CHAGE&ASKAのこと

           

CHAGE C  &  A ASKA
  
 

    (その1) 楽しい人生にしてくれた、CHAGE&ASKA 

          TUG OF  C&A へのファン・レターから
   (その2) " 明けまして おめでとう ございます" 

   (その3)  もし、この世から音楽がなくなったら…

   (その4)  永遠のチャゲアス曲

   (その5)    "に通じるものがある 

   (その6)  著作権よりも何よりも…
           やっぱり、
ハーモニーが大事
 
          
    (その7) "前進"のためには"引く"こともある
              
……尺取虫の原理…… 
  

    (その8) "人間"を感じさせたASKAの
         
SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008
              
"SCENE"  

    (その9)   再びの『チャゲアス解散説』
              の中で しみじみ思うこと 
                    
    (その10) 新たな試みに挑戦? 

   
(その11)  この思いが届きますように…!!  

    
  永遠の 0

   
 連日の一方的事実によるマスコミ報道 

   
FC会員 □□さんへ 

     (その14) 悪辣な報道を通して思い知らされた…
       急がれる、「未熟なネットの世界」に対する政治対策
 
      

    (その15)  形式が全ての日本人     
  (その16) 
奇行?    
  
(その17) Aさんあなたにメッセージが届いています 
  
(その18) 持って生まれた性(さが)
 
  (その19) こんな時こそ・『シネマ劇場』を生かそう !!

    (その20) 冷静に捉えた朝日新聞の記事    

    (その21) Aさんの胸の内をよそに 

    <FC会員の声>     

    (その22)  深い苦悩と焦りの中で…

    (その23) マイ・ホームページのご案内を 

    (その24) 初公判を終え…再出発を前にして

     (その25) 悔恨、苦渋…けれど空は青 
                渡邉徹二 (ASKA プロデューサー)
    

    (その26) 裁判官の言葉をそのままに報道 !?

    (その27) ナベさんを仲保として、これからも !

    (その28) 嬉しい知らせ ・ Aさんの独白
   
     <追記>
                                             アジアのチャゲアス    HEART…    世界のチャゲアス

        
(その1)

 楽しい人生にしてくれた、CHAGE&ASKA
 
 今、こうして私も『ヨン様』のトリコになってしまった一人だけれど…ある日、ふっと、 

日本で、ヨン様に匹敵するような感動を与えてくれる実力者
がいるとしたら、誰だろう…?」
という事を考えてみた。

 そして、反射的に、

「やっぱり、
『チャゲアス』 かな?
なんて思ってしまった。もちろん、なんといっても相手は 『ヨン様』。これでも極力冷静に、あくまでも客観的に捉えたつもりだけれど、答えは意外と早く出て…彼らのあの音楽に向かう姿勢を思うと…『やっぱり、チャゲアス!』という結論だった。

 
CHAGE&ASKA。通称、チャゲアス
彼らには本当に不思議な因縁を感ずるのだけれど…そもそも、この歳になってこのロック・デュオファン・クラブに入会するという事自体、一般的に見れば突拍子もない事のように思えるけれど。チャゲアスとの出会いは、何がきっかけだったんだろうと、今、一生懸命、思い出そうとしている私。

 
当時(10年前)、私は何のためらいもなく入会した事を思い出す。

めぐり逢い …

 ともあれ、私のこの世の人生においてCHAGE&ASKA』に出逢えた事は、何にも増して大きな喜びの一つとして、私の中に深く刻み込まれるものとなった。

                  (2005年の春) 

                                          このページの先頭へ


(その2)
  
TUG OF C&A へTUG OF C&A へのファンレターから

  "2006年 明けましておめでとうございます"

ON YOUR MARK…

 CHAGEさん、ASKAさん、スタッフのみなさん、明けましておめでとうございます。

  2006年    明けまして    おめでとうございます!   


 毎年、大みそかも大詰めを迎えると、CDをセットしておき、午前0時の時報でONにし、曲の流れと共に私の新年がスタートいたしますが…!
 選曲は…考えた末、昨年同様、今年も
ON YOUR MARKといたしました。
 アーティストも観客もいない、ライブの超ミニ版?といったところでしょうか。でも、不思議とパワーがわいてきて、今年こそは! という気分になります!

 
そして思うのですが…人生は『舞台』であり『演出』だなあ、と。

 これらはとても苦しい作業ではあるけれど、また、そのスケールは人それぞれで大小さまざまではあろうけれど、自分の人生は自分で切り開く、その中でしか本当の喜びは得られないもののような気がいたします。

 そして、たとえ
受け手側であっても、やはり、その与えられるものを全身全霊で受け止め、より深い感動を得ようとすれば…

 『受け止めるための演出』のようなものが必要であり、送り手受け手同じリズムに乗らなければ決して深い感動は得られるものではないと思うし、そういった意味で、受け手側にもそれなりの『演出』は必要であり、これらは人生そのものであるような気がいたします。CHAGE&ASKAの舞台を観るたびに、つくづく、その事を思います。

 また、
ライブにしても、コンサートにしても…これらは一種の『心身共のダイエット』にもなるのではないでしょうか。一回切りの…しかし余韻をいっぱいに含んだ、とても高度なダイエットに…!

 実際、
チャゲアスの舞台でのパワーには物凄いものがあり、これを何に例えればよいのか…!?
 工事現場で爆発音が連続して起きているような…
究極の花火が立て続けに打ち上げられているといった方が当てはまるかなぁ!? テレビなどで見るチャゲアスのあの穏やかムードからは想像できません。

 だからこれは、
『雑音』『楽音』の区別のつかない人には(失礼!)その価値は伝わらないのかも知れませんね。
 
ちなみに、私はそういう方たちには、CDVTR(DVD)をお薦(すす)めします!


 こちらの方でしたら、きっと、心の奥底にまでしっかりと染
(し)み込んできてくれる事だろうと思います。ただこちらの方も、音量(ボリューム)はいつもよりアップにして聴いた方が断然お得と思います!
    
                      

 今、アルバム『RED HILL』にハマっています。

 この楽曲は、VTRしか持っていなかったので、昨年末にアクセスして、CDを購入しました。
 
"夢の番人""YOU ARE FREE"が目的でしたが…
 "RED HILL"
はもちろん、どの曲をとっても本当にすばらしい! ナント! "YAH YAH YAH"も入っていて、すごぉく得した気分になりました!

 
一曲・一曲がとてもていねいに作られており、いつもの事ながら、メロディーも独特、楽器の構成も独特、CHAGEとASKAの構成? も独特、VTRでは聴き逃していた新しい音にもいっぱい出合いました!

 それから、
"YOU ARE FREE"を一緒に口ずさんでいたら、途中で息切れしてしまい、ついていけませんでした…始めから発声をそれなりに調整しないと。(笑)
 この曲は、比較的静かな楽曲に属すると思うけれど…にもかかわらず、
相当な肺活量を必要とするようです…ちょっと真剣になって口ずさんでいて気づいた事でした…(自由とは、こんなにも重いものなのか…と。そしてふと、この曲を歌っているVTRでの、あのASKAの表情が浮かんできた…)。

 また特に、曲番⑬の
"…~それより僕が伝えたいのは~"の曲は…日本ではなく外人コーラス・グループを招いて作られた楽曲だけあって、さすがだなあと、改めて感動いたしました。素人から見れば「たったそれだけのために…!?」と思うけれど…たしかに…異国情緒漂うバック・コーラス…!
 
『肺活量』の事にしても・この事にしても、楽曲作りの大変さを改めて知らされる思いです。
 こ
れらの事を、私一人の胸の内にしまっておくのは、あまりにももったいない!
 テレビだけでは、チャゲアスの本当の魅力も・実力も判らない…もちろん、その数は日本でも最大の中の一つと言われるほどの『CHAGE&ASKA・ファンクラブ』ではあるけれど。

 
だから、どうやって一人でも多くの人たちにこの感動を伝えたらよいものか…この事も私の苦しみの中の一つであり、受け手側として未演出の部分
になっています。


 
ともあれ今年もどうぞ良い年でありますよう心からお祈り申し上げ、新年のご挨拶といたします。

             
              (2006年1月の初め)
 

                  
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(そ の 3)
  もし、この世から音楽がなくなったら…

                   

 

 もし、この世から『音楽』というものが消えてしまったら…という事を考えてみた。
 まあ、そういう事はあり得ないことだけれども、もしそうなったとしたら、と仮定して。


 これは…私には、この世から空気がなくなるのと同じくらい、何か、深刻な事態が起きるように想像される。
 とかく私たちは、口から入るものだけが栄養素となるように考えがちだけれど、この、音楽がなくなったら人の心はすさみ夢も希望も消え失(う)せて、何の感情も湧いて来ず、会話するのもいやになり、不安感だけが募(つの)ってきて、肉体もだんだんと衰える何か、そんな情景が浮かんでくる。
 植物』を音楽で育てる、という話を聞いた記憶がある。 まして、人間であれば。

 ごく身近に考えても…
趣味としての音楽はもとより、ビジネスとしても
 例えば、
喫茶店、レストラン、デパート、スーパー、コンビニ、いろいろな観光施設…。
 また、
ラジオテレビの世界だけを考えても(効果音も含めて)…
 
ニュース、ドラマ、ワイド番組、コマーシャル、天気予報、番組のお知らせ、ドキュメンタリー、バラエティー等々…
 
もちろん、映画の世界においても…
 何より、
学校関係

 ともかく、これがなくなったら、雑音だけが目立ち、無法地帯と化して…もうそれ以上は想像さえつきかねる。

                   

 ともかく、事の外(ほか)『音楽』というものは必要不可欠なものなのだ。空気と同じように、在(あ)って当り前だから、気付かないだけだ。
 空気は神様が造られるものだから、もし、なくなるような事態が起きたとしても、それは神様にお任せするしかないけれど、
『音楽』は人間が作るものだから、そうはいかないと思う。

 また、人間が
肉体を脱いで『霊人体』となって『あの世』(霊界)へ行けば、空気や言葉(国語)は必要なくなるけれど、この世にある時、音楽などによって育(はぐく)まれた『魂(たましい)』、つまり『心霊』は、私たちの中に永遠のものとして宿るものであり、霊人体となっても必要不可欠なものという事になる。 
 だから
音楽とは、『心の空気』のような存在なのかも知れない。
 
 また、
いろいろな式典、スポーツの祭典など、いわゆる、各イべントにも必要不可欠であり、これは洋の東西を問わないものだ。
 もちろん、そのジャンルはさまざまだけれど、ともかく、
世界に音楽を持たない国など存在しないだろう。どんな後進国であろうと…(いや、後進国の方が、より音楽を求めているのかも知れない。)

 まず、
何をおいても、初めにこれがなければ物事は始まらないのであり、それに連動?してお金の価値もなくなり(持っていても仕方ない)、あらゆる機能が止まってしまう

    
    

         

 ところで現代人の私たちは、自分の好きな歌を、好きな場所で、好きな人たちと、自由に歌う…などという事は、当り前の事として捉(とら)えるけれど…

 しかしこれが、
当り前ではない世界が、この現代社会に存在していたという事実。
 しかもそれが、ごく個人的な理由でというのではなく、国を挙げて、つまり、
国家として禁じられていたという…!?

                 

 去る2000年8月26,27日の2日間、CHAGE&ASKAは、韓国・ソウル市において、韓国の戦後史上初めての『日本語での大コンサート』を行った。

 これは、韓国の第三次文化開放の措置として発表された、『日本語謡曲での公演の全面開放』をテーマとし、これを承諾
して行われた、日本人アーティストとして初めての、最大イベントだった。

 戦後初というのも…ナント! 当時の段階で韓国では、「日本語謡曲が全面的には開放されていない状態」で、CDも海賊盤でしか手に入れる事の出来ない情況にあったのである!?
 そして、これより4
月前の4月下旬、CHAGE&ASKAは、『韓国女性基金』と呼ばれる市民団体の招きで、この韓国を訪れた。
 
『韓国女性基金』とは、当時の金大中大統領夫人を名誉総裁とした慈善団体で、女性の地位向上及び恵まれない女性の救済を目的とした団体である。

 これよりさらに、2
月前…
 CHAGE&ASKAの育ての親ともいうべき、
エグゼクティブ・プロデューサーの渡辺徹二氏これに先立って、韓国・青瓦台(大統領官邸)訪問大統領夫人と直(じか)にお会いし日韓の文化交流の正常化に力を注いでいる韓国の方たちの努力を、その肌で十分に感じ取り、この大コンサート実現を決意したといういきさつがあった。
 この時の情況が、当時の
ファン・クラブの会報『TUG OF C&A』には、次のように述べられている。

  

 『韓国では、昨年(註…1999年)、日本映画の上映は解禁されましたしかし、日本語の謡曲の解禁は未だなされておらず日本の文化開放の最後となった日本語謡曲の解禁のタイミングを図(はか)っているという現状でした。
 アジアツアーの成功など、日本だけではない活動を展開している
CHAGE&ASKAに、韓国サイドがかなり興味を抱いていることを感じつつも、事は日韓文化交流の正常化という大きな難題。その時点で、韓国でCHAGE&ASKAがコンサートを開くなどということまで考えられなかったそうです…

 …と、
この時点での渡辺氏の胸中が語られているが、さらに…

 『 …そして渡辺プロデューサーが訪韓してから2ヵ月後の4月。女性基金と市民団体から再度の要請があり、今度はCHAGE&ASKAの訪韓を強く希望していました。
 「大統領夫人をはじめとして、多くの方々がCHAGE&ASKAとの会談を希望されていました。どういう訪韓になるか、具体的なことはわかりませんでしたが、現地の方々の素晴らしい人柄に触れるだけでも行く価値はあると思い、CHAGE&ASKAにこの話をもちかけたんです」(渡辺)
 大統領夫人及び各官僚との接見という大きな使命はあったものの、どちらかというと観光気分で旅立った
CHAGE&ASKA。ところが、いざ韓国に降り立ってみたら、予想外の展開が待ち受けていたのです。

 南北問題をはじめ、あらゆる難問に取り組んでいる
朴智元・文化観光相との接見では、2001年『韓国訪問の年』ならびに2002年に開催されるサッカー・ワールドカップの親善大使に任命されたCHAGE&ASKA朴文化観光相は韓国での文化事業においてすべての権限をもっており、同時にここで正式に日韓文化交流の架け橋としての活動の依頼(大規模なコンサートの開催、CD、テープなどのリリースの先駆けなど)を受けました。CHAGE&ASKAにとっては思いがけない申し出でしたが、韓国サイドにとっては長い間の、独自の調査による結果でした。
 かねてからの案件である、日本語の謡曲の解禁。このきっかけを作る日本人アーティストを求めていた韓国政府。日韓文化交流の正常化を目指す市民団体はたびたび来日し、日韓文化交流を深めるにふさわしいアーティストを探していたのです。数名のアーティストが候補に上がっていたようですが、アジア地域で活躍しているCHAGE&ASKAに目がとまり、昨年行われたCHAGE&ASKAのカウント・ダウンライブを視察。このとき、福岡ドームに訪れた市民団体の役員と渡辺プロデューサーとの間に会談が設けられており、デビューしてから今日までのCHAGE&ASKAの経歴を、聞かれるままに答えています。カウント・ダウンライブの視察、アジアでの活躍とともに、世界に認められる実績など、あらゆる要素が市民団体の心を動かし、ここで正当に評価されたわけです。

 ゴールデン・ウィーク中、朴文化観光相とともに親善大使の委任状を手にした
CHAGE&ASKAの姿が日本の新聞・テレビでいっせいに報じられました。このニュースは共同通信社が急遽(きゅうきょ) 配信したもので、『W杯の親善大使に任命』の見出しが目立つニュースになっていますが、実は日韓文化交流の橋渡しという大役に指名されたことの方が、大きく報じられるべきものだったのです。
 韓国においてもCHAGE&ASKA来韓のニュースは全マスコミを通じて報道されました。日本語の謡曲が禁止されるなか
CHAGE&ASKAの楽曲がコンサート映像とともに数分間流れ、このこと自体が歴史的な出来事としてさらにクローズ・アップされたのです。
 現段階では、もちろん日本語のCDは発売されていません。日本語の歌によるコンサートは2000人以下の会場という条件もあります。厳然と立ちはだかるこれら韓国側の条件も、
CHAGE&ASKAをきっかけに許可される方向にあるといわれています。
 「朴文化観光相には、コンサート会場に7万人収容のサッカー競技場を提示され、
大統領夫人からは三十八度線で平和コンサートを開き、韓国・北朝鮮の国民に同時に見せたいという提案をされました。とても光栄な申し出ですが、僕らが今できることをうまく表現できる方法でコンサートを開きたいと思います」(ASKA)。 』

 と、以上のように。
 そしてそれから4ヶ月後の、
2000年8月。CHAGE&ASKAは、ついにこの、『戦後初めての日本語謡曲解禁のための歴史的大コンサート』を、悲願の地・韓国において実現させた!

 そして
、コンサート終了の翌日、大統領夫人からの招待を受け、再び青瓦台を訪れ、韓日文化交流の橋渡しのお礼とともに、ねぎらいのお言葉を頂いたという。


 この韓国公演にレポーターとして参加した、チャゲアスの大切な友人である、在日コリアン三世カン・ソンさんは、『C&A韓国公演』、次のように受けとめ・語っておられる。

  

 『前略 CHAGE&ASKA 様
 
今回のコンサートは、あまりにもリスキー(註…危険の多い、冒険的)なものでした。
 
コンサートを告知する時間はあまりにも短く、韓国の国内事情からプロモーションもできません。また、日本のCD発売許可も先送りとなってしまいました。これではC&Aの楽曲の良さを韓国の人々に知ってもらうチャンスがありません。このような状況でコンサートをするなんて、無謀(むぼう)以外の何物でもありません。
 
いつの時代にも口さがない人はいるものです。僕の周囲にも「C&Aがそれでもやるのは、韓国いちばん乗りという名誉がほしいのさ」とうそぶく人がいました。しかし、そのリスクの大きさを思えば、このコンサートは功名心などでやり通せるものではありません。
 ふつうのミュージシャンなら、こんな割に合わないことはしません。先人が作ってくれた轍(てつ)の跡(あと)を楽ちんに歩めばいいのです。にもかかわらず、C&Aがソウルでのコンサートを決断したのは、ひとえに日韓の未来を考えてくれたからだと、僕は思っています。
 
いまから4年前のインタビューでASKAさん、あなたは僕にこう言いましたね。日本と韓国の間にあった不幸な歴史をいっしょに悲しむ世代になりたい。だから、チャンスがあれば、韓国でもコンサートをやってみたい。等身大の僕らを見てもらって、日本をもっと好きになってもらいたいんだ
 
文章にすれば、キザに聞こえるかもしれません。でも、そのときのあなたからは気負いやてらいはみじんも感じられませんでしたこの人はうそ偽(いつわ)りのない本心を淡々と話しているのだと、僕は直観的に了解したものです。

 
日本は韓国を35年間(註…学問的には40年間と説く)、植民地として支配しました。ことばや名前を日本に奪われた忌(い)まわしい記憶がなお、韓国人の心に焼き付いています。そのため、いまだに日本の大衆文化は韓国では公式に解禁されていません。
 しかし、時代は大きく移ろっています。グローバリズムの進展、EUなど国家の枠
(わく)組みを越える新しい共同体への模索(もさく)…。世界はますます狭(せま)く、相互に依存を強めています。そんな時代にあって、日本と韓国は未だに歌さえ自由に歌うこともできません。2002年にはサッカーW杯を日韓で共催しなくてはならないというのに、これではお先真っ暗です。それで2年前の秋、金大中大統領が未来志向の日韓関係を築こうと、日本の文化開放を当時の小渕首相に約束したのでしたしかし、韓国の世論もひとつではありません。無制限な日本文化の開放に反対する声はいまも根強いのです。
 そんな韓国民の精神をトランキライザーのように安定させてくれたのが、今回の
C&Aのソウル・コンサートでした。

 韓国政府は今回のコンサート開催にあたって、チャリティーにこだわりました。それを
C&Aが了承してくれたことによって、韓国民の中に日本とその文化に対する尊敬と信頼が芽生えました。僕はそのことを何よりもうれしく思います
 しかし、それよりもうれしかったのは、コンサート当日、ステージから
C&Aのふたりが韓国の人々に語りかけたことばの数々でした。
 「カムサハムニダ(ありがとう!)」
 「サランヘヨ~(愛してるぜ~っ)」
 
CHAGEさんが特大のスケッチブックを見せながら客席に語りかけるたび、会場から親愛の情こもる笑いがドッと沸き上がります。
 
「戦後世代の僕らは過去にあった悲しい傷痕に目をそむけるのでなく、いっしょに悲しむ間柄でいたい。新しい未来を築きましょう!」
 
ASKAさんがこうハングルで呼びかけると、共感の拍手がいつまでも鳴りやみません。韓国には恨(はん)という言葉があります。恨(うら)みや悲しみというほどの意味ですが、日本に支配された35年間(註…40年間)の日々は、韓国人にとってまさに恨の歳月でした。ところが、会場にいた韓国人の胸にわだかまっていたその恨が、ふたりが客席に語りかけるたびにさらさらと溶けていくのです。
 クライマックスは最後の曲『
ON YOUR MARK』のときでした。ASKAさんが感極まったのか、歌詞が出てきませんCHAGEさんがなんとかASKAさんを呼び戻そうとハーモニーを歌って待ちますが、それでも詰まったままです。
 ステージ両脇に設けられたスクリーンに、うっすらと涙をためた
ASKAさんの顔が映し出されました。涙こそ見せませんが、CHAGEさんも同じ心持ちだったはずです。
 それを見た韓国人のファンから
、思わず、
「チャル ハセヨ~
(がんばって~!)」
という激励
が飛び出しました。
 日本と韓国の友情のために、この人たちはソウルにまで来て泣いてくれている。会場を見回すと、たくさんの韓国人が
C&Aにもらい泣きをしていました。もちろん、日本人も泣いています。僕のとなりでコンサートを見守っていた女優の黒田福美さんも、先ほどからハンカチを目に当てて座りこんだままです。

 ふと我れに返ると、
ASKAさんの歌声が僕の耳に飛び込んできました。
 『
 ON YOUR MARK 僕らがこれをなくせないのは 夢の心臓めがけて僕らと呼び合うため 註…ON YOUR MARKの直訳は、「位置ニ着イテ!<ヨーイ・ドン!>」の号令)。
 以前、こう説明したことがありましたね。僕は朝鮮籍を持つ在日コリアンですと。南北コリアの分断と対立を反映して、本来なら韓国籍でない僕は祖国の南半分に入国することができません。在日コリアンとはある意味で、国家やイデオロギーによって千千
(ちぢ)に引き裂かれたジグソー・パズルのピースのような存在とも言えるのです。
 その僕がソウルでの滞在を許され、こうしてご法度
(はっと)のはずのC&Aによる日本語のコンサートを見ている。
 
僕にとってこの事態は、まさに"夢の心臓"とでも呼ぶべき状況なのです 韓国と北朝鮮が、そして朝鮮半島と日本が新しいステップへ踏み出そうとしていますC&Aのソウル・コンサートはその歴史的な第一歩を刻んでくれました。僕はこの夜、あなたたちのお陰(かげ)で "夢の心臓"を抱きしめていたのかもしれません
 
大切なのは、決してあきらめずに呼び合うことなのですね。4年前のASKAさんのインタビューを思い起こしながら、僕はそう思います。そのことを教えてくれたC&Aを、僕は畏敬(いけい)の念を込めて"日本の友人"と呼びたいと思います。さらなる活躍を祈ってやみません。  敬具』  

    

                                
 私は、これらのレポートを読みながら、こんな現代にあって、こんな身近で、未だ日本語の楽曲を日常生活の中で歌えない世界が存在しているという事実に驚きを覚え、自分の無知さ加減にあきれ果て、同時に、恥ずかしさと虚(むな)しさでいっぱいになった。
 そしてこの事を自覚し、把握
している日本人がどれだけいるのだろうという事も、同時に、改めて考えてみた。

 
当時、金大中大統領、史上初の日韓共催による大イベント、『ワールドカップ開催』のため、与党の何か大きな要職をも返上し、日本にたびたび要人を送り込みながら、『日本文化開放のため』に、先頭に立って尽力されていたという。
 
つまり、この
『日本文化開放のため』、先頭に立って奔走したのは、
『韓国政府』だったのだ。
 私は、
今の日本には考えられない、何か大きな感覚のズレ
のようなものを、自戒を込めながら感じたものだった。

 そして、当時…
 年頭に当たって…その要職の一分をも投げ打って、『日韓共催のサッカーW杯』にかける
韓国大統領を思い、韓国に向けて発せられた、あの天皇陛下の『労
(ねぎら)いの御言葉』をふと思い出し、日本国民として、それだけが私には唯一の救いだった。そしてこの事は…
 
ちょうど…あの敗戦の年の、日本が何もかも失い、方向性も失って茫然自失としている時に、昭和天皇の、あのマッカーサー元帥を前にして仰ったという、
 
『私はどうなってもよい、日本国民に食べ物を与えてほしい。』
という、
この思いがこのお姿が、この日本を救ったという…! その逸話にある、昭和天皇のお姿を彷彿(ほうふつ)とさせるものがあった。人間として一番つらい、情けない情況にある時にいう言葉だ…たとえそうなっても、言えない言葉である

 
事実、その後の日本はどんどん発展して行き、見違えるほどに成長していった事は、誰の目にも疑う余地はなかった。
 『天使長国家・アメリカ』の
マッカーサー元帥が、昭和天皇のこの思いを受けとめた事により、『母親国家・日本』に対する『天の協助』が展開されたのだ。(註…天使長国家、母親国家は学問用語)

 
これこそは、『ことばには いのちがある』という…正に・この聖書の言葉の証(あか)であろう。
 
 話が深くなってしまったけれど…

 もし、このような、
金大中大統領のご尽力がなかったら、史上初の『日韓共催による サッカーW杯』は(国歌斉唱の問題も含めて?)、どうなっていた事だろう。 
 


 そして、今のこの日本の情況をみつめながら、
 
まさしく・今は、『終末』の時であり、『自然淘汰(とうた)』(=自然選択)の真っ只中にある事を、身をもって感じてしまう
私だけれど。

 このように、音楽とは…私たち人間が、地上で、そして天上で、幸せに生きていくためになくてはならない、『心の空気のような存在』なのかもしれない。

 日本と韓国の間にあった、不幸な歴史をいっしょに悲しむ世代になりたい。日本をもっと好きになってもらいたい。』

 
このASKAの思いに、『天の協助』が展開されのだ。
 
ASKAの涙は・神様の歴史に残る、尊い涙となるに違いない。

 まだまだ、私たちの知らない世界のあちこちで、いろいろな音楽が奏(かな)でられ、歌われている事だろう。

 もし私にCHAGE&ASKAとの出会いがなかったら…音楽の重要性を、これほどまでに深く考えたりはしなかっただろう…思っている

                                  (2006年2月の下旬)

                                           このページの先頭へ

(その4)
   永遠のチャゲアス曲

                             
    ラプソディ…   NATURAL…   ASKA 

  チャゲアス曲と言えば  

  まずは、大ヒットした、
『SAY YES』

  そして、
『HEART』 『めぐり逢い』『YAH YAH YAH』 …

  ほかには? え
ーっと…『ひとり咲き』『万里の河』

  「ボクは、彼らの楽曲では、
『LOVE SONG』が好きだな…」

  「私はやっぱり、
『はじまりはいつも雨』

 とか思っている、もちろん、
ファン・クラブ以外の人たち…
 
その人たちに伝えたい!

 
チャゲアス曲は、そんなものではありません! と。


 とは言っても、この私も実は、『C&Aファン・クラブ会員』としては、比較的新しいメンバー側に属していて、まだまだ知らない曲がいっぱいあるから、生意気な事は言えない。

 しかし、そういう私が知っている楽曲だけでも、これは相当な数に達すると思うし、しかも、その中で選択した曲だけをとっても、何十曲にものぼるのである。


 
そして、何よりスゴイな、と思う事は…
!

 それらの曲のどれ一つをとっても、甲乙点
(つけがたく、しかも、「同じ傾向」というワン・パターンではなく、一曲、一曲というより、一音、一音がバラエティーに富んでいて、何度も・何度も繰り返し聴いていても、決して飽きる事はない、という点である。

 
これは本当に、不思議な現象だと思う!

 
プロモーターダニエル氏も、

 「欧米アーティストが見せるゴージャス感と、日本人特有の繊細さと・ウェット感を持ち合わせた、とてもエキサイティングなものがある。」


と仰っている。

 彼らの音楽は、基本的には
ロックだから(?)、そのロックというジャンルがそうさせるのか…いやいや、ロック・アーティストは、もちろん彼らだけではない。有名、無名を問わず、また過去、現在を問わず、国内、国外を問わず、他にもいっぱい存在する。だから、「ロックだから…」という事が理由にはならないと思う。
 やはり、"ハート"であり、"魂(たましい)の問題であるような気がする。 
 
彼らの楽曲を聴いていて、いつも思う事は、
 
ヴォーカルはもちろんだけれど、演奏の中にも、ハーモニーが感じられる。』
 
というところ
 
 クラシックとロックの組合わせを感じたり、また意識的に、ジャズとロックを組み合わせたりするというのも、彼らの、音楽に対するそんな姿勢から生まれるものなのかも知れない。

 そして何より、あの、
パワー

  世界に MERRY X'MAS   

 チャゲアスクリスマス・ソングに、『世界にMERRY X’MAS』 という楽曲があって…その一節に、

 ♪ 雪の降る町 砂の吹く町 みんなでしあわせになりたいね ♪

 というのがあるけれど

 ふつう、
クリスマスと言えば、雪の降る情景しか思い浮かばないものであるけれど。 それに、「砂の吹く町」というのは、まじめな日本人に言わせると、
 「イスラム圏じゃないか…」
 となるから、ちょっと
凡人には思い浮かばない発想だ。

 こんなところにも心が行く、彼らの
広い優しさ、温かさ
 私は、初めてこの楽曲を聴いた時、とても感動し
…たったこの一節のために、何度も何度も繰り返しこの曲を聴いた。もちろん、今でもそうだけれど。

 名曲
『ID』は、ベトナムに出向き、しっかりとその地を踏んで作られた曲である。

 ロンドンに居を構え、楽曲作りをする事もあった。

 
 そして、
CHAGE & ASKA は、以前、世界中の優れたアーティストが集う、あの有名な、『モナコ音楽祭』に選ばれ(アジアの代表として)、モナコ皇太子マイケル・ジャクソンの前で、彼らの手拍子を受けながら歌った事もあった。
 特に、皇太子に気に入られ、
王子主催のランチ・パーティーでは、同席させられるという、ハプニングもあった(この音楽祭には、連続して選ばれ、連続受賞した)。

 そして当時、日本でも最大に評価され、二年連続の
『ゴールド・ディスク大賞』に輝いた。
  
 
その頃、私はまだファン・クラブ会員ではなかったけれど、彼らにはこれまでにない、グローバルで…何か独特のものが感じられた。

 また、
宮沢総理の時代、何かのイべントで招待を受けた事もあった。当時、多忙のため、出席は出来なかったけれど。

 元横綱・貴乃花も、彼らの大ファンで知られるが、ご自分の結婚式の時、その披露宴会場には、チャゲアスの曲が流れ、もちろん、彼らも招待されていた。 あれからもう、何年になるのだろう。
 きっと、親方になられた今でも、ご自分の苦しい時には、
チャゲアスの曲を聴いては慰められ、勇気付けられながら、心の糧(かて)としておられるに違いない。また、チャゲアスに直接、その胸中を打ち明けられる事もあるのかもしれない。
 
(ちなみに…私の子供時代は、初代・若乃花の大ファンで、放課後、教員室から校庭に流れるラジオを、校舎の柱や・イチョウの大木などにしがみついて聞きながら、一生懸命、応援していた記憶がある。)
 (ついでにもう一つ。野球では…ファンとして一番長かったのは、やっぱり、長嶋さん。亡き末兄の影響で、さまざまな思い出がいっぱい・いっぱい、監督時代も含めて。長嶋巨人と共に歩んで来たような感がある。)

 
                                              

 彼らの楽曲は…老若男女を問わないし、国境も持たない、永遠のものだから……。                             
                                    (2006年6月の終り)                            
                                                    このページの先頭へ


(その5)

  喝!に通じるものがある

 

   『喝(かつ)』 という言葉を考えてみた。
  
 辞書を引いてみると、いろいろな『喝』があった。

 ① しかる。大声でおどす。 
 これには、「喝破(かっぱ)」 「一喝(いっかつ)」 「大喝
(だいかつ)」 「恫喝(どうかつ)」 「恐喝(きょうかつ)」 など。

 ② 大声をあげる。  
  として、「喝采(かっさい)」 

 また、感動詞の 
『喝』 として、
 
 『禅宗で、座禅の時などに用いる、はげましの大声』

 というように。

 
 この中の、 ① と ② は、
 それぞれ、その時の情況で、いろいろな 
『喝』 が発せられるという事だろうから、その良し悪しはともかく、その時、その一瞬に、自然に生まれてくる感情のものだろうと思う。

 ところで、私が、ここで取り上げ考えてみたいのは、

 
もちろん、『喝』であり、

 自然に生まれた、というより…


 「
鍛錬(たんれん)を積み重ねながら、その中で得られた 『冷静に』 『意識的に』 発せられる場合」

 
『喝』という事になるけれど。

 

 前述で、チャゲアスコンサートライブを、『心身共のダイエット』と表現したけれどさらに考えを進めて行くと…今にして思うと、たぶん、私の中では、

 
『禅宗で座禅の時などに用いる はげましの大声』 
 
 
という、このの心』を言いたかったのかもしれないなあ、と思う。
 だからこれは、もちろん、
コンサートライブの時には思い浮かばなかった言葉であり『心身共のダイエット』という表現でしか考え付かなかった事であり…
 また、
チャゲアスにとっても、下手に取り上げて、下手な説明でもすれば、

 
「迷惑だ…」

 
言われそう。 (笑)
 
確かにこれは…
ふと、自然に浮かんだ事とはいえ、大胆な思いつきの言葉で、を思わせるアーティスト」などは、そうそういるものではないと思うし、少なくとも私の中ではこれまでに考えた事もないもの。 

 また、
『喝!』と言えば…お寺の本堂で…木刀のような、竹棒のようなものを持ったお坊さんが…男女を問わずいろんな人たちがズラリと並んで…目をつぶり…座禅を組んでいる中で発するところの、あの『喝!』であり…それ以外の場所では、見た事も・聞いた事もないもの。

 しかも、こんな科学万能で、昔の事を思えば足りないものは何もない、という現代に…!? 

  しかし、とはいえ

 
世間の荒波に流され、混沌とした、多様化した社会の中をさまよい生きる私たちにとって、時代に関係なく、何か、どこか惹(ひ)
かれるものがあり、気になるものであり…何より、チャゲアスライブコンサートを回想する中で自然のうちに思い浮かんだものであり、私の核心に触れたものであるから、案外、この『喝』 というのは…時代を超えた、もっと日常的広範に及ぶものとして、神様が考えられたものなのかも知れないなとも思う。

 専門的に考えれば、 

 恐らく、サタン撃退(サタンは、キリスト教用語) ための、一つの方法ではないかと思われる。(どうだろう ?)
 恫喝
(どうかつ)、恐喝といった、現代社会にはびこる『悪なる喝』に対抗した、それらを超えた『善なるとして !  

 

 ともかく、ダイエットでもいいし、でもいいと思う、要は…

 
ハートが伴(ともな)っているかどうか…

 ということだ。

 私たちは日頃、音楽に対しては、共感を覚えたり、自分の感情(ストレスなど)を代弁してくれるような曲を求めたりするけれど、その根底には…
 悶々
(もんもん)とした、打ちひしがれた…そんな自分の弱さを振り払い、グングンと引っ張ってくれる…
文字通り、を入れてくれる! そんな曲を求める心が、無意識のうちに私たちの中にはあるのかもしれない。

 そして、「百聞は 一見にしかず」
ならぬ、 「百聞は 一喝にしかず」で…
 
 
「百回のお説教」を聞くよりも「一瞬ののようなものを求めているのかもしれないなあ、とも思う。
 この終末と呼ばれる、自分の事で精一杯という、厳しい時代の中にあってそれらを乗り切るためには、この
『禅宗』でいうところの、喝』のようなものが必要であり、

 チャゲアス音楽で言えば、
 あの、
意外性とか突然性、また転調などをふんだんに盛り込んだ、個性溢れる楽曲の中から醸(かも)し出される…単なる流行に乗っかった…というだけのものではない、時にはこういった、理論や理屈を超えた、
 『はげましの大声』


 のようなものが欲しい…今のこの、
日本の世情ではないだろうか。

 またそれが、本物であれば…たとえ相手(対象)が、『幼い子ども』であったとしても、きっと必ず、それに応えてくれる(反応してくれる)に違いないと思う。とても心地(ここち)良い、快(こころよ)驚き として、永く、子どもの心に刻み込まれて行くものとなるに違いない。

 とはいえ… 
 
これらは一朝一夕で身に付くものではないし、そう簡単には得られない、また出合えるというものでもなく、とても高度なものではあろうけれど……。     

                                (2007年の正月)
                                      
                                   このページの先頭へ




(その6)

  著作権よりも 何よりも…
   
やっぱり ハーモニー が大事

                  

 『あぁ…終わったネ…』 
 『終ったネェ…』
 と、同伴者と顔を見合わせながら、同時につぶやいた。

 つい、先ほど、
 『とうとう、今日という日が来たネ!』
 『うん、来たネェ!』
 と、お互いに少しばかり緊張しながら、同じ思いでつぶやき合ったばかりなのに…

 
それくらい、今度の『C&Aコンサート』は、時間の経つのが早く感じられ、あっという間に終わったという感じ。いつも時間的には決して短くはないと思う、C&Aコンサート』なんだけど…
 
『今までで、一番良かった…!』
 と、家路に向かいながら、同伴者がつぶやいた。
  

                

 数ヶ月前、先行販売の通知を受け、チケット購入の手続きを済ませ、同伴者の彼女にその事を告げに行った時の事、

 『
C&Aコンサート日にちは、〇月で…今度はY市に決めたけど…』

 『行く、行く、行くよー! 〇月は …えーっとぉー…!? △×▼…!?  とにかく、なんとしてでも行くからネ !』
 と、まだろくに、日にちも告げないのに、話の途中に割り込んで来て、絶対に自分を連れて行くよう、命令するような口調で返事が返ってきた。
 C&Aコンサートには、≪チケットは、1会場につき、2枚まで≫という規制があるという事を知っているから、誰かに先を越されたら大変だ、という訳だ。

   CHAGE                      

 その、待ちに待った、Y市での 『♪C&Aコンサート』 が終っちゃった…

 でも…チャゲアスコンサートには、いつも不思議と寂しさや虚しさは残らないから救われる。                         

        パパラッチはどっち…         
  
  

 あの、重厚で…そして、とりどり盛り込まれた楽曲とパフォーマンスの中で展開される、リズムメロディー、ハーモニー…そしてユーモア

 また今回は、
CHAGEASKA幾度も取り替え、引き換えしながら演奏される、ギターのその『つまびき』バック・ミュージシャンたち『手さばき』 本当に楽しく私にとって、新しい発見 だった 
 そして、なんといっても、
あのパワー
 
私たちの中にしっかりと滲(し)み込んできてそう簡単には抜けそうにないから、たとえコンサートは終っても、ボンヤリとしている暇などなく、また次の何かを求めようとする…この余韻はそう簡単には抜けないのだ…

             

 それにしても、
 シンガー・ソングライターというのは、いいなあ…』
 
と、家路に向かう中でふと、思った。     
 
新曲、旧曲自由自在に、思うがままにアレンジされながら繰り広げられていく、そんなCHAGEASKAの舞台を思い起こし・振り返りながら、いつになくその事を思った。

 そして、
 『やっぱり、こうでなくちゃ、歌じゃない…!』
 とも思った。 

           

 スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんは、

 
子供のいない夫婦にとっては、その仕事が子供であったりします。
 
という事を仰った。

 音楽で言えば…
 作詞・作曲家にとって
、その作品は子供であり『生みの親』だ。
 
また、歌い手にとってもその作品は子供であり、育ての親』という事になる。 
 
どちらが欠けても、その作品は成り立たないし、私たちの心には届かない。
 
「それでも、強いて言えば…?」
 と、どんなに『生みの親』『育ての親』を比べてみても、

 
『やっぱり、どちらが欠けても成り立たない。』
 
という、結論にしかならない。

 
テレビで、シンガー・ソングライターの嘉門タツ夫さんが仰っていた、
 
『元歌が浸透しているからこそ、替え歌が生きる。』
 
と。有名な曲でなかったら、替え歌などは初めから生まれないだろうし、意味もないと思う。
 
 
そしてまた、逆に
 
『 生みの親より 育ての親よ 』
 
という言葉もある。

 そして、その作品はいろいろな形となって人々の心に浸透し、さまざまなエピソードを生み、思い出を生み、社会に広がっていく。

 
私も、これまでは、
 
「原曲には、忠実であってほしい。」
 
という思いが、いつも気持のどこかにあったけれど、しかしCHAGE&ASKAに出会って以来、気付いてみればそんな思いはどこかに吹っ飛んでしまい、いつの間にか忘れていた…それが、真心(まごころ)から出たものであれば(ハーモニーが効いていれば)なんの問題もないのだ。
 
そして何より成長し、自分の手元を離れていく 『わが子』 を見て、喜ばない親はいない。


 以前作曲家の高木東六氏が述べておられた、音楽で大事なのは、『ハーモニー』であると

 例えば「むすんで ひらいて」をピアノで弾くと、メロディーはたったつだが、ハーモニーは幾通りにも展開する…モーツァルト風、ベートーベン風、ショパン風…と。

 
だから
メロディーだけでどんなに大声で、いい声で、技巧的にうまく歌っても感動はあまりなく、言わばこれは「子供」であると。 
 
しかし
ハーモニー
には『理屈』がありその変化とか在り方で自由に感動を揺さぶる、言わば『お母さん』であると

                                日本の子守唄は…  

 高木氏が以前、美智子様にお会いした時<皇太子妃であられた頃>仰っていたそうだ、

 『
日本の子守歌はどんなものか…あれを歌っていると、悲しくて、泣きたくなって心が沈む…やりきれないものがある。』 
 
と…。
 
だから当時、
ご長男皇太子様には、そのせいかどうかは分からないけれど、何か、悲しいものが一本あった…と。
 ご次男常陸宮様の時は…だから、モーツァルトの子守歌などを歌われたらしいが…

 
高木氏は仰っていた、
 
『日本ものには、赤ん坊が可愛い、という言葉はどこにもなく、当時のお守(も)りたちのつらい立場を中心として、赤ん坊をあやしているうちに出てきた詩のものがとても多い。』
 
と…

 
私は、この時、
 
「国際社会に対応していかれる立場の人たちには、こういった事も大きな問題として考えられる事なのだな…」
 
と、改めて認識させられたような気がしたものだった。そういう時代であったのだから、ハーモニー
も、自然とそちらの方に流れていくものが多かったのだろうと思う…これもまた、日本人の一つの個性なのか…

 
皇后様"子守歌"に専念されるのには、そんなところにご事情があるのかも知れない。


 ハーモニーが大事という事は…思うに、これを人生に例えれば、メロディー誰もが同じような生活をしながら日々を生きている、言わば実践的なもの。リズムは、世の中の秩序とか、原理、道理、ルールのようなもの。そして『ハーモニー』は、『心情』といったものにはならないだろうか…? このハーモニー だけは、どのように展開していくものなのか誰にも分からない、自分にさえも分からない…

 そ
してそれは、神様にだって。


 再臨のキリスト』 によれば…
 
神様は、人間を神(ご自分)の責任分担を95%』 『人間の責任分担を%』として創造されたという。見ての通り動物・植物・鉱物には、100%の責任を持たれた

 
だとすると、その
与えられた『個性』(95%)に、このハーモニー心情』という、人間に課せられた%の責任分担をどう溶(と)け込ませ、どう磨いていくのか、という事。
 
わが子人間が、その与えられた
を通して、今後どのように展開させていくものなのか…それだけに、大いに期待される部分であり、神様にも分からない、楽しみの部分である、この5% ! 

