SStop   HOME






 ― 山本の場合 ―   愛と情と愛情 9






 不穏な空気を背負って現れたのは同期の一人、上層部の覚えもめでたい春田である。 社内を駆け巡っている噂を当然ながら俺も耳にしていたので不機嫌の原因は容易に想像がついた。休憩室にいる俺に気がくと、ますます仏頂面になった。一応友人という地位を獲得している相手にそんな顔をする理由などひとつしかない。もう一人の同期、瀬名のことだ。


    からか
 ここは揶揄うべきか。黙っておくべきか。


 「いよっ、相変わらず身辺騒がしいね!」
 揶揄うべきだろう。面白いから。
 胡乱な目を光らせる男に、へらっと返した。途端に毒気を抜かれたらしく乱暴にソファーに座る。揺れた拍子にコーヒーが観葉植物にかかってしまったが、見逃してやろう。
「面白がってるだろ…」
恨めしげに云われて、当たり前だと頷いた。
「瀬名が浮気なんて有り得ないしなぁ」
俺はのんびりと云う。
 瀬名は、潔癖な女だ。
 肉体的なものというより、精神的な潔癖症。浮気なんてするくらいなら腹を掻っ捌くほうがマシという徹底ぶりだ。それは行き過ぎだとしても、潔く別れてから他の男に手を出すだろう。キープなどという発想からは一万光年も離れているんじゃないかと思う程遠い。
 と、なると、噂はだだの一人歩き。
「…まあ、」
ムニャムニャと単語にならない音を漏らす春田も重々承知のことなのだろう。
 もっとも、そんな理性が関係ないというのが恋する男の感情なわけだが。
「どーせ友達だろ?」
「……」
忌々しそうな目が向けられた。そういえば嫉妬を向けられる一人に俺も数えられているのだ。友人として仲がよく、春田が片思いのときは瀬名と話しているとじっとりと嫌ぁあな気配が追ってきたものだ。いつもは押さえているだろうに、俺が春田の気持ちを知っているので遠慮がなかった。
 まったく。そんなんだから坊やに気づかれるんだよ。大学時代からの後輩を思い出す。アレも悪い奴じゃないんだが如何せんガキだ。 池山本人も、自覚していたかどうかはしらないが、瀬名のことは憎からず想っているようだった。 それが春田の目線に気がついて違う感情にすり返られてしまったのだ。
 俺は瀬名と飲みにいくたびにこの色気のない女のどこがいいのだかと首をひねった。友人としては最高なのだが。

 実りそうもない。
 と、春田自身もライバルも友人さえ予測していたのにも関わらず、晴れて恋人になれて祝福というよりは、清々していたというのに。


 「    なんで未だにそんなに余裕ないわけ」

 「…さあ」
答えになっていない。云いたくないのか。
 まぁ春田が不安になるのもわからなくもない。十中八九ふられるだろうと思っていた。あまりに瀬名が春田に興味を示さなかったから、付き合い始めたと聞いたときはかなり驚いたのだ。なぜOKしたのか一度訊いてやろうと思っているが、それはまだ実現していない。
 カツカツカツとヒールの音がする。
 勢いよく休憩室の扉が開いた。
「ハルタ」
瀬名だ。ちらと俺の方も見るが、意識する相手ではないと判断されたらしい。まったくもって失礼なカップルである。
「今日ちょっと帰るの遅くなるから、コレ返しておいてもらえる?」
DVDを春田に渡す。
「ん」
「ありがと。また後でメールする」
じゃあね、と、春田になのか俺になのか、どっちつかずに手を振って、来たときと同じようにさっさと部屋を出て行った。
「慌ただしいヤツだな」
同意を求めるように云ったが、返事がない。 春田は手元のDVDをじぃと睨みつけていた。
「…お前、そりゃいくらなんでも」
映画俳優に妬くなよ。
 青いパッケージのDVDにはアカデミー賞を二回も獲得した主演の男優がアップで写っている。瀬名が好きだといって憚らない俳優は、正直あまり顔はよろしくない。いや、むしろやぼったい。 春田の顔は好みじゃないと明言する瀬名の趣味を裏付ける顔だ。美形好みだった方が春田から考えると都合がよいだろうに世の中そう上手くはいかないらしい。
 …とはいえ。
「いいじゃねえか両思いなんだから」
そのDVDレンタルだって春田の家の近く、瀬名が部屋に寄ったときに借りたのだろう。 お互いの家を行き来する関係。何が不満なんだか。
 あの様子では現在の自分の噂は耳に入っていないようだが、心配することなど何もないように思える。今日会う約束もしていたようだし。

 「両思い…?」

 端整な顔がゆがんだ。
「なんだよ」
「……ない」
「え?」
「だから」


 「好きだって言われたことない」



 ……そりゃ…、

 そりゃあ、瀬名が悪い。
 と、俺はようやく春田の煮詰まり具合を理解した。




あいとじょうとあいじょう
2005/02/05
改稿 2005/02/19




back next






感想(別窓)
一言

SStop         HOME