トトメス三世の経歴
第18王朝の王。トトメス二世と側室イシスの子として生まれる
即位後若年であることを理由にトトメス二世の王妃ハトシェプストが摂政となり、後に自ら女王として即位。王位を奪われることになる。ハトシェプストの死後やっと王に。これを恨みハトシェプストの死後、彼女の政策を否定。各地に遠征に出、エジプトの領土を広げ、エジプトのナポレオンと称される。また、各地にあったハトシェプストのレリーフや名前を消したことでも有名。
カルナック神殿に、トトメス三世葬祭殿を建築。遠征時に各地で採集した植物や珍しい動物をレリーフにした物が残る(旅行記を参照
ハトシェプスト葬祭殿そばに作られたハトホルのための岩窟至聖所は現在カイロ博物館に展示されており、非常に美しい。必見!
在位年代はBC1479〜BC1425。
 墓の発見
1898年ヴィクトール・ロレによって発見。
入り口は盗掘を避けるため、地上30mの山の窪みにある。しかし、ロレが発見した時、墓の中は荒らしつくされ、荒廃していた。王のミイラもずたずたにされ、足がもげた状態だったという。
 墓の内容
30mある鉄製の階段を登り、細い通路を進むと入り口がある。通路は岩肌の間にあり、まさに「谷」という感じ。よくもまあ、こんな所にと思わずにはいられない場所だった。

入口を入り、約45度の下降階段(A)を下ると深さ5mの落とし穴がある。その奥に二本の柱がある広間(C)がある。広間の壁面には冥界の書に描かれた741体の神々の名前が一面に書かれている。
神々の名は夜の12時の時間順に整然と枠の中に記されている。
 
下降階段
※1
神々の名前が描かれた壁画(C)
(C)Paul Biesta
広間の隅に下へ向かう急な階段(D)があり、ここを降りると玄室(E)に出る。玄室は楕円形をしており、壁面には冥界の書が書かれている。これは日没から翌日の日出まで、夜の12時間の太陽神ラーの運行を題材とし、太陽神ラーが闇の支配者大蛇アポピスなどの敵を打ち破り、東の空に再生復活するまでのできごとが書かれた書だ。
 
絵は非常にシンプルな線描で描かれており、このような様式はトトメス三世と息子のアメンホテプ二世のみ。現代では「洗練された墓」として評価されている。
色彩も冥界の書が描かれた中央の部分は地色のベージュの上に赤と黒の二色のみで描かれ、天井と床に接する部分のみ色彩が使われている。中央に立って周りを見渡すと、部屋の楕円形の形とあいまって、まるでパピルスの巻物を広げたようだと思った。調べてみると古代エジプト人はこの壁画を「秘密の部屋の本」と読んでいたらしい。そのように見えることを意図してデザインしたのかもしれない。
 
シンプルな線描
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石棺(G)と側室(F)への入口
(C)Paul Biesta
上部と下部のみ色が使われている
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大蛇アポピスを打ち破るラー
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玄室にある柱には聖なる樹から乳を飲むトトメス三世が描かれている。この絵のトトメス三世、まるで笑っているようでとても愛らしい(*^_^*)
 
柱の壁画(E)
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乳を飲むトトメス三世(E)
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 感想
王家の谷の王墓というとツタンカーメンの墓のや神殿のレリーフのような定型のパターンの絵を思い浮かべるが、思い切り異質。
何故ここまで思い切ったのか理由が知りたくなる。
美しさという点では従来の墓のほうに軍配が上がるが、このような絵も見ていて大変楽しい。この墓をデザインした王墓職人の勇気と、デザインを許可した王の独創性に感動だ。
※1の写真について
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