尿管結石入院-1

第1章 いきなりの入院
 
「それではこの手術同意書をよく読んで、下にサインして下さい。」
「えっ、手術するんですか?」
「ハイ、簡単でも一応手術という事になります」

手術同意書には、腎皮膜下血種を起こしたら長期入院が必要とか、敗血症を発症し全身状態が重篤化して、厳重な管理が必要になる事があります。などと恐ろしいことが書いてあります。

「一応手術なんで、生命保険の手術一時金も出るはずですよ」
と看護師さんは言ってくれますが、そんな事を考える余裕はありません。

なんでこんな事になってしまったのか・・・

 



10日ほど前の朝。
「痛たたたたたーーー」
突然、猛烈な痛みが下腹部を襲いました。

「来たー ついに来たー」

痛みの瞬間、病名がすぐに分かりました。
「左尿管結石」

実は数ヶ月前から尿検査で腎臓結石の疑いが発覚、この石がいつ尿管(腎臓と膀胱をつなぐ管)に落ちてくるか、ヒヤヒヤドキドキの生活を送っていたのです。
腎臓から尿管に落ちたら猛烈な痛みと吐き気が襲ってくることは、5年前の右尿管結石で経験済み。
その時の症状とまったく同じ。「来たー」と叫んだのもそんな訳からです。



この結石。成分はカルシウムらしいのですが、腎臓にある間は悪さはしません。
尿管に落ちてきた時が怖いのです。

突然の激痛が襲うため、もし医師のいない船に乗っていたら。もし一人で山歩きをしていたら。あるいは一人で飛行機を操縦していたら・・・

そんな訳で、飛行機操縦に必要な航空身体検査は不合格の項目に該当し、石が出たのが確認されるまで飛ぶとこは出来ません。

とにかく痛い。半端じゃなく痛い。頭のテッペンから汗が噴出し、息も出来ない。



男性には「キンタマ蹴られた痛さだよ」と、説明すれば分かってもらえると思います。

本格的な痛さまでまだ時間があると判断した私は、車に乗って2キロ先の病院まで行く事にしました。
いやいやこの2キロの長いこと。
途中に踏み切りがあるのですが、これが閉まっていたらアウトでした。

車の中でもビニール袋に吐き続け(吐くものは既に無いのですが)病院の受付に転がり込みました。
「尿管結石です・・・・」と自己申告。
自分で診断するのも変ですが、病院関係者ならこれがどんな痛さか分かるはず。

受付の事務員さんはあわてて看護師さんを呼んできました。
このあたりから痛みはピークになり、意識までおかしくなってきます。



朝9時前なので医師は外来にはおらず、看護師さんは病棟に電話して指示を受けます。
「とりあえず痛み止め打ちますからね」
「ブスコバンですか?」
「そうです ブスコバンです」

実は私は麻酔に弱い体質らしく、いきなり強力なのを打たれると、とんでもない事になってしまうので、
毎回確認することにしています。

ブスコバンは弱い薬なので、その点は安心ですが、当然結石の激痛にはあまり効きません。
それでもしばらくして、薬が効いたのか、それとも石が関所を通過した為か痛みは治まってきました。

痛みが治まったのでエコーとレントゲンで確認します。
左の腎臓もオーバーフローで腫れています

「ここ、これこれ。尿管に石があるねえ。尿管結石だね」
「大きさはどれくらいですか」
「レントゲンにはっきり写ってるから1センチ弱かなあ」

5年前の右尿管結石は、レントゲンに写るか写らない程度の大きさで、それでも排石まで数週間かかりました。
今回のは大きそうです。

「薬が切れると、また発作が来るかもしれないので、入院して様子見ましょう。1名様413の間ごあんな~い!」
と、いきなりその場で病棟に案内されます。



とにかく着の身着のままで入院してしまったので、仕事に行ってる女房に連絡し、夕方着替えとパソコンを持ってきてもらうことに。

入院と同時に点滴を受けます。水分の補給で石を流す作戦らしいです。
点滴の袋を見ると、「アミノ酸」200カロリー、「ビタミン」100カロリーと、そこそこカロリーがあります。 
「看護師さん、いま減量中なんだけど」

