ゴールドウィン家は、東方司令部の南側、イーストシティでは商家の屋敷が立ち並ぶ界隈に堂々と建っている。周りに比べてひときわ大きいその屋敷は、四方を厚い壁に覆われ、正門には門番が二人、門のすぐ向こう側に見える警備員の詰め所にも人影が見えた。お飾り程度のものではないのは、一目見てすぐ知れる。普段の警備とさして変わりはない、とゴールドウィンは言う。
 後から着いたロイたちは、まずは屋敷の中へと通された。その間、ハボックに命じ、二人の部下を伴わせて建物の外郭をチェックさせる。
 屋敷の中は意外にも質素な外観に反比例してそこここが煌いている。入った瞬間、エドワードが呆れ顔で見回したように、ロイも内心では「悪趣味だな」と悪態をついていたが表に出すことはない。
 ゴールドウィンに案内されたのは、入り口から最奥の位置にあたる扉を開け、薄暗い階段を降りたさらに先の地下室だった。扉自体はなんの変哲もない木の扉に見えたが、掛け金が複雑な仕組みになっており、ロイたちに見えないようにそれをいじったゴールドウィンが扉を開けると、そこでようやく木で出来ていると思ったのは間違いだったことに屋敷の主以外の三人は気づいた。木製なのはその表面だけで、分厚い扉は金属で出来ていた。
 掛け金も扉も、素材は青銅。ロイとエドワードは互いに視線を交わした。
 室内に入ると、そこは石畳の通路の暗さに慣れた目にはまぶしいほどの光に照らされていた。照明は部屋の四隅に加え、中央の天井からひときわ大きな灯りがつるされている。その真下に、ガラスケースが置かれていた。
 ゆっくりと近づいたゴールドウィンが、ガラスケースをいとおしむように撫でた。正確には、彼がいとおしんでいるのはその中身の方だが。
 ケースの中に収められているのは、まさしく黄金の聖杯だった。屋敷の玄関からここに来るまでの途中に飾られていた、イミテーションの金メッキとは質が違う。おまけに、エドワードには遠目には判別が付かないが、聖杯には数種の宝石がはまっていた。ロイが小さく「ルビー」と呟く。
「これは我が家の宝です。代々受け継がれてきた。これがあるからこそ、我が家はここまで商売を成功させることが出来たのです」
 いわば、守り神というところか。この手の宝物のご利益というものを全て切って捨てるつもりはエドワードにはないが、うさんくさそう、と感じることは否定出来ない。
 この室内に出入りできるのはたった一箇所。いましがた自分たちが入ってきた出入り口ただ一つだけであること、そしてこの部屋に来るまでの経路は先ほどの階段へと続く扉だけであることを確認して、皆は外に出た。
 階段を上がり、一階へと着くと、ロイは最後に上がって来たゴールドウィンを振り返って言った。
「警備の者はさきほどの部屋の前に二人、この扉の前にも二人置こうと考えていますがいかがでしょうか」
 この手の警備では妥当な線を挙げたのだが、ゴールドウィンは首を横に振る。
「いえ、この場だけを守ってくれればいいのです。うちの者もここに置くので、そちらからは二人ほどで結構」
 軍部に来たときのわざとらしい取り乱しようとは打って変わって、態度は尊大だ。自分の領域で気が大きくなるのはありがちなことだが、ここまであからさまだと多少腹が立つのもしょうがないことである。
 しかしまだ、彼には聞かなければならないことがある。
「こちらにヘレン・クライトンという錬金術師がいますね。元国家錬金術師の」
 先ほどの扉、そして掛け金は青銅で作られていた。青銅の錬金術師であるヘレンが錬成したものと見てもいいだろう。といっても、ゴールドウィンが素直に会わせてくれるものか。
「ええ、おりますとも。身元を引き受けたときに軍から『三年間は家の外に出さぬように』とお達しがありましてね、それをしっかり守っておるのですよ」
 いやにあっさりと承諾したゴールドウィンに、肩透かしを食らった気分だった。案内しましょう、と言う屋敷の主に着いて行くと、広い廊下を玄関とは反対の方へと曲がった先にある階段を上がり、二階の廊下の、一番端の部屋の前で彼は立ち止まった。ちょうど、部屋の前の廊下からは中庭を見下ろせる。
