『 紅の羽根 』
≪ 十、それだけの事 ≫
ここへ、この時代へ飛ばされて来た時に。
から、巴は死んだと説明された筈だった。
けれどけれど、ああ、こんな事実は聞いていない。
『 巴 を 斬 り 殺 し た の は 、 拙 者 で ご ざ る よ 。』
―――『 俺 』 が殺したなんて、聞いていない!
見る間に、顔色の変わった少し幼い自分。
横顔から覗く瞳は、怒りとも哀しみともつかぬ悲痛な色を宿した刹那、自分をおいて駆け出した。
多分、こうなるだろう、とは思っていた。
自分がもし逆の立場だったら、きっとそうするだろうから。
・・・いや、
(自分、だからこそ・・・でござろうな。)
剣心の瞳にも、苦いものが過った。
(・・・今すぐに・・・薫殿を抱きしめたいと思うのは、逃げ、なのだろうか。)
―――だけどそうでもしないと、もう、立って居られなくなりそうで・・・。
「っ巴!!」
ばん、と乱暴に開けた襖の向こうには、思い描いた人は居なかった。
夕飯時をとうに過ぎてしまった今、確実に居るだろうと思っていた巴はそのときまだ食堂で話しこんでいたのだが、緋村にそれを知る術は無い。
「・・・と、もえ・・・・・・?」
奥の間にも行って見るが、布団の敷かれたそこにも願う人は居ない。
二つ並べて布かれた布団がやけに目に付いて、でもそこには誰も居なくて、動悸が治まらない。
何故。
今朝は居たのに、何で・・・。
そして、混乱した頭の中に響くのは、先程の。
『 巴 を 』
―――うるさい。
『 巴 を 斬 り 』
―――うるさい、だまれ、
『 殺 し た の は 、』
殺された、殺してしまった。
違う、違う殺してない、だって抱きしめた、この手で、この腕で、
――― 殺したのは、『 俺 』―――
「・・・巴・・・、ともえッ―――!!!」
ぼろぼろと何かが流れてくる。
暖かい、水。
もう、何が何だか判らなかった。
目から落ちる雫の止め方さえ忘れて、呆然と立ち竦んだまま動けない。
緋村がそうしてくず折れそうになったとき、背後で静かに襖の開く音がした。
「・・・? あなた?」
「とも、え・・・?」
「ええ、私は此処に居ます。 ・・・どう、したんですか?」
「っ、巴・・・っ!」
襖を閉め終わるか否かぎりぎりのところで、巴は緋村に抱きしめられた。
強く、つよく。
逃がさないように、しがみつくように、・・・縋りつく、ように。
(一体、何が。)
緋村の尋常でない様子に、しかし巴はそのまま緋村の背に腕を回し、優しく抱きとめた。
正直、加減なしで回された緋村の腕は苦しかったが、そんな事よりも緋村の様子が気になって。
(、貴女は一体この人に、何を。)
「・・・大丈夫、私は此処に、生きて居ます。怖がらないで。」
ぽん、ぽん、と幼子にするように優しく背を叩く。
座り込んで抱きしめられたまま、暫く巴はそうして緋村をあやしていた。
―――泣いている事にさえ気付かない、愛しい男を抱きしめたまま。
そして、宿の入り口。
駆けていった緋村を追う事はせず、ゆっくり歩いてきた剣心に。
「遅かったわね。・・・あの子は今頃巴に泣きついてる頃よ、きっと。」
「・・・。」
わざとふんぞり返ってそう言うに、剣心は苦笑を浮かべた。
その苦い笑みの意味を、取り間違えはしない。
きっとあの惨劇を―――が遂に言えなかったことを、自ら語ったのだろう。
「・・・莫迦ね。良いから部屋に行って薫ちゃんに慰められて来なさい。・・・酷い、顔してる。」
剣心の瞳に浮かぶ、苦くて痛い色を見て、はあの頃の―――幕末の頃の、『姉』の顔でそう言った。
無言でこくんと頷いた剣心の頭にぽん、と手を置いて、
「でも・・・一番の莫迦は私よ。大事な弟にこんな思いさせてる原因だもの。だからあとは全部任せて、アンタは今何も考えなくて良いから。ね?」
さあ行った行った、と背を押して、2人は宿へ入っていった。
「剣心・・・。」
宿の二階、窓にもたれ掛かって薫はどこかぼうっとしたまま夫の名を呟いた。
(雪代・・・緋村、巴。)
(剣心がかつてその手で惨殺した妻。)
それがまさか、さっきまで互いの事情も知らずに笑いあっていたあの女性だったなんて。
あの時、談笑していた2人の前に突如現れた。
正直、『ともえ』という名にひっかかりは覚えたものの、偶然だろうと大して気にも留めていなかった。
それが、まさか。
(・・・でも、『今この時代』の剣心の妻は、私。)
いや違う、そうじゃないと思い直す。
ショックを受けなかったと言えば嘘になる。
だがは言った、目の前に居る巴は『違う過去』の人なのだと。
その今自分が知っているのとは違う過去とやらでは巴は死なず、維新も成らず、そうしてその時代の剣心と共に生きてきた人だ、とも。
その意味を全て理解できてしまった薫は、思ったより余程冷静だった。
(だって、剣心は誓ってくれたもの。)
この先生涯、薫を愛し、守り抜くと。
の言葉より、巴の存在より。
薫に響いたのは、その時の剣心の言葉と、抱きしめられた温もり。
それだけで、何があっても受け止められる気がした。
『過去の傷跡を抉ってしまった。』
『知らずにいられたはずの過去を、突きつけてしまった。』
『罪人は私。あの子達に罪は無い。だから、お願い―――』
どうか、抱きしめてあげて。
そう言って、深く深く頭を下げたに、薫は動けなかった。
状況の説明だけで頭が一杯だったせいだろうか。
だが、一度以前に話を聞いていた巴は、つかつかとに歩み寄り。
べしっ、とその後頭部を引っ叩いた。
「と、巴さん・・・!?」
「った〜・・・。」
かなり本気だったのだろう、叩かれたそこをさすりながら上げられたの顔は涙目だった。
「・・・・・・。」
「っ、はい!」
ドスの効いた声で呼ばれ、反射的に返事をしたは巴と目があった瞬間、背筋が冷たくなった。
怒っている。
かなり本気でキレかかっている。
「貴女があの時居なければ、私もあの人も死んでいた。でもが居て、助けてくれたから今生きている。・・・それだけの事だと、以前言った筈です。」
―――それに対して、今更罪も罰も無い。
一気にそれだけ言うと、一旦目を閉じて、開く。
ふ、とキツく睨んでいた目元が和らいだ。
「それに、私はあの人の妻です。夫を抱きしめるのは当然でしょう?」
にこり、と笑った瞳には、強いつよい光。
ああ、この人も同じなんだ、と理解した薫もまた、笑った。
信じてる、自分と、愛するその人を。
何があっても互いを愛し、支えて生きていく。
(そう、たったそれだけのこと。)
大事な大事な、可愛い弟・・・達、は。
どうやら稀に見る幸運の持ち主だったらしい。
「こんなに信じてくれている女性が妻だなんて、最高の果報者ね。」
それは誰の耳にも届かずに、紛れて消えた小さな言葉。
涙交じりの、間違う事無きの本音、だった。
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2006.11.5