#13 : LAST DAY 06:00~

(なんてことない空気)

 大和が目を覚ますのと、部屋の時計が二回音を鳴らすのは、ほぼ同時の事だった。
 目を開けてまず視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。昨日と違う目覚めの光景をぼんやり見つめる。首をやや動かし、視界に空調の送風口を捉えてようやっと、合点がいった。
 執務室のソファで、一夜を明かしたのだ。上体を起こすと、布団代わりにかけていたコートが視界に入る。それを手で退けながら、大和はソファの上に胡坐をかくようにして座った。慣れない場所で眠ったのだ、身体のどこかに違和感はないか探すが、特に腰の痛みだとか、関節の痛みは感じられない。の言ったとおり、寝心地はさほど悪くなかった。
 昨日の夜の事を思い出す。と別れてから、自分も眠るため私室に戻ったはいいが、けれどもとベッドを共にする事がどうしてもできず、その結果、こうやってソファで眠った。服もろくに着替えずに眠ったせいで、シャツに皺がよっている。だらしがないとは想ったが、けれども今日で最後なのだ、別に構わないだろう。
 しばらくぼーっと座ったまま、意識がはっきりしてきた頃になって、床にそろえたブーツを手繰り寄せた。スラックスの裾が皺にならないよう気を配りながら足を入れ、紐を結びなおす。立ち上がって一度背伸びをしてから、テーブルの上にある脱ぎっぱなしの手袋に目が留まった。手にはめようか迷い、やめた。足を踏み出す。私室への扉を静かに開けて、足音を立てぬよう気をつけながら入り込んだ。
 は、まだ寝ていた。そのことにどうしてか、ほっと胸をなでおろしてしまう。ベッドに近寄り見下ろせば、昨日と同じ体制のまま穏やかな寝息を立てていた。
 大和はいったんその場を離れ、私室と繋がっている洗面所に移動した。洗面台の前に立ち、顔を洗う。おかげで、意識が鮮明になった。タオルで顔を拭いて、洗面所を後にする。
 再度ベッドの側に近寄り、の寝顔を見下ろした。熟睡している姿にためらいが生じたが、けれども大和は一度かぶりを振ってその考えを消し去ると、の肩に手を置いた。
、起きろ」
 揺さぶって、軽く叩いたりしてみる。昨日の今日なので、が起きないのではないかという不安はあった。けれども、それは杞憂だったのか――はゆっくり、うすく目を開けた。ぼんやりとした眼差しを大和に向ける。
「……ふぁい」
 気の抜けるような返事のあと、無邪気な笑みを浮かべる。しかしその後、目を閉じてしまった。どうやら今のは寝言だったようだ。先ほどの不安が頭をもたげる。
 大和は眉を下げ、もう一度肩を揺さぶると、今度は布団の中にもぐりこんでしまった。布団が変に盛り上がり、その下ではおよそ団子虫のようになっているのが、大和には想像できた。恐らく肩の位置だろうと思われる場所に手を置き、再度揺さぶる。大和の力の限り、思いっきり揺らせばは起きるのかもしれないが、けれどもこれ以上の力を加えることが出来なかった。たまに名前を呼びつつ、ただひたすら肩を揺さぶり続ける。
 はここまで朝に弱かったのだろうか。いつもの姿からは想像できなかった。とはいえ、幻滅しただとかそういった不の感情はなく、ただただ意外だった。
「んぅ……」
 が身じろぎし、大和は慌てて手を離した。布団の下でもぞもぞ動く物体を見下ろしていると、唐突に布団からにゅっと、腕が出てきた。
「……――ちゃん、起こしてぇ」
 一瞬、その甘ったれた声が誰から発せられたのか、大和には判別が出来なかった。の口から出たものだと確信してから、瞬きを繰り返す。は今、誰かの名前を確実に言った気がするが、うまく聞き取れなかった。布団から伸びる白い手をじっと見下ろしながら、大和はただ硬直する。
 まずは確実に寝ぼけている。おそらくさっき誰かの名前を言ったのは、学校での知り合いだろう。寮の話を一度聞いたことがあるが、一部屋に割り当てられる人数は最低二人からとの事だった。ともすれば今呟いた、名前はおそらくルームメイトであり、そのルームメイトに何度も起こされた経験があるから、寝ぼけてこうしているのだろう。
 しかし、起こすにしても、この伸ばされた腕をどうしたらいいのか。しばらく見下ろしていると、催促するように腕が揺れた。大和は無意識にビクッと身体を震わせ、半歩後退する。困惑で一杯になり、受け入れ能力が限界になっている頭を必死に回転させ、とりあえずの両手を掴んでみた。手を握り返される。そのまま、恐る恐るの身体を引っ張ると、は引っ張られる力にしたがって身体を起こし、ベッドの淵に足を崩して座る形になった。それでもいまいち眠気が飛ばないのか、うとうと、といった様子で俯いている。
