#05 : 5TH DAY 09:00~

(悩める子羊)

 同じ建物内にいても、与えられた部屋が随分遠く離れているというのは、存外不便なものだ。カチカチとエレベーターのボタンを押しながら、しかし昨日よりのろく横へ移動する電球を見上げ、は焦燥感を覚えた。エレベーターが今どの階に止まっているかを教えてくれる電球は3Fで点灯したまま、しばし時間を置いて2Fへ。誰かが使っているという事らしかった。ときたま、ダンボールを抱えた局員が通り過ぎていくのを目にするし、恐らく、地下にあった倉庫から物を出しているのかもしれない。
 災害からもう5日目になる。食糧もそろそろ危うくなってきて、底を尽きようとしているのではないかと思うのだが、にそれを確認するすべはない。たとえ大和に聞いたところで、答えてくれるかどうかはわからない。エレベーターは来るのが遅いし、今朝は第五のセプテントリオンの登場により、毒を撒き散らされ散々だった。は苛立ちを解消するかのように、エレベーターのボタンをカチカチと押す。
 扉が開くと、は中に滑り込み、すぐに扉を閉めるボタンを押した。目的の階へのボタンを押し、じっと黙って到着するのを待つ。チーンと到着を告げる音が響き、扉が開くのを合図に通路へ飛び出ると、早歩きで暗がりの中を進んだ。
 の部屋の前で扉をノックすると、微かな物音のあとに、扉が開く。案の定、は部屋にいた。
「よっ。おはよう」
「はい、おはようございます」
 が言うと、は穏やかな表情で返してくれた。初めて会ったときよりは随分と慣れてくれたみたいで――というよりも、自分が慣れてしまったのか。とりあえず確実なのは、お互い友達と呼べる程度にまでは仲良くなったと、自惚れてもいいだろう。
 そして、その自惚れが誤解でなければ、の表情にやや陰りが見られるのも、気のせいではないように思える。
「もしかして、寝てない?」
「……ぇ?」
 の瞳が驚きで揺らいだ。
「あ、いや。俺の気のせいかもしれないけど、表情が……」
 表情が――どうだというのか。それを明確な言葉にする事が出来ず、結局曖昧に濁してしまったが、それでもを問いつめるような事はせず、困ったように微笑んだ。
「眠れなかったんです」
 自嘲気味に、ぽつりと一言。
「そっか。道理で……」
「……ええと、私の顔、何か変でしたか?」
「いや、そういうわけじゃなくて。雰囲気……っていうの? 覇気がないというか、んー、何ていったらいいんだろ……」
 徐々に尻すぼみになり、うまく言葉にする事が出来ず、ついには考え込んでしまう。そんなの言葉を待っているのか、を見上げたまま黙り込み、しかし自分の両手で頬を包み込み、優しく押し上げるようにマッサージを始めた。もそれにならうように、自分の頬を両手でふにふにと包み込む。
「……さん、これは何を」
「眠そうな顔をしていたのかと思って、それを吹き飛ばそうと……」
 しばらくの間、二人でふにふにと自分の頬を揉む。しかし、このままだと埒が開かない。こねくり回すように頬を触りながら散らかった思考を纏め、は口を開いた。
「なんていうか、勘だったんだ」
「……勘、ですか?」
「元気ないなって」
 が手を下ろすので、も自然と手を下ろした。は視線を手元に落とし、太ももの前に置いた手の指を絡め、困ったような顔になった。
くんは、優しいですね」
 いきなりそんな事を言われるとは思っていなかったので、面食らってしまった。わけもわからずかぶりを振る。
「そんな事ないと思うよ。というか、何がどうなってそんな結論に達しちゃったの」
「会って二日三日しか経ってない人に、普通、そういう事は言わないと思いますから」
「ええと、元気ない、って言う事が? 別に、普通だと俺は思うんだけど……」
「ですから、それが優しいと私は思うんです。そういうのを誰にでも当たり前に出来るのは、他者を気づかっている優しさのあらわれではないでしょうか?」
 無意識のうちに口を引き結び、から視線を外した。真っ直ぐ見つめられながら言われたせいか、妙な気恥ずかしさが立ち上ってくる。
