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 ファイル4 最近読んだ本「不機嫌な太陽」の紹介
            (33年同期会ー京大工ーへの近況報告Ⅱ)


 地球温暖化機構の炭酸ガス説から太陽
  活動説(宇宙線起源説)への大転換


     ―コペルニクス的転換の衝撃―

                    
2010. 7. 4 増尾 誠

 最近、5月ごろと思いますが新聞の書評欄で、ヘンリク・スベ
ンスマルク(デンマークの太陽・気候研究センター所長)とナイ
ジェル・コールダー(英国のサイエンスライター)の
 「不機嫌な太陽(The Chilling Stars: A New Theory of Climate
Change, 2007年)」
の翻訳書(桜井邦朋監修、青山 洋訳、2010年3月、恒星社厚
生閣、\2940)の紹介記事に気がつきました。
 この中で、今世界中を捲込んで大騒ぎをしている炭酸ガス温
暖化対策の考え方、即ち「地球の気温は、20世紀後半からこれ
までにない急激な勾配で上昇しており、この原因は化石燃料の
大量消費に伴う温室効果ガス―主に炭酸ガス―であり、これの
防止なくして21世紀の地球の将来はない」という主張には、これ
を根本的に覆すかもしれない重大な疑惑(例えば気候シュミレ
ーションモデルのデータの信頼性に問題があること)があるらし
いことを知り大変びっくりしました。
 この本によると、地球温暖化に及ぼす炭酸ガスの影響は考え
られているよりずっと小さいそうで、これに代わる新しい考え方
に興味をそそられたこともあり、5月末に買い求めました。
 通読してみて、この中で述べられている著者のスベンスマルク
らの新しい発見、新しい理論が、宇宙物理学以外の地質学、海
洋学、考古学等の広い範囲の蓄積データに裏づけされているこ
とと、さらに数十億年前の遠過去から数千年前の近過去の気候
変動を矛盾なく説明できることを知ったとき、これはまさに中世の
コペルニクスの地動説(1543年)に匹敵する大発見であり、これ
までの考え方を根本的に変える革新的なものとの印象を強く受
けました

 この内容の骨子を紹介すると、少し長くなりますが、以下のよ
うなことです。

 太陽表面の黒点はずいぶん昔から観測されてきたが、この黒
点は磁気活動により作られるもので、黒点の発生が少ないと太
陽活動が弱いことはよく知られている。
 この1000年の観測では、1645-1715年の70年間(マウンダー
極小期)もの長期間にわたり太陽から黒点がほぼ完全に消失
し、この時期は寒さが厳しく氷河の前進や飢餓の発生などが記
録されている。
 このような太陽活動の気候への影響については、その後、ロ
ジャー・プレ(ニュージーランド)により、宇宙線により生成した放
射性炭素原子14C(半減期5730年)の増加が太陽の磁気活動
の低下と関係することが見出された。
 さらに、ユルク・ベーア(スイス)による、グリーンランドの氷床コ
アー中に閉じ込められた大気の中の10Be(半減期151万年)と温
度(温度指標の18O)の調査結果は、ジェラード・ボンド(コロンビ
ア大)により注意深く年代決定された氷山多発期と10Be生成の
各頂点がかなりよく一致することから、氷柱の10Beは10万年以
上にわたる太陽活動の状況を教えてくれる貴重な案内人である
ことが分かった。 ボンドは過去12,000年の間氷期の間に、寒冷
期に挟まれた温暖期が8回起こりその時はいつも宇宙線が少な
かったことを見出した。

 しかし、太陽黒点数の減少の気候への影響が、太陽光度自
身の減少によるものだけで、宇宙線の変化は単なる症状にす
ぎないというこれまでの考え方では太陽の気候変動への寄与
率が小さく主因とは結びつかない。また、14C や10Beの調査
から気候と宇宙線の関与が疑われながらもメカニズムも不明
で、さらに4万年前のラシャンプ期(磁極周回)には地磁気がほ
とんど消失し14C や10Beのカウント比率が上昇したにもかかわ
らず寒冷化が起こらなかったというベーアらの報告もあり、宇宙
線と気候の関係は放置されてきた。

