第1話 「ライセンス目指して」

雑誌「ヒコーキ野郎」「翼」「航空情報」子供の頃から飛行機一色の子供時代でした。

しかし、飛行機のライセンスは非常に難しと聞き、視力・体力・学力に自信のなかった私には、
飛行機は夢の世界の存在でした。

・・・ですが、この後、ひょんなことで訓練を開始する事となったのです。



子供のころからの夢だった飛行機の訓練を開始したきっかけは、 スカイダイビングクラブの忘年会でのこと。


スカイダイビング機のパイロットと飲んでいて、
「私はスカイダイビングより 本当は飛行機やりたかったんですよ」

「じゃあ、いつでもウチのスクールに来てください」

「でも視力悪くてコンタクトなんで、無理ですよね」
そのころ、私の視力は0.1以下。

「大丈夫大丈夫 自家用ならok!」

「えええっ 本当?



0.1では無理だと勝手に思っていたのですが、検査が厳しいのはプロパイロットの世界。
プライベートパイロットは基準がかなり低いそうで。

「じゃあ来年から入会します!」

忘年会の酒が回り、ついつい気が大きくなり、入会を約束した「じゃんぷらん」でした。

第2話 「入会前の難関」

  「こんちわー!」っと 新年早々、ホンダ航空の受付カウンターに行きました。

カウンターには、顔なじみのベテラン女性事務員Fさんがいました。
「え~と スクールに入会したいんですけど」

「あら、トイレに来たんじゃないの?」
スカイダイビングの時には、この事務所のトイレを借りているのですが、今日は違います。

Fさんから細かい説明を受け、訓練教材を一式見せてもらいます。

 

「入会金は7万円 会費が年間3万円。学科授業料と教材で・・・・・ 合計35万円」
覚悟はしていましたが、飛ぶ前にこれだけかかります。 (現在はもっと高いかな?)

「訓練費は 1時間39,900円」 (現在は5万くらいかな?)

「通販みたいな価格設定ですね。何時間飛ぶんですか?」

「訓練シラバスでは80時間だけど、普通は優秀な人で100時間だけど  だいたい皆さん 120~150時間かしら」

「じゃあ 120×4万円は え~と・・・」

「それだけじゃないのよ、ほかの飛行場に行けばそこの着陸料。  夜間飛行は追加料金になるし・・・・」
気分が暗くなるので、掛け算足し算はしないことにしました。

 

「このまま入会しちゃっても良いのか?   まあ行けるとこまで行ってみよう」

「あっ 「じゃんぷらん」さん ちょっと待って」

「はっ?」

「最初に航空身体検査受けてね」
飛行機はさすがに車の免許とは違い、厳しいと言われる身体検査に合格しなければなりません。

「普通の内科健康診断と 視力、聴力、心電図だったかな。  最初だと 脳波もあるわね。」

「いくらかかるんですか?」

「脳波もあるから 3万か4万かな」

「・・・そんなに で、不合格なら?」

「飛べません」

最初の関門は身体検査でした。
羽田空港内にある病院に、急いで検査を予約し、それまでは禁酒を誓います。

第3話 「身体検査」


羽田空港内に 航空身体検査指定の診療所が有ります。
都内には指定病院が数か所ありますが、気分を盛り上げるために羽田を選びました。


当時は視力の検査が今より厳しく 裸眼で0.1確保 眼鏡の屈折度も5ジオプトリ―までと決まっており、
0.1が見えるか見えないかの私にとっては、この検査が最大の山。

そんなわけで新年会を断り酒を飲まず、目に良いと言われるブルーベリージュースを飲んで、この日に備えました。



羽田診療所の裏手には航空神社があります。

普段はここで旅行前に「飛行機が落ちませんように」と 祈るのですが、
今日は「検査に落ちませんように」と お賽銭を増額して祈ります。


「「じゃんぷらん」さん こちらにどうぞ」
看護婦さんに呼ばれ、ドクターの前へ。



「視力計りますね~ これ持って左目からね~」
専門的な機械で測るかと思ったのですが、しゃもじを持たされ、学校の保健室にあるような壁の視力表で測ります。

全気合を視神経に集中します。念力で壁の視力表に穴が開くかと思うほど見つめて、
「右い-!」「上え-!」と力が入り、なんとブルーベリーの効果か、「両眼0.2!」
今のように老眼もまだ無いので近視力もOK。



