「 ほらね」
春田は私の手を逃がさないために指と指を絡めた。
唇を引いて微笑みを浮かべると、ゆっくりと見せつけるように指に口付ける。
「瀬名は、俺を受け入れる」
茫然としていた私はその言葉で慌てて春田の掌から手を引き抜いた。否定しようとして、しかし否定することこそ、嘘だった。
「それは 」
受け入れている。その通りだ。よく言い表している言葉だと思った。
「だけど…っ、そういうことじゃなくて …」
春田の考えていることとは違う。
それは、家族みたいなもの。
どうしてだろう。あのとき、春田はスルリと私の中に入って、内側に溶け込んでしまった。
ぎゅっと春田の手を握り締める。
「春田は 」
このことを言えば、春田は傷付ける。だけれど、言わなくては。
「…弟みたいなの」
春田の身体が強張るのが繋いだ手から感じられた。顔を見る勇気はなく、俯いたまま続ける。
「なにかあったら助けたいし幸せでいてほしいと思う。 大切だよ」
気持ちが伝わればいいと一層手に力を込めた。
「……瀬名」
「……………」
「…俺は、幸せにはなれない。瀬名が離れていくなら、俺は幸せにはなれない」
春田の暗い声に、押し潰されそうになる。春田は繋いだ手を握り返すことはせずに私を見下ろしていて、上からの重圧感があった。
ここで、それは今だけだと言ったら、どこまで酷い女だろう。次の女が見つかるまでだと言ったら。
春田の気持ちは春田のもので、私が決めることではない。
ふ、と春田が息を抜いた。圧迫感が薄れて、春田を見上げる。
「なんで、俺、そんな瀬名の深くまで行っちゃったんだろう。弟みたいだなんて」
自嘲するように言う。
春田の瞳は全く水気を見せていなかったが、泣きそうだ、と瞬間的に思った。
「…わかんない……。ただあのとき 」
震える手を取ったときから。
「…手?」
「平然とした普通の顔しておいて……真剣だったけど、そんな、不安とか必死さとか見せてないくせに…、春田はいつも簡単に何でもこなしていくように見えるけど、本当は、頑張ってるんだろうなって…」
放っておけなくなった。
「…手だけで?そんな?」
本当だ。
手だけで、そんな。ずっと、なにも思ってなかったのに。いきなり、春田は入り込んできた。
「それって 、瀬名、それ…」
喉が詰まったように、春田が言う。
泣きそうだ。
だけど、笑顔。だんだんと顔の全体に広がっていく。
「それ 」
「ひと目惚れっていうんだよ」
全開の笑顔。
「瀬名は、俺に惚れてるんだよ」
「はあぁああ?!」
素っ頓狂な声を上げた私を春田が抱き締める。
「俺と、一緒。俺も目が離せなくなった」
嬉しさに溢れた声が髪でくぐもって聞こえた。
「始めは、好きだなんて気がつかなかった。ただ気になって。融通が利かないわけじゃないのに変に生真面目なところがあったり、関心なさそうにしながらも周りにちゃんと注意を払ってたり…、そういう一つ一つが俺の中に滲み込んで 瀬名は、いつの間にか俺の中で大切なところにいたんだ」
「瀬名」
春田が私の頬を手の平で包む。
「瀬名は? 瀬名は違う?」
「私は 」
春田と付き合うことになって、
案外普通なんだと思った。春田は実際いい男だったし、噂だけが先行していたのではないだろうけれど、迷ったり困ったりする普通の人間だった。
人当たりがよく人間関係も無難にこなすが、でも春田は確実に一本他人と線を置いていて、それがすごく淋しくなった。
哀しくなったのだ。
「春田は 私で満たされる?」
「淋しくならない?」
頬にある春田の指に手を重ねて尋ねた。
春田は図星を指されたかのように少し目を開いて、驚いた顔をした。肯定の証であるその表情をやっぱりと思って見つめる。
春田は、もっともっと好きでいてもらわないと足りない。それは、常に人から見られ好かれてきた人の贅沢なのかもしれなかったし、もしくは人に対する不信感が奥底にあるからかもしれなかった。
いずれにしろ、私では満たせない。だって春田はずっと足りないという信号を送ってきていた。
私の考えていることに答えるように、春田は、ゆっくり、慈しむ柔らかなまなざしで微笑んだ。
「確かに…満足できない。瀬名が感じたことは、当たってるよ」
春田は子供に言い聞かせるような優しい声で言う。
「瀬名には大切な人間がたくさんいて、
瀬名は、俺だけでは満たされない。家族も友達も、同僚も後輩も……瀬名はみんな必要としている。大事にしている。そのどれもが瀬名を形成していて、どれが欠けても駄目だ。俺が瀬名に与える影響なんて大したことなくて、それがときどき苦しくなることがあるけど…。…でも、それでいいんだ。そういう瀬名だから 俺は瀬名に惚れたんだ」
愛しそうに春田の親指が頬を撫でた。優しい仕草が溢れそうなほどの好意を伝えてくる。
「結局、そういう俺の小さな気持ちに気づくのも…瀬名だからだよ」
「でも…」
春田の宥める口調に、どうしても反論したくなる。私じゃなくたって気づく人はいる。もっと満たしてくれる人が。
「違うよ。他の誰でも代用できない。瀬名以外、誰も。満たしてくれる人は、瀬名しかいない。それ以外をもらっても仕方がない。水がほしいのに、砂糖をもらっても意味がないんだ」
「でも春田…、私は春田が一番いいひとと一緒になってほしいと思う。私じゃなくても。…でも、そう思えるってことは……つまり、私が春田を好きじゃないってことじゃないの?」
流石にここまでは言ってはいけないと禁じていたことを告げる。
他の女と一緒になっても何とも思わないなんて。
しかし私の決死の言葉に、春田はキョトンとした顔をして、
「瀬名なら、好きでも、そうだと思うけど」
と、言った。
「いや、好きなら、なおさら…かな」
照れた様子で言う春田に、だんだん、腹が立ってきた。
「それ、春田、買い被りすぎ。私だって嫉妬するし絶対浮気とか許さないし、普通の女だって!」
「うん、俺、浮気しないし問題ないよ」
……論点がずれている。春田のあまりの浮かれ振りに呆れて言葉が続かない。
「瀬名って今まではある程度知り合って、それで好きになってきたんだろ」
「まあ、そりゃあね」
「で、今回の展開はいつもとパターンが違い過ぎて戸惑ってる」
「そ…」
「弟みたい? 家族ってこと?」
「………」
「それって、もう、恋を通り越して 」
愛情だよ。
あいとじょうとあいじょう 2005/11/24 改稿
2005/11/28
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