ谷)に住んでいたので、ぜひにとお願いしました。数冊を訳して頂きました。

ということで、テトゥン語、インドネシア語、ポルトガル語、いずれかの訳を貼った絵本を、訳100冊ほどを持っていきました。

→これまでの詳しい経過を読む方











イリオマールの図書館を訪ねる

 イリオマールというのは、東チモールの南側、首都のディリから車で1日かかる(公共のバスを乗り継ぐと、2日かかった)、郡の中心地の、小さな村だか町だか・・・である。そんな辺鄙なところに、中口尚子さんという女性が、小さな図書館を開いた。

 中口さんと出会ったのは、昨年12月、彼女からメールをもらって東京で会った。中口さんは、元々東チモールの関わりは長いのだが、事情があって、現地での仕事は辞めて、日本に戻ってきているところだった。彼女は、また単身東チモールへ渡り、イリオマールという奥地で、子ども図書館を始めたいのだという。

「東チモールの子どもたちは、心のトラウマを抱えている。小さい時に、肉親の虐殺や、家の焼き討ちなどに会った子も少なくない。その子どもたちの心に、楽しい世界を伝えたい」と言う。そして、イリオマールというのは、これまで、あまり援助などが入ったことのない場所だという。偶然にも、そんな人と会うことができた。そんな場所で、私たちが翻訳した絵本を役立ててもらえれば、一番いい・・・と、私はイリオマールを訪問することを約束した。

 のはいいものの・・・イリオマールとは、当然電話も通じず、連絡ができない。こんなので、行けるのかなぁ・・・と不安であったが、ディリにオフィスがあるNGO「East Timor Desk」の徳さんが、あれこれお世話してくださり、右も左もわからぬディリに着いた翌日、車をチャーターして、イリオマールに向かうことができた。イロハ〜〜ニホヘトトト坂という感じの道もあり、私は珍しく車に酔ったが、夕方、なんとかイリオマールに到着した。

 イリオマールの朝は、トタン板の屋根を鶏?鳩?が走り回る、バタバタバタバタ、ドンドンドンドンという鳥のにぎやかな足音で目が覚める。裏のつるべ井戸で水を汲み、そして、掃除。中口さんの住居は、図書館スペースにしている部屋の奥である。図書館(といっても、普通の家。壁には黒く焦げた跡も残っている)に住み込んでいる?家を図書館にしている?という感じ。ご近所のマリアおばさんが届けてくれた、自家製のパンとコーヒーで朝食。そして、中口さんは図書館の入り口にかかっている札を「TAKA(closed)」から「LOKE(open)」にひっくり返す。

 今、近郊の学校の先生たちが交代制で、図書館の係として来ている。彼女自身も、資金やいろいろな事情で半年のつもりなのだ。本当は、半年で図書館を開いて引き継げるかしら?と思うところであるが、一応そのつもりだそうだ。というわけで、学校の先生たちの中から、館長さんも選ばれている。女性の先生である。けれど、時間通りに来ない人もいるし、図書館とはなんぞや?をまだ理解しているとは言い難いみたいだ。中口さんは、家の入り口に座って、子どもたちの名前の登録、貸し出し作業に追われている。


図書館で本を見る子どもたち
みんな、声を出して本を読む

 子どもたちは、何やら、図書館内に見慣れない連中がいるのを見ると、外からうかがうようにして、なかなか近寄ってこない。かなりシャイだ。木の後ろから伺っている。こちらが顔を出すと、きゃあ〜と逃げるくせして、またそろそろと近づいてくる。こっちが行くとまた逃げる。中口さんも「こっちの子はシャイだから、あんまりやると来なくなってしまいますよ」という。私はしばらく中にひっこんでいたが、とうとう我慢できなくなって、「おおきなかぶ」を持って、遠目で様子をうかがっている子どもたちに、絵本をかざした。おじいさんがかぶを植えているページを、子どもたちに見せ、「サイダ?(何だろう)キックリウ(小さすぎる)」といって話はじめると、子どもたちはもう後ずさりすることなく、目をまん丸しにして、少しずつ近寄ってくる。「イダ(1)、ルア(2)、イダ、ルア」と、カブを引っ張る真似をして絵本を引っ張る頃には、あちこちから子どもたちが駆けてきた。「さんびきのやぎのがらがらどん」「ガンピーさんのふなあそび」と、私の定番となっている話を、付け焼き刃のテトゥン語で。小さい子どもたちはまだきょとんとしているが、いつのまにか集まってきていた中学生ほどの大きな子どもたちが、「ベレ・アミ・トゥイ?(一緒に行ってもいい?)」という、絵本の中の問いに、「ベレ(いいよ)」と楽しそうに答えてくれる。その後に、「手をたたきましょう」をやったのだが、これが、この後ここイリオマールで、大流行になってしまった。


