『 紅の羽根 』
≪ 七、蘇る血煙 ≫
その瞬間、周りのものは何一つ頭の中から消えてしまった。
判るのは自分が追われていた事。
追っていたのは、新撰組―――斎藤 一。
それだけで、緋村の意識は一気にあの頃へ立ち戻った。
幕末―――血風の、京都。
どくん、どくん、どく、ん。
自分の鼓動が、やけに煩かった。
「貴様が何処で何をしていようと知ったことではないが、こんな処で刀を差したままうろうろするな。此方の仕事の邪魔だ。」
紛らわしい、と吐き捨てる斎藤。
だが彼はそう言いながらも、何とも言えぬ違和感を感じ取っていた。
目の前に居るのは間違いなく『抜刀斎』本人。
だが、自分の中で何かが違うと叫ぶ。
昔の様に髪を高く結い上げた目の前の『緋村 剣心』は、斎藤の知るその男と何もかも・・・その身の気配すら同じなのに、奇妙な違和感が消えない。
そう、強いて言うなら彼は・・・『抜刀斎』に近すぎるのだ。
斎藤の知る『人斬り抜刀斎』は、今は流浪人などと抜かしていて昔のそれとは程遠い雰囲気を纏っていた筈。
今眼前に立つ男は・・・流浪人というより昔の抜刀斎のそれに近過ぎる。
「どういうことだ・・・?」
無意識に刀に手を掛ける。
す、とその目に剣気が宿った、その刹那。
重なる顔、重なる気配。
京の街で剣を交えた、あの時と同じ、剣気・・・・・・。
緋村の中で、何かが切れた。
「!?」
ギィンッ!!
刀のぶつかる鋭い音。
突如攻撃してきた緋村にではなく、その手に持つ刀を見てこそ斎藤は僅かばかりの驚愕を覚えた。
「貴様・・・逆刃刀はどうした?」
「・・・何の、事だ。」
緋村が持つのは普通の刀。
流浪人である剣心が持っていた逆刃のそれではなく、『抜刀斎』であった頃持っていたような、通常のもの。
「・・・記憶喪失にでもなったか? それとも甘いだけの理想などやっと捨てる気になったか。」
「訳の判らぬ事を・・・。」
緋村は当然の事ながら、この時代の剣心が斎藤と共闘した事も逆刃刀を持っている事も知らない。
斎藤が警官・・・密偵となり、街で顔を合わせたからといっていきなり斬りかかるような間柄では無いことも知らない。
知っているのは『斎藤一』は新撰組、自分の敵だということだけ。
まして今、頭の中が完全に幕末の頃に戻ってしまっている緋村には剣を収める気など微塵も無く、ただ相手を斬り伏せることしか考えていない。
そんな物騒な剣気を感じ取った斎藤は薄ら笑いを浮かべつつ、腰を落とし水平にに刀を構えた。
「貴様の事情など知らんが、其方がその気なら俺に依存は無い。」
―――牙突の、構え。
「はああッ!!」
日も傾きかけた裏通りで、剣戟の音が劈いた。
一方、斎藤に指示され追ってきた警官隊は、上司と追っていた剣客との戦いに呆然としていた。
辺りに満ちる凄まじい剣気に押され、動く事も出来ない。
まして超一流の剣客同士の死闘に割って入ることの出来る様な者など一人も居なかった。
ごくり、と生唾を飲む。
決して広いとは言えない場所で、縦横無尽に飛び回り斬り込む見知らぬ緋の男。
その目にも止まらぬような動きを見定め、的確に攻撃する上司の姿。
斎藤を『藤田』としての警官姿しか知らぬ彼らは、驚愕し戦慄を覚えた。
「ちょっとどけ! 邪魔!」
・・・・・・その硬直を破ったのは、背後から飛び込んできた紅の影。
それは、丁度緋村と斎藤の剣がぶつかり、交差した瞬間。
その交差した1点に、上空から新たな一撃。
耳を劈くような金属音が鳴り、刀が弾かれた。
「! ・・・・・・お前か。」
「!?」
「やー、久しぶり剣心! と、2人ともちょっと落ち着いて、ね?」
滅茶苦茶な方法で闘いの場に割って入ったは、強引な笑顔で剣を引かせた。
「組長にも剣心にもちゃんと話をするからさ、ほら物騒なモノはしまってしまって!」
「。『組長』は止せと言ったはずだ。」
「いーじゃない、男が細かいことに拘んじゃないの。“はじめちゃん”よかマシでしょー。」
ちゃき。
「ちょっ、待て待て!剣から手ぇ離せ! ・・・危ないなぁもー、今はお仲間でしょーが。」
「・・・・・・なか、ま?」
呆然と突っ立ってと斎藤のやりとりを聞いていた緋村は、混乱の絶頂にいた。
もう何が何だか判らない。
「そう、仲間なのよ今はね。その辺もちゃんと説明するから、兎に角落ち着いて話を聞いて。」
笑顔でぽんぽんと頭を撫でてくるに、何も判らぬまま無意識に緋村は頷いた。
その頃、梅薫楼の中にある小綺麗な料亭にて。
「へぇー、そんなに色んな処を歩いてきたのね。」
「ええ。薫さんは・・・旅行、ですか?」
「そうなの、いつもは東京に住んでるんだけど、たまには息抜きして来いって回りの人たちが勧めてくれて。」
「良い人たちじゃないですか。」
にこやかに談笑する女性が2人。
言わずと知れた巴と薫である。
その日観光に出かけようとしたところで仲居の一人に例の説明を受けた剣心は、そんな話を聞いてそのまま放っておく訳も無く『ちょっと事情を聞きに』と行ってしまい。
自分も行くと言った薫だが、頼むからここに居てくれと言い包められてしまって宿に居た。
何かあったらすぐに戻るからと言い聞かせられて仕方なく残った薫は、宿の自慢の温泉で巴と出会ったのだった。
2人はお互いが誰の妻なのか知らぬまま、そして夫が今どんな状況にいるのかも知らぬままに、美味しい料理を前に笑い合っていた。
そして地元の警察署の一室では、新たな闖入者を加えて空気を凍り付かせていた。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
今にもまとめて皆斬り殺さんばかりの怒気を孕んで、もうもうと煙草をふかす男が1人。
呆然と、互いの顔を見て目を見開く双子のようにそっくりな男が2人。
その場の雰囲気をまるで無視して、へらりと笑う全ての元凶の女が、ひとり。
「えーとえーっと、・・・・・・・・・とりあえず、そこ座ろっか?」
・・・ブリザードの幻影が、見えた。
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2006.10.21