「ヘレン。私だよ、ライナスだ。軍の人を連れてきた。入ってもいいかね」
 部屋の中からは、いまにも消えそうな弱々しい返事がした。
 ドアを開けて入ると、中央に置かれた白い大きなベッドにうずもれるようにして女性が身を横たえていた。四人が入っていくと、ベッドのすぐ側に座っていた少女が女性の背中に手を回して身を起こすのを手伝った。
「無理しなくてもいいのだよ、ヘレン」
「いえ、大佐を前に寝ていては失礼に当たりますわ」
 小さな声で答えたその女性の顔色は白かった。髪も灰色に白が混じっている。ロイやエドワードの記憶にあるヘレンの年齢は、確か30代前半だ。たいしてロイと変わらない。
 それが、目の前にいるこの女性はどうしたことか。年を知らずにいたら、60代と見間違えていたことだろう。それほどに外見と実際の年齢がかけ離れている。
 彼女の口から洩れる声も、艶や張りというものを失っていた。
「ロイ・マスタング大佐とそちらは……鋼の錬金術師さんね」
 エドワードを見て、微かに笑った。エドワードが話に聞いていたヘレンとは全然違う。自分の欲に滲んだ目ではなかった。微笑む表情も、故郷にいる熟練の機械鎧技師のそれとよく似ていた。
「初めまして。エドワード・エルリックです。こっちは弟のアルフォンスです」
 なんとはなしに姿勢を正して挨拶をすると、彼女の笑みが深くなった。細められて糸のようになった目もまた、ピナコ・ロックベルに通ずるものがあった。
 戸惑うエドワードに気づいたのか、ロイがそっと口を挟んだ。
「確認させていただきます。貴方は間違いなく、元・青銅の錬金術師、ヘレン・クライトンですね?」
 彼女はしっかりと頷いた。
「年齢もご存知なのでしょう?さぞ驚かれたことでしょうね。34のはずが、おばあちゃんみたいなんですもの」
 骨ばった手が目に触れないように、彼女は布団の中に隠した。
「失礼ですが、ご病気か何かで」
 元犯罪者を相手にロイがいやに丁寧なのは、この変わり果てた有様に心が痛むものがあるからだろうか。エドワードもそのことを指摘するでもなく、神妙にロイの横に立っている。
「釈放され、こちらにご厄介になった直後に病を患いました。理由はそれが半分。あとは私の犯した罪をご存知なら、想像はつくはずですわ」
 厳しい尋問が行われたのだろう。尋問とは名ばかりの、拷問が。
 犯罪者の人権が全ての取調べにおいて配慮されているとはとても言えないし、改善される見込みもない。
「ゴールドウィンさんには本当に感謝しております。犯罪者の私を引き取ってくださって、こうして面倒まで見てくださる」
「だから地下室の扉に仕掛けられた細工を錬成したと、そういうわけですか」
 ヘレンは軽く目を見張って、ゴールドウィンを見た。答えていいかどうかを問うているようだった。
 ヘレンの代わりに屋敷の主が言う。
「よくおわかりになりましたな。ヘレンが細工したものだと。さすがはマスタング大佐でいらっしゃる」
「いえ、こちらの二つ名と細工の素材から単純に考えただけです。ちらっとしか見てはいないが、大変に複雑な仕組みのようですね」
 植物を象った意匠のある一点を押すと、そこから歯車のように噛み合わさった金属が、順々に動いていく。最後にカチッとかすかな音がして、扉が開いた。
 ヘレンが言うには、全体を押して偶然にその一点を押しても駄目なのだそうだ。ただ一点だけを押さないと仕掛けは動かない。そして、順々に金属がはずれていく途中の決まったタイミングで再度その一点を押さないと仕掛けは途中で止まってしまう。
「すごいな。そこまではわかんなかった。もしよかったら、仕掛けの最初の部分だけでも教えてもらえないかな、クライトンさん」
 錬金術師の技をただで教えろという図々しい願いではあったが、エドワードは純粋に興味が湧いて、駄目なら断ってくれるだろうと考えて言った。兄さん、と弟の制止する声が聞こえたが、多分本心ではアルフォンスも興味がある。