目隠ししての直線歩行や片足立ち。
心電図、その他もOKのようで、あとは血液検査の結果待ち

「数日で結果が郵送されますからね、それで練習許可書を申請して下さい」



さて、一日千秋とはこの事か。
「そろそろか? 今夜あたり来てるか?」
仕事してても、検査の結果が気になります。


病院で聞いた数日よりもっと遅れ、やっと送られてきた書類には「操縦練習適」のスタンプが。
とりあえずこれで一歩前へ進めます。


しかし、スクールへの入会が現実味を帯びてくると、気になるのはやはり資金。
ハッキリ言って、今の自分に500万も出す余裕はありません。
一般的なサラリーマンで、マンションのローンも、まだタップリ30年残っています。


「まあ、ライセンスが目的じゃないからな」

ライセンスが取れれば当然最高ですが、そこまでの訓練を味わうのが自分の目的。
とりあえず貯金の範囲で、最初の憧れ「ソロフライト」に照準を合わせます。


「ソロフライトまでは最短20時間。100万あれば何とかなる」
ライセンスは夢にとっておいて、実際に手が届きそうな目標を定めると、不思議と何とかなりそうな気持になってきます。


その夜、女房を行きつけの すし屋に誘いました。
とりあえず特上の寿司を食べて頂き、おもむろに話を飛行機に持って行きます。


「ホンダ航空で、飛行機の訓練始めようと思うんだけど・・・」

「もう決めてるんでしょう」


女房もスカイダイバー。飛行機の訓練に、大体いくらかかるか知ってるはずで、
止めても無駄と思ったのか、すし屋に誘った時点で気が付いていたのか。


「あたしウニ食べるー」

「なんでも食べて。 マスター! ウニとボタンエビ!」



「じゃんぷらんさん、大きな買い物の告白はいつもここだね」

確かにその通り。すし屋のマスターにも見抜かれてました。

第4話 「航空機操縦練習許可書」


「航空機操縦練習許可書」が無いと飛行訓練はできません。

遊覧飛行で副操縦士席に座ったお客が、体験で操縦するのは無許可でOKですが、
正式な操縦訓練は 訓練生は最初から機長席に座り、教官が副操縦士席に座るのでこの許可が必要になります。



許可書が発行されるまで1か月と聞いたので、その間に学科を受けることに。
今と違って、学科は空いた時間に、ほとんどマンツーマンで受けられたので、
ちゃんとしたシラバスが有る訳ではありません。


こちらが長年ホンダエアポートでスカイダイビングやってることは教官も知ってるので学科も早く進みます。

学科と並行して、地上に置いたままの実機でのイメージトレーニングも行います。
さらに、飛行前点検、エンジンかけての飛行前チェック。
そして、いよいよ実際に動かしての地上滑走訓練。