「……起きたか?」
 がのろのろとした動作で、ゆっくりと頷いた。寝ぼけ眼を手でこすり、頭をぐらぐらさせながらもぼんやりとした眼差しで大和を見上げる。
 しばらくぼうっと、見つめられる。身動きできずに、の両手を手に取ったままじっと立つ。が瞬きのたびに、徐々に目を開けていくのを眺める。
「……え?」
 そして、小さな呟きと共に、見つめる眼差しの焦点が、大和にしっかりと合わせられた。
 は一度肩を大きく震わせてから、慌てた様子で部屋の中を見回し、それから自分の両手に目を向ける。大和の両手を握った手を呆然と見つめたのち、ハッと肩を震わせて大和の顔を見上げた。視線を左右に目配せし、握り締めていた手の力を、ゆるゆると解いていく。大和も手の力を抜いてやると、の手がすっと離れた。手のひらに残ったぬくもりが、朝の空気の中に逃げていく。
 はゆっくりぎこちなく居住まいを正すと、しばらく自分の膝上に行儀よくそろえた手を見つめ、意を決したような眼差しを大和に向けた。
「……大和さん」
「何だ?」
「……お、……おはよう、ございます」
「……おはよう」
 が深々と頭を下げるものだから、大和もとりあえず頭を下げた。ほぼ同じタイミングで頭を上げ、互いに顔を見合わせる。
「ぁ、あの、いくつかお伺いしても、よろしいでしょうか」
「ああ。構わん」
 頷いて応じると、はやや逡巡したのち、口を開いた。
「昨日の夜、その、執務室にいた時から、記憶が無いのですが」
「ソファで寝ていた。……そこまでは覚えているだろうか?」
「うとうとしていた事は、覚えているのですが……」
「そうか。私が気付いた時には、お前は眠っていた」
「……その、起こして下さったり、とかは」
「二度声をかけた。しかし、私のやり方が下手糞だったのだろうな、まるで効果はなかった。目を覚ます素振りをまるで見せず、お前は熟睡していた」
 が息を呑む。それから気まずそうに部屋を見回した。
「……ここは、どなたの部屋でしょうか」
「私の部屋だ」
「なぜ、私は大和さんの部屋に、いるのでしょうか」
「ここに運んだからだ」
「ええと、……どなたが」
「……。私だ」
 の頬が徐々に赤く染まっていくのに比例するようにうつむきがちになり、やがて沈黙した。大和もどう声をかけたらいいのかわからず、ただの動向を見守る。
 しばらくの間を置いて、がまた頭を下げた。
「……も、申し訳ありません」
 気まずいを通り越し、もはや泣きそうな声だった。
「こんな、粗相をしてしまって……みっともないです……」
「……。別に、気にしてはいないさ」
「ですが、大和さんに散々手間をかけさせた挙句、それにまったく気付かなかっただなんて……」
「だから、気にしてはいないと言っている」
 前々から薄々感じてはいたのだが、には少し頑固なところがあった。思わずため息が漏れると、は途端にしゅんと肩をすぼめてしまった。どうやら本気で落ち込んでいるその姿に、なんとも言い表しにくい気持ちが生じる。励ましたらいいのか、慰めたらいいのか、大和にはよくわからなかった。にかけるべき言葉が見つからず、とりあえず話を変えるべきだと判断した。
「まず、顔でも洗って来たまえ」
「……はい、そうします」
 相変わらずしゅんとしたまま、ベッドから降りようとして足を伸ばし、はそこで固まった。靴、と小さく呟いて部屋の中を見回すものだから、大和は身をかがめてベッドの下にそろえた靴をの足元にまで持っていってやった。
「……も、申し訳ありません」
「だから、気にするなと……」
 の体がさらに小さくなったように思え、大和は口をつぐんだ。すぐそこまで出掛かったため息を喉の奥で殺し、とりあえずクローゼットに向かった。扉を開けて、タオルを手に取る。ベッドから立ち上がり、所在なげにしているのもとへ戻ると、それを差し出した。は一瞬目を見張ったのち、おずおずとした手つきでタオルを受け取った。
「洗面所はあそこの奥にある。私は執務室にいるので、何か必要な物があれば言ってくれ」
「はい。……ありがとう、ございます」
 洗面所へ通ずる扉を顎で示すと、は深々と頭を下げた。顔を上げ、まるでぜんまい式の人形のごとくぎこちない動きで洗面所に向かう。その足取りを不安そうに眺めつつ、大和もくるりと身体を反転させ、執務室へと戻った。
 後ろ手に扉を閉め、肺に溜まった息を吐いた。一度深呼吸してから足を踏み出し、簡易給湯スペースへ向かう。何か飲もうと思ったのだ。