「……な、なんか人にそう言う事を面と向かって言われると、困るな」
「あ、……す、すみません」
「いや、ええと。……会って二日三日しか経ってない人に、そういう事言われたことないから、嬉しかったよ」
 の真似をして言ったのが幸いしたのだろう、が言い終わる頃にははきょとんとした表情に変わっていた。そしてくすっと、本当にささやかではあったが、それでも笑ってくれた。そして「真似されてしまいました」とくすぐったそうに漏らすその顔に、なぜかほっとしてしまう。
くんのおかげで、少し元気になりました」
「……やっぱり。何か元気がなくなるような事でもあった?」
 が尋ねると、は逡巡し、迷うような素振りを見せる。けれどもそれはほんの少しの間だった。ふっとかすかにため息をついて、困ったような、弱弱しい笑顔を見せる。
「こんな状況ですから、何かしなければ、と思うんですけれど……」
「うん」
「……何をしたらいいのか、わからなくて」
「うん」
 とつとつと喋るの言葉は、いつ途切れてしまうかも分からないほどか弱いもので、なんとか言葉を引き出すべく、はただ頷いた。どうにか話を続けてほしかったのは、彼女が心情を吐露してくれる事が、嬉しかったのもあった。
「学校では、割と、何でもできると思っていたんです。でも、こんな有事では、一人じゃ何もできなくて……自惚れていた自分が、情けなくて……」
「うん」
「それを特に責め立てられないのも、……かえって置いて行かれるような、気がして……」
「……うん」
 徐々に声が小さくなっていく。が頷いたのを最後に、の言葉は途切れた。の最後の言葉は、そうしてほしいという願望のあらわれのような気がしたが、けれどもそれは今ここにいる自分ではないだろうなとは考えた。誰に責め立てられたいのか。誰に置いていかれたくないのか。少なくともにそう思わせるほど、はそこまで彼女にとって大きくない存在だ。悲しいかな、それは自惚れでなくとも断言できた。
「とりあえず、言っていいかな」
「はい」
「……理想高すぎない?」
「……ぅ」
 図星だったのだろうか、ピクリとの肩が震えた。
「……ゃ、やっぱりそう思いますか?」
「やっぱりって、自覚がおありでいらっしゃる?」
「友人に、よく言われたんです。もう少し肩の力抜けとか、目標は無難にとか、色々……」
 しゅんとする姿が、しっかり歳相応に見えて、には少しほほえましかった。
「まあ、こういう状況でさ、一人じゃ普通は何もできないのが当たり前だと思うんだけどね、俺は」
「でも、当たり前という言葉で片付けたくはないんです……。これって、一種のわがままなんでしょうか」
「俺からすれば可愛いわがままだなと思うよ。そっか、理想が高い子だったのか……」
「すみません……。でも、他者を伺って低い理想を掲げるよりは、高い理想を掲げたほうが立ち止まる時間が少なくていいなって思うんです。たまに、ふと我にかえって、立派なのは口だけだと思うときがあるんですけれどね」
「いや、理想を高く持ちたいって志しは、別に悪いことじゃないし、寧ろ良い事だ。さっきの、嫌味で言ったわけじゃないから、その、ごめん」
「あ、いえ、こちらこそ、すみません」
 よくわからないまま、お互いに頭を下げる。
「とりあえず、何もできないのが普通だと、俺は思うんだよ」
「でも、くんはちゃんと、自分がすべき事をきちんと果たして……」
「いや、それは違うよ。俺の場合は、ただ単なる思い付きでの行動が、たまたま良い方に転がってるだけなんだから」
「でも、それは裏を返せば、無意識のうちに最善の選択を一瞬で行える、という事ではないでしょうか。それもある種の才能だと、私は思いますが……」
「……なるほど」
「この前悪魔と戦ったときも、的確な判断力の持ち主だなと思いましたし……。無意識のうちにそれが行われているのであれば、……正直、うらやましいです」
「え、ええと……」
「それに、私が狙われたときも、霊鳥で飛んできてくれて……すごく格好良かったです」