担当教官は当時珍しかった女性パイロットの O嶋教官。

スカイダイビング機のパイロットもやってるので、今までは名前のちゃん付けで呼んでましたが、
これからは鬼教官になるので、タメ口では話せません。


エンジンパワーを増すと、プロペラの回転反作用で、機体がズルズル左にずれてきます。

「ホラホラあ 右ラダー踏んでえ!」
右に行くには、右足のペダルを踏みます。

「操縦桿は車のハンドルじゃないから、右に切っても地上では右に曲がりませんよ」

「ハイ!」

ついついハンドルのつもりで右に回します。
足だけで滑走路のセンターラインをキープするのは相当に難しく、機体は右に左に蛇行を繰り返します。


まだ飛んでいないのに、2次元の世界でこんなに難しいとは・・・・・。

出発前点検の項目の多さに驚き、エンジンかけてからのチェックに翻弄され、 地上滑走もフラフラ蛇行。

「俺は、こんなことで飛べるのか?」

「一本橋!」

「はっ? 何?」

「じゃんぷらんさん ナナハン(750ccバイク)乗ってるんでしょう。一本橋のつもりで遠く見て」

O嶋教官のアドバイスです。
O嶋教官もナナハンライダーです。

バイクの検定では、一段高い細長い車路を、ゆっくり走る試験が有ります。
合格の秘訣は遠くを見る事。

滑走路のセンターラインを自分でまたいで、ラインの先の先に視力のピントを合わせます。

「センターラインを、自分の金玉に合わせろ」と 男性教官なら言うのですが、
さすがに女性のO嶋教官は言いませんでした。


数回の往復で今日の訓練は終わり。
なんとなく最後はラインをまたげた気がします。


次回はいよいよ離陸します。

第5話 「ファーストフライト」 


「教官、浮きました!」

「当たり前だ」

ファーストフライトは男性のI教官。
I教官もスカイダイビング機のパイロットで、以前は海上自衛隊YS-11のパイロット。


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子供のころに憧れたドラマ。

航空大学と全日空をモデルにした「虹のエアポート」

調布飛行場の小型機会社がモデルの「GOGOスカイヤー」

JALが舞台だった田宮二郎の「白い滑走路」

航空大学に憧れて、将来は全日空のパイロットになると書いた中学時代。

急激に視力が落ちて、愕然となった高校時代。

いろんな思いがこみ上げる


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


かと思ったら、こみ上げてきたのは酸っぱい胃液。
緊張と慣れない揺れで、飛行機酔いになりました。



離陸したら訓練空域に向かい、さっそく旋回の練習。

「You have」と言われ、操縦桿に手をかけます。

「I have!」 と答え、これでこの飛行機は自分の物。


左30度に機体を傾け、360度旋回。
操縦桿を左に回し、機体が傾いたら少し戻して、30度バンクをキープ。

合わせて機体が滑らないように、左足でラダーを踏みます。
そのままでは、傾いた分揚力が減るので、高度が落ちないように少し操縦桿を手前に。


これらの動作をバランス良く行えば、きれいな360度ターンができ、
おなじ場所に戻ると、自分の機体が起こした空気の乱れに入り、機体がガタガタと揺れます。
揺れたら旋回は成功です。


「じゃんぷらんさん、上手いねえ」

飛行機を操ると言うよりも、自分が羽を伸ばして飛んでる気持ちになるのが重要。
長年のスカイダイビング経験の見せ所です。


上昇・降下の練習

エンジンパワーを変えると機体の姿勢が変わり、細かい舵操作で調整。
高度を合わせようとすると、針路がずれ、やっと合わせると速度が変わる。
あわててスロットルいじると、また高度が変わる。その繰り返し。


両手両足バタバタさせて、汗だくになり、無線の内容を聞き逃さないように、
外の見張りも忘れずに。教官の注意も右の耳から左の耳へ。

とにかく笑っちゃうほど忙しい。


「じゃあ そろそろ帰るよ インフォメーションもらって」

飛行場に帰るときには、無線で自分の現在位置と高度を告げ、飛行場の情報を貰います。

なるべく早く覚えたいので、初回から無線を使わせてもらいます。

「オケガワアドバイザリー ジュリエットアルファー3934 

 リクエスト ランディングインフォメーション!」

まったくのカタカナ英語です。



今日は北風なので、南からの着陸。
当時は、スカイダイビングで、降下前にドアから顔を出して地上を見て、
「5度右!」と、飛行機を誘導する役もやっていたので、このあたりの地図は頭に入ってます。


滑走路の南側に回り込んで、500ftでファイナルターン。
「フルフラップ!」 フラップ全開で、スピードは65ノット。

「I have」と教官に言われ、ここからは教官が操縦です。

「軽く手を添えて、動き見て」「ここで300ft」「65ノットキープ」「ラインに合わせて」

教官が細かく教えてくれます。

「ここでパワーカット」「惰性で降下」「ゆっくり引いて」「ここで接地!」

「キュッ!」と音をたててタイヤが滑走路に付きました。


中身の濃いファーストフライトでしたが、20回目が単独飛行の予定。
あとたった19回飛んだだけで、はたして一人で飛べるのか不安になります。
着陸は針の穴に糸を通すような、繊細な操作が必要だと感じたフライトでした。


第6話 「相棒」 


「じゃんぷらんさん、おなじ訓練生紹介しますね」
担当のO嶋教官が訓練生の女性と一緒に、教室に入ってきました。


「一緒に訓練する仲間がいると、上達も早いですよ
訓練機のセスナは4人乗りなので、仲間が訓練中は後席に便乗して勉強ができます。


仲間がいるのは心強い。
昔から憧れていた、航空大学か自衛隊のようで嬉しくなります。


紹介されたOKさんは、私と同じくらいの年齢か?
「仕事の都合で、主に木曜日に来ます」と言っていたので、営業職?