 だから
ハーモニー心情というのは単にやさしさ、穏やかさといったように日本人の場合決めがちだけれど、高木氏が言われるように、ちゃんとした『理屈』があり、もっともっと広い範囲のもので幾通りにも展開するものである、と考えなければいけない。
 
人間の責任分担はたったの5%だけれど…この部分に寄せる神様の期待には、100%にも・120%にも値(あたい)するものがある、という事だ。

 
そして、この部分こそが、神様のわが子・人間創造の目的』だったという事!(旧約聖書より) 
 
親が、わが子に抱く思いと、まったく 同じなのだ!

 
というよりも、神様がそうだから、人間がそうなのだ…親が、子に似る、という事はあり得ないのだから。

 そんな大袈裟(おおげさ)な ! とも思えるけれど…でも…世の中が切羽詰まって行けば行くほど、これらの事が浮き彫りにされる時が、必ず来るような気がする

     

 特に私たち日本人には、自分の個性はもちろんだけれど、『他人の個性』にも目を向け、表面的なものだけでなくもっと内面的なものにも興味や関心をもってみつめ、思いやり、尊重していく努力のようなものが必要ではないだろうか。

 たしかに…
『他人の個性』というのはさまざまで…中には自分の思考をはるかに超えたものに出会う事も、人生にはあるのかも知れない。そしてそれらに対処するため、大変なエネルギーを必要とする事も、人生にはあるのかも知れない…

 しかし旧態依然とした、既成概念に囚(とら)われた、『格差社会』という、マインド・コントロールされた中で生きる私たち。どのように展開していくのか…神様にさえも分からないという…『他人の個性』を尊重しないで、どうやって自分の個性を磨くというのか。


 一人のベテラン音楽評論家 が、一人のベテラン・アーティストの「個性」を、『公の場』で安易に批判、酷評をした。

 
その、たった一言の影響力を考えてみた時…
 
ファン・クラブやファンはもちろんの事、日本中、あるいは世界の音楽ファン、また心ある人々に与える打撃が、痛手がどんなものであるか…!
 
それは、その「アーティストの個性」はもちろんの事、その長い『芸術家としての人生』をも、否定する事になるのだ…!
 
『 ことばには いのちがある 』
 という、この聖書のことばをよくよく知るべきだ。理屈の問題ではないと思う。 

 『人生は 芸術なり』という言葉を聞いた記憶がある。 これには当然の事ながら、親も子もない、男性も女性もない、年齢もない、もちろん、先輩も後輩もない…共に尊重しあうべき・同等の世界であり…ここにこそ、お釈迦(しゃか)の説かれた、

 『天上天下唯我独尊』
(てんじょうてんげゆいがどくそん)


 という言葉の意義
があり…またあの、NHK・のど自慢』が、老若男女を問わず・廃(すた)れる事なく、永く永く、続けられていく事の意義まさに・ここにあるのではないだろうか。

 
たとえわが子であっても、その『個性』は、神様が創造されたものなのだ。

 またそれが、誰にとってもマイナスとなる要素が何もなければ…
 『何がどう変わろうと、私は間違いなく、この子のりっぱな生みの親である。
 
と、誇りを持ち、逆にそういう情況に追い込まれた事に感謝しなければ…自分の作品が注目され、評価され、必要とされたという事なのだから

 そして、しい問題に遭遇した時には…それが、公の問題であろうと、個の問題であろうと、ともかくこれらをとりあえず、『家庭の問題』 『家族の問題』に置き換え考えてみるようにすると、かなりの事が割と難なく解決されて行くような気が、私はしている。 
                                                 (2007年5月の初め)   

                                             (このページの先頭へ)

                              

(その7)

  前進"のためには"引く"こともある
         ……
尺取虫の原理…… 


 『私が、このまま首相でいては、改革が進まない…』 

 と…この言葉を最後として、非難ごうごうの中、
安倍さんは、総理の座を降りられた。

 

 たしかに…

 マスコミをはじめとして、各界の人たちが言うように、
 その在籍年数や政策の実行、お手柄…何より、総理大臣という立場にあれば、当然、これらは重要な事であるから、それらに対するその不足面は否(いな)めない。

 でも…

 反面、ドライで、さわやかな面も持ち合わせた…ビジュアル面も大いに尊重される現代にあって…海外においても、決して引けを取らない、
 
『存在感はあった。』
 と、私は思っている。

 そして…
 現状維持に躍起となり、物事を 「制する」 事しか考えない政治家がいるとすれば…
 少なくとも
安倍さんは、一生懸命、日本の個性を守りながらも、新しい未来、新しい日本を目指そうとしておられたのであり、その新しい未来のため、新しい日本のために、
 
『引こう…』
  と決心されたのだ。ひたすら前進のために、自らが引く…

     

 かなり以前のお話になるけれど、松下幸之助さんも、その著書の中で語っておられた。
 
 『 
一年儲(もう)けて、二年目も儲け、そして三年目も儲かった。そして四年目も儲かるかというと、人間なかなかそうはいかない。
 だから、三年儲かったら、四年目は、お国に返す。そう考えれば、気を楽に物事ができる。知恵もついてくる。
 こういう考え方でいかなければ、伸びきってしまって、あとに戻れなくなってしまう。


 
尺取虫(しゃくとりむし)は、二寸進んで、一寸戻るそしてまた、二寸進んで、一寸戻る。そのようにしないと、死んでしまうからだ。 
 
死ぬ方がいいか、一年分をお返しして生き残る方がいいか… 

 …と。 この例え話が、この場にふさわしいのかどうかは、よくは分からないけれど、
 
前進のためには 引くこともある」
 という事なのだろう。

 ちょっと懐かしい歌になるけれど、
『三百六十五歩のマーチ』 の曲の中にも、そんなセリフがあった。
 今のこの日本情勢の中で、なんて悠長な事を…と思われても、たとえ、どんな非常事態の中にあっても、これは天の仕組みであり、
非原理に生きた結果が、今の日本の、そして世界の実態なのかも知れないのだ。

 人間をはじめとする万物は、すべて同じ仕組みでもって造られているという。

 ならば、
万物の霊長である人間が非原理に生きたならば…つまり、それが『愛』『喜び』 ではなく、『物質的価値観』 にまみれたものであったという事であれば、それは、他の万物にも影響を与えるという事になるのだから、自然の野や山、川…動物、植物、鉱物の世界にも異変が起き、公害問題、自然破壊の問題、これらの問題のすべてにおいて、その結果として生まれた現象なのだ、という事になる。 

 
尺取虫は人間のために存在する、その尺取虫が教えてくれているのだ。

            

 音楽の世界においても… 

 次々とヒット曲を飛ばし、常に、永く人気を保ちながら、たくさんの人たちに聴いてもらう事は、音楽の大きな目的だ。 
 しかし同時に、何かと「地球の危機」が叫ばれている今日であれば、政治・経済の分野だけではなく、またそれらとは分離した感覚ではなく、
音楽の世界にも
その音楽通しそれらと融合しながら、時には営利感覚を捨て新しい価値観を求め、未来を切り開いていく姿勢のようなものが必要であり・求められている、という事も言えるのではないだろうか。

 よく、
チャリティーボランティアとして音楽が利用されるのが、そのよい証拠だ。

 だから
音楽は、人間にとって・
地球にとって、大切な栄養源であると同時に、空気のような存在でもあると思う。 

 前進ばかりでは(ゆとりがなければ)、『良いもの』 も生まれない。

    

 CHAGE&ASKAも、

 2000年8月、韓国と日本の未来のための、その第一歩として、

 
チャリティーによる、歴史的大コンサート』

 を、悲願の地・韓国において、実現させた。
 歴史的大コンサート』という、国家的規模の中での、チャリティーだった。

 でも、この時の資料というか、映像というか…それらに関しては、その後何も語られず、一度も見た事がない。それぞれに価値観の問題であるのかも知れないけれど。しかし、朝鮮半島と日本の未来のために、実質・歴史的大コンサートであった事には間違いない。         

 そういえば…
 この時、帰国したC&Aを、森本毅郎さん報道番組が早速、取材しASKAの涙の場面の話題になり…森本さんが、
 「感動の涙でいっぱいになり、歌になりませんでしたねえ!」
 みたいな質問をされた時、ASKAが、
 「いえいえ、そんな事はありません…実に、堂々たるものでした…!」
 と、お答えになった時は、森本さんが思わず吹き出され、CHAGEさんも大笑い…テレビを視ながら、大爆笑だった。 これも別の意味で、忘れられない思い出になっている。(笑)

         

 そしてまた…ファン・クラブの会報に載っていた記事によると、

 
CHAGE&ASKA は、今世紀最大の難題、課題である 『環境問題』 の中の、『地球の温暖化を阻止しようという呼びかけ』 を目的としたイベントであり、2006年 12月23日 東京・代々木第一体育館において開催された、
 
『Point Green Live 2006』
 
出演した。
 そして、なんと! このライブには、
安倍総理(当時)も会場に駆けつけ、鑑賞されたという !
 当時、このニュースがテレビを通して流れたそうであるが、私は見逃してしまった…! 後日、職場の同僚や知人、なんと、経営者までが教えてくれて、初めて知ったという始末…!     


 でもこの時、みんなが、私をみつめながら、
 私の…というか、チャゲアスの偉大さを改めて知りました…というような表情で教えてくれて、私自身、最高にうれしかった !
(笑)
 『チャゲアスの追っかけ、ガンバレー!』
 なんていう、年賀状を寄こした者(次兄)までいて、それだけが慰
(なぐさ)めだったけれど…(笑)

 ともあれ…だから、
安倍元総には、心から感謝の思いで、いっぱいである !
 『本当にありがとうございましたぁ !  代表として(?)、心からお礼を申し上げます !』
 …と。 (笑) 
 後日、
ASKA誕生日にも"ドッキリ"のような形で参加して下さったそうな。もっとも、ASKAさんは、そういうのは超苦手のようで、超恐縮しておられたとか…が、会報に載っていた。

 もっとも…
安倍さんも、チャゲアスに対して、全く同じ思いだったのかも知れない…われらのCHAGE&ASKA
音楽に対する姿勢に対して自ら出向き・その肌で体感して下さったのだ

 ちなみに、このライブには、
徳永英明さん、岡本真夜さんも、出演されていた。

      

 そういえば…!?

 今、ふと思い出した事だけれど、
CHAGE&ASKA
 
『Save the children with C&A』 という、

 
「国境、思想、宗教など全てを超えて、世界の子供達を貧困、不衛生、病気から救う活動 なるものに加入・参加し、ファン・クラブを通して呼びかけ、これは
なり以前から続けられて行っているものである。     


 だから…

 時には、日本の未来のため・地球の未来のために、逸
(はや)る心を抑え、冷静に、客観的に、
 
「急がば 回れ」
 の精神で振り返る…
 広く言えば、
他国の事情・心情は無視自国の前進ばかりを急いでは必ず「悪循環」が生じる…なぜなら、(家庭と同じで) 初めから地球は、そういう仕組みでもって創造されているのだから…

 という事は言えないだろうか……。


                                                (2008年正月~3月・花冷えの頃) 

                                                    (このページの先頭へ)         


(その8) "人間"を感じさせた、ASKAの
       
SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008
            
"SCENE"


 

 2008年10月△日の
 
ASKA SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008 "SCENE"』
 の
東京・コンサートに、ついに私も…! というか、やっとというか、行く事ができた!

 今、こうして振り返ってみても、何だか嘘のよう…!

 こんな大台で…
より感動を求めて、一つ一つの枠を広げて行く自分に感謝しつつも、今回は東京・コンサートという事で、いつもよりは、何かと単純ではなかった…!

 したがって、
同伴者に決めた、東京在住の実兄とのコンサート当日までの、携帯と・Eメールによるやり取りも、半端ではなかっ た。


 こんな事を取り上げるのは、どうしたものかと思うけれど…5年、10年に一度、会うか会わないかの「実兄とのメールのやり取り」は…
 結果的に、私にとって、
ASKAコンサートの感動にも勝るとも劣らない(というと大袈裟だけれど)、と思うほどに良き思い出とな って、深く心に刻み込まれるものとなったので、ちょっと綴ってみたい。

 はじめに、私、Tから。
 送信者・私
 送信日時・2008年7月30日 19:54
 件名「はじめまして…というのもヘンですが…」

 「暑中お見舞い申し上げます。手紙と違って超簡潔でないといけないのですごく緊張します。それで今日のところは要点だけを。
 Y兄上 ! 『来る10月△日(〇) 日本武道館 ASKA シンフォニックコンサートツアー2008 開場17:30 開演18:30』に付き合って 頂けないでしょうか。大体3時間前後の公演になると思います。まだS姉には連絡していませんが、2ヶ月前、S姉からわざわざ電話をくれて、遊びに来いと言ってくれているので、夜はそちらの方のお世話になると思うので、Y兄上には何の心配もかけません(たぶん)。チケットは2枚購入済みです!  2~3時間の辛抱と思って考えておいて下さいませ。どうぞよろしく。今日は公休でこれから夜のスーパーに行って来ます」


 実兄、Yから。
 日時「7月30日 20:34
 件名「暑中御見舞い申し上げます」

 「毎日暑いけど、お元気そうで何よりです。
 T殿からメールとは、少し驚きました。
 さて、1○月△日は(〇)のようですが、今のところ全く予定は分りません。少なくとも9月に入らないと分りません。
 何れにしても逢ってお茶を飲みながら話ができるでしょうから、楽しみにしています。」

 私、Tから
 1・5ヶ月後の9月12日 20:07
 件名「やっと、1ヶ月を切りました!」

 「長くなりますが…この前は早ばやと失礼致しましたが、その後も心変わりせずにいて下さったと信じております!? それでその後、S姉と連絡を取り協議した結果、今度の場合は公演が終わるのが夜の9時を過ぎると思うし、それから慣れない電車で練馬へ向かうのは疲れるだけだから、今回はコンサートを中心に考え、武道館近くのホテルに予約を取りました。それで日時と時間的な事は次の通りです。
 行き
 10月△日(〇)
 JAL 1666便 出雲発 13時35分(羽田着14時55分)
 宿泊「Dホテル」(千代田区…… TEL 03… 武道館行きの人がよく利用するホテルでチェックインは12:00 私は16時チェックイン予定)

 帰り
 10月▽日(◆)
 JAL1667便 羽田発 14時10分(出雲着15時35分)

 それで、10月△日、羽田へ着いたらホテルに直行し、チェックインしておき、それから武道館へ向おうと思っています。だから兄上とは会場の方でお会いするという事になりますが…これなら兄上にもそれほど負担をかけないですむと思うけど、どうなるか…だから今回はお話できる時間はあまりないようですが、東京へは退職してからまたゆっくり行く事にして、とりあえず今回はそういう予定でおります。どうか、絶対なる朗報待ってます。時間的に当日たとえ会場に行くのに遅れるというご事情があったとしても、それでもかまいません、よろしくぅ!


 Y兄から
 9月13日 8:37
 件名 なし

 「お早うございます。Yです。メールの返事が遅くなりました。が、今日もこれから茨城まで行ってきます。
 今晩か明日にはメールを入れます、それまで待っていて下さい。

 Y兄から
 9月13日 16:38
 件名 なし

 「返事が大変遅くなりました。予定としては10月△日は休みですが、76才のじいさんとしては、ちょっとと言う思いもあります。
 子規顕彰 台東区全国俳句大会で初投句して入選しました。表彰式は、台東区民会館で10月19日なので、予定が重ならなくて良かったです。
 ライブに行く事となった場合の細かい計画は、日にちが近づいてからメールで…

 Y兄から
 9月14日 21:20
 件名 なし

 「今晩は。Yです。

 カーテンを 開けて飛び込む 今朝の秋

 先日友達と酒を飲んでいた時今回のライブの話をしたら、サザンオールスターズと一緒でチケットは手に入れにくい、と言って いました。ご一緒させて頂くとして待ち合い場所ですが、武道館は入口が多いからホテルに行こうと思いますが? 

 私、Tから
 9月15日 8:58
 件名「この度は、誠にありがとうございます!」

 「『俳句』までいただいてありがとうございました! 出勤はお昼前ですが、帰宅がいつも夜の10時前後になるため、お礼が遅れてしまいました!これでひとまず安心しました。今年はチャゲアスはソロ活動の年でチャゲちゃんとは別行動で、しかもアスカの方は演奏が国外(アジア3カ国)国内(5ヶ所)のおよそ70人編成のオーケストラをバックにしてのシンフォニック・コンサートと 言う事で、ご本人にも観客にも未体験のコンサートになるようです。国内、国外のその土地その土地のオーケストラをバックにするわけですから、リハーサルにしても大変な作業だと思われます。それから、アスカ音楽には年齢はありませんからご心配なく。それと…ホテルまで来ていただければこんな心強い事はありません!実のところ到着までに不安がいっぱいなので… 長くなってすみません! 次回から気をつけます(たぶん)!

 私、Tから
 半月余り後の10月4日 8:44
 件名「ホテル到着時間変更のお知らせ」 

 「今になって申し訳ありません! 羽田からリムジンバスでホテルへ行くつもりでおりますが、ホームページで検索した結果、本数がこんなに少ないとは思いませんでした!? ホテル側へもチェックイン変更の連絡を取ろうと思っていますが、結局、ホテル到着は17時過ぎになります(バス停~ホテルがどれくらいあるか)。ただ念のためモノレールの方も調べてみようと思いますが、こちらの方はちょっと自信がなくて…。それから、ASKAコンサートの資料?(というとおおげさですが)送ります。取り急ぎ連絡まで。

 Y兄から
 10月4日 9:31
 件名「なし」

 「お早うございます。
 早速ですが、メールの返事です。
 リムジンバスとか…聞いた事はあるけど、外国からの旅行者が利用する物と言うイメージです。普通は羽田からモノレールか ゆりかもめで新橋へ出て(半蔵門線・新橋から地下鉄)で半蔵門で降りるのが一番です。ホテルは半蔵門の駅から1分だそうです。新橋の駅からタクシーでもおそらくメーターは上がらないと思います。
 私は今日は月1回の句会の日で帰りが4時頃になりますが、帰ってから友達に聞いてみます。今はモノレールかゆりかもめの どちらか聞けばわかります。夜、詳しくメールで説明します。

 Y兄から
 10月4日 18:36
 件名「なし」

 「今晩は。
 △日の私の作成した予定を伝えます。
 貴女が羽田からモノレールで終点浜松町へ来るのを私が浜松町へ迎えに出ます。JRの山手線のホームへ降りないで、モノレールの改札を出た所で待っていて下さい。飛行機が羽田着14時55分だから、かなり前後にズレがあるとして、それなりの時間に行っています。なお、念のため携帯電話を持っていると思いますが、番号を知らせて下さい。

 Y兄から
 同 18:40

 追伸 羽田から都心へは、昔のままでモノレールだそうです。
       

 
私、Tから
 10月5日 8:46
 件名「なんとなく分ったような気がしてきました!」

 「兄上のメールを基本に調べた結果…まず、羽田第一ターミナル1Fロビー到着、地下1F「7番案内所」にて浜松町までのモノ レール乗車券を購入して乗車、浜松町駅5F到着、3Fモノレール降車出口を通って階段を下りて都営地下鉄線またはタクシー乗り場へ行く…という所までわかりました。あと、タクシーを利用してホテルまで行けるような気がしますが、どうでしょうか? ただホテル到着時間がなんとも…それから、携帯は持っていません! このEメール(電子メール)だけです。もしもの時には私の方から<090……>へ公衆電話を利用するという事で。なんだかあの10代のご迷惑をおかけした頃にタイムスリップしたよう な気分ですが、この際割り切っていく事に致します。取り急ぎご相談まで。


     (このあと、Y兄より固定電話あり。内容は省略)

 Y兄から
 10月5日 9:50
 件名「なし」

 「先ほどは どーも。
 Tちゃんからのメールの通りで良いです。決定するべき点は、浜松町からホテルまでタクシーにする事です。尚タクシーに乗る時運転手に必ず《領収書を頂けますか?》と聞いて、金を払った時……(以下略 ) 
 夕食の弁当を買って置くとか、東京のど真ん中で、そんな心配は要りません。

 
私、Tから
 10月5日 10:37
 件名「わかりました!」

 「なんだか、やっと落ち着いたような気がします。すべてはこれからですが、おっしゃるようにしようと思います。何分にもよろしくお願い申し上げまぁす。」

 私、Tから
 10月6日 20:14
 件名「もう一言 !」

 「今日は公休日で先ほど外出から帰ってきました。実は食事の件ですが、私の場合、普段は10時ごろ朝昼兼ねた1食と、夜8時過ぎ(時には9時前)職場で取る1食(あと同僚とお客に隠れながら取る3時のおやつ)だけですので、やはり松江の駅で「シジミ弁当」か何かを買っておいてホテルに帰ってから食べる事にしたいと思 います。だからその日が特別の事ではないしコンサートの時はいつもそんな感じですし、遠慮ではなくそういう神経は使いたくないので、すみませんが兄上の方もそんな感じで腹ごしらえの方よろしくお願い致します。時間があれば喫茶店には行きたいです。うちの血統はS姉も含めて喫茶店好きが多いようですね…という事で…ご了解であれば返事はいりません。

 
(実際には、「シジミ弁当」どころではなく、なんとか帰りに半蔵門下のコンビニで惣菜、ゲット)

 Y兄から
 10月7日 17:15
 件名「なし」

 「今晩は。
 今日は休みだったけど、何だかんだと用事があり今座ったところです。が、それも居酒屋! 友と待ち合わせです。
 私も 食事は1日2食です。外での食事はほとんどしません。
 △日ホテルへ16時に行きます。

  

 私、Tから  
 10月△日 11:26
 件名「これから、わが家を出発します!」

 「松江駅12時15分発の一畑バスで出雲空港まで…それでは、どうぞよろしくお願い致します。兄上も道中気をつけて。
 追伸 アスカが10/5の地元福岡公演で体調不良のため十分な公演が出来ず、 後日再公演するそうです。武道館は大丈夫 だからご心配なくご期待下さいとの事でした。つい先ほどキャッチしたばかりの情報ですが、ちょっと驚きました。みんなそれぞれ舞台裏では苦労しているんだなあ、私もがんばらなくちゃ、と思いました。それでは!」

 私、Tから
 10月◇日 18:41
 件名「16時過ぎ、松江駅に帰ってきました。」

 「昨日に打って変り、少し雨が降っていたので駅内をブラブラし、今(18時前)我家に到着…始まりから終りまで予想以上に順調で、今、ここでこうしている事がなんだか嘘のよう…兄上の俳句への思い、ASKAへの感想、また東京の事を思い出しながら、何より、76歳にしてその感性! ホテルで…機内で…いろいろ思い出しながら、紙切れの端っこにメモってみました。本当に、感無量で最高でした!

 Y兄から
 10月◇日 21:09
 件名「なし」

 「この度は、素晴らしい感動を頂き、有り難うございました。無事お帰りのこと、ほっとしました。
 
 ASKAの声質と声量にはすっかり虜になりました。せっかくの生のコンサートだから、スクリーンステージの全身の動きを見ていましたが、とても素晴らしかったです。もし曲名と歌詞が同時に解った場合、どうだったろう と考えてもみました。
 久しぶりに何か大きなものが終わって、サア仕事に戻る…と言う気分を感じました。例えば正月が終わったような…
 次は19日の俳句入選の表彰式が楽しみですが、兎に角 奢ることの無いように 緩い坂を登って行きましょう。
 素晴らしい感動を 有り難うございました。
 身体には 充分気をつけて。


 私、Tから
 ひと月足らず後の11月2日 9:37
 件名「お礼が遅くなってしまいました。」

 「月日がどんどん過ぎて行き、折り返しすぐにと思っていたのがひと月近くも経ってしまいました。ほんとにスミマセン! それで早速ですが、島根の産物その他を2つ、3つペリカン便で「3日・18~20時到着指定」という事で送らせていただきました。好みに合わなかったらゴメンナサイ。19日はいかがでしたやら…それと、チャゲアスは来年もソロ活動の予定のようで、私、今度はNHKホールに挑戦するかも! 一度は行ってみたい所なので、もう一度ご足労願うかも!(一度、スタジオ見学に行った事はあるけれど) 
 今回の反省点は、航空便の出発時刻をあまりにもぎりぎりに取り過ぎていた事だと思うし、すべての原因はここにあったような気がしますので、次回は気をつけるという事で…それに渋谷方面は多分、大丈夫、何度か体験があるので。 ま、この事はまた後日にします。」


 Y兄から
 11月2日 13:07
 件名 「なし」

 「元気そうで何よりです。私もまあまあです。
 入選発表は 静かで重々しいものでした。2句入っていました。

 薫風や 母のにほいを 呼びもどす

 と言うのが入っていました。母の句を詠んだのは、「母の里」 のとで2つだけです。月1回の句会はきのうでした。変わった句ですが、

 逝くときは 月明の夜を 選びたし

 です。お土産を送ったとのこと、私は老人で一人暮らしだから、何んにも気を使わないこと、気持ちが一番有難いです。

 NHKの公開番組の件、貴女も持っているかも知れないが、私はお客様番号カードを持っています。使ったことはないけど、利用出来ます。」

                               

CHAGE CHAGE

 コンサートは終了した。

 そして、日本武道館を後にしながら…同伴者の実兄が、独り言のようにつぶやいた。
 
『いやー、ASKAには…人間を感じたよ…』
 と。
 何回かの公演を見慣れている私には、この感想はとても新鮮で、新しい発見だった

 実兄にとっても、これまでの、
ASKAに抱いていたイメージとは違ったものがあったようだ。
 『
ホント !? うわぁー、嬉しい
 と、帰り道の途上で、思わず叫んでしまった。

 
ASKA
の体調不良は、まだ少し残っていたようで、公演の最中にも兄は、
 「大丈夫かなあ…」
 と、会場のざわめきを心配そうに眺めていたが、公演終了後には不思議とそれらのハプニングには触れず…というより、それらを分離してではなく、すべてを含めた中での印象を語ってくれた。
 私も…兄と別れた後…ホテルに帰り、色んなシーンを思い出しながら…未体験のシンフォニック・コンサートであるにもかかわらず、
 「あの歌はどうだった…この場面はどうだった…」
 ではなく、舞台の、また客席の全体像を思い浮かべながら、兄のこの言葉に納得し、
 「何があろうと、何が起きようと…
ファンは、すべてを理解してくれている」
 という、
ASKAの…30年にも及ぶ長いアーティストとしての人生から得た自信と、ファンに対する、信頼の情を見たような気がした。


 そして…

 CHAGEちゃん広い愛情に包まれながら展開される、『チャゲアス色』を交えた、ASKAソロ・コンサート…また逆の、CHAGEソロ・コンサート
 何の違和感も与える事なく繰り広げられる、いつもの・それぞれの
、ソロ・コンサート
 
ファンとしては、この事が何にも増して、一番嬉しい
 改めて、
CHAGEちゃん感謝そして、ASKA感謝


 そして私は…あのチャゲアスなのに、彼らには、なぜかいつも…『カリスマ性』…のようなものを、これまで一度も感じた事がないけれど、それは何故なんだ…と思ってきた。
 だけど…この兄の一言で、その謎が解けた
ような気がした。
 こんなところにも、彼らのあの…それぞれの
個性から醸(かも)し出される、「意外性」が働いていたんだ…!
                       

 世界には、さまざまな音楽が存在するけれど… 
 世界
に共通する音楽は、恐らく、クラシックしかないだろう(…と言われるけれど…よくは分からない)。
 私など、クラシック音楽で知っている曲なんて、ただの一曲もないし、せいぜい、その中のほんの一部分を抜粋して作られた、学校時代の唱歌ぐらいのもの。

 
小泉元総理が、『音楽遍歴』(日経プレミアシリーズ刊) という本を出版され、早速、読んでみた。
 音楽遍歴というタイトルにふさわしく、クラシックを中心として、オペラ、洋楽、邦楽、ロック、ポピュラー、演歌などなど…さまざまなジャンルに親しみ、挑戦し(あまりの膨大さに驚きを覚える!)、また、楽器(ヴァイオリンなど)に対する魅力などについても詳細に語っておられ、ともかく、クラシックにとどまらない、想像以上の音楽愛好家だった。(ちなみにこの本は、本文はともかく、目次が大変、楽しく綴られている)
 そして、クラシックはやはり、予備知識のようなものがなければその魅力は分からないだろうと思う、と語っておられる。
 確かに私には、このクラシックの部分に関しては、それらに対する予備知識などないし、それに没頭できる感覚というか、感性はないのかもしれない。
 にも拘わらず…私は以前から、
ASKA音楽の中に、クラシカルというか、シンフォニックなものを感じてきた。
 
小泉さんのように、完全に没頭は出来ないけれど、クラシック性を織り交ぜながら奏でられる、ASKA音楽は理解できるし、たまらない魅力を感じ、強く惹かれるものがある。
 また、
ASKAにしても…恐らく、意識的にそれは作成されたものではないと思うけれど、気付いてみれば、仕上がったものの中に、

 『
クラシカルなものが流れている…』

 という感じ・感覚ではないだろうか。

 

 今回のASKAコンサートに、音楽監督・指揮者として登場された、藤原いくろう氏も、以前から、ASKA音楽の中にそれらが感 じられたからこそ、このコンサートが実現したと思うけれど?…藤原氏は、ファンクラブの会報(2008年11月号)の中で、
 『もともと、
ASKAさんの曲がもっている潜在能力が、オーケストラ・アレンジによって無限のエネルギーを出す。だからこそ、ダイナミックなアレンジが可能だったんです。』
 と、語っておられる。

 しかし…だけど…

 私の思いは…さらに、さらに広がって行く…!
 
 思えば…
ASKA音楽の原点は、
 
坂本九ちゃん』であり、 加山雄三さん』であり、 井上陽水さん』だ。デビュー当時には、「演歌フォーク」と呼ばれていたそうだ。だから、この関係を、この情況を…いろいろな方向に、さまざまに広がって行く、このASKA音楽の世界を…どうまとめ、どう語ればよいのか…ASKAの立っている地点は、いったい、どこなんだ…!?』
 という、
嬉しい疑問


 私たちは、クラシックとか、シンフォニックとかいうと、一瞬、構えてしまい、
 「私には関係のない、無縁の世界」
 と思ってしまう。 何か、一種の「格差社会」にあるような…「別世界」のものを正直、感じてしまう。

 そういえば、ある日のY新聞の…あるピアニストが載せておられた、コラムからの記事に、こういうのがあった…

 
「…ただし、勉強のしすぎには弊害もあります。クラシックは難しいものと思い込むと、自分自身の感性より専門家の評価を優先するようになってしまうのです。以前、私のコンサートが終わった後に楽屋を訪ねてくれた人から、『このコンサートの批評が出たら送ってほしい』と頼まれた事があります。評論家の判断を待たないと、自分が聴いた演奏の良し悪しに自信がもてない…音楽には唯一の正解なんかないのに、と悲しくなりました。」 

  

 クラシック音楽は…同じ楽曲を繰り返し、繰り返し聴いていても、決して飽きる事はないという… 
 
ASKA音楽にも、そんな要素はみられ、そしてそういう曲は、過去にも・現在にも、いっぱい存在するし、絶える事なく生まれ続けて行っている。  

 小泉内閣の『聖域なき構造改革』 ではないけれど、「格差社会」を吹っ飛ばすような…」、
 
人間味あふれる、シンフォニックな世界を展開する、このASKA音楽の行方は、行末は…!?

 
『歌』という字を分解してみると…<不><可><欠>…という文字が浮かんでくる。僕たちの使命は、この『音楽』を通して、その大切なものを"伝えること"

 …という、
愛のメッセージで、ASKAは、このコンサートを締めくくった。

   

 今年もいろんな事があったけれど…すべては、ASKA詞の中に…曲の中に引き込まれ…誘われ…勇気付けらていく

                                              (2008年の 師走)  


   「 逝くときは 月明の夜を 選びたし 」 Y兄. 10ヶ月の入院生活を経て、まさに・2013315日・夜、80年の生涯を閉じる。 
 
   私も一句。 「 さんざしが 好きだといった 次兄
(あに)偲ぶ 」


                                         (このページの先頭へ)     


(その9)  再びの
        『チャゲアス解散説』
             の中で しみじみ思うこと  

                     
                                       

  十数年前、私は、『TUG OF C&A』 という、CHAGE & ASKA のファンクラブに入会した。

  そして、ちょうどその頃、
 
『あなたが選ぶ C&A 曲 NO.1は ?』 
 という、
ファンクラブからのアンケート調査を受け取った。そしてそれに私は、次のように答えた。 

TUG OF C&A へ  

                                                         (以下、原文のまま) 
 チャゲアスファンにはとても酷な質問だと思うけど迷わず割切ってやっぱりHEARTを選びたい。クラシックとロックの組合せを思わせるこの曲には何度聴いても飽きない魅力がある。特にASKAが色んな曲の中で発するあのうめきの様な奇声の様なマンボでもないフラメンコでもないヨーデルでもない (専門用語がわからないよーッ)etc…は、国際的に見ても右に出るものはいない! と確信しているけどその??声の素晴らしさを知ったのもこの曲だった気がする…。
 
HEARTを選んで勿論後悔はしないけど他にも1位にしたい曲は相当ある。と言うより順位なんかどうでもいい。華麗な曲(no no darlin etc ) 粋な曲(GUYS HANG UP THE PHONE etc ) 野暮で粋な曲 ( etc) モダンな曲 (野いちごがゆれるように etc) カッコいい曲(BROTHER etc )永遠なるC&A曲(めぐり逢い SAY YES モーニングムーン can do now  僕はこの瞳で嘘をつく YAH YAH YAH  SAILOR MAN  WALK 恋人はワイン色  On Your Mark etc ) ちなみに私の TUG OF C&A 入会決意の曲は(ラプソディー)だった。他にも(In My Circle  NO PAIN NO GAIN  I´m busy 風の住む町 君が家に帰った時に etc )と限りがない…。以前の曲ばかりになったけど勿論最近のC&A曲も彼等に遅れをとらないようじっくりと暇をみては視聴していき新しい魅力を探っていく積り。かしこ (註…ちなみに、この時のトップ曲には『PRIDE』が選ばれた。)  

                 TUG OF C&A へ  

 当時はワープロだったけれど…アンケートの内容は、「あなたが選ぶNO.1」 の1曲だけでいいのに、アルファベットの大文字・小文字の一字一句に気を付けながら、こんなにたくさんの曲を一生懸命打ち込んでいった私…
 こんな大台で、と思いながら…しかしそれよりも、このときめきを早く伝えたいという事の方が先で、そんな思いをかき消しながら、一生懸命、打ち込んでいった私…

 そして今、ここに、こうしてそれを再現しながら…これらの曲に対する思いは、
 
『全く、当時のまんまだなあ …!
 と感じている、私…

 
今、改めて、私の中にある『チャゲアスの存在の大きさ』を思った。


 そしてこの中に、野暮で粋な曲( etc)」というのがあるけれど…
 この
「野暮」というのは、単純な意味をなさなくて…
 当時、ある女優さんの、ある番組で語っておられる時の言葉をヒントにしたもので…それを早速、私なりの解釈で引用させてもらったものだった。きっと、その
メロディーリズムの中に、何か感ずるものがあったのだろう。
 もっともこれは、今にして思うと(私の主観になるけれど)…どんな素晴らしい、スゴイ曲であっても、
チャゲアス曲全般に流れる、時たまチラつくものであるのかも知れない…人間味というか…可愛らしさというか…大げさに言えば、「庶民」と「エリート」の違いのような…? (微笑)

 その女優さん(故・沢村貞子さん)は、生粋の江戸っ子だったけれど…

 「『粋な…洗練された…』というのは確かにステキだけれど、それだけでは、なかなか人は振り向かない。人間、やっぱり『粋』なだけでなく、『野暮』な面も持ち合わせている方が得、その方が人々も共感してくれる。だから私は、『ヤボ・イキ』が一番理想ではないかと思う。」

 
といったような事を語られ、印象深い言葉として、心に残っている(確か、あのお馴染みの『徹子の部屋』の番組の中で語っておられたような気がする)。

                                          

        

 そして…確か、その直後だった。私はもう一度、この『TUG OF C&A』に宛てて、ワープロを打ち込まなければならない出来事に遭遇した。

 それは、実は今にして思うと…私にとっての最初の
チャゲアス解散説』 についてのものだった。そして私は頑張って、もう一度、ワープロに向かった…! 

        TUG OF C&A へTUG OF C&A へ     

                                        (これも、原文のまま)

 10/14放送のザ・ワイド『チャゲアス解散説』 を見てびっくり仰天、一瞬、心臓が止まったと思った。しばらくボーッとしていたが、すぐに冷静さを取り戻し、筆を取った次第。
 ファン歴1年余の私には寝耳に水で、でも一生懸命に心を静めてもう一度TUG OF C&A/10を読み返してみた。
 なるほど随所にそれらしい内容が窺われ、動揺しているからさすがに初めは『やっぱり、そうかもしれないな』 とも思った。最初にこの会報を読んだ時には全く感じなかったのに、同じ文章でもこうも違って受け止められるとは ! これは一体どこから来るんだろうと考えたが…。思うにチャゲアスを始めスタッフの皆さんの思慮深い言葉遣いにあったんだと…!

 しかし、更に冷静に読み込んでいくと…

 『チャゲアス解散』 という言葉はふさわしくないと思う。いや、完全に間違っている。それは『MY. MR. LONELY. HEART』 の項の渡辺プロデューサーの文章にもはっきりと述べられているのを見てもわかる。もっとも細かい事情を知らない、一般の人達やマスコミ陣にはそう受け止められるのはやむを得ないとしても。だから、ともかく見掛けはどうでもいいと思う。世間に何と言われようと思われようと心配することはないんだ。チャゲアスの実家は『TUG OF C&A』 しかないんだから !  家族というものは必ず成長し羽ばたきたいと思うもの。家族を離れて独りでいたいと思う時だってあるんだ。渡辺プロデューサーもおっしゃるように、アーティストとしての二人が本当にやりたいことをやりたいようにやることなんだ。それを取ったら早かれ遅かれ
(? 註…原文のまま) 行き詰まってしまうと思う。 そう考えていくと、これからのチャゲアス始めスタッフの皆さんのご苦労はともかく、我々FC会員にとってはこれまでもこれからも別段なんの変わりもないと言う事。今はマルチとかオールマイティーと呼ばれる時代だし、いろんな形でいろんなチャゲアスを味わいたいと思う ! あとは『明日を思い患(註…本当は「煩う」が正しい?)てはいけない』という聖なる言葉に尽きるのではないだろうか。
 今、玉虫色のASKAさん、からし色のCHAGEさん
(註…CHAGEさんが自分でそう言っていた)
、これからも変わる事なく期待しています、がんばって下さいね !      かしこ                                                                                                                                

 今、読み返してみても…ファンクラブに入会して間もないというのに、あたり構わず、
 「よくもまあ、こんなに深く入り込んだ文章が綴れたものだ…!?」
  と、他人事みたいに自分を思い返し、感心しながらも…

 しかし、当時のこの時の感触というか、私の思いというか…これは、昨日の事のように覚えていて…今、こうして再び同じ情況に置かれ、再び同じ思いに浸りながら

 『今のこの思いを、早く伝えたい
!
 と、今度はパソコンに向かって、一つ一つの楽曲名を当時と同じ思いでかみ締めながら、こうして綴っている私…
 『この気持も、当時のまんまだなあ…』
 と思いながら…そして改めて、

 昔と変わりない、チャゲアスの凄さを実感した。


 それと、もう一つ…実は私は、十数年前のファンクラブに入会した時、一通のファンレターをTUG OF C&A 宛てに送っていたのだが…
 そして、
ASKAが今度のこの『解散騒ぎ』『C&A活動休止決定に寄せて作ったという《 L&R 》その楽曲の中の、ある一節を見て…私の送った、そのファンレターの中の一節を思い出し、とても驚き…我ながら、深く感動してしまった…(自己陶酔・妄想)
 (というか…もっとも、チャゲアス・ファンであれば、誰でも気づく事ではあるけれど、その一瞬は、思わずそう思ってしまった
!)

 その楽曲の中の一節というのは…!?