 戸棚を開ける。朝はいつもコーヒーを飲むので、その習慣どおりにコーヒー豆が入った缶を取り出そうとし、はたと動きを止めた。今日はがいる。記憶を探るが、がコーヒーを飲む姿は、見たことが無い。紅茶の方がいいだろうかと思ったが、あいにく、その手の事に関しては、大和よりのほうが達者なのだった。紅茶の缶とコーヒーの缶を交互に見比べた後、いつかの夜に飲んだ紅茶の味を思い出し――大和はそのままコーヒーの缶を取り出した。フィルターも一枚一緒にとり、戸を閉める。
 いつもどおりの感覚に従い、コーヒーメーカーにセットしたフィルターの中、適当にコーヒー豆を投入し、タンクにミネラルウォーターを注いだ。スイッチを入れると、ほどなくしてタンクから空気の泡が出てきた。コポコポと音がして、コーヒーが落ちてくる。コーヒーメーカーの上部から漂う湯気が、ほのかに暖かい。サーバーにコーヒーが一滴ずつ溜まっていくのをぼうっと眺めていると、遠くで扉が開く音がした。顔を上げて、振り返る。
「……大和さん?」
「ここだ」
 敷居の向こう側にいるので、顔を出したほうがいいかと思ったが、はその声だけで気付いたようだった。徐々に足音が近づいてくる。そして敷居から、が恐る恐るといった様子で顔を覗かせた。
「あの、洗面所とタオル、貸してくださって、ありがとうございました。タオルの方は籠に入れておいたのですが、それでよかったでしょうか」
「構わん」
 大和の一言に、がほっとしたような表情になった。それから、不思議そうにコーヒーメーカーを見つめている。
「……。お前も飲むか?」
 尋ねると、の肩が跳ねた。一度硬直してしばらく間を空けたのち、小さく頷いた。
 食器棚からマグカップ二つ取り出し、台の上に置く。コーヒーメーカーを見れば、サーバーの中はコーヒーで満たされており、注ぎ口から雫が落ちてくることはなかった。ちょうど淹れおわったらしい。サーバーを手に取り、まず大和の分を注ぐ。カップになみなみと注いでから、隣のカップに注ごうとして、大和は動きを止めた。
「……。
 名前を呼びつつ、空いた手で手招きすると、すぐにが隣にやってきた。
「どれくらい飲むのだ」
「……ええと、大和さんと同じくらいで」
 飲めるのだろうか、と思ったが、の言う通り同じ分量を注いだ。容器を元の位置に戻す。
「ミルクか砂糖は?」
「いいえ、どちらも不要です」
「そうか」
 は、いただきます、と律儀に述べてから、カップを手に伸ばした。両手でくるみこむように持ち、口をつけるかと思えばふーふーと息を吹きかけ始める。は猫舌だっただろうかと内心首を傾げつつ、大和もカップを手に取り、コーヒーに口をつけた。口の中にまず苦味が広がるが、その中に柑橘類のような酸味が仄かに感じられる。大和はこの味が割りと好きだった。日常的に好んでよく飲んでいるが、隣にいるはどうだかわからない。横目で伺うが、コーヒーをちょっとずつ口に運んでいるその表情は、べつだんいつものそれと変わりはしない。
 コーヒーを飲みながら眺めていると、視線に気付いたらしいが大和を見上げ、僅かに首を傾げる。無性に気まずくなる大和に対し、はどうしてか微笑を浮かべた。
「……おいしいです」
 穏やかに、一言。それを光栄だと喜ぶべきなのだろうか。よくわからないまま、大和は視線を逸らした。
「……。たかが、機械で淹れたコーヒーだ」
「でも、おいしいです」
 何らかの確信を以て断言するに、大和は反論できずに口をつぐんだ。
「きっと、大和さんが淹れてくれたからだと思います」
「……。機械で淹れるコーヒーなど、誰が淹れても味は一緒だ」
「一緒じゃありませんよ。……大和さんは、自分で淹れるよりも、他の方が淹れてくれたお茶の方が美味しく感じられたりとか、そういう経験に覚えは無いですか?」
 黙り込む。の言った事に、思い当たる節が無いわけではなかった。
 別に、は世辞でもなんでもなく、美味しいといってくれているのだ。素直に受け止めればよかったものを、どうしてひねくれたように受け取ってしまったのか。今さら後悔してしまう。肯定するにもどう言ったらいいのか悩んでいるうちに、言葉を発するタイミングを見失った。
 どことなくぎこちなさが漂う空気の中、二人揃って黙ったまま、コーヒーを飲む。
 飲みながら、ふと気付いた。何ゆえ二人して、ソファに移動もせずこんな給湯スペースでコーヒーを飲んでいるのか。
「……
「はい」
「こんな窮屈な場所で飲むのも何だ。ソファに移動したまえ」
 が一度瞬きをして、給湯スペースをぐるりと見回した。そうしてから、あっ、と小さな声を上げる。も今気づいたようだった。こんな場所で飲むことに疑問を抱かなかったのかと思ったが、自分も大概だった。
「……すまない。先にそう勧めておけばよかったが、気が回らなかった」
「い、いいえ。謝ることなんて、何も……」
 ふるふると首を振り、そして沈黙した。しばらく互いに顔を見合わせる。