 スベンスマルクは、1995年の12月に、太陽に許されて太陽系
内に入った宇宙線の流入量が地球の雲量を加減するのでは
ないかとの考えの下に国際衛星雲気候計画(ISCCI)の雲の衛
星データ(1983-1990年)を入手して検討し、雲量は宇宙線量
の変化に忠実に従うことを見出した。
 すでに、気温に及ぼす雲の影響については、1990年代前半
までに、NASAの地球放射収支実験から中低層の雲は太陽を
遮ると共に上面から宇宙空間へ高効率で熱を放射することで
強力なクーラーとして働くことが明らかにされており、地球の雲
により入射太陽光の8%が削減され、低い雲が数%増えるだけで
地球は著しく冷えることが分かっていた。
 スベンスマルクの今回の解析からは、1984-87年の間は太
陽活動が低下し宇宙線量が増加し、この間の雲量は3%増加し
た。1988-90年の間は宇宙線は減少し雲量は4%減少した。こ
の結果から、宇宙線による雲量の変動が、太陽の光の強度の
小さな変動よりも地球の温度にずっと大きな影響を及ぼしうる
ことが分かった。
 この結果は1996年2月に雑誌“Science”に投稿したが長すぎ
るとの理由で返却され、結局「大気と太陽地球系物理学会誌」
に1997年に掲載された。この間1996年夏には英国での学会で
の招待講演での発表では一時的な注目を浴びたもののつか
の間であったそうである。
 その後、スベンスマルクは、1997年にデンマークの宇宙空間
研究所のスタッフに招かれ、ISCCI(国際衛星雲気候計画)の
1983-94年の新しいデータで再調査を行った。高度範囲の異
なる3種類の雲に分けて比較すると、地上から3000m以下の
低い高度、即ち宇宙線がいつも最も少量しか存在しない高度
に生じる雲が宇宙線に最も敏感であり、この場合には雲量と
宇宙線強度の間に92%の強い相関が得られた。このことから
低い高度まで侵入できる高エネルギーの宇宙線の強度が最
も重要であることが分かった。

 一方、雲は水蒸気が冷えて凝縮して出来るが、この凝縮核
となる超微細粒子の研究を進めていたNASA航空宇宙局の高
性能検出器を取り付けた哨戒機がパナマ沖の海上で1996年
のある日の午後2時ごろ突然大量の超微細粒子に遭遇(リット
ル当たりのカウント数が2分間にほぼ0から3,000万個に急上昇
)したことがきっかけとなり、宇宙線によって生成されたイオンが
雲凝縮核の形成を助けるというイオン・シーディング説が提唱
された。
 これは、その後CERN(欧州原子核研究機構)の中に、空気の
入った箱に粒子ビームを当てて調べる実験研究チーム(CLOUD
:―17研究機関の50名以上参加、スベンスマルクも含まれる)が
でき、霧箱を使った実験計画が2000年4月に作られた。しかし、
このCLOUDの提案の検討を依頼された一人のノーベル賞受賞
者は「スベンスマルクの発見をあざ笑ったうえに、地球温暖化に
関して現在進行中の科学的で政治的な論争に、彼らを活用する
ことに、CERNの関心を向けさせようとした」と記述されているよう
に、評価が厳しく、また、資金調達にも難航したようで、結局2007
年まで実行されることなく待たされることとなった。
 スベンスマルクらは、このCERNの計画が進まないことから、デ
ンマークの国立宇宙センターの地下に自然の宇宙線を利用した
研究装置を作るSKY計画を立てた。
 これは、高さ2mの空気箱に5種類のフィルターを通して極微細
粒子を除去した7m3の通常の空気が入れられると共に微量の
亜硫酸ガスとオゾンが入れられ、化学反応に必要な太陽の役
割を果たす7本の紫外線灯と超微細粒子の検出器を備えたも
ので、なんとか資金も得られ2004年に実験を始めた。
 この結果、SKYの検出器に現れてきた新たに形成された極
微細粒子の数は、実験開始から15分以内に2,000個/ℓの最大
カウント数に達した。これは箱の壁での損失分をカウントに入
れると累積生成量は数千万/ℓとなり、太平洋上で観測された
値に匹敵する。これらのことから、太平洋上の自然現象と同
様の超微細粒子の発生が再現できた。
 この結果は2005年に論文にまとめられたが、最初の投稿先
が掲載を拒否し、次の投稿先の一流科学誌もチームの技術
業績に関係しない難癖を付けてやはり拒否したと記述されて
いる。結局、「英国王立協会紀要」に掲載されたのは2007年
(オンライン2006年)と1年以上たってからであった。

 スベンスマルクは、2006年に、標高2,000m以下の大気中の
宇宙線粒子の解析を、ドイツの宇宙線模擬プログラム
KASCADEの観測施設にある大気中の宇宙線追跡プログラム
CORSIKAを用いて行った。この結果、2,000m以下まで到達す
るのはミューオン(電子より質量が200倍重く、不安定―寿命
200万分の1秒―であること以外はあらゆる点で電子に似てい
る)であることが分かった。このミューオンの60%は非常に高い
エネルギーを持つ星からやってくる一次宇宙線粒子なので、
太陽の磁気遮蔽層によっても影響されないが、残りの40%は
太陽の磁気活動の変動により変化し、この値は地球の温暖期
と寒冷期との間の雲の量の変化を説明できる。なお、地球の
磁場で影響を受けるミューオンは3%に過ぎないことも分かった。

