ラオスからこんにちは3                                     
2003年5月4日


お久しぶりです

今日、涼しかったラオスの北、サムヌアから、暑いビエンチャンに戻ってきました。帰りは、陸路で戻るのも面倒くさくなり、17人乗りの「落ちるかも」しれないプロペラ機で帰ってきました。1時間半。私は、もちろん、落ちやしない!と信じていますが、案の定、無事つきました。

サムヌアを訪ねたのは2年半ぶりでした。一見のんびりとした暮らしは変わっていないし、山の中に入ってしまうと、いったい世の中で何が起きているのか?日本で地震が起きても、どこかで再び戦争が起きても、SARSが世界中に広がっても・・・わからない・・・・というような、さっぱり世の中の情報とはかけ離れてしまう世界です。サムヌアでは、1人だけ、西洋人の女の人がマスクをしているのを見ましたが・・・・・

人々は、そろそろ稲の種まきの準備をしています。毎日、山から採ってくる筍をごちそうになり(これがほとんど毎日のおかずです)、私は、今回の目的である、ブルーモンの民族衣装作りの取材で、あちこちの家を訪ねては、女の人たちに話を聞いてまわったのですが、いちいちみんなから、「もう、ずっと長い間来ないから、いよいよ、やっと結婚したのかい?」と言われ・・・・「してないよ」と言うと、・・・・あらまぁ・・・という顔をしながらも、みんな「結婚なんかしなくていいよ。女は結婚すると動けなくなってしまうから、もう村にも来られないものね・・・」と必ず慰めて?くれ・・・・4〜5歳の子どもたちがすでに美しい刺繍をしているのに、改めてびっくりし・・・・・これまで6回訪ねているこの村で、毎回、藍染めのスカート作りを見せてもらっているのですが、毎回、新しい発見があり、面白いのです。そして、やっと、村の人々ともかなり顔なじみになり、子どもたちとも親しくなりました。

朝、茂みに入って用を足そうとすると、(普段は近づくとビクビク逃げていくのに・・・)何故かこの時ばかりは、ブタがブヒブヒと嬉しそうに、人待ち顔?でついてきて、しっし!と言っても逃げずに、鼻をひくひくさせながら、短いしっぽをピコピコふっちゃって、人が用を足すのを待っている。ブタは人の落とし物を食べるんです!げ!すきあらば、お尻をつつかれそうなので、棒なんか持っちゃったりして、しっしと脅しながら(ぜんぜん脅しにはなりませんが)・・・ただごとではなくて、困ってしまうのですが、2日目に、村の唯一のトイレ!を見つけ(あまり使われていないようでしたが)、この時ほど、嬉しかったことはありません。

でも、トイレは家畜たちの通り道にあるので、牛や豚や山羊や鶏のウン*ロードを通っていかなくてはいけません。

げげげげ・・・・・どっちもどっちだけど、やっぱり、個室に限ります。こればかりは・・・・・



ぶたのおしり・・・・あぁ、のんびりと・・この世は シ・リ・ワ・セ  じゃなくてシアワセ

この村は山の奥ですが、川で自家発電をしているので、電気があり、2年前にはなかったビデオが入っていて、毎晩、テレビのある家は(テレビはアンテナがないので映らない)、ビデオ小屋と化して、人々でにぎわっているようでしたが、やはり、静かな村には変わりありませんでした。

でも、実際には、目に見えるより、大きな変化がすぐそこまで押し寄せているのでした。その変わり様は、心が重くなるものでした。

この村から、数年前から、人々がだんだん山を下り、麓の車道沿いに、新しい村を作って住みはじめています。ラオスの山では、焼畑が禁止になる方向にあります。将来、焼畑で食べていけないことを不安に思っている人々が、山から麓へと、水田を求めて降りているのです。でも、もちろん、車道の近くに行ったところで、水田が手に入るわけでもないのですが、「車道」の脇に住むということが、一つ、発展した便利な生活への一歩であるように思ってもいるようです。

私のことを「娘」とかわいがってくれていた元村長も、また、毎回世話になっていた、なかなか賢い若いお父さんも、今、山を下りて車道の傍の村に住んでいます。2年半前には、10家族だったのが、今、18家族に増えました。(山の上の村には、今も44家族ほど住んでいます)

今回、この車道脇の村に2泊しましたが、何か変なのです。女の人たちは前と同じで、とても懐かしく迎えてくれるのに、男たちが、いっこうに家にいないし、働いている様子がありません。みんな、どこから現金を手にしたのか、わかりませんが、バイクを乗っていて、そして、バイクに乗ってはどこかへ行き、また、人相のあまりよくない隣村の男たちもバイクに乗っては家に入ってきては出ていきます。

男たちは、ヤーバー(アンフェタミン?薬)に手を出してしまっているのでした。車道沿いの村に移って、結局水田もなく、十分に米も取れず、現金収入のあてもない人々は、誘いにのって、薬の流し屋をやり、そして、自分も吸ってしまっているようです。タイでも、ビエンチャンでも、薬の問題はずっと前から言われていますが、この薬(ヤーバー)はどちらかというと、若年層の問題となっているのに、ここでは、一家の大黒柱のはずである、立派な大人の男たちがはまってしまっているのでした。

