第26話・姉ちゃんが一番強いのさ

自分が自分で分からない。

どうしてこんなに不安なのかも、苦しいのかも。

ただわき上がるイライラだけが体を支配する。


苦しい。


苦しい。


苦しい!


大人になるのが怖いんだ。


子供にもなりたくない。


自分がわからない・・・。


分からない・・・。


誰か答えを教えて・・・。





雪が降る。

『日暮』


古い表札。


神社の隣にある日暮家。

台所からカレーのいい香りがする。


しかし、その台所は重たい空気が流れていた。

かごめの義母の奈津子と草太が沈痛な面もちで黙り込んでいた。

草太の顔には殴られたようなあざが・・・。

「草太。ちゃんと私の顔を見て。何があったか話して」

「・・・。話すことなんか何もない!」

「草太。私は貴方を信じているわ。理由もなく人を殴るなんて絶対にしないって」

「・・・。ムシャクシャしてただけなんだよ。俺がわるいのさ」

草太は席を立ち、自分の部屋に行こうとした。

「待ちなさい!!」

「うるせぇな!!本当の親ででてねぇくせにうるせぇんだよッ!!」


パンッ!!

奈津子の右手が草太の頬を打った。

「・・・。母さんなんか・・・。母さんなんか嫌いだッ!!」


「草太ッ!!」


バタン。ガラガラ・・・!


草太は紺色のコートを片手に家を飛び出してしまった・・・。


「草太・・・!」


奈津子は裸足で追い掛け、家の周りを探したが見つからず、すぐさまかごめに連絡をしたのだった。


「え!?草太が・・・!??わかった。こっちに来たらすぐ連絡するね」

自分の部屋で明日提出するレポートを書いていた。

(草太・・・。家を出てからもう大分経つわね・・・)

かごめは窓をチラッと見た。

風が少しあってカタカタと鳴っている。

(外は寒そう・・・。探しに行かなくちゃ!)