     
素直に混ざらなかった "LとR" で守った

     何のために守った…

     守らなきゃ混ざり合う


 というところ…十数年前、私は、そのファンレターに、次のような便りを綴って送った…

 『……思うにこのパワーの源は、CHAGEASKAという、対照的な二人の組合せからきているのではないだろうか。対照的だから、なれ合いだとかマンネリといったものは生じないと思う し、またきっと、無意識のうちにお互いをあこがれ合う(尊重し合う)気持が強く、それらがその表現を、平面的でなく立体的なものにしているような気がするのだ。シバタ少年とミヤザキ少年の出逢いが、今、私たちファンをこんなにも幸せにしてくれている。
 CHAGEさんのあの、柔軟性と包容力のある美声…アド・リブ…ユーモア。ASKAさんの、誠実で個性豊かなハスキー・ボイス。他では絶対に出せない、あのチャゲアス・モード 。 デュオとソロの違いを、改めて教えてくれる…絶対、CHAGEさんしかいない ! 最高の相棒 ! これからも長く続いて行ってほしい、たとえお互いのプライベートに何か変化が起きようと、起きまいと。』
 

 …と。

  ただ、少し違うと思うのは…
ASKAは『意識的にそれを守った』のであり、私は、二人のそんな姿を『自然の内に醸(かも)し出されるもの』と捉えていたというところ…しかしこれはもう、送り手と受け手という、プロとアマの違いから生ずるものであり、違う、という事には当てはまらないだろうと思っている。  

  

 私は、こんなチャゲアスに出逢えて、

 
『ほんとに良かった…』

 
と、しみじみ思う。


 そして、この…『たくさんの永遠のC&A曲』 を聴きながら、私にとって、今度のこの 『チャゲアス解散報道』 は、逆に、
 『
チャゲアスを 再確認する』 
 という、そんな結果になったような気がしている


  CHAGE ヨーイ、ドン    

 思えば、『解散説』というのは、昔も今も、この世界には付きもののようで…これまでにもいっぱい、いっぱい見て来たし、聞いて来た。そして、人生山あり谷ありだけれど…
 
チャゲアス の時には、何故かいつも、ロマンがつきまとう。これは決して、私のひいき目からくるものではないと思うけれど…?
 ふたりが、そうさせるのだろう。


 ヨーイ、ドン  

 ただ…《L & R 》という…?

 
LOVE は…新しい家族に向かって ? 

 そして
ROLL は…さらに・さらに回転し、展開して行くという …? 

 
嬉しいはずなのに…この寂しさは・切なさは、何だろう !?

  

 CHAGEさん今、ギターにハマッているという。
 
今年の数々の『CHAGE・ツアー企画』の中の一つ、日本各地をギター片手に訪ね歩くという、
 
『CHAGE の 細道 2009』 

 の中で、
吉川忠英さんという、ベテラン・ギタリストのギターに魅せられ、
 
忠英さんローディーになって、修行したい !
 と思うほどで、
楽しくて仕様がない、といった感じだ。

 
『ローディー』とは、ロック・グループなどに付いて楽器や道具を運搬する人」 という意味。
私たちから見れば、結成30年のベテラン・アーティストが !?  と思うけれど、この楽器にはそれくらい、何か奥深い魅力があるのだろう。
 
それにしても…CHAGEさん本当にギターの好きな人…!

 
(私にも、亡き・末兄の影響で、ギターへの思い出がいっぱいある。ちなみに私は楽器の中では、実は 『大太鼓』 小太鼓 が好き。高橋竹山の『津軽三味線』も好き。『琴』(筝)も好き。津軽三味線と琴の場合、スキルというより、一音一音に力がこもっている方が好き。そういえば、南米のフォルクローレに用いられる『ケーナ』 とか、韓国・中国の楽器・音楽にも惹かれるものがある。)

   

 彼らはデュオ(デュエット)だけれど、それぞれがれっきとした・自立した 『シンガー・ソングライター』だから…ヴォーカルはもちろん、『演奏』 に注(つ)ぎ込むエネルギーは、半端ではない
 いつか、仲間やフリーのミュージシャンが言っていた…

 楽曲作りのために、
チャゲアスの要求してくるものは非常に高度であり、発想が飛躍していて、それをどうまとめるのか戸惑う事が多く、
 
『あぁー、大変 !  苦しい…もたない…!
 と思う事がよくある、と。
彼らミュージシャンプロだから、正直なところ、場合によっては、
 『 (ここはちょっと、ゴマカシテ…) 』

 なんて事も出来るけれど、
チャゲアスにはそれは通用しないという。
 『Kちゃん、ごめんネ…そこのところは…ちょっと、こういう風に…』
 と言いながら、絶対に妥協はしてくれない、と。だから彼らも、そこを
ナントカ、カントカ、ガンバッテこなして行くと、確かに乗り越えただけはあるものに仕上がっていて、なんとも言えない充実感があるという。

 ちなみに…当時、最高の音づくりを目指す
彼らの舞台セットは、英国の世界的有名企業から取り入れ、そのチーフ・エンジニアによって組み立てられた、当時のお金にして、1億円はすると言われるものだった。発注から1年…海を越え、約12m長さのコンテナー5台分によって運び込まれた部品! 舞台の組立てに、5~6週間をかける、といったような。

 チャゲアスの楽曲は、しょっちゅう口ずさんでいるのに、なかなか一人立ちしては歌えない。 歳のせいだけじないと思う…エンディングまで行くのに、かなりの山坂を越えなければならない。

 例えば…
はるかな国から"という曲があって…

 私には、この曲は…ちょっと間を置くとすぐに歌えなくなってしまう…というより大体、まともに歌えた事がほとんどない。一人で歌おうものなら、絶対だめだ
!
 例えば、この中に何回か出てくる 『♪はる~かな~国~から~  はる~かな~国~から~ ♪ 』 という箇所

 
この歌詞の「歌い出し」のこの部分が、ASKA と一緒に進めない…本当に何故なんだ、と思うけれど…「何故、ここだけは半拍置いて… じゃないんだ ? いや、置いてあるのかな ?」といったような。とてもリズミカルだし、ASKA曲の中では比較的歌い易い感じに思える、私の大好きなこの曲…
 スタートは順調だけれど…中盤から終盤にさしかかり…その箇所が近づいたなと思うと、段々と気になり出して…いざ、その箇所に来ると…やっぱり、今日もダメだった…
ASKA は、どんどん行ってしまう…この箇所を上手く歌おうと思えば、前の部分を歌うのをやめて、ハミングか何かでもってじっと構えて待っていなければ…! といったような。そんな感じでいつも乗り過ごしてしまう。この曲に出逢ってもう十数年経つというのに、未だ上手く歌えない。

 あの自由奔放さ加減には、そう簡単には乗れそうもない
!

 この曲に限らない…相当な練習をしないと簡単には歌えない。「演奏に乗っかって、ヴォーカルが発せられる」のではなく、「ヴォーカルに演奏が引きずり回されている」 といったような ?! 
 思えば、こういうところが…平面的でない、マンネリ化しない、飽きない魅力の原因の一つなのかも知れない。
 詞も素晴らしい
これにしても凄い、というか…(多彩な比喩を用いたりして)未だASKA にしか解らないと思わせる楽曲がいっぱい、いっぱい存在するけれど…
 「カッコイイ言葉を並べ立てて」というのとは、どこか違う…人の心理をよく掴んだ、本音で語られるところが心に染みて、とても高度に感じられる。
 特に、
ASKAの場合、国語とか文法などにはこだわらないという点、この型破りな発想も飽きない魅力の一つだろう。

    

 実は、今になって気付いた事だけれど。前の項でも取り上げた事のある、この楽曲の中に…前奏の部分で…何かの「楽器」だと思い込んでいたのが(ヴァイオリンか何かだと)…ナント! よくよく聴いてみると…? 
 『もしかして…? これは、ASKAの声 !?』
 というのがあった…!? 中盤以降にもう一箇所、同じ旋律の部分があるので気付いた事だった…! でも未だそうであると、100%確信が持てたわけではない、この箇所…アジアでも、とても高い評価を得ていると聞いている、この楽曲…何度も聴き直しをしては確かめているけれど…ほんの一瞬(1、2秒)だけれど、とても印象的で素晴らしい旋律の、この部分…改めて聞き直しているところである。

 

  ASKA CONCERT TOUR 2009…』 に、ASKAは WALK と名付けた。

 いつかCHAGEさんが語っていた…
 『僕はC&A曲の中では WALK が一番好きだなあ…』
 と。真相
(名付けた理由)ASKA のみぞ知るで、どの資料をみても、イマイチ不明だし、まして、この楽曲が出来た時のエピソードなんて知る由もないけれど…
 でも私は、初めてこのタイトルを知った時、
CHAGEさんのこの言葉を思い出した。
 理由は一つではないのかも知れない…とても広い意味を持つ言葉だ。
 でも、それも選んだ理由の一つである事には間違いないと、私は
そう踏んでいる。

 そして…緩(ゆる)い坂をゆっくりと登って行くという……(あっ、これはいつか、私の次兄がくれた言葉だった。<失礼><笑>) 

 ところで、コンサートライブでの『アンコール』 というのには(今更、説明する事でもないけれど)、公演が終っても、受け手の方に名残りが尽きなくて、
 『もう一度舞台に登場してください!
 という意味合いを持つもので、それを察した送り手が、もう一度、舞台に登場するわけで…送り手にとっては「おまけ」 というより、結構、エネルギーを要する場面ではないか、と想像するけれど…
 今回のような、和気あいあいとしたムードの中では、気のせいか、送り手の方にも、どこか意気込みのようなものが感じられ、
それどころかナント!
 
『すみません! もう一曲、歌わせてください!
 と、
ASKAさんの方から申し出があった時には、
これはもう、なんというか、『前代未聞 !』 というか、『抱腹絶倒』 というか…一瞬『舞台』『客席』 逆さまになったような、そんなサッカクを覚えてしまった…! 
 他にもそんな場面は幾つかあって…可笑しくて、可笑しくて、一瞬、転げそうになった…!

 で、それは・それで良いとして…
 なんというか…そんな訳で今回は…
アンコールの場面の印象があまりにも強すぎて
 正直な話…あとで、肝心の「本番の舞台」を思い起こすのに…相当の時間がかかってしまった… 
(失礼!)
 
もちろん、今回は「あの騒ぎのあと」という事もあってか、本番の中には、涙の場面も、私には幾つかあった。    

めぐり逢い …めぐり逢い …

 お二人は、同級生少しご高齢になられた今、ファンとしては、今後が気になるところだけれど…さらに・さらに、前進して行ってほしい…! 

 でもそれよりも…
立ち止まりあふれんばかりの、命よりも大切な数々の名曲を、常に整理・整頓しながら・素敵にアレンジしたりして、復元してほしい
 例えば、ライブやコンサートで全身全霊を込めて披露された物凄い楽曲が、当然、新曲だと思って聴いていたのに、かなり経ったある日の事、それが、若かりし頃に作られた、旧曲だったりした事もある。
 また逆に
、復元によっては…改めて原曲の素晴らしさに気づく…という事もあるのかも知れない。でも、それもまた人生。 
(笑)

 
時には「他人の曲」も、ジャンルを問わず聴いてみたい…!

 思いつくままに…百万本のバラ"…アダモの曲も聴いてみたい"サン・トワ・マミー""雪が降る"ブルージーンと皮ジャンパー"
 ちなみに私は、エルビス・プレスリーの熱狂的ファンだった。今にして思えば…あのゴスペルなムードに惹かれたのかも知れない。パット・ブーンも好きだった。

 
古い歌だけれど、聴くたびにジンとくる、普遍の名曲"有楽町で逢いましょう"

 デビュー当時というか、まだアマだった頃、面白いエピソードも含め、お二人を結び付けるきっかけの一つになった、財津和夫さん率いる・チューリップ"サボテンの花"
(註…CHAGE『月が言い訳をしてる』幻冬舎文庫刊より ちなみに、この本は、CHAGEさん独特の語り口で、楽しく・可笑しく、一つの家族のようなさわやかな感覚と文体で綴られている)。

 何より、
チャゲアスという、シンガー・ソングライターのきっかけを生んだ
坂本九ちゃん、加山雄三さん、井上陽水さんの歌も、改めてそれぞれのモードで聴いてみたい! 

 谷村新司さん
の名曲"昴" いつか『音楽は遺言』と仰っていたけれど、名曲を生み続ける秘訣はこんなところにあるのかも知れない。
 また、平尾(昌晃)音楽にも、好きな名曲がいっぱいある。

 ういえば!?…
CHAGE
ソロで、ASKAソロ曲を聴いてみたい気もする! もちろん、その逆も! どんな場面が展開するのやら、ちょっとだけ、スリル? も含めて
(微笑) 
 またさらに、本音を言えば…「あぁー、あの曲が、チャゲアスの曲であればよかったのに!」 と思う楽曲もある…たとえ他人の曲でも、何かの形で、CHAGE曲
ASKAに仕立て上げる方法はあるのかも知れない、諦めないでおこう!
 

 それと…逆に、例えば
SMAP
の歌声で"HEART"とか"めぐり逢い""YAH YAH YAH" のような名曲を聴いてみたい気もする…演出によっては、意外と彼らのイメージに合うのかも !? もちろん、SMAPに限らない…タッキー&翼も良いかも? もいい!

 そういえば恋人はワイン色が輝き始めた頃、NHKテレビのある番組で、五木ひろしさん前川清さんが、デュオで歌って下さった時の事は忘れられない。

 飽きを感じないのは、CHAGEASKAという絶妙のコンビから流れる、あの歌声(ハーモニー)はもちろんだけれど…演奏も含めた、シンフォニックな中に流れる、ビートの効いた、また"和の心(アジアの心)"を交えた、あの独創性溢れるグローバルな仕上がりのせいなのだろうか? 
 
ジャズクラシックも苦手なこの私が、C&A曲に惹かれるのは…また、流行歌と呼ばれながら、日本の演歌が廃(すた)れないのは…やはり、この"和の心(アジアの心)"から来るものなのだろうか。
 
アジア諸国でも根強い人気を保つ、これらの名曲を埋もれさす事なく、何かの形で生かしてほしい
 "モーニングムーン""You are free"
"no no darlin""On Your Mark""僕はこの瞳で嘘をつく" 
まだまだいっぱい、"クルミを割れた日""砂時計のくびれた場所"のような、そんなモードの曲もある。

                                

 話がちょっとだけ外れるけれど…

 先日、VTRの整理をしている中で、お二人の故郷(九州地方)の名作
『次郎物語』(昭和62年・東宝映画)の録画テープをみつけた。この映画の中で歌われる"男は大きな河になれ"(さだまさしさん. スメタナの『我が祖国』より)…加藤剛さん始め・キャストの素晴らしさ…好きな九州弁…下村湖人という、原作者…森川時久という、映画監督…堤清二(辻井喬)さんも、製作委員会として加わっておられる…現代の日本社会にこそ最も必要とされるものを兼ね備えた、いつまでも残しておきたい秀逸品…視るたび感動! 

     

 そういえば…先日、CHAGEさん出演のラジオ番組を聴いていたら…ナント、C&Aのカバー曲が流れてきた! チャゲアスでのこういうのを本気で聴いたのは初めて! 海外(アジア)からのものだった。

 何分にも身内?の曲だから…ヘェー!? スゴイ!  
チャゲアスと言えど、やっぱりこういうのがあったんだと、ちょっと緊張しながら聴いていた…2曲を歌い慣れた大人の感覚で・自分の曲にして、とても上手く歌いこなしておられた…カバー曲もオリジナル曲同様、半端には扱えないなぁと、ちょっとだけ反省の思いも込めて聴いていた。

 というよりも…やっぱり、
アジアチャゲアス! 彼らだからこそ、こんなステキなカバー曲が生まれたのだ。 カバー曲というのは、その歌い手が数々の中から"選んでくれた楽曲"なのだから。

 
同時に…こうして、チャゲアス曲を客観的?に聴きながら…
 
私にはやっぱり、あのグローバルで…そして、パワーみなぎる独特のサウンド、旋律…一音・一音を大切に…心を込めて…きめ細かな隙(すき)のない構成…どれを見ても、ごく日常を歌っているのに…出来上がってみれば…何かどこか違う…全くの別世界にでも誘い込むかのような…誰にも真似る事の出来ない、チャゲアス曲の凄さ。オリジナル曲の凄さ。そんなチャゲアス・モードを、逆に再確認というか、再認識するという…そんな事を感じさせた、チャゲアスのカバー曲だった。
 


       

 改めてそれぞれの旅は始まった。対照的なお二人だけれど、行く先々で、どんなハプニングやエピソードが待ち受けている事やら、楽しみのような、心配のような。 

 そんな中で…私たち、
C&Aファンの旅も始まった。

                           (2009年 夏の終わり~2010年) 
 

 

 C&Aそれぞれのコンサート・ツアーCHAGEさんの全国ツアー…ASKA上海公演(来年のマカオ公演)…晴れ男のお二人とはいえ、この時期であればそうもいかない…ちょっぴりだけど、気になるところ。何事もなく無事、スタート出来ますようにと、祈らずにはいられない。
                                  
                                                 
 (2010年12月…)

    

 明けましておめでとうございます。上海公演も無事終了したし、心から安堵 ! 重ねてお祝い申し上げます。
 
CHAGEさん、くれぐれも道中には気をつけて !! ASKAさん、『君の知らない君の歌』 今年もたくさん、聴かせて下さいね !! 

 でも、それよりも何よりも、お体にはくれぐれも気をつけて……
!!                                   
                                                 
 (2011年 1月~ )      
                                                                 

チャゲアス音楽の秘密

 私が、チャゲアス曲を飽きない理由は何だろうと…楽曲に聴き入りながら、改めて考えてみた。

 元々、絶妙なデュオであり、もうそれだけで…と言いたいところだけれど、しかしこれは、私の主観であって、誰にも通用するものではない事は判っているので…だから冷静に、極力・客観的に分析してみた。何分にも専門用語が解らなくて、ちょっと回りくどい表現になってしまうだろうけれど。

 まず第一に取り上げたいのは…なんといっても曲の仕上がりが、単にメロディーに流れない、というところにあるのではないか、と。一言で言えば、
声楽器楽が一緒になって、同時進行しているような…
 だから仕上がりのジャンルも、
シンフォニックであったり・ポピュラーであったりするけれど、一貫して言える事、それは…

 例えば
ク ラシック器楽だから、その演奏の一音・一音がカギを握るわけだが…それに更に、ヴォーカルを加えたのがチャゲアス音楽、と言ったら大げさだろうか? この事がまず、チャゲアス曲のあのパワフルな魅力のベース にあるような気がする。

 それで…その演奏の部分だけを取り上げてみても…
 普通、
声楽の場合、当然、ヴォーカルを前面に出し、演奏の部分は、前奏・間奏はともかく・それ以外の箇所では、ヴォーカルに沿って淡々として流れて行く…というのが大半だと思うけれど、チャゲアスの場合は違う !
  
 例えば、曲の始まりから終りまでの一音・一音を一つも逃がさず聴き入ろうとするのが、
シンフォニックな ら…
 彼らは、それぞれの楽器の個性(特にリズム)をしっかりと生かしながら、間奏はもちろん、その質・量感も、ヴォーカルと全く同じ線上に設定し、単にメロディーの羅列に留まらない…ヴォーカルをしっかりと支えながら(時には翻弄されながら)、同時に・一つの独立した
器楽として表現する…ちょっと大げさに言えば…演奏の包囲網の中で、ヴォーカルが進んで行く(時にはその逆もあり…)、といった感じだろうか。ともかく、双方が常に張り合っている…!

 また、そのデュオだけを分析してみても。
 これも単なるメロディーの配分?に留まらない…輪唱のようであったり、スキャットであったり…ラップ…シャウト…相づち?…フォロー?…ナント、デュオに更に、コーラスが加わったり…!
 類を見ない、といっても過言ではないような、絶妙なデュオの楽曲が、いっぱいある…
!

 私には、あの
舞曲とかに関する知識は全くないけれど、なんと表現したら良いか…
 ビジュアル志向の現代にあって、彼らの楽曲の中には、時には…
聴き手の心の中で 、ヴォーカルと演奏が舞いを舞っているような…そんなシーンを見ているような…そんな感じにも受け止められる事がよくある。

 
チャゲアス・デュオの絶妙さ・パワーの源は、恐らく、こんなところにその回答が隠されているのではないだろうか? 
 単音と
複音? スポーツで言えば、一人スポーツと団体スポーツの違いとでも表現したらよいだろうか? ともかく、最初から乗っていないとダメで…そこだけ参加する…という感覚では歌えない…迷子になるか…取り残されるか…(笑)


 いつか、台湾の若い女性たちが集う場面に出くわした時、チャゲアスを知っていますか、と尋ねた事がある。
 「チャ、ゲ…アス ? アッ、
CHAGE&ASKA ノコト ?  CHAGE&ASKA ! タイワン ・ ナンバー・ワン !!
 と言いながら、左手の親指を、サッ! と力強く持ち上げてくれた時の事は忘れられない。

 
 
ともかく、スタートからゴールまで…それぞれの楽器の…それぞれのヴォーカルの…いろいろなさまざまな要素が取り入れられ…展開され…それが、チャゲアス音楽を飽きないものにさせる要因となっているように、私には感じられる。

 もちろん、彼らにしてみれば、課題も・夢も…まだまだ、いっぱいあるのでしょうけれど……。

                                                    (2011年 立秋 )

                                                      (このページの先頭へ) 


 (その10) 新たな試みに挑戦 !?

シネマの画面を通して、生のコンサートを衛星同時生中継!!

映画館で生のコンサートを満喫 !!

                                             

 コンピューターの時代・IT産業たけなわの現代にあって、現われるべくして現われた…! でも、ちょっと簡単には思いつかないような…!? 
 そんな、
「ライブシネマ ASKA コンサート」を観に行った。
 
東京での生コンサートが、全国の映画館で同時に衛星生中継される
!  
 私が足を運んだのは、そのシネマ劇場の方だった。これは
新しい試みで、ASKAの夢だったという !
 ファンにとっても…いや、
映画産業界にとっても、こんな生々しい大掛かりな上映は異例であり、前例がないと思う。
 
何より、たとえ生のコンサートであっても客席からは見えないものもある中で、カメラを通してそれらが具体的にいっぱい見えて来るのだから、客席はもちろん、演出者も・アーティストも、快いスリル緊張感でもって一層の臨場感を持たせ、やりがいを感ぜずにはいられないに違いない。 正直、価格的にもお手頃だし、悪くない。

 思えばこれは、テレビに置き換えて考えてみれば理解出来る、テレビの生番組を視るのと同じ理屈であり…テレビの画面が映画の画面に変わっただけ…もちろん、衛星生中継という、技術的な事は全く解らないし、検討もつかない世界の話ではあるけれど。

 これは、シネマ産業界にとっても…お客の動員・活性化につなげる、画期的な試みではないだろうか!? 何より、(現地は生中継とはいえ) 映画館であれば、よけいな気遣いはいらないし、双方にとっても、あの気楽さがいい !! 


 振り返れば…CHAGE&ASKAはこれまでにも、音楽のため、業界において何かと先進的な立場で歩んできた。 新しもの好き、と言えばそれまでだけれど。
 コンピューターの時代にふさわしく、率先してそれらを取り入れ・駆使しながらの…さまざまな舞台作り・音作り。


 そして、なんといっても、2000年8月日韓共催ワールド・カップ開催のための韓国・ソウル市で開催された、韓国戦後史上初めての、『日本語での大コンサート』。
 禁じられている日本語謡曲の全面開放
のために、金大中大統領の指名を受けて、日本人アーティストとして初めて参加した、最大イベント
だった 
 毎日のように流れる、ドラマ・音楽・バラエティー等々…戦前・戦後の悲しい歴史を思えば考えられない、今の賑やかで華やかな
日韓の文化交流「冬ソナ」に始まる、韓流ブーム…その礎(いしずえ)となった事には、間違いない。

 しかし、流れとしてはまだまだ一方的であり、これは歴史的に根深いものがある以上、仕方のない事かも知れない…その功績が私たち日本人の実感として伝わって来るのは、もう少し先の話になるのかも知れない。 しかし、これらの
(もとい)となり・陰の力となった事には間違いのない、この最大の歴史的大コンサート
 
 何よりこれがなかったら、
日韓共催のワールド・カップ開催もおぼつかなかった…国民が受け入れなかった。
 過去に、
ソウル・オリンピックの開催が存在するとはいえ、21世紀を迎え、うわべや形式ではなく、今度こそ、本物の相互関係を築くためにも、改めて、日本の国歌斉唱を晴れて是認するという意味合いもあったと思う…いや、これこそが大きかったに違いない…!?  
 今にして思えば…
このイベントに参加するための、C&Aそれぞれ履歴の調査青瓦台訪問(大統領官邸)という厳しい中を潜(くぐ)り抜け… しかも、国家的規模でのチャリティーだった。

  今にして思えば…これらを一個人(一グループ)のイベントとして捉えるには、あまりにも過酷であり…これを、国家的(母親国家)な天の摂理であったと認識出来なかった、当時の日本…

自由自在な…画像映像

 もちろん、今後の生コンサートやライブとの関係など、新しい検討課題もあるいは浮上するかも知れない。でも、いろいろな業界を含めたグローバルな考え方で行くと…やっぱりこれは、どこか画期的で・先進的で・未来性を含んだ、夢のある試みには違いないと思う。

 思えば…そうなると
!? あくまでもその基本は生コンサートだとしても、その内容は提供側の自由自在…過去・現在・未来の画像・映像…さまざまな編集…二十代のチャゲアスが、三十代のチャゲアスが、四十代の…五十代の…さまざまに入り乱れ・咲き乱れ… (笑) その内容を制する権利なんて、観客には全くないのだから。 また…あの数々の名曲を・フレーズを…大画面の字幕スーパーを通して、改めてじっくりと観てみたい…! 
 請う…熟考
! (祈)
 
 「コンサート会場の確保なども、段々と難しくなるなあ…」
 と、いつかASKAもつぶやいていたけれど…ファンとしては、
彼らを支える周囲の力にも、大いに期待するものがある。
  


 そういえば、東日本大震災後の今、あちこちのイベント会場で歌われているという、あの坂本九ちゃん"上を向いて歩こう""見上げてごらん夜の星を"
 
ASKAは、幼い頃から何かと九ちゃんには因縁を感じ、こだわりを持ち、さまざまなエピソードを語るにも、これまで何度か登場した九ちゃんだけれど。
 今度の
震災の直前にも、たまたまアルバムに・コンサートに、これらの曲を取り入れ、カバーしていた、ASKA。今にして思えば、何だか不思議なご縁…? 今回のそのきっかけは、何だったのだろう…!? 

 もっともこれは、ご本人に聞いても判らない…
自然の内に生まれた感情なのだろうから。
 

         

 以下は、ASKA「九ちゃんに関する究極のエピソード」。 
 あまりの可笑しさと、こんな子どもが現実にいたんだ
! 漫画やアニメの世界だけではないんだ、と思うと…逆に感動してしまったで、そのほんの一部を抜粋させていただく事に。 (笑) (涙)

                        
(アルバム ASKA the BEST Secret History より。)

   
  1962年 (昭和37年) 4歳  坂本九ショーを観に行く。コントの最中、九ちゃんがバンド
                  のメンバーにいじめられるのを目撃。我慢ならず最前線へ
                  走って行き、
                   「九ちゃんをいじめるな!
                  と叫ぶ。その甲斐あってか、一瞬コントが止まる。自らのア
                  ップと共にそれが、九州全土に放送される。
                    

 それと…これはちょっと、余談になるのかも…? でも…
 実はあの、
C&A「&」の記号文字だけれど…この文字を利用するメディアは、今ではいっぱい存在し、あちこちで目にするようになって、もう随分になる。
 思えば、この「&」というのはとても便利な文字で、新聞のラジオ・テレビ番組をはじめ、いろいろな場所でこの記号文字が使われているようで、毎日必ずどこかで目にする…(今日だけでも10ヶ所以上見つけた!)。これも恐らく、そのきっかけは、CHAGE&ASKAではないかと私には思われるけれど? 他にもVSなどがあるけれど、これらもそのきっかけは、この「&」から来ていると思う。
 文字文化と言えば大げさかも知れないけれど…でもこの文字は、送り手にとっても・受け手にとってもとても便利なもので、メディアに対する、一種の貢献とは言えないだろうか…どうだろう? (笑)

 CHAGE&ASKAの活動には…何か・どこか、こういった「先駆け」ようなものが感じられ…そう思うのは、決して、私一人ではないと思う。


 あの、東京・国立代々木競技場第一体育館を、音楽のコンサート会場として初めて使用したのも、このC&Aだったと言われる。もちろん、さまざまな苦労を経ながら…
 
これは…
プールでライブ !?という、彼ら…というより、当時のマネージャーであった、C&Aの生みの親ともいうべき、渡邉徹二・エグゼクティブ・プロデューサーの存在と、その奇抜な発想によるところが大きい。(TUGOFC&A会報より)

 まだまだ、いろいろな試みに挑戦して行ってほしい
!


 その後早速、以下のような新聞記事が…!?

 ■映画館で音楽ライブ

 KDDIとイオンエンターテイメント(東京都千代田区)は17日、映画館で音楽ライブの生中継を楽しめる新サービス「Live’ Spot(ライブスポット)」を始めると発表した。チケットの入手が難しい人気アーティストのライブも、近くの映画館で同時に体験でき、映画館ならではの大画面と5.1チャンネルサラウンドでの音響が楽しめる。チケットは通常のライブの半額程度になる見通し。
                                  (2013. 7. 18 朝日新聞経済爛より)

                                            (2012年~2013年 初夏)

                                                  (このページの先頭へ) 

 

 

(その11) この思いが届きますように…!!

  ASKAさんの大好き Sクリーム Mパン   

               

 いつか、ご自分で仰っていた…
 「甘い物は体を動かせばその日に消化出来る。でも、油物はそうはいかない…」
 と。 私も、この説は正しいと思う。

 ただ…今度の事(活動再開延期)で、つくづく思った。
(プロの剣道家にいう言葉ではないけれど…そこを敢えて
!)

 その食材自体を分析すればそうだけれど、果たしてそれに見合った程度の体を毎日習慣的に動かし消化・発散させているかどうか…? また食物の内容に関係なく…スポーツ選手が毎日々々準備運動と整理運動をやるように、血液の循環を良くするための体操を実行しているかどうか、という事を。体中の毛細血管を毎日々々、正常の位置に戻しておく…みたいな ? どこかが凝
(こ)っていれば良く揉みほぐして、必ずその日の内に正常に戻しておく(溜め込まない)…たとえ、その日の内に戻し切れなくても、揉むと・揉まないでは明くる日の体調は全然違うと思うので。

 私の場合、「運動」というより、「体操」。「ながら族」の私には、「運動」は続かないと思うので。毎食前…首・腕・腰・足・指…それぞれの私流の「関節体操」。
 正座して・そのまま後ろに寝返るところから始まり…挙げたり・下げたり・広げたり…前後に・左右に曲げたり・伸ばしたり、足裏や足首を揉みほぐしたり…

 確かに、ジョギングやウォーキングなどは、各部分体操を総括したような効力があると思う。
 例えば、竹筒の中に粕
(カス)が一杯溜まったとして、それを上から・左右から突っつくよりも…竹筒全体を握ってトントンと叩くと、粕が一挙に出てくる…と同じ理屈 ?  
 ただ、車の免許を持たない私の生活基準は、
『歩く事』なので、生まれてから・今日まで、ずーっと歩いて来たせいか、そんなに気にならない。この(自称)関節体操は、かなりの高齢になっても、内容を極端に変更する必要もないような気がするので、今のうちから慣らしておく…みたいな。
 ちなみに、あの『ラジオ体操』もいい。今になって、つくづくそう思う。


 私事で恐縮だけれど、実は…確かあれは、二十代前半の頃の事だった。
 体調がどうのこうのなんて全然気にしない年頃で…職場の何かの会合の二次会で、ちょっと飲み過ぎてしまい、隣の和室に駆け込み、大の字になって寝転んでいたら…ナント、綺麗に・線を引いたように・体の右半分がビリビリ・ビリビリとしびれ出した!! エーッ?と思い…目をつぶり…そのしびれが治まるのをジーッと待っていた…勿論、生まれて初めての体験 ! その後どう対処したのか全然覚えていないけれど。 若かったし…後にも・先にもほんのその一瞬の・自分だけの出来事として、今日の今日まで誰に打ち明ける事もなく来たけれど…ともかく、そんな体験をした。

 それと、もう一つ。これは、五十代の初めの頃の事だけれど。 
 当時、仕事の関係やら何やらで「甘い物」にハマッてしまい、それがどんどんエスカレートして、一日の摂取量も異常な程に高く…
! 中年になると太り出すという体質も加わって…! 挙句には…毎日その時間頃になると…立ってはいられないくらいのダイナミックなめまいに襲われるようになり…さすがに無頓着なこの私でも…
 「一度、病院へ行ってみよう…」
 という気になり、近くの内科医院(レントゲン専門科)に駆け込んだ…!
 結果、「血糖値」が相当高くなっていて、それは他のあらゆる器官にも影響を及ぼし…院長先生が、画面を説明しながら…
 「大学病院に行った方が良いかも知れないなぁ…」
 と、独り言のように・つぶやくように仰った。

 とはいえ、私の性分も手伝って、結果として、何故かそちらの方にはご縁はなく…今ほどに世の中も検診・検診が当たり前の時代ではなかったし…(検診が当たり前の風潮は、近年になってからの事。)
 <診察を受けた事の安心>
 <運動不足>
 <中年になると(油断すると)太り出す体質>
 <血糖値が異常に高い事の原因が自分で判っている>
 等々の理由で…結局、大学病院にはお蔭様で全くご縁がなくて済んだ。

 何より、私にとってのこの二つの体験は、その後の人生に大きなプラスとなって表われ、逆に、それを目安にして食生活・食前の体操などは一つの仕事・義務のようにして自己管理に努める毎日だけれど…良い習慣を続けるか・悪い習慣を続けるかが人生の一つの分岐点である事を、身をもって教えられた気がしている。

 ただ問題は…その良い習慣というのも人それぞれで、仕事環境・生活環境にもよると思うけれど…今の世の中、その対処法についても…中には十把ひとからげにして決め付けたような知識・レシピが出回っているようで気になるところだけれど…

 例えば人間の霊感(神サマとの会話?)は…夜中の2時頃~…が一番冴える、とか聞いた記憶がある。だから、夜長の
ASKAさんの場合は、それに適(かな)った体質という事かしら? (笑)

 ともかく、検診や治療の際、大事な個性までも削
(そ)ぐような・脅(おど)すような?指導ではなく、あくまでも「自由」を基本としての、その人に見合った療法でアドバイスしていって欲しい、と切に思う。
 くれぐれも…あの、剣道育ちで・堅肥えの
ASKAさんの持ち味が消えないよう…! (笑) とはいえ、その程度によるけれど…
 
 これもちょっと私事で恐縮だけれど…
 私の食生活は(独り暮らしを良い事に)、実はお料理というよりも、「肉も・魚も・野菜も…素材を食べる」という感じで…(
吉永小百合さんのコマーシャルから学んだ)、主食も玄米食にしている。自宅での間食・間飲はしない…(最初の頃は水を入れたカップを常置しておいて・何かが欲しくなるとそれを雰囲気を出すために、ストローで飲んでごまかした)。 玄米は体を消毒(漂白)する作用があるそうで…これも何がきっかけで出合ったのか未だ不明。ある日突然って感じで…気付いて見れば始めてから二十数年になるけれど(2013年現在)…ホント、不思議なご縁! しかも、おやつも・玄米も腹八分目を守っている。 何より、食物の種類に関係なく(たとえ麺類であっても)、(排便のため)しっかりと、よく噛む事が大事だ。

 それと、最近は
「ウ○ギ」を出来る限り食べるようにしている。 
 ずぅーっと昔、知人が入院し(整形外科系)、お見舞いに行った時、病院の待合室の大柱に貼ってあった、
『ウ○ギを食べましょう。』という、大きなポスターを見掛けたのがきっかけだけれど…
 勿論、すぐに実行した訳ではなく…ただ、ポスターの事は何故かいつまでも覚えていて…二十年近く経った今になってようやく実践し始めたという次第。だから食べ方も勿論、自分流。一食に食べる量は、3・5cm程度の切れ端一枚(4cmはキツイ!)…
(苦笑) ◎重だとか、○丼などには程遠い…質より量で、縦・横が1cmでも大きいもの、産地も・賞味期限も、お構いなし。(笑)
 この
ウ○ギも、近頃は捕獲量が減ったという事で値段的にもやりくりが大変! やはり、自然環境・異変が影響しているのだろう…何処へ訴えれば良いものか!? (苦笑) 行政はこういうところへも気を配るべきであり…「医療 !」「医療 !」の奨励・後手・後手作戦も良いけれど…もっと、根本的・先手の作戦にこそ心を配ってほしい、各省庁(地方の自治体)というのはそういう事の、そういった現場のためにこそ置いてあるのでは!? (苦笑)
 ともあれ…強制・義務による新薬・さまざまな薬物の長期飲用等々を思えば…これらは決して高くない、自由だし・気楽だし…精神状態が全然違うと思う 

 他にも…糖尿病の予防には、
「玉葱」とか「コーン(とうもろこし)」が良いと聞いている。あの素材の「甘さ加減」が体に良いという事なのだろうか?
 
フルーツは(毎食欠かさないけれど)、一食に・1個の3分、4分の1程度。「南蛮漬けの原理」?でも判るように、酸味は「歯」を弱めるので丸々1個は食べない。出来るだけ歯との接触時間を少なくする。毎食・ホット・レモン(蜂蜜を入れた)を飲用しているので、それに交えて…ほとんどの場合(バナナも)、皮ごと食べる。料理材料としても使う。 

 そういえば、あの
聖路加病院101歳・日野原重明先生は、『オリーブ油』を毎日数滴ずつ食材に振りかけ?摂取されているそうな…これもぜひ、参考に!
 (私は、油は基本的には
玄米油オリーブ油を置いている。

 
ASKAさんの場合、確か、「ヨーグルト」だとか「黄な粉」だとか「納豆」だとかの健康食品(=畑の蛋白)はきちんと摂取していらっしゃるようだから、その点はとても救われる。(豆乳もだったかな?) 今度の場合もその事が幸いして、大事に至らずあの程度で治まっているのだと思う。

 あくまでも私の場合だけれど、
ヨーグルトは小さなカップに移した1食分に・蜂蜜をほんの少し混ぜたものを。黄な粉は「きび糖」を少しだけ絡めて、ご飯や大好きな豆腐などその日の食材にまぶし、2、3口だけ摂るようにしているコーヒーは1年前から自宅置きは止めて(私の場合は、カフェインの効用がたまに悪循環につながる事もあるので)、好きな喫茶店でだけ。コーヒーが悪いのではなく、私の飲み方に問題があるという事で。
 

 他にも、頭髪には生アロエ汁が抜群との事、リンス代わりに利用している。無臭(に近い)だし、リンス後、一滴も流さないでそのままに。
生アロエは他にもいろいろな役割を持っている
とても生長の早い植物で、人間の地肌を自然の土壌と勘違いしているのかも知れない…(笑) それと、これも我流だけれど、食前に、グラスに軽く1杯の水を飲む事にしている…食道(通路)を潤しておくために(笑)

和菓子しじみ馬油の話

 それと…日本のお菓子・日本独特のあの『和菓子』だけれど。これはとても「賢い食べ物」で…あの小さな1個分に・洋菓子の数個分に相当する満腹感があり…しかも、カロリーも断然低い! お菓子中毒になるっていう感覚のものでは凡そないし…「和菓子は高価」というのはそういう事情が隠されているからなのだろう、確かに値段が張るというのがちょっと玉ニキズだけれど。でも、手ごろな種類のものも結構あるし…
 
人間にしてもそうだ…小柄な人には、大味ではなく中味の詰まった大物が多い
! (笑) 国家も同じ…広い領土であっても、豊穣であるとは限らない。そういえば、動物も・植物も・鉱物も小物ほど、日々人間のために尽くしてくれている…(笑) 
 (わが島根の松江市は、京都・金沢と共に日本三大銘菓と言われる「和菓子処」の一つとして有名。念のため。)


 「和菓子」のお話が出たついでに…
 
ASKAさんこだわりの『馬油』のお話を、ちょっとだけ。

 昨年の
ASKA・シネマ・コンサート(=前述にて紹介)上映の時・話題の一つとして登場した、あの『馬油』
 会場で初めてこの名前を耳にした時、
 「エッ? バーユ…?  もしかして
!
 と、直感で思った事があった。

 でも、その事はそれっきり忘れていたのだが…再び、
5月の(ファンクラブの)会報・ASKAコーナーの中で、この名前を目にし、
 「やっぱりそうだ…そうに違いない
!
 と思ってしまった事だけれど…

 実は、私がまだ現職に在る時、職場の中の「売店部」の一角に、その
『馬油』が置いてあって…
 それは確か…
C&A故郷・福岡のある業者さんから仕入れたもので、色々な貼り紙やチラシを傍らに置いてPRしていたけれど…ある日、九州からの団体客のお一人が(中年の小父さん)、
 「オッ、
馬油が置いてあるねえ…!?
 と言いながら、箱の裏を・表をひっくり返し・ひっくり返ししながら、
 「この
馬油はねえ…!」
 と、お客(小父さん)の方から色々と説明が始まった…
そして、
 「とにかく、全国のお客さんに
PRして、どんどん売って下さいヨ!
 と、逆に指示をし・アドバイスしながら、立ち去って行かれた…
(笑)

 だから私は、
 「たまたま立ち会ったとはいえ、私にもし、この小父さんとの出会いがなかったら、
馬油へのASKAさんのこだわりも、またその理由など考える事も・知る由もなかった訳だから、やっぱり、これは偶然ではないに違いない!
 と…確信のようなものまで抱いた…! 
(笑)

 で、その後、『この出来事』を
『C&A・ファンクラブ』のあるコーナーに投稿し・紹介したら…
 ナント! 思いがけない、今度は
ASKAさんの方からのメッセージ(次月の会報)で、

 
(松江・宍道湖の特産)『しじみ』が登場した ! 私は直感で、
 「あの話…通じたのかな !?」
 なんて…ひっそり微笑んだりして(妄想も交えて)、しばし充足感に浸った次弟だったけれど…
(笑) 

 で、その
ASKAさんのお話というのは、次のような事。
 
<1> 『…多くの方が経験されているように、花粉症は集中力が散漫になりがちです。僕もそうで、症状がひどいときは、とても詞書きができる状態ではなくなります。シンガーの場合は、花粉症の影響で声が変わってしまうという、大きな弊害もあります。だから、この時期のレコーディングやライブは、点鼻薬が必需品でした。しかし、今年は点鼻薬をまったく使用していません。そうです。つまり、馬油のおかげなのです。』(TUG of C&A 2012. 5月号・一部抜粋より)
 
 
<2> 『…先日、ちょっとだけ外出したときに、面白いものを見つけました。疲労回復に一役買ってくれるという、アミノ酸サプリ「ノ・ミカタ」』です。しじみに多く含まれる成分が豊富で、子供のときから親に「しじみの味噌汁を飲みなさい」と言われてきたことを思い出し、これは健康にいいはずだと、買ってさっそく飲みはじめました。効果はてきめんで、疲労感が軽減された……ような気がします。』 (TUG of C&A 2012. 6月号・一部抜粋より)

 つまり、この
<1><2>ASKAさんの近況メッセージの間に、私のこの「馬油」のお話が挿入される事になる訳だけれど…もちろん、ASKAさん宍道湖(しんじこ)のしじみに特定された訳ではないけれど、敢えて文章にして取り上げて下さった。 
 お互いがそれぞれ地元の・相手方の産物をPRしながら、同時に…ファン・クラブの人たちへも推奨というか、お奨めのような形になったという次第。 (笑)

 私の場合、元々頭のてっぺんから足の先まで、「石鹸」を利用していたけれど(高齢になると、洗髪なども石鹸の方が毛髪には良いと聞いていたので、今では私も
『馬油石鹸』を利用している。 (笑)
 
 ちなみに、
「しじみ」は、ASKAさんの仰るように、肝機能障害(疲れ)に効き目があり、昔はよく病院で勧められていたようだ…現代のように、薬・薬ではなかった。宍道湖<汽水湖>のしじみは粒は小さいけれど、質は高い事で有名。もう一つ…花粉症にはあの、和風ハーブと呼ばれる『紫蘇(しそ)が良いとか聞いた記憶がある。念のため。 <笑>
 
 ちょっとだけのつもりが、随分長い・回りくどい説明になっちゃった…
! (笑)  


 「一億総病人」とか呼ばれ、十把ひとからげで「医療」「医療」に引き回されるような風潮の中で、「和菓子」「しじみ」「馬油」もそれぞれ、今一度見直してみたい、日本独特の産物。 
 
 何かとアメリカナイズされた現代…東洋医学がすっかり影を潜め…罹病にも一つ・一つ、難しそうな・深刻な病名が付けられ…その病名によって病いが一層深刻化されたような・企業化されたような…結果、薬物依存に流れるという、悪循環…! (今では、あの自然の産物である
「小麦」までが、過度の品種改良により問題視されている。)

 あらゆる病いも辿り・辿れば原因は一つ。毎日・毎日の「食事」と「運動」・「生活習慣」…自分の体は・自分で治す
!…と説くのが東洋医学。 
 ここら辺りで、一度古
(いにしえ)に返り、あらゆる方面において再考するのも治療としての一案かも知れない。
  (Aさんのような集中力・瞬発力を必要とするナリワイにある人たちにはそうも行かないだろうけれど…でも、基本はやっぱり、これしかないと思う。大病・小病に関わらず。)

 CHAGEさんも、好きなタバコは止められた…
 確か、「僕は、『生姜湯
(しょうがとう)』を飲用しています」と、いつか仰っていた。
 だからやっぱり…本人が納得出来る…常に肉体的に・精神的に…体のあちこちをほぐしながら…
自力による(=自分の体の様子を窺いながら)摂生・自然治癒に努め…出来る限り新薬に頼らない、何より、しっかりとした自力による『快便』につながるような。 一週間で習慣付け出来る人、一ヶ月~数ヶ月掛かりの人、中には持病を抱えながらも…と、さまざまだろうけれど、その基本とするところは、人間、皆同じ・気持ち一つ…というのが、私の結論とするところだけれど…どうだろう? 
 
