恐ろしいほどの冷たい目だった。
暑い夏の日差しさえ凍えさせる剣呑な光に、本能が身体を後退らせた。
「なにそれ」
眉を顰めた春田が聞き直す。その怒りを含んだ低い声と鋭い目に怯えた。春田を恐いなどと思ったのは初めてのことだった。
『春田には、他にもっといい人がいると思う』
そう言った。
春田は、春田を好きでたまらない人と結ばれるのがいい。可愛い奥さんと可愛い子供。容易に想像することができる。
『…はァ?』
しかし、春田は見たこともない氷のような視線を私に向けた。
「意味わかんないんだけど。全然。全く」
明らかな苛立ちを浮かべて、春田が立ち上がった。春田の長身の影が被ってきて、更に一歩身体が後ろに退がる。逃がさないとでもいうように春田の手が私の腕をきつく掴んだ。
「態のいい断り文句?それ」
軽薄な笑い。
「馬鹿にしてんの?」
ギリ、と掴む指が肌に食い込んだ。
「言えばいい。嫌いなら嫌いって」
それは違う。嫌いなんかじゃない。
恋人のように好きじゃないだけ。
途方に暮れて、言葉にできなかった。どう伝えればわかってもらえるだろう。嫌いじゃない。愛しい。幸せになってほしいのだ。大切に思っている。弟たちのように。
だから。
「嫌いじゃないけど、好きじゃない」
きっぱりと断らなければ。
他の人を探してほしいことは嘘ではなくて真実のことなのだけれど、それは春田が思っているような厄介払いなんかではなくて、しかし理解してもらうように上手く説明できない。
私といても春田には辛そうな顔ばかりさせてしまう。私が好きになれないのを感じている。
「好きじゃないから、だから…」
無表情に見下ろしてくる春田を真正面から見返した。しかし、
「知ってるよ」
春田が私の言葉を遮る。
「知ってた」
「なんで受け入れたんだって思ってた」
春田の目が私を責めた。口を噤むと春田は私の怯えに気がついて、少しばかり緊張を解く。腕の拘束を緩め、しかし解放はしなかった。
「俺は、瀬名が好きなんだ。だから、"他"なんてない。瀬名が一番なんだから、"もっと"なんて、ない」
春田が怒りに燃える目で見る。
「瀬名に、『もっといい人』がいるから、だろ? 俺じゃない。誤魔化すなよ」
「ちが…!」
私が他に好きな人間ができて黙っているような人間だと思っているのか。それとも浮気をする人間だと? それで、私が好きだなんてよく言える。腹立ちのままに腕を振り払った。下らない疑いを掛けられた以上大人しくしている義理なんかない。
「変なこと言わないで」
「ああ、違う、そういう意味じゃない、瀬名が他に男がいるとかそういうことじゃ…クソッ!」
力任せに春田が抱き締めてきた。
「放し…っ!」
「違う、そうじゃなくて、瀬名は俺を見限ったってことだろ? 俺を好きになれないから、瀬名は他の男を捜すために俺から解放されたいんだろ。瀬名は付き合ってる男がいる以上、他に目なんか向けないから…、わかってるんだ、そんなこと俺は」
私はそうじゃないと伝えたいのに声が出ない。春田の感情の吐露に圧倒されて喉が潰れる。
違う、春田が哀しい顔をするから。
私といても淋しい顔をするから。満たされない幼い子供のようだから。
解放しなくてはいけないと思った。好きという気持ちで暖めてくれる人のところに行かせてあげないといけないと思った。
瀬名、と。
春田は私の首に顔を埋めて名を呼ぶ。
瀬名。
…うん。
瀬名。
うん。
「好きだ」
なんで俺を受け入れたの。
あいとじょうとあいじょう 2005/11/13
back
next
|