一緒に飛ぶには休みを合わせなくてはならないので、当時サラリーマンである私も勝手に
「じゃあ、私も木曜休みます」と、その場で決めてしまいました。

不動産系の会社だったので、平日はわりあい自由になります。

「でOKさん、木曜定休ってなんの仕事ですか?」

「医者やってます



なんとOKさんは外科の医師。

本当はパイロットになりたかったけど、当時は女性の進出は皆無。
「だってスッチーだと、前が見えないじゃない」

それで外科医になったという、なかなかユニークな先生です。



この後、毎日のようにメールを交換するのですが、
「返事遅れてゴメーン! 胃がんの摘出手術やってて、血だらけになってました」と、
シュールなメールを、度々もらうことになります。



訓練は、シラバス通りに進みます。

初飛行の1時間目は、まあ体験操縦みたいなもの。
2時間目から6時間目あたりまで、訓練空域の確認、 失速からの回復、急旋回、S字飛行。

失速からの回復は、最初に体に叩き込む、一番大事な訓練。
速度があっての飛行機。速度が無くなればただの落下物です。

セスナの失速速度は、フルフラップだと40ノット。
パワーを絞ると、飛行機は自分で回復しようと機首を下げます。
訓練では失速に入れるのが目的なので、操縦桿を引いて機首を下げないように踏ん張ります。



「ミミミミィーーーーーーー!」っと 失速警報が鳴ります。

「まだまだ、そのまま引いて」



こらえ切れなくなった機体は、機首をガクンと下げ失速状態になります。

「ハイ、ストール! フルパワー!」

速度確認、高度確認、針路確認 水平飛行に戻し、巡航速度に戻します。



旋回しながらの失速では、このまま錐もみに入るんじゃないかと心配になりまが、セスナは非常に優秀な機体。
錐もみに入れようとしても自分で勝手に回復します。
下手な回復操作をするより、バンザイして、飛行機に任せた方が良さそうです。



急旋回も行います。
普通は30度バンクで、あまりGを感じないのですが、さすがに45度バンクだと結構Gを感じます。

S字飛行は綺麗な半円を描いて、真ん中でピタッと切り返すのが難しい。
そして機体のコントロールに慣れたころに、いよいよ次回から離着陸の訓練が集中的に行われます


第7話 「着陸」 


7時間目あたりから、「タッチ&ゴー」と呼ばれる、離着陸の訓練を集中的に行います
(赤い場周経路をグルグル回ります)

「パワー足して!」 「高度おー!」 「機軸合わせるうー!」

低高度でのミスは即墜落を意味するので、教官の指導にも熱が入ります。



高度500ftで ファイナルターン。
300ftで 太郎右衛門橋上空通過。
滑走路の手前で パワーカット。


センターラインをまたぐように、ゆっくり機首を起こして・・・・・
「ドシャッ!」 かなり激しく接地したようです。


フラップ戻して、キャブヒート戻して、フルパワーにして、そのまま離陸。
場周経路を約6~7分で1周して、また着陸。
1時間で7回から8回着陸を行います。



1周回る間に、アフターテイクオフチェックリスト・無線交信・ビフォーランディングチェックリスト。
その間に、今の着陸の評価。
降下に入ると、キャブヒートオン、フラップダウン。

操作に必死になってると、「ほらほら 外みて外ぉ!」「高度高度ぉ!」と怒鳴られます。


必死になってタッチ&ゴー。
「んん~微妙だなぁ、次はうまくやるぞ!」
そんな時、タワーから無線が・・・

「ホンダ飛行場では まもなくパラシュートジャンプを実施します。

この間場周経路の飛行はご遠慮下さい・・・・・」


スカイダイビング中は、飛行場はいったん閉鎖となります。
900ftで回っていた場周経路を離れ、いったん上尾方向に上昇。
1,500ftで旋回待機を続けます。


「降下開始」「パラシュート8個開傘」「トップ4,000ft」とタワーから無線が入ります。
(8個という事はタンデムありだな)

当時のスカイダイビング機は10人乗り。傘が8個という事は、遅い2人乗りが2個混じってるという事。
(これは着地まで時間がかかるな・・・)