「クライトンさんだなんて……ヘレンでいいわ。仕掛けも前半の部分だけならば教えてさしあげます。あとの半分は、教えてしまったらライナスが困ってしまうから」
 ヘレンはゴールドウィンに微笑みかけ、彼もまた彼女に微笑み返した。ロイもエドワードも初めて見る、ゴールドウィンの優しい表情だった。
「ありがとう、ヘレン」
 エドワードが礼を言うと、ヘレンは「エルリックさんのお役に立てるなら嬉しいわ」と笑った。
「エドでいいよ」
「僕も。アルって呼んでください」
「よろしいの?では、エド、アル。近くに寄ってらして」
 言われた通り、エドワードはすぐ側に。アルフォンスは兄の背後から覗き込むようにしてその手元を見た。ベッドの脇に設えてある棚からゴールドウィンが取り出した本を受け取るとふとんの上で開く。見たことのない錬成陣が描かれていた。部屋の隅からメイドが持ってきた金属をその陣の上に置く。ヘレンが陣に触れると、すでに青銅に錬成されたそれが青白い光を放って形を変えていく。眩しさなど意に介さず、エドワードもアルフォンスもじっとそれを見つめた。
 光がやむと、地下室の扉で見たのと似たような細工が姿を現した。
「これが前半部分よ」
 触ってもいいかと問うと、ヘレンが快諾してくれたので兄弟は玩具を得たこどものようになった。あちこち押しては細工の動く様に喜んでいる。珍しくこどもらしい素直さで「大佐も見てみろよ!」などと言うので、ロイも手にとって同じように押してみた。表の芸術品のごとき美しさと、内部の機能美が見事に調和している。思わずロイは「これが青銅の……」と呟いた。
「これだけの技を持ちながら、どうして貴方は……いや、失礼した。すでに終わった件に口を挟む筋合いは私にはありませんね」
 話には聞いていたが、実際目にすると、細工職人としての腕よりも錬成の技術が優れているように思えた。
 本筋から外れていく三人をゴールドウィンの声がさえぎった。
「申し訳ないがヘレンは疲れているようなので、もうそろそろよろしいですかな」
 兄弟はヘレンに挨拶をして部屋を出ようとしたが、扉の前でロイが立ち止まって聞いた。
「最後に一つだけお聞きしたい。ミズ・クライトン、今回の犯行予告の主に心当たりは?」
「ございません」
 静かで簡潔な答えだった。


「どうも匂うな」
 ロイが呟いた。
 ヘレンが眠るまで側に控えているというゴールドウィンを置いて、三人は案内もなく廊下を歩いている。鍵のかかっていない部屋以外はご自由に、との主の許可を得さえすれば、なんのためらいもない。
「俺も。匂うっていうより気になったことなんだけどさ」
「僕もです」
 兄弟が順に頷いた。
「じゃあまずアルフォンスくんから。気づいたことを言ってくれ」
「僕にはゴールドウィンさんという人がよくわかりません。司令部にいたときはいかにも商人という感じで、ここに来てからは少し偉そうでもあったのに、さっきのヘレンさんに対してはすごく優しかった。機嫌を取っているのとはまた違って、優しい目をしてヘレンさんを見てました。それが僕はとても気になった」
「あ、俺も。どっかで見たことあるなーって思ったんだけど、師匠に似てないか?」
「似てるね」
「だろ」
 互いに顔を見合わせ、兄弟は自分たちの師匠のことを思い出した。厳しいし乱暴で、年端もいかないこどもを無人島に一ヶ月置き去りにするような極端で激しい気質の人だが、いつも見守ってくれていた。彼女が夫である人を見るときの眼差しによく似ていた。何かを失ったものの痛みと、変わらずにそこにあるものをいとおしむ様が。
「なかなか鋭い指摘だな、それは」
 ロイが微笑む。
「私もそれは気になっていた。事前の情報では、ゴールドウィンがクライトンを引き取ったのはこれ以上秘密を漏らさせないため、もしくは秘密裏に金の錬成を続けさせるためかと思っていたのだが……二人が恋人同士であった可能性も考えられるな」
