訓練記-4

第29話 「名古屋国際空港へ-1」




(フライングクラブ機関誌掲載を再編集)


「じゃんぷらんさん 南紀白浜まで行かない?」

と、クラブの先輩に言われたのは、フライングスクールの忘年会での事。

セスナ2機に、クラブ員6名と、教官2名が乗って名古屋空港経由で南紀白浜までのナビゲーション。  

この忘年会の時には失業者になっていた私は、しばらく訓練もサボって飛行場にも顔を出さず、

飲み会だけに参加している幽霊会員でした。



フライングスクールでのロングナビ計画。

訓練機に教官と訓練生が乗って、「訓練」と称して遠くまで行って宴会しようというのが狙いです。

「行く行く!」と、簡単にOKしたのですが、さあそれからが大変。  

勘を取り戻すためあわてて訓練再開。

名古屋経由 南紀白浜までのナビログ作成。

AIMの復習。ATCの練習。新しいチャート(航空図)の購入。



私の担当は往路の 本田エアポート→静岡(空中交代) 翌日復路の南紀→名古屋。

本田からの離陸は自身がありますが、復路の名古屋着陸は不安だらけです。



なにせ名古屋空港はセントレア空港に移転が決定し、

数日前に「セントレアTCA」が追加になり面倒な空域になったばかり。



「まあいっか、往路の先輩の名古屋着陸を参考にしよう」

と思っていたら、その先輩から電話 「ごめ~ん、インフルエンザで行けなくなっちゃった」



さあ困ったことになりました。

自信の無いまま、初日の「本田→名古屋」の担当になってしまいました。


 

さて、当日。「さすが じゃんぷらんさん、晴れ男」

いつの間にか、過去の実績から、私が参加するナビは晴れるという噂になっています。

今回も、私の担当日は快晴。しかし、私が担当しない翌日は雪の可能性もあるとの事。



もちろん私は自分の担当区間のことで頭がいっぱいで、翌日の事など考えてる余裕はありません。

「とりあえず名古屋まで行けば最悪の場合に新幹線で帰れるし」と、フライトプランを作成。

1番機 JA3934。2番機JA3936。

私は2番機の1番打者。



満タンの燃料と男が4人。それに泊まりの大荷物。

「オケガワアドバイザリー JA3936テイクオフ RWY32」

準備が遅れた1番機を差し置いて、2番機の私が先に離陸開始。

機体はさすがに重く、いつもより長めの滑走で訓練機は離陸。



予定の4500ftまで上昇しながら横田とコンタクト。

「ヨコタアプローチ JA3936・・・・・・」

「JA3936 @&%$#・・・」

「?????」

 横田基地ネイティブ英語はさっぱり解りませんが、なんとなく、いつもと違う受け答え。



「教官 今なんて言ってました?」

 隣の教官に聞いたところ、どうやら本日はレーダーサービス無しとの事。

「じゃあ、勝手に飛んで良いんですね!」

早口英語の横田が休みなら、こんな楽なことはありません。

「じゃあ教官、横田突っ切って飛びます!」

「そうじゃないよ、レーダーで見てないから、近くを飛ぶなって事だよ」



予想された西風も弱く、4,500ftはまったく揺れません。

チェックポイントの真鶴までは、真方位200度。

偏流修正して203度。偏差が7度自差0度で針路は210度。

53マイルで33分と計算。



巡航は2,200回転なのですが、名古屋到着を1分でも縮めようと2,300回転までエンジンを回します。

なにせ飛行料金は1分で税込み698円。

今日の昼食代がかかってます。


第30話 「名古屋国際空港へ-2」




(フライングクラブ用の原稿を再編集したので、専門用語が多くなります)