「教官、時間がかかりそうです」と、上尾での旋回を1周増やします。
この辺の判断は教官より私の方が上です。


「残り4個 トップ1,000ft」
タワーの無線を聞いて判断します「教官、エントリー入ります!」


上尾上空1,500ftから降下しながら、斜めに場周経路に入り、900ftで水平飛行。
タワーに無線で報告。

ちょうどそのころパラシュートも全員降下。
タッチ&ゴーの訓練に戻ります。

予定の8回を終え、着陸すると汗びっしょり。
事務所に帰って会計。



「じゃんぷらんさん、今日は1時間と10分だから46,433円ね」

「・・・・・・・」

スカイダイビングの待機で10分旋回した分 約6,500円追加です。


「ん~複雑・・・」

こればかりは誰にも文句言えません・・・・。

第8話 「自分で着陸?」 


飛行時間が10数時間。着陸回数も50回を超えると、教官は軽く操縦桿に手を添えてるだけで、
危険が無ければ訓練生がそのまま操縦します。


「キュツ!」とタイヤが鳴って接地。「フルパワー」で再離陸
「じゃんぷらんさん、今、自分だけで下ろしましたよ」

「ほんとですか?」


教官は操縦桿を触らなかったようで、そんなことには気付く暇はありません。
遠くに目のピントを合わせていたので、隣の教官は見えていません。


「次も上手く下ろしてね」と言った教官は、なんと自分の座席を一番後ろまで引きました。
「さあ、私は操縦桿に届かないからね


これが航空大学仕込みの訓練なんでしょうか。
O嶋教官は、私が子供のころから憧れていた航空大学出身。
しかも女性第1号との事で当時はニュースにもなりました。


教官は覚悟を決めて座席を引きました。
教官の覚悟に応えるべく自分も覚悟を決めて、全神経を集中して、もう1週回ります。


「フルフラップ」 「65ノット」 「太郎右衛門橋300」 「目線遠く」

「チェックエアスピード」 「パワーカット」 

教官は何も言わないので、自分で大声を出して確認します。


滑走路が迫ってきました。
「フレアー」 ゆっくり「キュッ」と接地。
喜んだり、隣の教官を見たりする余裕はありません。



この日も8回着陸しました。

今のところシラバス通りで、順調に進んでいます。
もうすぐ「ソロ」が近いことは、私も教官も感じています。



ところで じゃんぷらんさん 特殊無線の試験勉強してる?」

「えっ? あっ、すっかり忘れてました・・・・」

「え~ 試験来週だよ、落ちたらソロ出れないよ~」



正式には「航空特殊無線技士」。

飛行機には通信用の無線や、トランスポンダーと呼ばれる航空管制に必要な通信機も搭載しています。
あの小さなセスナでも、緊急信号やハイジャック信号を出すことができるんです。



これらの操作に必要なのが航空特殊無線技士の資格。
教官と一緒のフライトなら必要ありませんが、ソロフライトには必須の資格です。
試験は年に3回なので、今回落とすと、ソロが4かも月延びます。



クラブ入会の時に、必ず受けるようにと言われ、受験申込みは済ましていたのですが・・・
「そのうちそのうち」と、勉強は先送りでした。



学科試験は、工学と法規。それに実地試験もあります。
試験まで1週間。とにかく丸暗記です。

第9話 「アルファー・ブラボー・チャーリー」 


あと1週間で航空特殊無線の試験です。
学科は過去問を丸暗記すれば、その中から出ます。
電気の工学はさっぱりわからないのですが、とにかく「これはこれ」「これが出たらこれ」と覚えるだけ。



そして実地は、テープで流れてくるアルファベットを書き取るのと、試験官の前で、用紙に書かれているアルファベットを読みあげる2種類。
但し ABCは「アルファー・ブラボー・チャーリー」と読みます。



とにかく慣れない読みかた。反射的に声が出るように、車で移動中も窓の外の看板を読み上げ練習します。

「TOYOTA」の看板を見つけたら「タンゴ・オスカー・ヤンキー・オスカー・・・・」
規定時間内で読まないと減点なので、スピードも大事。



運転中にローマ字見つけたら 「マイク・インディア・タンゴ・シエラ・ユニフォーム・・・」と、
大声で練習です。



試験会場は築地の先。晴海のあたりだったでしょうか。
試験に向かう電車の中でも窓の外を見て、ブツブツ不気味につぶやきます。



試験が終わり、あとはソロフライトに向け、訓練に専念するだけですが、季節は6月。
梅雨のシーズンです。



訓練の為、ホンダ航空事務所に顔を出して、PCで気象情報を入手します。
近くにある入間基地の気象情報が記号で出てきます。



「RJTJ 182300Z 34008KT 5000 -SHRA SCT015 BKN050」
(入間基地 18日23時(世界標準時)340度から8ノットの風 視程5キロ、小雨、
1500ftに少しの雲 5000ftに多くの雲。)