「へ?恋人?」
「鋼の……そこまで気づいておいてどうしてそんな反応をする」
 呆れて肩を竦めるロイに、エドワードは憮然とする。その様子を見て、アルフォンスが笑った。
「だって兄さんですから」
「なるほどな」
「ちょっと待て、アル。大佐も!なんで、俺だからで納得すんだよ!」
「うるさいぞ、鋼の。小さい犬ほどよく吼えるというが」
「小さいって言うなー!!」
 天井の高い、広い廊下でもエドワードの怒鳴り声はさほど響かない。足元の絨毯はふんわりと音を吸い取ってくれる。三人の足音もほとんど聞こえない。
「でもさ、いいなって思ったんだ。ヘレンさんもゴールドウィンさんも、お互いに大切にし合ってる感じで」
「うん」
 兄弟は並んで歩き、その少しあとからロイが歩いていく。
 ロイは思う。この兄弟ほど、互いが互いを必要とし、想いあっている関係を自分は知らない、と。
 だが、鋼の。君はもう、気づいているんじゃないのか?
 声に出さずに、エドワードには聞こえぬ問いを投げかける。はたしてエドワードがその想いを認めるのかどうか。ロイにはわからない。
「……全く。部下の悩みの種は上官の悩みの種でもあるのだな」
「大佐?何か言いました?」
 口の中で小さく呟いた声に反応したアルフォンスがロイを振り向いたが、ロイは首を横に振って否定する。
「なんでもないよ。それより、もう一つ気になることがある」
 玄関まで戻って来て、ロイは辺りを見回した。一階の廊下には鮮やかな装飾を施された絨毯が敷かれ、左右の柱があるごとに、調度品の類が置かれていた。その数は半端なものではない。
 しかもそのほとんどに金が使われている。ように見えたのだが。
「これって、全部イミテーションですよね」
 たとえ模造品であっても壊すわけにはいかない。アルフォンスは大きな体でうっかりぶつけて落としてしまわないように注意しながら歩いている。
「ってことは、これとおんなじ本物があるって考えていいんだよな。よくあるじゃん、自分の持ってる美術品の模造品を作らせて玄関に飾っとくっていうの。金持ちの考えることはよくわかんねえな」
「そこなんだ」
 ため息をついて天井を見上げたエドワードの言葉に続けてロイは頷いた。
「模造品を飾って手持ちの品をアピールすることはこの手の商家では少し自己顕示欲が強ければ当たり前のように行われている。ゴールドウィンもそのタイプの男だと思っていた。しかし、それならば盗みの予告がくれば、軍の助けなどまず借りない。自分で片をつけようとする。借りたとしても、軍を出し抜いて己の部下に盗人を捕らえさせようとするのが自然なことだ」
「さっきの地下行ったときのことだけど、いやに落ち着いていたよな。警備が万全で盗られる可能性がないからっていうより……」
「まるで盗まれる予定なんて全然ないみたいな……」
「もう少し、ゴールドウィンの様子を見る必要がありそうだ」
 願わくは、ホークアイ中尉らのほうで芳しい情報を得られていればいいのだが。


 ロイがエルリック兄弟と不可解な点について話し合っている頃、ホークアイは部下を引き連れて街中を歩きまわりながら聞き込みをしていた。
 イーストシティはセントラルとまではいかなくても、東方を統べる司令部のある都市だ。人口も多ければ店も多い。その中から筆記具を取り扱う店をしらみつぶしに当たるのは、労力も時間もかかる。おまけに、通りすがった骨董屋の前で墨と筆を見つけ、ホークアイはその怜悧な容貌を部下に見咎められないようにしかめた。
 あの手紙を書くのに使われた筆記具は、骨董屋でも扱っていることがわかった。調べる対象がどんどん広がっていく。ホークアイは時計を見た。時刻まであと三時間。このまま間に合わなければ警護のためにゴールドウィンの屋敷に向かうことになっている。何の成果も挙げられないまま合流しなければならない。
