第32話 私は逃げない @

テレビのワイドショーの話題は樹の盗作疑惑からいつの間にか『某有名俳優不倫疑惑』に切り替わっていた。

樹を追いかけ回すマスコミ連中も大分減り、世間もこの騒ぎは収まりつつあった。

しかし、『クラッシック界の貴公子・坂上樹』というブランドのイメージダウンは大きかった。

CDショップからは坂上樹の名前がある品物は撤去され、演奏会への以来も減ってしまった・・・。

樹の事務所や関連会社は大打撃を受け、危機に陥って・・・。

「樹さん・・・。坂上樹がプロデュースしたCDの返品が後を絶ちません・・・」

「・・・」

スーツ姿の樹がビルから見える窓を虚ろな顔で見つめている・・・。

「樹さん!!しっかりしてくださいよ!!この会社は貴方だけのものじゃないんだ!!」

「・・・。わかっているさ・・・。でもこれ以上・・・。僕に何ができるって言うんだ・・・?人の噂も七十五日っていうだろ・・・。時間をみるしかないじゃないか・・・」

「何馬鹿な事言ってるんだ!その頃にはこの会社は倒産している!!」

「・・・。金の事なら心配するな・・・。いざとなればうち(坂上財閥)から出すさ・・・。スタッフがみんな路頭に迷うことはない。心配するな」

ドン!!

樹の付き人が激しく机を叩いた。

「僕らは自分の保身を心配してるんじゃないんですよ!!いざのなれば坂上財閥の金ですか・・・。僕らはそんなバックに頼らないでやってきたじゃないですか!!ただ、純粋に同じものを追いかけて・・・。・・・。もういいです・・・。樹さん・・・。何だか変わりましたね・・・。昔はもっと・・・。いえ何でもなりません失礼します・・・」

バタン!・・・

ドアの閉める音が空しく樹に響く・・・。


今まで自分が気づきあげてきたものが・・・。


消えようとしている・・・。


(消えてしまえばいい・・・。なるようになればいいんだ・・・)


樹ただ・・・。


窓の外の空を見上げた・・・。


微かに光る太陽の陽が・・・。


空しく寒い心を温めてくれる様な気がして・・・。


”誰か”に似ている・・・。


(・・・。かごめさん・・・)



休日に買い物に出た犬夜叉とかごめ。

商店街のアーケードを歩く二人。

「なんで俺がお前の買いモンにつきあわなけりゃいけねぇーんだ」

「いいじゃないの。あんたの冬物服だって買ってきたのよ。ほら、安くなってたし♪」

紙袋から白いセーターを取り出すかごめ。

犬夜叉の背中に合わせる。

「わっ。こんなとこで出すんじゃねぇッ」

「いいじゃないの。サイズ違ってかも・・・」

「やめろって!!人が見てんじゃねぇかッ・・・」

といいながら、少し嬉しそうな犬夜叉。

「あ、ぴったりだ・・・。よか・・・」

かごめが立ち止まる。

CDショップの前で。


『申し訳ございませんが、今月発売の小野田和浩のニューシングルは都合により発売停止になりました』

そんな張り紙がガラスに貼られていた・・・。

「・・・どうしたんだ?かごめ」

「えっ・・・。う、ううんッ。何でもない・・・。さ、行こう!」

犬夜叉はかごめに手を引っ張られて歩く。

「・・・」

犬夜叉もチラッと張り紙を視線を送った・・・。


家に帰って買ってきた服をベットに広げるかごめ。

「安いからってちょっと買いすぎたかなぁ・・・」

”冬物大量処分”の言葉につい買ってしまったが・・・。

「・・・」

今、気になっている事はそんなことじゃない。

かごめはCDラックから樹から借りたCDを取り出し、聴き始める・・・。


本当だったら、この曲は今頃、ヒットチャートにランキングするくらいに売れていただろう。

かごめはベットに横になってじっくりと聴く・・・。
♪あるがままの心でいられなかった 裸の自分が怖かった

弱い自分を見せるのが怖かった

もがいて もがいて 

わかったことは君への想い

そのままでいいじゃないと言ってくれた君への想い

君を好きな自分が好き

だからねぇ・・・


『君を僕の心に住まわせてもいいかい?君の心に触れていいかい?』

プチッ!

