|
二儀日月千字文(法帖・古版)
(巻首に『魏大尉鍾繇千字文・右軍将軍王義之奉勅書』とある。
魏の鍾繇(しょうよう)の千字文を晋の王義之が勅を奉じて
(天子の命をつつしみ受けて)書いたという意味である。
多くの書家が写し、一般に知られる千字文は、「二儀日月」ではなく、
「天地玄黄」という言葉で始まる梁の周興嗣が作ったとされるもの。
しかし、それ以前にも千字文は存在し、魏の鍾繇が作った千字文が
あると言われている。ここに掲載した「二儀日月」で始まる千字文は
その鍾繇作として今に伝わるものの一つ。「二儀日月」の文そのもの
はともかく、書は唐・太宗時代の能書家、趙模が晋の王右軍
(王義之)の書(文字)を集めて作ったものと言われる。清の乾隆帝は、
所持していた「二儀日月千字文」の筆意を『精到にして結構』と評した
と言われ、帝室の書を集大成させた『三希堂法帖』の第一冊に、この
「二儀日月千字文」を刷らせた。当優游文庫所蔵の法帖は、
『三希堂法帖』とは一部字句の配置が異なる。また, 同法帖
より古い法帖と推定されるが、題簽の文字は読み取れず、
どの法帖のものか確定はできていない。調査中である。)
注:1) 『三希堂法帖』の正式名称は、『御刻三希堂石渠寶芨法帖』
|
|