『 紅の羽根 』
≪ 三、飛天 ≫
飛天御剣流の開祖は誰なのか、どんな人間だったのか。
それは比古も知らないし、今まで特に気にする事も無かった。
だが、比古がまだ子供の頃・・・先代に付いて修行していた頃、戯れのように言われた言葉が脳裏を過る。
『飛天とは天女。大切な何かを誰かを守るため、その手に剣を取り竜の如き御技を以て天空を舞う・・・。』
を見ていると、当時鼻で笑った御伽噺が真実だと思えるような気がした。
あの時音も無く斬り込んできた彼女に、一瞬見惚れた。
そして今、意識無く懇々と眠るはまるで天空から引き摺り堕とされた天女。
比古の手で、比古の腕の中へ堕とし捕らえた、ただの生身の女。
そんな風に、錯覚してしまう。
「・・・らしくねぇな・・・。」
苦笑いした男は、寝かせた女の傍を離れて外へ出た。
ごまかすように口にした酒は、苦いばかりでちっとも美味くなくて。
「やはり、潮時か。」
これ以上を傍に置く事は出来ない。
己の感情のままに、例え愛情故だとしてもその心に痛みを重ねるような真似は、したくなかった。
伝説の天女そのままの。
唯人の自分には、手を伸ばすことも許されぬ。
「本当に・・・お前がただの、人間であったなら、な・・・。」
自嘲を込めた呟きは、夜の闇に掻き消えた。
「ん、う・・・?」
が目覚めたのは、それから4日後。
体のだるさと乾きに、枕元に置いてあった水差しの水を一気に流し込み、ぱたりと布団に逆戻る。
には寝ている間勝手に発動する回復咒式(があるので、4日もねていた割に体力的にはさほど問題は無い。
(私、倒れたのか・・・何日くらい寝てたんだろ。)
ぼうっと天井を眺めていると、ふいに視界に入った顔。
「起きたか。」
「比古さん・・・。」
いつもの仏頂面でひょいと覗き込み、慣れた手つきで脈と熱を測られる。
「大丈夫そうだな。」
「うん・・・ごめん、有難う。・・・で、期限はあと何日残ってる?」
「・・・お前が倒れてから4日だ。もうとっくに過ぎてる。」
「そっか、4日も・・・・・・・・・・・・って、ええええ!?」
思わずガバッ!と勢い良く起き上がる。
「おい、そんな急に動くと」
「ちょっと4日って4日って! 期限切れ!?」
「事実だ。支度が整ったらとっとと出て行けよ。」
「えー!? ちょ、そこは寝てた間を差っ引いて残り3日とかにならない訳?」
「ならん。体調管理なんて基本中の基本だ。考え無しだったお前が悪い。」
そう言われてしまえばぐぅの音も出ない。
そしてここでいくら駄々をこねたところで、この男が恩赦してくれる訳も無いことも、判る。
「・・・判ったわ。今日中に出てく。」
俯いたまま、呟く。
胸をチクリと刺した痛みを無視して、比古はぶっきらぼうに「そうしろ」とだけ告げた。
これで良かったのだと、無理矢理納得したふりをして。
―――だが。
「見てなさい! 武者修行でも何でもして必ずもう一度戻って来るわ、その時こそ比古さんから1本取ってやる!!」
「あァ?!」
布団の上に仁王立ちになったは、堂々と宣言した。
「確かに今回の10日の期限は過ぎちゃったし負けたら山を降りるとも言ったけど、その後再戦を挑まないとも言ってないわ。」
「・・・そういうのを屁理屈と言うんだ。大体何度やったって結果は同じだ。」
「うっさい黙れ! やるっつったらやるわ、だからそれまでに勝手に死んだりすんなよ!」
「・・・・・・・・・誰に向かって言ってやがる。」
折角手放してやろうと決めた紅の女は、比古のそんな気持ちをまるで無視して怒鳴りつける。
・・・本気で頭を抱えたくなった。
言うだけ言ったは一人満足気な顔をして、さっさと着物を着込み刀を差し、座り込む比古を放って戸に手を掛けて。
「今まで有難う。でもまたすぐにでも来るからさよならは言わないわ。じゃあ、またね!」
鮮やかな笑みを一つ。
それだけを残して比古の返事を聞くまでも無く、そして振り返ることもなく外へ飛び出して行った。
「・・・どこまでも勝手に決めやがって・・・。」
苦々しい言葉とは裏腹に、安堵にも似た気持ちが湧き上がったのを、比古は今度こそ無視できなかった。
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2006.10.16