第四世界の聖人      1 2                <<小説置き場へ


 ほぼ全てのオーストリア国民にとって、ヒトラーは憎むべき侵略者だったが、ストリンドナーはそう思っていなかった。住む家を追われたわけでもなく、ラジオが打ち切りになったわけでもない。幸運なことにユダヤ人の親戚もいない。話す言語を変えなければならないわけでもない。気掛かりと言えば、身の回りの物々しい雰囲気ぐらいだった。とある医者や学者が一家ごと消えた。銃声と悲鳴がふと轟いたかと思えば、また何事もなかったかのように押し黙る、そんな晩も時にあった。身に覚えがなくとも、そんな時は「明日は我が身」に思えて、生きた心地がしなかった。

 ミュンヘン会議でイギリスがドイツへの歩み寄りを見せて、九月にチェコ領ズデーデン地方のドイツ併合が認められた。オーストリア国民の大半は、各国の弱腰に絶望したが、ストリンドナーは、もうこれで戦争は回避された、と安心した。国がナチスに乗っ取られたと言っても、今の自分の回りに支障を感じていなかったストリンドナーは、芸術家の間に蔓延していた反ナチスの風潮に無関心だった。彼にとって愛国者たちの憤りは、上辺には理解できてもどこか遠いものだった。彼は現在の国体で自分の音楽をどのように作っていくべきかということ以外、全く何も考えられなかったのである。

 ストリンドナーの身近にいる愛国者たちは、そんな彼を非国民的であると批判したが、当の彼はただ憮然として、「だからと言ってこの自分にどうしろと言うのだ」と言い返した。

 やがて彼はそう批判されることが、ある意味好都合であることに気がついた。この頃ストリンドナーが世間で話題になると言うと、それは決まって彼の振る舞い、ただそればかりに集中していたのである。自分の曲についてあれこれ言われて落胆することに比べれば、非国民呼ばわりされる方が、彼にとってはまだ好ましい状態だった。
(今のこの状態を利用しない手はない)
彼はそう思った。

 まもなくストリンドナーは、他人の言う所の「非国民」らしく振る舞うようになった。ナチスを讃美し、親ナチ派に取り入った。レギュラーのラジオ番組の放送中に突如、曲を奏でている手を止めて、芝居がかった口調でヒトラーを賞賛したこともあった。

 一連のこういった行動に音楽愛好家たちの多くが眉をひそめ、心ある人々は、ストリンドナーは自分で自分の音楽を台無しにしている、第一あんな調子ではヒトラーの方だって白けるだろう、と決して彼に届かない所で批判を口にした。彼らの言い分は半ば事実で、親ナチ派の中にもやはりストリンドナーの口八丁手八丁を内心で嘲っている者はいた。しかしストリンドナーの乱暴なまでにまっすぐな立場表明は、全体そのものが肉食獣と化しつつあったナチス体制に、ねじのようにぴったりと収まった。

 その後も含めてストリンドナーはこの体制のために数多くの歌を作り、それに伴い彼の名前は、それを目にする人々にある種の緊張を催させた。忙しくなった彼は雑務係も兼ねて、エルンスト・ハインツ・ヘルベックという名の弟子を一人入れた。

 歌を作る際自ら作詞も手掛けたりしたので、ストリンドナーの身近にはナチス党員の必読書や彼らが好むような本がたくさんあった。おかげで党員との会話の種には事欠かなかったが、もともと思想も小説も嫌いなたちであるストリンドナーにとってそれらの言葉は単なるフレーズとして頭に貯め置かれる一方で、結局彼は最後まで彼は体制の思想を理解しなかった。しかしストリンドナーはナチスの力を、そしてその力が自分を高みに上げてくれることを信じていた。今の彼にとって歌を作ることは、もはや生活のためだけのものではなくなった。それを作っていると高みにある自分の未来をはっきりと見ることができる、そういうものだった。