真鶴で磁針路266度に変針、静岡に向かいます。

伊豆半島の根元を横断するわけですが、前方にはなにやら怪しげな雲が。

「教官、高度下ろします」

と少しずつ降下。足元の十国峠が2539ftなので、きわどく3,500ftでレベルオフ。



峠と雲に挟まれて飛行しますが、前方には駿河湾が見えているので安心です。

静岡で後ろから来る1番機に無線を入れます。

「2番機(私)より1番機へ、ここらで『例の事』やりますか」



例の事とは2機が交互に富士山をバックに写真を撮ろうと言うもの。

「2番機より1番機へ 2番機は焼津上空で旋回して待機します。」

「こちら1番機、2番機を発見」

「2番機は旋回止め、進路西に向かいます」

振り返ると後方に小さく1番機が見えますが、なかなか近づきません



「1番機より2番機へ、速度80ノットに落として下さい」

編隊どころか近寄るのも大変です。

パワーを絞ってようやく1番機と合流。

上空でこんなに近く僚機を見るのは初めてです。



教官に操縦を代わってもらい、ビデオとカメラで撮影開始。

普段の訓練ではなかなか出来ない経験です。

「教官 来年のホンダ航空のカレンダーは、まかしてください」



さて、撮影が終わると1番機は名古屋でダイレクト。

私は行きたい所があったので1番機に手を振って磁針路260度。

航空自衛隊浜松基地上空を目指します。

浜松と言えば初代ブルーインパルスの聖地。

今日は休日のため半径20マイルの浜松TCAはお休み。

5マイルの官制圏手前で浜松タワーとコンタクト。

「浜松タワー、JA3936 ・・・・メンテン4,500・・・リクエストクロスコントロールゾーン」

(4,500ft維持して飛びます。上空横切って良いですか?)



緊張して無線を入れたのですが、

「JA3936 官制圏は4,000ftまでです」

「・・・・・・・」



チャートを見直したら官制圏の輪に「40」の文字が。

それならばと勝手に飛行場上空をクロス。

格納庫の前には大きなレーダーを背負った早期警戒機E2Cがとまっています。

ここでも操縦は教官に代わってもらい、ビデオとカメラで撮影です。

「この写真、北朝鮮に持っていったらカニと交換してくれるんじゃないか」




浜松を後にすると磁針路310度で名古屋空港リポートポイントの「トヨタインター」に向かいます。

名古屋まで50マイル。しかしここからが正念場。

いよいよ緊張の「セントレアTCA」に入ります。



数日前に出来たエリアのため情報が少なく、予習はほとんど出来ていません。

「え~ セントレアTCA、JA3936 30マイルSEオブ名古屋AP・・・・」

一気にしゃべったのですが、これは予習。

「教官、こんなんで、どうでしょうか?」

「なに?今の練習?」


練習している間にも1分間で1.5マイル進みます。

咳払いをして今度は本番です。



第31話 「名古屋国際空港へ-3」



「え~ セントレアTCA、JA3936 30マイルSEオブ名古屋AP・・・・」

「JA3936 %$&*@・・・」



現在地、高度、目的地を報告し、スコークをもらいます。

セントレアTCAはレーダーでこちらを確認しました。

しばらくするとTCAに呼ばれました。

「同高度を右から左にエアラインが横切ります。高度4,000ftにして下さい」

右を見ると大きな機体が横切ります。



「ラージャー。ディセンドアンド メンテン4,000」

無線交信も、本物のパイロットっぽくなってきました。



TCAから何度か他機の情報をもらい我機は名古屋に近づきます。

「JA3936 名古屋タワーと交信して下さい」

ここで周波数チェンジです。



「名古屋タワー JA3936 トヨタポイント・・・・・」

先ほど1番機の無線を聞いていたらダイレクトベースでの進入を許可されてました。しかし・・・

「JA3936は東側5マイルで報告して下さい」

「え~ダイレクト駄目なの~」

と、言う事はグルッと回ってエントリーからの進入です。

3分余計にかかり 2,000円の損です。



エントリーからRWY34のダウンウインドへ、滑走路が長いので距離感がつかめません。

「JA3936 ダウンウインド伸ばして下さい」(遠回りしてください)

滑走路を見ると離陸機がいます。距離を開けるようにとの指示です。



ダウンウインド伸ばしてからベースに入ります。

右下に滑走路を見てファイナルターンのタイミングを考えます。

このあたりで、ダイレクトでファイナルに入るトラフィックの確認をしなければなりません。

「ファイナルチェック!」



左を確認しますと、着陸態勢に入ったエアラインのジェットの姿が。

まだ距離はありますが、こちらはファイナル65ノット、相手は120ノット。

おそらく追いつかれます。



既にこちらはファイナルターンのタイミング。

官制からは先ほど言われた「コンテニュー・アプローチ」(進入続けなさい)の後は、

まだクリアランス(最終の着陸許可)が出ないのが気になります。



「JA3936 ゴーアラウンド!」

やっぱり官制から指示が出ました。



ショートカットで、もう一度ダウンウインドに入ります。

振り返ると、さっきの後ろのジェットはタッチダウン寸前。

おそらく「なんだあの邪魔なセスナは!」と怒っていた事でしょう。



今度はダウンウインドで早々と「クリアー・ツー・ランド」(着陸良し)が出ました。

先ほどより短めのダウンウインドでベースに入り、安心してファイナルに入ります。



滑走路があまりにも長く、手前に着ける必要は無いのですが、いつもの癖でギリギリを狙います。

4人と荷物満載で、いつものようにパワーをカットすると、「ドシャっ!」と落ちるので、

用心しながらユックリとパワーを絞ります。



少々横風でしたが、センターラインをまたいで接地。しかし安心は出来ません。

離陸待ちのエアラインがいるので、急いで滑走路を空けなくてはいけません。

いつものようにブレーキ踏んだものの、逆にパワー足してスポットに向かいます。



エアラインと一緒のスポット。

あと数日で名古屋空港のエアラインはセントレア空港に移転するため、これが最後の光景。

ログブックに「RJNN」と記入できるのも最後です。



まっすぐ飛んだつもりでも、GPSデーターを見ると、トラフィックパターンが長方形でなく台形になってます。

予想外のゴーアラウンドもあり、本田エアポートから名古屋までは2時間15分。(9万円・・・泣)