 ともあれ、極力・理想論に終わらせないよう、行政への期待には大きいものがある!! (笑) 


 思いつくままに綴ったけれど…これらはほんの基本的な・序の口の私流であり…しかも、今では広く・一般に知れ渡っている事ばかりであり…

 しかし、それを重々承知の上で…どうぞ、少しでも伝わりますように…!

                                         (2013年 初夏 )

                                             (このページの先頭へ) 



(その12) 永遠の 0 

 Aさんお奨めの、東宝映画 『永遠の0』。

 エーッ? と思い…上映締め切りまであと僅か! 慌てて劇場に駆け込んだ !
 
 噂では聞いていたし、こんな現代に、ゼロ戦…? って思いながらも、多少惹かれるものはあったけれど、それでも観るつもりはなかった、この映画…


 深読みグセのある私だけれど…(笑) 

 登場する場面もそのほとんどが…戦闘機・軍人・荒海…戦闘機・軍人・荒海…戦争に駆り出され・生き残った年老いた数人の元軍人の証言・証言…と、まるでモノクロの世界にでも引き込まれたかのような、そんな場面の繰り返し…

 にも拘わらず! こんな感動の戦争映画であろうとは…! 

                                   ★ ★

 当初、この作品(脚本?)は業界では認められず、著名人からの酷評・批判が相次いだそうだけれど…!?

 思うにそれは、「作品の趣旨を何処に置くのか」という事で違って来るものなのかも知れない。

 映画のロケも、かなり本格的な情況で執り行われたようで…

 しかし、それにも拘わらず…例えば、敵の米軍機が画面にアップで登場したのは、終盤あたりのほんの一瞬だけ…
 この映画の趣旨はそこにはない、とでも言うように…その事を証明したかったかのような。 現代社会において最も大切なものは何かという、それを伝えたかったからという…!? 
 作者が『0戦』を選んだのは…そんな『究極に置かれた時の人間の姿』を映し出し・証明したかったから…!? ゼロ戦の凄さと言うよりも…太平洋戦争の悲惨さを、ヒーローの家族愛を通して本当の意味で教えてくれたような。 現代仕立ての秀作のように、私には思われた。

 「人間はスキルよりもやっぱり、メンタルが大事 !」
 なんて…日頃の私の持論だけれど…何故かそれも吹っ飛んだ…机上の推論に過ぎなかった…! 

 高度なスキルは誰のため? 何のため? スキルと愛は、一本の糸で繋がっている…本当のスキルの重要性を改めて教えてくれたような。 

 "軍隊一の臆病者"という、噂・デマ。そんな風評被害の中にあっても、周りの空気に惑わされる事なく、最後までその姿勢を崩さなかった、ヒーロー! 

 『深くて高度なスキル』あってこその"敵軍に対する ゼロ戦の限界"を察知した、その才覚 ! 

 公と個の狭間で苦しみながらも…やはり、最後は「公」を選び、自らの思いを後輩に託して、散って行った…!  
  
 観客もどちらかと言えば若い人たちが多いのに…あちこちから聞こえて来る、すすり泣き。噂・デマ…風評被害の中に立たされた、ヒーローの孤独・家族への愛・戦争の悲惨さ…そんな何かが、現代っ子の心を捕えたに違いない !

                                    ★ ★ 
 
 Aさんも仰っているように、主演の岡田准一さんが役柄にぴったりで…その他の出演者の皆さんも、とてもリアルに演じておられた。 
 サザンオールスターズのテーマソングも、映画にマッチした・如何にも現代仕立ての…しかし、決して甘くない! 桑田佳祐さんも依頼を受けた時、製作途中の映画を観て、涙でグショ・グショになったとか…心から称賛しておられる!

 ふと、Aさんの…あの風評被害を思い出し、重ね合わせながら…これも、(いつの時代にも)"本物は捨てられる"という、そんな典型の一つかも知れないなぁ…なんて、ついつい深読みをしてしまいました…(笑)

 同行された父上も、その時代背景からしても、感慨深いものがあった事でしょう。

 Cさんや、スタッフの皆さん大勢もご覧になったとの事。 Cさんも、称賛!!
 
 こんな感動の名作とは知らず、うっかり見逃すところでした!  Aさん、ほんとに有難うございました。

 もうしばらく"永遠の0の世界"の余韻に浸っていようと思います。 
(微笑)

                                                  (~2014. 3.)



 (その13) 連日の一方的事実によるマスコミ報道 

 主治医の指摘(注意)により活動休止になった当初、Aさんは、ご自分の感覚としては予想外の事だっただけに、戸惑っておられた。
 しかも、最終的に休止の指示を与えたのは、事務局だった…つまり、主治医が直接に指示したわけではなかった。
 だから、その時点で言えば、主治医がAさんの服用を見逃したとはとても思えない。 

 ただ当時は、一日にコーヒー10杯・スィーツ(メロンパン・アイスクリームなど)をかなり大量に食し…その頃、大きなめまいに襲われたりしておられたと、(ご本人から)聞いている。 また活動休止に伴う運動不足による、体調の変化。

 何より、以前からAさんの一番の悩みの種は、強度の花粉症だった!! 
 しかしその後、あの『馬油』に出合い、とても喜んでおられ、以前にも取り上げたけれど、以下のような、しっかりとした記述もある。

 『…多くの方が経験されているように、花粉症は集中力が散漫になりがちです。僕もそうで、症状がひどいときは、とても詞書きができる状態ではなくなります。シンガーの場合は、花粉症の影響で声が変わってしまうという、大きな弊害もあります。だから、この時期のレコーディングやライブは、点鼻薬が必需品でした。しかし、今年は点鼻薬をまったく使用していません。そうです。つまり、馬油のおかげなのです。』

 と。
 他にも…50代前後に起きる、あの更年期障害。多くの人にあると思う、とてもつらい体験だ !

 それと、今回の家宅捜索の時の『ろれつの回らない語り口』という報道にしても…

 Aさんはもともと早口で有名…ご本人も気にかけておられる事の一つだと思う。(「ろれつが回らない」のは普段の・いつもの状況だ…多分。
失礼!)  
 そんな状態で、ある日突然、大勢の捜査官・取材陣に襲われ?たりしたら、声も出ないし・誰だってうろたえてしまう…任意同行ならともかくも。ちなみに普段、アルコールの習慣も(タバコの習慣も)、Aさんの場合は殆どないと思う。
 
 しかし、その後の情報では、この「ろれつの回らない…」という言い方は、あたかもそれ(服用)が原因で、と決定されたような扱いで報道されている。 

 そもそも家宅捜索は、何処からの情報によって検察?が立ち入る事になったのか?

 なぜ、そういったプロセスはただの一言も公表されず、結果だけが一方的・決定的に下されるのだろう? まだ捜査段階であるのなら、それなりの気遣いが必要ではなかったのか…あまりにも一方的だ。 それとも逆に、マスコミに飲み込まれた検察側の、何か意図的・恣意的なものなのだろうか。


 結果が事実だったとしても…

 それを頑なに否定する、Aさんの心情・周辺事情…Aさんにしか判らない感覚のものであるに違いない…また必ず存在するであろう、情状酌量のためにも。たとえ誤って飲用していたとしても、そもそもの始まりは・その飲用目的は…ひたすら『発声療法』を求める中から生まれる心情であり…たとえ検出されたとしても、本人の知らない状況で何かの形で混入されていたのかも知れない(=薬品に対する知識不足)…

 作品の回収…? 誰のため? 何のため? 再発防止? ファンの思いはどうなるの ?? 


 恐らく、日本の法律はとても高度で?・巧妙で、(だれの幸せを願ってかは知らないけれど) さまざまな状況を推定し・掌握し、非の打ちどころなく設定されているに違いない。 一つの事件を取り上げ・それを語るメディアのパフォーマンスも巧みだ。

 しかし、いつも思う事は…「事件・事故の正・不正」が解明されたとしても…私たち視聴者の心に響くもの・返って来るものは、何故か何もない、いつも虚しさだけ。 いつかまた、何処かで似たような問題が起きるに違いない…といったような。 メディアから送られて来る目の前のパフォーマンスを、空虚な眼差しで見詰めているだけのような。

 何故だろう…? 

 私たちが本当に求めているもの…その場の正・不正ではない…被害者・加害者の別でもない…どんなに鋭く突っ込み・高度なスキルでもって物事が解明されて行っても…それでも絶える事のない・延々続く事件・事故…黙秘権…何故、語ろうとしないのか…一言・二言では、とてもではないけれど語り切れないものがあるのでは…!?

 表社会・裏社会…それらの区別なく・互いの喜怒哀楽を語り合える場所…既成概念・先入観を取り払った…そんな何かを求める心・魂
(たましい)がそうさせるのだろうか…!?  (人間の本能・本質は『善』なのだから…旧約聖書の創世記)

 先進国とはいえ、それらはあくまでも表面的・スキル的なものであり…まだまだ貧しい、この日本の文化・思想。 思えば、こんな課題にこそ、マスコミの積極的介入が欲しいのに、目先の物理的・後手後手の荒捜しにばかりエネルギーを注ぎ込み…! 
 
 まるで一人の人間の・一つの事柄を全人生のように置き換え、事務的・短絡的に処理し・社会から抹消したかのような報道騒ぎに…天の采配はどう下されるのだろう? 法律だけがすべてなのか…!?  

 場合によっては、国家の問題だ。 
 


 FC会員 □□さんへ (12) 

 自分の気に食わない事が発覚したからといって、公の場にそれをぶつける事って…人間として、どうでしょうね? たとえ法律では罰せられなくとも…週刊誌と全く同じ立場にいる事に気付いていらっしゃるのかしら?? でなければ、それはそのまま、さらに・さらに広がって行く…!

 それどころか、恐らくあなたは全く逆の事を考え、むしろそれをそっくりそのまま、この私の方にぶつけたいのでしょうけれど…

 しかし、もしあなたが誰かとそういう情況に置かれたとして…同じ行為をしませんか? 今度の場合、それが暴露されただけの事ではないですか。

 日頃、マス・メディアを批判しながら…

 気付いてみれば…そのマス・メディアに自らを奪われ…冷静さを失い…何を目的としたかも判らない報道の餌食になって・ボロボロに引き裂かれ…もはや、送られてくる言葉の一つ一つを次から次へとすべてを信じ…飲み込まれ… 
 自分では冷静に分析しているつもりでも、「基本」が報道側にあるのだから・そこには自分は初めから存在しない…全てが受け売り。 「頭隠して・尻隠さず」は、自分である事に気付かない。

 しかも、それぞれご本人(報道陣も含めて)が・それぞれに登場して・マスコミの前で・それぞれが(検挙に持ち込むまでの)そのプロセスを語っている訳ではない。 
 たとえ語ったとしても、すべては報道側の決定のもとに下されたものが対象であり・前提であり、今さらあなたが割り込んで、感情的になって叫んでも、後の祭り…もはや何の役にも立ちません。
 メディアの側に言わせると、一つの貴重なご意見であり・大事なお客様であるのかも知れませんが。 
 しかしそれさえも、次の商品に利用されるものであり、あなたのためのものでもなんでもない。この業界では、たった1人の意見でも、100人・1000人の意見として利用される程の価値のあるものですからね…(大勢のファンの怒り…とかなんとかに書き換えて…)

 物理的な事ばかりが報じられ、心情的な事は何一つ語られない(語れるはずもないけれど)…解決の糸口がみつからない… 

 自らが生き延びるために、多くの人間を犠牲にする人たち。 一人でも多くの人たちを喜ばすために、自らを犠牲にする人。
   
                                        ★ ★

 今度の事は何か不思議な現象で…人間としての原点に立ち返されたような…むしろ試されているのは、情報の受け手である、私たち一人・一人なのかも知れません。  
 
 窮極に置かれた時のそれぞれの人間性を…Aさんという『稀代の人物』を通して、私たち一人・一人が試されている。 

 今、私たちは間違いなく、マスコミ戦争の時代に置かれています。

 日本人にはまだまだ、こういう理念・観念は疎
(うと)い感覚のものでしょうけれど…でも自然の内に・誰に教わらなくともそのように受け止める日本人もボツボツ増えて行っていると、私は信じます。

 極力冷静になって・極力Aさんの立場で対処して行きましょうよ。

 でなければ…裏社会・「窮極の社会問題」も、こんな形での解決は無理でしょう。

 焦りは・浅慮は禁物です。 いつかは自分が損をする…自分に返って来るような気がします。 
<□□さんより返信>
 そうですね、確かにあなたのおっしゃる通りです。
 ひとりでも不快に感じる方がいらっしゃるなら削除します。すみませんでした。


<筆者より返信> 
 もちろん、□□さんの権利です。でも、大部分の方たちが悲しむ事は確かです。 何より、Aさんの今の置かれている情況を考えると、胸が張り裂けそうになるのは、この私だけではないと思います。
 □□さんの誠意に心から期待しています。 返信、ありがとうございました。
  <FC会員(△△さん)の声>  <以下の<FC会員の声>欄は勝手乍ら、他のサイトより 一部抜粋させて戴いたものです。>

 「怒るな、叱れ」

私は子供の頃に、ガラスのコップをうっかり落として割ってしまうことがありました。
そんな時、母は「危ないから向こうに行っていなさい」と私に言って、ほうきで掃き、掃除機をかけ、最後に小麦粉を水で練った、パン生地みたいなものを作って、床に残っている小さなガラスの破片を丁寧にひとつずつ取っていました。

私はその度に、その一連の作業を横で、ただ見ながら立っていました。

母は私を怒りませんでした。

3回目に、コップを割った時に、やっぱり母が怒らないので、疑問に思った私は、
「何で怒らないの?」と聞くと、母は、
「わざとじゃないでしょ。」と穏やかな表情と声で、私の目を見て優しく言いました。

その時、私は初めて、自分が悪かったと反省し、「もう二度とガラスのコップは落とさないようにしよう」と心から思いました。

「何で、コップを落とすの!!余計な手間が増えるじゃない!!」
そんな風に言われたら、私は反省もせず、やっぱりコップをうっかり割り続けていたと思います。

厳しい言葉は相手の心に届くのか。
怒りのこもった言葉を言われたら、いくらそこに相手への愛が含まれていても、私なら心の耳をふさぎます。

聞くのがつらすぎるからです。

自分の犯した失敗が大きければ大きいほど、怒りを含んだ叱責は、相手の心に届くどころか、読んですらもらえないんじゃないか・・そんなふうに私は思います。

黒沢年雄さんがブログで、ASKAさんにメッセージを書いておられましたが、温かい文章でした。

黒沢さんは70歳ですが、相手の心に届くように言葉を並べるには、それなりの人生経験や知恵が必要なのかもと読みながら感じました。
<筆者より返信>

 △△さん、初めまして!!

 正に、
"ことばには いのちがある" そのものですね。

 母上の一言が、とても大きな広がりを持って心に残っていた事でしょう。  
 
 私も、一つ一つの事柄に、改めて…再出発の決意で臨んで行こうと思います…何があろうと・起きようと、Aさんの原点にあるものを信じて・見失わないよう !!

"少しくらい哀しいほうが 人にやさしくなれる" (♪ 『オンリー ロンリー』)  

 今回はあまりにも大きな哀しみとはいえ…これもAさんの原点ですよね !!
  
 
黒沢さんたちのブログ、検索してみます。 嬉しいメッセージ、有難うございます!!

<△△さんより返信>

NABEさん、初めまして(*^_^*)

やんわりとした表現で、自分の思っていることを言えるように、私もなりたいと思っているんですが、なかなか難しいです。

もともと、私は人に自分の意見を言うタイプではないので。

今回の事も、ASKAさんの身に起きたことでなかったら、たぶんここまで書き込みもしていないです。

再出発。
本当にそうですね。つまずいたら、また立ち上がればいい。つまずかない人間なんていないのだから。

一番、先頭で、向かい風を受けていたASKAさんの後を、ついて歩いてきた私は、
「きっと誰かの背中で、風を避けていた」人なわけで…(♪『 In My Circle 』 )

ASKAさんが感じていた苦しみのすべてを推測するなど他人である私には不可能かもしれませんが、それでも想像することくらいのことは出来る人でありたいと思っています。


<FC会員の声>
人としてやったことは確かに犯罪で、その事について報道されるのは仕方ない…

でも、すでに亡くなって、反論できない人とのスキャンダルを書き立てる、週○〇○ !!

下品にもほどがある(`皿´)

自分達のことをジャーナリストとか思ってたら大間違い。あなたたちはただのゴシップ屋だ。

世の中にはこんなにも成功者が落ちていくのを喜ぶ人たちがいるという事実。 哀しい。

<FC会員の声>

なんだか・・・

不良がたまにいい事すると、すごく褒められるのに
真面目な人がいい事しても、
褒められる事がなく当たり前だと思われる。

状況が同じとは言わないが、
この腑に落ちない感情がずっと続いている。

真面目でいることや、いい事をすること、人に優しく愛を持って接する事は
当たり前にできる事じゃない。
やって当然と思われる事じゃない。

それをやってくれている。
感謝でしかない。

<FC会員の声>

生きがい

ASKAさんのこれから

ASKAさんには生きる気力
生きる糧になるもの
何でもいい
ASKAさんが
このためだったら
打ち勝てると思うもの

音楽じゃなくても歌じゃなくても
ファンじゃなくてもいいから
自由に楽に共に
生きられる何かを
見つけてほしい

そうじゃないと
だめになってしまう

それが一番怖いから…

<FC会員の声>

人生最大の幸運

この2週間、自動車通勤する間、ラジオをほとんど聞かなくなり、もっぱらお二人とそれぞれの音楽ばかりを聴いている。ラジオを聞かないので渋滞情報も聞けないから、早めに出勤するようになった。早めに出勤するようになったことで、発見がたくさんあった。相変わらずしんどいけれど、それより前と比べると、仕事の捗り具合もだいぶ良くなった気がする。

これまではただ「好きだから」と聴いていた曲たちが、今は毎日を乗り越えて行く力そのものになってくれている。曲を聴いて、いろいろなことに思いを馳せながら、自分も「頑張ろう、負けるな」なのだと。この曲たちに出会えたことが、自分の人生最大の幸運だったと、今改めて思う。この幸運が、この音楽が、自分のこれからの人生も支えてくれる。

ファンミーティングの抽選にも外れてしまったけれど(←少しだけ僻んでいる。
)、直接言うことはできないけれど、毎日愛車の中で彼らの音楽に浸りながら「ありがとう。ありがとう。ありがとう」と思っている。
<FC会員の声>
 迷ッた挙句…また、この場に来てしまった…!

 ASKAの父上が仰っているように…『息子は、やっていない !!』…という切ない思い…親心 !

 初めから・最後まで…私たちの気持ちもそれと全く同じ…! これは理屈で解決しようとしても結論の出せるものではないと思う…それだけは言わせて欲しい
!

 さまざまなコメントが、報道・週刊誌から得た結果論でなかったら、私たちも、もっと耳を傾けたのかも知れないが…時には事実だけを語る彼ら(一部・ファン)の言葉が、刃に思えたりして、辛い !!

 自分の推理が当たった! 外れた! というだけの…ゲーム、心理作戦の域を出ていない…

 もちろん、ファンである事の条件は物理的には何も問題はないだろうから、それ以上申し上げる事は何もない。(心情的には苦しく・不快だとしても…)



(その14) 悪辣な報道を通して思い知らされた…!
      急がれる、「未熟なネットの世界」に対する政治対策


 心が出来ていないのに、科学はどんどん進んで行く…! 
 
 ある日私は、あまりにもひどい、『誹謗・中傷に塗り込められた悪質極まりないブログ』を見て、思わず送信してしまった…!

 「…マスコミ業界
の方と思われますが…『言論は自由』とはいえ…このあまりにも衝撃的なコメント…! これらは、いつか必ず何かの形で、『自分に返ってくる』という事を忘れないでいて下さい。」


 と。 こんな 『客観性』 がどこにある ! と思ったものだった。内容に入る以前に・貴方の立ち位置は間違っている
! という事を伝えたかった。 艱難辛苦の末の折角の心を込めた楽曲でも…デマが先行すれば、それらは一瞬にして掻き消されてしまう…!
 たとえどんな有名?な雑誌・報道番組・ベテラン・コメンテーターであっても…何を目的として総てを大げさに取り上げ、命に関わるような段階にまで追い込み、攻撃しようとするのだろう…
!?  

 もっとも…そんな事に振り回されない、それを超える程の楽曲であれば話は別だけれど…? 
(笑)

 
(新約聖書…人を裁くな、あなたが裁かれないためである。)

 とはいえ…今は間違いなく、
マスコミ戦争の時代(テロやクーデターならともかくも…武器戦争の時代は終わった)。 多かれ少なかれ、どうしても、他人を批評したり、批判したりする機会が増えていく時代…現に、この私もそうだ。

 かといって、いつまでも良い子ぶってもいられないし…これも一つのご縁であり…運命・使命。
(笑)

 良いものと・悪いものとが選り分けられる時代の真っ只中マスコミに呑まれない強い世論を育てるには…もっと具体的に取り組み・対処するような、マス・メディア対策…やっぱり、政治が、もっと・もっと成長してほしい。 表面をへつらう事にばかり拘っていては、何も動かない。

 そうでなければ…まるで浮き草のように・根無し草のように…流れて行ったと思うと・引き返し…引き返したかと思うと・思いついたように、また流れて行き…澱
(よど)んだ水の上を…行ったり・来たりを繰り返す…なんだか、そんな社会が連想される。


飛鳥 涼『インタビュー』 幻冬舎★  (1996年発刊)

 この本を改めて読んでみて…最初の時には気付かなかった事がいっぱい…! (世の中の事情が違っていた
?)  今、再び読み返し…

  登場する場面も、
メディアと著者の環境を除いては、特別の世界という訳ではない…

 にも拘わらず…大人の世界…子供の世界…スポーツ界…(この出会いは偶然ではない・必然を思わせるような)著者の環境とは対照的な、悲しい裏社会…

 そして…気付いてみれば…周りには誰もいない…孤独の戦いの始まり…

 今、正に社会が抱える最前線の・また普遍の、あらゆる業界の悩める諸問題…
 その核心を衝いた…老若男女の全てに伝わり…決して扇動ではなく…むしろ寄り添って・持ち上げてくれるような…そんな人間の少なくなった社会にあって、これぞ、日本男子の心意気
! を思わせる…そんなフレーズのいっぱい散りばめられた!

 構成もいい! パッと開いて…どこから読んでも、充実感を与えてくれる。 
 読んでいるうち、幾つかの楽曲が浮かんでくる…原点はここにあったのか、と。
 
 とはいえ…未だ何が解決された訳ではないけれど…何もかもが、取引のような・駆け引きのような事ばかりを繰り返し…収穫さえ成されれば良しとする、索漠とした時代の流れの中で…音楽活動においても、何かと先駆けの立場で歩んで来たと思われる著者の…その先見の明と…裏切られても・裏切られても諦めない、相手に寄せる切ない期待と・細やかな心遣い…窮地に立っても・相手の立場も思う…情感・臨場感溢れる秀作のように、私には思われる。
 これらは、決して個人だけの問題ではないと思う…まして、創造の世界を行くのであれば…
!

 目的地に到達する事よりも、程良いところで妥協するのが大人である、と教えられて来た…挙句には…その積もり積もった粗大ゴミ(ストレス)を前にして、捨てる場所も見つからず…もはや、目的地とは遙かかけ離れた場所を、ウロウロ・ウロウロとさ迷い歩きながら、苦しみもがいている…!

 今の社会の…この「マスコミ戦争の時代」たけなわにあって…『個性の尊重』という…その核心を衝いた・最前線に位置する・国家の・世界の問題を問うているような。 
 初刊の時よりも…まさか、今日この日のために? と思われても過言ではないような
。そんな時の意に適う秀逸の書のように、私には思われる
!!

 お友だちの、
ソフトバンク・孫正義社長のご協力を得て、電子出版もいいな、と思うけれど…!? 

 それも、添削はしない…このままの方がいい。  (出版の法則はよくは判らないけれど…)

 
Amazon.だけでなく、ともかく、何かの形でぜひ再現・再版してほしい、と心から願っています

 (註…今回のゴシップ記事は「インタビュー」に登場する出版社とは別物であり・因果関係はないと判断しています。念のため。)

<追記> 
 
以下はC&Aのファン・クラブに寄せた、私の個人的見解(主観)によって作成したものからの転載。


タイトル  東○○問題・○春問題で苦しんでいる方たちに伝えたい!! (1)

■本文

 もう一度、原点に戻って冷静に考えてみてはどうでしょう?  

 今度のC&A復活再開が延期になった直接の理由は…
!

 Aさんご本人というよりも、
担当医のしっかりとした診断の結果によるものであり、むしろAさんは、その先生の思いがけない忠告に対して、逆に戸惑っておられたのであり、最終の決断は、それらを冷静に受け止め・検討した結果の、あくまでも事務局の判断によるものであるという事。
 
 突然倒れただとか・緊急入院しただとかではない…何より、不正な薬物飲用などというのは、むしろ日頃のAさんからは全く逆のイメージを持つものであり…!! ○スポ・文○もそれが判っているから、そんな対照的なAさんを狙ったのでしょう…逆にこんな事、一番判っているのもマスコミですから
!  

 もちろん人間、いつ・どんな災難に出遭うか判らない…災難だけではなく、今後、どんな出会い・決断・活動方針が待っているか判らない、神(Aさん)のみぞ知る
!! でも、今の時点では、これだけははっきりと言える事だと確信しています!! 

 (私などがいうまでもなく)東○○・○春は、これまでにもさまざまな騒動・紛争を起してきた…

 <この記事には自信があります・はっきりとした証拠を掴んでおります>
 …などと言った、お決まりの殺し文句で。
 たとえ名誉毀損により賠償金が生じたとしても、当人の社会的知名度によって、販売数など、それは初めから赤字にならない程度に計算し尽されたものであり…『リスク』や『未必の故意』は彼らにとっての大事な一つの賭けであり・商法なのでしょう!

 そのため、「我慢・我慢」「忍耐・忍耐」を強いられてきた犠牲者はいっぱい存在する
! 「死」をもって抗議した人たちまでが存在する…そしてそれは当人だけではない、その人を取り巻く、心ある人たちにまでも広がって行く…!

 そんな雑誌に何故、「中立の立場で・冷静な判断・対処をすべき」などという気遣いが必要でしょう!? むしろ、そういう人たちがいるから、その弱みを狙ってのゴシップ・デタラメ記事が成り立って行く原因になっているのでは!? 
 時には、曖昧な・自信のない客観性よりも、なまじはっきりとした・乱暴なくらいの主観でもって対処した方が健康のためにも良いと思いません? 世の中、正か不正か・善か悪かで総てが決まったり・治まったりする程単純ではない。 群がったメディアの前で・しかもほんの数分・数秒で人生を語るなど公平じゃない…他人のあなたたちに何が判るんだ
! という場合だってある! 


 だから勿論、良し悪しは別として、メディア側にも苦労はある…時には、もっと苦しい立場かも知れない、相手が大物であればある程。
 Aさんにしても…いや、Aさんに限らない…逆に、同じそのメディアのお陰で世間の注目を浴びて来た…さまざまなキャラクターが存在する…自分の失態を逆に売り物にする手段もある…
(笑) メディアとは、言わば『天国と地獄が同居する世界』…! 
 
 思えば、ズルズル・ズルズルといつの世にもこれらが絶えないのは、この業界に限らない…
 一つ・一つの人格の重さ・芸術(=芸能・音楽・スポーツ等々…)に対する「地裁・高裁」の事務的・官僚的対応にも問題があるに違いない…(損害賠償等々への対応基準の甘さ…広く・浅く…まるで、㈱地裁・高裁…のような…) 
<苦笑>

 要は…世の中のため・自分のため、少しでも、『実になる苦労』をしましょうよ。 これこそが、『生き残るための秘訣』だと思います。

 (もし、今度の出来事に何か人間関係のようなものが絡んでいるとしたら…Aさんはきっと、最後まで…幼馴染みで・同級生の彼<物故>という存在を庇<かば>い続けて行かれる事でしょう)

 そもそも、何か公的機関の要請・指示によりスタートした事柄(取材)であればともかくも…下手な対処は禁物。相手にしない事が一番
! くれぐれも気を付けたいものです。  『沈黙は金なり』
 (いざとなれば、警察関係・情報関係にもりっぱなお友だちを持っていらっしゃる、Aさん
! <笑>)

 過去にも、
『創造の世界』と「世間の狭間」で、いっぱい苦しんで来られた…むしろ、これを機に、そういう事で苦しむ人たちの「先駆け」となって挑戦して行ってもらいたい!

 もう一度、
渡邉プロデューサー・他の皆さんのメッセージを読み返してみてはどうでしょう…? 
 
C&Aファン・クラブの一人として、冷静なご判断に心から期待しています。 


 ■タイトル  一部の未だ苦しんでいる人たちに伝えたい。(2)

 本文

  この時点で、○スポも・○春その他も(警察も・高裁も・地裁も)、何も求めていないのに、どこへ・誰のために抗議するの? 逆に、こんな浅慮な自分たちの失態を隠すために、早く消えてほしいと思っている、そんなメディアもあるに違いないのに
!

 警察関係・情報関係にもりっぱなお友だちを持っていらっしゃる、Aさん
!
 ご存じのようにこれらは、テレビ・その他でも何度か登場された事のある人たち…ソフトバンクの孫正義代表も大切なお友だち
! 病院の先生の中にもいらっしゃるのかも知れない。

 下手な対処をして、この人たちにまでも迷惑を及ぼす事の方が余程軽率で・馬鹿げていると思いません
!?

 (被害者のAさん自身が望んでいないのに) それでも納得出来ないのであれば…
 あとはもう、ご自分の周りの人たちを説得するための、何か『個人的方法』でもって対処するしかないと思います。 そこまで苦しむのなら、それぐらいの努力はしてほしい。事務局の責任ばかりとは言えません。

 抗議すれば全ての人たちが納得出来る程、世の中は甘くない

 今度は、虎視眈々
(こしたんたん)とチャンスを狙っていた、別の新しい人物(=メディア)が登場してきたりして、真面目な人たち(ファン・クラブ)は、またまたそちらに飲み込まれ…(苦笑) またまた大混乱が起き・大変な状況が予想される…というのが世の中の落ち。

 今度の場合、感じた事は、
 『幼馴染みで・同級生の彼』
 の事を、
 『学生時代の友達』 
 という表現で報道しているメディア(番組)があった。 
 これは間違いなく、意図的・恣意的なものであり…まるで大人になってから出会ったかのような印象を与える表現
! マスコミの緻密さ・怖さ(時には無知さ加減)を改めて思い知らされる
 
 「担任の先生の指導のもと、一緒に下校する事を義務付けられた中で出会った、同級生。」

 こんな例は、Aさんに限らない。日本のため・世の中(海外)のため、さまざまな分野で活躍するこれらの大切な人材(日本人)を、いともた易く抹殺してしまう、マスコミのあり方。

 銭・金・スキャンダルを、即・悪と捉える…自分の周りの金銭問題には寛大だが、他人(スキャンダルの対象)の金銭感覚に対しては、とても厳しい! 昨日までの共に歩んで来た仲間・友情・愛情が…ある日突然、マスコミの一方的・主観的『善・悪論』によって、加害者と被害者とに分断される ! 

 過去にも、世間にさらされながらも、何も抗議をせず・多くを語らず・泣き寝入りをしてきた人たち(政治家も含め)がゴマンと存在するというのは…こんな結末が予想されるからだと思います。 

 あとはもう、『沈黙は金なり』しか、方法はない。

 どうぞ心を開いて、再検討をしてみて下さい。


タイトル  復活公演延期は、虫の知らせだったのだろうか…!? (3)

本文

 四季の国・日本の自然現象とはいえ…8月のあの異常気象…9月に入っての・(もし公演されていれば)終演直後の…ナント、突然の竜巻襲来…! 怪奇現象といっても過言ではないような。 

 3.11以来続く…地震を始めとした…干ばつ・大洪水・がけ崩れ・山崩れ・道路・鉄道・トンネル事故・橋架切断…そのため、各地で毎日のように起きる、交通事故という後遺症…
!

 自然の「理」と・人間の「霊気」は相通じるものがあり・ギブ&テイクの関係(=授受作用)のもとに創造されているそうだけれど…どこの辺りから、双方がこんなにズレ込んでしまい、離れて行ってしまったのだろう…?? 

 『万物の霊長』である人間を頼りとしている、森羅万象。すべては日頃の人間の生き方とその責任のあり方に帰するもの、という事? 
 減反政策に始まる、駐車場の増加…雨水の吸収力を失った、山林が・舗道が・建物が・トンネルが・橋架が…縦横無尽に走る、日本列島。
 最近のテレビの災害のニュースを見ても…都会のど真ん中を走る舗道・歩道に溢れ返った、洪水・洪水の映像ばかり ! 自然の保護か。破壊か。

 今にして思えば…

 C&Aの復活再開延期の理由は…Aさんの体調不良というよりも…

 それを事前に察知した、
「虫の知らせ」というか…Aさん独特の霊感というか…(笑) 何か、そんなものが働いたような。むしろ逆に、なんだか、命拾いをしたような

 もしこれが…そんな異常気象にも拘わらず、強行でもって開催されていたとして…

 そんな状況の中で…企画に・リハーサルに身をやつすお二人の姿を想像すると…
 また、それぞれ本番当日の天候を気にしながら…日々の天気予報を横目に…祈る思いで…ヤキモキしながら過ごす、スタッフやファンの姿を想像すると…

 今度は逆に…日本列島、さまざまな地形・土地事情を抱えた中で…

 (これはファンに対して、少し失礼な言い方になるけれど…)
 公演日を待つまでの不安だとか…そもそも、なんでこんな大変な時季を選んでくれたのだろう ! とか…
(笑)

 当日となれば、今度は…会場到着までの苦労だとか…終演の帰り道の苦労だとかが…延々と語られ・呟かれ・愚痴られていったに違いないだろうから…
(笑) それを思うと… 
 
 これはやっぱり、Aさんのお人柄・霊感というか…『虫の知らせ』であったに違いない ! 
(笑)

 とはいえ、これらはすべて、
C&Aあっての悲喜こもごも。(笑)

 しかも、
C&Aの挑戦・本番は、まだまだこれから!! 雨降って・地固まるには、まだ少し時間を要する。

 周りの「霊気」に惑わされる事なく
(笑)、体調に気をつけて、頑張って下さいますよう、心から祈っています。(微笑)


■タイトル  ○○○○さんへの疑問 (4)

本文                                

 初めまして。 

 「いろんな意見が出て良いと思うんだけど…」 と仰っている割には…自分と違う意見に対しては、ご自分の方から早くも否定し・批判しようとしていらっしゃる…
(笑)

 他にも例えば…「旧曲」…「新曲」…「カバー曲」に対する
C&Aの動きに対してもかなり厳しい監視の目を向けていらっしゃる…もし私がC&Aだったら…スタッフだったら…なんだか身動き出来なくなるような勢いで…(苦笑)
 
 だから…○○○○さんのご発言に対してどこか矛盾を感じてしまいます。 鶏が先か・卵が先か… 
(苦笑)  

 ファン・クラブに限らず、チャゲアス・ファンには、新曲・旧曲・カバー曲には関係しないファンがとても多い。何回・何回聴き直しても、何故か飽きない…時には、クラシカルな・シンフォニックな…幅広いジャンルの名曲がとても多い。決して大袈裟ではなく…!
 そんな中で、むしろ、
C&Aご自身が新曲に拘わり過ぎているんじゃないか、とさえ思うほどに。
 それよりも、整理・整頓し・復活させてほしい、そんな旧曲がいっぱいある
!   
 (それとも、私が「アーティスト魂」を知らなさ過ぎるのかしら…?) 
(笑) 
 (いや、そんな事はない。あの、さまざまな旧曲・名曲が好きだからこそ、こうやって今でも沢山のファンが存在する!) 

 例えばカバー曲というのは、最近のNHKの番組などにも見られるように…今の世の中の風潮だと思います。
 恐らく、C&Aの音楽に対するポリシー?からすれば、初めは少し抵抗があったのかも知れない…でも、現代のリスナーのニーズというのは幅広い。ひと昔前のように義務的・形式的な事には拘らない…さまざまな企画・演出を求めている…ならば、自分たちも現代感覚に遅れを取らないような柔軟思考に切り替えようという…そういった発想からのものではないでしょうか?
 ファンとしても、極力先進的な・広量な目でみて行きましょうよ!

                                     ★ ★ ★
 
 (私などがいうまでもなく)今回の出来事に関しては、他の事とは違って…
C&Aにとっても・ファンにとっても、今は一番大事な時だと思います。
 
 一段落したとはいえ、みなさん、まだまだとてもナーバスな状態でいらっしゃる…
!

 それとも…一段落するというのは、○○○○さんにとっては物足りないという事かしら ? 
 (であれば…今回のこの出来事の深刻さが・社会の恐さが・被害者の立場が、まだよく解っていらっしゃらない
!)

 デマほど無益で怖いものはないし…命(=仕事生命も含めて)に関わる場合だってある。世の中には死をもって抗議する人たちまでが存在するんです
!  恐らく、マスコミ業界・IT業界に詳しい○○○○さんであれば、そんな事は誰よりお判りのはずだし・認識していらっしゃるはずなのに。 

 それでも…こんな大事に至っても…あのC&Aだからこそ、私たちは、こんな平静な気持でいられる…

 C&A日本の代表として厳しいチェックの中、韓国での歴史的大イべント
日韓共催による、ワールド・カップ開催のための、(禁じられていた日本語での)『チャリティー・コンサート』にも参加して来ました…(この時のコンサートの目的と価値…チャリティーであった事の価値は、私たち日本人には…猫に小判・豚に真珠…程度のものだったのだろうけれど。<失礼>)

 (あのモナコ音楽祭にも、アジアの代表として連続出場。 他にも、北京・台湾・英国…東南アジア…) 

 だから、「いろんな意見が出て良いと思うんだけど」 というお言葉は…

 あと数年~10年経った頃に、気の合うお仲間同志で語り合ってほしい…絶対とは言いませんが、恐らくこれが、みなさんのメッセージを拝見させて頂く中で感じる、心あるファン・クラブの方たち大半のご意見だと思います。何か前向きの上手い方法とか・お考えを提起なさるというのなら別ですが。

 このファン・クラブには、小学生・中学生と思われる方たちのエピソードまでが、時々登場したりして…そんな人たちの夢を、こんな悪質極まりないデマゴギーなどで壊してほしくない。 
 それくらいの事をお願いする権利は、私たちにもあると思います。

 でなければ、またぶり返し、振り出しに戻ってしまいます。

 こんな状態を…例えば『C&A教室』に担任の先生がいたとして…どう収拾されるのでしょうね…一度、聞いてみたいもの ! (笑) 

 というと…またまた…「だからそれを、C&Aに直接聞くべきだ」というご意見が飛び出しそうですが…
(苦笑)
 自分の周りを中心に考えればそうかも…でも日本を中心に考えれば、そうは行きません ! そんな簡単なものではありません ! 台湾の人たちもいらっしゃる…
!