「さんびきのくま」を話す。東チモールにはくまがいない。
子どもたちに、くまの絵を指して「サイダ?(何?)と聞くと
「レキラウク(サル)」と言うので、「さんびきのさる」として話してしまっった。
いいのかなぁ?


1週間の滞在の最後の頃には、「手をたたきましょ!」「××○○〜マショ!」とはっきりと発音ができるようになっていた。そんなに日本語の発音がびっくりするほどクリアなのに、「あし〜ぶ〜みシマショ!ブンブンブン」となるのが面白いのだが、小さい子だけではなく、図書館の前を通る中学生たちまでが、面白そうに口ずさんでいる。

 子どもたちに話をしていると、いつのまにか、大きい子たち・・・中学生たちも集まってきて、いかにも楽しそうに大笑いしている。こんな大きいのにホントに無邪気に大喜びしている。この年代の子どもたちはきっと、小さい時に、肉親が殺されたり、家が焼かれたりしている光景を目の中に持っているだろう。中口さんの話では、大人たちが抵抗運動の話し合いを家の中でしている時など、子どもたちは外で遊んでいて、もしインドネシア兵などの姿が見えたら、子どもたちは歌をうたって知らせたのだという。子ども心にいつもどこかに不安を抱えて過ごしていたに違いない。そんな年代の彼らこそが、もしかしたら、無条件に何の不安もなく、ただ楽しめるこんな絵本の世界を、そしてそんな時間を、今取り戻すことを必要としているのかもしれない。


学校の休み時間に図書館に来た子どもたち。もうお話のセリフは
覚えてしまったのに、また絵本を聞きたがる。よっぽど楽しいのか
テトゥン語で歌って踊りだした。

 イリオマールの図書館。小さな部屋だけれど、子どもたちが来ては一生懸命に、声を出して本を読んでいる。先生が辞書を食い入るように読んでいる。近所の大人たちや先生たちが、私たちが持って行ったインドネシア語やポルトガル語に訳された絵本を家に持って帰っては、テトゥン語訳をつけてもってくる。お隣のおじさんが、翻訳作業を終えた「スーホの白い馬」を抱えて、中口さんを訪ねてくる。なんだか熱い気持ちになった。こんな場所が、東チモールの片田舎の村にできている。それはどんなに大きなことだろう。

せっかく動き始めた中口さんのこのイリオマール図書館がずっと続いていくように、どうやったら応援できるだろう、と思っています。この図書館を訪ねて、山の中に小さな図書館ができること・・の意味を教えてもらった気がするのです。



グレノ 4日だけのベランダ図書室    

ディリから山道を1時間半ほど上ったエルメラ県、グレノ郡。昨年、友人が働いていた、保健活動をしているNGO「シェア」のオフィスを訪ねた。私はそのシェアの日本人スタッフ宿舎に泊めてもらったのだが、裏に住む大家さんと近所の子どもたちと仲よくなったことが、東チモールに絵本を送りたいと思うきっかけだった。そこで、どうしてもまたグレノを訪ねたかった。家に着くと、裏の大家さんの家の5人姉妹の末っ子、くるくる髪のルシアがさっそく会いに来た。

「アミ・コンテンティ(私はウレシイの)。アミ・ゴスタ・ハリマル・ホ・キヨコ(私はキヨコと遊ぶのが好き)」と、わかりやすいテトゥン語で言ってくれる。5歳くらいの子が、一生懸命に気持ちを伝えてくれるなんて、嬉しい。