 どうにも、言葉が自由にならない。以前と話していた時はどうだっただろうかと思い返してみるが、接する機会はおろか話す時間すらごく最小限だった事に気付かされた。おまけにどういう話をしていたかすらも思い出せない。そもそも、こういった、会話の中身に気を揉んだりする事はあっただろうか。……いや、ないだろう。悲しいが断言できた。
 どうしてこんなに気の詰まる思いをする羽目になってしまったのか。
 ――きっと、のせいに違いない。
 が昨日の夜最後に見せた、あの悪戯めいた笑顔を思い出し、内心で苦虫を噛むような思いになる。底なし沼に溺れるような、付き纏って絡みつくような漠然とした違和感を、なんと表現したらいいのか大和にはわからなかった。
「とりあえず、だな」
「はい」
「移動したらどうだ?」
「……あっ! も、申し訳ありません」
 慌てた様子で一度頭を下げると、はカップを手にしたまま給湯スペースから出て行った。大和もそれに続く。
 は応接テーブルの端にカップを置き、ソファの端の席に腰を下ろした。そうして、小さく身体を跳ねさせる。大和は怪訝に思いつつ、の対面の席に腰を下ろす。は慌てた様子で上半身をひねり、背もたれから黒い帯のようなものを手にした。大和にはそれに見覚えがあり、はっとして首元に手をやった。首もとのボタンは昨日の夜から外したまま、ともすればネクタイも身につけてはいなかった。
 が腰を持ち上げ、長いネクタイを手繰り寄せると、本当に申し訳なさそうな顔をして口を開いた。
「や、大和さん。本当に、何度も何度も、申し訳ございません……」
「……いや、いい。気にするな。そこに置いていた私が悪い」
 そもそもジプス支給のネクタイは無駄に長いのだ。背もたれにかけてもあまりにあまったそのネクタイの上に座ってしまうのも、仕方が無いだろう。何せソファの色とかぶっているのだ。気付かないのもしょうがない。
 はひどく申し訳無さそうに肩をすぼめつつ、ネクタイをくるくると丸めて大和に差し出した。別に適当に纏めてくれても良かったのだが、そういう所がなのだろうと一人で納得しつつ、大和はネクタイを受け取った。しかし今ここでつける気になれず、テーブルの上に置かれたままになっている手袋の隣に並べた。
 コーヒーを飲みつつ、の様子を伺う。気にするなと再三言ったのに、はひどく気にしているのか、打ちひしがれたような顔をしている。
 どうにも、あれだ。がこんな調子では、こちらの調子も狂う。いつもの調子に戻ってもらいたいのだが、どうしたらいいのか大和にはわからない。励ますのも何だか違うような気がするし、かといって怒ったり窘めたりするのはかえって逆効果に違いない。気持ちを切り替えられるような適当な話題を振ればいいのかもしれないが、けれどもそういった類の話がまるで思いつかない。
 ――いや、そもそもだ。何故こんなにも気を遣ってやる必要があるのか。別に気にする必要はないのではないか……?
 そこまで考えてから、大和ははっとした。どうやら自分の調子も既に狂っているようだった。しかし戻し方が分からない。脳裏にの悪魔のような笑顔が浮かび、思わず目を閉じた。左手の中指で眉間の上を押さえる。
「……頭痛でもしますか?」
 がおずおずと尋ねてきた。しょぼくれていた割に、よく見ているものだと感心する。
「いや……」
 言いかけて、口をつぐむ。ちょうどいいと思った。
「……少々眩暈を覚えただけだ。心配はいらない」
「もしかして、寝不足、でしょうか?」
「違うな。朝は低血圧なものでな、こういう事はよくあるのだ」
 適当な出任せを言うと、は納得したようだった。嘘をついたという罪悪感はあったが、のしょぼくれ加減は少し和らいだようで、内心ほっとする。
 しかし、が話しかけてくれたおかげで、どことなく会話できるような空気になった。頭もさっきと違って鮮明だ。コーヒーを一口飲み、口の中を潤してから、大和は口を開いた。
「そういえば、……夢でも見ていたのか?」
「……夢、ですか?」
「いや、記憶になければいいのだが……。私がお前を起こしに行った時、寝惚けたお前は私を誰かと勘違いしていたように見えたのでな」
 言い終わらない内に、に変化が訪れた。みるみるうちに頬が染まっていく。
「ぁ、あの、……違うんです。話を聞いてください」
「聞いているつもりだ」
「いつもは、普通に起きるんです。ちゃんと、自分で、起きられるんです」
「フ、そうだろうな。集団生活の中に身を投じているのだから、そうでなければならないだろう」
「遅刻なんて、一度もしたことありません。入学した時からずっと、皆勤賞なんです」
「……。そうか」
 とりあえず、頷いた。