あんなに親切だった村長も、いつも親しく迎えてくれ、日本の様子なんかを興味津々に聞いていた若いお父さんも、私に会っても、「やぁ、来たね」と言ったきり、目をそらして、まともに話をしようとしませんでした。そして、「じゃあ、用事があるから」と行ってしまいました。みんな、男たちは、バイクでどこかへ行き、そして、夜も家へ帰らず、昼間は寝ています。

ヤーバー(バカ薬)と言われているものに、手を出すのだから、その方がバカ・・・と言えば、そうも言えるとも思いますが、私には、彼等はある意味で犠牲者のようにも思われて仕方ありません。

彼等は、ある意味で知識がない・・・・といえば、そうだけれども、でも、本当に怖さを知らずに、手軽に入るはした金ほしさに手を出してしまったに違いありません。

山の人々の生活は、本当にどんどん追いつめられています。彼等が生業としてきた焼畑は森林破壊だといって、どんどん禁止の方向に向かっています。でも、山の斜面に生きる人々に、そう簡単に他の道が見つかるものでしょうか?そんなに短期間に、生業を変えられるものでしょうか?そして、これまで唯一の現金収入としていたケシの栽培も、ますます取り締まられるようになっています。ケシだって、元をたどれば、栽培させられてきた経過があります。また、これまで、病院など遠かった彼等にとっては、ケシは薬代わりでもありました。そのケシが悪の根元のように禁止され・・・・そして、その代わりに、どこからか、どこかの工場で作られた薬(ヤーバー)が流れてきています。私は、村でケシを吸って廃人のようになった人は(ほとんど)見たことがありません。が、完全に化学処理で作られているヤーバーとやらは、かなり人の神経を冒すと思われます。男たちは暗い顔をして、働きもせず、そして、「貧しくてナァ、金おくれよ」なんてことを言うだけで、まともな話をしなくなってしまいました。

お父さんたちが、毎晩、薬づけになる中、女たちは、黙々と働いているようでした。子どもたちは、いったい、急に変わってしまった父親をどう見ているのでしょうか?

いつもにこにこ笑っている妻が、私に言いました

「パヌン(私のこと)は、本当に、悩んで悩んで苦しくてたまらないってことあるの?」

「う〜ん、う〜ん〜、あるよ。たま〜にね、ちょっとの間はね・・・」

と、私は言いました。「あなたは?」と聞くと、彼女はにこにこ笑いながら

「本当に苦しいのよ。心がちぎれてるみたいよ。どうしたらいいか、わからない」と言いました。

「いつも、にこにこ笑っているから、そんなことないかと思った」と、私は言いましたが、彼女の夫は、薬に手を出し、ほとんど家に戻らず、借金を重ねているといいます・・・・・彼女の苦しいやりきれない気持ち、どうしたらいいのかわからない気持ちが、痛いように伝わってきました。

本当に、これまで山の村にいる時の、私が知っている彼は、まれにみる、好青年だったのです。その彼が今は暗い顔をしてまともに話しもしません。人は、こんなに変わってしまうものなのでしょうか?

村長もです。人種を越えて、貧富の差を超えても尊敬できるような人でした。人当たりが本当に柔らかくて、人間の善を集めたような人だったのに・・・・・その村長も今は、暗い目をして薬づけになってしまっているのです。

「山の村の連中はバカだよ。商売ってことを知らないんだから・・・・」と、ぼそっと言った意味が最初はわかりませんでした。本気でそんなことを思うようになってしまったのでしょうか?だからと言って、彼の家は、金もうけしているとも思えず、(きっと薬を流して金が入っても、またすぐ使ってしまうのでしょう)相変わらず雨漏りだらけの茅葺きの屋根の修理をすることもなく、妻は1人で、雨漏りを気にしていました。

焼畑禁止、ケシ栽培禁止・・・もちろん、いいことです。でも、あまりにも急に、人々の生活のスタイルを、グローバルな視点から一方的に変えてしまうということは、いろいろなひずみを生むのだと思います。生活はこれまでも長い間営まれてきたのです。他人の視点で、あまりにも急に、禁止したり、変えてしまうということが、対応しきれない人々をどんなに壊してしまうものか・・・・・そんなことを、今回思いました。こんな問題が、この村だけではなく、きっと、あちこちの山の村に広がっていくと思うと、私は、どうしたらいいのか、わかりません。

懐かしい人々は、苦悩しながら生きていました。その人々と再び会うことは嬉しかったのに、そして、本当に、私はこの出会いを、どのようにとらえていいのか・・・・・今後、どうしていけばいいのか、それが、まだわかりません。

本気で人と出会うこと、そして、その出会いを継続していくということは、本当に大変なことだと思いました。

 5月4日。ビエンチャンにて。

→「ラオスからこんにちは4」へ

→最初のページに戻る