育ちの良さそうな男だな、と思った。
与えても与えても枯れないような豊かさを持っていると。
金銭の話だけではなく。
私は油取り紙を取り出し、化粧具合を確かめた。
同僚は横で頼まれた仕事が嫌だと愚痴をもらしている。
類は友を呼ぶとはよくいったもので、就職後もやはり私の周りにはそういう仲間が集まった。お互いに自分の欲に忠実だと認識し、他人の恋人を取ってはいけないとは思っていない。だって好きなんだもん、仕方ないでしょ、が通じる人間関係。
瀬名が決して作らないだろう関係。
「チャンスじゃない」
化粧室で口紅を直しながら、同僚が言った。
瀬名の浮気騒動のことだ。
「んー…」
崩れてきた髪を結い直し、私は曖昧な声を返す。
瀬名の性格からいって浮気はあり得ない。噂が本当だとしたら、春田と別れたということだろう。あるいは、ただの見間違い、話が膨れただけの根も葉もない噂。
別れたなら、チャンスだけど。
鏡を覗き込み、思う。
周囲は瀬名が春田に惚れていると思っているのだろう。それは春田がモテるからだ。
春田が自分から言い寄るなんて考えもしない。だが実際、二人を見ていれば判る。春田が、瀬名を好きなのだ。
瀬名は春田を特別に思っていない。そんな関係は、
長くは続かない。瀬名は恋人の一人くらいキープしておこうなんて思わないから、好きでなければ続かない。
そう、例えば、誰かがどうしても春田が欲しいといえば?
春田を解放して、と、いったならば?
好きじゃないなら別れて。春田を自由にして。
好きになってくれない人といて幸せになるはずがない。
そう、いわれたならば。
瀬名は、別れるだろう。
瀬名は、馬鹿みたいに誠実であろうとするから。
春田にとって正当ではないと思えば、きっと。
化粧室を出てデスクに戻ると池山からの伝言がパソコンに貼り付けてあった。
嫌いな上司からの呼び出しにうんざりする。向こうもお互い様だとは思うが。
階を上ったところにある埃っぽい資料室では、眉間にしわを寄せた男が踏み台に寄りかかり資料を睨んでいた。
「村田、これ探して」
資料から目を上げずに池山は私にリストを渡した。
「はい」
長い時間こんなところに居たくない私はさっさと探し始め、密室には沈黙が落ちた。
池山の紙を捲る音と、私がファイルを出し入れする音が、やけに大きく聞こえる。
「……今な、新しいプロジェクトの話が来てて」
池山が突然、話し始めた。
振り返って相変わらず顔を上げない池山を見る。
「よそと組んでやるんだけど」
「はぁ」
「……春田さんと」
よくやった池山!
とは私の心の叫び。声には出ていなかったが表情には出ていたらしい。池山が私の顔を心底嫌そうに見た。
「…けど、やっぱ断ることにするわ」
「ええ!?」
「瀬名さんに任せることにする」
………なに、それ。
「いい加減、春田さんにちょっかい掛けんの止めろよ」
いいたくもないことを嫌々ながら、という不機嫌な顔で池山がいった。
「仕事と、関係ないと思いますけど」
「人間関係も仕事の内だろ」
…なによ。なんなのよ。
あんただって、
「瀬名さんが、好きなくせに」
自分が何もできないからって、私まで巻き込まないでよ。
言葉を投げつけた私を、睨みつけた私の目を、池山は冷めた目で見返した。
「俺らみたいなのを、あの人たちは好きにならないよ」
淡々と、真実を語るように。
「欲しがってばかりいる」
……金銭だけの話じゃなくて。
信頼とか安心だとか、気持ちだとか。そういった、
満たされる、ものを。
「飢える俺たちに、色んなもんをくれるけど」
きっと、この飢えから救ってくれる。
「けど、それはあの人たちの日常で当たり前のことで」
「あの人たちの『特別』には、…なれない」
あいとじょうとあいじょう 2005/07/18
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