緊張の名古屋ナビは終わりました。

午後は別の訓練生の操縦で南紀白浜へ。明日はも後席で本田に帰ります。

味噌カツ丼食べたあとは、後席で客さんになってノンビリ楽しむことにします


第32話 「大島弾丸フライト-1」



「八丈島に行きたい!」と 訓練生のKさんが言い出しました。

埼玉のホンダ飛行場から、なんと八丈島まで行こうと言うのです。

羽田空港からジェットで行けば、たったの50分。しかし、こちらは鈍足のセスナ。 


「300キロだから・・・・・・」

もし向かい風なら、都内の迂回を含め3時間のコース。

燃料は何とかもちますが、膀胱は制限を越えるでしょう。


「それなら大島で1泊だ」

大島まで前日の午後飛んで、そこで1泊して宴会。

翌日早く八丈島に行き、急いで大島まで帰り、トイレ休憩の後、日没までにホンダに戻る。

このプランなら何とか行けそうです。


ですが、問題は天候。

大島から八丈島まで 風によっては2時間も海の上。

八丈島まで行っても、天候が悪く飛行場に降りられなかったらアウトです。

燃料と膀胱の心配をしながら、大島まで帰るしかありません。


今回もセスナ2機で行動。

各々クラブ員3名と教官1名の4人が乗り込みます。



さて、当日。

前夜は、「打ち合わせ」と称して宴会を行い、4時間も「打ち合わせ」を行ったのに、コースも決まらず。

決まったのは 「明日13時集合ね」だけ。


で、事前の打合せで4時間もかけて 「当日は13時集合」と決定したはずなのに、

13時前に来たのは たった2人。


みなさん、今朝の天気図を見て、落ち込んでいるのでしょう。

天候はこれから下り坂。

そこで、いろいろな代替案が出てきました。


1.とりあえず大島まで行って、月曜に仕事のある人はANKで帰る。

2.目的地を名古屋に変更、帰れないなら教官を残して新幹線で帰り、セスナは格納庫を借りて避難。

  天候が回復しだい教官が1人で持って帰る。

3.このままホンダで、タッチアンドゴー大会を行う。

4.このまま車で、川越のラドン温泉に行き宴会。



いろいろ妙案が出ましたが、 「急げば今日中に帰れるのでは?」 と誰かが言い出し、

結局のところ決まったのは 『大島弾丸ナビ』 

  

時計は既に14:15。

大島空港の利用時間は16:30まで。

利用時間と言っても、この時間までに 「半径5マイルの外に出なきゃいけない」と言う厳しい規則です。



15時に出発、16時に大島着陸。

急いでトイレに行って、16:15に大島離陸すれば、なんとか16:30までに、5マイルの圏外に出れそうです。

1番バッターの私は、あわててナビログを書き始め、皆で分担して航空局にプランファイル。


いつもの大島コースは、ホンダ―横浜-江の島(写真青) なのですが、

今回も同じじゃつまらないのと、時間が無いので、直線に近いホンダ―城ケ島(写真赤)にします。


スピードアップの為、お泊りセットの着替えや、一番重かった私の仕事道具を降ろし、

更なる軽量化を図る為、トイレにも寄ります。


離陸まであと15分?「ジャーーーン!」 「スクランブル!」 航空自衛隊戦闘機の緊急発進のつもりで、

1番機往路担当の私は急いで機体へ走ります。1番機離陸は14:52。

本当に間に合うのか?


第33話 「大島弾丸フライト-2」




さて、そんな訳で慌てて離陸した 1番機と2番機。

1番機のコースは 大宮→城ヶ島→大島の予定。


急いで作ったナビログは、上空風の計算を間違えたようで予想以上に東に流されます。

「荻窪駅」を通る予定が、いつの間にか進路はこのままだと「新宿駅」に。


「羽田に近寄らな~い」 と教官に怒られて慌てて右に変針。

それでもまだ流されて、中央線をクロスしたのは「中野駅」

多摩川あたりで羽田のDMEは6.5マイル!