「褒め殺しみたいな事はやめよう。恥ずかしいから、ほんと」
 冗談でもなんでもなく、恥ずかしかった。現に頬が少しだけ熱いような気がしてならない。しかもが顔を見てくすくす笑うものだから、さらに気恥ずかしさが増していく。そんなの居心地悪さを察してくれたのか、は無理して笑いをこらえるように口元に手を置いて――それが尚更気恥ずかしさをあおる。
 上品に笑うの姿を見て、どこなくまずいなと思ったが、よくわからないけれど大和の姿がはっと浮かんで、心を落ち着かせることが出来た。
「それはそうと。つまりだ。は何かしたいと思ってるわけですよね?」
「はい。私も何か、力になれたら」
「それじゃあ、俺の頼みごとを聞いてくれませんか?」
「……頼みごと、ですか?」
 きょとんとした表情は無防備でありながら、けれどもの視線は真っ直ぐで、目を離すことが出来ない。
「踊ってくれませんか」
 期待のこもったの視線が、徐々に困惑を色濃くしていく。の台詞に戸惑っているのが、手に取るように伝わってきた。無理も無いだろう。だっていきなり踊ってくれませんか、なんて言われたら困るに決まっている。
「……ええと?」
「踊ってくれませんか」
「……踊り、ですか? その、踊る、といっても、私はそういうのに不慣れなもので」
 やんわりと断られてしまった。は仕方ないなと頷いた後、それじゃあと言葉を続ける。
「……色気を出してくれませんか」
 言葉にするのに、かなりの勇気が必要だった。嫌われるのも覚悟のうえだった。はぎょっとして肩をビクリと震わせたものの、何言ってるんだこいつ、といった軽蔑の眼差しをに向けるわけでもなく、右手を口元に当てて考え込むような素振りを見せる。
「色気って、どうやって出すんでしょうか?」
「え? あー、うん。そうだね……どうやって出すんだろうね……」
 ただでさえ事の顛末をわかっているにもさっぱりなのに、何も知らないが疑問を呈するのは当たり前の事だった。が言い終わると、はしゅんと肩をすぼめてしまう。
「すみません。お力になれそうにないです……」
「いや、そんな。何もそこまで落ち込まなくても」
「……くんがよければ、今の申し出の理由を、教えてはくれませんか?」
 の言葉に、は頷いた。頼んだ手前、理由を教えないわけにはいかなかったからだ。
 今朝、五番目のセプテントリオン『アリオト』があらわれたこと。アリオトは毒素爆弾を上空から打ち込むこと。アリオトが遥か上空にいて攻撃が届かない事から、シヴァとカーマという悪魔の力が必要になったこと。そして彼らの協力を得るためには、『踊り』と『色気』が必要だということをかいつまんで説明すると、はすぐに納得してくれたようだった。
「色気と踊りは無理ですが、他の事であれば、出来うる限りで協力したいです」
「じゃあ、一緒に上に行こう」
「はい」
 しっかりとした返事だった。しかしすぐその場から動くというわけにもいかないようで、は一度部屋の中に引っ込み、がさごそと何か部屋の中を片付けたりしてから、部屋の電気を消して戻ってきた。そのの手元には、2冊の本がある。
「……それは?」
「司令室から持ってきたんです。読み終えてはいませんが、もう返そうと思って」
「何の本?」
「悪魔の本、ですね。何か自分の糧になればと思って……でも、実践に勝るものはないですから、もう必要ないなと」
「そっか。一冊、見せてもらってもいい?」
「はい、どうぞ」
 本を受け取り、中身を眺めながらしばらく通路を歩く。ページは茶色く変色しており、文字も今の文庫本などと比べればかなり小さく、紙の質感もゴワゴワとしていて、随分と古い本だった。何十年前の本なのだろうかと出版日を確認しようとしたところ、後ろのページにそういった記述は無かった。ジプスが作った本、ということなのだろうか。とりあえず、今までに遭遇しただろう悪魔の挿絵と、解説が載せられている、そんな本だった。
「あの、くん」
 ふいに話しかけられ、は本を閉じた。
「ん?」
「やはり悪魔は複数所持していたほうが、いいのでしょうか?」