歌詞がサビの部分に差し掛かって、咄嗟にリモコンの停止ボタンを押したかごめ・・・。

「・・・」

歌詞がかごめの耳でリピートする。

(・・・。樹さんと・・・。犬夜叉の心に住んでいるのは・・・)

桔梗の顔が浮かんだ・・・。

「・・・。ね、寝よう!もう寝よう・・・!」


ガバッと布団をかぶるかごめ・・・。

(何も考えないで寝よう・・・。寝よう・・・)

しかしなかなか寝付けないかごめだった・・・。


同じ頃・・・。

樹の別荘・・・。

バルコニーで月を見上げる桔梗。

手には樹の盗作騒ぎの記事の切り抜きが。

キィ・・・。

「樹・・・」

バルコニーに出てきた樹。

ワインとグラスを持って白い椅子に座った。

「・・・。珍しいな。飲んでいるのか?樹・・・」

「ちょっと飲みたい気分なんでね・・・」

グラスをグイッと一気のみ・・・。

「・・・。樹。大丈夫なのか・・・?この記事は・・・」

切り抜きをテーブルに置く桔梗。

「・・・。ま、この業界で少ない話じゃないさ。邪魔者同士の足の引っ張り合い・・・。僕はそんなヤワじゃないよ」

「・・・。そうだな。お前は昔から危機が訪れても自分の力で切り抜けてきた・・・。私はそんな樹の強さが羨ましかった・・・」

「・・・。そんな大層な男じゃ・・・」

羨ましがられるより・・・。

必要とされたい。

ずっと秘めてきた想い・・・。


月の光に靡く黒い髪を・・・。


そっと触れてみたかった・・・。

”兄”の様な存在ではなく・・・。


”男”として・・・。


長年の想いが・・・。


樹の両手が・・・。

後ろから桔梗を包んだ・・・。


「・・・。何をする・・・。樹・・・」

「・・・」

「離してくれ・・・」

樹の腕を払おうとするが拒む樹・・・。


「・・・。離してくれ・・・」


「・・・桔梗・・・」

ずっと見てきた・・・。


ずっと・・・。


お前の痛みも哀しみも・・・。


全ての想いを抱きしめる・・・。

「離してくれ・・・」


「桔梗・・・。桔梗・・・」


「・・・。私には犬夜叉しかいない・・・ッ」

「・・・ッ !」


決定的な一言に樹の腕は桔梗を即座に解放した・・・。

「・・・」

クルッと樹に背を向ける桔梗。

「・・・あ・・・。はは・・・。す・・・。すまない・・・。悪酔いしてるみたいだな・・・。今のは・・・。冗談だ。気にしないでくれ。頭冷やしてくるよ」


バタンッ。


荒々しくドアを閉め、桔梗の部屋を出ていった樹・・・。


桔梗は一言だけ呟いた・・・。

「すまない・・・」


と・・・。


ガチャーーーーンッ・・・。


グラスを思い切り壁に叩きつける樹・・・。

樹の心の音の様に壁に紅いワインが飛び散った。


ベットに項垂れ、虚ろな瞳で天井を見つめる・・・。


”犬夜叉・・・ッ”

あの一言が桔梗の応え・・・。


わかっていたはず


割り切ったはず・・・


だけど米粒より小さい望みは捨てられなかった。


「・・・」


”樹さんは樹さんでいいじゃないですか”


かごめの声・・・。


かごめの笑顔・・・。


闇に浮かぶ静かな月を今は見るのが辛い・・・。


今、見たいのは・・・。


「早く・・・。朝が来ないか・・・」


窓ガラスに映る月じゃなくて・・・。


温かな太陽だった・・・。




「今日は割と温かいな・・・」

午後の授業が早く終わり、駅から歩いてかえるかごめ。

屋根につもった雪が太陽に反射して光っている。

(綺麗だなぁ・・・ん?)