 何より、ここは学校ではありません。家庭でもありません。一つの社会です。C&Aを中心としたクラブであり・サークルであり…芸術であり…(理想を言えば)たとえFC会員に、とまでは行かなくとも、さまざまなソフトでもってC&Aファンを広め・推奨・拡大する(そうする事が自分の幸せにつながるから)…云わば、一つの企業です。
(笑)
 
もし学校であれば…いやいや、たとえ学校であったとしても、1年生・2年生・3年生…というように成長に従って分けられている…1年生の時は言いたい放題・自分の感情を中心として学んで行けば良いけれど…大きくなるに従って…自分をセーブし・コントロールする力を養う…子供によっては、逆に自己主張を促す場合もある…それぞれ大小・多少の違いはあっても、最低基準の『社会性』を身に付けなければならない…そのための・それを目的とする小学校であり・中学校であり…高校であり…
 そして、それぞれの子供の個性・感性を把握したならば、当然、担任の先生の接し方も1年生の時とは違ってくる…段々と厳しくなる…そしてそれを、子供の自律心へとつないで行く。 
 
 あくまでも、それを基準とした上での出会いの場であり…
C&Aを通して出会った中での語らいの場であり…即・営利にはつながらないけれど…可能性・未来性のない消極的・否定的発想(ネガティブ)は極力避けたい…と思うのが、人情であり・企業であり・社会ではないでしょうか。
 (時には何かヒントを与えてくれるような)未来性のある積極的批判(ポジティブ)は勿論、歓迎すべきです。

 例えば、批判とは違うけれど、たまに…「
C&A以外のコンサートに行く…行った…」 というメッセージを見かけるけれど…これも一つの刺激であり、(お二人の)若さを保つための秘訣として(参考として)、私には積極的な良いご意見に思われる…「それでも私は貴方たち(=C&A)の会員ですよ!」という…逆に、C&Aという存在の重さを強調してくれる! (微笑)

 それとも、他に何をお望みなのでしょう? ○○○○さんの仰りたい事は何なのでしょう…? 
 ズルズル・ズルズルと…まるで「根比べ」のようですねぇ。 
(笑) 

 いちいち反論しなくても、とも思いましたが…これから先の事を考えると…何より、
C&Aファン・クラブの未来を・進展を思うと…

 やはり、思い切って、コメントさせて頂きました。 


■タイトル  今度こそ、解決!?  (5)

本文  

 『Aさん騒動』について。

 (10月…日)『ミヤネ屋』さんが、思っていたより、上手くまとめ上げてくれていました。
 物理的・法律的には何も問題はないという事を、専門家(医学・法律)を交えた中で証明してくれました。 

 ただ…「結果として、Aさんと○春は両方とも騙された同じ被害者。」

 としたところに、少し不満を覚えましたが…(そもそも、そういうネタを手に入れた事自体、犯人?とのつながりがなければ出来ない事なのだから、全面的に信じる訳にはいかない。しかも、しっかりと調べないままに掲載した事は間違いない!)…
(苦笑)

 でも、それを追及したら…
 人気商売であるAさんの立場はもちろん、今後の「ミヤネ屋」さんと「○春」…他にも「○テレ」「○新聞」の関係など…良い事は何もない…当人に対する、メディアの暗黙の内の『いじめ…攻撃…』が始まるかも知れない…気まずいものになる事は、必至 !

 新聞の、あの週刊誌の広告欄を見る時の恐怖感(ストレス)は、当分抜けそうにないけれど… 

 でも、世の中が何かと
過渡期にある今…善いものと・悪いものとが選り分けられる時代…自然淘汰。 「善いもの」というのも…「小善は 時には悪」と言われるように…規律・法律を守った・守らない…などという単純な建前論の世界の話ではなく、ハート(度量)の問題
 Aさんは、そんなマスコミ戦争の時代の先導者・戦士に選ばれた一人なのかも知れない。
 歴史が示すように…こんな時、神様は、得てして「知識やスキルに優れた人間」よりも…不器用だけれど、「ハートの深い人間」を選ばれる…こんなデタラメ社会に耐え得る、実力を持った人…! 

 そして、こんな事、いつまでも続けられるものとも思えない。

 ちなみに、「ノン・ストップ」の番組も同じでしたね。こちらの方も、(中身の真偽はともかく)Aさんの談話を中心として語ってくれているように思えました。(少し、腑に落ちない場面もありましたが…)

 ともあれ、綿密で・もっともらしい言葉ほど気を付けよう ! 例えば、以下のような…
 
 
『飛鳥は時間と労力をかけて文春を訴えるよりも、音楽を作ることに時間をかけたいと、提訴しなかった理由について語っている。しかし、“シャブ&飛鳥”と報じられた汚名がこれでそそがれたとは誰も思っていない。「音楽で勝負」という言葉を信じるファンはどれだけいるのか――。』 <10/…某週刊誌・芸能レポーター(無記名)からの抜粋>

 つまり、早くも上記のような、現場
(ファン・クラブ)実情とは真逆の・無責任な・悪質な文体…「待ってました!」とばかりに発せられる…すべては『もっともらしい=小善』 こんなところに、その諸悪の根源が隠されているのであり…風評は、こんなところから広がって行くのでしょう。 

 きっと、Aさんの善いところは、(相手を尊重するが故の)『(バカ)正直』。 悪いところは? それも『(バカ)正直』。 (笑)

 従ってその分、意外とストレスは溜まらないのかも知れない…というより、溜める事に耐えられないタイプかも。 違ったかな? 


 という事で、ここら辺りで終止符を打つ事にしたらどうでしょう? (私がいう事でもないかな。)

 一つだけ、冗談を言わせて頂くとして…
 
Aさん、この度はとんだ『更年期障害』でしたねぇ ! お察し致します ! そんな体験のある私には、Aさんのお気持、よく判ります。 (笑) 

 
Cさんも引き続き、くれぐれも気をつけて…! こんなAさんではありますが…(笑) これに懲りず、(同じ立場としての苦労を語り合うなど)ぜひ、救いの手・協力の手を差し伸べて上げて下さい。何か良い手立てを見つけて上げて下さいませ ! 

 とはいえ…この業界(ラジオなど)が専門で・プロのCさんとはいえ、今回は事が事だけに…安易なメディア(雑誌)へのインタビューなどは、出来るだけ避けて下さいねファンの一人として、心からお願い申し上げます。


 少し違うのでは…?  (6)

 本文

 C&Aファン・クラブの中には、れっきとしたお医者さんもいらっしゃって、しっかりとした「医学的立場」を踏まえ…逆に、マスコミ等で語られる安易な某タレントさんのコメントに対して、苦笑していらっしゃる、ファン友さんもいる。
 敢えて言えば、こういった問題は…鶏が自分の環境を中心にして・その回りをコツコツ・コツコツと突っつくような、そんな主観の問題とでも言えばよいでしょうか。


                         
 結果論になるけれど…

 今回の場合、事務所側の対応にも、マスコミの怖さ・社会の怖さに対する、軽さ・短絡さを感じたファン友さんは多いはず。 
 公と私の分別は建前としてはともかくも、そんな単純な問題だろうか? Aさんの未来に対する心配りが足りなかったのでは…? (結果としてそれは、事務所の未来のためにも。)

 
『自粛・回復を克服したら、今度こそ、復活です!』

 という、
肝心のメッセージが抜けていた…! 公表したからには、せめてそれをしっかりと強調してほしかった。

 世間のC&Aへのイメージ・ダウンは…ファンへのイメージ・ダウン。 この事で苦しんでいる人たちが、いっぱいいる ! 「うわさは一時 イメージは一生」

 ネットの時代を迎え…今や、ファン・クラブへの発表は・マスコミへの公開と同じ。事務局の方針に背いた?事を何故、こんなタイミングで公開しなければならないの? 誰のため? 何のため? C&Aの活動はまだこれからという段階で…(一般世論にすれば)なんだか、何かが止まったような印象を与える、このフレーズ…! 

 自粛の理由が、「事務局への無断行動」と受け止めてくれるメディア・世論はどれだけのものでしょう? 多くの人たちが、「疑惑に対して」と、受け止める気がしてなりません…
(涙)

 何より…「語れるものなら語りたい(ぶちまけたい) !」…と、誰より思っていたのはAさんのはず。そこには…一般業界とは違った、孤高の世界…事務局といえど、話の基準を合わせる事の難しさ…そんな何かが、Aさんの中にあったに違いない…! (背いたと断言できる? 事務局対応であれば事は起きなかった? そもそも疑惑騒動は…「復帰の延期発表」に端を発した…それに目をつけた、マスコミ報道がすべての始まりなのでは? Aさんだけの責任?)
 
 実際、Aさんは現に直接プロと対峙したにも拘わらず…(もっとも、Aさんのこの行動が、すべての発端とはいえ)…相手はあの調子ですからねぇ…この事は今回に限らない、過去にも散々苦労されて来た。レベルの高い・低いではなく、Aさんのレベル(個性というか・プライドというか…)を理解し・それを掌握しながら接してくれるプロ ! 本当のプロに出逢う事・探し出す事の難しさ…大変さ…! 
 芸術の世界と…世間の常識とを合わせる事の苦労は、当人でなければ解らないと思う。
 
 私たちファンには当たり前のように受け止められるコメントであっても、そうはさせないのが、世間・マスコミ。彼らの
狙いは…
 
『見出し』『イメージ』
 であり、内容なんて、どうでもいいのだから…! 

 Cさん。Aさんのために何か良い方法を見付けて上げて下さい ! お願いします!
  
 (ファン友さんも仰っているように)…元々、自粛中なのに・自粛?というのはよく解らないのだけれど…? ともあれ、自粛は自粛なのだから…
 ならば…公(仕事)ではなく、アーティストとしてではなく、何か、私たち一般人と同じような…Cさんお得意の
『スナップ・ショット』などを利用して…日々の・Aさんの一つ・一つの言動を監視する…みたいなのはどうでしょう…!? 
 
  心から期待しています ! 
(微笑) (祈)

 ファン友・サリーさんによると…
 
「世界初・逆ライブ」祈願・CA復活!という、コミュニティが誕生したようですね。コミュニティー名は『願いのリレー』。管理者は□□さん。なんだか嬉しい。結果なんかどうでもいい、心から応援しています。みなさんも、ぜひ、どうぞ ! 

 (以下は、私の主観ではありますが…)
 先日の、あるバラエティー番組で、Aさんの映像が数人の中の一人として、トップで流れてきました…気のせいか、特に目立つ格好で…! もちろん、内容には言及の仕様がないから、ネタにはなりませんでしたが…私たちに言わせれば、これは明らかに捏造映像であり(あくまでも、あの時点では)、間違いなく違反しています。とてもショックでした。 

★ ★

 ……などと思う程に、正直なところ、今回の発表には衝撃を受けました。 

 あとは、Aさんが、私たち素人が思うほどには深く考え込んではいない事を願うばかりです。 これには、大いに期待するものがあります。 


 (会報自粛以来最初の)会報到着!!  (7)

 本文

 ナベさん(註…元・エグゼクティブ・プロデューサー) のメッセージに、心から感謝 ! 感動 ! 
 (依然、自粛中の)
Aさんのメッセージは無いけれど…いや、無いにも拘わらず・Aさんで溢れかえったような、フレーズ !

 
Aさんの立場で…
 
Aさんのご両親の立場で…
 そして、ご自分の立場で…
 今回の流れを振り返り、一個人(Aさん)ではない・全体責任として受け止め…主観・客観を交えながら…すべての人たちが納得出来るよう…真摯に・柔軟に対応して下さった気がして、とても救われる思い。
 (涙)  (喜)

 いつかのあの、
Aさんのメッセージ…(会報・9月号)

 『 …
CHAGEには、心配・迷惑をかけ、嫌な思いをさせてしまい、申し訳なく思っています……自分では、もう体調もほとんど戻ったと感じていますが、今は、しっかりと医師の言うことを聞かなければならないと思っていますので、何とか完全復活を目指して、許可を得られるように頑張るつもりです……これからどんな状況になろうとも、納得できる音楽を届けることが、僕の使命です…』 

 一寸先は闇…大きな・大きな回り道…とはいえ、元々、Aさんの気持の中には、これしかなかったのだから、今でもその思いは変わらないと思う。
 何より、長年、会報を通して、Aさんをみつめながら共に歩んで来た私たちの方こそ…今度のこの出来事は、いったい何だったのか? どの角度から考えても当てはまらない・あり得ない情報だとしてしか受け止められないし…「信じる」「信じたい」などという以前の問題だと思う。 

 その心中は、常に「音楽活動」であり…だから、不法な薬物飲用などとは無縁の・むしろ真逆の発想と目的でもって…ひたすら発声(持病克服)のため、さまざまな手法を探し求めながら苦労して来られたのであり…集中力抜群のあの数々の名曲がそれを証明している。
 
 だからもちろん、私たちの思いも変わりません。引き続き、頼りにしています
 

 通院と同じくらい…いえ、それ以上に、自己管理に努めて下さいね。

 
Cさんに、ヨロシク・ヨロシク、お伝え下さい!

 お二人と一心同体の、ナベさまにも、くれぐれも・くれぐれも、お体には気を付けて…と、お伝え下さい
                                         

 君をのせて♪  (8)

 本文 

 君をのせて♪ 

 この曲は、作詞:
岩谷時子  作曲:宮川 泰  編曲:井上 鑑

 『NEVER END 』 (アルバム) に挿入されている…!

 大好きなこの曲。 完全にASKA化された感じで…ファン・クラブにも、岩谷さんの楽曲である事に気付かない人がいるのかも? 私も購入して数年経った頃に、この楽曲が、ASKA曲じゃなかった事に気付いた…!

 君をのせて♪は、あのジュリーさんのソロ曲だそうで、そのカバー曲。

 
ジュリーさんは最初、この楽曲になじめなくて…
 「素人?には、出だしのあの…
ウァー~・ウァー~…なんて高音出せないよぉー!」
 …って、あのベテラン・シンガーが謙虚にぼやいておられた時期があったとか…
(笑) 後になって、徐々にこの曲を好きになっては行かれたようだけれど。(笑) 

 最初のあの…ラップだか? シャウトだか? スキャットだか…情感溢れる超高音…超低音…確かに、Aさんのあの音域は凄い ! 完璧 ! 感無量 ! 

 宮川泰さんも…Aさんがカバーしてくれた事で、前より印税が多く入ったと冗談のような・本気のようなコメントをされていたという、エピソード…!? 
(笑)

 このアルバムの挿入曲はどれも・これも素晴らしい。 
 他にも…"I’
m busy ♪" あの詞とリズム、そして構成がいい。 ビート の効いた、最高傑作だと思う 。 "晴天を誉めるなら…♪"に始まる異色ものが、ズラリと並んだ…!  

 今さらながら…C&A曲には、強・弱…剛・柔…が色とりどりに盛り込まれ、聴けば聴くほど、とても味わい深く・高度に感じられるものばかり。 

 とはいえ…何より、そのお歳には・そのお歳なりに、ゆっくりと、長く続いて行ってほしい。 
(微笑)

                                            (2013年~ )


 (2014. 5.~ ) 
 
                                       
 □□さん、貴重なメッセージを有難うございます!! (10)

 でも、私には、それ(所持)さえも信じられない…!

 逆に…神さまに試されているのは、この私たちの方ではないか、とさえ思ってしまいます。

 先の…いや、今でも続いている、ファン・クラブの中のこの混乱を思い浮かべながら…結果としてAさんは、その大きな犠牲者ではないかと…私の嫌な予感が当たってしまったような。

 現代にはびこる、あの膨大なマス・メディアに対して、この全国網で広がる大きな組織のC&Aファン・クラブが、この試練にどう対処して行くのかという…!

 また例えば、公共放送・マスコミで公開されれば、もうそれだけで…それが正解だ、結論だと受け止める、従順な日本の世論・庶民感情…!

 最近は、日本に古くから潜在しており・多大な数とされるあの、「残酷な冤罪事件」が…何故かここにきて、次々取り挙げられ・取り沙汰されていますが…私たち世論だけではない…試されているのはむしろ、マス・メディアの方かも知れません、私はそう踏んでいます。 

                                       ☆ ☆

 いつも思う事は…マスコミは、事件の当事者・犯罪者がその犯罪に至ったプロセスを大々的に興味深く公表し、「飯の糧」としているけれど…

 しかし、それを犯人と決定に至らしめたマス・メディア・警察・検察等々…それに加担した人物・事柄などのプロセスは、全くといってよいほど公表しない…(テレビ・ドラマなどのフィクションは別としても…)
 少し話が大きくなりますが…  
 記録にある、世界で最初の「無実の罪」で捕らえられたのは、「イエス・キリスト」だったように…その振る舞いに法律を越えたものがあったとしても…いつの時代にも、何故か、情に厚い・責任感と大きな使命を背負った人物がとても多い…失敗した時はその試練も、人一倍大きい。

 歴史上の様々な事件・事故…何より、政治…

 「貧しい人は 幸いなり」という言葉は、こんな世紀末が予想されるところから生まれた聖句なのかも知れない…「何かあった時」には、「選ばれた人間」よりも、私たちのような末端に生きる「凡人」の方が、誰にも影響を与えない・無難で幸せ…という。 しかし、こんな時代(総ての人たちが平等)を迎えてみると、それは決して、そんな凡人を誉めた言葉でもなんでもない。

 仏教で言うところの「末法」、キリスト教で言うところの「終末」…世紀末。 一人一人が試されている…今、正にその真っ只中に置かれている、私たちなのかも知れませんね。

                                        ☆ ☆
 昨夜、届いたばかりの「会報・5月号」をチラッと読みながら…「ASKAからの近況メッセージ」の中に…

 「先日、知人から『明日、浅田真央ちゃん観に行きませんか?』という急なお誘いを受け……東京だと思っていたので、大阪と聞いて一瞬躊躇しましたが、せっかくのお誘いだし……バタバタと準備をして……」

 しかし、いくら待っても真央ちゃんは登場しない…結局それは、その誘った知人の勘違いで、真央ちゃんは最初から企画にはなかった…!?

 というのがありました。

 パラパラっと目を通しただけなのでよくは判らないのだけれど、その時・一瞬、「??」 みたいなものが、私の脳裏をよぎったのは、私だけでしょうか…!?


 「正・不正」は、人によって・国によっていろいろ・さまざまだから難しい。

 思えば、この1年間の闘いは、今日この日のために与えられた「序奏」だったのかも知れない。 今度こそが、本番なのかも知れない…!?
 んな結果が待ち受けていようと…
 みなさん、頑張りましょうね。 C&Aのために…彼らの自由を守るために。

 何より、大事な私たち・TUG OF C&A ファン・クラブのために ! 

 辛い事だけれど…たとえ、公共放送を相手取ってでも ! 



(その15) 形式が全ての日本人  
 
 辛い毎日が続く。

 きっと、ことばでは認めても、自分の中では…

 「そもそも、僕は(それと思って)やっていない…僕には知らない事ばかりで…」

 という思いが、その根源にあるのだろう…一生、自分にしか判らない感覚のようなもの。 

 「やりました…」 と、一度でも認めると、マスコミによって、今度は世の中の風潮が、ガラりと変わり、

 「やはり、隠していた…すべては意図的だった…!」

 となる。 そしてそのようにイメージ付けられて行く…マスコミから流れる数々の(悪質な)映像が、それを証明している。

 過去を辿りながら…あの時? この時? その場で初めて気づく事もある…そんな自分の思いを、警察・検察…あのマスコミの前で分析しながら語るなんて、一生を懸けたって出来るもんじゃない。 何より、自分だけの問題では済まされない。

 早くもこの問題を、バラエティー番組が取り上げ・煽っていたそうだけれど…他のすべての…ニュースさえ見る気力を失った人たち(ファン)がゴマンといる中で…とても辛かった。

 それまでは、その人の個性・特性として捉えられていたものまでが、これらの報道によって、一瞬のうちに掻き消されて行く…!!
 深みのない・中身のない…「正・不正」がすべての日本人…この流れ…悪習慣…! 
 

 すべては警察・検察というより、マスコミとの闘い。 正・不正…建前・形式にこだわる…信仰に薄い (宗教ではない・それと混同しないよう)…日本の特徴だと思う。 

 表面的・肉体的・この世的な事は、一瞬。あの世では取り上げる事さえ・話題にさえならないのでは…? (よくは判らないけれど
苦笑)

 でも、心的・情的なもの (たましいの問題) は、永遠。

 事実を暴く事をなりわいとする警察の立場であれば、それは仕方のない事。でも、マスコミの立場は違う。 

 近年、過去の「冤罪事件」が次々、暴露されているけれど…今後、これらの問題・課題に、マスコミはどう対処して行くつもりなのだろう !? 加害者…というよりも、被害者のプライドを・生涯を…どこまで取り戻してくれるだろう? 警察・検察と重複したような…スキルだけに頼ったような…そんな物理的・正・不正…を伝えるだけが、窮極の使命なのだろうか。  

 「やった。」 「やっていない。」

 にこだわる日本人には、それがすべてという事でしょうか。  (寂)

 うわさは一時・イメージは一生。 しかも…事件の中の一人ではない、そのトップに立つ人物として、晒されている。  (哀)



(その16) 「奇行」 !?

 たとえ一度でも、例えば「奇行」という言葉が登場すると…

 私たちの意識も突然、その方向に切り替えられ…以前の人格とは全く別の人間が目の前に現れる。そしてそれは…やる事・成す事すべてが奇行に思え…その新しいドラマは、私たち視聴者の力(意識)と・その協力によって、全く別の展開・方向へと進められて行く。

 私たちには毎月・毎月の会報を通してしか、Aさんの日常を知る方法はないけれど…そのマスコミ情報を信じると、今度は…

 「これまでの会報は何だったのか…!?」

 となり…その会報にまで被害が及ぶ事になる。 あの時の・あの言葉は当人ではない?  誰かが代弁していたのだろうか? となる。 そんな事はあり得ない。 昨年来の会報には(特に2013. 9月号 など)、しっかりと詳細に渡り語られている…それも、常に本人の言葉と執筆によるものである。
        
 例えば何かの会合(イベント)に、多くの出席者の中の一人として参加する…突然、事件が起きた…自分ではごく普通に・末端に控えていたつもりが…気づいてみれば、いつの間にか事件の中心人物に祭り上げられ、そこには全く別のドラマが存在していた…!?

 このコンピューターの時代というのは、本当に恐い。

 そもそも…本人にしてみれば、プライベートな・ごく内輪の出来事・出会いから始まったものだったにも拘わらず…

 過去の出来事を・現在の出来事として合成し・編集し…たとえ一つ・二つでも「本人(実物)映像」が存在すれば…あとはもう、それをうまく利用し…時と場所・人物…過去・現在・未来の区別なく、幾重にも取り替え・引き換え… 

 また、(当人にしてみれば)ひたすら作業進行のため・頼りとしていた薬剤までが…気づいてみれば、「覚○剤」などと十把ひとからげに混同され・仕立て挙げられ…そしてそれが、どんどん尾を引き…自覚のない
IT作戦・心理作戦が目の前で次々と展開されて行く…! ここはどこ? 私はだれ? のような世界 !? 

 挙句には…当人にさえも、もはや、フィクション・ノンフィクションの区別さえも付かなくなってくる…!?

 しっかりとした取材目的・取材対象の人間性・その誠意をしっかりと掴んでいれば、こんな悪質なドラマは生まれない。
 しかしそれでは、話のネタにならない…だから得てして、記事の内容とは真逆の人間が利用される事が多い。  

 このコンピューターの時代には、そんな大変な情況が予想される。これは決して大袈裟な話ではないと思う。 


                     未来を消してしまう 日本の常識・マスメディア

 元々Aさんは、基本的には器用に出歩く事の得意な人ではない。 幾日でも、自宅にこもって作業に勤しむ人だった。

 正・不正・事実…結果論・後手後手作戦…それを追及したあとに何が残る? 私たち世論がそれを知る事によって、未来に何か希望を与えてくれる…? 

 何より、その(飲用)目的も、少なくともその出発点では…例えばスポーツ選手のように、一段とその能力を引き揚げるため・よりプラス材料を積み上げるため、ではなく…酷使した肉体(器官)を、正常の状態に戻すためだったのであり・マイナス材料の克服のためであり…前者とはその使用目的が根本から違っていたのでは? (もちろん、スポーツ選手の中にもそんな目的・思いの人たちはゴマンといると思う。)

 この問題(薬物)が日本でも取り上げられて、もう何年・何十年になるのだろう。 寄せ集めた結果論を暴露するだけで何の手立ても講じられない・率先して探そうとしない…そんなメディアの姿勢にも、何か問題はないのだろうか。 私たちはメディアを通してそんな情況を何年・何十年、ただ眺めているだけなのだろうか。    
 
 番組終了の言葉はいつも、『この問題にどう対処するかが、今後の問われる課題であります。』 という、お決まり文句。

  「一度手にすると、もう止められない…」 「一度報道された人間は、社会から消えるしかない…」 「廃人…」  

 少なくとも、そう受け止める視聴者・評論家は少なくない。「殺人」にも等しい、これらの言葉…これが一番の厄介な問題だ。薬物患者を前にして、まるで流れ作業の現場にでもいるような。医療の現場にいる人たちまでが、マスコミの前で・万
(よろず)の視聴者を前にして、そう語っている。神の思惑とは遠くかけ離れた言葉。 

 治療は打ち止めなのか…その後、治療を受けている人間はいないのか。 これらは、しっかりとした根拠と調査による医学界の常識・決定事項なのか。「永遠に治らない」…にも拘わらず、入院させる目的は何なのか…?

 こんなところにも逆に、今の「西洋医学のあり方・矛盾」に限界を感じさせる何かが窺える。試されているのは、患者だけではないのかも知れない。

 昔は…歳を取れば物忘れがひどくなり、あちこちにガタがきて…などと、自然の現象・成り行きとして受け止められていたものだけれど…

 今の時代は…認知症だとか…一過性…だとか…さまざまな言葉・病名(商品)に仕立て上げ…即・薬品・薬物を提供する…医療なのか・営利なのか、さっぱり解らない…! (少し、乱暴な言い方になってしまったけれど)

 こんな大変な時代にあって…職業・環境を問わない、私たちの一人一人が、何かの分岐点に立たされている。未来のために、もっと大事なものを追究しようとする姿勢。 むしろ問われるのは、メディアの方なのでは? 

 そして何より、これらを総合して考えると、やはり、

 『 医学の根本に 帰りなさい』

 という…さまざまな医療業界・医療問題をも含めてのメッセージである事には間違いない。
 そんな何かを…Aさんという 、ビッグ・アーティストを通して、世の中に伝えたいのかも知れない。
 



                      
(その17) 
Aさん、あなたにメッセージが届いています 

           形(肉体)
だけの幸せの中で生きてきた日本人

  <参考> 江原啓之著 『あなたにメッセージが届いています』 マガジンハウス刊より

                                                 <以下、序文の一部を抜粋させていただきました。>

 
人は誰もが、幸せになるために生まれてきました。
 嘘ではありません。本当です。
 しかし、今までのあなたは、幸せなとき・つまずいたときを、単に「運・不運」で判断し、片づけてきてしまったことと思います。
 そこに間違いがあるのです。この世に生まれてきた理由は、あなたが本当に幸せになるため。ですから、たとえつまずいたり失敗したりしたこともすべて、あなたが幸せになるために必要な出来事だったのです。
 人は、人生という旅の営みをすることで、「喜・怒・哀・楽」という経験と感動を得ます。皆さんは「喜・楽」は幸せで、「怒・哀」は避けたいと思う辛
(つら)い経験だと受け止めるかもしれません。しかし、喜怒哀楽のすべてが、あなたが幸せになるために必要な、大切なメッセージなのです。 

 現世に生きるあなたも、たましいの存在です。
 現世に身を置き、肉体を纏
(まと)って生きていたとしても、肉体を司るのはあなたの心です。心こそたましいの顕現(けんげん)ですから、それが証拠です。ですから、あなたはたましいの存在なのです。
 そして、やがて迎える死も「無」になることではなく、たましいの世界に帰るということなのです。ですから、「人生は旅である」と伝えたのです。



 日本人というのは、例えば、魂(たましい)などと一言でも口にすると、
  「幻覚だ…」 「脳がおかしい…正気を逸している…!」
 と、即・医学に問題・話題をすり替え、別人扱いし…自然の原理・道理は無視し、即・検診・薬品投入に走る…


 それだけ日本の自然科学・信仰基準は低いという事なのだろう。 この日本には、まだまだ難問がいっぱい・いっぱい存在している…それぞれが・それぞれに、一つの分岐点に立たされている。 

 終末と呼ばれた当時、イエス・キリストは窮極の聖人だった。

 しかし、(肉体を持った)地上での彼の生涯は・その振る舞いは…当時の人々からは極悪人と評され・極刑に値するほどの人物として扱われ、その生涯を閉じた…あくまでも、当時の人々からは。

 つまり、現代人の私たちの、イエス・キリストへの評価・観点からは、真逆の人物だった訳です。

 何より、イエス自身の生い立ち自体、初めから社会の規範・ルールからは外れたものでした。(旧名・私生子) (神の意図)

 他にも…マグダラのマリアのお話…アウグスティヌスの話…聖書にも、いろいろな・さまざまな人間模様が描かれ・登場するけれど…
 その人たちにしても…すべてイエス・キリストへの評価と似たり寄ったりで、現代人の私たちの彼らへの目線・観点からは考えられないものばかりだったのです。

 すべてを『肉体』の振る舞いに基準を置き・そこから得た答えで人々を評価してきた。 2000年経った今でも、私たちのこの感覚は変わらない…何の進展もないという事なのでしょうか。

 例えばイエスの処刑の前に登場する、マグダラのマリア。 彼女がどんな女性だったのかは、一般的・具体的には分からない…しかし、その名前は聖書によって永遠に刻み込まれる事になった…窮地に立ったイエスの前に現れた、マグダラのマリア…
 彼女は、極悪人として扱われたイエスの十字架の刑を前にしても、イエスを見放す事なく、最後までその魂
(たましい)を受け入れた。もし、そうでなかったら、2000年後の今日に至るまで…つまり、聖書にその名前が残される事はなかった…イエスを思うマグダラのマリアのたましいは永遠のものであったから、天によって(=当時の霊通者によって?) こうして聖書に刻み込まれる事になった。もちろん、彼女に限らない、キリスト・イエスを中心に聖書にはいろんな人が・いろんな形で登場しています。 

 理論・理屈になるかも知れませんが…この際、徹底して根本に返って考えてみたい。表面的な事をダラダラ・ダラダラ…何年・何十年…何千年、狭い島国の中で言い争っていても、何の解決にもつながらない。

 芸術・文化・科学等々…物事の始まり・創造の世界には、いつの時代にも、何かこういった困難が付きまとうというのが常のようです。 (先駆者は捨てられる。) 

 もちろん、その内容の良し悪しは別の話であり、時代・時代の社会常識は守らなければいけない、当然、罰するべきは・罰せられるべきでしょう…でなければ、際限がなくなってしまう。 
 
 しかし長い眼で見れば…今度の事はそんな騒ぎの中の一つに過ぎない…Aさんの中にも、何かそんな思いが心の片隅にあり…それが世の中に対する抵抗となって表われたのかも知れません。よくは解りませんが。

 ともあれ、日本中がその話題で持ち切りで…それに集中し・深刻な重大事件として、その告発にメディアは躍起となっている…! 

 目の前の現実に何があっても…信じるものは救われる…この聖なることばは、『TUG OF C&A』の未来をどのように導いてくれるのでしょう。

                    
        ことばには いのちがある  

 Aさんは、音楽一筋に歩いて来た事は間違いない…誰が何と言おうと・思われようと、その作品は消そうに消せない、永遠のもの。Aさんのたましい(楽曲)が、私たちのたましいの中に、しっかりと刻み込まれている。          
             
 スキルに優れ・どんな巧みなことばでも・会話でも、たましいの入っていないものは、有限。

 当時、イエス・キリストは、その振る舞いに、当時の人々からは極悪人として扱われ、十字架の刑に処された。

 私たちの頭の中にある、イエス…聖書を通して描く、イエス…

 もし、私たちが当時を生きる人間だったら…凄惨なその現場にいたとしたら…私たちは、イエスにどう対処した事でしょう…? どちらの立場に立った事でしょう…? 裁かれるイエスの立場か? 裁く群集の立場か? (新約)聖書に登場する窮極の場面です。 (私はイエスの立場に立ったと信じたい。) 

 今でこそ私たちは当然のように、イエスを『キリスト=救世主』と信じ・崇拝するけれど…

 当時の・その現場を歩まれるイエスの振る舞いには…2000年後の…こうして聖書を通してみる「私たちの描くキリスト像」とは似ても似つかない・及びもつかないほどのものがあったとしたら…イエスの振る舞いがどんなに世間の常識とかけ離れていようと…私たちはそれでもイエスの立場を離れなかったのでしょうか…!? 

 思想的にも・文化的にも、当時とは格段の差がある現代…それを思うと、(さまざまな媒体を通して)私たちは本当に幸せな時代に生きているなあ、とつくづく感じます。 

 イエスを例題にするのは非常識・不謹慎と思う人たちもいるでしょう…ならば、別にイエスでなくともよい…前述のように、聖書にもいろいろな・さまざまな苦労を味わった人物が登場する、その中の誰でもよいと思う。自分自身を振り返ってみるのでも… 

 それらの人々は、地上にある時、現代のような文化・科学・宗教の基準(レベル)ではない、すべてが未開・未完の中、ほとんどがイエスと同じような境遇の中でこの世の生涯を終えた…それでも聖書には、れっきとしてその名がそれぞれに残され・標されている。
 もっとも…摂理に失敗した人間・イエスを追い込んだ逆の立場にあった人間も…その名が聖書には標されているけれど…

  「聖書は永遠のベスト・セラー」 「肉体は有限…心は・たましいは無限・永遠」と呼ばれる所以(ゆえん)も、こんなところにある(あった)のかも知れません。  

 
Aさんの肉体、その肉体を通しての行状は、いつしか消えて行くもの…有限。しかし、そのたましい(楽曲)は…永遠に残るものに違いない。

 決して焦らないで、ゆっくり・ゆっくりと。そして、
江原さんを通してのメッセージに耳を傾けてみてはどうでしょう。

 終末・世紀末…
何か、Aさんにしか解らない感覚のようなものがあったのでしょうか。

 終末とは…新しい時代の再出発のために与えられた、『最後の審判の時』とでも言えば良いでしょうか。(あくまでも、わが子・人間の幸せのために)


 Aさん、(少し早いようですが…)あなたの自由は牢獄の中にあるのかも知れません。これにも、何か深い意味が隠されているに違いありません。何かの犠牲の立場に置かれたような…
 先にある喜びが大きければ大きいほど、その前に置かれた苦しみも大きい。言い換えれば…今、とても苦しい立場にあるとしたら、その先の喜びが、きっと、大きいものであるに違いない! それは、あなたが何より欲しがっていた、『自由』であるのかも? Aさんは、正にそんな立ち位置にある人なのかも知れませんね。
 あなたには、溢れんばかりのたましいのこもった楽曲が、すでにいっぱい存在する。

 江原さんは仰っています。 『焦りは禁物です』 と。

                                     心機一転

 そして、私の尊敬する次の聖なることばを、Aさんにも贈りたいと思います。

 
"世の中で学ぼうとしても学ぶことのできない所が監獄である。何故? 監獄の中には貴重でないものがないからである"
 "苦労のない恵みは流れてしまうのである"


 まだまだいっぱいあるけれど、今はとても伝え切れません ! 

 マスコミ戦争の時代の真っ只中。当時で言えば…自分は・自分たちは、今、どんな立場で生きているのか…イエスか・民衆か…一度、しっかりと黙想してみたいものです。もちろんこれは、個人・団体・職業…イエス同様、その生い立ちなど一切、関係ありません・関与しません。くれぐれも、そんな物質主義で物事を考えないよう…それぞれ、その人、一人・一人に与えられた問題・課題であると思います。
 
(微笑)

 
どうぞ…Aさんに届きますように…。 


 (その18) 持って生まれた性(さが)

 Aさんは、六白金星の戌年…魚座…土星人…他にもいっぱい・いっぱい、いろんな性を秘めている。

● 六白金星とは…九星中、もっとも高い・天の性。

 やさしいけれど、プライドの高い、独特の存在感。 負けず嫌い。有言実行。強きをくじき・弱きを助けの反骨精神。 故に…たえず摩擦がつきまとう。 波乱万丈。 痛快ドラマの主人公。
 (笑) 

 呼吸器系と筋肉・気管支・熱を伴う病気に要注意。

● 戌年…飼い主がとても好き。 自分の命よりも大事。 それだけに、裏切られた時・見放された時のショックは大きい。
 神様に100%守られた中で…かれら動物には、人間のようなどんなに辛い出来事でも時が経てば忘れるという、「時間」「空間」がないのだろう。(「忠犬ハチ公物語」
<実話>…涙。) (「志村どうぶつ園 特別編 涙と奇跡のどうぶつ物語<初回><実話>…涙。) 

● 六白金星の戌年はかなりの短気性。 これは後天的・環境によるものではなく、先天的・基本の性質であり、だから相性・環境によってはさまざまな現象となって表われ、自他共に心当たりのある人は多いと思う。 くれぐれも、第三者がその情況を読みながら・自分の想像で勝手に付加したり・判断したりしないようにしてほしい。

 Aさんも、何時だったか、「犬を飼ってみようかなぁ」なんて仰っていたけれど…幼少の頃の事を思い浮かべられたのかしら?  

● 魚座…芸術への陶酔性・直感力・博愛心・自己犠牲。 人の話を聞き上手…感銘し…信じ易い。 「話」と「事実」の区別が苦手…騙され易い…一人遊びより大勢で楽しむ方が好き。 その他、いろいろ…

● 六星占術の土星人…孤独な世界(=心の世界)に住む理想主義者…現実世界にはなじみにくいという宿命…潔癖性・正義感・硬骨漢…

● たった一人の人間が、これらのさまざまな星を持っている。中には上述のように、真逆の性質のものを同時に内包している。
  
                                     ★ ★ 

 これらはあくまでも、それぞれの星座の基本的なもの。 
 まだまだいっぱい・いっぱい…しかも、出逢い・環境によっても・その組合わせによっても、さまざまに変化する。
 天上天下唯我独尊…今、向こうから歩いてくる人は…たとえ「ホームレス」と呼ばれようとも・「裏社会…」などと呼ばれようとも…神(親)がこの世に送(贈)った、天にも・地にも、たった一人の個性を持つ、大切なわが子であり…例えば 誕生日がたったの1日違いにも拘わらず、そこにはそれぞれ、全く別の人格が存在する(双子・三つ子…の場合でも、出生時間の違い)。

 人間は「物」じゃない、もっと尊重すべきなのかも…!

 自分たちの勝手な都合で造り上げた、
Aさん。 まだまだ、『私たちの知らない Aさん』 が、そこには在るのかも知れない。



(その19) こんな時こそ・『シネマ劇場』 を生かそう !!

 いつか、そんな日が来たら…の話になるかも知れない。

 今にして思えば…あの韓国公演アジア公演中国…英国…!

 これらを一個人・一グループのイベントとして捉えるには物理的にも・情緒的にも、あまりにも過酷であり(あった)…!
 (幸か・不幸か)これらを国家的な
天の摂理であったと認識出来なかった、当時の日本…そして、今の平和な日本…マス・メディア…私たち。

 しかし
これらは、少なくとも当時の海外諸国の感覚からは、少し遅れていたのかも知れない。 

 例えば…
世界的ロック・グループ"ビートルズ"の…海を越えたその活動』に対して、当時、彼らに『MBE勲章』を与えた、エリザベス二世…彼らの活動を国家的使命として捉えた、その才覚・営利感覚!

 
Aさんは個人的にも、ポール・マッカートニーとはご縁があり、これは、ポールの方からの誘いによるものだった。 
 Cさんは、今でも熱心な、
ビートルズ・ファン ! 
 これらが偶然によるものとは、私にはどうしても思えない。
 そもそも、世の中に偶然はないというのが、
自然の原理。お互いのその立場・境遇…何か共通した、惹かれあうものがあったのだろう。

 しかしそれだけに、悲劇も多かった…
 
ジョン・レノンの死。 ポールと…Aさんの…災難。日本とイギリスには、その立場上(=島しょ文明)、共通点も多い…歴史的同時性。 

 あの有名な
『モナコ音楽祭』も、国家が主催する、世界的イベントだった。
 
C&Aも、何度も選抜され、皇太子マイケル・ジャクソンの手拍子を受けながら…しかも、特に皇太子に気に入られ、王子主催のランチ・パーティーでは同席させられるという、ハプニングもあった…! (微笑) 

 
オーストラリアのパブの一角に、C&AのPV撮影時の写真が飾られていて・驚きながら眺めていると…オーナーがやって来て、
 「この二人は、すごくいい人たちだった…オレたちも大好きだったよ !」
 と言って下さり…こんな遠くで思いがけない言葉に出合い、今もこの言葉は私の誇りであり・宝物…という、そんなファン友さんのエピソードも存在する。

 そういえば、C&Aは今世紀最大の難題・課題である『環境問題』の中の『地球の温暖化を阻止しようという呼びかけを目的としたイベントにまたAさんの誕生日安倍総理が直接会場に駆けつけて下さった事もあった。 (第一次内閣の時)。
 また宮沢総理の時代、何かのイベントに、総理自らの招待を受けた事もあった…当時の多忙なスケジュールのため、出席は出来なかったけれど。

 
ベトナムに出向き・しっかりと、その地を踏んで作られた楽曲もある。

 『太陽政策』を掲げた、韓国金大中大統領は、史上初の日韓共催による大イベント・『ワールドカップ開催』のため、与党の何か大きな要職をも返上し、政治上の取引き・駆引きはひとまず置いて…日本にたびたび要人を送り込みながら、日本文化開放のための韓国での戦後史上初めての、(禁じられていた)『日本語での大コンサート』(=『CHAGE and ASKA』による、チャリティー・コンサート)を開催された。これは、日本人アーティストとして初めての、最大イベントだった。 

 この時、
大統領夫人は…『三十八度線平和コンサートを開き、韓国・北朝鮮国民に、同時に見せたい』…韓・日・北が一つになるという、大きな夢を描いておられたという。当時の国際情勢・さまざまな物理的・情緒的環境・事情…またその認識?により、それは叶わなかったけれど。 
 この、
『日本文化開放のため』日本のアーティストを指示しながら・先頭に立って奔走したのは、『韓国政府』…というよりも、金大中大統領 (カトリック教徒) だった。 

 願わくば、朴大統領にも…父上の前・大統領が成し得なかった未達成の部分を、北・南・日本また周辺諸国メディア等々をも交えた中で…かつて味わった事のない・新しい未来のために手を組みながら、むしろ、これを契機として、ぜひ取り戻してほしいもの。

 それぞれのアーティストの才覚(=曲作りのための環境・レベル)を、自分の環境・才覚(=一般常識)で評価しようとする、取材陣・マスコミ。 いつの時代にも…さまざまな問題・トラブルの発端・起因はここにある、といっても過言ではない。 

 
旧約・新約聖書が示すように…(霊眼で見る)中心史上に置かれた人間の栄光挫折…(肉眼で見る)「周辺史上」に置かれた人間のそれとは、比較の比の字にもならない(厳しい)ものがあるという、一つの証しなのかも知れない。


                                          ☆ ☆ 

 そしてさらに…今や世界は
中心史・周辺史の区別なく・思想・信仰の区別なく、公を・個を問わず・共に同じ線上に立って・他人ごとではなく・世界は一家族として捉え・決して乗り遅れる事なく・一緒に歩んで行く時代…(=一家の主と・生まれたばかりの赤ん坊は常に繫がっている、と同じように。)
 
 再臨のキリストは仰った。

 『過去のように、一つの国が先頭に立って人類を引っ張っていった時代はすでに終わりました。民族主義の時代も終わりました……教育者は、自分一人が裕福に暮らす方法ではなく、私たちの時代のあらゆる社会的な諸問題を解決することのできる知恵を教えなければなりません。
 …と。 そして…
 『先生も、常に自問自答する…』
 『個人の使命が自分で終わってはならない。神の全体目的と一致しなければならない。』

 …と。

 ならば! たとえ長い歳月を懸けてでも…! 
 例えば過去の映像などを利用して、
『C&A発想・シネマ劇場』などをさまざまな手法を取り入れたりして・失敗を恐れず・積極的にこれらを駆使し…公(国家)に・個(営利)に(=二重の目的)、しっかりとした企画のもと、ぜひ再現してほしい ! 大統領夫人(韓民族)の長年のを・願いを、叶えてほしい !  

