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 愛と情と愛情 8




 ポスト春田。
 入社した当時、俺はそう呼ばれていたらしい。

 (ポストって。ぽすと。ポストだと?)
 まったくもって不愉快極まりない。
 意味合いとしては、春田のときのように期待のある新人、ということなので悪いことではないなのだが。

 気に食わない。大変、気に食わない。
 結局は二番煎じだろう?

 働き出して三か月ほど、そんな不満をつい漏らした。一緒に飲んでいたメンバーが山本さんと瀬名さんだったので気が緩んでいたのかもしれない。瀬名さんはそのとき新人の世話役として、俺に色々と教えてくれる立場にあった。
『春田に例えられて嫌がるっつーのも珍しいヤツだよなあ』
山本さんが面白そうに俺を見た。
『んなコトいわれても。ほとんど話したこともないんですよ?』
チヂミを忌々しく突付いて、俺はこたえた。
 仕事ができて偉そうにすることもなく親切で、…なんて。嘘くさい。俺には嫌味のようにしか思えなかった。 きっと、仕事にまだ慣れなくて嫉妬していただけなのだろう。今になると冷静に振り返ることができるが、あのときはただ目障りな存在だった。
『山本さんも瀬名さんも同期でしょ? どんな人なんですか?』
『どんなって・・・』
俺の問いに山本さんも瀬名さんもウーンと首をひねった。
『・・・あのまんま、だよな』
『たぶん』
山本さんのこたえに、まだ春田さんと付き合っていなかった瀬名さんも頷いた。
『とくに裏も表もねえよ。見たまんま』
『ええ〜?』
『わりと仲いいもんね、山本と春田くん』
『そうなんスか?』
『だからホント普通のヤツだって』
噂が先行しすぎてるんだよ、と右手をひらひら振った。それを瀬名さんは、ふうんと見る。
『私はあんまり話したことないからなあ』
『そうなんですか?』
『うん。このあいだ企画が一緒だったくらい? あとはなにも。同期の飲みのときも近くに座ったりしたこともないし』
『今度一緒に飲むか?』
『んー? いいよ』
山本さんの誘いに瀬名さんは興味のないようすで軟骨を齧った。 生春巻きに手をのばして、その綺麗な箸つかいを俺はぼんやり眺めた。気持ちのよい食べ方をするひとだと思った。
『山本さんと瀬名さんは仲いいですよね』
『そう?』
『噂ありますよ』
何もないけどね、と瀬名さんは笑った。山本さんもニヤリとする。
『恋愛感情ってありえないよな』
『友達。仲間かな』
『戦友とか』
『そうそう、そんな感じ』
瀬名さんが頷く。 どうやら本当に色気ぬきの関係らしい。
『コイツと恋愛できるなら俺は池山ともできるぜぇー?』
『気色悪いコトいわんで下さい』
酔ってしなだれてくる山本さんをシッシと払うと、瀬名さんが大きく笑った。
 たしかに瀬名さんは遠慮なくモノをいう人だし、どちらかというと男同士で話している感覚に近い。安心感がある。
 …でも。
 ちらりと瀬名さんに目をやる。彼女は睫毛を伏せてメニューを見ていた。品名を指す爪は丁寧に手入れされ、グラスに口付ける唇は紅くやはり女性でしかないように思えた。

 気がついていた。
 そのときにはもう俺は、瀬名さんに向かう視線に気がついていたのだ。

 実際あまりに幼稚で情けない話なのだけれども、比べられて本当に意識していた。春田という男が、誰を見ているのか。そんなことも判ってしまうほど。

 ざまあみろ、と。
 ガキのような対抗心がやっと満足させられて、俺は喜んだ。優越感が俺を襲った。瀬名さんはアンタに興味ないよ。 俺のほうが近くにいる。俺のほうが瀬名さんの中で大きい。ざまあみろ、…と。

 本当に莫迦だ。
 自分の気持ちが侵食されていくことに、気がつかなかった。

 あのときの気持ちを、どう説明したらいいだろう?
 その声をきいたとき。その話をされたとき。俺を襲った感情を。
 「春田」
親しい人を呼ぶ声。近しい人を呼ぶ声だった。
 付き合っていると聞かされたときの、あの鋭い痛みは一体。


 俺は、瀬名さんを好きだったのか?

 わからない。もう判断できない。春田という男への対抗心なのか、誰よりも信頼できると思った瀬名さんへの気持ちが本当は恋だったのか。
 自分のなかの真実は、虚栄や意地やそういったものが泥に塗れ大きな根を張って、気がついたときにはもう原形をなしていなかった。

 そこには、綺麗だったかもしれないモノの残骸だけがあった。





あいとじょうとあいじょう
2005/01/18
改稿 2005/01/21




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