 さっそく、宿舎の前のベランダは、臨時図書室になった。昨年、数日来て絵本を数回読んだだけなのに、子どもたちは覚えている。

「モド・ボーッド(大きな野菜→かぶ)」「ガンピー」と・・絵本を出すと、目を大きくひらく。

 おねえちゃんのソニアは、インドネシア語訳の文章を一生懸命読み出した。中学1年生だが、インドネシア語が読めるのだ。彼女は、1冊1冊丁寧にお話を読んでいく。近くで騒いでいる妹たちには構わず、何冊も読み終わると顔をあげ、にっこりして「ゴスタ(好きだわ)」と言った。それから、翻訳をした「エロック・ハリマ」という名を見て、「ありがとう、エロック・ハリマさん」と言った。
    

 小さい子たちは、私を真似て、「かぶ」をひっぱる真似をする。それがうまい。「イダルア(いちに)〜」としかめっつらをして、本当に力を入れて、絵本をひっぱっている。他のお話もすっかり覚えてしまっていて、私に話してくれた。さんびきのやぎ、さんびきのくま、はらぺこあおむし、しーっ、ぼうやがおひるねしているの・・・・

みんなそれぞれ好きな絵本を持って話しはじめる。カルメリータは、「3くま(さる)」の絵本。椅子が壊れた所では「あ〜ん痛い、え〜ん」と泣き、声音を使い分けて話している。もう数日間の間に、すっかりお話を楽しんでいる。おねえちゃんのソニアは、インドネシア語で読んだ絵本をテトゥン語で話してくれた。

 学校は二部交代制なので、みんな午後、私がいると、ベランダに集まってきた。絵本におえかき、そして歌。たった4日間だけ、ベランダは図書室になった。子どもたちは、この数日間で、すっかり絵本が大好きになった。どんどん勢いよく吸収している。どんどん、心の風景を広げているんだろう。

 このまま続けられたら、どんなにいいだろうと思った。でも、旅行者のはしくれに過ぎない私には、今回はこれくらいのことが精一杯だった。

 でも、こうなると、またまた子どもたちに会いたくなってしまうのである。だけど、一人でやることには限界があることを・・・感じたことも確かでした。

ご協力ありがとうございました 

 今回の旅で、東チモールの子どもたちに絵本が「少しは」届けられました。ただ、図書館活動をやっている受け入れ機関の情報などがあまりなく、受け入れも決まっていないのに、たくさん持っていってもどうしようーということもあり、翻訳ができた絵本を中心に3冊づつ(3カ所分)計 約100冊 を持っていきました。というようなわけで、集まった絵本を全部届けたわけではないので、どうぞご了承下さい。届け先は

1.イリオマール図書館

2.グレノのシェア=国際保健協力市民の会

3.バザルテテの幼稚園(中村さんというシスターが関わっている修道会の活動で、日本人、ポルトガル人のシスターたちがバザルテテという所で活動をしている。幼稚園を開いて、絵本を必要としていると、中口さんより聞き連絡を取り3日間訪ねた。読み聞かせの他、人形の作り方などを教えたりしました。)

以上です。今後どうするか?については、今後、中口さんなどに相談していきたいと思いますが、中口さんご自身も帰国されることもあり、どのようになるかはまだわかりません。彼女からのメールでは、最近東チモールで図書館活動をしているグループの初会合があったそうです。現在、13カ所に「図書館」があるそうです。今後、確実に図書館活動の必要性は増していくことでしょう。

今回の旅では、「はじめの一歩」を跳んだら、また同じ所に着地した・・・って気分です。届けた絵本で文庫を作ったりなどという形にすることはできませんでしたが、確かに、何百人かの東チモールの子どもたちに、「おはなし」を届けることはできたと思います。きっと何人かの子どもたちの心の中には、何かが残ってくれたのではないか?と思っています。

東チモール、アフガニスタンと最近あちこちをまわる機会があり、私はこのような活動の重要性をますます感じています。つながっている空の下、いろいろな所に「おはなし応援」に行くのも楽しいなぁ・・。

一方、イリオマール図書館に刺激され、自分も、ラオスのモンの村で、小さな図書館(文庫?)を作りたい・・・という気持ちも強くなってきています。
また、まだ私の手元にある、みなさまから頂いた絵本については、これからも、ちゃんと子どもたちの手に届けていきます。

私自身は、子どもたちと絵本と、出会いを重ねることの幸せを感じます。でも、それを自分に返ってくる体験としてだけではなくて、もっといろいろな人と子どもたちと絵本との出会いに広げていかないといけないんだなぁ・・・と思うこの頃です。

いろいろと、みなさまのご協力、本当にありがとうございました。心より感謝します。

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