02.ファーストコンタクト 列車が動き出して1時間と少し、周囲に広がる景色から街並みは消え、豊かな自然が広がっている。 本を読んでいるジェームズや熟睡している少年はともかく、 特にすることのないシリウスは近くに人がいるのに何も喋らないという状況を辛く感じ始めていた。 今日は入学第1日目。 隣にはいつもつるんでいる親友。 向かい側に座っているのがどんなヤツかはわからないけれど、話して面白いなら友達になってもいい。 とにかく何かこう、もっと・・・喋りたいし、騒ぎたい。 輝かしいものになる予定の学生生活が、こんな滑り出しってどうなんだ。 やはり、この部屋を選んだジェームズの判断は間違いだったんじゃないかと思う。 シリウスの我慢が限界に達する直前、ちょうど車内販売の女性がドアをノックした。 通路側に座っていたシリウスがドアを開けると「何かいるものは?」と優しげな口調で問われる。 そういえば、そろそろランチタイムだ。 腹も減ってきた気がする。 カート内に目を走らせると子供相手だからか8割は甘いものがしめているように見えた。 シリウスは甘いものが嫌いでもないが特に好きでもない。 いくつか手にとってみて、結局チーズスコーンとキッシュ、ストレートの紅茶を頼むと、それを目にしたジェームズも(やっと)本を閉じ、アレコレと物色し始める。 停滞した空気を優しく崩したこの女性にシリウスはほんの少し感謝した。 「彼、起きなかったけど大丈夫かな?食事は持ってるんだろうか」 車内販売の女性が次の部屋へと移動すると、一人で食べるにはちょっと多すぎやしないかという量を買い込んだジェームズがそう言った。 「起きた時に腹が減ってればこっちから探しに行きゃぁいいだろ、車内のどっかにはいるんだし。 それよりお前・・・それ何買ったんだよ」 「あぁ、コレ?スパイシーパッションパイって言ってたかな。 これだけ見たことのないお菓子だったから、食べてみようかと思って」 ジェームズが手にしたパイはオレンジ色のクリームがたっぷりと塗ったくってあり、 砂糖漬けになった不揃いにカットされたフルーツが敷き詰められている。 幾層にもなったパイ生地の間にはとろりとした黄金色のペーストが挟んであり、とにかく強烈に甘い香りを発していた。 コンパートメントの中は既にこのパイの匂いに彩られ、シリウスの手にしている紅茶の香りなどはキレイに消し去られている。 甘いものも辛いものも度を過ぎれば美味しくはない。 ジェームズが手にしたパイはどう考えても美味しそうには見えなかった。 「それ、本当に食う気か?」 「じゃなきゃ、お金出して買わないよ」 「・・・・俺もそのパイを見るのは初めてだし、当然食ったこともないけど、味はわかるぞ」 「参考までに聞くけどどんな味だと?」 「胸焼けするほど、壮絶に、情熱的なまでに・・・・・甘い」 「食べてみなきゃわからないじゃないか」 「この匂いだぞ?食べなくても判るだろ!俺は既に胸焼けしそうだ」 「見た目や香りで判断するなんて愚か者のすることさ。 実際に食べてみたら本当にスパイシーかもしれないじゃないか」 「甘くて舌が痺れる方にガリオン金貨を賭けてもいい」 「・・・・・・ぅん」 実際に痺れたというように舌をだし、眉をしかめた顔でそう言い放ったシリウスに応えたのはジェームズの声ではなかった。 もちろんシリウスが一人二役をしたわけでもない。 二人のスパイスパイを巡る口論は最初は声を潜めていたものの、 徐々にエキサイトして、かの少年を起こすほどに大きくなっていたらしい。 はじめて聞く声に二人とも動きを止め、示し合わせたように視線を彼へ向ける。 「・・・・・・・・ん・・・いい香りがする・・・?」 少年は寝ぼけているのか、まだ瞼を開ききらないままに舌足らずな口調でそう呟いた。 「お前がそんな得体の知れないパイを買うからだぞ」 「いい香りと言ってるじゃないか、とゆーことはこのパイの匂いは彼にとって、不快ではないってことだろ? 