『 紅の羽根 』
≪ 四、掴んだ幸せ ≫
東京、下町。
神谷道場の母屋の縁側に、ぼーっと空を見上げて座り込む人影が二つ。
ぴたりと身を寄せて呆けた様にしている2人は、先日祝言を挙げた剣心と薫だった。
「何か・・・凄く平和ね・・・。」
「ああ、そうでござるな・・・。」
そのうちくたりと首を預けてきた薫に、剣心の目元が柔らかく和む。
剣心がここ神谷道場へ来てから、沢山の闘いがあった。
そして沢山、この娘を傷付けた。
一度は離れようと思い、一度は喪ったと思った温もりは、今こうして傍らに有る。
自分の血塗られた過去もこの先に続く闘いの人生も。
全てを受け止め包み込み、救ってくれた愛しく稀有な存在。
先日行った祝言の前、二人きりでした誓いを思い出す。
『―――汝、病める時も健やかなる時も、この者を愛し守り抜くと、誓いますか―――?』
異国の結婚式ではこんな風に互いに誓うのだと、薫がどこからか聞きつけてきた誓いの言葉。
大方妙にでも吹き込まれたのだろうが、2人きりの静かな部屋で厳かに告げられた問いに、剣心もまた誓ったのだ。
一生この娘を愛し、守り抜く。
その瞬間の、華が綻ぶような薫の笑みはきっと死ぬまで脳裏から離れないだろう。
剣心がそんな甘やかな想いを噛み締めていると、寄りかかった薫はふいに身を起こして。
「それにしても遅いわね、もう支度は整ってるっていうのに。」
ぶうたれた顔で文句を言った。
それに剣心は苦笑を洩らす。
そう、この二人が今縁側でほのぼのしているのは、馬車を待っているからであった。
事の起こりは数日前。
祝言を挙げたその日こそ新婚さんに気を使い大人しく早めに帰った皆だが、次の日からが大変だった。
元々そんなに派手に式を行うつもりの無かった2人なので、ごく親しい者だけで挙げた祝言。
が、この界隈では有名人な2人、結婚したという話はあっという間に広まって、それから連日のように入れ替わり立ち代り夜遅くまで宴会が行われていた。
・・・よって、夜2人きりでゆっくり―――シていられたのは、祝言の夜、所謂『初夜』の時だけで。
祝うために集まってくれた人たちを無下にすることは出来ないし、祝ってくれるのは嬉しいことだからとそれに毎晩つきあってきた2人だが、こうも連日『2人の夜』を邪魔され続けると流石に堪えるものがあった。
・・・まぁ薫に目をつけていた男どもはそれを狙ってのことだったのだろうが、剣心のその様子に気付いた妙が、気を利かせたのか小旅行を勧めてくれたのだ。
現代で言えば新婚旅行とでも言うべきそれは、妙と仲間達の手によっていつの間にか準備され、紹介状まで持たされた。
場所は、現在で言う静岡県静岡市、安部川上流の梅ヶ島温泉。
今でこそ静岡という名の地だが古くは武田の領地として甲斐の国であり、現在でも秘湯中の秘湯と言われ武田信玄を始め徳川家康や秀忠公、勝海舟なども好んだ温泉地である。
打ち身や傷、また傷の後遺症にも効くとされ、入浴後のしっとり感からか美女づくりの湯としても有名である。
静岡の温泉へ行っておいで、と言われて最初は伊豆を思い浮かべた2人だが、指定されたのはそんな隠し湯。
理由は妙のこの一言に集約される。
『結ばれたばかりの2人が人目を忍んでひっそりしっとり温泉旅行、これほど相応しい処は他に無いですやろv しかも薫ちゃん、ここは美人づくりの湯としても有名なんよvvv』
・・・つまり、そんなところにも気を使ってくれた訳で。
道場を放っておく訳にはいかない、という薫の主張もあっさり交され、こうして2人きりでの温泉旅行となったのである。
「まぁまぁ薫殿、焦らずともそのうち来るでござろう。まだ昼にもなっていないし。」
「そうなんだけど、そうなんだけど!」
(な、何か緊張しちゃうから早く来いってのよ〜!!)
剣心と2人で旅行、というのは京都に墓参りに行った以来。
しかもあの時はまだ夫婦としてではなかったので、まだある意味良かったのではあるが。
(だって、剣心と・・・おおお夫と2人きりで温泉旅行よ!?)
自分で思ったくせに『夫』という言葉に真っ赤になる薫。
まだ祝言の感動覚めやらぬ頭は、止せばいいのにその時のことを事細かに思い出してしまって。
祝言の日の早朝、朝日の昇るそのときに誓い合った言葉。
真白な衣装に身を包み、緊張しながら臨んだ祝言。
沢山の、気持ちの篭った皆の言葉と笑顔。
・・・そして、夜。
初めて拓かれた身体は破瓜の痛みと共に、今まで知らなかった剣心の熱と蕩けるような悦を灯されて。
身も心もこの男に染められ、それこそ隅々まで愛されて。
次の日の朝、まだどこか艶を残した剣心の笑みで起こされた時の、あの気恥ずかしくも幸せな気持ちはとても言葉に言い表せない程の―――。
・・・そんなところまで思い出してしまって、益々真っ赤になった顔を隠すように傍らの剣心の腕にしがみついた。
「どうしたでござるか薫殿?」
くすくすと笑い声。
聡い男の事だ、きっと今薫がどんな状態なのかも判っての上での言葉。
「い、意地悪・・・!」
そう言うとますます笑って、「本当に可愛いでござるな」等と良いながらぎゅっと抱きしめ幼子にするように頭を撫でて来るのが気に入らない。
いや、その行為自体は気持ち良いし文句は無いのだが、自分ばかりが振り回されているようで。
実際のところ、剣心もまたそんな可愛い反応を返す薫に大いに降りまわされているのだが、そんなことは知る由も無く。
傍から見たら「勝手にやってろこのバカップル!」状態の二人がそのままいちゃいちゃしていると、漸く待っていた馬車が到着した。
「来たようでござるな。行こうか、薫殿。」
「ええ!」
こうして2人は、静岡の温泉地へ旅立った。
この先に待ち受ける、波乱の出会いなどこれっぽっちも知らぬまま・・・。
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2006.10.17