かごめは机の上のノートを開いたまま、部屋を出た。

「おい。かごめ。どうしたんだ。こんな時間に」

物音に気づき、犬夜叉が部屋から出てきた。


「どうしたんだ。かごめ」


「あ、犬夜叉・・・。あのね。草太がまた家を飛び出しちゃって探しに行くところなの」


「かごめ、お前はここにいろ。俺がこの辺さがしてくるから」

「う、うん・・・」


犬夜叉は革ジャンを片手に草太を探しに行った。


冷たい風が、枯れ葉を飛ばす・・・。




夜八時。

暗く静まり返った暗闇にコンビニの明かりが目立つ。


店の前では中学生ぐらいの少年達がコンビニで買ったお菓子やらジュースを食べていた。
辺りにはその食べかすやら袋やらが散乱している。

「おい。お前ら、こんなところで喰ってんじゃねぇよ!」

少年達に注意したのは草太。

「なんだ。てめぇは」

「自分で喰ったもんの始末ぐらいちゃんとしろよ」

少年達は草太をにらみつける。」 「余計なお世話だ。うざいんだよ」

少年は草太のコートの襟をぐいっと掴む。

しかしすぐぱっと離した。

「!?」

草他の真後ろにぬっと長身の犬夜叉が少年達をギロッと見下ろしていた

「ガキどもは失せろ」

少年達はたじろぎ、そそくさと逃げていった。

「犬の兄ちゃん・・・。なんで・・・」

「それはこっちの台詞だ。全く。お前ら姉弟は揃って世話かけやがって・・・。こんなところでガキどもに絡んでじゃねぇよ」

「兄ちゃんには関係ないだろ・・・。俺の事はほっといてくれよ!」

「ほっとけるかよ。ガタガタ言ってねぇで来い」

「う、うわぁッ!」

犬夜叉は草太の体をひょいっと片手で抱えて、強引に拉致。

そのままアパートのかごめの部屋まで連れていった。

かごめの部屋で草太をおろす犬夜叉。

「ありがとう。犬夜叉」

「おう。んじゃ。草太、俺は帰って寝る。何があったかしらねぇがかごめとゆっくり話すんだな」

犬夜叉は自分の役目は終わりと、部屋に戻る。

「・・・」

草太はうつむいたままだ。

「・・・まぁいいわ。とにかく入って」

かごめは草太は寒かっただろうと、ホットミルクを作った。

紅いマグカップから湯気がたつ。

「草太・・・。大体の事はお母さんから聞いたよ。友達を怪我させちゃったんだってね・・・」

「・・・」

「草太が理由もなく人を傷つけるなんて信じられない。ねぇ何があったの・・・?」

「・・・」

口をつぐむ草太。

一体何があったのか。学校で・・・。

草太が自分と視線を合わせない様子を見て、かごめは何かを察知した。

「・・・もしかして・・・。あたし達の産みのお母さんの事・・・?」

「!」

草太の顔色が変わった。図星らしい。

「・・・中学校になると色んな所から生徒が集まってくるし・・・色々噂になるよね・・・。あたしもそうだった・・・。ごめんね・・・。草太の事、何も気がつかなくて・・・」

「違う・・・!ねぇちゃんが悪いわけじゃないッ!!あいつらが・・・あいつらがねぇちゃんの事を面白可笑しくからかうからだッ!!!」


”『落下したかもしれない母を橋の上でいつも母をまつ少女』だって。昔の雑誌、みつけちゃってさ。すげぇ有名人だよな。お前のねぇちゃん。サインもらってくれよ。ケケケ・・・”

嘲笑うようなクラスメートの顔が浮かぶ草太。

「興味本位で根ほり葉ほりつっこむワイドショーみてぇにありもしないこと・・・。俺、そいつの笑った顔に頭が上って・・・ムカツク相手を打ちのめすことしか頭になかったんだ・・・。この手で、この手であいつを殴ってしまった・・・」


蘇る。相手を殴った瞬間。殴って倒れて、動かなくなった瞬間・・・。


頭が真っ白だった。


倒れた相手にクラスメートが駆け寄る。




相手が動かない。動かない。


このまま動かなかったらどうしよう!


俺は俺は俺は・・・・・・ッ!!


足が震え、吐き気がした。


怖くて怖くて怖くて・・・。


『痛ってぇ・・・。何すんだよ!!』


殴った相手が起きあがった。


動いた。


しゃべった・・・。


突っ張っていた糸が緩くなった様に体の力が抜け、床に座り込んだ。


安心して。本当にホッとして・・・。


「あいつの言ったことは今でも許せない・・・。殴ったこと後悔してない・・・。でも・・・。あいつが動かなかった一瞬・・・。すごく怖かった・・・。」


草太は赤子の様にかごめに抱きついた・・・。


「草太・・・。もういいから・・・。大丈夫だから・・・」


かごめは、自分より一回りもふた周りも大きい草太の背中を、何度も何度も何度も手が擦れて痛くなるくらいに。


何度も・・・。


さすった・・・。


「ごめんね・・・。何も気づいてあげられなくて・・・」


弟の心の傷に気づいてやれなかった自分を責めるかごめ。


『草太は強い子だから大丈夫』そう思っていた。


でも・・・。


思い上がっていた。誰よりも草太の痛みは自分が一番良く知っていた筈なのに・・・。



ベットに寝かせ、草太の手を握ったまま眠ったのだった・・・。


そしてかごめと草太の一部始終を隣の部屋の犬夜叉はじっと聞いていた・・・。

朝。

昨日の天気とはうってかわって太陽が雲の間から顔を出して晴れている。


ドンドンドンッ!

荒々しいノックでかごめと草太は目を覚ました。


「あのノックは・・・」

目をこすりながらドアを開けると。

やっぱり犬夜叉だった。


「おう!!おめーらおせーぞ!!早くおきやがれ!!」

「何よ。あんたこそ。こんなに早く・・・。それにどうしてバットとグローブ持ってるのよ」

「見りゃわかるだろ!草太と野球すんだ!!おい、起きろ!!」

「ちょッ・・・犬夜叉!」


犬夜叉はずかずかと部屋に入り、ベットの掛け布団をはがして草太を起こす。

「起きろ!草太!野球するぞ!!」

「え・・・?野球・・・?」

「寒いからってな、布団にくるまってたら体がなまっちまだろ!!ムシャクシャするときは体を動かすのが一番いいんだ!さ、行くぞ!!」

犬夜叉は草太の腕を掴んで無理矢理外に連れ出す。

「ま、待ってよ犬夜叉。草太は・・・」

「うるせえ!!かごめは来るな!男と男の話だからな!」


バタンッ!