「6マイル割らな~い」 とまたまたお叱りを受け 機首を右に振ります。

羽田から無許可で5マイル以内に入ることは厳禁。

安全を考えて6マイルを守ります。


多摩川以南は意外に気流が安定。

城ケ島直行のつもでしたが、東に流され、せっかくなので、横浜を目指します。


目標は横浜ランドマーク。これなら遠くからでも間違えません。

横浜の大桟橋に停泊中の豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」が停泊中です。


「YOU HAVE (あなたが操縦)」 と教官に操縦を代わってもらい、操縦桿から手を離し

「ぱしふぃっくびいなす」を撮影。



横浜から横須賀を抜け城ヶ島へ。

時間は 15:30。 

「よし! なんとか間に合うぞ」

大島ランウェイは「21」 このまま真っ直ぐの進入です。


なんと言っても初めての大島着陸。

降下目標の高圧線も、太郎右衛門橋(ホンダエアポートに降りるときの目印)もありません。

「どこでどうやって降りるのか?」


10マイル前で空港が見えて来ました。ただいまの進路は220度。

このままだとランウェイ「21」(方位210度)に、斜めにアプローチになるので、

もう少し右に回り込んで、滑走路の延長線上に自分を持って行きたい。  が・・・・


「まっすぐ向かう~。ランウェイ見えないの?」 と、教官の怒鳴り声。

「とっくに見えてます」 (だから延長線上に行きたいんです・・・・)

「右に行かな~い」と教官   


「でも・・・アラインが・・・・」 (斜めに着陸できないので、回り込みたいんですぅ~)

「まっすぐ向かう~ まだ8マイルでしょう」

「8マイル?」   

滑走路があまりにも大きいので 2マイル位かと思っていました。



第34話 「大島弾丸フライト-3」




落ち着いてDME(無線で距離を測り、デジタルで表示されます)を見ると、まだまだ8マイル。

3000FT 6マイルから降下開始。


そろそろ「大島radio」に5マイルのレポート。 

無線での報告義務ポイントに近づいて来ました。


無線を取って、周波数を合わせ、咳払いをひとつ。

「あああ~ 大島レディオ・・・」と言おうと思ったら。


「ANA○○○・・・なんとかデパーチャー・・・なんとかトランジット・・・・」

これから大島を出るエアラインとの無線交信が始まり、なかなか終わりません。


その間に DMEは 5.8  5.5  5.2 と減っていきます。

「どうしよう・・・」

迷っていると隣から 「降下率500/分を守る~」と教官の怒鳴り声。

高度忘れてました。



なんとか5マイルぎりぎりで無線があいて、急いでレポート

風は100度から5ノット。左からのクロス。


滑走路は大きく見えるのですが、なかな500FTに下げてフルフラップにしたいのですが

DMEはまだ3マイル。


自分的にはどうしても高く感じますが  PAPIは 赤赤赤赤「低い?」

(PAPI:滑走路左手前にある4つのライト コースから低いと赤が多くなり高いと白が多くなる)


「下げなーい!」 と言われてもまだ1000FT以上。

高度を下げたいのを我慢して、1000FTで水平飛行。 


「これ以上下げなーい!」 と言われるものの 近づくにつれPAPIは 白白赤赤 から 白白白赤 

逆に高くなりました。


「逆に高くなりました」

本当にこの高度で良いのか?

「教官 本当に大丈夫ですか? 昨日飲みすぎじゃないですよね」

このあと 「良いんですか?」 「大丈夫ですか?」を連発。


実は、大島空港は滑走路の手前横に丘があり、横風のときはその影響で風が渦を巻きます。

これに入ると小型のセスナは劇揺れになり、危険な事に。


そのため丘をかわして、滑走路の真ん中あたりに接地する場合があります。

滑走路はホンダエアポートの3倍の長さなので、こんな芸当が可能です。


大島空港 長さ1800m×幅45m

ホンダエアポート 600m×25m


かなり高い高度で滑走路脇の丘を越えて 「パワーカット!」

どう考えてもオーバーランしそうですが、いつまでたってもエンドは近づかず。

高度が下がるにつれ、滑走路の幅がどんどん広がります。


「いったいここは どこ?」

あまりにも大きな滑走路なので、距離感が狂います。

オーバーランだと思ったのに 余裕で1/3あたりに着いて 半分前でストップ。

なんという大きさでしょう。



大島到着は15:53。

続いて2番機も降りてきました。

さあ 急いで着陸料払ってトイレに行って 16:15には折り返しで離陸しなくてはいけませんが、

飛行場の管理は東京都。管制は国交省。建物も隣り合って別々。縦割りの典型です。


急いで2つの建物駆け回って機体に戻ります。

管制塔のある建物で、気象のブリーフィングを受けると、ちょっとだけパイロットの気分になれます。


さあ、折り返しは、別の訓練生が担当。

自分は後席で缶コーヒー飲んで休憩です。

八丈には行けませんでしたが、良い経験になりました。