原因はシリウスの無遠慮な大声だと思うけど」 二人は彼から目を逸らさないままに、その眠りを妨げた原因を擦り付けあう。 そうしている間に彼は少しずつゆっくりと目を開いていった。 髪の色に似た綺麗な紅茶色の瞳が露になるが、未だ半分夢の中にいるのか、その視点はなかなか定まらずフラフラと泳いでいる。 その視線がジェームズの手にあるパイを捉えると、彼はそれはそれは幸せそうに微笑んだ。 「うわぁ・・・・・美味しそう」 あんまり幸せそうにそんなことを言うので、シリウスはあの毒々しいまでに甘い匂いを放っているパイが 本当に美味しいのかもしれないと納得しかけてしまう。 彼の顔色は相変わらず悪く、髪にほとんど隠された首筋やローブの裾から覗く手首はもちろんガリガリに細かったけれど、笑ったことで持ち上がった頬はほんの少し肉付きがよく見え、それだけで彼の印象はずいぶん違うと思った。 また、彼の声も少年特有の少し高い音で、今は少し掠れていたが寝起きでなければきっと澄んだ声を出すのだろう。 「よかったら食べるかい?」 シリウスが頭の中で彼の印象を加筆修正している間に、ジェームズは彼にニッコリと笑いかけると手に持ったパイを差し出した。 少年はジェームズの声に応えるでもなく微かに首をかしげさせる。 そして数瞬後、パチパチと音がするほどに瞬きを繰り返したかと思うと今度は目を見開いて体を飛び跳ねさせた。 「あ・・・・えっと・・・その・・・え?」 おそらくやっと本当に目が覚めたのだろう、先程まであんなに幸せそうに微笑んでいたのに、ジェームズとシリウス、二人の姿を捉えた視線はみるみるうちに下へと沈み、とうとう床へと貼り付いてしまった。 その上細い肩は微かに震え、あれ以上悪くなるとは思えなかった顔色までもが更に青ざめたように見える。 確かに初対面の人間に寝ぼけた姿を見られたとなっては、まともに相手の顔をみるのも恥かしいかもしれない。 しかし、この・・・いっそ怯えているようにも見える彼の様子は少し大袈裟だ。 そのあまりの変化にシリウスはつまらないような残念なような・・・とにかくよろしくない気分になった。 しかしジェームズは気にした風もない。 俯いた彼の顔を覗き込むように腰を屈めた。 「おはよう、ミスター・・・・あぁ、僕らはまだ自己紹介もしていなかったね。 僕はジェームズ・ポッター。隣の仏頂面は僕の幼馴染のシリウス・ブラック。 君の名前は?」 かなり強引なジェームズの自己紹介に俯かせていた顔を少しあげた少年は、今、自分が聞かれたことがわからないとでもいうように、再度、パチパチと瞬いた。 そして少しの時間をかけ、やっと自分の名前を聞かれたのだと思い当たったかのように 「・・・リーマス・J・ルーピン」と、答える。 「僕らは今年の新入生なんだけど・・・君も?」 リーマスの態度を意に介していない(ように見える)ジェームズはそのままニコニコと話を続ける。 彼は同意するように首を縦に動かした。 「じゃぁ、僕ら同級生だね。 それならファーストネームで呼んでかまわない?」 再び、首を縦に振る。 「僕たち、時間ギリギリに列車に乗ったものだから他に空いているコンパートメントがなくて。 了承なしに悪いかとも思ったんだけど、相席させてもらったんだ。 眠っているところを無理に起こすのも気が引けたから・・・結局起こしてしまったけれど。 事後承諾になってしまったけれど、かまわないかな、リーマス?」 「ジェームズお前・・・」 発車ギリギリだったのは俺だけだとか、お前はいろんなコンパートメントを見た上でここにしたんじゃないかとか、そんな言い方でこの気の弱そうなヤツがノーと言えるものか、とか、思うところが多々あっての呼びかけだったが、ジェームズが踵でつま先を思い切り踏みつけた為、その先は口にできなかった。 ちくしょう、見ていろ、お前が読書に励んでいる間に俺が考えた報復は半端じゃないぞ。 シリウスが地味な痛さに顔をしかめながらジェームズへの報復を三度、心に誓っていると、 リーマスの細い声が聞こえた。 