 思えば、これらの発想
(シネマ劇場)・大きなTUG OF C&A・ファンクラブの存在は…今にして思えば…すべてはこの日のために備えられたものだったのかも知れない…神さまは、まだまだ諦めてはいらっしゃらないに違いない。音楽の役割は大きい。 もちろん、音楽に限らず・その他のいろいろな方法も取り入れたりして…決して焦らないで !



 ちなみに、
スポーツ・政治家アントニオ猪木さんの存在も大きい。 
 さまざまな周囲の差別感を持った、批判・中傷・机上の空論を横目に…打算のない・理論・理屈を超えた、
日・北平和外交。これは両国の厳しい中を、今でも続けられて行っている。当人でなければ判らない感覚のようなものがあるのだろう、猪木さん・ひとりで頑張っておられる 
 (極端な事例になるけれど…) 天皇(家)は、
天皇(家)だけでは成り立たない、と同じように…アーティストがアーティストたるためには、男性スタッフ・女性スタッフの存在私たちの存在(ファン)が不可欠だ。 

                                              
  ☆ ☆

 私たちも、世の中の「巧みな言葉」(愛国心? 倫理・道徳?…)、また、「見かけの華やかさ」に打ちひしがれる事なく・惑わされる事なく、しっかりと、二人のアーティストを見守って行きましょうよ。  

 もちろん、そんな段階ではない事を承知の上で、あえて述べさせて頂きました。

 

(その20)
  冷静に捉えた朝日新聞の記事 
 
 6/… の朝日新聞に載った、Aさんの記事は…

 一有名人の事件・事故のネタではなく、「文化欄」に特集のような形で…Aさんを一方的に攻撃するのではなく、広く、さまざまな業界をも交え・客観的に捉えたような形に仕上げてくれているところに、少し嬉しさを覚えた。

 振り返って考えてみた。

 自分に置き換えてみても分かるように…

 自粛ばかりを繰り返していたら、人間誰だって、後退するだけではないだろうか? それも…当人を中心として深く協議をするのではなく、周りの風評に押された? 何か先入観のようなものを持った一方的指示と・未来性のない? その場の情況・主観的判断によるものであれば、尚更だ。逆に、ますます復帰のチャンスを逃してしまうというのが人間であり、マスコミに牛耳られた、この現実社会なのでは !?  (やけになったり…投げ出したり…!)

 どちらが良い・悪いではなく…体調に対する本人と周囲との認識、見解の相違。巨大なマス・メディアを前にして…どこか月々の会報の内容(当人の言葉)とは矛盾した言動(指示)が、ここのところ、続いているような気がしてならなかったけれど…

 活動休止と契約解除…事務局の黙秘… 
 家族へのDV…? 仲間へのDV…? 時と場所・報道の論点・ポイントが解らない !?

 何より、(我が子に接する中で) 「息子はやっていない!」 という、親心に対する配慮はあったのだろうか…? ご家族の矛盾…?  
 また世論(ファン)にすれば…そんなアヤフヤな中での、突然の家宅捜索・一般公開!  

 そして、"Be Free"

 今にして思えば…この楽曲?(悲痛のメッセージ?)は、既にAさんに下された結果を前にした中で作成されたものだったのだろうか…?? 
 
                                        ☆ ☆ 

 とはいえ…内部混乱は、いずこの世界にも付きもの。

 要は…メディアによって、それに(その弱み・甘さに)目を付けられるか・付けられないかが、その力量…分岐点? また日頃の互いの人間関係・信頼関係が、こんな時にものをいうのであり…その時の解答となって表われる(暴露)という事なのだろう。

 仕入れ・製造・加工… 『自社商品』を大事に(個性の尊重)しない企業は埋もれてしまう。 (春夏秋冬・何があっても…) これは家庭に置き換えても同じ理屈だと思う。 まして、人間は「物」じゃない。 

 一見、客観に思えても…また現場(事務局)の大変さは世間には解らないとしても…そこには微妙に主観が働く事もあり…公と個の問題の狭間で…主観・客観の区別は本当に難しい。
 
 触らぬ神に祟りなし…そのくせ、何かの時には、その一挙手一投足には厳しいという、矛盾・後手作戦。 (新人ならばともかくも…)現場の本当の大変さは、やはり、本人でなければ解らないと思うから、そこは冷静に、一つでも多く本人(自社商品)に有利になるような、本人の実情に添った指示・指導が欲しかった。そうであれば本人も、あのような行動にうつつを抜かす暇などなく
(失礼!)、こんな流れにはならなかったに違いない。

 あくまでも中心は当人であって、他に対する目先の同情・人情…建前論…結果として、もっともらしい、こんな恐いものはない。それは(その甘さが)当人は勿論、周りのすべてを(同情を受けた人間さえも)巻き込み、取り返しの付かない情況を作り上げてしまうというのが現実なのでは…また、企業なのでは ?  

 (本音を言えば)待ちくたびれたファン心理への配慮は、どれほどのものだったのだろう? 
 
 そしてこの、あまりにも一方的・主観的マスコミ・ネット上(世論)のAさんに対する、深みのない・もっともらしい、批判・酷評・建前論…北風作戦
!
 「被害者(Aさんを取巻く人たち)の事情」は大きく取り上げ・同情論でもって書き立てるけれど…容疑者(Aさん)・加害者(裏社会)の (そこに至るまでの) 深層心理には目もくれず、結果論ばかりを取り上げ・極悪人に仕立て上げ…さまざまな修飾語・造語・複合語でもって脚色し・追い詰め・囃
(はや)し立て…挙句には、存在そのものを否定する。これが(=表面的解決)、日本の事件・事故・ゴシップ記事の特徴だ。 

 これらは、日本の(素直な?)世論によって一旦は評価されるけれど…(生死を分けた)肝心なところへ来ると、何故か役立たないというのが現実で…そこには解決どころか、分裂しか生まれない。 

 
たとえ、そんな
Aさんであっても…(頭から、とんでもない、といったような)奇人扱いではなく
 
日頃のCさんの活動体制と同じように…他のアーティストとの接触・連携によってその凝り固まった現場を和らげるとか…そんな緩
(ゆる)やかな演出・配慮が、事務局・マスコミ・世論(ごく一部・ファン)にも欲しかった。 

 少女趣味的・一面的正義感が、日本のマスコミ(育ての親)・ネット世界(世論)の中軸を成しているという…! 残念・無念としか言いようがない。

 海外への影響…(韓国公演という国家的使命による実演)…未来の若者への影響・イメージ…日本の政治が今一つ、(海外を)動かせない・戸惑わせる理由・根拠の一つも、こんなところにあるのかも…!?

 人とのご縁・出逢い。 喧嘩も…戦争も…相手が・対象が存在するからこそ起きるものであって、単独では…当人独りでは、絶対に成り立たない・あり得ない。 

 今はただ・ただ、見守るしかないけれど……。



(その21)  Aさんの胸の内をよそに…!

 ナント、 今日(保釈)は打って変わって、久しぶりに、というか、初めて味わうといっても過言ではないような…あの恐怖の毎日が一瞬にしてかき消されたような…思いがけない、とても充実した一日になった。

 それとなく想像はしていたけれど…それにしても、想像以上だった。

 心配された、押しかける沢山の報道陣・ファンの人たちの存在も…その場を迎えてみると…女性ファンはもちろん、男性ファン・報道陣の、あのAさんの名前を必死になって連呼する声がとても印象的、むしろ感動的で、逆に、Aさんという存在の大きさを改めて教えられたような…そんな一瞬・一瞬だった。 

 (皮肉にも…)剣道と舞台で鍛えた体勢が、ここにきて一挙に花開いたような。やっぱり、Aさんは本物だった、みたいな。
(微笑)

 強いて言えば…

 今のこの場が・この立場がどんな時期にあるのかをしっかりと心得ていたのは、Aさんの方で…まるで何かのイベントででもあるかのように振る舞っていたのは、むしろ、報道陣 ! 
(苦笑)

 「一言も発する事なく…」という表現には、誤解を呼ぶのではないか、と危惧する一面もあって…
 たとえ取材を受けたとしても、「どうせ、一言で済むわけないでしょ !?」 と心得ていたのはAさんの方ではないか、と言いたくなるような、報道側の主観的言動…
(苦笑)

 また、あの両手の指をしっかりと握り締め・挨拶をするのは、
Aさんのいつものクセ・習性。 緊張・動揺でもなんでもない。(怒)

 こういった即席の・その場仕立ての、記者の何気ない一言・一言が寄せ集められ、大きな風評につながって行き…気づいてみれば、まったく別の人格がそこには造り上げられていたという…それを改めて痛感させられる、一コマでもあった。 もちろん、悪い方向にとばかりは思わないけれど、でも、大抵の場合がそうなってしまうというのが、現実だ。

 ともあれ、法律上、今の状態・立場では、まだコメントなどは出来ないと思われるし…ここにも、そんな当り前のモラル・メンタルを軽視した、メディアの矛盾・軽率。 あそこまで奇人扱いしたのだから、もう少し気遣ってよ ! と言いたくなるような。 細かい事を言えば際限がないけれど…
(苦笑) それともAさんの、あの人々(ファン)を引き寄せる人間性がそうさせるのか。 (微笑)
  
 もっとも、どんな立場でもコメントする・しないは当人の自由であり、それがその人格を左右するとは思えない…人の個性・喜怒哀楽は、それぞれ・さまざま。
 (笑) 
 
 FC(ファン・クラブ)の他のみなさんも仰っている…

 「Aさん、その一礼だけで十分です!」

 … と。

 全く同感 ! 
 「私たち・ファンの立場には、それだけで十分に伝わって来るものがあります!」
 と言いたい。 

 この際、建前論などどうでも良い。今さら、何の役にも立たない。長い道のり…生みの苦しみを…そんな第三者の一言で片付けて欲しくない。 

 「事務所の元マネージャーによって持ち込まれた衣類に着替え」…と報道されたけれど…『ナベさん』の事かしら? とても嬉しかった。

 終始、言葉はなかったけれど…映像としては、さまざまなライブやコンサートを見る以上の価値あるものとして、私の脳裏に焼き付いた。

 Aさん、(紙面による) 心強いメッセージと、元気な姿を有難うございました。

 (貴方の辛い胸の内も知らないで…とはいえ) とりあえず、ホッと致しました。 

 何より、(私の立場で言う事でもありませんが…)
 たとえ入院生活の中にあっても…命よりも大切な、その『個性』と『主体性』が、もっともらしい周囲(メディア・世論)の常識に惑わされ・埋もれる事のないよう、引き続き、くれぐれも気をつけて日々をお過ごし下さいます事を、心より願い、祈っています。



<FC会員の声> 

  仕事師

 良い弁護士さんと繋がったようだという記事を読んだ。どんな方だろうと気になって名前で検索すると、私立大併設の法律事務所が紹介する弁護士の一人で、学生によるインタビュー記事も見つかった。使命感と、スピーディーで丁寧な仕事ぶりが窺えて、好感を持った。「誰でもこれくらいのことは言えるものなんだろうか」と他の方達のインタビューも見たが、段違いに人格が表れていると感じた。同じ質問に対して、これほど他の回答者と違う印象を受けるものなのかと自分でも驚く。

 良い方に出会えたのであれば良かった。「辣腕」とか「敏腕」とか、そんな陳腐な言葉が表現するものではなく、本質的で真摯でプロフェッショナルな仕事ぶりに出会うことが、今は良い薬になるのかもしれない。仕事師同士が通じ合い、プライドを呼び起こされることもあるだろう。確かに喧しい報道も鳴りを潜めてきた。どんな仕事をされるのか、いたずらに外に見えてこないことこそが成果と感じながら、静かに見守りたいと思った。
 

<FC会員の声> 

(初公判を終えて) 

  使用期間

 今回のASKAさんの公判で、違法薬物の使用期間が4年前くらいからと答弁され(MDMAは23年前に1回だけ使ったことがあると言っていたけど)、マスコミが言っていたような20年間ずっとなんて長期間じゃなかったことが明らかにされた。 しかし、世間にはそのようにイメージ付けられてしまった。

 今更だけど、それにしてもマスコミって奴は自分たちが垂れ流した誤報は一切訂正することもなく、素知らぬ顔を決め込むんだな。

 それで成り立っちゃってるんだから、つくづくゴミだな。


 (その22) 深い苦悩と焦りの中で…
 "この世は一瞬 あの世は永遠" とはいえ、肉体を抱えて一日一日をこなすのは大変な事。

 形は家族でも、心は独り…そんな人たちが、いっぱい・いっぱい溢れかえった現代…それは家族の罪であったり・社会の罪であったりと、さまざま。

 大きな使命を持って生まれた人・平凡な人、取り囲まれた環境も、さまざま。
 でも、どんなでっかい人間でも、独りでは生きて行けない…まして、計り知れない創造の世界に住むのであれば…!! 

 自ら求めた出逢い…孤独と追い詰められた果ての出逢い…

 そこには、舞台裏の・企業としての・営利としての思惑が絡む事もあり…それらのさまざまな現場の実態を隠し続けなければならない現実。

 自らの才能に陶酔しながらも・感謝しながらも、その才能が故に…時には、現実の厳しさに飲み込まれ…彼らはその犠牲者とも言えるのでは…?
 
 だから、誰が良い・悪いは永遠に言えない事だと思う。 たとえどんな審判を受けようとも、人間の根本は、『善』なのだから…(旧約聖書の創世記)。

 公に・個に与えられた舞台を万全を期して対応したとしても…その評価は観衆が決める。 彼らは、作品だけではない、構成の段階から…頭のてっぺんから・足の先までを監視している。

 それでも…そんな境遇の中でも…あそこまで持ち応えるのはやっぱり、その人の才能・人間性。 時には社会批判を・風評被害を振り切って…また、肉体の誘惑の中で(疲労・病い…も含めて)、一生懸命守って来た、その個性と魂
(たましい)

 しかし、そんな自分への評価が、逆に重荷になる事もある。 完璧でなければならないという…どこからともなく聞こえてくる、(もっともらしい)悪魔のささやき…!

 大勢の人たちが・アーティストが…その完成を前にして、崩れて行く…理論・理屈で片付く世界の話ではない…すべては、その裏返しなのかも。

                                      ★ ★  

 そういえば…お釈迦様は仰った…

 "無知は罪であるけれど、方便は許されるものである"

 と。 とても救われる言葉だ。
 確かに…私たちは真相は知らないくせに(無知のくせに!)、好き勝手な想像をして・好き勝手な事を吹聴している。 

 方便は、相手の事情が解っているから使われるものであり…その場の正を貫いたところで後に何が残るのか、という場合だってある…虚言とまではいかなくとも、言うに言えない事もある。

 現実にはそんな社会通念・社会常識を誰よりも心得ている人間が、ある日突然、正道を踏み外す事もある… 
 
 唯一、救われるものがあるとすれば…『誘うより 誘われる方に より深い罪がある』…とする「聖書のことば…男尊女卑の起源・所以
(ゆえん)」…ではあるけれど…(苦笑) 

 そもそも、Aさんにしても…すべては「無知なるが故」の事の始まりであり・悲劇であり…この現象を・この現実を、何処に・誰にぶつければ良いのだろう…!?  

 しかし、社会は社会。 最低限度の社会通念・社会常識は必要だ。 

 しかし、さらに言える事は…

 そんな、誰でも心得ている社会通念・社会常識を伝えるだけのために、当人を、世論を振り回して欲しくない。

 逮捕すれば世の中は変わるのか? そんな後手作戦、何度繰り返してみても始まらない、夢がない。 

 家庭だ・家族だという人たちがいる…しかし、巨大なマス・メディアを前にして、そこを通り抜けるには…家族なんて、ちっぽけなもの…建前論に過ぎない…というのが、現実。

 やはり、最後に頼るのは、マス・メディア…これしかないのでは? メディアに流され…そのメディアに救いを求め…!

                                    ★ ★ 
 

 今度のこの、ある日突然の日本列島を騒然とさせた出来事。 公に・個に…どんな事実・教訓が隠されているのだろう !? 少なくとも、何かの犠牲の立場(モデル)に置かれている事には間違いない。 私たち凡人にも、それを見抜く力が与えられているのだろうか。
 でも…今度の事でいろんなものが見えて来た気も、またする…大きな事・小さな事…自分の事も含めて。  
 こんな時代を迎え、一人の人間の試練はその人・一人の試練ではなく、時には国家としての責務を背負う事もある…数々の人類歴史がそれを証明している。 公と・個は決して分離したものではなく、常に繋がっているのであり…マスコミ戦争の時代にあって、その使命が大きければ大きいほど、その試練も大きい。 
 マスコミの窮極の使命とは何だろう!? 一人の人間の何かを暴き出し、その人・一人の試練とするには、あまりにも哀しい…残酷だ。 


 (「TUG OF C&A のみなさんへ」からの転載 ) 

 (その23) マイ・ホームページのご案内を

 私のホームページをご覧頂きたく思います。

 歴代・現首相、 各政党・地方の元・現議員各氏、 全知事、 一部市長、 各国大使館、 日銀・経団連・
IT等の企業・経済界、 大学、 農・漁・工・商業…高校、 教会、 マスコミ(一部地方紙除く全新聞・スポーツ紙・評論・出版・TV)、 俳優、 タレントさん、 角界等スポーツ界、 音楽業界、 民団、 朝総連、 拉致議連、 蓮池さん、 日教組、 生協、 各界監督、 法曹界・検察庁、 宮内庁……

 と、幅広くご案内させてもらっております(=ハガキの送付)
  (ヤフー・グーグル等の画面から「成約時代を生きる」と入力して検索してみてください。)

 特に、NHK・メディア等からの反応は早く、刺激になっております。 
 「A新聞」からは、わざわざTELを頂き、40年間購読の「大新聞」を、「A新聞」に切り替え、学ばせて頂いているような次第です。

 公的・有名人への紹介は、今・現在で、7,120ヶ所に及びます。  

 

 さまざまな業界・教育現場…右派?・左派?…の区別なく受け止めて頂いているようです。
 
 (例…時代の最先端を行く『格安航空』さん…元・現総理…衆・参・都・府・地方各議員さん…元・現市長…漫画家…○○ヨットスクールさん…俳優・タレントさん…企業の社長さん等々、最前線で苦闘している人たちに伝わっている事が、とても嬉しいです。何より嬉しかったのは、たくさんの同級生 ! )

 ちなみに、これまで 一番嬉しかったのは、
『朝鮮総連さん』から年賀状を頂いた事かしら? 何かのイベントのお誘いも頂きました(能力不足で出席は出来なかったけれど…苦笑)。

 ASKA問題勃発の時、地元の『民主商工会』の(旧知の)代表から、励ましのFAXを頂きました
! 心から感謝しています。

 私たちの知らない・気づかないところで、時代はどんどん進んで行っているように思います。 世の中に乗り遅れないよう、がんばりましょう。 


 何より、
Aさんに伝わりますように。 (祈)


 「 心が出来ていないのに 科学はどんどん進んで行く 」

 そういう時代を迎えているにも拘らず、その準備がなされていない、今の政治・教育。 バランス・抑制力…何か、根本的・基本的問題という事なのでしょうか。 

 巨大なマス・メディアを前にして…
Aさんは、そんな諸事情を抱える今の日本の代表の一人として選ばれた、最大の犠牲者だった…と、私には思われます。

 もちろん、これは
Aさんに限らない。使命の大きい人はその試練も、人一倍大きい。  
 
 神さまにしてみれば…(ご本人の負担になろうが・なるまいが) それら(マスコミ戦争)を覆
(くつがえ)すほどの力を持った人間を選んだのだ、と仰りたいのかも ? 
 犠牲者というのも…とりあえずの、という事であって、まだまだ終結点・結果論ではない、一つのプロセスに過ぎないのだ、という事… !?

 きっと、そうだと思います。


(その24) 初公判を終え…再出発を前にして 
 
 公判の現場が詳細に語られている、C&A・ファンクラブのフレンドさんの日記を読ませて頂きながら…

 日本中から注目を浴び、追い込まれ、あんな窮地に立っても…

 自らのプライドのためにも…被害者・加害者の区別なく・陥れる事なく・一人・一人を尊重し…最後の最後まで、極力・相手を庇
(かば)おうとする姿勢…そんな姿が想像される。 

 自分に置き換えてみても…あそこまで庇
い切れるだろうか、と思ってしまう…! 

 自分の希望する容量とは程遠い、強制的に持ち込まれた薬物…(元々これさえも事の始まりは…Aさんの必要とするもの・目的とするものからは程遠い・望んではいない、お義理から出発したものだったのでは?)…挙句には、覚醒剤所持の現行犯に仕立て挙げられ…!

 私たちには想像も出来ない、プロの世界。 Aさんを取巻く、さまざまな人間関係…!  

 何より…誰にも未来はある、未来を与えられない人間なんて、一人も存在しない。

 そんな中に立たされ…自らは追い込まれながらも、すべてを受け入れた、Aさん。 ここにも、Aさんの誠意・人間性を見た気がする。

 そんなAさんを、奥様は 極力冷静に、広い心で受け止めて下さるに違いない。

 Kフレンドさんも仰っているように…○○問題は裁判の中心課題ではない。 
 きっとAさんも、相手(検察)に呑まれないよう、最後まで冷静を保っておられたに違いない。

 また、Nフレンドさんも仰っているように…何があっても、決して、マスコミに流されないよう、冷静に受け止めて行きたい。 

 裏の現場の核心を突いた、Gフレンドさんからの心強いメッセージ。

 何より、「検察側・弁護側が、意味のない無駄な争いはやめて…」
 に始まる、Tフレンドさん(法律の専門家)からの数々の提言。 なんだか本当に、そんな流れになって来たような気がする。  

 厳しい中とはいえ、こんな冷静な気持で初公判を迎える事が出来た事に、心から感謝。 ひとまず安堵。 

 一方…

 「悩みのない人間なんていない…でも、内容によっては許せない。」

 そんな某フレンドさんのメッセージに…少し矛盾を感じながら、とても悲しい・悔しい思いで読ませて戴いた。 

 もちろん、辛いお気持は判る。 でも…

  自分の生活環境・芸術性…の基準でもって…プロの生活環境・作品…個性までも安易に・短絡的に批判するなんて事は出来ない、出来る訳がない。 これは、たとえプロ同士であっても同様なのに…!

 思えば…二十代の彼らにも・五十代の彼らにも同じものを求め…
(苦笑) またCさんの個性も・Aさんの個性も一緒くたにして、ありとあらゆる要求・言動を彼らに押し付ける私たち…! (苦笑)

 例えば、Aさんを批判しながら…

 そういう人たちが、Cさんの方に、いっぱい集まって来たとして…長い目でみると、果たしてCさんは、それらを心から喜んで受け入れる事が出来るだろうか…逆に、Cさんを苦しめる、何ものでもない。

 私などが言うまでもなく…Cさん・Aさんの出逢い・ご縁には、計り知れないものがあるのであり…そしてそれは、こうして私たちとの出逢い・ご縁につながった。

 風評被害…さまざまな幸運・不運も…私たち一人・一人が寄り合い・係わり合う中から生まれるものであり、つながっているのであり、決して他人事・無関係ではないと思う。

 まして、この一瞬の出来事を、人生のすべてと捉え、過去・未来を価値なきものとして消し去るなんて…動物の世界でさえもあり得ない。 

 これらは微に入り・細にわたり…自然科学がはっきりと証明している事であり…
(微笑) 従って、すべては神の意図であり、この瞬間・瞬間に…さまざまな人間・業界が、攻側・守側の区別なく、さまざまな手法でもって、試されている。 
 (=責められる方だけの試練ではないという事。週刊誌にも、間違いなく試練は与えられているという事…
)
 
 (今の今は、仕方ないとしても) 
 いつかもう一度、思い直して、(
Aさんを胸に) しっかりと、Cさんを支えて行きましょうよ。



以下は、勝手ながら、会報 「TUG OF C&A 8月号」 より転載させて戴きました。

(その25) 悔恨、苦渋……けれど空は青

           
渡邉徹二 (ASKA プロデューサー) 
                     
 (註…C&Aの生みの親・前エグゼクティブ・プロデューサー) 

 
人は、時として過ちを犯します。嘘もつきます。誰でもそんなことは何度か経験するはずです。それが人間なのかもしれません。

 でも、犯してはいけない過ちもあります。そして、起こってしまったことは取り返しがつきません。そして、その後、どう生きていくのかが問われます。

 最初の接見時、私はどういう顔をして"彼"に会えばよいのかわかりませんでした。ガラス越しに会うことは耐えられない気がしました。

 彼は悲愴な表情で最敬礼をしました。「ナベさん、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」

 その言葉は私にだけではなく、彼を愛したすべての人への謝罪であると感じました。その後は、ほとんど説教のようになってしまったように思います。

 「すべてを失ったと思ってほしい、いや、むしろマイナスだと思うべきだ!」と伝えました。「残された道は、人として立ち直ることだ、すべてを失っても人として再生する以外に道はない!」とも伝えました。

 CHAGE and ASKAを諦め、ファンクラブを失う。35周年を前にこの事実を覆すことはできません。私の手で、世の中に送り出したC&Aをまさか自らの手で消滅させなければならないとは夢にも思っていませんでした。私がはじめたファンクラブも終わらせることになるとは!

 このために私は戻ってきたのでしょうか? 私は一生懸命に生きてきたつもりです。努力もしました。誰でもそうでしょう。人生において、誇れることもたくさんしてきたつもりです。そんなにがんばってきても、この時期において、なぜ、神は試練を与えようとするのでしょうか?

 私自身でさえ、こんな疑問を持つのであれば、皆さんの"哀しみ""怒り""苦悩""絶望"は、きっと想像を超えたものであるように感じます。以前、会報で私は「このために、戻ってきたのではないか」と書いたことがありました。今はそう思うことに戸惑いがあります。

 冷静な頭で考えてみました。裏切られた自分としては、もう責任を負うべきではない、という考えもあり、それも自分の人生。いや、また、私にしかできないことが、私だけが彼にしてやれることがあるのかもしれない、と迷う自分もいます。このまま離れてしまえば、自業自得と割り切ることもできます。しかし、私を呼び戻した彼には、私の助けが必要だったと思えてなりません。でも私が戻ってくるのには遅すぎました……。

 きっと彼には、人知れず、苦悩があったのでしょう。目標感もなく、彼自身方向性を見失っていたのだろうと思われます。

 私にしかわからないことだと思いますが、以前、私がプロデュースをしていた頃は、いつも目標を設定していました。それは、彼らにとっては少々ハードルの高いものだったと思います。でも、彼らはいつも平気でそれを乗り越えてくれました。その積み重ねが、ただの「田舎の大学生」だった彼らを、日本一のバンドへ導くことができたのだと思います。

 ところが、私が彼らから離れ数年を待たずに、以前の知人、友人らから「早く助けてあげなよ! 今、助けられるのは渡邉さんしかいないよ!」と言われることがありました。仕事を離れ、私はほとんど日本の音楽に興味をなくしていたので、彼らの事情はまったくわからず、単に周りが私を持ち上げているのだとしか思いませんでした。また、助けるという意味が何をもってそう言うのかもわかりませんでした。知人らには迷走しているように見えていたのでしょうか……。

 そのうち"彼"から連絡があり、個人的には会うようになりましたが、仕事の話はほとんどしませんでした。また、あの解散騒ぎがあった前年には、彼から連絡がきて「実は解散することになった」と直接告げられました。私にはすでに関係ない立場でしたので「ふ~ん」という反応しか返せなかったように思います。彼は私に言いました。「ナベさんには自分の口から伝えたかった。これだけは他の人から伝わってはいけないと思った」。もう仕事上のつきあいがない私にわざわざ直接伝えるなんて、ずいぶん律儀だなぁと、彼の誠意を感じました。ただ、私から見れば、遅いんじゃないかな、という感想でした。なぜならば、以前私が離れる少し前から、ふたりでやることは難しいな、と思っていたからです。その時期にはもう、私はC&Aには未来を感じていませんでした。

 今思うと、私には後悔があります。今回の事件がなければそんなに思い悩むことはなかったでしょう。でも、それが今の自分には重くのしかかっています。ある日の会話で彼が発したある言葉は、衝撃的なものでした。とても絶望感に打ちひしがれていました。しかし、その彼の胸の内を知らずに軽く流してしまいました。今思えば、それは彼が発した「SOS」の信号だったのかもしれません。でも、そのときの私には何の権限もなく、単なる友人として聞き流すことしかできませんでした。そう思うと、今回の事件と併せて胸が痛く苦しくなります。

 それから数年経ち、2年前のある日、どうしても会いたい、話がしたい、という連絡があり、仕事が終わってから家を訪ねました。「また、自分と仕事をしてほしいんだ」という強い要請がありました。そのとき切実に、私に今こそ助けを求めているのでは、と思えたのです。

 少し考えて、いいかなと応えると、すごく嬉しそうに、すぐ「ミヨちゃん」
(・TUG OF C&A編集長)に電話をして呼び寄せ、3人で話をしました。まるで、昔に戻ったようでした。

 私が感じたのは、また仕事をするようになって、彼が一生懸命、私の言うことを聞こうと努力していたことです。私のプロデュースにより再生したいと切に願っていたのか、潜在的にそうしているのか、私に応えようとしてくれました。その態度は、周辺の人たちにとっては驚きだったようです。そうすることで、また新しいASKAとして立ち上がることが出来ると、思ってくれたようでした。

 たぶん、私に助けを求めている気持ちがそうさせていたのではと思います。私も感じるものがあり、何とかしてあげたかったし、その努力もしたつもりです。彼を復活させてあげたい! もう一度、アーティストとして、確立してあげたい! と願っていました。しかし、その彼には、私の知らないもうひとりの彼がいたのです。彼はそのもうひとりの彼と必死に戦っていたのかもしれません。それだけに今回の件は、私にだけは知られたくないし、私には知らない裏の顔を見せたくなかったのでしょう。

 でも、十分に成熟した大人でもあります。自分でも打開出来たはずです。しかし出来なかった。自分自身に勝てなかったのでしょう。本当に苦しかったと思います。だからといって、今回の事件が許されるとは思いません。また、周りにいる我々も責任を強く感じます。

 ただ、それでも人生は続きます。CHAGEにもASKAにも平等に続くのです。

 CHAGEには何の落ち度もありません。皆さんが今までと変わらず応援していってくれることを心から望みます。アーティストとして自由に活動することを願っています。

 そして、"彼"は病んでいます。真摯に治療に向き合わなければなりません。

 いつも彼が、この35年間、支えにしてきたのは皆さんの彼に対する"思い"です。今後、どういう形になるかはわかりませんが、そんな皆さんの気持ちが伝われば、本人の励みになると確信します。

 私の責任は、それを彼に伝え、皆さんに、彼の思いを伝えることかもしれません。自分にその役が務まるかどうかわかりませんが、戦友である「ミヨちゃん」の力を借りながら……。

 天は彼を見捨てないことを、願っています。

 最後に、どうしても伝えなければならないことがあります。報道のいくつかは完全に彼の尊厳を傷つけていると思います。なぜ、マスコミは平然と嘘をつき、彼の人格を貶めるのでしょうか。彼にも人権はあります。私は保釈後、何回も会っていますし、医師とも話をしています。これまでたくさんの患者と会ってきた医師は、彼ほど紳士な患者を診たことがない、十分に論理的な思考も出来ているし、後は再犯をしないように治療することだと言われています。この医師の言葉を私は頼りにしています。決して"記事"にあるような状態にはありません。また、ご家族も決して記事にあるような状況ではありません。そして、あの数々のヒット曲は決して"薬"に冒されての作品ではありません。これは断言します。

 皆さんが今までと同様に、彼の曲を聴いてくださることを心から願います。




 (註…集中力・一寸の隙も与えない、とりわけ、デュオやグループの場合、一人・一人…一音・一音への責任感…リハーサル、リハーサルの繰り返し。 散漫な状態の中であのような高度な楽曲など出来る訳がない。 これは素人が考えても判る事。 浅はかな報道…机上の暴論・想像論によって、また一つの大事な個性が、地上から消えない事を願うばかり。)  


 ナベさんの壮大なメッセージ。

 何度も読み返しました。

 肉体は離れても…求めたのは、Aさんだったとしても…

 神さまにしてみれば…切るに・切れない…心はやはり、繋がっていた。 

 離れように・離れられない運命だった。 

 大きな使命を背負った、(Cさんを含めた)三人。

 物事は主観で考えたら…
 場合によっては、神さまは永遠に答えを与えて下さらない…また次の難問にぶつかって…次から・次へと、永遠にもがいているだけ…

 (無断ながらも) ナベさん (=渡邉徹二氏) のメッセージ・全文を思い切って掲載させて頂きました。 

 Cさんの未来のため…
 いつかきっと来る、再びのC&Aの未来のために…
 ナベさん・スタッフのみなさん、何より、私たち・C&Aファンのためにも。
 
 すべては…試練は…これからだとしても…この与えられた環境・出逢い・ご縁に、心から感謝しています。 ナベさんのメッセージが…神さまを仲介として…一人でも多くのメディア・業界の人たちに届き…

 そして
…『C&Aという土台は、絶対に揺らいではいけないけれど…彼らに、また新しい出会い・同志が加わったりして(先輩・後輩を問わず…)、どんどん増えて行く事を願っています。 形は、決して一つではないと思う …まして、こんな時代であれば。

 ( あの、現役を離れても豪快に頑張っておられる、アントニオ猪木さんをお手本にしたりして !? 
微笑 )

 科学は有限でも、心は無限大 !!  (祈)
   
(その26) 裁判官の言葉をそのままに報道 !?

  「あなたは傲慢である。」

 と、裁判官の言葉をそのままに、全国網で報道された。

 その放映の仕方・タイミングに…一瞬、愕然としてしまった…! 

 最終判決の今日(9/…)、報道番組はほとんど視る事なく、極力冷静な気持で、ひたすら
○○時のニュースを待っていた。

 しかし…! 

 思いがけない…心にグサリ、とくるような…!? これまでのどんな熾烈な言葉をも吹っ飛ばすように言い放たれた、その一言 !

 (被告の立場とはいえ) たった一人の人間が、全国ニュースによって、

 「あなたは傲慢である。」

 と報道され、植え付けられた…!  ちょっとした言葉の言い回しの問題だったのかも知れない。 何も珍しい事ではない、しばしば、あちこちで耳にする言葉…

 でも… 

  その人・その人の個性…使命…立場。 何をもってそう決めるのか !? 
 長い間の・今日までの…さまざまな思い・試練の交錯する中で…甘えはあったとしても…この一言は、酷だった ! 

 この言葉を裁判官から受けた時のAさん…一瞬、戸惑いがあるような !? 少し間をおいて、「ハイ」…と、かすれたような・小さな声で答えられたという再現映像が、どこかの報道で成されたけれど…

 この時の・この戸惑いは、今、私
(たち)が受けたこの衝撃(=無念) と同じものだったのかも知れない…!?

 彼の人間性・品格を証明するための、私たち・ファンの今日までの努力は何だったのか…!?  折角の何かが、この一瞬の一言によって断ち消されたような…! 
 極限状態に置かれた人間の、その一瞬・一瞬の行為を…まるで彼の全人生を示しているかのように、冷たく発せられた、この一言…!

 被告の復帰を願う、冷静な「愛ある言葉」(愛のムチ)には、どうしても素直に受け止める事が出来なかったのは、何故だろう? 

 折角の反省の心が吹っ飛んでしまうような…! 元の木阿弥とはならないだろうか !? 

 未来の・先の見えない幼い子どもであったなら、受け止める事は出来たのかも知れない…

 よく耳にする言葉とはいえ、これは、己
(おのれ)・身内に対するものであり、他人に対して発するには、少なくとも私の環境では…また公の場では…あまり聞いた覚えがない。

 理屈はどうでも良い、そのようにイメージ付けられた(決め付けられた) 事が辛い。 
(苦渋・涙)

 せめて、裁判官が法廷内で被告とのやりとりの中で感じ・発した言葉として、その場に留めておいてほしかった。
 
 裁判官の…家族を?・仲間を?思う警告だったとしても…たとえ法律には触れなくとも…真っ当なやり方だったとしても…たとえ私の主観だとしても…(可視化の問題、とまではゆかなくとも)

 数時間経った今だけれど…未だ納得出来ないでいるのは、何故だろう !? 

 彼の行為…この世の建前・常識はともかくも…喜怒哀楽の溢れ返った世間には、表には見えなくともその裏・舞台裏では、あちこちに見られる光景ではないのか!? そんな事まで…何もかもを十把ひとからげで裁量する権利が、他人にあるのか…!

 喜怒哀楽のない…平凡・無味乾燥な環境の中で…高度な作品を・技を生み出そうとする事は、至難の業。まして、人の個性・欲望を、他人が支配・采配しようなどと思う事こそが、無理な・傲慢な話であって。

 何より、Aさんの立場にすれば、それほどに…
 
 無実である、彼女の立場。その未来を思うと…ひたすら、彼女を守るがための、必死の言動だった事が窺えるというものだろう。 私たち・ファンの想像では、そうとしか思えない !



 唯一、救われるものがあるとすれば…(繰り返しになるけれど)

 『 誘うより 誘われる方に より深い罪がある 』

 とする、聖書のことば。 「男尊女卑」の起源・所以
(ゆえん)。 (相手の立場を知りながら…)  

 この事件報道も、いつまで続くかは判らないけれど。 マスコミを始め・業界の関係者が、その立場を楯に・微妙な法律の抜け穴を利用して…(自らの行為に気づいているのか・いないのか…) Aさんの仕事生命を奪い、必要(事実)以上の極悪人・重病人に仕立て上げ…日本中・海外にまでも広がる、大勢のファンの心を奈落の底に突き落とし…! もっともらしいネタを、あちこちから探し出して来てはバラ蒔いている現状は、あまりにも悲しい。
  

 ちなみに、盗聴・盗撮事件…また、防犯カメラの存在。 

 これらが日本に登場して、もう随分になるけれど。 
 マスコミはもちろん、警察・検察…法曹界は、これらにどう対処して来たのだろう?  

 もちろん、法律がないはずはないし…また、探偵など営利目的、警察・検察側は準備万端としても…
 肝心の一般社会には、その大半が…後にも・先にも、被害者の泣き寝入り・多大の損害・賠償・代償…に終わっている、というのが現実なのだろうか? 

 「無知は罪」とはいえ…こんな時代にあっても、公共機関には頼れない、未だ自らが防衛するしか手段はない、という事なのだろうか。 



 話が少し飛躍するけれど…あの、
「特定秘密保護法案」
 これは、国外だけではなく、国内問題をも含んだ…実質・
国民にも関与する(役立つ)法案なのだろうか? また抗議側(反対デモ)も、賛成側も…その中身の核心・目的を把握した上での、行動なのだろうか? 

 それとも…この法案に対して政府が、未だ国民に具体性を示さないというのには…!? 
 戦後から今日までの…「マスコミのあり方」に対する…政府自らのプライドに対する…何か意図的な思惑が絡んでの作戦の一つという事なのだろうか?  積極策か ? (国民には関与しない、自らのための)苦肉の策か ?

 いずれにしても…この法案に対する双方を見ていると…(=政府であれ・マスコミであれ…たとえ世論であっても)、これらはあまりにも一方的・短絡的…
傲慢なやり方のように、私には思われるけれど…どうだろう ? 



 世の中に、一言で解決出来る物事などは一つもないけれど、敢えて理論付けで語るとすれば…

 例えば夫婦の問題を・夫婦で解決出来なくなった時に起きるのが、夫婦喧嘩・離婚。 一方だけで決め付けられる物事は、一つもない。 

 ならば…答えはまだ下されてはいないのかも知れない。目には見えないけれど、天の采配は、敗北とは限らない。 
 罪のすべてが、Aさんにあるとは限らない。  

  (何より、今さらご当人はさほど気にしない? 私の取り越し苦労である事を願うばかり。)  (祈)
 


<FC会員の声> 1.

 これが傲慢な人間の言葉?

 「sons and daughters それより僕が伝えたいのは」
 「On your Mark 」
 「心に花の咲く方へ」
 「PRIDE 」
 「けれど空は青」
 「PLEASE 」
 「世界にMerry Christmas」
 「BIG TREE 」
 「Turning point 」
 「月が近づけば少しはましだろう」
 「NO PAIN NO GAIN 」
 「同じ時代を」
 「君が愛を語れ」
 「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」
 「あなたが泣くことはない」
 「どんなことがあっても」
 「朝をありがとう」

 さて
 誰が傲慢な判断を下しているのだろうか 
 

<FC会員の声> 2.