 そもそも、寮生活で遅刻する人間はいるのだろうか。聞いてみたかったが、話がややこしくなりそうなのでやめておいた。
「その、いつも夜寝るのが遅いぶん、早く寝てしまったせいで、朝に向かうにつれ眠りが浅くなってしまい、そのせいで夢を見たと思うのですが……」
「……どんな夢だったんだ?」
「寮で生活していた時の、夢です」
 やはり、大和の予想は正しかったようだ。
「よく覚えてはいないんですけれど、ルームメイトの子が出てきて、それで……」
「それで、どうしたというのだ」
「きょ、今日は日曜日ですよね?」
「……。うむ。そうだな」
 頷く。ちょうど一週間前が、事の発端となった日曜日だ。あれからもう一週間経ったのかと感慨にふけるなか、はあたふたと言葉をつむぐ。
「日曜日はお休みの日ですから、寮監の方も、寮母さんもそんなに厳しくなくて……。朝起きる時間も、めいめい自由なんです」
 つまり、時間に追われる心配なく、ぐっすりと眠れるという事だろうか。
「……それで、日曜のお前は、ああやって他人に起こしてもらっているのか」
「い、いいえっ。あ、あああれは、違うんです」
「何が違うのだ?」
「……ま、……毎週ではなくて」
「ほう?」
「た、……たまに。……たまにです……」
「……フッ、そうか。たまにか」
 取り繕うが面白く、気付いたら口元が緩んでいた。しかしといえば、大和を凝視したのち、がっくりと肩を落とした。
「……も、申し訳ありません」
「……何故、謝る」
 顔は真っ赤のまま、再度しょぼくれてしまった。何やらさっきより酷くなってしまったような気がしてならない。
「私は別に、責めているつもりはない」
「はい」
 すぐに返事をする割に、その声は弱弱しい。わかっているのか、いないのか。曖昧な返事に大和は眉を寄せた。
「ならばなぜ、落ち込むのだ?」
 が目を見開き、ピクッと肩を跳ねさせた。徐々に俯きがちになり、カップの中をじっと見つめる。ひどく答えにくそうに視線をあちこちに向けた後、意を決したような表情で口を開いた。
「……は、」
「は?」
「恥ずかしい、からです……」
 目を見張った。瞬きをしながらを凝視する。
 恥ずかしい、というのは羞恥を感じるさまである。どうやらは今、羞恥を感じているらしい。どうして恥ずかしがっているのかよくわからないが、見たところいまだ頬が紅潮しているうえ、耳まで赤くなってしまっている。なるほどこれがの羞恥に満ちた顔らしい。
 ――いや、まて。何故自分は冷静に観察なんぞしているのか。
 大和は一度目を伏せ、静かに呼吸をした。どうやら狂った調子は簡単には治らないようだった。コーヒーに口をつけて気持ちを落ち着かせようとする。
「……大和さんは、案外、意地の悪いところを持つ方だったんですね」
 拗ねたような声に、思わずコーヒーを戻しそうになった。流石にそれはまずいと思い慌てて飲み込もうとしたが、口の中の空気も一緒に飲み込んでしまい、盛大に喉が鳴った。おまけに許容を越す質量を無理に押し込んだからだろうか、喉の奥がじわじわと痛みを訴えてきた。
「……待て。何故、そうなる」
 喉をさすりながら言うと、が恨みがましそうな視線をよこした。
「だって、さっきから、まるで誘導するみたいに、変な尋ね方ばかり……」
 顔を羞恥に染めたまま、徐々に声は尻すぼみになっていく。今にも泣きそうなその声色に大和は無性に気まずいものを覚え、さっきまでのやり取りを思い返してみる。しかしが言うような意地悪をするつもりは毛頭なかったわけで、そう感じる言動があったのか、まるでピンとこなかった。わけもわからず困惑する大和の対面では、はやっぱり拗ねたように俯いたままだった。
 妙な罪悪感がのしかかってくる。別に普通に接したつもりだったが、いつもと比べると調子は狂っていたし、たとえ自分が普通だと思っていても、受け取る側からすればそう感じたのだろう。どうやら悪いのは自分だという事を、認めざるを得なくなってしまった。
「……すまない。無意識のうちに失礼な言動を取ったようだ。気分を害してしまったのであれば、謝る」
 大和が言い終わるなり、が顔を上げた。何故か驚いている。そのまま大和を凝視し、眉を下げてふるふると首を振った。
「い、いいえ。謝らないでください。今のは、そういうつもりで言ったのではなくて、その……」
 言いよどみ、肩を小さくしてしまう。どういうつもりで人を意地悪呼ばわりするのか気になったが、藪蛇を突く事になりそうな予感がしたので、やめておいた。
「元をただせば、昨日私がうっかり眠らなければ、こんな事には……」
「……ふむ。だとするならば、昨日眠ったお前を上手に起こせなかった私にも、非があるだろうよ」
