ごめんね、と。
ごめんねと熱に潤ませた目で告げられた。
わからないふりを、した。
会議の最中から、瀬名の様子がおかしいことには気がついていた。
発言すべきところは外すこともなかったし進行に影響することもなかったが、自分のノルマをこなすだけで精一杯に見えた。
いつもの瀬名なら、落ち着いた冷静な顔で議題に集中しているのが判る。
全身から糸を張り巡らせるように周囲を観察して、余すところなく判断材料として的確な発言をするというのに。
体調が悪いんだろうか。
少しばかり緩慢になっている動作にそう思う。もっとも、注意して見ていなければわかる人間はいないだろうが。
会議が休憩に入り、俺は部屋を出て行った瀬名を追った。
「瀬…」
「瀬名さん、大丈夫っすか」
俺の声を遮るように男の声がした。ギクリと体が固まった。
瀬名の部下の池山。
廊下の隅にあるベンチに座っているだろう瀬名は、大きな観葉植物に邪魔されて見ることができない。かわりに、池山が屈み込んでいるところが見える。
「調子悪いんじゃないですか?」
「大丈夫」
あまり人に弱みを晒さない瀬名が、やはりいつもと同じ気丈な声を出した。そのことにホッとする。
そうだ、瀬名、あんまり人を容易に踏み込ませないでくれ。
情の厚いことは判っている。簡単に人を懐に入れてしまうことも。それが瀬名なんだって、判っている。
逆に、瀬名自身は人に甘えられない性質なのも。
「瀬名」
「……春田」
ハッと瀬名が顔を上げた。その表情には、しかし、俺の望んだものはなく、益々気を引き締めたように口を結んだだけだった。
「会議、始まるね」
瀬名が立ち上がる。いつもと変わらない笑顔で、すれ違いざま俺の腕を叩く。心配するなという合図だろう。
俺にまで、無理をしなくていい。
そう言いたいのに。
池山の「俺が続きやりますから」という言葉に何もいえない。課の違う俺にはそんなことも出来ない。ギュッと拳を握る。瀬名の隣りを歩く池山に、そこはお前の場所じゃないと言いたいのに。
結局、瀬名は何の問題もなく最後までやり通した。
「瀬名、水飲める?」
「ん…」
朦朧としているだろう瀬名に声を掛ける。のろのろと額に乗ったタオルを除けようとするので手を伸ばして代わりに取った。瞬きをする拍子に眦からつるりと涙がこぼれた。頬に手を当て親指で拭うとされるがまま、安心したように目を閉じた。
抱き締めたい。
無防備な瀬名にそう思う。
警戒されることはわかっているから、俺にできたのは背中に腕を入れて起きる手伝いをしただけだけれど。
本当は、調子が良くないから会えないとメールをもらっていた。でも、無視をした。大丈夫かと訊いても見舞いを申し出ても断られることはわかっていたからだ。
人に頼らない瀬名は、俺にも頼らない。
こんなときくらい甘えてくれたらと思う。
頼ってほしかった。弱いところを見せてほしかった。
俺には、甘えてほしい。
ずっと手を伸ばして待っているのに。
瀬名が来てくれないなら、こっちから踏み込むしかないだろう?
「薬は?」
「のんだ…」
「お腹すいたなら何か作るけど」
「…ん、いい…」
テーブルにプリンの空カップがあったから、食欲がなくても薬を飲む前に一応それだけでも食べたのだろう。もう少し食べた方がいいとは思うが今は眠るのが先決かもしれない。
再び身体を横たえた瀬名はぼんやりと俺を見ている。邪魔そうな前髪をかき上げてやると潤んだ目が細められた。涙がまた零れる。
瀬名。
瀬名を甘やかしたいよ。
人にはたくさんあげるのに、もらおうとは考えてもいない瀬名を、これ以上ないってくらい甘やかしたいんだ。
ごめんねという唇に指を当て、困ったときはお互い様だと誤魔化して答えた。
もっと多くの意味が込められた謝罪だというのはわかっていた。
けれど、考えたくなかった。
あいとじょうとあいじょう 2005/07/03
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