こんなところで肥ったらかないません。心配なので聞いてみました。
「今日は点滴だけで、食事はありませんから」
「ええっ? 飯無し?」

「1名様 ごあんな~い!」と景気良く案内された割には待遇がかなり悪いです。
「明日、MRIとCTの検査がありますから、食事はできません。それから明日は水もだめです」

ひどい話です。10時に入院したのだから、今日検査してくれても良いじゃん。
結石は痛みさえ消えれば普通の人です。
「明日まで飯抜きとは・・・」

ところが飯抜きは、それではすまなかったのです。
  


第2章 検査また検査
 
入院2日目の朝。

この病院での入院は2回目ですが、初日はなかなか眠れません。
断続的に襲ってくる痛みと、隣のイビキや寝言。途中で止まってしまった仕事の事も考えます。
どうやら空が白んでくるころ、ウトウトしただけのようです。

「ハイ じゃんぷらんさん 今日はMRI検査ですから水も飲まないで下さい」
と言われて待っていたのですが、昼になっても呼びに来ません。

「すいません、私のこと忘れてませんか?」
と、看護師さんに何回も聞いたのですが、明確な答えは無し。
6人部屋なので、隣のご飯が気になります。昼飯は天ぷらのようです。

さんざん待たされて、もう点滴ちぎって帰ろうかと思ったころ、看護師さんが呼びに来ました。
時間は午後5時です。

MRIも数ヶ月前の椎間板ヘルニアで経験済み。
造影剤が点滴で注入されると、アルコールの一気飲みのように胸が熱くなります。
カンカン音のする筒の中に入れられて「動かないで!」と20分。

「これでようやく飯だ」と思ったのですが、6時の晩飯は運ばれて来ません。
「あの~ 私のご飯は・・・」
中居さんにチップあげてないので、冷たくされたのでしょうか。

「ああ、じゃんぷらんさんね。明日も検査あるから食事は出ません」
「・・・・・・・・・・」

これで3日絶食決定です。


さて3日目の朝。

前日の睡眠不足と、絶食のショックでどうやら爆睡したようです。
「どうせ今日も検査は夕方だろ」
と思っていたのですが、前日のクレームが効いたのか今日は9時前に呼びに来ました。

10時には全ての検査が終わり、昼飯を待ちます。
「ゴロゴロゴロ」12時少し前。ようやく食事のカートが押されてきました。

私の部屋は6人部屋。
「○○さーん、ご飯ですよ」とヘルパーさんがご飯を配ります。
自分で廊下のカートまで行きたいのですが、点滴が刺さっているので簡単には歩けません。

5人分の食事が配られ、さあいよいよ自分の番。 しかし・・・・
「ゴロゴロゴロ」
「・・・・もしや、カートが帰っていく音?・・・」

結局ご飯はありません。いったいどうなっているのか。
看護師さんに聞いてみましたが、またしても明確な回答はありません。
しかしあまりにも私が鬼気迫っていた為か、担当の医師を連れてきてくれました。

「どお、じゃんぷらんさん 飯食える?」
「食います」
「発作が起きると怖いからと思ったんだけど」
「食います」
「大丈夫かな」
「めし食います!」

初めての飯は3日目の晩飯。
こんなに絶食したのは生まれて初めてです。

 


