01.イントロダクション 少年は、車窓を広く開け、そこからホームを眺めていた。 古めかしい形であるのにかかわらず、ピカピカに磨き上げられた列車ホグワーツ特急。 その深紅の車体は既にホームに納まっていたが、発車までにはまだ大分時間があり、ほとんどのコンパートメントは空席ばかりでまだガランとしている。 静かな車内を置き去りにするようにホームの方はざわめき始めていた。 今日、9月1日のキングズクロス駅9と4分の3番線のホームには、魔法使いが溢れている。 大きなカートに前が見えなくなるほどの荷物を載せ、キョロキョロと周囲を見渡す少年や、約2ヶ月半ぶりの友人との再会を喜ぶ少女。 そんな我が子を見送りに来ている家族と思しき人たち。 少年は大きなあくびをひとつすると、瞼を半分ほど下ろし、夢現の中でその光景を見ていた。 魔法使いの子供ならば誰もが憧れるホグワーツ魔法魔術学校。 彼はそのホグワーツに入学を許された新入生の1人だった。 入学案内がきてから期待と不安を胸に抱き、ずっと待っていたこの日を迎えるにあたって、少年の気持ちは高揚していた。 不安と期待。 それは新入生であれば誰もが抱えてる気持ちであったが、それが他の誰とも共有し得ない感情だと彼は知っている。 他の新入生よりもより大きな、ともすると絶望と隣り合わせあるような不安と、それからほんの一欠けらの期待。 学校における様々な可能性を想像する度に、彼の胸は高鳴りまた同時に深く沈む。 本当ならコンパートメントにじっとしていることなどせずに、ぐるぐるとそこいらを落ち着きなく歩き回りたいような気分だ。 しかし、身体は休息を求めていた。 昨晩は彼にとって一月に1度の閉塞された夜だった。 体力は急激に落ち、身体には新しい傷ができる。 既に半分下ろされていた瞼が更に落ち込み、その鳶色の瞳がほとんど隠されると少年は高揚した気持ちがスッと自身を離れるのを感じた。 そして、知らず意識は闇の中へ落ちてゆく。 発車時刻ギリギリという時間になると、列車内は子供たちのざわめきに彩られた。 その中でも一際騒々しかったのは、コンパートメントのドアを荒々しく開けては「悪い」という全く悪びれてない謝罪と共にドアを閉めるという動作を繰り返している少年だった。 大きなトランクを携え、苛立ちをあらわにして「個室訪問」を繰り返す彼は、後ろから2つ目の客車で5つめのドアを開いたところではじめて舌打ちや「悪い」という以外の言葉を口から発した。 「てめぇ、見つけたぞジェームズ・・・」 新学期第1日目、ましてや未だ学校に向けて出発する所だというのに、彼は既に疲れきった顔をしていた。 「やぁシリウス。遅かったじゃないか。 なにやらすごい勢いで個室を検める音が響いていたようだけど、 君は入学に際して1人1人に挨拶でもしていたのかい?」 シリウスの地を這うような声にジェームズは笑顔でそう答えた。 「・・・っ!!!だいたいお前が・・・」 そんな態度に怒鳴り散らそうとすると、慌てたように立ち上がったジェームズがシリウスの口を手のひらで押さえこむ。 モガモガという言葉にならない音を発しながら暴れるシリウスにシーッと言いながら、ジェームズの座っていた座席の向かいを指差した。 そこにはシリウスの乱暴な訪問に気付く様子もなく窓枠にもたれて眠っている少年が一人。 するとシリウスもわかった大声は出さないという意思表示に暴れるのを止める。 それを受けてジェームズも手を離す。 とりあえず、二人はシリウスの荷物を荷棚へと置き、なるべく音を立てぬよう慎重に扉を閉めると、空いている座席に仲良く腰掛けた。 そんな二人が座席に座り落ち着くのを待っていたかのように列車はゆっくりと走り出す。 シリウスのジェームズへの怒りが消えたわけではなかったが、それよりも目の前でぐっすりと眠る少年への好奇心の方が勝った。 先程ホームでこの幼馴染にされた仕打ちについては、後でゆっくり言及してやろうと心に決め、隣に座るジェームズへ小声でこっそりと「コイツ誰なんだ?」と質問を投げかける。 するとジェームズは手にしたペーパーバックに眼を落としながら、こともなげに「知らない」と答えた。 (シリウスがこのコンパートメントのドアを開けた時、彼は優雅にも読書なぞしていた。) 「知らないってお前・・・」 と、声のトーンを落とすことを忘れて声に出すと、途端ジェームズにシーッと人差し指を立てられる。 長い付き合い故か、その表情から「同じことを何度も言わすなよ」という言葉まで読み取れてしまう。 グッと言葉につまるがシリウスとて頭の回転は悪くないし、この幼馴染との会話の持っていき方も心得ていた。 「わかった。じゃぁ、なんでコイツと一緒にいるのかお前の知ってる範囲で全部話せ」 再度、声を潜めてそう問いかけるとジェームズは読んでいたペーパーバックを閉じ、我が意を得たりといった顔で話出した。 「君が姉上と別れを惜しんでいる間・・・・・」 「誰がだ。見送りの相手を全部俺に押しつけて、ちゃっかり一人で逃亡した間、だろ」 間髪居れず、しかし声を押さえることは忘れずにシリウスは抗議した。 押し込めた怒りが再発してくる。 そうだ、コイツが俺らを出し抜いたおかげで年の離れた姉とジェームズの優しげな両親、それに両家の屋敷しもべ妖精数人の必要以上に大袈裟な見送りを一人で受けなくてはならなかったのだと、シリウスはその時の屋敷しもべ妖精のキイキイと甲高い声や周囲の視線やらを思い出し、苦い顔をした。 「・・・・・・・・・君の尊い犠牲は無駄にはしない」 「・・・・・・・・っ」 黒いフレームの眼鏡を持ち上げ涙を拭うしぐさをするジェームズに、拳を震わせて見せると彼はパと笑顔に戻り先を続けた。 「とにかくその間にだ。 僕は親友と座れるよう空いてるコンパートメントを探していた」 その後でその場所を親友に知らせることはしなかったけれど。と心の内だけで続ける。 「で、居心地のよさそうな場所はないかなぁ〜と、いくつか見てまわったんだけど、ここのドアはノックしても何も応えがなかくて。 空室かと思って入ってみたら彼は既に熟睡状態だったわけ」 「じゃぁ、まだ話してもないのか」 「僕は彼の目の色さえ知らないよ。 ただ、言えるのは・・・・・・」 「言えるのは?」 「この子、すっごく可愛いよね」 「・・・・・・・・」 満面の笑みでそう言いきった親友にシリウスは特異なものを見る目を向けた。 「可愛いって・・・コイツ男だろ?」 「そうだね」 「男に可愛いはないだろ」 「だって可愛いよ? 色も白いし、睫毛長いし、髪の毛サラサラだし」 「・・・・・・・・それでここに座ることにしたのか?」 「一応、他も見てみたんだけどね。 ココが一番静かだったし、どうせなら同席者は見目のよい方がいいじゃないか」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 彼の膝の上には未だ読みかけのペーパーバックが乗っている。 確かに読書するのであれば、あれやこれやと話かけてくる輩よりこの少年の方が同席者としては適しているだろう。 見目がよいかは別として。 シリウスは未だ熟睡している少年へと目を向けた。 窓が全開になっているせいで風に踊っている鳶色の髪は、確かに艶やかで触ったらさぞかしよい手触りだろうと思わせた。 それでも、少し長めの前髪に隠された顔色は白いというよりは病的に青白い気がするし、まぁ寝ているからなのかもしれないが、その表情は人の温度を感じさせない。 ローブの裾から出た手首は骨のように細く、華奢を通り越し骸骨を彷彿とさせた。 最近、従兄弟のところで生まれた赤ん坊を見たが、シリウスはあれにこそ”可愛い”という言葉が相応しいと思う。 可愛いとは、もっと柔らかくてふわふわとしているものだ。 こんなに骨張って、無機質に見える少年には当てはまらない気がする。 ジェームズは閉じていたペーパーバックのページをめくり、お目当てのページを探し出すと、再び本の世界へ入り込んだ。 正面に座る、この少年が目覚めるまでは静かに過ごす、ということなんだろう。 シリウスは行儀悪く座席の上で膝を立たせ、そこに頬杖をつかせると、とりあえず、学校についたらまずはキングズクロス駅で自分が味わった屈辱を、どう親友に仕返ししてやるかについて頭を巡らせ始めた。 ホグワーツ特急は、まだ走り始めたばかりだ。 >> 02.ファーストコンタクト |