#04 : 4TH DAY 24:30~

(宵っ張りの会話 その2)

 いくら最下層に位置するとはいえ、上の階で人が歩く気配などは感じ取れる。話し声や歩く時に発せられる振動が伝わっているのかどうかはわからないが、それでも昼間この部屋にいる時と比べれば、今はだいぶ穏やかな時間だろう。夜の気配とでも言えばいいのか、それは外に居たときと変わらず、こんな地下でもちゃんと訪れるらしい。
 は壁掛け時計の時刻を確認する。時計の針はもう0時をとっくにすぎており、新たな日付を刻んでいる事を知らせてくれた。しかし、眠気は一向に訪れない。眠気を助長させるべく、司令室の書棚からめぼしい本を持ってきて読んではいるのだが、淡々と悪魔に関する事柄が記述された本の中身は随分とおどろおどろしいテキストで、さっぱり効果は無かった。欠伸すら出てこない。このまま朝まで起きてしまおうか、なんて考えが浮かぶほど、意識がはっきりとしている。ベッドに横になったところで眠れそうにはなかった。
 寮での生活を思い返せば毎日のように夜更かしをしていた。もともと睡眠時間は短いほうではあったが、こうしてあまり動かない現状、体力も温存することになるのだから眠りにつくことも難しいのかもしれない。口寂しさに何か飲もうかと思ったが、日に日に物資が足りなくなっているという話を昼間耳にし、それもはばかられた。そんな口の寂しさも、数分の間我慢してしまえば簡単にどこかへ消えてしまうものだ。
 本を閉じて一息ついた。昼間の事を思い出す。、維緒、大地、その三人と町を歩いた時間は、あまりにも濃密なものだった。途中、悪魔に襲われるというトラブルに見舞われたものの、襲ってきた悪魔が弱かった事と、たちの力もあってか、は簡単に撃退することが出来た。悪魔と戦ったのは、災害が起きた当日以来の事であった。その時に燻った興奮にも似た感覚――闘争心とでもよべばいいのか、それがいまだに残っているような気がしてならない。眠れる気分になれないのは、このせいもあるだろう。
 外を歩いて思ったことは、大阪とさして変わりないな、という事だった。路上は片付けられないままの瓦礫が転がり、乗り捨てられた車が路肩に放置され、歩道にはガラスの破片が散乱していた。どこもかしこも荒れていて、まるで別世界にいるのではないかという足元がおぼつかないような感覚に溺れそうになったが、それでも正気を保てたのは一緒に行動した三人のおかげだろう。
 今日の夕食にしてもそうだ。いつもは部屋に一人で、無言のまま軽いものを口にする程度の食事だったが、今日はに誘われた。昼間一緒に行動した四人で、ジプスの食堂で食事を取った。が薦めるまま食事を注文し、受け取ったトレイに載った定食を見て、最初は食べきれるか不安になったものの、それでも残さず平らげる事が出来た。しかしその満腹感は眠気を助長してはくれず、かえって頭を冴えさせる。あの食事は逆効果だったのかもしれないが、それでも後悔などの念が芽生えることは無かった。寧ろそれとは真逆の感情がひしめいている。は一人で摂る食事より、複数人で摂る食事のほうが好きだった。誘ってもらえて、純粋に、嬉しかったのだ。
 彼らは、――強い。肉体的にも、精神的にも。
 助けを求められても疎ましがらず、他者を気遣う事を厭わない。だからこうして大和に見初められ、ここにいるのだ。
 自分はどうだろうか。は考える。もともと大和とのつながりなんて、峰津院家の事情によるものだ。災害当日に運よく助けられ、言われるがままこの部屋に身を置き、自ら行動する事無くただ時が過ぎるのを待っている。
 情けない――
 膝を抱えて、ぼんやりと床を見つめた。