 目まぐるしい一年が過ぎ、新しい年が始まったばかりの頃、ストリンドナーに災難が起こった。彼の調律師が女性と駆け落ちして行方を晦ましたのである。その調律師は勿論他にも何人かの演奏家や作曲家に雇われていたので、困ったのはストリンドナーだけではなかったが、駆け落ちした相手はストリンドナーが曲を提供した新人の歌手だったので、なんとも厄介だった。ストリンドナーには何の責任もないことだったが、もともとストリンドナーを苦々しく思っていた年長格の音楽家たちは、あたかも元凶はストリンドナーにありとばかりに彼を責め、その上、裏から楽器メーカーに圧力を掛けて彼に調律師を来させなくした。

 思い通りに調律されていないピアノの音はストリンドナーの耳には耐え難く、彼は傍にいる弟子のエルンストに当たり散らした。人々の悪意に疑心暗鬼になったストリンドナーは調律師のことを誰にも相談せず、エルンストに、「何が何でもお前が腕のいい調律師を見つけてこい!」と命じた。

 エルンストは崖の上に立たされたような気持ちで自分の友人知人に当たった。やがて彼はその中に奇跡的に一人の逸材を発見した。エルンストは彼を師に紹介した。
 ストリンドナーは早速試しに自宅のピアノを調律させた。さすがに一度でうまくはいかなかったが、次にはもうぴったりの音になっていた。
「エルンストの友達か。家はベルリンで元ベヒシュタインだと?」
「ええまあ景気の悪い世の中なものですから、実に惜しまれずに出て行きました」
 彼はそう言って苦笑した。ストリンドナーはエルンストから、彼は結婚しており四人の子供がいるということを聞いていた。ストリンドナーと大して年も変わらないのに、大きな口で苦笑した顔は随分皺が多かった。
「そうか、それじゃこのピアノは目に毒だったかな」
「いえ、それとこれとは別ですから。物に罪はありません・・・。むしろこうしてまた手入れができてとても嬉しいです」
 ストリンドナーは調律していた時の彼の心情を想像した。すると自分の中に珍しく暖かい感情が湧くのを感じた。それはさっき久し振りにきちんと調律されたピアノを弾いたせいかもしれなかった。
「私がこう言うのも珍しいんだがね。なんと言うか、とてもよかった。早速お願いしよう。ええと・・・」
「ヘルマン・ハインリヒと申します。よろしくお願いします」
「ああ、すまない。近頃たてこんだせいで人の名前もろくに覚わらんよ」
 すまない、などという言葉を使ったのは一体どれだけ振りだろうか、とストリンドナーは思った。


 ドイツの熱心なカルヴァン派の一家に生まれたヘルマンは、少年時代からピアニストになることを夢見ており、成長してからウィーンに留学した。しかしそこで自分の才能の限界を知った彼は、ピアニストになることを諦めた。それでも音楽に関わっていたかった彼は、大学を卒業後、ベルリンのピアノメーカー、ベヒシュタインに入社し、工場の一作業員から、商品の調律師になった。充実した毎日だったが、そこでの日々は永久には続かなかった。ある上司が経理を水増し処理しているのを内部告発するよう、別の上司に強要されたのである。強要してきた相手はヘルマンを調律師に抜擢してくれた恩人であったため、彼としては従うしかなかった。戦争が終わって以来続いている大不況の中、経理を違法に改竄していた上司は体のいい首切りとばかりに免職され、一方、内部告発をしたヘルマンは裏事情を知らない同僚たちから反感を買い、やはり辞めざるを得なくなった。ちょうど一九三八年の十二月、彼は十年余り勤めた場所を失意のうちに後にした。

 ヘルマンには家庭があった。妻と幼い四人の子供である。末のアルベルトはその時まだ三歳で、一番上のレニもまだ小学生だった。結局別の楽器メーカーの工場に勤めて糊口をしのぐこととなったが、すぐに生活が苦しくなることは目に見えていた。そんなヘルマンにとってエルンストからの知らせはとてつもなくありがたいものだった。ストリンドナーに関しては悪い評判しか知らなかったが、へルマンは彼に賭けるしかなかった。

 晴れてストリンドナーに雇われたヘルマンは、家庭を離れてウィーンの安アパートで一人暮らし、フリーの調律師としてストリンドナー以外のピアニストの調律もしながら家族に金を送った。