犬夜叉、またもや草太を強引に拉致。

どこに連れていったかと言えば、河原のグランドだ。

12月の日曜日、早朝の河原のグランド。

誰一人いない。

「兄ちゃん、一体、どういうつもりだよ!」

「やかましい!昨日、全部聞こえてちまったんだよ!お前の泣き言全部・・・。情けねぇな!かごめに甘えやがって!気合い入れてやる!」

「気合いって・・・。わぁッ!!」


パキーン!

犬夜叉、容赦なくボールを打ち付ける。

「痛てぇ・・・!わッ!!」

ボールが飛んでくる、飛んでくる。

犬夜叉、まるで某野球漫画の主人公の父の如く、ボールを打つ、打つ、打つ。

ちなみに最近、犬夜叉は『巨人の空』という野球漫画を同僚から借りて読んでいるらしい。


「ほらほら、どうした、草太、しっかりとりやがれ!」

「んな事いったって・・・。わぁッ!!」

それでも必死にボールに追いつこうとする草太。

次第に犬夜叉の打ったボールがとれるようになってきた。

「ほれッ!もっと早く!」

「はッ!!」

(ったく・・・。スポ根漫画の読み過ぎなんじゃーねーの・・・なりきってる・・・)


打って、取って、投げて。

打って、取って、投げて・・・。


いつの間にか不思議と重かった気持ちが忘れている・・・。

「ホラ、草太、もっと早くとれ!!」

「わかってるよ!」


悶々としていた気持ち。


イライラした気持ち。


ボールだけを見ていたら、全部、忘れる・・・。


今朝は霜もはって今期で最も寒い。

しかし犬夜叉の額からも、草太の額からも汗が流れて湯気がたつ。

その位に打って、取って、投げて・・・。


「ハァハァ・・・」


「フウ・・・」


グランドに犬夜叉と草太二人、大の字になって寝転がる。

息を荒くして。

「やるじゃねぇか・・・。草太。お前・・・」

「・・・。兄ちゃん、『巨人の空』読んでるだろ?ねぇちゃんから聞いたぞ」

「なッ・・・(照)」

「クク。何も隠すことないよ。俺もあの漫画好きだし・・・」

「・・・けッ・・・」


照れる犬夜叉がなんとなく可愛いと思った草太。

自然と自分の心うちを話し始める・・・。

「なぁ兄ちゃん」

「なんだよ」

「兄ちゃん・・・。人殴った時ってどんな気持ちだった・・・?俺・・・やっぱり今でも姉ちゃん馬鹿にしたやつが許せねぇ・・・。また同じ事言われたら俺・・・また殴っちまうかもしれねぇ・・・」

「・・・」


アイツの薄笑いを思い出すとイライラが沸いて沸いて、沸いてくる・・・。

でも・・・。

「・・・。いや違うんだ・・・。姉ちゃんの事だけじゃなくて・・・。何か・・・。訳分からねぇモヤモヤあるんだ・・・。学校でも家でも・・・。姉ちゃんの事言われた事より、自分の鬱憤を晴らしたのかったのかもしれない・・・」


