何のためにこんなものがあるの? 「法」に「人間」がとって代わったような人間中心の考え方が、
現代の人間模様には表れているように思います。
知識と科学の論理に最高の「善」を求める社会では
仏法が言う「真理」が忘れられかけてきて、人間文化が少しあやしくなってきた…?
そこで私たちの「迷い」というものが何処から来ているのか…
仏教でいうところの「苦」というものを振り返りながら、もう一度私たちの生活の周囲を見渡してみたいと思います。
仏教は世界を苦として認識するところから始まり、苦の原因を探ることでその解決法を教えるものです。釈尊の仏教と、現実の人間生活の狭間に分け入ってみましょう。
四苦八苦について
その1・愛別離苦 いのちと向き合おう
その2・求不得苦 求めて得ざる苦しみ
その3・怨憎会苦 人と人との間の関係の苦
その4・五陰盛苦 色・受・想・行・識の五陰から生ずる心身の苦
〜ここまでが四苦八苦の後の四苦〜
その5・生まれることの苦(生老病死の最初の「生苦」です)
その6・老いることの苦
その7・病気の苦
その8・死ぬことの苦
一般的にはその5〜その8が先に説かれますが、ここでは順番を逆にしました。理由はその1、2、3、7が、私たちが社会生活を送ってゆく上で実際に感じられることが多いのではないかと思われたからです。追々みなさんとご一緒に、釈尊の教えを我々の生活になぞらえながら考えてゆきましょう。