 ヘルマンを得てからのストリンドナーは毎日上機嫌だった。仕事の方はこれまで通りで特に何が上向きになるということもなかったが、気さくで態度に少しも棘のないヘルマンは、仕事のある時ない時に関係なく、一緒にいて楽しかった。日頃の会話からヘルマンがかつてピアニストを目指していたことを知ると、ストリンドナーはヘルマンに対して自分と重なるものを感じるようになった。
「まあ自分が最高の者になれないのなら、最高の者に仕えればと。そこまでできれば充分だろうと思ってます」
 最高の者、それはあなただとストリンドナーはヘルマンに言われているような気がした。そう思いたかった。まるで学生時代のような青臭い願望が、ストリンドナーの心を掠め、これまで費やしてきた時間と、その間に得たものがどれほどのものであったかに、ふと気づいてしまいそうになった。
「それすら無理だったとしても、僕は、自分がなんとか天国に行けるものと思っています」
 実際、こういう男なら神の御心に背くこともないだろう、とストリンドナーは思った。
「なるほど。プロテスタントは禁欲的だからな」
「いいえ、違いますよ僕は。・・・ああ、言ってませんでしたが、結婚した時に改宗したんですよ。妻はドイツ人ですが、もとはザルツブルグでして、子供が生まれる前はピアノ教師をしていました。今では家で子供に教えてます」
「それはまた。ご両親は何も言わなかったのかね?」
「ああ、勘当されました。向こうの親にだって今でもあまりよく思われていませんよ。まあでも、好きな相手とは同じ教会の墓に入りたいですから」
 少しは照れ臭そうに言っても良さそうなものだが、ヘルマンの口調には気負いも熱気もなく、彼が一秒も迷わずにそう決断したのであろうことがストリンドナーにも分かった。

 しかし死んでしまえば墓など関係ないだろうに、と心の中でおかしく思いながら、ストリンドナーはヘルマンに言った。
「あっさり改宗したり、僕は天国に行けると言ったり、君は大層なものだ」
「いえ、僕だっていわゆる天国にそう簡単に行けるとは思ってませんよ。そういうのではないんです。第四世界と言って、神も聖霊も悪魔も関係ない、別の天国です。学生時代の師の受け売りなんですが、例えいかに不道徳な者であっても、真の美を愛した者なら死後魂はそこへ召されるのだとね」
 ストリンドナーはその話を聞いて、唯一無二の真実を示されたかのように感激した。自分が辿り着きたい所はまさにそこなのだと思った。
「私はいつかそこに行けるだろうか?」
「それは先生自身がよく分かっているでしょう?」
「・・・自分では分からないよ」
 その言葉にどう答えるべきか、へルマンは充分心得ていた。彼は勿論こう言った。
「あなたなら行けますよ、きっと」
 一人になってからヘルマンは、なぜ自分はあんな昔に人から聞いたことをストリンドナーに話したのだろうかと思った。
(ストリンドナーは凡人ではないが天才でもない。彼はたまたま調律師のあてがなかった。そしてたまたま俺が彼の弟子の友達で、やっぱりタイミングよく俺が仕事の口を探していた。それだけのことだ。俺は彼と出会えたことを少し特別に考え過ぎているのかもしれない。恐らくあの先生もそうだ。ただ俺とあの先生の違いは、そのことを深く考えているかいないかだ)


 ストリンドナーがヘルマンと出会ってから約半年後、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、戦争が始まった。その少し前から、ストリンドナーはヘルマンのすすめもあって活動拠点をベルリンへ移していた。ウィーン出身で「熱心な党員」であるストリンドナーは、この地でウィーンにいた頃より遥かに厚遇され、戦意高揚歌の作曲や、当世流にアレンジされた古典劇の音楽監督といった仕事が、次々と舞い込んできた。

 戦地へ発つ者たちの前で演奏することもあった。その時のストリンドナーはかつてないほど厳粛な心で鍵盤の上に手を置いた。ヘルマンもまた同様の思いでピッカーを繰った。二人に限らずこの頃のドイツには、人々が貧しさと隣人の死を糧にできるだけの幸福感がまだ残っていた。しかし飢えと喪失はやがて人々の心を喰らい始めた。何も失うもののないストリンドナーにはそんな人々の心は見えていなかった。破滅とも栄光ともつかない、極端な何かに向かって突き進んでいる時代に今、生きていることにただただ夢中だった。かつて通俗を嫌いながら、今の彼は、自分こそ現代ドイツに生きる人々の魂の表現者だと信じて疑わなかった。その自分の盲目を、彼はすぐ傍にいる人間から思い知らされることになる。