 しばらくそうやって、とりとめのない思考に没頭していただったが、ふと顔をあげた。耳をそばだて、気配を探るように息をひそめる。寮生活をする上で、消灯時間を過ぎていても起きているのが見つかれば、当然罰を与えられる。部屋の抜き打ち検査を回避すべく身についた、癖という名の処世術だった。通路を歩くその音は規則正しく、けれど音の感覚から歩幅がやや広いことがわかる。女性によくある繊細な靴音よりも、しっかりと踏み鳴らすようなその靴音をとらえ、は抱えていた膝を伸ばした。
 がちょうど立ち上がり、足を踏み出すのとほぼ同じタイミングで、コンコン――深夜という時間帯のせいだろうか、かなり控えめに扉がノックされた。
「はい」
 扉の前まで来てから返事をすると、扉越しでありながら、息を呑むような気配が伝わってくる。
「……まだ起きていたのか」
 予想通りの人物の到来に、は自然と笑みを浮かべた。
「はい。そういう大和さんも、ですよね?」
「……部下が皆有能であればな、私もこんな時間まで起きてはいないさ」
 その台詞は、仕事の愚痴とも取れるようなものだった。はその発言を珍しいと思いつつ、あえて触れることはしなかった。
「中に入りますか?」
「……いや、時間が時間だ。それは止そう」
 大和の珍しく遠慮をはらんだ声に、彼がかぶりを振る姿が容易に想像できた。
「では……もう戻りますか?」
 は言いながら、壁に背を預けるようにもたれかかった。じっと黙ったまま、大和の言葉を待つ。
 しばらくして。
「昼間……いや、昼過ぎか」
「はい」
「司令室で、ら三人といるのを見かけたのだが」
 大和の言葉の意味を理解するのに、いくらか時間を要した。そして、驚くよりも先に、ふとした疑問が沸いて出てくる。
「……あそこに、大和さんの姿はなかったように見えましたが」
「上の通路にいたからな。気付かないのも無理はないだろう」
 確かに、司令室に出たときは、上の通路にまで意識が向かなかった。上の通路に面した部屋は会議室などが設けられていたはずだ。恐らくそういった部屋から出て、たちの姿を偶然見かけたのかもしれない。
「何をしていたか、気になりましたか?」
「気にならん、……といえば、嘘になる」
 遠まわしな物言いは相変わらずだった。無意識のうちに口元が緩んでしまう。
「議事堂の周辺を案内してもらったんです。こっちには不慣れなものですから」
「……何か変わったことはあったか?」
「途中、悪魔に襲われはしましたが、平気でした。その後、暴動が起きたとの事で、対策に向かう三人と議事堂の前で別れました」
「そうか。よもや怪我などしてはいないだろうな?」
「ええ、大丈夫です」
「……そうか。ならばいい」
 気遣うようなその声に、は扉のほうに視線を向けた。しかし大和の顔が見えるわけでもなし、気のせいだろうとその考えを振り払う。
「そのご縁もあってか、今日の夕食は、三人とご一緒させていただきました」
「……ん、そうか。さぞ賑やかだったろう」
「はい。話題の尽きない方々で……少し、食べ過ぎてしまったような気がします」
「食べられるときに食べておけ。いつどうなるかわからん」
 いつどうなるか――ぼんやり考える。文字通り荒廃した町はおよそ正しい機能を果たしておらず、人々は食糧を求めさまよい、言い争いになっているのを見かけた。暴動が起きるほど治安は乱れ、規律は瓦解したも同然だった。そんな中で、自分は何ができるだろうか。
 扉へと視線を向け口を開き――しかし、は言葉を飲み込んだ。大和に聞いたところで、どうせ「己で考えろ」と突き放すような回答が返ってくるのは明白だった。こういう状況だからこそ、自分で考えて行動しなければならない。
「……?」
「……ぁ、……は、はい。何か?」
 ぼんやりと考え込んでいた意識が、引き戻された。慌てて返事をすれば、大和が僅かに身動きするような気配を感じる。
「いや、そろそろ上に戻ろうと思ってな。……反応が遅かったが、どうかしたか?」
「……ぇえと、……そんなに遅かった、でしょうか」
「反応が返ってくるまでに3回、名を呼んだ。……聞こえなかったか?」
 よほど思考に没頭していたらしい。いくら扉越しとはいえ、大和の声が聞こえなくなるほど考え込むなんて――は目を閉じてひとつ深呼吸した。
「……申し訳ありません。少し、考え事をしていました」
「何か気になる事でも?」
「いえ、瑣末な事です。お気になさらずに」
「……ならば、いい」
 その声は、ため息が交ざっていた。
「熟考するのは大いに構わん。しかし対話の最中にするのは、あまり感心しないが」
「返す言葉もありません。肝に銘じておきます」
 言いながら、は肩をすぼめた。
「……そろそろ戻る。お前は早く休め」
「はい」
 寄りかかった姿勢を正し、扉へとしっかり向き合う。
「おやすみなさい」
「ああ。……ではな」
 やや間をおいたのち、足音が聞こえた。それは徐々に遠ざかり、人の気配も薄くなる。その後しばらく静観し、大和がいなくなったのを確認したは部屋の奥、テーブルへと戻る。床に膝をつき、先ほどまで読んでいた本に手を伸ばし――しかし手に取ることはせず、本の表紙を指でなぞり、手を引っ込めた。
 大和がと会話し、彼が去ったあとに残ったものは、空気が急激に冷えたような、奇妙な感覚だった。緊張感とほんの僅かなうら寂しさがない交ぜになっている。相変わらず目は冴えたままだったが、大和に休めと言われたせいだろうか、どうしてか眠らなければいけないような気がしてならなかった。
 制服を脱ぎ、ハンガーに吊るす。壁に取り付けられたフックにそれを引っ掛け、リボンタイも一緒に吊るした。トランクから寝巻きを出して着替え、部屋の電気を消し、暗がりの中のろのろとベッドにもぐりこんだ。
 目を閉じているとも変わらない暗闇の圧迫感。いまだに慣れないベッドの硬い質感。こんな状況の中安全な寝床を与えられているのだ、贅沢を望めない立場であることは理解しているが、マットレスは薄く、枕は固い。そんなベッドに休んでいたせいだろうか、日々体が鉛のように重くなっていくのを感じる。東京に来て、ジプスのこの部屋を与えられてから、いつまでも追いかけられるような焦燥感と、重苦しいやるせなさのような、脳が正常に機能していない感覚が絡み付いて離れない。
 それでも、昼間に三人と行動した事は、こうして横になるよりも随分と気楽に過ごせた。心が休まるという事は、まさにこの事を言うのだろう。三人とは言いながらも、それでも特定の一人だけの顔がやけに浮かぶ事にハッと息を呑み、はまるで枕に顔をこすり付けるようにかぶりを振った。
 目を閉じても、眠気は訪れず――がようやっと眠りに落ちたのは、明け方と呼べる時間に差し掛かった時だった。