司令部について、とりあえず留置所に犯人たちをぶち込んだ途端、ハボックはエドワードに引っ張られた。
「早く。医務室行くぞ」
 小さな身体に見合わず、エドワードは力が強い。もちろん、本気を出せば抗えないことはないのだが、そうする気はなかった。引っ張られるまま、おとなしく廊下を歩く。
 エドワードの気がすむのなら、それでいい。焦ったような顔のエドワードを、ちゃんと安心させてあげたい。
 つい三十分前のことだった。ハボックがエドワードをかばって怪我をしたのは。
 気づくのが遅れて自力では避け切れなかったエドワードをつきとばしたハボックの背を、男のナイフは掠めていった。軍服が斜めにすーっと切れ、少し置いて血が滲み始めた。
 金の眼が泣きそうに歪められた。
 そんな顔はもう見たくない。
 今も、エドワードの眼は、濡れたように光を映す。
 コートの裾を掴む小さな手を、そっとはずして握った。エドワードは無言で、ぎゅっと握り返してくる。縋るような仕草がたまらなく愛しかった。
「俺、ここで待ってるから」
 医務室の前まで来ると、エドワードは立ち止まってハボックを後ろから押した。
「入らないのか?」
「入らない」
 とにかく廊下で待ってるからというエドワードにハボックは首を傾げながら室内に入った。
「いやー、またあんたかい」
 軍医は常連候補だねえ、と嫌なことを言い、ハボックの背中を見始めた。ハボックの予想通り、傷は浅いとの診断を下す。
「かすっただけだな。だが、念のため、少し横になって休んでくかね?」
「いえ、結構っす。このくらいなら日常茶飯事なんで」
 そういえばあんたはマスタング大佐の下についてたねえ、と軍医は呟いた。
「しかしそれなら、なんでまた今日はここに?」
 日常茶飯事のかすり傷程度で医務室まで赴いたわけを聞かれ、ハボックは扉の外をそっと指差した。
「鋼の錬金術師に連行されたんですよ」
 心なしかひそめた声に、軍医の声も小さく低くなる。
「あの坊主か。あの子もしょっちゅう怪我してるねえ。あんたからも一つ説教しといてくれ。怪我をしたならしたで、ちゃんと治療に来いってな」
 それはそもそも怪我をしないように気をつけろと注意すべきなんじゃないだろうか。ハボックはそう思ったが、わざわざ医者に意識改革を促す気はない。簡単な処置を終えてめくりあげていたTシャツを戻してコートを羽織ると、礼を言って医者に軽く頭を下げた。
「当分来るなよー」
「そう願いたいもんですねー」
 廊下に一歩出ると、医務室の扉のすぐ横の壁にエドワードは背中を預けていた。
「終わったよ、大将」
「たいした怪我じゃなかったみたいでよかった。あのおっさん、いっつもうるさくってさ。無茶すんなとか骨折したら定期的に検診に来いとか、色々」
「骨折?いつしたんだ?」
「半年前かな。あ、しょっちゅうしてるわけじゃないって」
 頻繁に大きな怪我をしているのだろうか。心配になってエドワードを見たのが、エドワードには非難と受け取られたらしい。焦ったように言い訳をする。
「違う。怒ってるんじゃない。お前さんのことを心配してるんだ」
「心配?」
 寄りかかったままだった壁から離れたエドワードは、不思議そうな怪訝そうな面持ちになる。
「それと……あとはやっぱり怒ってるかな。油断しちまった自分に」
「少尉だけじゃないだろ。あの場にいた皆がそうだった」
 二人の男がロイによって表面をうっすらとミディアムにされたあと、彼らがいた場所で紙に描かれた錬成陣が見つかった。所持している物を調べたといっても、紙切れ一枚くらい、服に縫いこんでしまえばわからない。その可能性に思い至らなかったのは、皆、特にロイに責任がある、ということらしい。ハボックの羽織っているコートは、「すまない」という言葉とともに上司から貸し出されたものだった。
 人通りのない廊下を仕事部屋の方へ並んで歩き始めたが、数歩もしないうちにエドワードが足をとめた。
 珍しく、俯いてぼそぼそと話す。
「少尉、俺のことは守んなくたっていい。俺、別にケガなんてなれてるし」
「そういうわけにもいかないだろ。大将は軍属でも軍人じゃないし、俺は軍人なんだから」
 エドワードのつむじを見ながら、ハボックはその頭を撫でようとした手をとめた。
 代わりにまだこどもらしい、柔らかいほっぺたを引っ張った。
「あにすんだよ!」
 抗議に勢いよくハボックを見たエドワードに、意を決して伝える。
「……ごめん、嘘。俺はエドを守りたかったんだ。あんまりケガさせたくない」
「なんで?」
 しっかりと。声に出して。その一言を。
「お前のことが好きだから」
 エドワードの目が丸くなって、本当にまんまるになって、ぽろっとこぼれてしまうかと錯覚するくらいに見開かれた。その様子はひどく無防備で、丸みを帯びた頬を撫でてやるとふるふると震えだす。
 意に染まない告白だったのだろうか。決して、震えるほど嫌がられるとは思っていなかった。つないだ手をぎゅっと握り返してくれるくらいには好かれていると思っていたのに。
「……エド?」
 呼びかける声がゆらゆらと頼りない。
「……少尉の……か」
 握り締められたエドワードの左拳が、風を切ってハボックに向かってきた。けれど力は入っていなくて、ぽすんとハボックの腹をたたいた手は、そのまま、コートを払ってTシャツをつかむ。
「少尉のバカヤロウ!俺が言おうと思ってたのに!」
 先取りしやがって。バカヤロウ。畜生。
 だんだんぼそぼそと小さくなっていった声が、最後に一言。
「好きだ」
 エドワードの左手がぎゅっとシャツに皺を作る。こどもの割にはごつごつとした手。もう片方は、人のぬくもりすらない、固い鋼の手。
 その両方を、ハボックは自分の両手で包み込んだ。
「ごめんな、横取りしちまって」
 苦笑いをすると、エドワードはぶんぶんと首を振って、同じように苦笑いを返す。
 人通りのない廊下の向こうから、大量の物品が入った箱を抱えた人間がよろよろと歩いてくる。すれ違った彼は医務室の前で立ち止まり、荷物を下ろすことも出来ず、扉を開けることも出来ずに困っていた。
 エドワードは今来たばかりの数メートルを戻って、扉を開けてやる。
「ありがとうございます」
「大変そうだな。ご苦労さん」
 配属されたばかりなのだろうか。初々しさの漂う青年は丁寧に礼をいい、エドワードは荷物の多さをねぎらってすぐにハボックの元へ戻ってくる。
 そうだ、と言ってエドワードはハボックの背中を指した。医者に掠り傷だと太鼓判を押された傷の辺り。
「言うの遅れた。少尉……ありがと」
「どういたしまして」

 この先いくつの「ありがとう」と、いくつの「ごめんなさい」を言うことになるだろう。聞くことになるのだろう。
 しかし少なくとも今は、「ありがとう」がこの上なく嬉しくて、ハボックは逆に、エドワードに「ありがとう」を言いたかった。

豆から告白させるつもりでしたが、出来上がってみればハボックからでした。兄さん、がんばれ!

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