収蔵書籍展示室


 『本草綱目』に見る『避諱字(ひきじ)』 

中国歴代王朝の統治体制は、元時代を除けば、ピラミッド型の上下関係が明確な封建色強く、書籍・出版に対しても何度か厳しい弾圧がありました。自国以外の史書を焼却させたり富国強兵と相反する儒家の書物を焼却させた焚書、民族問題に抵触したり体制に合わないと判断された書物の出版を禁じた禁書、乾隆期の中国全土に存する図書の全面審査、最近では文化人を批判・失脚させ、それまでに築かれた文化を一掃しようとした文化大革命などがありました。使用する文字に制限を加えた『避諱字(ひきじ)』という禁令が出された時もありました。この風習は、秦漢時代から始まると言われています。但し、その明確な痕跡を残している時代とそうでない時代とがあります。唐代、宋代と清代の康熙帝以後は盛んであったことが知られていますが、皇帝の本名には蒙古文字を用いた元代とその後を受けた明代の中期までは避諱の用例が少ないと言われています。『避諱(ひき)』とは、皇帝に敬意を表して、その諱(いみな)、即ち本名を口に出して呼んだり、記載したりするのを避けることを言います。已むを得ず、その文字を使用する必要が生じた場合は、次の2つの方法のうちどちらかの方法で対処するしかしかありませんでした。1つはその字の最後の一画を欠かす欠筆という方法。(欠筆は欠画とも書かれます。)もう1つは、同音または同義の代字を充てる方法です。ここでは、当文庫所蔵本より、「本草綱目」を取りまして、『避諱字』の一例をご覧いただきたいと思います。



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図1.上は、明・崇禎十三年(1640年)刊行の武林錢衙本。梁の医薬師、『陶弘景』の「弘」の字は、本来の漢字が使われてます。


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図2.上は、清・乾隆期頃、図1の武林錢衙本を覆せ彫りしたと思われる再版本。同一版と見紛うばかりに体裁・字体とも似ていますが、乾隆帝の本名は、『弘暦』のため、「弘」の字が「宏」に改字されています。


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図3.上は、図2と同じ版。「玄」の字の最後の一画(右下部分)を欠く欠筆。(乾隆期頃の版ではあるが、二代前の康熙帝の本名の『玄Y(げんよう)』に敬意を払い欠筆が採られています。(注:「元」の字に変えられる場合もあります。)


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図4.上は、図2、図3と同じ版。もし、この版が乾隆帝より2代後の道光帝時代の出版とすれば、道光帝の本名が、「寧旻」のため、「寧」の字は、同音の「ィ」などに変えられるはずですが、変えられていません。よって、経年変化、紙質等、本の状態や、同書の出版来歴などを調査・加味すれば、乾隆もしくは嘉慶の時代に出版されたものと推定できます。書籍に刊年の記載が無い場合でも、この『避諱字』によって、ある程度ではありますが、刊行年を推測することが可能と言えます。〔上記版本でも、図4に順治12年=1655年の呉毓昌(ごいくしょう)の序はありますが、順治時代の出版物ではないことになります。〕




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