「な、……なぜ、そうなるんですか……?」
「お前が眠らなければよかった話なのだろう? であれば、私にも責があるのではないか」
 が絶句した。ぱちくりと瞬きしている。
 そうして困惑と不満が混ざった眼差しを大和に向け、けれど何を言うでもなく、コーヒーに口をつけた。
「……ゎ、わざと、ですか?」
 口を離し、伺うように一言。
「わざととは、何がだ」
「……。その、……いえ。……なんでも、ないです」
 気まずそうに、目を逸らされた。
「何でもないと言われると、かえって気になるのだが」
「ぁ、い、いえっ。私の勝手な勘違いでした。お気になさらないでください」
「気になると言っている」
「……うう」
 が小さく唸って、マグカップを両手で握り締める。
 そうして、観念したように口を開いた。
「――ぃ、……いじわるは、わざとなのかなと、思いまして」
「……は?」
 尋ね返すと、が申し訳ありません、と口走り、俯いてしまった。ことさら身体が小さく見える。
 を見据える。相変わらず羞恥の色を頬に残したまま、ひどく居心地が悪そうにコーヒーをちびちびと飲んでいる。
「私は、お前に意地悪を向けたつもりは微塵も無い。まことに心外だ」
「はい。……私の、勘違いでした。申し訳ありません」
「人の話は最後まで聞きたまえ。勝手に自己完結をするな」
「……はい」
「ともかく。……その、私につもりはなくとも、お前にとって心ない発言をしてしまったのであれば、謝ろう。すまない」
「いえ、こちらこそ申し訳――……へっ!?」
 は突然、素っ頓狂な声をあげたかと思うと、そのまま固まった。ただし目だけは何度もしばたかせている。思いもしなかったものを見るかのような視線を向けられ、大和の首が自然と傾いた。
「……何か、おかしな事を言っただろうか?」
「ええと。その」
 言いよどむ。
「……大和さんは、いじわるをしたつもりはないんですよね?」
「そうだ」
「でしたら、何故、謝るのでしょうか?」
「……む」
 その言葉に、自然とうめき声のようなものがもれた。
 の言うことは至極尤もだと思い、何も返すことが出来ず、そのまま黙り込む。
「やはり、寝不足ではないでしょうか?」
「いや、だから、寝不足ではないと……」
「ですが……、いつもなら、いじわるかと尋ねられた時に大和さんが否定して、それで終わってしまうお話だと思うんです。でも、こんなに引きずられるとは、その……意外で……」
 の頬からはいつしか羞恥の色が消え、今度は不安が色濃く出てきた。その言い方から、自分を心底心配しているのだというのが伝わってきて、大和は尚更黙り込んでしまう。
 視界も鮮明で、意識もはっきりしていることから、自分が寝不足でないことは断言できた。ともすれば、どうやら自分の思考にいつもと違う変化が訪れたらしい。それも、が気付くほどなのだから相当だ。
 時計などの、狂ってしまった歯車を戻すにはそれ専門の技師に頼めばいいが、あいにく人間にはそういったものは通用しない。よって、自分で何とかするしかない。
 狂ってしまった原因は――特定するまでも無い。
 かといって、昨日夜と話したことを後悔しているかと問われれば、していないと断言できる。自分の中で折り合いをつけることが出来ず、隅へ隅へと追いやっていた空間に名前を与えてくれたのはむしろ感謝したい。しかし、ここまで調子が狂うことは想定外だった。よって、手放しで喜ぶことができないのは事実だ。
「……大和さん?」
 名前を呼ばれて、それで意識が引き戻された。やはりどうも、頭がおかしいようだった。
「すまない。ぼうっとしていた。だが、寝不足ではない」
「本当ですか?」
 しっかりと頷いてから、思考をめぐらせる。
「その、だな。……あれから一週間がたち、今日で終わりなのかと思うと、どうにもな」
「……ああ。……そう、ですね」
 適当な出任せをそれらしく言えば、は納得してくれたようだった。コーヒーに口をつけて飲み始める。大和もそれにならいコーヒーに口をつけたのだが、もう残り少なくなっていたので、三口で飲み干してしまった。空になったマグカップを見つめ、それからの手元を伺い見る。くるみこむように持ったカップの中身は、もう三分の一程度までに減っていた。
、まだ飲むか?」
 尋ねると、は一瞬きょとんとしてから、首を縦に振った。
 立ち上がって給湯スペースまで行き、コーヒーメーカーのスイッチを切りサーバーを抜き取る。それを手にしたままソファまで戻り、まずは自分のマグカップにコーヒーを注いだ。その最中、がカップの隣にそっと自分のカップを差し出してくるので、のカップにコーヒーを注ぎ足した。ちょうど同じ分量になるまで注いだところで、コーヒーはなくなってしまった。手にしたサーバーをテーブルの上に適当に置き、ソファに腰を下ろす。
