付き合っている女によってその男の評価が左右されることは、実際、少ない話ではない。
春田さんが瀬名さんを選んだとき、周りは嫉妬したが春田さんの評判を落とすようなことにはならなかった。
その瀬名さんが、秋から異動になることが決まった。
新しい支社のメンバーに加わって、今は準備で忙しそうにしている。フロアも変わってしまい、あまり姿を見ることもなくなった。
同時に、春田さんが瀬名さんを目で追うところを見ずに済むようになった。
「ねぇやっぱり別れたんだと思う?」
「わっかんないけどさぁ」
「村田がベッタリ」
支社の話とほぼ同時期に立ち上がったプロジェクトは、春田さんと池山さんが中心となって若手チームで進められている。私も参加することになったし、池山さんの下にいる村田も当然一員として参加していた。
村田は今年入ってきた新人で、自分が可愛いことを自覚して最大限に利用するような女だった。同性である女たちから嫌われるタイプ。
「あれだけ懐いてこられたら流石に春田さんといえど可愛く思うんじゃない?」
「ええ〜」
「なんかそうなったら、結構ガッカリだよねえ」
「まぁねー」
周囲の勝手な言い草かもしれないが、大した女を選ばないと、そういう評価になる。
世の中の判断なんてものは、こんな簡単になされてしまうものなのだ。
「私はキライじゃないけどね、あの村田って子」
リコが紅茶をスプーンで混ぜながら言った。
「正直でしょ。コソコソと色々言ってる連中より」
ね、と私を見る。
「…え、と、意外。リコって嫌いかと思ってた、ああいうタイプ」
「あ、好きでもないよ。かかわりにはなりたくない。
人を裏切るとかなんとも思ってないでしょ、自分の欲のためには。信用できない」
紅茶を一口飲んで、リコは半分しか使っていない砂糖を少し、また入れた。最近体重が気になっているらしく、全部入れる勇気はないようだ。
「まぁ逆に、欲で行動するから判りやすいんだけど。そこんトコだけ警戒しとけばいいから」
「…そういうもん?」
「そんなもんでしょ」
信頼には信頼を、利用には利用を、と言う。リコは結構したたかだ。合理的。瀬名さんの高校の後輩で仲が良く、よく飲んでいるらしい。私とは同期なのでそこそこの付き合いがある。私の春田さんへの気持ちにも気がついているだろうが、何も言わない。
リコには私はどういうふうに見えているのだろうか。
先日の飲み会で話した村田の姿が脳裏を過ぎった。
リコも、村田が言ったように私を見ているんだろうか。
「おっそいなー。山本さん」
腕時計を見てリコは不満をいう。昼食の時間はそろそろ終わりに近づいていたが、リコの上司の山本さんはまだ仕事が片付かないようだ。
「書類をもらって、外に出る予定なんだけど…もー」
営業課であるリコも山本さんも取引先の都合で動くので、時間が合わなければ全く連絡がつかなくなってしまうこともある。
「わりぃ、遅れたっ」
すまん、と謝る山本さんの後ろには瀬名さんが立っていた。
「瀬名さんも?」
「今度の支社のことで挨拶に連れていってもらったの」
こんにちは、と顔を知っただけの私には少しばかり丁寧で他人行儀の挨拶をする。こちらの気持ちなど何も知らない、無垢な笑顔。
瀬名さんは支社の準備と共に今までの仕事の引継ぎもあって、かなり忙しいそうに動いている。
ひさびさに、間近でその姿を見た。
「う〜〜やっとメシにありつける〜〜」
リコの隣りに座った山本さんはイタダキマス!と手を合わせると、猛烈な勢いでカツ丼を食べ始めた。
「あれ、瀬名さん、お弁当ですか」
リコが訊く。瀬名さんは手にしたお弁当袋をテーブルに置いて私の隣りに腰掛けた。
「もうすぐ引っ越すから残り物を整理しようと思って」
聞いていると片付けているものには野菜や冷凍物といった引越しの邪魔になるようなものだけではなく、ケチャップやドレッシングなどの調味料も含まれているらしい。
「調味料を使うために野菜を買ったり料理したり、本末転倒。いったん片付け始めたら気になっちゃって、もう片っ端から」
自分でもどうしようもない、と瀬名さんは笑った。
「ここから二時間くらいでしょ?調味料くらい持っていけばいいじゃないですか」
リコの言葉に山本さんがダメダメと言う。
「コイツ一端気になるともう駄目なんだよ」
よく相手を知っているといった口振りだった。仕事仲間としての発言か、それとももっと深い関係を踏まえての発言なのか。そういえば、山本さんと瀬名さんは噂があった二人なのだ。瀬名さんも、山本さんに気を許しているように笑う。
春田さんへとは違う態度。
「瀬名さんの恋人は、淋しいでしょうねえ、距離ができて」
言ってしまってから、ハッと口を押さえる。
無意識だった。
「すみませんっ、もう昼休み終わるので行きますねっ」
ガタンと騒々しい音を立てて立ち上がる。
瀬名さんは、目を丸くして私を見ていた。明らかに責める私の口調に、彼女は悟っただろう。私の春田さんへの気持ちを。瀬名さんの態度を不当に思っていることも。
村田の、高笑いが聞こえる気がする。
あの飲み会で、彼女は私に何を言った?
