【SPレコードの概略史】
(Brief history of Standard Playing "SP" records)
1857年、フランスの印刷技師、レオン・スコットは円筒(シリンダー)にすすを塗り、これに豚の硬毛で音を記録。(Phonautographと名付けた。)
彼は音が波であることを証明したのの、音を再生することは出来なかった。
1877年7月、トーマス・アルバ・エジソンは、針の付いた震動板を、動くパラフィン紙に近づけることで声の記録が残せるとノートにメモした。
1877年4月10日、フランスの詩人でアマチュアの科学者だったシャルル・クロが、フランスの科学アカデミーに1通の封書を提出。
その中には、油煙の皮膜を付着させた透明な円盤(ディスク)を回転させ、その上を震動板に直結された針が少しずつ内周へ向かって移動しながら、
一条の線を描いたのを原盤とし、それをすでにエッチングなどで知られる写真の技術を使って別の材料に写し取り、それに震動板を
持った針を置けば、音が再生されるというアイデアが書かれていた。しかしそれが開封されたのは、12月3日。
1877年8月、エジソンは部下のジョン・クルーシーに図面を渡し、実験機製作を命じた。
1877年12月6日、エジソンは、”円筒(シリンダー)式錫箔録音再生装置”で「メリーさんの羊」の音を捕らえた。
エジソンは、この機械に音を書くという意味でフォノグラフ(Phonograph)と名づけた。
(これは上下方向に音を刻む縦振動での録音。)
クロの円盤(ディスク)式録音の論文はアイデアに留まり実験に至らなかった。一方、エジソンは蓄音機発明の特許権を得て、商品化に着手。
エジソンの円筒(シリンダー)式のものは、発明から10年ほど後の1888年、保存の効かない錫箔は蝋材に変えられ、
以後、その円筒形のレコードは、一般に「蝋管」と呼ばれるようになった。
ドイツ生まれでアメリカに移住してきたエミール・ベルリナーは、縦振動の録音方式では、針のアップ時ダウン時で音の捉え方に歪みがあると考え、
音の縦波ではなく横波で円筒(シリンダー)に刻む方法を考案し、その後、円盤(ディスク)上に横振動を刻む方法を考案して、1888年に特許を取得。
最初の亜鉛板のレコードは、雑音が多かったが、1894年には盤質を硬質ゴム(エボナイト)に変更、プレス作業に成功。
その平らな円盤レコードは、グラモフォン(Gramophone)と名づけられ、1895年、フィラデルフィアにベルリナー・グラモフォン社が設立され、
円盤レコードの商品としての生産が開始された。円盤(ディスク)式の商品化は、このように「蝋管」に遅れること7年。
以降しばらくは、シリンダー・レコードとディスク・レコードの競合の時代が続く。
1897年に、円盤レコードは、素材が硬質ゴム(エボナイト)からカイガラムシの分泌する虫体被覆物を精製して得られる樹脂状の物質
(シェラック)を使ったものに変わって音質が向上。その後、円盤レコードは、両面盤が登場。(1915年頃か)。長時間録音が可能となり、
次第にシリンダーレコードはディスクレコードに駆逐され、1929年にエジソンはシリンダーレコードから撤退し、円盤レコードのみの時代となった。
1948年頃に、プラスチックを材料にした長時間レコード "Long playing record"が登場して以来、それ以前の蓄音機用レコードを
"Standard playing record"として区別し、長時間レコードはLP、それ以前のレコードはSPと区別して呼ぶようになった。
SPレコードの回転数は、大方78rpm(78.26rpm)だが、中には、80rpm(min-1)のものもある。
【円筒(シリンダー)式レコードと円盤(ディスク)式レコード】
(Cylinder record (Left side) and Disc record (Right side) )
下の写真は、左側が円筒(シリンダー)式、右側が円盤(ディスク)式・・(旧ラッパ吹き込みの片面盤)。
【鈴琳舎優游文庫所蔵のSPレコード】
(Rinrinsha-Yuhyuhbunko Library possessing old 78/80 rpm records)
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