「……大和さんは、いつからコーヒーを飲むようになったんですか?」
 ふと唐突に、が尋ねてきた。
「局長という立場を担うようになってからだとは思うが……いつからだろうな。定かではない」
「毎日飲んでいらっしゃるんですか?」
「そうだな。毎朝の習慣といっても過言ではないだろう」
「そうでしたか。……大和さんがコーヒーを飲むだなんて、知りませんでした」
 穏やかに微笑んでいるのだが、どことなく、一抹の寂しさのようなものが見て取れた。その顔を見ていると、不思議と狼狽に似た感覚を覚える。
「それを言うなら、お前もだろう。てっきり私は、何か混ぜねば飲めないと思っていたのだがな」
「ふふ、いつもはそうですよ? ……ただ、今日は、せっかく大和さんが淹れてくださったコーヒーですから、そのままで挑戦してみようと思って」
「……。美味しいか?」
「おいしいです」
 にこにこしながら言う。さっきとは打って変わって、実に嬉しそうな微笑みだった。
「なんとなく、私にはまだ早いかな、と思っていましたけれど、……大和さんがお好きなのでしたら、今度、こちらのほうにも手を出してみますね」
 随分とあっさりした物言いではあるが、けれどもの「手を出す」という事が普通より遥かに上回る行為であると漠然と理解していたので、大和は素直に頷くことができなかった。思えば小さい頃から好奇心の塊のような人間で、気が付けば大和ですら知らないような知識を得ている事があるのだ。
「探求するのは構わんが、ほどほどにしておけ」
「はい。心に留めておきます」
「……本当に分かっているのか?」
「ふふ」
 大和の問いかけに、は文字通り、笑って誤魔化した。
 つまり、忠告に対し聞く耳は持たないという事らしい。けれどもその笑顔を見ていると、不思議な事に、そのまま誤魔化されてもいいんじゃないかという気にさせられる。に呑まれる、というより絆されかけているのかもしれないが、しかし話を穿り返すのは返って薮蛇になりかねない。
「よかったら、楽しみにしていてくださいね」
 本当に、心に留めておく気があるのだろうか。いや、ないだろう。絶対にない。
 いつもならばこの後、同じような忠告を口にしていたかもしれないが、しかし今の大和には頷く以外の選択肢が思いつかなかった。頷いた大和を見るなり、が嬉しそうに微笑むものだから、大和は静かに目を逸らした。

 そのまま、目ぼしい雑談に身を投じる事無く、先にコーヒーを飲み終えたのは大和だった。応接テーブルの上にマグカップを置き、一度時計を確認する。6時45分。思いのほか時間が進んでいた。
 大和は手袋とネクタイを取り、手袋だけ膝の上に置いた。ネクタイにつけたままになっていたピンを外してテーブルの上に置いたあと、ネクタイを襟に通す。大和にとっては毎日行っている、なんてことない動作なのだが、にはそれが珍しいようだった。コーヒーを飲みつつ、興味津々といった視線を投げかけられ、なんともいえない気まずさを覚える。
 ネクタイを結び終え、手袋に手を通している最中、がようやっとコーヒーを飲み終わったようだった。カップをテーブルの上に置き、深々と頭を下げる。
「ごちそうさまでした。……食器、洗ったほうがいいでしょうか?」
「……いや、いい。どうせ今日で最後だ、そのままにしておけ」
 食器を洗おうが放置しようが、世界が復元したらどのみち無機物の全ては元通りになるだろう。行儀が悪いが、結果は一緒だ。はわかりました、と素直に頷いて、ソファから立ち上がった。何処に行くのかと目で追いかければ、大和の上着を手に取って、大和の近くへと戻ってきた。その動作で、が何をしたいのか察しがつく。
 立ち上がって応接スペースから出ると、がコートを広げた。無言で袖を通す。襟元がよれていないか確かめている間、は少し絡まった飾緒を直しているようだった。
 コートの前を閉め、ネクタイを引っ張り出す。は大和からさっと離れると、テーブルの上にあるネクタイピンを手に取り、そのままこちらに戻ってきてそれを差し出してきた。無言で受け取り、コートの合わせ目にネクタイを重ね、ピンで留めた。
「……すまない」
「いいえ」
 がふるふると首を振って、それからくすっと、ささやかな笑みをこぼした。何がおかしいのかと怪訝そうに眉を寄せる大和に気付き、申し訳ありませんと前置きしてから、
「今日の大和さんは、謝ってばかりだな、と思いまして」
「……お前は、人の事を言える立場か?」
 言うなり、はギクッ身体を硬直させた。微笑が、恥ずかしげな苦笑に変わっていく。