「あ・・・・あぁ、もちろん・・・ここは公共の場所だもの、 僕の方こそ・・・気を使わせてしまって、ごめんね。 その・・・昨日はあまり寝てなくて・・・だから、ごめん」 リーマスの、(寝言を除いて)初めてまともに発した声はやはり澄んだボーイソプラノでシリウスの耳に心地好く響いたが、場違いに、しかも重ね重ね謝る内容に、何故か憮然となった。 「お前は何も悪いことなんてしていないんだから、謝るな」 思っていたよりもずっと不機嫌な自分の声に、シリウスは驚いた。 ただでさえ身を縮めていた彼を、余計に怖がらせてしまったかもしれない。 恐る恐るリーマスへと視線を走らせると、予想に反し、彼は顔を上げ驚いたようにシリウスを見上げていた。 「だからだな・・・あー」 リーマスの目に恐怖や怯えが無いことに安堵し、何かフォローを入れようと思ったがちょうどいい言葉が出てこない。 「つまり、これから長い付き合いになるんだから そんなに畏まってたら疲れてしまうよ。ということさ」 隣から口を出してきたジェームズの言葉は自分が言いたいことと多少違っているような気もしたが、間違ってもいなかったので、とりあえず頷いた。 「長い付き合いって・・・・」 「これから少なくとも7年間は同じ場所で寝食を共にするんだ、長い付き合いだろう? というわけで、よろしく!」 ジェームズはリーマスの言葉を遮るようにそう言い、握手を求めようとして手に持っていたパイに気付く。 「あぁ、そうだった・・・・自己紹介も済んだことだし、 会話の最初の部分へ戻っていいかな?」 「・・・最初?」 「そう。『よかったら食べるかい?』から」 「?」 「リーマスがこのパイを目にした時の『美味しそう』という言葉と輝かんばかりの笑顔を見て、 このパイは君にこそ相応しいと、僕は確信した。 実は目移りしてしまって、ランチにしてはちょっと買い込みすぎてしまったしね。 よかったら、どうだい?君の睡眠を妨げてしまったお詫びも兼ねて」 差し出されたパイを見て、リーマスは固まった。 「美味しそうなんて・・・僕、言った?」 「それはそれは、幸せそうな笑顔でね」 「うぁ・・・あれ、夢じゃなかったんだ・・・」 せっかくもたげていた頭は再び俯き、目線は床に逆戻り。 髪の間からのぞく耳は真っ赤に染まっており、きっと同じように赤くなっているであろう頬に手の甲を当てる仕種を見て、シリウスは思う。 あぁ、なるほど、ジェームズの言っていることは正しいかもしれない。 つまり・・・このジェームズが勝手に押しかけた同席者は、確かに『可愛い』のかもしれないと。 そして、この少年がこんな顔をするなら、自分もあの胸のムカツクようなパイを買えばよかったと。 シリウスは自分の頭をちらりとかすめたその考えに自分で驚いた。 そして、それと同時に手は汗ばみ、顔にも熱が集まってきたように思う。 シリウスはそれを気のせいだ、ということにしてリーマスに一言忠告した。 「おい、騙されるなよ。 コイツは食ったことないパイをお前に毒見させようとしてるだけだぞ」 またしても、自分で思うより不機嫌な声がでた。 さっきといい、調子が狂う。 そういえば、ついでといった感じでジェームズに紹介されはしたが、俺とリーマスは自己紹介どころか、まだまともに会話も成立していない。 そのことに思い至って、益々自分の機嫌が損なわれていくのを感じた。 隣でニヤニヤと笑っているジェームズの顔もなんだかものすごくムカツク。 きっと、いつも何かにつけ競っているジェームズに先を越された気がして悔しいんだ。 今、この場で何を競うのかもよくわからなかったが、 シリウスはそうして無理矢理納得すると、さっき買ったキッシュを口に放り込んだ。 思ったよりも苦みのある味だったけれど、変に甘いよりはずっとマシだと思う。 シリウスはほんの数分前に比べて、甘いものが嫌いになっていた。 >> 03.クッキーアソート |