 若い演奏者が次々と徴兵され、戦火が国内にまで及ぶようになると、国民の不安感情を逸らすために国家はますます娯楽に力を入れるようになった。

 ストリンドナーは、来独当初こそ誰とも争うことなくやっていたが、徐々にそのエゴから人間関係で躓くようになった。政府の高官の中には彼を毛嫌いする者もいた。

 そんな頃、へルマンの二番目の子がユーゲントの任務先で空襲に遭い、死亡した。激しく気落ちしたヘルマンは、それでもストリンドナーへの勤めは欠かさなかったが、他の仕事は全て断ってしまった。ある日彼はストリンドナーに、妻子を疎開させるつもりであることを打ち明けた。するとストリンドナーは反対した。
「田舎だって敵に入られたらここと変わらんだろう。なのに家族で離れ離れになる必要がどこにある? 食糧にしたって君や私らは普通の人に比べれば遥かに恵まれている」
 ヘルマンは少し声を震わせながら、なおもストリンドナーに言った。
「それでも田舎なら、町よりずっと爆弾は少ないでしょう。一番下の子は病気で学童疎開させて貰えないんです。何も辞めたいと言っているのではありません。仕事はこれまで通りきちんとやります」
「・・・なんと情けない。君は分かってくれていると思っていたのに。よく、我々の仕事を考えてみるんだ。国民に威勢のいいことを言っておきながら、その私の調律師が妻子を疎開だなんて、道理が通らないじゃないか。そりあ、お偉方の中には田舎に農園なんぞを持ってそこに家族を住まわせている連中が大勢いる。だが私は、私ならここを動かない。仮に家族がいても同じようにさせる。総統のためではない、国民の、空襲が来ようがここにいるしかないベルリン市民のためだ。よく考えてみたまえ、外国人の私がここまでの覚悟なんだ。それなのにどうして生まれながらのベルリン市民の君がそんなことを、」
「あなたがなんと言おうと私の決意は変わりません!」
 ストリンドナーはヘルマンが大きな声を出すのを初めて聞いた。
「この私の前で取り乱すとは何たるざまだ! 誰のおかげで徴兵されないと思っている! 私がその気になれば君なんぞすぐポーランド行きだ!」
 ヘルマンの顔から怒りが消えた。その目はストリンドナー一点に集中していた。それはまるで、作物についている虫を見つけて取り除こうとしている農夫のような、勤勉な人間の目だった。ストリンドナーは恐怖を感じた。

 だがその時のヘルマンの心にいかなる決意があったにせよ、彼は結局家族を疎開させることはできなかった。もっとどうしようもない現実が彼らに降りかかった。ヘルマンに召集令状が届いたのである。ストリンドナーはそのことをヘルマン本人からの電話で知った。そしてその時の電話は、この二人が交わした最後の会話となった。

 後日とある舞台関係の集まりにストリンドナーが出席した際、以前自分と見解の相違があったナチス将校の一人の口から出たひとことを耳にした時、ストリンドナーはヘルマンへの召集令状が、この将校が行ったストリンドナーに対する見せしめであることを悟った。


 ヘルマンに召集令状が届いた翌日、一人の少年がストリンドナーの屋敷を訪ねてきた。女中から訪問者の名前を伝えられると、ストリンドナーはすぐに玄関まで迎えに出た。
「やあ、アルベルト。君の足では遠かっただろう。よく来たね」
 アルベルトは顔を緊張させながら、ひどく小さな声でストリンドナーに挨拶をした。兄たちが着古したのであろう所々に接ぎ当てのある服は、アルベルトの体にはまだ大きく、そのせいか痩せた体がよけい骨張って見えた。