「・・・それがどうした。俺はお悩み相談所じゃねぇんだよ。ムカつく相手がいりゃブッ倒したくなる。そんなもん、当たり前だ」

10代は何人殴って喧嘩してきたかわからない犬夜叉。

気に入らなければ相手を傷つけ、そして気がつけば自分が一番辛い気持ちだった。

「いつかそれは自分に返って来るんだ。2倍、3倍になってな。結局痛てぇのはてめぇの拳だ」


「・・・。じゃあ兄ちゃん、俺・・・どうやったらこのイライラがなくせるんだ?アイツをぶん殴りたくなくなるんだ・・・?」

「けッ・・・。そんなもんてめぇでみつけな・・・」

「・・・」


時々、試験勉強をしているとき、机を投げ飛ばしたくなった。


本棚の本を全部引きちぎりたい気分になった・・・。

訳のわからないイライラが抑えきれなくて。

大人はそれを『多感な年頃』なんて言葉で綴るけど、当人にとっちゃ堪らない。

このイライラを抑えるのが辛くて・・・。

そんなとき、学校で自分の産みの母親の事件の事が話題になった。

このイライラが爆発する火口になってしまった・・・。


「・・・草太」


「なに・・・?」


「殴ったときの手の痛みを忘れるな・・・。絶対に・・・」


「うん・・・」


「それから・・・。姉ちゃんの事・・・。どんな事、言われても堂々としてろ・・・。お前の姉ちゃんはヤワな女じゃねぇ・・・。強い女だ・・・」


チュンチュン・・・。


犬夜叉は空に飛ぶ雀、2羽を優しく見つめながら言った・・・。


「・・・兄ちゃん、ノロケか?ソレ?」

「バッ・・・ババ馬鹿野郎!!んなことねぇッ!」


「ハハッ。照れ屋だなぁ。な、そろそろ、キスはしたのか?-」


バキッ!

犬夜叉、照れの一発。

「いってぇな!手加減しろよ・・・ったく・・・」

「・・・が、が、ガキはませたこといってんじゃねぇッ・・・」

犬夜叉、真っ赤っか。


やっぱりそんな犬夜叉がちょっと可愛いと思う草太・・・。


久しぶりに笑った気がする。


少しだけ・・・心のモヤモヤが軽くなった気がした・・・。


一方その頃。

「クシュンッ・・・。やだ・・・。誰か噂してるのかな・・・」

台所で二人分の目玉焼きをかごめが焼いていた・・・。





そしてまたその夜。

今夜はかごめがベットに。草太は布団で寝ていた。

草太はかごめに今日の事を全部話した。

「へぇ・・・。ふふ。あいつらしい励まし方だな。ふふっ・・・」

「兄ちゃんが言ってた・・・。殴ったときの痛み忘れるなって・・・。それから・・・姉ちゃんの事、何言われても堂々としてろって・・・」

「うん・・・」

「明日帰って学校に行ったら俺・・・。アイツに謝るよ・・・。どんな理由があったって、殴ってしまった事には違いないから・・・」

「うん・・・。そうね・・・」


「それから母さんにも・・・」


「うん・・・」


天井を見つめる二人。


奈津子が一番、自分たちを心配してくれていた事を忘れてはいけない。


そして。


『自分の心と向き合え』


草太は犬夜叉にもかごめにもそう言われている気がした。


自分の弱い部分を見つめろ。


自分だけが不幸なんじゃない。


自分だけが孤独なんかじゃない。


自分だけが可哀想なんかじゃない・・・。


「ねぇ。草太。今度、あたしも100本ノックやってみようかな」

「え・・・」

「最近ちょっと体重が気になっちゃって。こうみえてもキャッチボールには自信があるのよ!」


かごめは起きあがり、バットをかまえるポーズをした。


それのなんとも可愛くてちょっと大げさで。


本当はかごめの方が自分より辛い学校生活だったと母から聞いている。


詳しいことは知らないけど・・・。


草太の記憶の中でかごめはいつも笑っていた。


弱音を吐いても、絶対に時間がかかっても、自分の足で起きあがる。



「・・・。姉ちゃんがやっぱ一番強いや・・・。ハハハ」


「あ、何よその意味深な笑いは!こら草太!」

「おやすみー。姉ちゃん」


布団に潜り込む草太。


何だか心強さを感じる。


”自分は一人じゃない”って・・・。


(本当の意味で・・・強くなりたい・・・。姉ちゃんみたいに・・・)


草太、13歳。


寒い冬の夜の小さく、けれど、確かな決意だった・・・。