 本の中ほどの4章の「雲の形成を呼び込む原因は何か」のま
とめには、「地球を覆う雲の量が数年間にリズミカルに増えたり
減ったりする変化は、太陽の黒点が減ったり増えたりする変
化―より正確に言うと太陽風の影響が減ったり増えたりする変
化―と一致することが示された。これは、太陽風の変動により、
星からやってきて地球に到達する宇宙線の数が増えたり減っ
たりするからである。・・・宇宙線により解放された電子は、硫酸
分子同士が凝集するのを促進する触媒的作用をすることが示
された。この硫酸分子同士が凝集したものが雲凝集核の最も
重要な供給源である。CERNにおけるCLOUDのような綿密で
強力な実験や航空機による実際の大気の厳密な調査に対し
てはまだやるべき余地が残されているが、星から雲、雲から気
候、という一連の説明は今や実質的に完成している。・・・」と記
述されている。

 説明が長くなったが、スベンスマルクらの理論の要点は以上
のようなところと思われる。しかしながら、この本のすばらしさは、
さらに地質学、海洋学、考古学等の広い範囲の研究の進展と
呼応・補完し合って地球誕生の数十億年前からの地球の歴史
を、生命の誕生から人類の発生まで含めて合理的に説明でき
ることを示してくれていることである。地下からボーリング採取
された試料に刻まれた宇宙線からの信号から、数十億年の気
候の変動・歴史が紐解かれていくさまは夢のようである。

 過去数千年の近過去では宇宙空間から来る高エネルギー宇
宙線の量はほぼ一定とみなせるので太陽活動の変動のみに影
響されると見てよい。このため、太陽黒点のほぼ11年周期の変
動や、1700年頃の小氷河期のような長期間の不活発化といっ
た太陽活動の不規則な変動により気候が左右されると考えられ
る。
 しかし、宇宙的なスケールからは、現在の太陽は、渦巻状天
の川銀河の周りの数本の明るく輝く腕と腕の間の暗いところに
あり、約1億4500万年の周期で腕の中を出たり入ったりしている
とみなされている。このため、明るくて超新星爆発などによるミュ
ーオンの多い腕の中では、地球に届く宇宙線が著しく増大し、寒
冷化を招く。地質学者らは、地球全体が氷で覆われる全球凍
結が7億5000万年-5億8000万年前の間に3回、24-22億年
前の間に2回生じていることを見出しているが、これらは銀河
同士の衝突などによるスター・バーストがあったためと考えら
れている。

 私は、これまで地球(あるいは太陽)が宇宙空間のどの場所
を通過しているかなど知らなかったし、全く気にもかけてなかっ
た。しかし、この本のおかげで、現在の地球が、たまたま温暖
な気候をもたらすところにあることが幸いして、平穏に暮らすこ
とが出来ていることに気づいた。太陽の“機嫌”の予測は今の
ところ出来ないとのことは残念であるが、年の終りにこの一年
を振り返って今年の太陽の機嫌が良かったか悪かったかを考
えるよりどころが出来たことはありがたい。

 最後に、このスベンスマルクらの業績がほとんど世間に紹介
されず、正しく評価されていないらしいことは大変残念である。
報道の世界も、最近のような政治スキャンダルや安直な画像
の紹介だけでなく、じっくりと腰を落ち着けて的確に判断できる
よう感性を磨いてほしいものである。私は、スベンスマルクの
説が現在進行中の温暖化説に真っ向からの対立する状態は、
すぐにコペルニックスの地動説を思い出させた。中世までの教
会の暦の算定は非常に重要な地位を占めており、コペルニク
スが地動説の本を出したのは、迫害を恐れて、死の直前の
1543年であった。この後、地動説を唱えるものはしばらく出な
かったが、約50年後にガリレオ・ガリレイとケプラーがこれを
擁護したが、ガリレイは宗教裁判にかけられ幽閉された。ジョ
ルダノ・ブルーノのように焚殺されたものも出た。ガリレイの地
動説に対する迫害が正式に解かれたのは、ローマ教皇庁なら
びにカトリックが正式に地動説を承認した1992年になってから
である。
 インターネット記事で坂本信太郎(早大名誉教授、物
理学)の「コペルニクス的転回の動因について」の前書きに、
コペルニクス的転回の意義と原理、方法として示された中に
新科学の精神として「権威を排し、事実に照らしての考察」、
「現象に対する正しい批判的態度」をあげていた。この言葉は
常に大切にしたい。

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