「梅雨で飛べない日は、梅雨の勉強をしましょう」
O嶋教官の講義で、外科医のOKさんと一緒に気象の勉強。

気象庁発表の天気図を広げ、高気圧の位置、低気圧の位置を色塗り。
前線の動きを見ながら、自分なりに今後の天気を予想します。


「雲は3次元で考えるように」 天気図は平面ですが、実は雲は上下に絡み合っています。

「なぜここに前線ができますか?」このあたりはライセンスの口述試験に出そうです。

「このあと風はどっちに変わりますか?」教官からの質問が続きます。



講義中でも外の天気が気になります。
訓練の間が空くと技量が戻ってしまい、シラバスがダブってしまいます。



当時は、大学の航空学部の訓練は、未だ行われていなかったので、平日は飛行場も機体も空いています。
講義の途中でも「雨が上がったね~ 飛びますか?」
「行きます!」
急いでタッチ&ゴ- 



しばらくして、航空特殊無線の免許も届きました。

「来週あたり いよいよ・・・・」

第10話 「単独飛行」 



「じゃあこのまま行きますか? それとも少し休んでから行きますか?」

「へっ? 行くってどこにですか?」


今日の教官は、大ベテランのH教官。

航空自衛隊時代は、F-104を操縦しマッハ2で飛んでいた猛者です。

「へっ? 行くって教官もしかして・・・・・ソロですか?」



憧れのファーストソロ。
ソロに出るときにはと、それなりに夢を持っていたのですが、 肝心な答えが「へっ?」だったとは。
一生の不覚・・・・。



この日は20時間目。
一応シラバスでは今回がソロの予定なのですが、途中で風が変わりランウェイチェンジになり、
今日の予定訓練時間も残りわずか。
「今日のソロは無いな」と言う思いが頭の中にありました。



「さあ、今の調子で飛んできなさい」とH教官。
気休めにしかなりませんが、教官が降りたあと右の教官席には鉄アレイを置いてバランスを保ちます。


教官は飛行機を離れ、滑走路わきのタワーに移動。
「じゃあ じゃんぷらんさん、落ち着いて行ってきてください」
タワーの無線でH教官が呼びかけてきます。



「さあ行くぞ!」
なるべく右側の空席を見ないように、隣に教官がいるつもりで、いつもどおりに大声でチェックリストを読み上げます。


そして、「JA3935 SOLO TAKE OFF 」と機番の後に「SOLO」をつけ無線を出します。
「SOLO」をコールすれば、「こいつは危ないぞ」と周りの機体が注意してくれるはず。


「フルパワー!」 「エアスピードチェック!」 ここでチラリと右を見ると教官席には誰もいません。
「本当に、このまま飛んで良いのか?」
 そう思いながらも本能的に操縦桿を引き、機体は地上を離れます。


「軽い!」  おもりの鉄アレイはやはり気休めでした。さあもう戻れません。
何があろうと、離陸した以上は自分の力で着陸しなくてはなりません。



「ファーストソロの時は大声で歌おう」 と曲目を決めていたのですが、そんな余裕はありません。
慌ただしく飛行場を回って着陸態勢に入ります。



500ftでファイナルターン。
もう右の空席を見ている余裕はありません。

「65ノット」大声でスピードチェック 高度チェック。
機軸合わせて ここで「パワーカット!」 軽く操縦桿を引いて・・・・



教官がいないぶん機体が軽いのに加え、タイミング悪く軽く追い風になった為 なかなか接地しません。
600メートルの滑走路。半分までに接地できなければ「ゴーアラウンド」(やりなおし)です。

こんな時、操縦桿を引くと失速し落着。押すと前輪から接地しこれまた事故になります。
「がまん がまん」と言い聞かせ しばらく水平に飛んだ後 「ドシャッツ!」と接地。

「よしやった~」と思うまもなく 機軸がずれて滑走路の左側へ。

地上では車のように操縦桿を回しても意味がありません。足のラダーで機軸をコントロールし、なんとか機軸を合わせます。



「じゃんぷらんさん おめでとう」  「有難うございます!」

この無線は130.75MHz。関東一円に届きます。
上空の機体も何機かは、この会話を聞いていたことでしょう。



機体を止めたら、H教官がタワーから駆けつけてくれました。

「ハイ、写真撮るよ」 「有難うございました!」
背中は汗びっしょりです。当日の気温は 熊谷で観測記録の40度超えだったそうです。



写真はしばらくしてスクールからもらった記念の品。
机に立てる物かと思ったら、スタンドがありません。
どうやって飾るんだろう・・・