第四世界の聖人 1 2 <<小説置き場へ |
生まれる前からそこは音の海だった。初めのうちは一筋の川だっただろう。様々な流れの跡を残しながら、あらゆる水が混ざり合い融け合った豊かな海で、幼いアルベルトは一心にその恵みを受けていればよいはずだった。だが彼はある日その海と決別した。ちょうど戦争が終わった頃のことである。 その後アルベルトは一人がかりでこしらえた書物と思想の沼の中へ身を浸からせていった。音を嗅ぎつけてやまない習性は彼の鼓膜から消えなかったが、音を求める感性だけは、徐々にどうにか殺していった。それからさらに時が過ぎた頃、彼は自分の身体とさえ決別した。 全てを学んだ両手が失われたことで、彼に染みついていたものが再び日の目を見る可能性はほぼなくなった。そして音楽は少年の日の思い出と共に、ただ脳裏に影をとどめるのみとなった。記憶の中で時折ゆらめく様々な影の中には、一本の川もあった。かつての海原へとりわけ濃厚な色をたたえて流れていた川、それがストリンドナーだった。 虚言者。好色。比類なきエゴイスト。ピアニストにして作曲家であるストリンドナーは、それなりに名を成しながらもウィーンの音楽人の間でそう語られていた。さほど常識人が集まっているとも言えない芸術の世界であったが、彼の人格は蔑視を込めてそのように評された。もっとも、人格というものを実生活のための借り物と割り切っていた彼は、己の行いについて誰に何を言われようが意に介さなかった。村外れに佇む怪物のようなその顔の下で、彼が心に掛けているのはただ音楽のことばかりだった。その長い指は何かを手繰り寄せようとしているかのように、いつもズボンの横でかたかたと動いていた。 ストリンドナーは学生時代、彼の才能を見込んだ教授のもとで大量のカリキュラムをこなす傍ら、「人格修行のため」という師の言からピアノの家庭教師をしていた。恩師が紹介してくれたその子はとある裕福な家の十三歳の娘だったが、ほどなく彼は柔和な脅迫を以って彼女と恋仲になった。屋敷の夫人にそのことが知られると、今度はその夫人を誘惑した。幸運なことに夫人は指の長い男が趣味だった。 しかし結局の所それも一時の安全に過ぎず、これら二人のあるいは三人の関係は、ある日とうとうこの家の家長に発見された。ピアノ部屋の窓から下へ飛び降り、途中何度か拳銃の弾が傍を掠めていくのを感じながら、彼は走って逃げた。手と違って足の方は不器用だった彼は、散々物に躓いたりしてよけいに自分を窮地に追い込んでしまったが、どれだけひどく転ぼうとも絶対に手をつかなかった。神がその懸命さに免じて一時の許しをくれたのか、その時は何とか追手に掴まらずに済んだ。 その場を逃れたとは言え、こうなってはストリンドナーの音楽家としての将来は風前の灯であった。しかし教授が尻拭いを買って出てくれたおかげで、かなり冷や汗の滲むやり取りを経つつも、何とか示談となり、彼の不始末は多くに広まらずに済んだ。教授の行いは、一見すれば心広き老先生が教え子の不始末に責任を感じて奔走した、とでも要約すべきいかにもな美談であった。 しかしこの心広き老先生は、あたかもその一件で寿命を吸い取られたかのように、それからまもなく体を病み、ベッドでこの世の最後の客人を待つばかりとなった。これはストリンドナーにもはや大学での将来は有り得ないことを意味していた。 (先生が死んでしまえば、講師になってその合間に作曲に専念するなんていうのはもう無理だ。もう僕は一生、通俗的な曲を作って食っていくしかなくなったんだな・・・。いやそれ以前にこの景気の悪い中、そんな口すらあるかどうか) これまで課題で作った数々の自作をつくづくと眺めながら、せめて一曲だけで良いから音楽のための音楽を世に出したかったと思い、溜息をついた。 老先生は意識のある頃、ストリンドナーに一冊の楽譜を託し、彼の方を凝視しながらこう語った。 「いいか、この曲はいずれ自分の葬式で使おうと思って昔から何度も手を入れながらできあがったものだ。私の葬式でこれを弾け、絶対弾け。あのムジナどもが私の葬式で泣いたりするなど本来ならば御免なんだが、そんなことはどうでもいい。私の曲、ごとき、で泣いてみろ、奴らはさぞかし悔しがるだろう。いい見物だ。この世の最後に見たい物としては、いちいち言えばきりがないが、それでも敢えてと言えば私はこれが一等だ」 狭い下宿部屋に帰りその曲を一通り眺めたストリンドナーの心の中は、なんとも気まずい思いで一杯になった。間違いなく素晴らしい作品ではある。曲はただただ哀愁に満ちていたが、それを取ったら何も残らないような浅いものではなく、複雑で深みのある高尚さを保っていた。これなら教授を嫌っている人間でも聞き入らずにはいられないだろう。少なくとも今のストリンドナーには作れない代物だった。 しかし、と彼は思った。あまりにも分かりやすい曲だ。一人の音楽家が最後の最後で仕掛けるものがこのように毒のないものであっていいのだろうか、という感想がどうしても浮かんでしまう。恐らく自分がもうすぐ死ぬなどとは思いもよらない頃に完成させた作品なのだろう、と思った。あるいはこの作為的なまでの穏やかさこそ師の狙いだったのかもしれない。だが彼は、作った人間の思惑は何であれ根本的に死を材にした曲なら、例え不要だったとしても、そこにおぞましいものの欠片を見たかった。 (これならいっそ・・・) ストリンドナーはふとカレンダーを見た。眺めているうちに彼はなんだか教授が死ぬのが明日か明後日かのような気がした。自分が今こうして楽譜を手にしたままただじっとしていることに耐え難いものを感じた。やがて彼は何かに押されたかのように立ち上がり、ほとんど自動的にブランクの五線譜を机の上に取り出した。ペン先がインク壷の真上で震えながら留まっていた。 裏切ってはならないものを裏切っているような気がした。師に対してではなく、彼の中でもっと上の方にある大きな何かに対してそう思った。そしてストリンドナーは今、世間の神とは別の、音楽の聖なるものの目の中にいるような気がした。少女に手を絡めた時には全く痛まなかった良心が、この時は凄まじい悲鳴をあげていた。心臓が高鳴り、まるで水の中にいるように手足の動きが遅く感じられた。その水の中で理性が泡のように彼を取り巻いていた。細長い指を持つ大きな手に握り締めているペンと、師から託された楽譜とが頭の中でぐるぐる回り、その回転がこの場のあらゆる時間を容赦なく刻んでいくのを感じた。今すぐこの手からペンを放せば、こんな状態からともかくも解放されるだろう。だが彼の選択は大抵理性が示した方へは行かないのだ。なぜかと言うと、そこでいつも音楽が聞こえるからだ。それはこの世のどこかにすでにある音楽で、それでいて一つの曲から成るものではなく、ショパンのノクターンで始まったかと思えばヴェルディの「レニャーノの戦い」に変わり、正午に鳴る聖堂の鐘が前触れもなく響いてきたりする、一見脈絡のないものだった。彼はそれを今の自分のいる所よりずっと上にあるどこかで一筋の釣り糸にするのである。そしてそれが今の自分の所へ上手く飛んできて、鋭い針が体の中心を貫いてそのまま一瞬で水のない世界へ釣り上げてくれるのを待つのである。 理性の警告を理解できないわけではない。ただ、自分で紡いだ音楽に自分の意志で身を委ね、やがてその意志もろとも音に憑依されていく快感は、理性の世界からは決して得られないものだ。そして何より得難いのは、そこから一瞬現れるような現れないような、自分の音楽だった。今もまさにそれは鼓膜の奥深くで、自分に掬われるのを待っているかのように揺らめいている。彼はそれに必死で縋ろうとしていた。 (ああ今日もきた・・・!) 彼の目にもはや臆した色はなかった。体の中で脈打つ音楽を時折口元からこぼしながら、彼は蟻のように一心に進んでいった。 昼も夜も忘れる中、三日後に一つの曲が誕生した。 師は意識が亡くなる寸前まで自ら作った曲の弾き方を、音を聞かれないように家人を遠ざけつつ弟子に教え込んでいたが、その楽譜は作者の死とほぼ同時に密かに薪の火の中へくべられた。 こうして葬儀の場で発表されたストリンドナーの名による彼の処女作と彼自身による演奏は、出席者から大絶賛された。しかし一方で、中には彼を恩人の死を踏み台にして世に出た男と陰で言い捨てる者もいた。もっともストリンドナー自身にしてみればまさにそのつもりでやってのけた一連の行為であったので、悪口に感じる所などなかった。彼が密かに後ろ暗く感じていることがあるとすれば、それは師を裏切ったことではなく、一つの美しい音楽を消したことだった。 ストリンドナーはその気になれば大学の中で職を得て、教授を目指すこともできたが、ピアノの腕と作曲が一度認められたとはいえ、学閥の嫌われ者であることには変わらなかったため、大学を出てからもその世界へは進まなかった。代わりにラジオ放送局で劇伴のピアノ奏者になり、やがて劇伴の編曲や作曲も手掛けるようになった。 音楽的な面から見れば、彼は天才とまではいかないにしろ一流のピアニストとしてそれなりに認められ、大衆に好まれる作曲家となった。世界的な不況に見舞われてからというものの、多くの音楽志望者がその道を捨てざるを得なくなっていた中、彼は成功者と称されるに充分だった。だが彼自身はそう思っていなかった。 ストリンドナーはあくまで己をクラシックの人間と見なしており、生涯その矜持を捨てなかった。彼は大衆向けの音楽を洪水のように作りつつも、いつか自分の名として残せるような交響曲を作ることを夢見ていた。仕事で得た資金を投じて、多忙の合間を縫ってはオリジナルの曲を作り、レコードを発売した。演奏家個人のレコードが出ることなどまずなかった時代に、これは画期的なことだった。しかし何度世に出しても評判も売れ行きも芳しくなかった。一番最初の絶賛は自分の妄想だったのかもしれない、とこの頃からストリンドナーは思い悩むようになった。 唯一喜びを感じたのは、三十になる頃、地元のラジオ局でクラシックの名曲を演奏する番組を持ったことだった。しかしそれでストリンドナーの悩みが完全になくなるわけでもなく、依然として彼は自分が低迷の中にいるとしか思えなかった。ままならなさからストリンドナーは、仕事上で次第に我が物顔で振る舞うようになり、それにつれて周囲から反感を買うようになった。 だが一九三八年の三月、オーストリアがドイツに侵攻されると、その一年のうちにストリンドナーの人生は変わっていく。 |
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