かごめが積もった雪を眺めながら公園の前を通りかかったとき・・・。

ベンチに一人、紺のコートを着た樹がポツンと座っていた。

(あれは紛れもなく樹さん・・・)

昼間の公園に話題のあの坂上樹が一人・・・。

周りに人がいれば大騒ぎだろうが、雪がつもっている公園には誰もいない。

(どうしよう・・・)

声をかけようか迷うかごめ・・・。

かごめの瞳に自動販売機が目に入った・・・。

(・・・)



「ふう・・・」

ため息一つ、樹。

”誰か”を待っている様に公園の入り口を見つめる・・・。

ベンチに座る樹に近づく影・・・。

いきなり樹の頬に温かい温もりが。


「かごめさん!?」


「飲みませんか?温まりますよ」

笑顔で手渡すかごめ・・・。


ずっと待っていた太陽の様に眩しく優しい・・・。

「・・・。ありがとう・・・」

かごめは樹の横に座り、缶コーヒーを頬にあてる・・・。

「ふわぁ・・・。あったかぁい・・・。飲み前にどうしてもこうしちゃうんです。ふふ・・・」

「・・・」

樹もかごめを真似て頬にあてるが・・・。

「熱ッ!」

「大丈夫ですか!?」

「・・・はは。缶コーヒーに嫌われたかな」

「・・・ぷ。ふふふ・・・ッ」

樹の軽いジョークで笑うかごめ。


ほわっと心が柔らかく包まれる様で・・・。

カチッ。

二人同時に栓を開け、コーヒーを飲む。

「ハァ・・・。美味しい・・・」

「寒いとき飲むのが一番おいしい・・・。ふふっ。当たり前ですけどねッ」

「・・・。やっぱり似てるな」

「え?」

「あれです」

樹はそらを指さした。

「・・・冬の太陽・・・です。春の太陽のようにぽかぽかでもないのだけど・・・。冷え切った頬や手を仄かに和らげてくれる・・・。似てます。かごめさんに」

「・・・。そ、そんなことないですよ・・・」

褒め方も詩的でちょっと戸惑うかごめ。

「樹さん・・・。その後・・・どうですか?テレビの方は落ち着いたみたいですけど・・・」

「ええ。お陰様で盗作疑惑はなんとか晴れました・・・。でもやっぱりテレビの影響はすごくて色々と・・・。ってすいません。かごめさんに話す事じゃないですよね・・・」

「樹さん・・・」

笑って話す樹だが・・・その表情はどことなく疲れを感じる・・・。

「・・・。樹さん。元気だしくてくださいな★」

「?」

ピンクの毛糸の手袋で指人形をつくった。

「元気出して素敵な音楽作って下さいな★貴方のFANは待っていますよ」

「・・・。かごめさん・・・」

「よく学校の帰りにこうして手袋で遊んだの思い出して・・・。こんなので元気出たら苦労はないんですけどね。ふふ・・・」

「いえ・・・。すごく元気がでました。本当に・・・」


次は何を作ろうか、手袋を小さな少女の様に手袋とにらめっこ・・・。


あどけなくて・・・。


愛らしく・・・。


冬の太陽の様に・・・求めてしまう・・・。



「かごめさん」


「はい」


「・・・どこか・・・。遠くに行きませんか・・・。僕と」


「・・・え・・・。ドライブですか・・・?それはちょっと・・・」


樹はかごめの手をそっと握った・・・。


「どこか遠くで・・・。二人で・・・。全部捨てて行ってみませんか・・・」


ポト・・・。


手袋で作ったクマの人形が雪の上に転がった・・・。


「僕が熱にうなされて言った事は・・・。ただの譫言じゃない」


”僕の心に貴方を住まわせてもいいですか”


「・・・。突然で勝手なことだとは分かっています・・・。貴方の立場も考えず・・・。でも・・・。思いつきなんかじゃないです」


静かに立ち上がる樹・・・。


「一週間後のこの時間・・・。この場所で・・・。このベンチで待っています・・・」


深くかごめに頭を下げ、樹は一人公園を去った・・・。

「・・・」


かごめはただ、呆然として・・・。


空の上の太陽も驚いた様に


雲の影に隠れてしまった・・・。