#06 : 5TH DAY 18:00~
(不自然な晩餐会)
なかば駆け込むようにして入ったエントランスには整然とした空気が立ち込めていた。第五のセプテントリオンであるアリオトを倒し、その勝利を祝うかのような、落ち着きの無さがいたるところから感じ取れる。ジプスの制服に紛れ、見慣れた面子の姿がちらほら見え、は遅刻せずにすんだ事にほっと息をついた。しかし、遅刻の原因を作った少女の姿は見当たらない。地下の部屋にすらいなかったが、一体どこにいったのだろうか。アリオトを倒すために別れて以降、連絡がつかないのである。一応メールは送ってみたものの、しかし返信は返ってこなかった。キョロキョロあたりを見回していると、亜衣梨に話しかけられた。二言三言会話し、次に、大地と維緒に話しかけられる。二人に聞けばわかるかもしれない、とについて尋ねてみたが大地も維緒も「知らない」との事だった。二人に見つけたら教えてくれと頼み、啓太、純吾、緋那子と会話を重ね、
そうやって時間を潰すうちに、大和が部屋の中にあらわれた。浮き足立った空気が大和の登場により張り詰める。緊張にもにた雰囲気に、けれどもはそれに呑まれる事無くキョロキョロとあたりを見回し――扉の近くにが立っているのが見えた。にも誰かからちゃんと話が伝わっていたのか、はてまたのメールを見てくれたのか。とりあえず情報が伝わっていたようで、内心胸をなでおろす。
そんなほっとした気分も、数分後には、怒りや動揺によって消え去ってしまうわけなのだが――
「……!」
「くん」
動揺から討論会に発展している皆から離れ、はのほうへと来ていた。はエントランスにある椅子にちょこんと腰掛け、人だかりを遠くからただ眺めていた。サイドテーブルには食事を乗せた皿が載っている。量は少ないながらも、ちゃんと食べているようだった。
「よかった。連絡取れなくて……」
「すみません。くんからのメールに気付いたの、ついさっきだったんです」
「そっか。俺たちから離れたあと、何してた?」
「町を散策して、悪魔に襲われていた人たちを助けました」
「すごいじゃん」
の率直な感想に、が苦笑を浮かべる。あまり嬉しそうではなかった。
「私の行動は、大和さんにとっては無価値だったのでしょうか」
ぽつりと、寂しそうに呟いて、薄く切り分けた鶏肉をパンにはさみ、小さな口でかじりついた。
「……大和の、実力主義?」
もくもくと口を動かしたまま、の言葉にこくりと頷いて見せた。は口の中のものを飲み込んでから、言葉をつむぐ。
「大和さんが、そんな事を考えていたなんて……。まるで気づきませんでした」
「俺だってわからなかったよ。ていうか、誰もが理解できるようなタイプじゃないでしょ、あれは」
大和と接してまず感じるのは“圧”だ。自然と、ごく当たり前のように放たれる重苦しい威圧感。何を考えているのかわからない冷めた瞳に見据えられれば、自然と頭を下げさせるような気持ちにさせられるような人間だ。そんな大和の心のうちなど、理解できるのはほんの一握り程度しかいないだろう。このエントランスに残っている人たちよりも大和との付き合いが長いであろうが理解できないのであれば、おそらくこの場所には彼を理解できる人間はいないかもしれない。
「はどう思う?」
「よくないと思います」
きっぱりと言うものだから、は目を丸くした。他の面子が戸惑う中で、彼女ははっきり否定の意思を口にしたからである。
「どうしてそう思う?」
「まずその実力を判断する基準は、誰が定めるのでしょうか」
「……うーん。大和かな?」
「それだと、大和さんのための、大和さんだけに都合のいい世界になりえませんか?」
手にしていたパンを皿の上に置いて、はため息を吐いた。
「私が言うのもなんですが、大和さんは、浮世離れしているようなふしが見られます。そんな方が唱える極端な主義は、破滅に繋がりそうで……」
はさらに目を丸くした。大和に対する批判を彼女が口するなど、予想もしていなかった。そんなといえば、不安そうにうつむいて、口をぎゅっと引き結んでいる。
「でも、全知全能の存在に世界をそう変えるように頼むってのが、大和の意思なわけだろ? 基盤の概念が変わったら、世界は上手く回るんじゃないかな」
「そうですね。もしかしたら、既成概念が変われば、くんの言う通り上手くいくのかもしれません。ただ、大和さんの思想は間違っているんじゃないかと私は思うんです」
「うん。……ごめん。えらそうに話したけど、正直難しくてよくわかんないや」
言いながら、悠然とした足取りで出て行った大和の後姿を思い出す。エントランスを包み込む奇妙な緊張と不安めいたざわめきを与えた人間は今何をして、どう思っているのだろうか。気にはなったが、けれどもわざわざ会いに行く気分にはなれなかった。
はうつむいたまま、けれども膝の上に置いた手はぎゅっと固く握り締めている。表情をうかがえば、怒っているというような、困っているような、そんな曖昧な顔だった。
「とりあえず、食べよっか。腹が減ってはなんとやら、だし」
「そう、ですね」
サイドテーブルに置いた皿からパンを取り、またもくもくと食べ始める。けれども、その表情はあまり美味しそうじゃなかった。一見華やかそうに見える食事も、気分によっては味気が一切なくなるものだ。きっとも、そういう心境なのかもしれない。