「自分を棚に上げた事は謝ります。……ですが、毅然とした態度を取られるかと思っていましたから、少し意外で……」
「その方が良かっただろうか」
「どちらでも構いません。私は、私がしたい事をしているまで、ですから」
 つまるところ、自分が世話を焼きたいだけで、見返りは不要らしい。
 にっこり笑った顔を見つめ、大和は小さく息を吐いた。
「……。礼は言おう」
 行ってから、素直にありがとうと告げるべきだったかと思ったが、しかしにはちゃんと伝わったようだった。一度きょとんとした顔になり大和を見上げたものの、次の瞬間には、どういたしまして、と何故かやけに嬉しそうに言った。
 何がそんなに嬉しいのか不思議に思いつつも、そういえば調子が普段どおりに戻っている事にふと気付いた。あれだけ変な空気が満ちていたのに、どこへいってしまったのか。何はともあれ、有難い事である。
「行きますか?」
「……ああ。そうだな」
 頷いて、部屋の入り口へ足を向けると、も後ろについてきた。扉を開け、先にを廊下に出す。そうしてから一度振り返り、部屋の中を目だけで見渡した。特に、何が変わっているわけでもない。しいていうなら、応接テーブルの上がやや散らかっているだけだ。その光景に目を細め、大和は廊下に出ると静かに扉を閉めた。自動的に、鍵がかかる。
 道なりに進み、エレベーターに乗り込んで1階へ向かう。その間、会話らしい会話はない。どうしてかお互いに沈黙していたが、かといって居心地が悪いとか、気まずさを感じる空気ではない。現に大和がに視線を向ければ、はその視線にすぐに気づいて微笑みを浮かべる。この仕草を見るに、も同じように感じているのかもしれない。
 何をする事も強要せず、ただ温かさすら覚えるような沈黙の中、司令室までやってくると、流石にその空気は静かに掻き消えてしまった。
「二人とも、おはよ」
 司令室の中央に位置するテーブルに、が腰を下ろしていた。室内にいるというのにフードをかぶり、足をぶらぶらさせつつ、右手には食べかけのおにぎりがある。
「おはようございます」
「……。ああ、おはよう」
 先にが挨拶をした。大和もそれに続き、挨拶とともに一礼すると、は一度微笑んで、首もとのプレイヤーを操作してフードを下ろした。首を傾げる大和の隣で、がああ、と納得するような声を上げる。
「音楽を聴いていらしたんですね」
「うんそう。ちょっと精神統一しようと思って」
 プレイヤーの配線はフードに繋がっているし、どうやらフードに何かしらの細工があるようだが、あまり突っ込む気になれず大和は黙ったままだった。
「そのおにぎりは、ご自分で?」
「ちがうちがう。食堂の方で配ってた。朝ごはんまだなら貰って来るといいよ」
「はい、そうします」
 がうれしそうに頷く。は目を細めてその顔を眺めた後、おもむろに大和の方へ顔を向け――ニイッと、いかにも悪魔めいた笑顔を浮かべた。
 途端、大和の背中にわけのわからぬ悪寒が走る。先手を切らねばならないと、直感した。
、先に食堂へ行っていろ」
「大和さんは……?」
「私はと少し話す」
 困惑げに大和とを見比べていただったが、大和の表情で何かを察したらしく、すぐにしっかり頷いた。
「わかりました。くん、また後で」
「うん。またね」
 は二人に礼をしたのち、すこし慌てた足取りで司令室を後にした。はその背中を見送りながらおにぎりを一口頬張り、もぐもぐと口を動かして飲み込んでから、ニヤニヤとした笑みを大和に向ける。
「ゆうべは、おたのしみでしたね」
 棒読みといっても差し支えの無い、まるでからかいとも取れる口調に、大和は思いっきり顔をしかめた。なかばを睨むように見つめ、口を開く。
「何を馬鹿な事を言っている」
「あれから結局どうしたの? どこで寝た?」
「……。お前はとことん嫌な性格をしているな。ソファだ」
 大和が言うなり、の顔が一気にしらけた。つまんないなあ、とぼやいて、またおにぎりを頬張り始める。
「話はこれで終わりだな?」
 慌てた様子でぶんぶんと首を振り、それからは口の中の物を飲み込んだ。
「朝起きてから外に出て変化を探してみたんだけど、特に見つかんなかった」
「……。そうか」
「ごめん。話はそれだけだ。大和もご飯食べてきなよ」
「……。そうだな。では、失礼する」
「おう。またあとで」
 身構えた割には、はあっさりとしていた。何か裏があるのかと思いつつ一礼すると、はひらひらと手を振りつつ、もくもくとおにぎりを食べ始めた。
 とりあえず、充分に警戒しながら司令室から食堂へ通ずる廊下まで向かったが、その間は特に声をかけてくることはなかった。どうやらいらぬ心配だったようで、ともすればの手のひらの上で転がされていたと気付かされ、大和は盛大にため息をついた。