 元々あまり品数が出るものではないためか、これまでに当たった店で墨や筆を買う人間はそう多くはなかった。そしてそのどれもが、店主が身元を確かだと保証する人間ばかりだった。店のすぐ近所に古くから住んでいる者であったり、軍属の者であったり。
 一体あと、どれだけの店を当たればいいのだろう。
 今しがた、通りの向こう一ブロックを調べていた部下からの報告を聞いたが、芳しい情報ではなかった。
 嵐が来てその事後処理が一段落してから一週間、東方司令部には特に急ぎの用件もなく、ゆとりのある日々が続いていた。そして今回の件も命の危険があるわけではなく、いくら以前に起きた事件への足がかりになるとはいえ、実態はいわば資産家のドロボウ撃退のお手伝いである。さすがのホークアイも、多少はうんざりしていた。少しは手がかりがあれば気分も上向きになるというものだが、それすらない。
 小さくため息を吐いたホークアイの目に、通りの反対側の店先で若い女性と談笑するブレダの姿が映った。こんなときに何をしているのだ。ハボック少尉ならともかく、と内心で思って、ホルスターに手が伸びる。
 殺気に気づいたのか、ブレダがぶるっと震えて振り返った。ホークアイの姿を見とめ、慌てて、違う違うと言いたげに首を振る。
 彼は隣の女性を示して、架空の紙に何かを書く仕草を見せて、両手で大きくバツを作った。ブレダのジェスチャーに、ホークアイは首をかしげながら通りを横断した。
「中尉、こちらは――」
「南にあるゴールドウィン家で使用人として働いております。こちらの少尉さんがお店のご主人と話されているのを失礼ながら聞いていたんですけれど、気になることがあったものですから」
 店先でインクを選んでいた女性の耳に、店の主人とブレダのこんな会話が聞こえてきた。
『この道具を買っていく人の書なんて見たことありますかね』
『ご近所で親しくしているお客さんのなら見ることもありますがね。それ以外はとんと存じません』
『そうですか……ならその中に、ものすごく字がへったくそな人はいますか?』
『へたくそねえ……』
 心当たりはありませんなあ、と店主が呟くのを聞いて肩を落としたブレダに、彼女が話しかけたというわけだった。
 使用人の私が言うのもおこがましいことなんですけれど、と前置いて女性は話し出した。
「旦那さまも書をたしなまれているのですが、正直申しましてとても達者とはいえません。私、時折お品物を扱うお手伝いをすることがありまして、これまでにいくつも東方の書を見て参りましたが、旦那さまのはとてもそれらと同じ用具を使ったとは思え……いえ、失礼いたしました」
 女性は途中で主人の書いた物を思い出したのか、堪えきれずに笑いをもらした。しかし嘲るのではなく微笑ましさを感じているような笑いだった。
「こちらの少尉さんがおっしゃっていた『へったくそな字』 まさにそれなんです、うちの旦那さまの字」
 ホークアイは持ち歩いていた脅迫状を二枚、店先の棚の上に置いて、女性に見せた。
「この字に見覚えは」
「あら、これ。旦那さまの字です。間違いありません。ほらここ、Lですが、くせがあるのでDに見えるんです」
 ホークアイはブレダと顔を見合わせ、小さく頷いた。
「二枚ともですか?」
「ええ、二枚とも旦那さまが書かれたものです」
 二人は女性に礼を言うと、道の角に集まっていた部下たちを手招いた。彼らが道を渡ってくる間、ふと気になってホークアイは彼女に尋ねた。
「これからお屋敷に戻られるのですか?」
 彼女は首を横に振る。
「いえ、今日明日と旦那さまにお休みをいただいています。執事と警備員と、あと数人のメイドを残した全員にお休みをくださって。突然だったので驚いたんですが、その間のお給料もくださるというので皆喜んでいました」
「いいご主人ですね」
 頷く彼女にもう一度礼を言って、ホークアイは部下たちに告げた。
「一度司令部に戻って大佐にご報告する。急げ」

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