『ねえ、自分の非を認めて、する女と、「そんなつもりじゃなかったの」って自分を肯定して非がないようにしておいて、なおかつ貰えるものは貰う女と、どっちが酷いと思う?』
酔って潤ませた目を嘲るように私に向けた。
その日の飲み会は、新しく始まったプロジェクトの親睦会だった。その日も相変わらず村田は春田さんにへばりついて、化粧室で一緒になったとき思わず私は彼女を責める表情をしたのかもしれない。
『ねえ?無意識だといって自分の非を誤魔化すのと、どっちがマシ?』
村田は二人きりなのをいいことに、私に攻撃を仕掛けた。珍しく、本当に酔っている様子だった。
村田は常に周囲を計算に入れて動いている節があって、酔ったふりをしながらも中はずいぶん冷静であったように思う。しかし、その日は形振り構わないで春田さんに近づいていた。余裕がないように見えた。
『無意識だってなんだって自分の良い方向に仕向けることが、自分本位じゃないって言える?制御が利かないだけ、更に酷いんじゃない?』
意味がわからなかった。なんでこの女にそんなふうに言われなければならないのか。
『春田さんに噂のこと喋ったの、あんたでしょ?』
ギョッとして目を剥けば、村田が嘲笑う。
『ねえ、瀬名さんに春田さんのこと好きじゃないでしょうって言いなさいよ。それだけであの二人、別れるわよ』
『な……っ』
絶句した私を満足そうに眺めて、蛇口を捻る。ジャーッと水の流れる音が大きく聞こえた。
『私は「無意識には」酷いことが出来ないから、ちょっと無理だわ。自覚していたら許してくれないでしょうね』
そう自嘲する。誰が許さないのか、なんて訊かなくても判った。
『無意識なら、認めてくれるかもよ?許してくれるかも』
首をかしげて、明らかに馬鹿にしたように私を見た。
欲は、誰にでもある。
それを認めた上で制御し自重する人間と、認めて忠実になる人間。
また、忠実にもなれず、制御する上での被る損失の覚悟もなく、行ったり来たりする人間。
『……あーあ!』
バシャン、と洗面台に溜まった水に両手を入れて村田が俯く。
瀬名さんと村田は対極にいる。
ある意味、背中合わせの。
村田はきっと制御するというところに重きを置いていて、瀬名さんは認めるが私は嫌いなのだ。
それで私に牽制をかけている。無意識に、するな、と。言い訳するな、と。
春田さんを諦めたのか。諦めきれないのか。
その上の、あの態度だったのだろうか。
『今日はもう帰る。酔った。伝言しておいて』
村田は水を払って、肩に掛けたバックを抱え直した。いつもの冷静な目だったが、疲れていた。
瀬名さんから逃げ出したまま、デスクに戻った。途中で春田さんと擦れ違ったが、顔を見ることはできなかった。
村田の嘲りが、耳の奥で響いていた。
あいとじょうとあいじょう 2005/07/23 改稿 2005/08/17
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