戊辰戦争では、数多くの大砲も使用されましたが、ここでは有名な三種類の砲を紹介します。
臼砲
ゲベール銃と同じく、砲身内に溝が切られていない(ライフリングされていない)砲身から、球形弾を発射しました。ただし、戦国時代の大砲とは違い、球形弾の内部は空洞になっている中空弾で、この空洞に火薬を詰めて発射しました。火薬の入り口に信管を取り付け、発射時に信管に点火、一定時間が経過するとその火が火薬に到達し爆発、炸裂しました。射程距離は約1600m
実際の臼砲弾
四斤山砲
戊辰戦争の主力砲と呼ぶべき存在。砲身内に溝が切られており(ライフリングされており)、銃口から尖頭弾の砲弾を装填します。砲弾の側面にはリベットが取り付けられており、これが発射時に溝に食い込み回転しながら発射されるので、射程距離も約2600mと臼砲に比べて長かった。砲弾の先端に数種類の信管を取り付ける事が出来ましたが、出土された砲弾を見る限り、仮信管に紙管を取り付けたタイプが多かったように思われます。
発射時に、この紙管にも着火し、一定時間後に火が中空状の砲弾内に到達し、爆発しました。主に内部に火薬だけが装填された榴弾と、火薬と鉄球が装填された榴散弾がありました(画像は榴弾)。榴弾は爆風と炸裂した破片で損害を与える為に、対建造物と対人双方に有効でした。一方の榴散弾は対人に特化した砲弾でした。
いずれにしろ、砲弾が炸裂する事により、点では無く面の制圧が可能となった四斤山砲は、まさしく戊辰戦争の主力砲だったと言えるでしょう。
実際の四斤山砲弾(榴弾)
アームストロング砲
半ば戊辰戦争の伝説と化しているアームストロング砲ですが、その特徴は砲身の後方から装填出来る構造と、砲弾が中空では無く、中身も金属で詰まった実体弾だった事です。臼砲にしろ四斤山砲にしろ、前装式だった為に砲弾を装填する際に、砲口を上げる必要がありました。これに対して後方から装填出来るアームストロング砲は、上記の臼砲や四斤山砲に比べると装填時間が短縮出来ました。また、射程距離も3600mと長く、画像の実体弾は質量が大きく運動エネルギーにより貫通力が高かったのが特徴でしょう。
ただし、戊辰戦争で使われた6ポンド砲の実体弾では(戊辰戦争で使われたアームストロング砲は、佐賀藩所有の6ポンド砲のみ)貫通力が高いと言っても、砲車で運ぶ野戦砲では、日本式城郭の石垣を破壊するまでの貫通力はありませんでした。一方で木造家屋の、戊辰戦争時の建築物に対しては貫通力が高すぎて、穴を開けるだけで終わった可能性があります。
榴弾については、戊辰戦争で使われた6ポンド砲では、上記の四斤砲と比べて大きさ容量とも少なく、射程距離こそ長いものの、四斤山砲に比べると攻撃範囲は少なかったでしょう。上野戦争について語られる時に、アームストロング砲の戦果が強調されるものの、6ポンド砲2門だけでは、その戦果はさほどのものではなく、上野戦争の戦果は上記の四斤砲や臼砲、またはボートホイッスル砲などの野砲全ての戦果を併せたものと考えるるべきでしょう。しかし、その特徴的な名前も手伝い、アームストロング砲の伝説が一人歩きして、過大評価されているのが実情と考えます。
実際のアームストング砲弾(実体弾)