第1には、巨額の開発費と多大な労力をかけて完成させた原子爆弾を実際に使用し、威力を調査する目的という説。まさに広島と長崎は原爆の実験場にされました。原爆を研究開発したマンハッタン計画は、当時のお金で約20億ドル。日本の国家予算を上回る金額です。実際に投下された広島や長崎以外に投下候補地にあがっていた京都・横浜・小倉などは、それまで空襲の被害が比較的少なく原爆の威力を調査するのに都合のよい都市が上げられ、効果を正確にみるため、決定後、これらの都市の空襲が禁止されたのも実験説を裏付けます。また投下時には、原爆の威力、爆圧、強度、熱度などを測定したとおもわれる計測器、ラジオゾンデが投下されました。戦後もABCCは被爆者をモルモットのように扱いました。
第2には、戦争終結後のソ連に対する立場を優位にするために投下使用したという説があります。第二次世界大戦後の核軍拡競争につながることになりましたが、たいへん妥当な見方だと思います。
第3に戦争の早期終結(日本の降伏)を図り、本土上陸作戦による米兵の犠牲を避けるという説です。アメリカでは主流をなしています。たしかに、国体護持に拘り無為に時間を過ごした日本政府の責任は問われるべきですが、降伏は時間の問題でした。米国はこうした情勢を正しく理解していました。既にこの年の2月にはヤルタ会談でソ連の参戦が決まっており、7月26日にはポツダム宣言がだされています。
原爆実験の成功は7月16日です。トルーマン大統領は、この報告を、ポツダム会談のさなかで受け、投下命令は、宣言発表の前日に発せられており、ここにも、原爆の投下意図をみることができます。当時の米軍首脳のなかでさえ「原爆投下は必要なかった」の声もあります。早期終結説は受け入れ難いものです。
原爆の投下、核兵器による脅迫・使用はいかなる理由をもってしても断じて許せません。原爆は明らかに非戦闘員の大量殺戮行為です。