メニューは おかゆ・大根とイカの煮物・カボチャの煮物・ほうれん草。

絶食中、点滴は1日あたり アミノ酸約200カロリー3本。
ビタミン類約100カロリー2本。

1日1000カロリー弱でしたが、直接体内に入るので、これで充分なのでしょうか。



第3章 仕事しなくちゃ
  
とにかくいきなりの入院だったので、仕事が心配です。
自営業なので仕事しないと給料はありません。

しかし、今回はパソコンを持ち込んでいます。
仕事のファイルも山ほど持ち込んで、ベッドの上は自宅の仕事場と変わりません。

自宅と違って、おやつやテレビの誘惑がない分、どんどん仕事がはかどります。
書いた図面や書類は、そのまま「AirH」でメール送付して完了。

最初は病院にパソコン持込禁止かと考え、遠慮がちに使っていたのですが、
いつの間にか公認になってしまいました。

「じゃんぷらんさん お仕事中すみませんが検温お願いします」
と看護師さんがやってきます。

病院によっては、パソコンなどを持ち込むと、持ち込み料を取られるところもあるそうですが、ここは何も言わないので、勝手にコンセントつないでバンバン充電しながら使ってます。

病院の朝は6時に始まります。
「お早うございます。本日は○月○日。これから検温にうかがいますので、自室に戻ってください」
と放送が入ります。

オシボリが配られて、検温が終わるとだいたい7時。
朝食の前にはお茶のワゴンが回ってきて、各自のマグカップにお茶を入れてくれます。

7時半が朝食。

味噌汁とご飯に、切干大根。おかずが薄味でご飯が多いので、ペース配分に苦労します。

昼は12時。鶏のカラアゲの野菜の餡かけ。ヒジキのサラダが付いてます。

晩飯は6時。焼き魚にほうれん草。豆サラダ。

これで1日2,000カロリー弱。

同室の患者さんにはベテランが多く、ベテランさん達の話ではここの飯は美味いとの事。
「B医大の飯は不味かったなあ。どうしてあんなに不味く作れるか不思議だったよ」
「ここの飯は美味いんだよ」
たしかにここの飯は病院食にしては美味いです。



ここでは寝てるのが仕事ですが、私はそうもいかず、とりあえず8時から自分の仕事の時間と決めました。
パソコン開いて、書類出して、図面を書きます。

しかし問題が1つ。
「じゃんぷらんさん そろそろ点滴始めますね」と9時ごろに看護師さんがやってきます。
左手腕には点滴の管がつながりますので、あまり大きな動きは出来ません。

食事が出来るようになると、点滴は1日2本。
だいたい1本2時間が目安ですが、昼飯までに終わらせたいので、落とすピッチを上げます。
ポタッ。ポタッ。と脈拍に合わせるのが基本ですが、勝手にポッポッポッと早めます。



昼飯までに点滴終えて腕が解放されると、午後は運動の時間です。もちろん自主的な運動。
尿管の石を落とそうと、階段を走り、病院の駐車場を走ります。

点滴から解放されたといっても、腕には針が刺さったままでジョイントの管が付いたままなので、そのまま運動するのはチョット怖いのですが。

運動から帰るとまた仕事。
夕食を食べるとテレビ見て、9時には消灯。
なかなか健康的な生活です。
          


第4章 脱走
  
病院での生活にも慣れてきたのですが、困ったのは風呂。
点滴のジョイントが外れないと、入浴の許可はもらえません。

更に、仕事が進むにつれて、自宅のパソコンから病院に持ってきたモバイルに、データを移さなければならなくなりました。それにはどうしても自宅に帰りたい。

「よし、脱走だ!」

そうと決まれば、いつやるか、どこから逃げるか。
翌日は看守の、いや看護師さんの巡回パターンを細かく調べました。

その結果。点滴の無い時間で、巡回の無いのは朝の5時から6時。
鍵の無い出口は裏口の救急車入り口のドアのみ。
「よし。明朝決行だ!」



翌朝。タオルで左腕の点滴チューブを隠し、裏口からコッソリ外に出ます。
大脱走のスティーブ・マックイーンか、アルカトラズのクリント・イーストウッドになった気分です。
駐車場に回って入院時に乗ってきた車のドアを開け、そっと乗り込んでエンジン始動。