はとりあえず、に伺いを立ててからサイドテーブルに一緒に皿を置かせてもらい、テーブルを挟んで隣の椅子に腰を下ろした。ビュッフェ形式の晩餐で、大和の話による動揺が広がったときは、皆食事の手を休めて話に没頭していたように思う。しかし時間の経った今となっては、割と食が進んでいるようで、恐らく用意された食事は残らないだろうというほど、大皿にはまばらにしか残っていない。
もうちょっと多めに取ってくればよかったかなと思いつつ、は手にしたフォークを皿の上の肉に突き立てた。
「なんだかなあ。今まで順当だったのに、明日は波乱含みな気がして怖いな」
「……はい」
口の中のものを飲み込んでから、が相槌を打ってくれた。
「は大和に迎合する気はないんだ?」
「はい」
「大和に説得されても?」
「……はい。大和さんが私を説得するなんて事はまず有り得ないとは思いますが、もしそうなっても迎合はできません」
本当に有り得ないのだろうか? 口にしようとして、やめた。フォークに刺さった肉を口に運び、モグモグと噛みしめる。味はよくわからない。も味がよくわからない、みたいな顔でもくもくと即席のサンドイッチを食べている。
「くんは……」
「うん?」
「大和さんの意見に、賛同しますか?」
相槌は打ったものの、さすがに口の中のものを飲み込んでからは返答した。
「……に聞いた手前、こう答えるのは卑怯だと思うけど、正直わからない。それに、大和の言う理想も、なんとなく、わからなくもないんだ」
「……そう、ですか」
「軽蔑する?」
「いいえ。否定こそしましたが、私もなんとなく、大和さんの発言の意図を汲み取れましたから……」
理解できるからこそ、判断が難しい。二人してぼんやりと、どこに視線を向けたらいいのかわからず、ただ食事を続ける。
「なんか、あんまり美味しくないや」
「……ふふ、そうですね。美味しくないです」
「もっと楽しい気分で食事したかったなあ……」
隣のがほんの少しだけ笑って、それで何故か、気持ち心が軽くなったような気がした。
しばらくの間、気分を紛らわすようにくだらない雑談を投じた後、先に食べ終わったとその場で別れた。地下に割り当てられた部屋に向かっていく姿を見送り、ややうつむきがちになってもくもくと食事を続けると、ふいに、目の前に影が落ちた。はっとして顔を上げれば、すぐ前に見慣れた姿が立っている。
緋那子だった。いつの間に来たのだろうか、右手には水の入ったグラスを手にしている。緋那子はなんの断りもなしにテーブルの上にグラスを置き、ついさっきまでが座っていた椅子に腰を下ろした。緋那子は足を組み、ニッ、と音がしそうな悪戯っぽい笑みをに向ける。
「今の可愛い子、誰や? お姉さんに紹介しとき。……まさか、彼女とか?」
「うん、そんな感じかな」
「……えっ!? ほんまに彼女なん!?」
「ううん、嘘です。ゴメンナサイ」
ばしんと背中を叩かれた。痛かった。
「ウチだからこれだけで済んどるけど、他の子の前でそんな事言ったらアカンよ? ……で、今の子、見たことないんやけど、ウチ会った事ある?」
緋那子が顎に手を当てて、考え込む素振りを見せる。
「いや、緋那子は会った事ない、と思う。多分知ってるの俺と大地と維緒だけだ。……あと大和もか」
「大和もって……どういうつながり? ウチ、あの子の制服の学校知っとるけど、軽々しくお知り合いになれるような学校やないで?」
怪訝そうな眼差しを向けられる。けれどもは、やっぱりそういう学校だったのか、なんて変なところで感心していた。そんな、どうでもいい事を考えているのを見抜いたからわからないが、緋那子が不満そうな顔になり、「聞いとるんか?」と催促してくる。
「聞いてるよ。どういう繋がり、って言われても、俺からは何とも言えないなあ」
「そこを何とか!」
「俺も問い詰めてようやっと知ったのに、軽々しく教えるのもなあ。なんか峰津院家の末端らしいよ」
緋那子が「軽々しく教えとるやんか!」と突っ込みながら、今度は肩を叩いてきた。でも力加減はしてくれているのか、あまり痛くない。
「あの子、大和の身内なん?」
「いや、血の繋がりはないんだってさ。後は本人に聞いて」
「……名前くらい聞いてもバチ当たらんやろ?」
「。17歳」
「ふーん。たちより一つ下やね」
ふんふんと頷いて、緋那子はグラスに口をつけた。グラスの中の水を一気に飲み干し、ぷはーっと息を吐く。
「あの子、大和の身内っぽい感じなんやろ? 実力主義の話、知っとったんか?」
「いいや。さっき話したけど、全く知らないみたいだった」
「てことは、大和のヤツ、ほんま一人で決めよったんやな……」
腕を組み、むうと考え込む緋那子を横目で見やり、はしばらくぶりの青野菜を口に運んだ。とはいえ収穫してから日にちがたっているような、そんな古臭さが口の中に広がった。しなしなとシャキシャキが同居するような、微妙な食管に眉を寄せつつ、何とか噛み砕いて飲み込んだ。
「は、どうするん?」
「……どうしたらいいんだろうねえ」
誰に尋ねるわけでもなくぼやいて、は苦笑を浮かべた。