「……悪魔――仲魔のことだよね? うん、そりゃあ持てるだけ持ってたほうがいいんじゃないかな」
 言葉の最中、が手を差し出してくる。首を傾げるだったが、すぐにはっとして本を差し出した。から本を受け取ると、大事そうに抱えなおす。そうして、聞こえるか聞こえないくらいの声で、なかま、と確かめるように呟いた。
「フェンリルはすごく強い、と思う。でも、フェンリルがもし倒れちゃったら、一人で太刀打ちできる?」
「……できません」
「だから仲魔は多いに越した事はないよ。もし仲魔を増やすのであれば、霊鳥がいいかな。移動に便利だし。――そうだ!」
 何かひらめいて携帯を取り出すを、が不思議そうに見つめる。
「俺の仲魔、何匹かに送るよ」
「えっ……と、そういう事って、できるんですか?」
「ニカイアのアプリでできるよ。悪魔添付って機能なんだけど……ただ、俺の場合、出来る人と出来ない人がいるんだよね。はどうだろ?」
「ええと、今、本があって、携帯が取り出せないです……」
 ならば自分も本を持てばいいんじゃないか、とは思ったが、しかしこんな暗い廊下でやるのもどうなのだろうか、という考えもすぐに生まれた。
「あー……。じゃあ、本返したら試してみよう」
「はい」
 エレベーターに乗り込み、1Fの廊下に出て、それから司令室へ。廊下から司令室のフロアに出たとたん、温かな照明の明かりとともに、やかましい空気が全身に伝わってきて、どうにも場違いな感じがぬぐえない。の隣に居るも同じような事を思っているのか、少しひるむような様子を見せた。
「……緊迫した雰囲気、ですね」
「アリオトに太刀打ちするのがね。毒素爆弾落としてくるし、けが人多いし」
 の顔が、ほんの少しだけ翳ったように見えた。
「とりあえず、本返そう」
「あ、はい。そうですね」
 自然と小走りになる。目的の棚までくると、が近くにある足場を持ってこようとしたので、は慌ててそれを制止した。
「俺がやるよ。どこに入ってた?」
「へ? ……ぁ、あの、上から4段目の……」
 から本を受け取り、隙間の開いた場所に本を返していく。腕を限界まで伸ばせば届く高さだった。身長が同年代の平均並である事に、はややほっとした。
「それで、悪魔添付なんですが」
「あ、はい。携帯ですね」
 がポケットから携帯を取り出す。も携帯を操作し、アプリを開き、画面を覗き込んで、――固まった。
「そういえば、の連絡先を知らない」
「……私も、くんの連絡先を、知りません」
「どれどれ。交換しよう」
「はい。お願いします」
 赤外線で、互いに連絡先を交換する。連絡先一覧にの名前が表示されたのを確認してから、アプリのメール機能を開いた。空メールに自分の持つ仲魔を一匹添付し、メールのあて先にのアドレスを選択する。
「……む」
「どうかしましたか?」
「ごめん。無理だった……」
 メール自体の送信ができなかった。送信ボタンを押しても、アプリ自体に拒否されているのか、反応が無い。大地と維緒は悪魔添付可能だったのだが、他のメンバーでは無理だった。この二人とは何が違うのか、はむうと考え込む。
「なんか、ごめん。できるかなと思ったんだけど……」
「いえいえ。ありがとうございます。その気持ちだけでも、嬉しいです」
「んー。大地と維緒には互いに送りあえるんだけどなあ……」
 送れないのであれば、しょうがないだろう。なんともいえない空気のまま、お互い携帯をポケットにしまった。これからどうしましょう、という視線が交錯し、お互いに苦笑しあう。
、何をしている」
 いきなり声をかけられたものだから、の肩がビクリと跳ねた。そんなに驚いたのか、声をかけてきた人物に驚いたのかはわからないが、も一瞬遅れて肩を震わせた。きょろきょろとあたりを見回せば、近くの螺旋階段からちょうど大和が降りてくるところだった。
 大和は二人のもとに来ると、しかしに一瞥もせず、に向き合った。
「準備は順調なのか?」
に断られて、今から他をあたるところだけど」
