愛 別 離 苦

今から2500年前、釈尊は人間が生きてゆくうえに生・老・病・死という四つの苦があると教えました。
老・病・死が苦であることは誰でも分かることですが、生まれることが苦であるとは皆思いませんよね。
の苦については、とりあえずこの項の最後に回しましょう。
ところがこの4つの苦の他に次のもう4つの苦があり、それを

 
愛別離苦(あいべつりく)
求不得苦(ぐ ふ とっく)
怨憎会苦おんぞうえぐ
五温盛苦ごうんじょうく
 
があり、「四苦八苦」といわれて、大抵の方が知っている言葉ですよね。
今日はこの後の四つの苦についてお話しましょう。先ず「愛別離苦」です。

愛するものと必ずいつかは別れなければならない「苦」ですね。
「生あるものは必ず死に帰する」とも言います。
当たり前のことですがこんな悲しい事はありません。
人間の死に様は色々ありますが人の命を奪うことは絶対にいけないことは分かっていながら、
自分のワガママで殺人を犯してしまうこともあります。自殺はもっといけません。
こんなことは皆分かりきっていることですからココで多く紙面を割くことはしませんが・
 
 紙面の性格上
先ず、身近なところからお葬儀について一言・
100年以上も地域に密着して奉仕している葬儀業者も沢山おられることは知っておりますが・・・
ちょっと失礼を省みず
お葬式になりそう::そんな時は
先ずお寺に電話するのが普通ですが・・・
あなたが今まで抱いていたお寺のイメージはどうでしょう?

先ずは何故葬儀をするのか?
何にお金がかかるのか?
遺族に考えてもらいたいこと
どんな無駄があるのか?
そして
一番大事なことは何なのか?

これらを納得してから自分で坊さんを頼み・そして・葬儀業者さんに依頼してください
葬儀は仏教の考えに基礎を置く大事な大事な日本の文化だからです
そこから私達日本人は「生きること」への大事な知恵を育んできたのです。

人の死を利益追求の普通の会社のご商売と同次元で考えてはいけません
一昔前は葬儀社は数えるほどしかありませんでした。
職業選択の自由は憲法上保障された権利ですが、

「仕事とは事に仕える事」です。

死は「愛別離苦」と釈尊が教えたように
人間が逃れることが出来ない最後の出来事です。
これに仕えて生業としようとするものがあっても不思議はなく
むしろ便利で有難いといわれてしかるべきでしょう

それではご遺族とお寺はこのような時にどう関わっていけばいいのでしょう?

市井でよく耳にする言葉
私は葬儀にことに全く不案内なのですが!
私は仏教にはあまり興味ないのですが、この歳になると・・・!
葬儀のお金はいくらぐらいかかりますか?
お寺へのお布施の相場はいくら位ですか?・・その他・

高学歴社会と言っても拝金主義の物質優先社会で、精神生活はとかく軽く見られがちで忘れられがちです。
そう言うところにドーンと身内の「死」に直面します。どんな高学歴の人もこれだけには動揺しないわけにゆきません

そこで先ずは世間並みに面目を保つにはどうしたらいいか?先ずは葬儀社に電話します。
心に準備がなければベテランの葬儀社のいうとおりにしたほうが無難です。

問題はそれからです。
葬儀をする一通りのものの手配は心配要りません。次にお坊さんはどうしましょう?となります・・・・・・
「お経代」・「法名(戒名)代」・が提示されます。
これが当たり前と思って・・実はそれが当たり前に行われていないことが多いのです。

ここで週刊誌並みの暴露記事を書くことは潔しとしませんが

人の死がビジネスとして成り立ち、それに携わる者
特に僧侶は猛省しなければなりません

また身内の死に遭遇して混乱し、いとも簡単に迷信や口車に乗せられて 「・・・やられた!!!」 と思った方は少なくないのではないでしょうか?

しかしこれは他を怨むことは出来ません。日頃の生活で「死」というものをよそ事のように思っていたということはないでしょうか?


私は常に「生きているうちにお会いしましょう」と呼びかけております。
死んでから「死に顔」を拝んでも何にもなりません

まず門徒として生前から「法名」を名乗りましょう