自宅まではたったの5分。
帰宅したらパソコンのデータをコピーしながら、左腕をビニールで包んで急いで入浴。
久しぶりの入浴で風呂の湯は垢だらけ。
「お風呂 汚~い」 と女房が怒ります。

しかしノンビリは出来ません。6時になると看守が点呼にやってきます。
急いで帰らないと脱走がばれてしまいます。

時間がありません。病院に帰って車を止め、走って病室のベッドに帰ります。
数分後「検温でーす」看護師さんがやってきました。間に合いました。

「あれ? じゃんぷらんさん今日は脈が速いですねえ」
看護師さんは不思議そうに首をかしげます。走った後なので当然です。
「そっそうですか? ちょと便秘だったんで」 と、あわてて変な言い訳をします。

そういえば昔 刑事コロンボで同じストーリーがありました。
病室でアリバイを作った犯人が、看護師の目を盗んで犯行現場に行きますが、帰りに走ったため、直後の検温で脈が上がってしまいます、看護記録でそれに気が付いたコロンボ刑事がアリバイを崩すと言う筋書きでした。

さて、久しぶりの入浴でさっぱり、仕事のデータも入手。
まだしばらく入院できそうです。

これに味を占め、この後も数回、このコースで脱走を図ることになります。
       


    第5章 衝撃波破砕を決意
 

入院1週間。再検査でも石の位置はまったく動かず。
このまま入院しても排石の可能性は無く、仕方が無いので衝撃波破砕を行うことに決めました。
と、言っても現在入院中の病院には破砕の機械がありません。

「じゃんぷらんさん 紹介状書くから「N中央病院」に行ってきて」
と主治医に言われ、翌朝、車に乗って近所の「N中央病院」の泌尿器科に行きました。



「N中央病院」での診察の結果。
「じゃんぷらんさん。この石そこそこ大きいから自然には落ちないかもね。破砕したほうが良いかも」
「じゃあそれでお願いします」

じゃあそれでと言ったものの、この衝撃波破砕がどんなものか分かりません。
「背中から衝撃波をあてて石を叩くから」
と聞かされても、さっぱり分かりません。

「じゃあ隣で手術の予約をして下さい」
「ええっ? 手術?」
「そうです 手術です」

これは、とんでもないことになりました。
手術同意書には、敗血症、なんとか出血、重篤化、長期入院などと恐ろしい言葉が並んでいます。



手術台に横になり、天井には銀色に光る無影灯。
顔には酸素マスク、横にはピコーンピコーンと心電図。
「では 始めます。 メス!」
と緑色のマスクをした医師が光るメスを手にして・・・・

と、こんな光景が頭に浮かびます。

「しゅっ・・・手術って斬るんですよね?」
「いいえ、外から衝撃波を当てるだけなので切りません」
「メッ・・・メスは?」
「使いません」

どうやら法的には手術と言うらしいですが、
イメージは随分違います。

ベッドに寝て、下から衝撃波をピンポイントで石にあてて
石を砕きます。
どんな仕組みか分かりませんが、便利なものがあるようです。

元々は第2次大戦中に、海中の潜水艦を攻撃するために開発された装置だとか。


看護師さんの説明は続きます。

「手術は月曜です。当日の朝入院してください」
「3日前から薬を飲んでもらいます」
「前日は下剤を飲んでいただきます」
「入院は1泊2日となります」

破砕の日程が決まってしまえば、もう今の病院に入院する必要はありません。
今日は一応外出あつかいで入院先の病院を出てきたので、一度前の病院に戻って退院の希望を伝えます。

「破砕の日程が決まったんで、退院して自宅で準備したいんですが」
「いやあ、じゃんぷらんさん。今日は事務手続きも間に合わないし、晩飯も用意してあるから泊まっていってよ」
担当の先生に延泊を勧められます。

そこでふと、廊下に貼ってあった食事のメニューが頭に浮かびました。

「今晩は肉団子だったな・・・ じゃあもう1泊していきます」



そんな訳で今日は遅いので、結局もう1泊。
トータル10泊11日。

各種検査費用を含め98,000円。(3割負担で)
1泊3食付 9,800円!
「でも 最初の3日は飯無しだったし・・・」

どうせなら、温泉でも行きたかったな。

 