 予想通り

 あれだけ彼の強いメッセージを
 聴き続けておきながら
 そのなんたるかを結局理解出来ず

 たったひとつの言葉に
 翻弄される人たち
 解説しようとする人
 批判する人
 怒り出す人たち
 呆れる人たち
 そのひとたちこそが傲慢だと私は見る

 みんなの気持ちを35年間
 彼がどんな思いで受け止めてきたか
 考えたら
 そんな言葉出てこない
 あなたがたはそんなに偉くない



<FC会員の声> 1.

 
☆すべてに感謝☆

 まさかこんな日が訪れるなんて。。。

 ここ最近は、お2人に出逢ったときから現在まで、沢山のことを思い返していました。
 親友に借りたアルバム『PRIDE』で衝撃を受け、リピートして聴き続けたこと、15周年の富士急イベントでのサプライズ登場に感動したこと、コンサートで何度も泣かされたこと…数えきれない想い出があります。

 人生で最も辛いときにも、常にCHAGEandASKAの音楽は寄り添っていてくれました。本当にありがとうございます。

 昨年の騒動では報道に一喜一憂する毎日でしたが、このBBSでみなさんの気持ちや考え方を知ることができ、とても救われました。
 毎月届く会報も楽しみで、お2人の素の姿や掛け合いに何度も笑わせていただきました!
 スタッフのみなさまには、感謝の気持ちしかありません。
 私にとって、自慢のファンクラブでした。

 そして、同じ気持ちでつながったファンのみなさんの書き込みや日記をほぼ毎日読ませていただくのが、いつからか習慣に。
 優しくて感性豊かな方が多く、すごいなぁと感心させられることばかりで…ありがとう!

 Chageさん。
 これから先、私はChageさんのファンクラブへ移行します。
 いつも私たちを引っ張っていってくれてありがとうございます!
 感謝しています。

 そしてASKAさん。
 ASKAさんのこと、やっぱり嫌いにはなれません。
 心身ともに健康を取り戻したとき、もう1度歌うことを選んでもらえるなら喜んでどこへでも逢いにいくからね。

 CHAGEandASKAの音楽とこれからもずっと♪


(その27) ナベさんを仲保として、これからも !

 『私の責任は、それを彼に伝え、皆さんに、彼の思いを伝えることかもしれません…天は彼を見捨てないことを願っています。』

 ナベさんは、そう約束して下さった。

 Aさんが天を見捨てる事はあっても、天がAさんを見捨てるという事は、絶対にありません。

 今後のAさんの生き方・進み方次第です。 誓って、申し上げておきたいと思います。

 日々の・今日までの…フレンドさんたちのコメント・メッセージにもあるように…また私も、時たま感ずる事があるように…最近のメディアには…

 Aさん(=C&A)への過激報道…それに対する同情というか…気遣いのようなものが、チラホラ…心持ち漂い始めているように感じる事があります。

 たとえ試練はこれからであり…思い通り・願い通りには進まないとしても…こんな豊かな時代を迎え…
 アーティストの道・その形は一つではない、幾らでもある! 決して諦めないでほしい !

 何より、Cさんも仰って下さっているように、決して焦らないで、ゆっくりと歩いて行ってほしい…!

 Aさんを信じています。 

 ナベさんを・みよちゃんを・スタッフの皆さんを信じています。

 そしてCさん、心から頼りにしています!! 

 そして、さまざまな情況・環境を乗り越える皆さんを想像しながら…私たち・ファンも、これまでと何ら変わる事なく・引き続き応援し・支えて行く事を、ここに誓いたいと思います。

 決して、一人ではないと思っていて下さい。


             
 今度の出来事は…過去の有名人・著名人…英雄たちも歩んで来た、ぶち当たった道なのかも知れない…ただ時代の移り変わり・発展で (=コンピューターの時代を迎え)、試練の内容(=トラブル・ハプニング)が、少し変わっただけ…先駆者がいつの時代にも遭遇した被害・試練であったような気がします。 
(微笑・苦笑) 
 今にして思えば…あの内容の極端さが、いかにも、Aさんらしい。 
(失礼!)

 どうぞ、この試練が逆に…Aさんの・C&Aの、新しい未来を築く 『礎』 となる事を願ってやみません。
 
 現代人らしく・思い切って、そのような発想で構えて行こうではありませんか。

 これからも変わる事なく、Cさんを、Aさんを…ナベさんを・みよちゃんを・スタッフの皆さんを…何より、大勢のファンの皆さんを信じて…
 私も、年相応に…などと言わず・年齢に挫けず、頑張って行こうという心積もりでおります。
 (笑) (祈) 


 
 遅くなりました !

 Cさん、誕生日、おめでとうございます!!  

 Cさんのこと、いつも心に置き・見守っている事を忘れないでいて下さい。 

 風邪に、道中に、くれぐれも気をつけて…!!  

 末永く、ご縁ある事を心から願い、祈っています。 
(祈)

                                      (2014年~  )
    


(その28) 嬉しい知らせ ・ Aさんの独白
 
明けまして おめでとうございます。

 何はともあれ、無事、新しい年
を迎える事が出来ました。

 しかも…!

 早々から、Aさんによる(取りあえずの・ネット上での) 嬉しい知らせ !!  

 以下、私の独白。 
(微笑)

     趣旨を外れたマスコミ報道 
IT業界への対応の甘さと限界
               
  
 社会的圧力による極限状態の中にあっても、その分析・リアル感。プロをも超えた、といっても過言ではないような。
 いや、プロであれば、尚更出来ない事なのかも。深く関わり過ぎては物事は進まないという。やはり、当人でなければ、ここまでの細やかな世界に斬り込む事などは不可能だろう。

 こんな内容であれば、当然、困難は予想される。
 
 「削除された」 という書き込みが…Aさんの現状(思い)とは真逆の、(週刊誌による)新聞見出しが…早くも飛び交っている。
  (これに関しては、A夫人からのコメントによってその真意が明らかとなり、すでに証明されている。)

 「真逆」というのは、決して大袈裟ではない。何故、こういう事が堂々と許されるのだろう !? 不思議でならない。
 
 公開されてはマズイ、と思う人たち。カムフラージュ。触らぬ神に祟りなし。さまざまな理由・事情があるのだろう。
 (その内容を尊重するが故の)身近な人たちの気遣いもあるのかも知れない。しかし、そんな折角の気遣いが新しいデマを生み、仇になる事もあるのかも。
   
 彼らの『個性』も、「倫理・道徳」も、「社会常識」も…何もかもをゴッチャにした中で繰り広げられる、個人攻撃 ! これでは、反発心・警戒心ばかりが募り、人間(日本人)は絶対に育たない。前に進めない。

 当事者でなければ判らない感覚のようなもの。その一挙手一投足が窺われている。物事はまず、『当人』を理解しなければ絶対に解決はしない、原点に返らなければ、という事だ。

 Aさんの中にあるのは後にも・先にも、楽曲作り。これに懸けるAさんの熱意を改めて認識させられるような。 

 何度も・何度も裏切られ…それでも彼らに期待を寄せ、一つ・一つの行為を尊重し…しっかりと、その相手の動向に確信(=諦め)を抱いた末に発せられたであろう、このメッセージ。 ( 信じる方が楽さ…♪ )

 まるであの、(Aさんの著書)『インタビュー 』の再現を思わせるような。 

 もちろん、内容の展開も・スケールも、当時とは全く異なるけれど…Aさんの中では、長い歳月を経た今でも未解決の何かがくすぶっていたのかも知れない。再現版・『インタビュー Ⅱ』 なのかも知れない。どうだろう ?? 

 これまでの…上述してきたような、さまざまな角度からの私たちの想像だったけれど…それらをも遙かに超えた、深い闇の世界、プロの世界が、そこにはあった。
 
 「アートの世界」よりも、自分たちの世界観を基準とする、日本のマスコミ(週刊誌)…世論。 一人…また一人…個性豊かな各界の大物アーティストが…政治家が…教育者(指導者)までが、一方的・短絡的な理由でもって、抹消されて行く。

 正直者が馬鹿を見る…長い間、忘れていた言葉。

 現代社会にはびこる闇の世界の…その真っ只中に置かれ、身も心も疲労困憊
(こんぱい)…屈辱と怒りの中にありながら、それを極力押さえ…相手の深層心理に…冷静沈着に・客観的に対処するという、そんなフレーズの溢れ返った…! 

 薬に犯された !? 変わり果てた姿 !? 妄想 !?  (上から目線の)そんな単純な世界、次元の話ではない。 

 昼夜を問わず襲いかかる、過度の悪質窮まりない、
ITの悪用 ! サイバー攻撃 !  
 
 追い込まれた果ての最後の手段は、
警察通報だとしても…しかし、それさえもままならない…一筋縄ではいかない、この(IT)業界。(完全犯罪を狙った)深い・深い、闇の世界。 

 「もし、あなただったら…そんな立場に置かれたとしたら、どうするんだ !? とっくに絶えているでしょう…!」

 と言っても、これは決して暴言ではないと思う。すべての発端はここに…この問題にあったのだから。それを深く理解しようとしない、
趣旨を外れたマスコミ報道。この「未知の世界」(=IT業界)に深く関わりたくない気持は判るけれど。(怒)

 過去の多くの事例にもあるように…「助けを求めた人間」を即断・即決でもって、逆に逮捕?するという、警察の横暴・マスコミの甘さ…そんな、現代日本社会の実態だ。
 



 自らに寄せられる「不信感」を振り切って…Aさんだからこそ乗り越えられたといっても、決して過言ではない。 

 脅迫…恐喝…盗聴…盗撮。 冤罪をも思わせるような場面もあった。

 警察・検察はともかく…もはや、マスコミにとっても、盗聴・盗撮は、(何の疑いも持たない) 一つの権利・スキルでもあるかのような振る舞い、風潮。一人天下。 初めから、取材対象に対する『立ち位置』が間違っている。 
 
 この盗聴・盗撮というのも…
 
 世間一般にあるような、単純・常識内のものではない。たとえ探偵の立場にある人たちでさえも踏み込まないような…相手のプライバシーに深く・深く入り込んだものであり、前代未聞と言っても決して過言ではない、許せないものが感じられる。 

 内容はどうでも良い、そこそこ、まともであれば…決定打はやはり、見出し ! (この盗撮を利用して)直接体面の「証拠の場面」(=直接会いました・当人から聞き出しました?)さえ作り上げれば…という ! そんなマスコミの心理が垣間見えるような。 

 特に週刊誌の場合。『内容のレベル』ではなく、その取材能力・売上げ能力が評価され、業界からの「賞」までが授与されるという…! 

 沢山の人たちに"読んでもらえた""知らせる事が出来た"というのとはどこか違う。心情的なものが感じられない。ひたすら、スキル、スキルの問題なのだろうか。

 敢えて同情するとすれば…そんなイメージ・商品を作り上げて来た以上、例えば特ダネが何もない時には、恐らく売上げはさっぱりだろうから、絶やさないよう、総動員でそれに対処しなければならない。年がら年中、ノンビリと構えている暇などない…「過剰な表現」はこの世界の常識である…そんな力量が期待される、というところだろうか。
 検察の目には無罪であっても、神の前には、罪ある行為である事に気付いていない。

 どう見ても、どの角度から眺めてみても、あらゆる世界(業界)に通じる、これは明らかに、国家の問題だ。 まして、Aさん個人の問題でない事は明らかだ。

 しかし、更に言える事は…たとえこれらが社会的・国家的問題だと判断され、提訴・告訴されたとしても…結局はこれも、マスコミ操作によって個人的・部分的問題に留められ…とにかく悪い事は悪い、という表面的判断・倫理観でもって軽傷に留め…これまた、そのマスコミによって自然消滅されて行く…なかなか、(検察をも含めた)お上には届かないし、そんな勇気ある人間はいない。彼らに同調する方がとりあえず、賢明・大人…という事なのだろう。

 そんな、さまざまな残骸のいっぱい散らばった、「遠浅の風景」が延々として続いているのが、今の日本の姿・実情だ。 
 
 そんな中で(=泣き寝入りが殆んどであろう中で)、他の業界の知人のアドバイスを受けながら、冷静に・前向きに対処し・頑張っておられる姿が見える。

 決して大袈裟ではなく、これは真実のお話なのだ。

 思えば、警察側は…過去の誤認逮捕・失策の体験から来るものなのか…「逮捕した」とも、また「逮捕の理由」さえも、初めから・今日まで、一言も発していない。
 十中八九、報道側が一方的・勝手に動き・結論付けているだけではないのか(なかったのか)。中には、偽証罪…といっても過言ではないものが見え隠れしている。こちらの方こそ、問題ではないのか。

 与えられた「懲役」に対して…「執行猶予」に対して…どうしても受け入れ難い一面があるのかも知れない…そんなAさんの、言葉では言い尽くせない思い(本音)・立場を、もっと推し量るべきだ。


 
 日本でこの問題(覚醒剤)が浮上し、沢山・沢山の容疑者が…いや、(結果的には)被害者が…取り挙げられて久しいけれど。

 何故、こんな問題が起きるのかという、事の前・根源の課題を検索・探索する情報は、メディアを通しては殆ど見た事も・聞いた事もない。これも、触らぬ神に祟りなし…日本の自然破壊と同じで…物事が起きてから騒ぎ出す…結果論・後手作戦の方が楽、無難、という事なのだろうか。(リスク・コストの関係もあるのかも知れない。) (いつの世も…預言者・先駆者は捨てられる…と同じ理屈だ。)
 
 すべては事の後で、机上でもって…学者・医者・コメンテーターが…すべてを「重症」と決め付け… 
 彼ら(容疑者)の生活環境、自覚症状等々のそれぞれの諸事情…プロセス…を知ろうとはせず(知らないくせに)、過去の復帰の失敗例? 悪例? の映像ばかりを取り上げ、十把ひとからげの概要でもって…
 
 「もはや、再起は不能でしょう。」

 と、決め付ける…刃にも等しい、暴言だ。当人はもちろん、彼らを取巻く人たちの未来にも配慮した上でのコメントなのだろうか。二度とこんな犠牲者を生まないためという、その心遣いは理解出来るとしても…しかしそれさえも、私には極めて事務的・儀礼的に思われる。
(苦笑)

 (演出なのか)それが時には、再起不能のはずの当人の言葉と映像で語られるのだから(体験談)、不思議である。
(笑) 

 こういった、容疑者のイメージを一方的に作り上げ、逆に回復の道を遮ぎるような言動・報道には、注意が肝要だ。 

 人にはさまざまな出逢いがあり、生活環境がある。これだけは、たとえ巧妙なマスコミであっても、知り得ないもの。踏み込めないもの。回復に向かっている自分を実感しているのに…すでに報道によって作り上げられた先入観によって、世論はそうとは認めない。
 
 挙句には…努力する事の虚しさ…意志力の低下…疲労・不眠…未来への失望…悪夢…悪い夢は誰でも見るものなのに、それを彼ら独特の現象と捉え・仕立て上げる。そんな最中
(さなか)に受診すれば、医療側は「やはり、完治していない」と受け止める。過度の分析・投薬…早くも悪循環が始まって行く…結果、元の木阿弥。否定しているのは肉体だけではない、彼らの人格・存在までもが無視され・軽視され…
 
 すべてはそれぞれ個々の問題とはいえ…そんな状況を克服出来る人間は、ほんの一握り。彼らこそが、「報道の犠牲者」なのかも。 

 そもそも、回復の基準をどこに置くのか。人によっても・年齢によっても違う。40代、50代になって、20代の体勢に戻そうというのは、所詮、無理な話であると同様に、肉体的・物理的問題だけではない、これらは自らの感覚で察する事であり、赤の他人が決め付ける事ではないはずだ。人間とは流れ作業によって処置するような、そんな軽い存在だろうか。特に最近はその兆候が強いけれど(=発言・報道。 医療側の「知識から得た主観的診断」? )、問題だ。

 もちろん、報道の自由を否定する訳ではないけれど、もっと、多角的面から議論して欲しい。彼らの苦悩の日々を、一両日のそんな短絡的な見解でもってまとめ上げ・決め付けて欲しくない。 

 何より、現代における西洋医学の在り方。「新薬」にしても、「抗がん剤」などにしても、覚醒剤にも劣らないほどの「副作用」に悩まされるという人たちは、ゴマンと存在する。すべてを十把ひとからげのワン・パターンでもって片付ける…逆にそんな言動・報道が、彼らを一層、悪循環に導いているのかも知れない、という事を認識すべきだ。

 思えば…彼らにとっての取りあえずの敵は「覚醒剤」だとしても…元の自分を取り戻すため、再び闘うべき本当の敵は、(学者・専門家たちをも含めた)この「マスコミ」である事を、しっかりと自覚すべきなのかも知れない。 

 世間では、覚醒剤の怖さを日々伝えているけれど…本当の恐怖は、「報道にある」という事を判って欲しい。 

 復帰のための社会環境にしても(=生活・仕事…)、医学の問題だけで結論付けられるものではない事は、子供にだって判る。子供たちの方が、(学校環境など)自らの体験を通して、大人以上にその事を実感し・哀感しているのかも知れない。

 何故、「所持」「入手ルート」だけではなく…その出どころ・製造元。国によって・地域によって異なるだろう、違法か・合法か。常識・非常識の基準・分岐点。何故、それに対する情報は何一つ、語られないのだろう (=覚醒剤の歴史、現状)。「銃の所持」にしても同じだ、それらを日常としている国もある。

 ちなみに…例えば「喫煙」は、昔はごく自然の風景だった。タバコは吸わなくとも、あの煙の匂いの好きな人もいた。何の被害も感じなかった。吸い過ぎ・(アルコールの)飲み過ぎは昔からある現象で、これは個人の問題であり、タバコ・アルコールそのものに罪はなかった。元はと言えば、どちらも自然界からの産物。他にも…コーヒーに始まる…さまざまな飲料の飲み過ぎ・摂り過ぎ…

 「ガン」にしても…それを見つけ出す事よりも、「現代におけるガンの異常な多発性」を考えるべきであり、むしろ、自然・社会環境・医療環境(検診・薬品・治療…)に問題はないのか…
 
 昔はなかった、「スギ花粉症」などにしても。
 空気・エネルギー…自然界との兼ね合い…もっと、地球の環境そのものに言及すべきなのでは? こんな事を繰り返していたら…自然の植物・動物の存在そのものを否定するような十把ひとからげの命令・指示による後手作戦ばかりを繰り返していたら…一人・一人の個性・判断力・決断力が育たない…それは「禁煙」に留まらない、さまざまな方向に広がって行く。

 こういった根本問題の追究こそを、受身・受身で終らせない、現代科学・IT の活用・善用を通して、もっと、広域化すべきだ。人間も・自然界も、理屈は全て同じなのだから。

 それとも…その出どころ・製造元の存在そのものに、政府が触れないのは…

 喫煙を国家として禁止とした場合…世の中には、無難な飲用者・楽しみとしている人たちはゴマンと存在する事には間違いないのだから、政府としては、逆に彼らに与える影響力の方が怖いからなのだろうか。
 何より、グローバル単位で考えれば(=世界中の喫煙者の来日による、観光旅行・種々のイベント等々への影響)…尚更だろう。 



 時には捜査機関までが、基本をマスコミ報道に置き、それに任せた(頼った)ような印象を与える、今の捜査感覚。

 中には…

 自分たちの「早とちり」のため(というよりも、マスコミから得た表面的情報・先入観…簡略…無知…)、それらをカムフラージュしようとして、その容疑者を自分たちの主観…もっともらしい社会常識…を持ち出しては彼らを追い詰め・追い落とし、犠牲にする事もあるのかも知れない。
 いや、こんな例題はいっぱいあるに違いない。
「冤罪」と言えば、重大事件しか取り挙げられないけれど。
 
 マスコミ利用をすべて否定する訳ではないけれど、その捜査の目的・意義・価値観に対する相違の問題は大きい。双方(=警察・マスコミ)が、いつも・必ずしも同じ目的で行動しているとは限らない。思えない。 
 
 (高い税金を使った…後手作戦に莫大な費用を懸ける)麻薬取締法・麻薬取締り本部・機関って、いったい何だろう ? 

 メディアは何故、その事(海外をも含めた製造元など)には触れず、追及しようとはせず、被害者(飲用者・提供者)だけを対象とした、一面的・断片的対応・後手作戦に留めてしまうのだろう。  


 物事の結果ばかりを鋭く・深く追及する、捜査の方向性・後手作戦。 容疑者逮捕で一件落着という…このお決まりのコースには、もう、ウンザリだ。
 
 良くも・悪くも、『個人主義の時代』を迎えた中で、折角の「個性の尊重」が、科学・化学に傾注した未熟な社会環境によって、悪用されている。

 マスコミ戦争・情報化社会の真っ只中で…その根源にあるもの・そこに至らしめたものを追及する熱意こそが、大事なのでは!?

 でなければ、こんな世界は…不安と恐怖に覆われ、(教育者までが)自己防衛が精一杯という、そんな世界は容易にはなくならないし、強くなれない。勇気が持てない。
 
 そんな(追い詰められた)立場にあるにも拘わらず、警察・マスコミ・世論に気を遣いながら、容疑者? 一人が頑張っている。
 どう見ても、こんな社会は本物じゃない。許されない !



 表社会・裏社会?…王道・覇道?…正道・邪道? これらの区別なく、その域をも超えた世界への挑戦…探求。

 たとえ裏社会と呼ばれようとも…生まれながらにしてその環境に育ち、世間から疎外視される中を(=存在そのものを否定されながら)生き抜いて来た人たちもいる。一概には責められない。

 そんな環境に育った子どもたちの未来のためにも、正面から彼らと向き合う手立てを試行錯誤しながら、一心同体となって造り上げ、議論を進めて行く…彼らに対する昔ながらの感覚ではなく、時代の流れ・社会の変化にも、もっと目を向けるべきだ。

 (表面だけを見て・悪と決め付け)批判するのが(逮捕するのが)当たり前という、今日に至るまでの長い間、(放ったらかしにして来た)この世界(裏社会)に対する、政治はもちろん、メディア・世論に染み付いた先入観。むしろ、こちらの方が問題だ。

 それどころか、そんな立場に置かれた人たちを…味方に取り付け、自らのなりわい(媒体)として利用する…いったい、どういう認識の上に立った人たち(特に週刊誌)なんだろうと思う。
 また、これらに対して下手に対応すれば、報道を通してどんな報復が待ち受けているか判らない。やはり、これが一番の恐怖であり、これに勝(克)てる者はそうそういない。世紀の難題だ。

 これこそが、(正義派ぶった)もっともらしい
「諸悪の根源」なのかも知れない。マスコミ戦争と呼ばれる所以(ゆえん)なのかも知れない。

 長い・長い年月…今日の今日まで…これらに対して、政府は何をして来たのだろう。捜査機関は何のために存在するのだろう。
 

  
  " WALK" "LOVE SONG" " SAY YES" "太陽と埃の中で" "NとLの野球帽" "PRIDE" 他にもいっぱい、いっぱい。" はじまりはいつも雨" " めぐり逢い" " You are free""HEART"〝モーニングムーン″

 振り返れば…いい時代だった。とても大切で・貴重な曲である事が窺える。こんな曲こそ、今の時代には不可欠だ。

 ときめき…片思い…失恋・悲恋…あの時の・この時の、その一瞬・一瞬にはつらいものがあったとしても、こんな時代を迎えてみると…あの頃の少年は・青年は、幸せだった。それらの一つ・一つが、今の自分を造り上げてくれた。 
 
 盗聴・盗撮…ストーカー…文明の利器が悪用されている。今の子供たちは・若者たちは、与えられた大切な個性を・情熱を、こんな形でしか、こんな方法でもってしか、表現出来ないのだろうか。

 少年だけではない…少女にも罪はある。ここにこそ、問題の核心がある。(旧約聖書の創世記)
 何より、そんな風に育て上げ・造り上げて来た世の中の罪と責任は、あまりにも大きい。人間の根本・根源に関わる問題なのだから。
 
 " 心のボール" 
 これは、Aさんの故郷・福岡の市制100周年・イメージソング・メモリアルソングとして、Aさん騒ぎの直前まで、市役所の電話保留音・青少年施設の館内BGMに利用され、流されていた楽曲。(参考…「心のボール」を語る 山犬 他 より) 

 そして、
"YAH YAH YAH"
 こんな歳になっても、未だこの楽曲に励まされ、追い詰められた時、迷った時、ごく日常的な事であっても、(業界を問わず・いろんな場所で)とても役立ってくれている。永遠の名曲だ。

 恋は有限。愛は無限。人の出逢いも、合縁奇縁…自らでは決められない、計り知れないものがある。たとえ夫婦であっても、知りたくない・知られたくない事もある…ここまで公開されなければ、互いの間で解決出来たのに。
 当人だけではない、場合によってはさまざまな業界に損害を与え、混乱に陥れる事もある。
 


 そもそも、IT革命とは何だろう。少なくとも、言えるだろう事は…

 昔のように、「火のない所に煙は立たないだろう」と、それを武器に…その事実・真実を突き止める事なく、すべてを憶測・推測でもって勝手に事実が造り上げられ・乱用され…誤解したまま・されたまま…泣き寝入り…いじめ…隠蔽


 ではなく…もはや現代は、そういう時代圏に留まっている時ではない、一刻も早く発想の転換が求められる時代…という事なのでは。
 IT革命によって、善側・悪側の区別なく・良くも・悪くも、すべてがバラされて行く時代。

 この、『ITの善用』によって、必ず真実が明かされ(単なる正・不正ではない)、自らを取り戻す。そのための革命であり…人々の(心霊)基準がそこに至っていないために(=科学・化学の向上にばかり心血を注ぎ…)、それらが「悪用」「乱用」されているだけの事であり。
 悪用(=心理作戦でもって報道の自由への侵害を訴え、もっともらしく振る舞う)は、誰かが止めてくれない限り(思い切った政策の実行?)、どこまで行っても限りがない、味を占めたらやめられない…営利が絡
(から)めば、尚更だ。

 ならば…どん底に突き落とされた、その自らのステータスを・プライドを取り戻してくれるのも…散々、苦しめられたとはいえ、この同じ・マスコミ(
ITの善用)を通してしか、復帰の道はない…という事も、同時に言える訳だ。
 
 そんな思いを胸に秘め、Aさんがはっきりと、「理論・理屈」ではなく、その「現地・現場」に立った、自らの体験として、(省みる事も含め)、詳細に渡り、語って下さっている。  

 私などからすれば、あまりにも深い、前代未聞の世界のように思われる。一個人の問題では済まされない事は、明らかだ。  



 一人でも多くの人たちを喜ばすために、自らを抑える人。 

 自らが生き延びるため、多くの人間を犠牲にする人たち。

 この後者にしても、当然、同じ理屈が成り立つ訳で…
 つまり、たとえ攻撃側であっても・週刊誌が沢山売れても…その家族・周りの人たちにすれば、必ずしも幸せとは限らない。受け手側(=容疑者・被害者)に勝るとも劣らないほどのストレス(=報復への不安・恐怖)を抱えている人たちもいるのかも知れない。それらが巧妙な技によって、カムフラージュ(善人面)されているだけだ。世の中はそんなに甘くないし、同じ試練に変わりはないと思う。
 IT革命によって、さまざまな立場の人たちの「裏の事情」が、容易に公開・暴露可能な現代だけれど…一体、誰のための暴露・報道なのだろう、といつも思う。 

 例えば、マスコミによって罪人扱いされ、容疑者と呼ばれ・まだ加害者の段階ではない人間が、裁判によって『示談』が成立したとしても…
 既に発せられた…被害者と呼ばれた人間のその現場を見た訳ではないにも拘わらず、それに寄せられる・それを擁護したような・さまざまな一方的断定発言・過激報道を前にして…元の自分を(イメージを)取り戻す事は、容易ではない。
 
 これらは…容疑者が・被害者が・それに関わった全ての存在が…何かの形で・それぞれの表現方法でもって、同等に・公平に、報道の場に参加する事によって、そこで初めてさまざまな世論を納得させる事が出来るものなのでは ? 

 勝訴・敗訴は結果の問題だ。たとえ敗訴したとしても、もっと具体的に表面に出し、対等の立場でもって世論に伝えるよう諮
(はか)るべきであり、これが民主主義国家というものではないのか。 

 また、彼らがそうしないのは、様々な理由があるとしても、(少なくとも言えるだろう事は)登場するだけの価値がないと悟ったところから、そうなるのでは ? 

 「政治家のスクープ」にしても…「政策」には全くといって良いほど目もくれず、次々とその存在を抹消していく…!  

 『ことば』は、人を生かしもし・殺しもする。21世紀のメディアの言動とは到底、思えないものがある。

 それとも…「マスコミ(週刊誌など)の善悪論」と「一般社会の善悪論」が、既に基本の・根本の時点から違っており、彼ら(前者)にしてみたら、これらは日常茶飯事の、(知覚麻痺?のような)普通の感覚で日常生活に取り入れられ、何の臆面もなく発せられるものなのだろうか。

 「思いがけない人たち」が、スクープされる事が多くなった現代。彼らはどんな役目を担い・選ばれた人たちなのだろう。これらを通して、天は何を伝えたいのだろう。

 もちろん、一つや二つではない、単なる正・不正の問題でもない。(私たちは気付かないけれど)たとえ裁く側(マスコミも含めた)にある人間であっても、試されている立場にある事には、大差はないだろう。

 しかしこれらは、私たち視聴者(第三者)の冷静な判断からすれば、あまりにも主観が過ぎる…無念な出来事が多過ぎるような気がしてならない、最重要課題の一つのように思われる。 マスコミに対する法律とは、どういうものなのだろう ?? 

 日本人は誠実だ・正直だと、世界から慕われる。にも拘らず、イザという時・肝心の時…出番がない…役立たない…のは、何故だろう。
 世の中は・物事は…正・不正、事実…だけに捕らわれているだけでは進まない・乗り越えられないという、一つの証しだろうか。


 
 さまざまなプロの世界にも、沢山のファンを持つ、Aさん。

 IT・マスコミによって、心身のすべてを奪われ、どん底に突き落とされた…その『女優さん』から、助けを求められ…極力、彼女の立場に立ち・真摯に対応する、Aさんの姿。世間の噂・報道とは真逆の、この現場の実態。

 彼らは、この真相…また深層心理に、どこまで理解を示したのだろう !? 検察は、どんな対応をして来たのだろう!? 

 これらの問題が次々、起きるのも…絶えないのも…

 作品が出来上がるまでの経緯…仕事環境・健康状態・人間関係…さまざまなプライバシー…それらをしっかりと把握し、理解した上での言動(=検挙・報道)なのか。そうでない限り、当事者を・世論を納得させる事などは到底、不可能で…

 まして…たとえ同業であっても、生活環境・生活信条の全く違うと思われる人間を登場させ・Aさんと比較対象の立場に置き・机上の空論、当人不在の・そっちのけの中で、十把ひとからげでもって、これでもか・これでもかと追い詰める…などは論外だ。

 これらを挽回し・証しするのには、やはり、
「広量な環境」が必要だ。 

 私たち世論が期待し・安寧
(あんねい)な生活を取り戻してくれるのは、(この日本の現状では)検察でも・マスコミでもない、『当人たちの努力』であり(=事件の当事者)、もはや、ここにしか頼るところはないと、私には思われる。そんな何かを…マイナス材料の探索・検索ではなく、プラス材料を一つでも多く彼らから見つけ出す事こそが、報道の使命・生業(なりわい)というものではないのか。

 (小説やドラマにもあるように)たとえ、どんな立場の当事者(=容疑者)であっても、事の前に(裁きの前に)、もっと彼らの言動(いきさつ)を尊重すべきだ。彼らは物ではない・商品扱いは許されない。それを理解しないで、事件を・物事を解決しようなどとは、(裁く側の・報道側の)傲慢以外の何ものでもない。

 たとえ検察であっても…時には彼らの振る舞いに、「営利」を感ずる事もある。

 人の個性はさまざま。もはや現代は…大人はもちろん、子どもたちの未来を育てるのも、マスコミ…といっても過言ではない。 
 自分たち(マスコミ)の一言・一言の重さを、もっと認識して欲しい。

 こんな時代を迎え、近年、地球のあちこちで『死刑廃止論』が取り沙汰されている。この事も、その一つの善い例であり、彼ら一人・一人を…その一言・一言を…もっと尊重すべきなのだ。また、その「深層心理」を導き出すべきだ。

 神様は、人間を始め・すべての森羅万象を
『善』でもって創造された。 例えば『弁護士の存在』などは、そのよい証拠であり・証明だ。

 一度、報道したからには、最後まで見守るくらいの、責任感と気概を持って欲しい。 
 
 いつか何かの形で、一人でも多くの心ある人たちに、その真意が…Aさんの誠意・勇気が届けられ…(それを発端に)…Aさんの個性はもちろん、多くの被害者たちの個性、その長所・短所のすべてを受け入れるような喜怒哀楽の溢れ返った、本物の…営利だけに走らない…この日本社会・
メディアの成長を祈らずにはいられない。 
 そうする事によって得たもの・これこそが、本物の充足感・納得感を持った、『利益』につながる道ではないだろうか。

 (国家を相手とするなりわいにある)
「政府マスコミ」には、もっと、「IT業界の現状」…例えば、「プログラマーのあり方」それらを隅々までもよく検証し、問題・課題に対しても…(何より、ご自分たちのためにも)もっと、具体的に対処・協力すべきであり… 
 スキルと同時に、人間性…これなくしては、日本の未来も・発展も、永遠にあり得ない。育たない。

 やはり、(マスコミ・ITをも含めた)
「教育の問題」は大きいと思う。「進学…」「学歴…」ではない、もっと、それ以前の問題だ。

 もう、これ以上の無駄遣いは許されない。
 


 さまざまな業界の、『真実』が問われる時代。その場・その場の正・不正…を超えた、真実の世界。

 待ちに待ったこの、(取りあえずの・ネット上での)メッセージによって救われる、ファンの人たちがどんなに大勢いる事か…!  Aさんの苦しみは・プライドは…私たちの苦しみ・プライドなのだから。
 あとは、それぞれ個々の問題。それぞれが・それぞれのレベル(客観性)で受け止め・解釈して行けば良いと思う。 悲観する事はないんだ。 
 
 時代がどんなに変わろうと・進もうと…真実・真心に勝るものはないのだから。 
 
 一歩前進 ! (二歩? 三歩?) あとは、神様にお任せ。見守って行きましょう。たとえ何が起きようと・思われようと……。
(祈)

                                         
 ( 2016年~ )  

  紙文字の世界は消えない、終わらない

 Aさんの告白を機に、初心に戻って考えてみた。  

 ネット・ネット…ネットの時代 ! というけれど… (
註…商社・営利業界などはひとまず置いて。)

 私が、このマイ・ホームページ(HP)のご案内を、一般向けには(今の段階では)行なっていないというのには、それなりの理由があるからであり、意識的にそうしている訳であり…
 これは、発信者の有名・無名に関わらない、それ以前の問題があると思われるからである。 

 安易に公開して、中途半端に解釈され、この文明の利器の善用(=重要性・必要性)を無にしたくないから。

 それよりも何よりも、その作品が何かの・誰かの操作によって停止・抹消されてしまうという、この世界における、一番の恐怖 !

 こんな恐ろしい事はない。そんな思いはしたくないから。これは、個人の被害で終わる場合もあれば、さまざまな業界、社会に及ぶ場合もあるだろう。しかし、その価値観に変わりはない。

 (聖なることば…「個人の使命が自分で終わってはならない。神の全体目的と一致しなければならない。」) 
  
 文化・芸術…の尊さの判らない人間を相手としたが故の、自らの愚、甘さ、と言えばそれまでだけれど。しかしそれだけでは…そんな事では乗り越えられない…文明の利器の悪用が溢れ返った、この現代の社会環境・実態。 

 それらを超えるほどの力を持つ組織・存在が生まれ、庶民に浸透しない限り、(もっともらしい)犯罪・冤罪は、益々増えて行く。

 しかも…例えば捜査機関などは、必ずしも庶民の味方ではない、という場合もあったりする。

 これには、この犯罪の世界の巧妙さ・膨大さを理解出来ず、安易な方向に流し、一件落着という…そんな皮肉の結果・積み重ねではあろうけれど。それほどに…つまり、警察官までが後退
(あとずさ)りするような…この現代社会の犯罪は恐ろしい。


                              
 またたとえ、パソコン(PC)のスキルがあるとしても…生活の・仕事の中心が、PCであったとしても(スマホ?等も含め)… 

 自分の職場で 、ネットや個人のHPを検索する余裕などない、というのが、一般社会の常識だ。

 たとえ、PC等を所有していても、ネットに加入していなかったら意味がないし、ご縁がない。

 勤労者・労働者が大半を占める、この日本の地方社会では…ブログ…フェイスブック?…何千・何万人のツィッター? 等々、さまざまな世界が展開されて行ったとしても…

 これを…「量より質(中身)」…という観点から考察すると…

 つまり、数ではなく、老若男女のすべての階層がネットに参加し、その人たちを対象として得た内容のものでない限り、ここ(ネット)から得た統計や世論調査から、日本の・世論の実態(本音)を掴もうとするには、今の段階では、まだまだ無理がある。

 私たちはともすると、数に流されるという習性があるけれど…日本列島・老若男女・さまざまな環境のすべてが幅広く参加しているとは到底、思えないし、まして高齢化社会であれば、尚更だ。 
 
 恐らく、同じような・似たような事情・環境の人たちが…「見えない」のを…「ニックネーム」「ペンネーム」を良い事に、言いたい放題・書きたい放題。健全な自由とは、ちょっとかけ離れたような。
 (「実名使用」をネット公開の条件とする場合は別としても。また、ネット開設の目的も、人によってさまざまではあるとしても。)

 「ことばには いのちがある」というけれど…

 賑やかな・華やかな世界であるにも拘わらず…一点にこもったような…一つの小さな事柄(噂話)に拘わり…主観、主観の嵐に振り回される…そんなネット環境から、「いのちを 見い出す」には、今の日本の状況からは、これにも、まだまだ無理がある。 

 よって、私の周りの人たちの状況を見る限り…現実には、私たちが思うほどには、まだまだ、このネットの世界には委
(ゆだ)ねられない・頼れない…と言うのが、今の日本の地方社会・高齢化社会の本音・実態なのかも知れない。



 今更だけれど…

 テレビや新聞は、スキル的にも器用・無器用を問わないし、(良くも・悪くも)全身でもって受け止め、体感出来る。  

 ネットは、知識・見識・多機能を内包しているけれど、目先と脳だけが働き、常に時間・空間を意識し…周囲に誰かの気配を感じたり…心が落ち着かない。知りたくない事まで知らされる。便利さ故の、さまざまな代償。 逆に、自分力(=自ら求める心・意欲)が失われて行く。
             
 そんな利器を前にして、新聞・テレビはもとより…

 改めて、『紙の世界』(=出版)に目を向けると…そう簡単には消えない・消える訳にはいかないだろう、この業界。

 思えば、「紙」は昔からあった。紙のための樹木も、大昔から保護され・手入れされ、未だ育てられて行っている。神様には初めから、この世界を地上から消し去る考えはない、というのが本当のところだろう。

 感動的な文言・小節に出合うと…そこで立ち止まり、しばし思いに浸り、過去にまでさかのぼったりも出来る。そして一段落すると、また次の段階(文言)へと、歩を進める…
 
 かつて「原発」は、エネルギー業界の花形だった。当たり前の手段だった。
 それが今では…さまざまな不祥事を重ねる中で…反原発の人たちの方が遙かに多くなり、大半を占めるようになった。風前の灯火
(ともしび)だ。「海」を・「空」を…「自然」を取り戻しなさい、という。

 しかし…とは言え…つまり、そんな普遍性を持った「紙の世界」ではあっても…その中味を分析すると…?

 例えば私たちの世代では、「縦書き」を常識としたような感覚がある。「縦書き」には、「斜め読み」という言葉もあるように、一つ・一つの文字を読み上げなくとも、瞬時にして・その文言の意味を読み取るという力量があり、そんな中で育った私たち。

 また、例えば「ひらがな」だけがズラリと並んでいても、その一文字・一文字には意味は含まれないから、その一つ・一つを読み上げねばならず、時にはもう一度読み直す、といった場合がとても多い。 「漢字」にはその一文字・一文字に意味が込められているとはいえ、漢字だけの羅列では、これも同様、(日本人としては)かなりの才覚を要するだろうし…

 それを思うと…東洋というより、この『和文』には…和文ならではの文化と知恵…今更ながら改めて、何か心情的なもの(思いやり)さえも感じさせられるような、包容力がある。 

 しかし今は…西洋思想、グローバル化の影響か、世代・文化の違いなのか、今の若者たちは、ネットの世界にも見られるように…必ずしもそれらを常識とはしない。(気付いてみれば)「横書き」を主体としたような文体が殆ど。「翻訳本・文」が増えた事もあるだろう。字幕スーパーにしても。さらに近年は、これに「カタカナ語」「アルファベット」が加わって…そんな風潮・時代圏にある。

 一方では、高齢化社会を憂い、一方では、IT・AI社会を憂うという、矛盾…混乱。
 今のこの現象も、原発同様…一過性の・いっときの…と捉えるには早計だとしても、何かの分岐点に立たされている事には間違いないだろう。

 良く解釈すれば、バラエティーに富んだ、素晴らしい社会に突入したとも言える。

 あとは、工夫の問題 ? (縦書き・横書き、また装丁なども含めた)形とか、表現とか。もう一度、しっかりと紙の世界に目を向け・彼らを引き戻すような…そのための工夫が、『紙の世界』にも必要なのかも知れない。

 ともあれ、いずこの業界にも一長一短はあるとしても、やはり、「紙に転換する」「出版で締める」…文学・芸術(=静の世界)だけではない、現場のさまざまな実態・思い(=動の世界)を、一冊の本にまとめ・一つの節目とする…というのが、私たちの実感であり…当人だけではない、何より、高齢化社会を迎えた中で、多くの人たちのためにも、日々を生きる中での安らぎを与えてくれる(安堵感・充実感)、一つの手立てであり、最善の・究極の…昔も今も変わらない、普遍の方法であると、私には思われるけれど…どうだろう ?