 その言葉に、大和はを一瞥したが、しかし声をかけることはしなかった。から視線を外し、再度のほうへ視線を向ける。
「そうか。時間は無限ではない、できれば急いで欲しいのだが」
「まあ、大丈夫。目星ついてるから」
 踊りを得意とする人間と、色気のある人間が今回の作戦には必要不可欠だ。前者は仲間にちょうど舞踊が得意な人間がいるから彼女に頼んでみればいいし、後者は――まあ、行き当たりばったりで頼めば、きっとなんとかなるだろう。
「……それはそうと、聞きたいことがあるんだけど」
「ほう? なんだ」
 大和が腕を組み、顎をあげた。不遜な態度だが、嫌な気はしない。実に大和らしいと思いつつ、はさっきしまったばかりの携帯を取り出した。
「悪魔添付機能ってあるだろ? ニカイアのアプリで」
 携帯を持つ手を軽く振りながら、が言う。
「それがどうかしたか」
に仲魔を送りたい」
「……。やればいいだろう」
「出来なかったんだ。大和なら出来るかなと思って」
 大和がふうとため息をついて、黄色の携帯を取り出した。真琴とおそろい、というよりジプス局員全員と同じ機種の携帯だ。大和の手元にあるその明るい色の携帯が、なんだか大和らしくないような、しかし似合っているような、そんな不思議な感慨を抱かせる。
「……何が入り用だ?」
 そこでようやっと、大和の視線がに向いた。は一瞬だけ驚いて怯みこそしたが、けれども次の瞬間にはしっかりと自分の要望を口に出していた。
「霊鳥を」
「……主戦力は送れん。それでも構わんな?」
「はい」
 力強い返事とともに頷くの顔を見つめ、それから大和は携帯を操作し始めた。1分もしないうちに、のポケットから着信音が鳴り響く。慌てて携帯を取り出すから視線を外し、大和はを見た。大和が何か言おうと息を吸い込んだ瞬間、遠くから局長、と呼ぶ声が聞こえる。聞きなれた声のしたほうを見れば、真琴が向こうに立っていた。ジプス局員を数名携えている。
「……用は済んだな? 私はもう行く」
 携帯を上着のポケットにしまい、大和が立ち去ろうとする。
「大和さん」
 の呼びかけに、大和が足を止めた。無表情のまま、視線をに向ける。
「ありがとうございました。大事にします」
「大事にする様な物ではない。……ではな」
 そう言って、大和は真琴のほうへ行ってしまった。それにともない、緊張した空気がゆるゆると弛緩する。も詰めたようなため息を吐き、それから顔を見合わせた。
「……送っていただけるとは、思いもしませんでした」
「俺もてっきり断られるかと思ったけど、いやー、言ってみるもんだなー」
 真琴と何か話し始める大和を眺めながら、がぼやく。
「そうだそうだ。今大和と一緒にいるのが、真琴だよ。黄色いスカートの」
「……皆さんのお話に出てきた、優しい方ですか?」
「そうそう」
 ひどく遠くの景色を見るかのような眼差しで、はぼんやりと大和たちを眺めている。もぼんやりとジプス局員の集まりを眺めてから、今さら思い出したかのようにはっとして、のほうを見た。
「そういや、大和から何送られてきたの?」
「これなんですが……」
 が恥ずかしげもなく携帯の画面を見せてきた。は一度だけの顔を伺い、それから画面を覗き込む。現在所持している悪魔のリスト画面には、フェンリル含め悪魔が3匹表示されていた。アンズーとヴィヴィアンが増えている。
 あれ、とは思った。
「……2匹送ってもらったの?」
「はい。……びっくりしました」
 は子供のような感想を述べ、ひどく不思議そうに画面を見つめている。
「あー、そう。……そっかー」
 も適当に相槌を打ち、画面を見つめた。大和が要望以上のものを与えるなんて、どういう風の吹き回しだろうか。とはいえ、割と突き放すような言動をする大和をは見てきたが、かといって他者を見るその目はどれも等しく均一で、能力以外の偏見はしない人柄なのだ。
 地下の通路でに言われた事を思い返し、しばらく考え込む。おそらく大和は意識してはいないだろうが、これが大和なりの優しさのあらわれ、という奴なのかもしれない。顔を上げて大和のほうを見れば、大和も真琴もまだ司令室にいた。テーブルの上に資料を広げ、局員に対し何か説明を行っているように見えた。
