「スノウ ドロップ」
「オレンジ スカイ」
の関連話です。
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スターボール




闇からの突然の光は、閉じた瞼の裏まで透り脳が眩んだ。
「良太」
「…親父〜…?」
ぼんやりと見える影に声を上げる。仕事を終えて帰ってきたのだろうか。
「んだよもう…」
眩しさに耐えかねて枕に顔を埋めると、起きろ、と枕を取られた。
オレが目を擦りながら不満げな声を上げるのを義父は聞き流して、 勉強机から椅子を引き出して座った。
枕元の目覚ましを見れば真夜中だ。
「昨日の進路のことだけどな」
そう話し出す義父の横には椅子の上に乗せてあった最新のサッカー雑誌が机に移動されている。 どうも話をしに来たらしい様子にオレはのろのろと起き上がった。
「ああ、あれ…? もう今日 出したよ」
大学までエスカレーター式に上がれる高校に通っているので、そのまま上へ行くつもりだった。 お陰で高校三年になった今も受験勉強もせずに楽なものだ。
今更なんだというのだろう。
「俺は全然 知らなかったよ」
「はあ…?」
「今日、藍さんが来てね」
「あいさん…?」
寝起きの鈍い頭で思い出そうとする。
だいたい父親の客まで知っているわけがない。 知っていても、よっぽどの常連か父母の友人くらいだ。
「萩さんの妹さん」
「…萩さん…」
母の親友、メイさんの旦那だ。 オレが中学二年のときに結婚して、今は子供が二人いる。
その妹といえば……あいせんせい。
中等部の先生だ。
思わず俺は呻き声を上げた。
「そう、お前の学校の先生」
直接担当になったことはないが、サッカー部が補習になったときに世話になった。
俺が高等部に移って、顔を見るのは店で偶然会うときくらいになっていたのだが…。
「サッカー推薦 蹴ったんだって?」
「…蹴ってねえよ」
父親の問いに、消したはずのもやりとした感情が浮かび上がった。
「全国に行けなかったから取り消されたんだよ」
苛立ちが、声に表れて掠れた。

全国に行けたら、という話だった。
それで推薦が取れるということだった。
もともとオレの学校は強豪といわれるようなチームではなく、だから、 全国に行けたのが珍しかったのだろう。
昨年、二年だったオレもレギュラーとしてそのフィールドを踏んだ。
しかし結局オレたち三年は今年一度も全国への切符を手に入れることは出来なかった。
取り消された、というより、話が流れたのだ。

「で?」
義父が長い足を組んで訊く。
「『で?』って…」
取り消された、と、言ったはずだ。
「そこ、行きたいんだろ?」
遊びにでも行くような調子で、問われた。
「…今から受験勉強しろって?」
「もう高校の大会はないだろ」
「間に合わねえよ」
「嘘付け」
きっぱりと否定された。
「勉強は勉強でちゃんとしていただろう」
「そりゃエスカレーター乗れるくらいには…」
そう反論すれば、彼は信じない目で見た。
一度 相手の心を暴こうと思えば容赦なく実行する、 義父はそういう男だった。
「……」
唇を引き結ぶ。
見抜かれている。本当は、見抜いているくせに。
「ふうん…落ちるのが怖いから、受験しないんだ?」
「そうだよ」
それで、いいじゃないか。
もうオレは決心したんだから。
「良太」
誤魔化すことを赦さない目だった。
「やりたいことがあるなら、やればいい」
推薦のことを聞いて、曖昧なオレに気がついたんだろう。 適当に学校へ行って、適当に就職して。それでいい、 進路なんて興味ないという振りで家族を誤魔化し、自分さえ誤魔化している。
「助けが必要ならサポートする」
「……!」
カッと眩暈がするほど頭に血が上った。
そうだろう、あんたは何でもしてくれるだろう。 義理でも子供だもんな。 仕方ないよな。
だけど、オレは、
「あんたの世話になりたくねぇんだよ!」
抑えていた感情が、大声となって溢れた。

オレの実父は、生まれてすぐ死んだ。
20歳そこそこの母が、両親の助けも得ず 女手一つで子供を育てることは、どんなに大変だったろうか。 オレが将来は楽をさせてやろうと決意したことは、自然の流れだと思う。

また反対に、自分がサッカーに のめり込んでいくのにも気が付いていた。
ひたすらボールを追い掛けることに夢中になった。
しかし多少人より出来る程度で将来生計を立てられるかどうかなど判らなかった。

ならば、確実な道に進んだ方がよくないか。
就職率もいい大学に進んだ方が。

そう、決意したはずだったのに。

「…やっと本音、だな」
その言葉に唇を噛んだ。

実際に母が救われたのは、この人のお陰だということも判っている。
もちろん、オレだって。
ガキで見えていなかっただけで、大事にされていたのだと今になって判る。
嫌われているとは思ってはいないが、 それでも母との恋愛でオレが障害になったこともあっただろうに、 彼はそんなことは微塵も感じさせなかった。