第6章 再入院
 
入院3日前から、腸内のガスを抜くための薬を飲みます。
腸内にガスがあるとレントゲンに石が写らず、衝撃波の照準がやりにくいんだそうです。

そして前日の15時になると、強力な下剤を飲まなくてはなりません。
食事は夕食までOKとの事でしたが、「どうせ出ちゃうんだから」と考え、昼飯も早めに軽く済ませます。

そして15時の時報と同時に下剤(マグコロール クエン酸マグネシウム)を一気飲み。
どんな不味いものかと思ったら、意外にこれが美味しいです。
レモンジュースの濃縮を飲んでいるようです。

飲んだ後は、いつ来るか、いつ来るかと身構えます。
しかし夕方になっても体調は変わらず。



「やっと来た」のは19時ごろ。
特急や急行ではなく、快速が頻繁にやってきます。
当日は水も飲めないので、今日のうちに水分も大量摂取。

さて、入院当日。

「早めに来てね」と言われていたので、9時前に病院に到着。
1泊2日の予定なので、荷物は最小限。今回はパソコンも持って行きません。

なんとなく良い気分ではありません。
任意出頭を求められた容疑者はこんな気分なんでしょう。

病室に案内されベッドを指定されます。
今回は4人部屋。窓際なので前の病院より明るくて快適です。

「じゃんぷらんさん。担当看護師のNです」
とやって来たのは、学校出たてのような超可愛い看護師さん。
マニュアルどうりと言った感じですが、引き出しからライトのスイッチまで親切に教えてくれます。

「貴重品はこのボックスに入れてください」
と引き出し内のセーフティーボックスを教えられたのですが、よくよく見るとこの引き出しは取り外し可能。
このまま大きな紙袋にでも入れたら持っていかれそうです。

その点を突っ込みたかったのですが、N看護師さんがあまりにも純粋だったので止めておきました。






「では、病棟内部もご案内いたします」
N看護師さんに連れられて、談話室や自販機の位置や、おそらく今回入ることの無い浴室まで、これまた親切に案内されます。

「これなら連泊したいな」と思うのですが、今回は1泊の予定。残念。

さて、11時ごろから破砕を前に抗生物質の点滴が始まります。
破砕室に入るのは午後1時の予定。あと2時間が長いです。

「破砕って痛いんですか?」
とN看護師さんに聞いてみました。
「いいえ、麻酔をかけるので痛みはありません」
「でも、痛いから麻酔をかけるんですよね」
「・・・・・・」



緊張の30分前。
「じゃんぷらんさん、痛み止めの座薬を入れますから」
と言ったN看護師さんの可愛い手には、拳銃の弾のような物体が。

一瞬迷ったのですが 「いや・・・自分で入れます」
「大丈夫ですか?」「大丈夫」「だめならお手伝いします」

頑張って座薬を入れた後
「では、ご案内いたします」
点滴のスタンドをゴロゴロ押しながら、破砕室に向かいます。もう戻れません



ドアを開けると担当の先生が待ってます。
「ハイ いらっしゃーい」

ベッドで横になり点滴に麻酔を混入させます。
腕には自動血圧計。胸には心電図。指には酸素濃度測定器。
なんとなく大げさで、「こんなの聞いてねえよ~」と言いたくなります。

「ハイ。麻酔が効いたら始めますよ。Nさんは戻っていいよ」
「ええっ? Nさん帰っちゃうの?」

手を握って「頑張ってね!」と言ってくれるかと思ったのですが、Nさんは黙って帰りました。

「じゃあ始めます。動かないでね」
と言われても、もう麻酔で意識はモウロウ。動けと言われても動けません。

「じゃあ衝撃かけます」

「バチッ!」
「う”っ」 おもわず声が出ます。