 それと…週刊・月刊誌、新聞…だけに留まらない、こんな時代にあって…

 『 本は 本屋さんで 』

 という…そんな常識、ルール? を打ち破るというのも、現代人として考えてみるべき、一つの方法なのかも知れない。

 逆に、たとえ本屋さんであっても、それにふさわしいような、他の商品を並べ置くとか…

 そんな思いに同調し、願いを叶えてくれる、心ある人たち(=業界・開拓者)に出会いたい。 めぐり逢いたい。 
                              
                                          (2016年~ )                             




<追記> 
  
Aさんのブログより (1)   (恐れながら、Aさんのブログから転載させて頂きました。)

             

 2017-09-06

 
物騒な話が走っています。

 
戦う前から勝負のついているケンカをするでしょうか?
 
 常識的にはあり得ませんが、それでも、やる意味というのがあるのかもしれません。

 北朝鮮は、もう、自力で国を建てなおすことが不可能であることを知っています。

 経済的に国が破綻することを「デフォルト」と、言います。

 お隣の韓国は、これまで3回デフォルトをしております。

 分かりやすく言えば「自己破産」ですね。

 それを助けたのは、いずれも日本でした。

  20兆円にも近い支援で韓国を立て直してきました。

 そのことを韓国民は、ほとんど知りません。

 もちろん、恩着せがましくしない美学が日本国にはありますので、

 日本国民にさえも、あまり知らせていません。

 慰安婦問題など、毎度、喉元に刃物を突きつけられている日本ですが、

 これは、ここでは、実際にあったとも、なかったとも言えません。

 ただ、最近になって「なかった」という、証拠や証人が相次いで現れました。

 それも韓国民は、ほとんど知りません。

 日本の耐え忍ぶ精神は、本当に強いものだと思っています。

 C&A が、韓国でライブを行いました時に、韓国のたくさんの政治家の方々とお会いしました。

 その時に、とても印象的な出来事がありました。

 数人の政治家の方から、

 「自衛隊の海外派遣を、止めていただけませんか?」

 と、投げかけられました。

 もちろん、僕たちに、そんな力がないことを知っていての発言です。

 「なぜですか?」

 「怖いんです。恐ろしいんです。日本が軍隊を持つかもしれないと思うと、身体が震えます。」

 「大丈夫ですよ。日本は戦争はしません。」

 今も、これからもそう思います。この国は自ら戦争はしません。

 ただ、以前にも書きましたが、

 「巻き込まれる」

 これは、否定できないのです。

 今、その状況に近づいているのかもしれません。


 猪木議員が32回目の訪朝を決めました。

 僕は、とても意味のあることだと思っています。

 国家には、国家のプライドがあります。

 そのプライドを守りとおすための戦争というものがあります。

 敗戦を承知の上で。

 国が国家運営をできなくなり、世界から自国が崩壊するカッコ悪さを笑われるよ

 り、いっそ、戦争によって崩壊した方が、メンツを守ることができるからです。

 しかも、相手はアメリカです。

 あのアメリカに対し、勇敢に立ち向かった国としてのプロモーションです。

 そのプライドを守るためのプロモーション上に、戦争はあるでしょう。

 開戦と同時に戦争は決着がつくというジャーナリストがほとんどですが、

 僕は、意外に時間はかかると思っています。

 地下施設が充実しているからです。

 地上面では、一瞬にカタがついたように映るでしょうが、

 北は攻撃できなくとも、地下に潜み、プライドをかけた1発を発射するのではないかと考えているのです。

 どこに?

 アメリカには向けないでしょう。

 韓国?

 いや、反目しあっていても、流れている血は、同朋です。

 では?

 と、考えると、非常に危険な状況に立たされるのが日本です。

 巻き込まれるのは日本です。

 同盟国であるという大義名分がありますので。

 猪木議員は、

 「すべてのドアを閉めてはいけない。」

 つまり、ドアは閉めていようとも、鍵をかけてはならないと、

 言っているのだと思っています。

 同感です。

 「アメリカと勇敢に戦って、国が崩壊した」

 を、選ばせてはなりません。

 異端児に、手を差し伸べ続ける忍耐、精神力が、この国にはあります。

 
経済制裁は、ある意味武器を使わない戦争です。


 孤立した異端児に、手を差し出すことができるのは、

 アジアにおいては日本だけだと思うのです。

 「民間交流」

 何よりも大切なものだと思っています。

 僕らの子どもの頃「中国展」と、いうのが全国で展開されました。

 「ボールペン」やら「万年筆」やら、「お菓子」・・・。

 日本と中国が「仲良くしよう」という現れでした。

 「北朝鮮展」

 僕は、行ってみたいですよ。

 アントニオ猪木に期待したい。

 1、2、3、

 ダァーーー!!               (2017年)  


<追記>  Aさんのブログより  (2)             


 2018.02.16

 一夜、明けて・・・  「700番 完」


今日のブログも、自分の言葉で語りたく、スタッフの検閲はありません。全てが自分の言葉です。

**文中で「メディア」「マスコミ」という表現がありますが、
いずれも「一部のメディア」を指すものです**

先日、

「誤解は怖い」

というフレーズを用いて、その「誤解」に反応された方たちが多くおられました。

フライデーの日、僕が書こうとしていたことがまとまりました。
僕は、今日の日をいずれ迎えることになると思い、みなさんにお伝えしようとしていました。

まず、彼女の存在で離婚になったわけではないということ。
ここは夫婦間のプライバシーであるため、説明はしません。

今、僕の横には「700番」は、置いていません。
ですので、今から書くことに「700番」と、食い違いがあったとしたら違いを指摘してください。

当時、僕は「倫理」「道徳」から外れた、今、社会がもっとも反応する「不倫」の状態でした。
これに関しては弁明も何もありません。

僕が逮捕されましたのは、2014年5月17日の早朝7時過ぎだったと記憶しています。
そして、彼女が逮捕され名前と顔が世間に公開されたのは8時半だったと思います。
なぜ彼女が逮捕されたのか理由が分かりませんでした。
なぜなら、彼女には「覚醒剤」など、一度も見せたことがなかったからです。

尿検査を受けて逮捕なら分かります。
しかし、彼女が尿検査を受けたのは12時過ぎでした。
まず、この時系列に不自然を感じてください。

僕と、

「一緒にいた」

それだけで逮捕されました。

僕は取り調べを受けた50日間、毎日のように彼女の無実を訴え続けました。
留置所は6畳ほどの部屋、洗面台とガラス越しの便器、それ以外はありません。
その部屋を手錠なしで出られるのは、朝の体操と取り調べの間だけです。

取り調べ室に向かう、たった20メートルもない廊下を歩くにも手錠をかけられました。
僕はいい。悪いことをやったのだから。
何もしていない彼女が、これと同じことをされている。
僕と一緒に居たというだけで・・・。

僕は、彼女の部屋に「覚醒剤」を持って行ったことがありません。
ですので、早朝僕が逮捕された時に、衣服、所持品からは一切出てきませんでした。
もちろん彼女の部屋からも・・・。

しかし、ゴシップ誌は覚醒剤が部屋から発見されたと報じました。
警察は発表していません。

そして、体液の付いたティッシュが見つかったと。
持って行ったこともないのに、その部屋のティッシュから、なぜそれが発見されるのか?
実は、これもゴシップ誌が作った話でした。
ゴシップ誌の作り事は、犯罪者となるとすべて許されるようです。

Hatenaブログの時に、元司法関係でお仕事をされておられた方のコメントがありました。

「もし、それが本当に発見されていたならば、確たる重要な証拠であり、弁明はできない」

裁判においては、その重要証拠は提出されませんでした。
無かったからです。

これを、さも知っているかのように世間に語った、「映画監督」という肩書きをもった
「 I 監督」のラジオでの言いぐさ・・・。

週刊誌が創作したすべてのデタラメを、下品な言葉でちゃかしながら放送していた番組を、
「YouTube」で聞いたときの僕の怒りは、今尚、収まっていません。

テレビ番組でコメンテーターとして、文化人のように喋っている彼を見る度に、この怒りが静まっていないのを自分で確認します。

僕は、子供の時からどんなことをされても、1日寝るごとに怒りは消えていきます。
その僕が、今尚、この状態になってることに、自分でも驚いているくらいなのです。

その動画は、今でも「YouTube」にあります。
それを聞かれて、僕の怒りを静めてくれる方が現れてほしいとさえ思う程です。

何もしていない一般人を極悪人に仕立て上げたマスコミ。

「親しい人物の証言」

これを書けば、この国では責任を回避できるのです。
そのソースを明かさなくてもいい法律があるからです。
なので、ゴシップ誌にはどんな嘘も許されています。

(彼女は)クスリで、一晩中部屋で踊りまくっていた。
社長の愛人で、高級マンションをあてがってもらっていた。
有名人用の接待クラブなるものがあり、そこで彼女はカラダで接待していた。
男性の出入りが激しかった。
お店で、上司を四つん這いにさせて笑っていた。
お酒で酔った上司が、女子を笑わすためにやっただけです。

各週刊誌の創作話が、世間に植え付けられてしまった。
しかし、このようなことを書かれてしまったのは、僕の責任です。

僕は、罪を犯しましたし50日間6畳の部屋に閉じ込められました。
何もない、話す相手もいない50日間は耐えるに耐えられなかった。
これまでの人生で一番苦しかったことは?と聞かれたら、それを答えるでしょう。

対して、
何もしていない彼女は5ヶ月間閉じ込められました。
そのうちの3ヶ月間は「拘置所」でした。
「拘置所」というのは「刑務所」と、同じ扱いです。
「刑務所」は、他人と会話ができますので、ある意味「拘置所」の方が過酷でしょう。

彼女が5ヶ月となったのは「罪を認めなかった」からです。
何もやっていない彼女が罪を認めないのは当たり前の話です。
この辛さにより、無実の者でも「やりました」と、言ってしまいます。
罪を認めれば、有罪確定となり、執行猶予がもらえ、その地獄のような場所から脱出できるからです。

よく5ヶ月間耐えられたなと思います。

皆さんが、いちばん嫌悪感をもたれている彼女の法廷での発言。
僕が「誤解」という言葉を使ったのは、ここです。

裁判では、決して嘘を言ってはなりません。
更に刑が重くなります。

皆さんが、いちばん嫌悪感、そして憎しみまで持った彼女の法廷での発言についてお伝えいたします。

すべての弁護士はこう指示します。

「相手をかばってはなりません。あなたが助かることだけを考えてください。相手にも弁護士がいるのです。
相手のことなどどうでも良いんです。あなたの人生がかかっています。しかし、嘘はついてはなりません。いいですか?相手はどうでも良いんです。」

これを、何度も何度も言われます。ある意味マインドコントロールです。
被告人において弁護士の指示は絶対なんです。

僕もそう言われました。

「相手のことを考えてはなりません。あなたが知らない時間の方が多いのですよ。他に男性がいたと思ってください。相手が、あなたに内緒で覚醒剤を入手し、使用していたと考えてください。あなたが彼女に見せたこともないなら、他からの入手です。相手はどうでも良いんです。あなたが助かることだけ。これだけです。」

検事調べの時にこう言われました。

「彼女とふたりでやったことを認めた方が良いですよ。」
「やっていないものを認めるわけにはいきません。」
「私は、あなたたちのことを思って認めるよう勧めています。」
「申し訳ありません。仰られている意味が分かりません」
「今、認めないと裁判では過酷な質問をされます。傍聴者の前で、すべてをあらわにされる質問に答えなくてはならなくなります。私は、そういう光景を数々見て参りました。私はあなたたちをそうさせたくないんです。もう、社会的制裁の真ん中に立たされています。今後の人生を考えましょう。受けることになるダメージを、少しでも軽くしておきませんか?ダメージコントロールしましょう。すべてを今、認めましょう。
あなたも、彼女も覚醒剤を使用しましたね?」
「何度も答えて来ましたし、今後も僕の発言が変わることはありません。僕は、認めます。しかし、彼女は無罪です。3度ほど、3CPP(一瞬目が覚める 「現在は違法」)を、確かに彼女の部屋に持って行ったことがあります。しかし、彼女は一度も手をつけてはいません。3度目には『そんなものを持ってくるなら、二度とここへは来ないでください』と、言われましたので、その後、一度も持って行ってはいません。」

そして、すべてを晒されることになる裁判を彼女は選びました。
無実を勝ち取るためです。

聞かれたことにはすべて答えなくてはなりません。
何から何までです。

決して自分が助かるために、自分から発言したのではありません。
聞かれたことは答えなくてはならない。

みなさんは、

「相手の家族のことを考えたら、よくもあんなこと言えたよね!!」

それは、彼女がいちばん苦しんだところなのです。

しかし、法廷とは、それを許さない場です。
すべてを明かさなくてはならない。
聞かれたら、答えなくてはならない。

予め用意された資料、質問があります。
警察が様々なところで事情聴取し、揃えた資料です。

知っていることを、本人の口から自供させるのです。
どれひとつ食い違いがあってはならないのです。
法廷の場で裁判官に対して「虚偽をした」ことになってしまうからです。

すべて、すべてです。
マスコミは、こここそに興味を抱いてました。
世間が喜ぶ記事が書けるからです。

みなさんが聞きたくなかったことは、彼女から発信したのではなく、聞かれたことに対して食い違いのない、
つまり「虚偽」とならない発言をしいられてのものでした。

それでも、僕をかばおうとし、嘘ではないギリギリ発言をしましたので、曖昧な部分が現れ、
彼女は窮地に立たされました。

そして、次の裁判を迎えます。

「私は覚醒剤を使用してはいません。考えられるとすれば第三者のものが混入したとしか考えられません。」
「第三者とは誰のことですか?」
「私の周りで覚醒剤をしていたのはASKAさんだけですので、ASKAさんのことです。」

この発言は、ゴシップ誌が大喜びでした。

「女がASKAを売った!」
「愛人にまで袖を振られたASKA」

彼女は法廷で聞かれたことを答えただけです。
事実、彼女は何もやっていないのですから、やっていた僕の名前を出すのは当然です。

「ASKAを売った冷酷、極悪の女」

これを背負って彼女は生きています。

僕は、未だに、なぜ彼女の身体から覚醒剤が検出されたのか分かりません。

裁判の結果は、みなさんがご存じのように、
彼女は懲役2年、執行猶予3年の刑を言い渡されました。

毛髪検査の謎です。
髪の毛は切らない限り、検出されます。

「検出された」と、発表されました。
あり得ない発表がなされたわけです。

大きな疑問を持った彼女の弁護団が、すぐに2度目の検査を要求しました。
そして、やっと受け入れられた2度目では覚醒剤は検出されませんでした。

検出された尿鑑定も,同じようなことがあったのです。
濃度は5段階に分けられます。

彼女の尿は「1」でした。
僕が「3」であったのに対して、彼女が「1」なのは変です。

弁護団は、そこを突破口にしました。

「『1』とは切り捨てだと思います。正確な数値を述べてください」

検査官が少し考え、口にした数値は、「0,0XX」程度だったのです。

ある種の風邪薬で、時に出てしまう数値よりも低かった・・・。

これを報じたメディアはありませんでした。

結局彼女は「違法薬物使用単独犯」と、されてしまいました。

僕は、彼女を有罪にしてしまったことを一生背負うこととなりました。

僕は、50日間の苦しい拘束。
何もしていない彼女が地獄の5ヶ月間・・・。

本当に苦しかったと思います。
よく耐えたと思います。

彼女が施行猶予で出て来るシーンが、ネットで消えることはありません。

彼女が仮の自由になってから、友人を介しての僕への伝言が、

「滅多にできない経験をしちゃいましたぁ(笑)」

それに対して、僕は何も伝言できませんでした。


僕が家をでたことと彼女の存在は関係ありません。
僕の弁護士団の指示でした。

これには様々な理由があるため、語ることはしません。

                  
   僕のそばを離れて行く人 僕の前に現れる人
   ずっとずっとそばにいる人 遠くで眺めている人


そして、その後、時間を経て、
今、彼女は、

「ASKAを守ろうチーム」

言い換えれば、

「ASKAを薬物の出会いから監視しよう」

の、一人でいてくれてます。

今、僕がお話しできるのはこれだけです。
今後のことは、誰にもわかりません。

             「700番 完」

いつか、この時を迎えるであろうことは分かっていました。
どこかで、早く越えたい、迎えたいと思っていましたので、
実は、写真雑誌にはホっとしていたのです。

その上で、また、写真雑誌のやり方をみなさんと共有するために、
向こうの誘いに乗り、ドタバタを演じてみました。

ね?

「後ろ姿しか掲載しません。一般人を巻き込むことはしたくはありません。過熱報道から逃れてください」

と、連絡してきたフライデーのタイトルは、

「スクープ! ASKAがひた隠す『覚醒剤事件の愛人』との同棲生活」

4ページ特集、女性の顔丸わかり。

すっかり情報を掴んでいた写真雑誌が、なぜ、このタイミングで発表されたのか?
これが分かりません。

僕は、今度、3回目の「裁判」を迎えます。


昨日は、あの後もお客さんはつづきました。

今日のブログは、みなさんへのお手紙だと受け取ってください。

僕には、今後、大事な仕事があります。
そこに向かって進んでいます。

USAから、連絡がありました。
さあ、やらなきゃ。

http://www.e-fanclub.com/aska/

ASKA(2018年2月16日20:10)
                                                                

<追記> Aさんのブログより (3)

 2018.03.11

 九死に一生・・・

3月11日になると、いつもこの話を思い出します。

以前、僕はカルマンギアという車を所有していることを、お伝えいたしました。
流線型のフォルムが、とても気に入っていまして、一目惚れでした。

なにぶん昔の車ですので、現在は、修理しようにもしっかりと使えるパーツが無く、
外見だけをカルマンギアにし、エンジンなどは現代のフォルクスワーゲンのものに積み替えました。

それを引き受けてくださいましたのは、仙台の会社だったのです。

今年の9月28日までは、車の運転は控えなくてはならないため、
今、そのカルマンギアは仙台にあります。

その会社の社長さんは、女性でして、
今現在も、メールのやり取り、電話などで連絡を取り合っています。

2011年の今日。

その社長さんは、仙台ですので、あの日の震災で、被災者となりました。
その恐怖の出来事を、リアルに語ってくれました。

第一波の津波が押し寄せたときに、無我夢中で逃げたと。
会社・・・自動車工場ですよね。

何もかも無残な状態になったのです。

しかし、命は守れた・・・。

その第一波で、生き延びることができたと思った人たちは、
皆、自宅に残ったであろう貴重品を取りに向かおうとしたそうなのです。

その時に、消防団から、

「戻ってはいけません!! 戻るな!!!」

と、怒鳴るような口調で制止されました。

しかし、それを振り切り、自宅に向かった人たちがほとんどだったと。

社長さんも、戻ろうとしたそうなのですが、やはり社長さんは女性ですから、
消防団の怒鳴る声を目の前で浴びてしまい、その迫力に足がすくんでしまったことを話してくれました。
結局、戻ることが出来なかったのですね。

そこが、命の分かれ目でした。

まもなく、一度目の津波より、更に大きな第二波が街を襲い、
その時、消防団の制止を振り切って家に戻った人たちは、帰らぬ人となってしまいました。

大津波の場合「第二波」というものがあることを、消防団の方たちは知っていたのですね。

2011年の大津波により、我々日本人は「第二波」「第三波」の存在と怖さを知りました。

大地震により引き起こされる「津波」があることは知ってても、
「第二波」「第三波」を、明確に知っていた人は、どれほど居たでしょう?

大津波に襲われた昔の人たちは、未来の僕たちに何とか伝えようと、
「ここまで津波が押し寄せた」とマーキングをしてくれていました。

1億3000万の、この国の人口をして、
いつの間にか、昔の人の警告は警告の力を失っていました。

しっかりとした記録を残せる我々が、未来の人たちに伝えるべきこと、そして、その責任は重大です。

先日、僕が「還暦」という人生の節目により、 肉体の変化を迎えたように、
地球にも、地球のサイクルで変動は起こっています。

地球は生命体ですからね。

天災は、様々な形で姿を現します。
この星で生きている以上、それを回避することはできません。

地球の変動期のまっただ中で生きている我々は、

「その時、自分は」

を、胸に抱えておくことが必要だと思っています。

そんな僕が、とても恐れていることがあります。
しかし、恐れていても自然の驚異の前では、人間は無力です。

「そうはならない」
「だって、そうはならないから」

こう、思うことが、「自分の世界」「自分の現実」をつくって行くことになると信じて疑いません。

未来には希望を見いだしましょう。

間もなく、あの日の時間を迎えます。
僕は、東京で「黙祷」に、参加させていただきます。

ASKA(2018/3/11 12:55)


<追記> Aさんのブログより (4)

 

今月「8月25日」、「CHAGE and ASKA 2000年韓国ライブ」のリリースが決まりました。

2000年を迎えたある日、僕ら「C&A」は、韓国政府から、突然、韓国に招待されました。

もう、この時点で「何か、あるな?」と思うのが普通ですよね。
その「何か」の、いくつかには、当然「韓国ライブ」が、過ぎっていました。

それは、「2002年ワールドカップ」を「日韓」が手を取り合って、「合同開催国」になっていたからです。

「韓国音楽業界が、扉を開こうとしてる・・・」

このような情報は流れていましたが、確信めいたものがなかったんですよね。

しかし、韓国は本気だったのです。

それに相応しい日本のミュージシャンを選定するために、
韓国政府は、約1年をかけて、いろんなミュージシャンのライブに足を運んでいました。

そして、僕らに白羽の矢が立ったのは、

1999年から2000年になる、福岡ドームで開催した「カウントダウンライブ」でした。

突然、韓国に呼ばれた僕らは、丘にそびえ立つホテルの一室に通され、

「この度、CHAGE and ASKAを『韓日親善大使』に、任命いたします。
つきましては韓国でライブを開催してください。韓日の扉を開いてください」

予想の一つにはありましたが、やはり突然のことで、戸惑ってしまったんですよね。
しかし、当時の僕らには「使命感」のようなものがありました。

「音楽でアジアを一つにしたい」

このような気持ちになっていたのは、台湾で日本の音楽を解禁させることができていたからです。

ライブを引き受けて、待っていたのは、想像を絶する「壁」でした。
「日韓」の、幕開けに賛成しながらも、韓国メディアの中には「反日感情」を向ける方もいらっしゃったからです。

「取材では、絶対に触れない」

はずの、

「慰安婦問題」

を、突きつけられる場面がありました。

それまで、公人を含め、その「慰安婦問題」を、語った日本人はいなかったのです。
慌てて止めに入った韓国スタッフを、僕は制止しました。

僕の知っている「歴史観」を、ちゃんと自分の言葉で伝えたかったからです。

その取材をしたジャーナリストは、最初から、答えなど求めていなかったのです。
「慰安婦問題」から逃げない日本人であるということを確かめたかったのですね。

僕が答え終わった時、その婦人団体の1人の女性が、涙しながら僕の手を握って来ました。
「C&A」の韓国スタッフとなっていた人でさえ、やはり、抱えていたものがあったのです。

その質問をしたジャーナリストも、強く握手をしてくれました。

一瞬の出来事でしたが、信頼関係は強固になっていきました。
いつしか、僕らの方から、

「大丈夫です。必ず成功させてみせます」

そんな言葉を口にするようになっていました。

ライブは大成功でした。
1万人体育館、2日間。

先日も、お伝えいたしました。
両日とも75%の韓国人で、会場は埋まりました。

そのライブを観に、いや、歴史の証言者となるために、日本からもお客さんが来てくれました。

自分の「音楽活動史」でも、心に刻み込まれた光景となっています。

あの2000年の「韓国ライブ」。

僕は、世の中に、その映像をリリースしませんでした。
何度も説得されましたが、頑として断りました。

それは、誰よりも当事者であったからです。
あの「韓国ライブ」に、そして日韓の音楽業界の幕開けに、
時間のない中、奔走してくださった方々に対してでした。

「あの歴史的なライブを、ビジネスにしてはならない」

と、いう考えでした。

それにより、ライブを観に来ていなかった一部のメディアに、

「C&Aの韓国ライブは失敗だった。それにより会社が倒産した」

こう、広められてしまい、ワイドショーなどでも、それをそのまま「事実」として、取り上げました。

この出来事は、何度伝えても、このブログに書いても、今尚、悔しくてしょうがない。

ここ数年、日韓関係は冷え込みを見せ始めました。
「竹島問題」など、政治は「国民感情」を煽る出来事ばかりです。

ただ、それには両国間の「正義」が、あります。

日本国民は、日本を支持する。
韓国国民は、韓国を支持する。

これは、当たり前のことです。

今年、6月。
先日ですね。

僕とCHAGEが50%ずつの株を持つ会社で、

「CHAGE and ASKAデビュー40周年」

に、「韓国国民」と「日本国民」が、一つになって、ライブ会場が熱気に包まれた、
あの日の「韓国ライブ」を、リリースすることを決定いたしました。

日韓関係が冷え込んできた「今」、あの頃のことを知らない世代にも、

「こんな時代があったんです」

「それを、観せる時がきた」

そう、思いました。

ところが、8月に入ると、両国が、想像にないほどのスピードを持ち、
国交を揺るがす事態を迎えてしまいました。

アジアツアーを経験して来た僕らには、信念がありました。

「どんなことが起こっても、民間だけはつながっていなくてはならない」

今回の日本が韓国にとった政策。

「ホワイト国から除外する」

これは、国が国を守るための政策でありますし、決断です。
国民は、それを受け入れなくてはならない。

ただ、ただ・・・。
それは、政治でのことなんだ。

「どんなことが起こっても、民間だけはつながっていなくてはならない」

直近の国民調査では、実に日本人の95%が、「日本政府を支持する」と、いう調査結果が発表されました。

しかし、それは政策でのこと。
国の政策でのこと。

それにより、民間が対立してはならないんだ。

先日、ある取材を受けたことをここでお話しました。
僕は、取材後、今日まで、毎日のようにライターさんとやりとりをして来ました。

「僕は、いち日本人として、風を読めないようなリリースをしてはならないと思っています」
「私も、この原稿に関しては、掲載ギリギリまで筆をとりません」

日々、リリースが行われるか、頓挫するのか、わからない状態が続きました。

そんな時、ついに両国の民間が「Twitter」で、気持ちを語り始めました。

「私は、韓国が大好き!政治は関係ない!!」
「私は日本が大好き!!日本のみんなとつながっていたい!!」
「政治は政治。私たちは私たち」

僕と、ライターさんは、共に、

「風が吹いて来た。両国民が政治の壁を越え、自分たちで繋がろうとしてる」

そう、受け取り合いました。

短くも濃い時間を経て、
本日、2000年の「韓国ライブDVD」の発表ができることになりました。

あの日のライブが、失敗であったかどうか。
日韓のオーディエンスが、一つになって、その熱を会場いっぱいに膨らませている光景を、
どうぞ、あなたの目で、確認してください。

「どんなことが起こっても、民間だけはつながっていなくてはならない」

今後も、この考えが変わることはありません。

「ビジネス」と、受け取るなら、どうぞ、受け取ってくれても構いません。
しかし、そう言い切るからには、ライブ映像を観てからにしてください。

どんな時代も、僕たちは「人と人」として、つながっていたいと思っています。

「CHAGE and ASKA 2000年韓国ライブ」

の、リリースは、

8月25日です。

ASKA(2019/8/9 18:50)

<追記> Aさんのブログより (5)

   25年ぶりの再会【追記】

楽しかったなぁ・・・。
Jess、何にも変わっていませんでした。

現在、ロンドン市内ではなく、少し南の方に住んでいるとのことです。

ちょうど、
「MTV アンプラグドライブ」に出演した時のことを思い出していた時に、
僕からの連絡があって驚いたと。

少し自慢に聞こえるかもしれませんが、
世界中のミュージシャンの中でも、
各国で行われる「MTV アンプラグドライブ」ではなく、
全世界放送の「MTV アンプラグドライブ」に主演できたのは、ほんの一握りもいないのです。

ですので、Jessにとっても、自分の音楽史において、
「MTV アンプラグドライブ」に出演できたのは、誇りなんですね。

僕もそうです。

2年連続で声をかけていただきました。

1回目は、ミュージシャンにとって、あまりに凄すぎる番組であり、
「自分たちの実力は追いついていない」と考え、お断りしたのです。

俗にいう

「ビビった」

のでした。

しかし、その後のアジアツアーの大成功もあり、
海外ライブから得た経験と自信により、

「再度のオファーなどあり得ないだろうが、
もし、もしもう一度オファーがあった時には、出演させていただこう」

と、自分を奮い立たせたのを覚えています。

その翌年にオファーがありました。

そうそう、あの時CHAGEが、頑なに出演を拒否し続けたんだった。
長い時間をかけて説得したなぁ・・・。
それでも、首を縦に振らない。

「もうこれ以上の説得は逆効果にしかならないし、『MTV』への回答日が来てしまう」
「3度目のお誘いなどないだろう」

最後には、

「わかった。では、おれ一人で出演するよ」

というところまで、話がいったんだった。

ギリギリのところで、
C&Aでの出演となりました。

そのくらいミュージシャンにとって憧れのお化け番組だったのです。

例え、出演ができたとしても「MTV」側が、「ライブのできが良くない」と判断した時は、
放送中止にさえしてしまう番組ですからね。

事実、C&A の一つ前に出演したワールドワイドの、あのアーティストが放送中止になりました。
僕も、そのアーティストのファンでしたし、やっと手に入れたチケットで、
武道館にライブを観に行ったくらいのアーティストです。

そんなアーティストを、平気で放送中止にしてしまうのが、

「世界のMTV」

だったのです。

ですので、C&Aはもちろん、そのサポートをしてくれたJessらも同じで、
とてつもないプレッシャーで挑んだ「MTV アンプラグドライブ」でした。

その番組への出演決定は、
当時、日本では、というよりアジアで大々的に取り上げられました。

「アジアのミュージシャン初の出演」

でしたからね。

無事、放送されましたよ。

しかも、その年の「ベストライブ」の一つに選ばれ、
その年のクリスマスには、選ばれたアーティストの一人として、一日中繰り返し放送されました。

そんなことを、僕もJessも思い出していたんですね。
そんな時に、僕が連絡を取った。

感動の再会でした。

「Jess、実は、昨日Jessと連絡が取れたことをブログで書いたんだよ。
みんな、Jessと僕が再び繋がったことを、ものすごく喜んでたよ」
「本当?とてもとても光栄だ!!嬉しい!!」

その瞬間、Jessもエキサイトしていました。

Jessが、「MTV」のことを思い出していたのには、理由がありました。
あの時ベースを弾いてくれた「Mark Smith(マーク・スミス)」のことを思い出していたとのことでした。

Mark 、亡くなったんですよ。
Jessとは親友でしたからね。

いつもニコニコしていたやつでした。

以前、ここでお話ししました。

「MTVアンプラグド」出演のリハーサルの時に、
僕の歌と、ドラムの「Neil Conti(ニール・コンティ)」のグルーブが、どうしても合わず、
それでも慣れようと頑張ってはみたのですが、どうしても歌えない。

とうとう、

「ニール!!リズムが悪くて歌えない!!集中してくれないか!」

と、途中で歌を歌うことを止めてしまったんです。

当時、ニールはヨーロッパでは、名の通ったドラマーでした。
その時に、間に入ってくれたのがJessとMarkだったんですよね。

Jessが、Neilに、なぜ、僕がそのように感じているかを、丁寧に説明してくれたのです。
ご存知のように、僕はメロディを揺らしながら、その瞬間瞬間の歌を歌います。
Neilのリズムもそうだったのです。

独特のグルーブが売りのドラマーでした。
しかし、主役は歌です。

歌とドラムの両方が、違うグルーブでは、歌が歌にならなくなるのです。
それをJessとMarkが、丁寧にNeilに伝え、それに納得をしてくれたNeilは、
自分の持ち味のグルーブをキープした上で、僕の歌に合うよう集中してくれました。

納得してくれてからは、突然変わりましたね。

昨日、Jessから、その話は出ませんでしたが、
「MTVアンプラグド」を思い出していたのなら、その時のリハーサルのことも思い出していたはずです。

昨日の会話は30分くらいだったかな。

「Breath of Bless」の作業にあたり、

「僕は、あの入り口の女性ボーカルからのアプローチはしないよ」
「もちろんだよ、テンポもキーも、すべてJessの思い通りにやってよ」
「OK.では、少しケルト音楽にしてみようかな」
「ケルト、最高!イギリスじゃん!!」

「来週末には、ある程度形にしてみる」とのことでした。

ケルトか。
うん、もう、僕にはJessのイメージした世界が見えました。

楽しみです。

ASKA(2020/5/8 13:10)

追記:

コメント

「なんで、CHAGEは、出るの拒否してたんですか????」

C&Aの実力を、CHAGEなりに考えてのことです。
僕は、無謀で、決めたら怖いもの知らずのところがありますので、
その違いだけですよ。
 

<追記> Aさんのブログより (6)

「アップガード」【追記】

明日は、昼前から、

「パソコン、ネットにおいて、20年間一度も破られたことのないソフト」

の会社の方が来ます。
そのソフト名は、

「アップガード」

と言います。

世界のハッカー、クラッカーが集結しても破られていません。
「Windows用」です。

僕は「自律神経」に影響が出てしまうくらい、
10年以上、ハッキング、クラッキングで悩んできましたからね。

元「ホワイトハッカー」の方が来られます。
「ホワイトハッカー」というのは、「ブラックハッカー」に対して、
国が秘密を守るために、国が雇っているハッカーのことです。

僕は、10年以上の被害データも壊されたハードディスクも、
全部、残してあります。

現在、正式なホワイトハッカーの数は、この国では少なく、
約10人ほどです。

以前もお会いし、僕の状態は、
明らかにパソコン、スマホによる「盗聴」だと、確認してくれました。

これまで僕は、ひとりで戦ってきましたからね。
相手も組織も特定できてます。

そんな悪のプログラマたちに証拠を突きつける時がやってまいりました。
しかし、そんな悪のプログラマたちも、
普通は、世の中の暮らしを豊かにする仕事をしてきているのも事実です。

マイクロ波、電磁波(テンペスト)、火災報知器、インターホンなどをはじめ、
自分のプライバシーを守るには、
電気のない、そして鉛で囲まれた部屋で打ち合わせをする必要があります。

世間への公表は迷うところでもあります。
ゲーム好きの方々には、ショッキングな報告をしなくてはならなくなるかもしれません。

以前お話しした「NHKだけが聞ける不思議なラジオ」もそうです。
あれは、その後、
ターゲットの部屋の中も可視化できるようにバージョンアップされました。

2020年、悪ことばかりじゃない。
「光」と「影」が浮き彫りになる年でもありますね。

ASKA(2020/8/27 10:12)

追記:

コメント

「別に内部でやってれば漏れる事もなし
ASKAさん余計な事書きすぎです。〜大事な事は内密かオンリーにした方が無難です
怖すぎる」

もっとも大事なことには、何も触れていません。
こんなこと、入口です。

「人間万事塞翁が馬」

という「ことわざ」があります。
そのまた逆も真なりです。

全てはタイミングです。

<追記> Aさんのブログより (7)

2021.01.03

祈願とは、神様への「プレゼン」 【追記】

昨年、僕は、やたらと

「新世界」

と、いう言葉を使いました。

一方で、「2020年は2021年に向かうための助走だ」とも、書いてきました。
全ての始まりが「2020年」だと感じていたからです。

2021年になり、早速確信を持てるようなことが次々に起こっています。

では、「じゅげむじゅげむ」しますね。
後、半年もすれば、本当の意味での「新世界」への移行が完了する気がします。

もちろんメンヘラ発想ではありませんので、
2021年からも、いろいろなことが起こるでしょう。

その中で互いを思いやることの必要性に目覚め、
苦難を乗り越えるための意識の共有がより強くなると思っています。

音楽業界も大変革が始まるでしょう。
古い価値観で、音楽業界を維持しようとする人たちは変革に戸惑い、
そして勢力を率いて抵抗もするでしょう。

しかし、人も世も古い価値観から脱皮しようとしてます。

さて、自分の活動ですが、
おそらく3月か4月に、まずはシングルをリリースしますね。

「新曲のカラオケを出してくれ」

というようなコメントを目にしてきました。
うん、そろそろカラオケを出してもいいかもですね。

そのカラオケのあり方を変えようと思っていました。
きっと、喜んでくれる。

長い長い水面下でした。

どのようになるのかは、待っていてください。

新世界なんです。

先ほど、北朝鮮が新世界に向けて大変勇気のある発表をしましたね。
これまで、間に挟まれ辛かったでしょうね。

僕はシンガーです。
いつか北朝鮮でもライブをするつもりです。

このようなことを書くと、まだまだ古い価値観の人たちから、
バッシングを受けるでしょう。

いい、いい。
勝手に言ってろ。

僕にとっては、「信」であり「必」というだけです。

語り継がれる歴史には、教育という、ある種の洗脳というものがあります。
その洗脳を解くことができるひとつに音楽があります。

後は、人を思いやる気持ち。
歴史的背景(教育)により、気持ちを武装してしまっている部分もあると思うのです。

痛みは誰だって同じ。

音楽により気持ちの武装を解除してくれたら幸せです。

おおよそあり得ない物事、事象に対して、
「陰謀論」でカットアウトする手法には、もう、うんざり(「たけのこ」に言ってるのではないぞ)です。

「リアリズム」も「ロマンティシズム」も「陰謀論」も「善処論」もない。
全てが現実。

人が人として目覚め、そして新世界のドアを開けるのは、
今を生きてる僕たちの役目、いやこの時代の自然な流れです。

今月、僕は音楽を制作する上で「勉強の月」にしようと思っていましたが、返上です。
3月or4月、シングルリリースに向けて制作を行いますね。

まずは、福岡で初詣だ。

思えば、若かりし時代、
上京前に、太宰府天満宮に手を合わせに行ったんだった。

いろんなことがありましたが、
全ては自分が選んできた道、「僕の来た道」です。

どんなことも、今の僕には必要なことだった。

これまでの感謝と、これからの未来をお伝えして来ようと思っています。
そう、僕の「祈願」は、僕のやろうとしてることの神様への「プレゼン」です。

それに「邪心」がなければ、神様はきっとお手伝いしてくれるでしょう。


ASKA(2021/1/3 11:18)



追記1:

コメント

「北朝鮮の人達ってASKAさんのこと知らないんじゃないですか?
ライブしても誰も来ないかもしれないですよ・・・」

知らないんだったら、知ってもらえるようにすればいいじゃないか。
初めて韓国でライブを行った時にも、
アンダーグラウンドで楽曲を聴いてくれていた方達が駆けつけてくれました。

今、北朝鮮では「愛の不時着」だって、隠れて観てる国民がいるんです。
本日、北朝鮮は、

「もう、今後、利用されることはしない。本国は呪縛から解放された」

と、発表しました。

この発言は、大変な勇気だったと思います。

やれないと思ったら、やれない。
やれると思ったらやれる。

だろ?


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  ちょっと、おじゃまして…                                                                        
               
 先日、ある身内
(7歳下の姪っ子)から、
 『Tちゃん、○○
(息子)が、CDを出したから、ちょっと聴いてみて

 との連絡が突然入り、
 『へえー? まさか~、あの○○クンがぁ !? 高校生の頃、会ったきりで、もう二十年近く?会ってないけど…?』
(現37歳)
 
と、信じられない思いで、市内の彼女の経営する小さな和風スナックへ直行した。
 本当に、なんと表現してよいか…ともかく、オドロキ、モモノキ、サンショノキだった…!
 ジャマイカ発祥の
『レゲエ音楽』とかのジャンルで(J-POP?)、私の知っている彼とはまったく別人の姿がそこにあった…真ん中で…なんだか、イエス・キリストのような出で立ちで…そして、更に驚いたのは、
 『えっ ?
レゲエ? どこかで聞いたような…? あっ、 もしかして…!?』
 と、店を早々に引き上げ、ドキドキしながら『TUG OF C&A/10』 の「 CHAGEのコーナー」を開いてみたら…!
 やっぱり…! さすがに…ジャケットは違っていたけれど(もし同じだったら気絶していた…まあ落着いて考えれば、同じはずはないけれど・
)、やはり、「レゲエ」というコトバがあった! 
 私には、
「レゲエ」というのはこれが初めてだった。しかも…こんな小さい文字で、チャゲさんのたったひと言なのに…何故か私は覚えていたのだ!
 ジャケットのタイトルは
『 REBEL TRIBE SURVIVAL』 (コロンビア ミュージック エンタテインメント) 本当に…何度聴いても、フシギでしようがない…音楽をやっている事は知っていたけれど(名前はヤズ・アイとか)。
 本人は、田舎(松江)の高校を卒業と同時に祖母を頼って上京、今は、昼間働きながら祖母の古い家の二階全室を仕切って楽曲作りに勤しんでいるらしい。
 どういう流れの中で、こんな異質でスピリチュアルな音楽に出合ったのだろう…2枚目はあるのだろうか…いろいろ多難である事には間違いないだろうけれど…
 でもちょっと見には…軽快で・同じリズムの繰り返しで・いかにもアメリカらしい…かなり高度なものが感じられるけれど…チャゲアスでも、ぜひ一度聴いてみたい。 
 (ちなみに、祖母である長姉には、全くのチンプンカンプン だそうである…

 果たして、
ヤズ・アイと私の未来は…!?          (2009.10)

  二十数年前のヤズ・アイ( YAZZ・I)と私。
   (こんな写真があったこと自体が不思議だけれど…日本の代表的汽水湖の松江・しんじ湖のほとりで。シジミ漁の舟が遠くに見える…) 

                              

     曲  名   ARTIST名     曲  名    ARTIST名 
  LOVE VIBRATION  REBEL TRIBE   SURVIVAL  REBEL TRIBE 
   no no darlin   CHAGE & ASKA    HEART  CHAGE & ASKA
  LOVE IS FOR ZION  REBEL TRIBE  JAH WARRIOR   REBEL TRIBE
   め ぐ り 逢 い   CHAGE & ASKA  モーニングムーン  CHAGE & ASKA
   FALL IN LOVE  REBEL TRIBE   7 つ の 葉   REBEL TRIBE
 僕はこの瞳で嘘をつく CHAGE & ASKA   心 の ボ ー ル  CHAGE & ASKA

 2016年、夏期オリンピックの開催地は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ。ブラジルといえば…なんといっても、リオのカーニバル!
 思えば、本当に不思議なイベントだと思う。西暦何年頃にお目見えしたものか定かではないけれど、今世紀…というか、何かオリンピックの極致のような、集大成のようなものを思わせる予感があるけれど?
 どんな音楽が用意され、準備されて行くのやら。アテネ・オリンピックから数えて120年目。


 
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