でも、オレが邪魔じゃないなんて、そんなわけはないんだ。

「まあライバルの世話になりたくないのも判るけど」
軽い調子で、彼は的をついた。

そうだ、オレは、男として負けているのが悔しいんだ。
早く、一刻も早く大人になりたい。一人前になりたい。

「結婚式で役交代したはずだろう?」
「…ん」
母を守るのは、もうこの人の役目なのだ。

それは、判っている。

「推薦 取れたら、学費免除だったんだってな」
そこまで聞いていたのか。
オレは中高と私立で、ただでさえ金を掛けてもらっている。 しかもオレの行きたいと思った大学は、エスカレーター先の大学よりも更に 学費が高かった。
これからは妹の日向だってお金が掛かってくる。
だったら、確実に就職のできる大学に進んだ方がいい。
いつまでも好意に甘えていいわけじゃない。

「…なあ良太」
彼は静かに呼び掛けた。
「もっと甘えていいんだ」
…十分、甘えさせてもらっている。
そのくらい自覚している。
「違う、もっと、もっと大丈夫なんだよ」
柔らかな声だった。
「血が繋がってないとか、自分のせいで苦労させたとか、そんなこと思う必要はないんだ。 負い目に感じることじゃないんだ」
顔を上げて義父を見ると、彼はニッと笑った。
「確かに思ったよ? 子持ちなんだ、どーしよーとか、 いきなり小学生の世話できるのかな、とか。 大丈夫かな、やってけんのかなって」

そう言って、真っ直ぐな眼が、オレを見た。

「でも、そういうの全部ひっくるめて、父親になるって決意したんだよ」

彼は、オレから奪った枕をぽふぽふと弄びながら、どう伝えようか迷っている。

「うーん、そうだな、例えば彼女が事故や病気で、良太と二人きりになったとしても、 うん、俺は立派に育ててみせるぞと思ったし、 お前が事故なんかで動けないようになったとしたって、 おしドンと来い最後まで面倒みる!って」

おどけた調子だったが、凄いことを言われているような気がする。

「だって親って、そういうものだろ?」

お前、わかってる?
そういうの、全部考えて。
俺は、良太の父親になるって決めたんだよ。

「どうってことないよ。金の問題くらい。 まあ無い袖は振れないけど、幸い今は蓄えが有るし。世話になりたくなくても… そのくらい頼ってくれてもいいだろう」
「……」
「だいたい良太は、全然 親に甘えなくて。好き勝手やってるように見せ掛けて全く手間を掛けないようにしてる。 親に頼っちゃいけないって、自分はそれを許されてないってお前、思ってるだろう。 でもなぁ…子供が甘えてくれないってのも淋しいもんだぞ?」

「親が子供のしたいことを応援するの、当たり前」
「………」
「お母さんだって、同じだよ」

家族だろ。
お前が、お母さんや日向や…俺を想うように、俺たちだって想ってるんだよ。


『お荷物』だとか、自分のことを思うな。


「…っかだなぁ」
父はオレの頭を片手で抱え込んで笑う。
「……ッ」
「泣くなよ、もうすぐ18にもなろうって男が」


「…サッカー…やりたいんだろ?」

     ……ッ」

今でも、夢に見る。
あの日、ゴールポストを越えて、空へ吸い込まれていったボール。

将来の保障なんてどこにもない。

でも、走りたい。
力の限りやってみたいんだ。

「まぁモノにならなかったら ならなかったで、そのとき考えればいいさ」
なんて気楽な発言。
しかし、だからこそ子供まで引き受けようなどと思ったんだろう。

オレだって馬鹿じゃない。
恵まれすぎてると思っている。貰いすぎるほど貰っている。

でもこの人は、もっと、と言う。

彼の父……、祖父の、無言の優しい手を思い出す。
田舎に行くたびに差し出される、大きな手。
きっと義父がずっともらってきただろう手のひら。

この人は、その手を、オレにもくれると言う。

その手を望んでもいい、と。


「ハイ、話は終わり」
ばふん、と枕を顔面に当てられる。
オレはそのまま顔に押し付けて泣き顔を隠した。
「子供は寝た寝た」
「……そっちが起こしたくせに…」
「知らん。お休み」
彼はそう言って、電気を消した。
「まー、頑張れ」
「…うん」
素直に頷いた。
「あ…!」
扉を開けて出て行こうとした姿を呼び止める。
「ん?」
「……………ありがとう」
呟き声しか出なかったが、彼にはきちんと聞こえたらしい。
振り返った顔は廊下の明かりに照らされ、柔らかに微笑んだ。










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2003/12/11
改稿 2004/06
改稿 2005/12/30

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