 ヘルマンからもヘルマンの妻からも、アルベルトが今日ここへやって来るとは聞いていなかった。第一、この一家との繋がりはもう完全に切れてしまったものと諦めていた。自分と大して顔を合わせたこともないこの子がどうしてここへ来たのかと、ストリンドナーは不思議でならなかった。しかし子供相手にすぐさま用件を聞き出すのも気の毒に思えたので、ストリンドナーはアルベルトを応接間に連れて行き、女中に命じて貴重な牛乳と二切れのダッチリングを出させた。だがアルベルトはそれを実に小さく三口ばかり齧ると、皿の上に置いてしまった。
「・・・すみません、何か袋か紙を貰えませんか」
「どうするんだね?」
「あの、家に持って帰って誰かにあげようかって・・・」
「いい子だな。だがそうするとどこで貰ったのか聞かれるよ。他所の家で自分用に貰ったものを食べさしにして人にあげてしまうのは、あんまりいいことじゃないよ・・・」
 意味の繋がらないことを言うストリンドナーに少し戸惑いつつも、叱られたわけではないことはアルベルトにも理解できた。アルベルトは黙って残りのダッチリングを食べた。それから牛乳を飲み干すと、つっかえそうな調子で言った。
「これから毎日、この先生のお屋敷でピアノを弾かせて欲しいんですが、いいでしょうか?」
「どうしてここを?」
「お父さんが行く前の日に弾いてあげようと思って・・・。家だとみんなに聞かれるし、外にも聞こえやすいもんですから。すみません・・・」
「いいよ、弾いて、弾きなさい。鎧戸も閉めてあるから音は大丈夫だよ。好きな時に来て好きなだけいればいいよ・・・」
 ストリンドナーの声がにわかに興奮した様子だったので、アルベルトは少し恐かった。
「ありがとうございます。でも・・・。すみません、弾きたい曲がちょっと難しいんです。もし僕が来た時に先生がいらっしゃったら、それでちょっとでもいいですから、その時教えて貰ったりしてもいいでしょうか?」
 難しい、というのは嘘だった。その頃のアルベルトには一人で練習しても充分弾ける曲だった。
「それは・・・。ごめんよ、無理だ」
「ごめんなさい」
「いや、君が嫌いだからとか、面倒だからとかっていう理由で言っているんじゃないんだ。私が教えた通りに弾いたら、どうしても、どうしても、お父さんを傷つけてしまうんだよ・・・。君にそんなつもりがちっともなくてもね。いや、こんなわけの分からない事情を君に押しつけて申し訳ないんだがね・・・」
 アルベルトは父とストリンドナーとの事情など何も知らされていなかった。分かっているのは、召集令状が届く数日前から父がストリンドナーの所へぷっつりと行かなくなったことと、その理由を聞いてはいけないような両親の雰囲気だけだった。そしてストリンドナーの言葉から今また新たに分かったことは、父とストリンドナーが敵同士のようになってしまったということだった。
「分かりました。変なことを言ってすみません」
「いや私の方こそずっと、君にすまないよ。・・・ああ遅くなるといけない。さあ、こっちへおいで。お父さんのベヒシュタインだよ」
 ストリンドナーはアルベルトをピアノ部屋へ連れて行った。ストリンドナーが部屋を後にすると、「別離の歌」のメロディーが不慣れな運びで少しずつ聞こえてきた。



 終戦後、ドイツに帰り着き家族と再会したヘルマンは、占領軍側によるナチス協力者に対する狩り立てが厳しさを増す中、家族を守るためにかつて自分が関わった音楽家たちの名前や、知る限りの彼らの居場所をことごとく占領軍に密告した。その中には友人のエルンストや恩人ストリンドナーも含まれていた。しかしいかなる方法を用いたのか、二人とも当局が連行しに来た際、すでに行方を晦ましていた。

 その後ストリンドナーとエルンストは幸運にも祖国オーストリアに逃げ延びたが、他の被密告者の中には、投獄され、獄中の不衛生が原因で病気になり、死んでしまう者もいた。ある者は投獄は免れたがそれから長い間表舞台で仕事をすることができなくなり、その間生活苦に喘いだ。しかしおかげでヘルマン自身は戦犯を問われずに済み、彼の家族の生活は守られた。しかし、その時ヘルマンの家族は長女のレニと末子のアルベルトだけだった。彼の妻と三番目の息子はすでに焦土の下だった。



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