 途中、真琴が顔を上げ、のほうを見る。どうやら視線に気付いたらしい。視線が合った手前、何をしないわけにも行かず、手を振ってみると、真琴も大和に気付かれないようにこっそり手を振り返してくれた。も真琴がこちらに手を振っているのに気付き、頭を下げて会釈をする。すると真琴も、一拍の間を置いて、会釈をした。
「……真琴さんは、ジプスの局員なんですよね?」
「うん、そう。俺も大地も維緒も、あの人に助けられて、ここにいるんだよ」
「今、手を振ってくださいましたね。くんたちの話通り、優しそうな方です」
 ふふ、と笑うを見て、はうんと頷いた。

 を引き連れその場を離れると、議事堂内部に通ずるエレベーターまでやってきて、とりあえず大地に電話をかけた。3コール目で大地が電話に出る。名乗らずに「俺だけど」というと、大地はすぐに電話口の相手がだと察したようで「おう、どうした」と返してきた。
「お前今どこにいる? 誰かと一緒?」
『新田しゃんと一緒に日比谷公園にいるけど』
「おお。俺今と一緒に今いるんだけどさ、ちょっと預かって欲しい」
『何その物みたいな言い方!? ……いや、別にいいけどさ。そういうはどこにいいんのよ』
「ジプス。今からエレベーター乗って外出るから」
『んじゃー今行くから待ってるように伝えといてくれ』
「おーわかっ……ん?」
 途中、袖を軽く引っ張られ、言葉を失った。携帯を耳に当てたままへ視線を向ける。
「私、志島さんのところに向かいますから、場所を教えてください」
 その申し出には何度か瞬きして、声は出さずに頷いて了承した。
「待って大地。今がそっち向かうって」
『あれ、迎えはいいの?』
「うん。動かないでそこで待っててくれ」
『おっけ。んじゃ、入り口んとこで待ってるわ』
 電話が切れた。携帯をポケットにしまい、エレベーターから降りて議事堂の廊下を二人並んで歩く。
「大地のやつ、日比谷公園にいるから。維緒も一緒にいるらしいし、話すのは困らないと思う」
「いえ、そういう心配はしていませんから、大丈夫です」
 にこやかに笑うその表情から、緊張などは感じ取れない。この様子なら、心配は無用だろう。
くんは、これからどうなさいますか?」
「とりあえず、踊ってくれる人と、色気出してくれる人探すわ。見つけたらそっちに合流すると思う」
「はい。その事、お二方に伝えたほうがいいですよね」
「うん。そうしてもらえると、ありがたい」
 議事堂の外に出る。風は冷たいものの、快晴の空から降り注ぐ日差しは暖かい。は再度携帯を出して霊鳥を召喚する。火の鳥と見紛うような美しい赤い羽根をしたスザクが淑やかに跪くので、は迷わずその背中に乗り込んだ。それをが驚いたような、おっかなびっくりといった様子で見上げている。
「移動に使えるという話、本当だったんですね」
「うん。便利だし、もやればいいじゃん。日比谷公園まで歩くの、思いのほか時間かかるよ」
 逡巡するような素振りを見せたものの、は意を決したような顔つきになってポケットから携帯を取り出し、やや間をおいてから黒い犬を召喚した。高さは2メートルもあろうかと思われる、そんな大きな犬――というよりは狼。目の周りにはたまに蜃気楼が立ち上り、口から吐き出す息から時折、黒い煤が混じる。今は明るいから認識できないが、もしこれが夜だったら、目や口元から吹き出す炎がわかるのだろう。フェンリルとはそういう悪魔だ。
 フェンリルはを視界にとめると、はたはたと尻尾を振ってその場に伏せた。別にが何かを言ったわけでもないのに、が何をしたいのかまるでわかっているといった様子だ。
「それじゃ、俺行くから」
「あっ、はい! またあとで」
「うん。またあとで」
 手を振ってからスザクの首を軽く叩くと、スザクが羽を広げた。上昇するスザクの背中の羽を掴みながら、片手で携帯を操作する。緋那子に電話をかけながら地上に目をやると、背中にを乗せたフェンリルが走り出すのが見えた。