瀬名が風邪を引いて潰れた土日から翌週。
実家の法事に呼ばれたと瀬名が地元へ戻ってしまい、その週も二人でゆっくり過ごすことができなかった。
残念、というよりも安堵した。予感があったからだ。瀬名に近く別れを告げられるだろうと。
案の定、話があると言われた更に次の土曜日。
よく二人で行く喫茶店に呼び出されたが、俺はそこで話をする気はなかった。周囲の目があるところでは本気で話すことはできない。
瀬名の感情を引き摺り出してやる、最後になるならトコトン話し合いたい、と思った。
土壇場になると肝が据わるとよく言われる俺は、本番には強いタイプなのだ。
どうせ玉砕なら、みっともなくたっていいだろ?
瀬名のほうは実際、感情的にならずに話したいと考えて外を指定してきたのだろう。
しかし、悪いがそうは問屋が卸さない。
店の中で待っていた瀬名に、車のキーを振って見せる。路駐している車に気がついた瀬名は慌てて立ち上がり、会計に向かった。瀬名が金を払っている間、俺は車の横で待っている。
瀬名が責める表情を浮かべたが無視をして助手席のドアを開けた。
交渉は自分のペースで。
基本でしょう。
車に乗った瀬名がまずしたことはエアコンの温度を上げたことだった。
男と女の体感温度は大きく違うらしく、電車に乗っていても俺たち男はピッタリだと思うのに女性はいつもカーディガンを羽織っている。部屋に来る瀬名にもいつも温度を下げ過ぎだと怒られる。
「エアコン効きすぎ。地球の敵!」
これもいつものセリフ。
暑い夏の始まり。天気は快晴。海は混んでいるだろう。
目的も決めずに車を走らせ始めて、どこに行くかと大きな話題からは外れて話をする。
何年か前に海を横断する道路ができて、まだ行っていないと瀬名が言っていたことを思い出してそこへ向かうことにした。
「左右見渡して海なんでしょ?」
「うん。青いよ」
なんでもない話をする。会社の話、ドラマの話、最近のニュース。
俺には有意義で、瀬名には価値もないかもしれない会話。言葉を交わすということは意見の交換だ。
相手が普段なにを考えていて、物事をどう感じているかを知る儀式。
「うーん、私はああいうの好きじゃない」
「そう?」
「だってズルイじゃない。春田は?」
「俺はどうかなぁ。場合によるかなぁ」
他愛のない言葉にひそむ、その人となり。
俺たちはまだ充分な会話さえしていない。
海を望むパーキングエリアは、駐車場が半分ほど埋まっている程度で人出は多くはなかった。
人々は眺めるだけではなく波に触ることのできるところへ集まったのだろう。
「んー、眺めいいね!」
「だなー」
手摺りに掴まって瀬名が水平線を眺める。ワンコインで使える望遠鏡が間隔を置いて並んで、入道雲が白く立ち上る真っ青な空へレンズを向けていた。
「春田」
真剣な声。振り返り、青空を背に瀬名が俺の目を見た。
来た。
とうとう来た、と俺の心臓は早鐘を打ち始める。
「あのね」
わーーー!ちょっと待ってくれ、まだ覚悟が…!
「実は支社の…」
それ以上言わないでく…、…え、支社?
瀬名の口を押さえたくなっていた俺は全く予測していなかった単語の登場に目を開いて瀬名を見た。
「新しくできる支社に誘われててね」
「…あ、うん。え?支社?」
「そう。場所が…」
瀬名が告げた地名は今の本社から大して遠くもない場所だった。電車でも車でも二時間と掛からない。
「そういえば瀬名の実家もその辺じゃなかった?」
「うん。土地勘があるっていうのも選考の理由だったみたい」
「実家に戻るの?」
「んー、今更一緒には住めないなぁ。私の部屋も母親の書斎になっちゃってるし。新しく探そうと思ってるけど」
「ふぅん」
全然予想していなかった内容だっただけに俺の頭はまだついていけていない。
つまり、話の要点はなんだ?
仕事の詳しい内容を瀬名が話す。俺は一つ一つ頷いて、そして訊いた。
「その話、受けるか迷ってるんだ?」
「…いい話だと思ってる」
俺の問いに瀬名はほぼ決めているというような答えを返した。実際、瀬名にとっていい話であると思う。瀬名の実力から考えて今より上のポストが用意されているはずだ。現在の地位に甘んじているのは先輩にあたる男が瀬名が次に上がるべきポストに居座っているからだった。
男である彼を差し置いて更に上にはいけない。だが上層部はやはり瀬名を有効活用したいようだ。きっちり実力を出せるところを持ってきた。
「そうだな、いいと思う」
「…春田もそう思う?」
「うん」
瀬名が探るように訊くので俺は頭を縦に振って肯定した。
膝から下の力が抜けそうだった。
なんだ。話ってそれだったのか。確かに
今よりは頻繁に会うことは出来なくなってしまうが、別れることを考えれば何でもない。二時間の距離が何だ。休日には会える。電話だってメールだって出来る。
安堵のあまりしゃがみ込んでしまいそうになった。
ホッと気を抜いてフェンスに寄りかかり、海風に塩っぽくなった前髪を上げた。指先が少し震えていた。
(はは、情けね)
瀬名の言動に一喜一憂して、外側は何でもない様子を繕ったって結局は。
瀬名が居なきゃ、駄目なんだ。
それが解るだけなんだ。
瀬名はやっぱり俺の震えた指に気がついて、その細く柔らかな指先でふれてきた。
……駄目なんだよ。
駄目なのに。
「別れよう、春田」
あいとじょうとあいじょう 2005/10/24
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